○国務大臣(
椎名悦三郎君) まず、イランのほうに参りましたが、これは数年も前から私も
承知しておりましたが、非常に両国の間の貿易がアンバランスである。これを何とか是正してもらいたいという要請が非常に強かった。これを聞かなければ、少し強硬な手段でもあるいは取るんではないかというようなけんまくでありましたが、今度はそういったような険しい態度は見られなかった。それで、相当イラン国の国産原油というものを
日本に入れておるんですが、それは英米の石油トラスト、そういうものの手を通じて
日本が買っておる、相当多量に。それはイランの
日本に対する輸出とは直接
関係がないんだから、それは勘定外であるということを前回言っておった。しかし、そういうふうに言っておられるけれ
ども、実際問題としては、イランの原油というものが
日本に間接的に入ることによって原油
輸入額の四〇%はイランの外貨収入として残るじゃないか、そういうことを全然度外視して、これは別問題であって、そして不均衡是正しろということは、ちょっと通りが悪いんじゃないかということを今度は私直接に話しました。それが幾らかわかったようでありますが、そのほか最近LPGですか、それを
日本のほうに
輸入するということにこれはなっておる。一九七〇年から相当量
日本に
輸入するということに話がきまりました。その準備を目下現地においてやっておる。これなんかも
日本の
業界がなかなか渋いことを言っておりましたが、結局需要がどんどん増大する、そういうような
状況にありますので、相当な量を、二十四万トンを一九七〇年から
輸入するということになっておりまして、今後この量をどういうふうにするかということは、その上でまた検討してきめていかなきゃならぬ問題だと思います。こういうこと。
それから、あの国は非常に石油の輸出によって資金が相当に用意されておりますので、いろいろな方面に開発事業が行なわれております。それで、
日本はこれに参加しておりますが、その
状況を向こうが述べて、
日本の技術が非常に優秀であって、しかも誠実でごまかしがない、こういったようなことを実際に痛感しておる。そういうことで、
日本に対する信頼感が非常に急速に高まっておるのであります。それで、電気通信の問題、そういうようなことで、すでに向こうのプロジェクトを引き受けて実績があがっておる。なお、電気通信の問題の延長で、各国に
入札をさせた結果、
日本が一番札で落札した。これは電話交換機でございますが、これは年々、古くなれば更新されるということで、ずっといつまでも継続して
日本から
輸入されるということになるので、負けたほうは非常にあわてて、一番札だけである、これを何とかして巻き返しをしなければならぬということで、いろいろ策動したようでありますが、結局イランのほうの決意は断然かたい、絶対これは
日本だということで、これも動かぬようであります。
それから御
承知のとおり非常に砂漠地帯が多い。水さえこれに与えればどんどんりっぱな耕地になる。そこで、向こうが考えているのは綿花でありますが、綿花について、
日本の綿業
調査団が現地に、向こうの要請によって出かけた。そうしていまの栽培法を改良すればどれくらい収穫ができるか、それからまた綿花栽培地域というものと水の開発というものをにらみ合わして、どれくらいどういう地帯に綿作地帯を広げることができるかというような
調査をいまやっている。その
調査の結論を首を長くして待っている、こういうような
状況であります。
それからなお電子工学に関する問題で、何とか
日本の技術者をイラン
政府の顧問としてひとつ推薦してくれないか、こういったようなことも、私直接に向こうから言われて帰ってきております。ただいま
業界に話を移して、そうして考えてもらって、いずれこれは実現するめどがつきそうであります。
そういうようなことで、ずい
ぶんイランの財政力というものがしっかりしておりますので、各国があすこに行って、いろいろな仕事を取ろうとして競争しているが、その間において、
日本が断然非常な信頼を博しているということ、これは非常に得がたい収獲であると私は感じて帰ってきております。
それからクエートとサウジアラビア、これは両国の中立地帯で、すでにアラビア石油が海底油田を開発して、もう数十本掘っておりますが、いずれもからくじなし、掘ればみな当たる、これはちょっと世界でも例がないようであります。これが非常に、偶然かもしらぬが、
日本の事業というものに対する考え方をすっかり変えている。それで、クエートなんかでは、非常に金のあるところであります。わずか人口が四十五万で、クエート人がそのうちの三十万ぐらい、あとは近隣から集まった、あるいは西欧あるいは極東から出かけていっている人が全部合わせて、あとの十五万ぐらいが向こうの籍に入っている。入っているのだが、たった四十五万の人口で、たいへんに石油収入がある。こういうことでございまして、ただ、ここはイランよりももっとひどく、全くほんとうの砂漠でありまして、風が吹いたら砂ぼこりがたいへんだということでございましたが、私が行っている間はそういうことはなかった。それで、結局問題は水をどうするか。水を持ってくればどんどん緑地帯が広がっていく、こういうことでありまして、人も住みよくなるし、町もりっぱになる。いま近代都市をどんどん建設しておる。ほとんど古い町は取りこわして、幾らか一部残っておるくらいの
