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小林武君 あなた、
杉原さんのことばを否定するように言っているから言うのですけれども、
杉原さんという方はいいかげんなことをおっしゃったんですかね。
昭和二十六年から三十五年にかかりまして、
日本の農業がどうして発展したか、
日本の
考古学者全体の会合である
日本考古学協会の中の特別
委員会の私が
委員長になりまして、そうして、瀬戸内海から一帯を
調査して、北九州の板付にそれがとにかく見られた。それから今度は広島県にもそれが発見された。当然、
岡山にもそれに類する
遺跡がなければならぬと思った。ところが、高尾
遺跡という小さいのがあったけれども、それはそれとして、今度は
岡山市のいずみ町の総合グラウンドの工事が始まったのを機会にして、それからこの津島
遺跡というものが着目された。「われわれの仲間では、あの津島
遺跡に弥生時代の前期の前半、北九州から畿内地方へ農耕技術が伝播する過程を示す重要な
遺跡があるということは、われわれ専門家は存じていたのであります。」と、こう言っている。「これも不運にもその池の造成のために緊急
調査をやっただけで、もう現在は地下に埋もっております。」と、こう言っておる。今度の武道館の問題はどうですか「
岡山地方にもあるだろうと思っておりました、あの地方では最も古い弥生時代の
遺跡が出てきたのであります。」と、こう断定している。それについてあなたたちのほうがどうして
一体そういうことを、それについてそんなにがんばるのですか、私はわからない。腹に一物あるというようなことしか考えられない。
文化庁というのは
一体何をやるのだ。
文化庁とか
文化財保護委員会というものは何なのか。頭にあるのは
文化財の保護だけが一番強く出てこなければならぬ。あなたがいうまでもなく、調和だとか何とかということは、これはあり得ることだ。
日本の国土開発というようなものの中で、こわすまいと思ったってこわさなければならないものも多少出るだろうし、実際問題としてこわれている。どうしてもこわしてはならぬというものは残さなければならぬということになる。そういうことがあなたたちの役目でしょう。この
杉原さんのあれを反駁するだけの材料というものが一この二枚の紙きれの中にあるのは、最も進歩した形で出ているというのは、どこかさっぱり私にはわからない。どこが
一体進歩しているのか。たとえば、稲の花粉が検出されたというようなことは、それは
一体どういうことなのか。あるいは土壌の変化というものをあなたたらがどういうように見ているのかということをあげているのじゃないですか。そういうことについてこれが
一体少なくとも進んでいるということはどういうことなんですか。これがわからない。あなたの
意見だというと、あの正式リポートというのはとにかくこういう欠点を持っているということだ。それをこれが
指摘しているということだ。どこを
指摘しているのですか。それだけの確信持てますか。文部省にだって
考古学者の専門家がいるはずだ。そういう文部省の専門家たらがそういうふうにおっしゃるなら、ひとつここで堂々と
発言してもらいたいと私は思う。政治上のやりとりだとか、そんな議論はぼくは聞きたくない。
考古学者として、そうだ、当然そうあるべきだというならば、ひとつ文部省の専門家ここへ出てきてやってもらいたい。そう言ったら失礼だけれども、
考古学者じゃない、私と同じで、ちょぼちょぼみたいなものだと私は思う。どうですか。