程度であります。それで、すでに海水蒸留設備をやっておる。それを、いまたしか日産四百万ガロン、それをさらに倍にするといういま計画をやって、
日本の石川島播磨がこれを引き受けてやっております。それを、いま手をつけておる計画をさらに倍にするために、第二期工事をやる計画があるようでありますが、そういうようなことで、金に糸目をつけないで一生懸命やっておるわけであります。
日本では
工業用水が五円とか、六円といわれておりますが、あそこはたしか水を製造するだけで百円かかった。それをいよいよ設備をして、人家に供給するということになると、二倍半くらいになるとかいっておりました。そういうようなこともどんどん実行しておる。道路もどんどん伸びておるということで、現実に仕事をしておるカフジ、アラビア石油の仕事をしておるカフジというところに参ってみたのですが、砂漠の中に一画築いて、セントラル・クーリングで、中に入るとひやっと涼しい。そういうところで、とにかく皆小さな車を持って、まあ一応あれ以上ということはなかなかむずかしいと思うのであります。職員諸君は生活を満足しておるというような
状況でございました。非常に私は、その他の福祉国家としての施設についても、建設途上のクエートに、なるほどこういういろいろな配慮をしておるのだなという
状況が見えたのであります。病院であるとか学校であるとか、そういったようなものはどんどんやっておる。ちょっと高等学校を見たのだが、いずれ何年かたったら大学になる。大学はもう少しあるのだそうですが、食わして、教えて、小づかいまでやっておる。学校はただで、食わして、教えて、小づかいまでやっておる。ただで小づかいやっておる。そしてそのうちの幾分かはクエート国民外のアラブの連中、そして相当優秀な、一定の条件にかなった者はどんどん入れる。卒業生は何か義務を課するかといったら、何も義務を課さない。こういうことでアラブ、あの地帯一体の文化国家の中心くらいの目標でやっておるのじゃないか、たいへんな勢いでございました。
それからサウジアラビアに参りましたが、サウジアラビアも非常にあそこは戒律のきびしいところで、同じ回教でも非常にきびしい。道路を歩いておっても婦人の姿は一人も見えない。そうしてずっとメッカに行くメッカ・ロードというのがありますが、そっちのほうへ行ってようやくジッダの郊外へ行くと、貧乏人のおかみさんみたいな女の姿がかろうじて見えて、あとはどこへひそんでおるか一向見えない。そういうような非常に戒律のきびしいところでありますが、それでも非常に近代化というものに踏み切って、どんどん道路を延ばし、建物を建て、そうして住宅を建てて、そうしてやっておる姿が見えますし、それからそのジッダの郊外でやはり海水蒸留に踏み切ってこれからやるのだと、それで各国がいろいろ事業を分担してやって、
日本はボイラーを石川島播磨がそれを分担して海岸でやっておる。それも見てまいりました。そういうようなことで、クエート、サウジアラビア両方とも石油収入で非常な恵まれた条件にありますが、やるべきことが非常に多い。クエートのほうが非常にコンパクトで、あれがまあ相当に近代化しておるということがわかります。サウジアラビアもだんだん近代国家になっていくのではないかと、こういうふうに考えておる。かなり
日本の商社がサウジアラビアなんかにも入り込んでおります。物の売り買いあるいはそういう特別のプロジェクトの建設ということでなしに、いろいろな仕事を見つけてあそこに商社が入り込んでおる。
最後にレバノンでありますが、レバノンは私は公式訪問したのじゃないので、ただあそこで足休めをして、一晩泊って帰ろうと思ったのでありますが、とうとう向こうに取っつかまって、総理大臣とそれから大統領にお目にかかってまいりました。あそこは非常に貿易のアンバランスのあるところで、輸出が一なら
輸入が五、六倍ぐらいありますか、しかし、あそこは中近東のオアシスといわれており、あそこへ来ると山も緑であり海もきれいであるということで、初めてほっとするというようなところでありまして、したがって観光収入であとはまかなっておる。あそこ全体が自由貿易地帯。したがって
日本の中近東全般に対して活動しておる
日本人の基地があそこにある。どの商社もあそこに一番偉いのを置いて、そうしてあそこの指図であっちの国へ行ったりこっちの国へ行ったりして仕事をしておる。これはただあそこが便利だというばかりでなしに、
情報も世界じゅうの
情報が全部一番早く入る、こういうことでありまして、あそこが中近東の企業活動の中心地であって、したがって
日本の商社も三十幾つぐらいあそこに一番の本拠を置いて、そうして活動をしておる。こういう
状況でございまして、これは
日本との特別の仕事の
関係はそう見るべきものはございませんが、やはりこれは私は別に仕事上の
関係はないが、あそこが
日本に対して非常な差別関税をまだ適用しておる、
日本の繊維に対して。それだけまあ文句を
一つ提供してまいりました。
そういうことでございまして、これを要するに、私は全然寡聞にしてわからなかったのでありますが、ああいうような地帯へ行って、
日本人の経済活動が意外にたくましく展開されておるということを現実に見て、全く心強く思った。こういうことでございまして、結局は
日本の技術力、経営力というものに対して非常な評価をされておる、こういうふうに感じてまいりました。