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中川説明員 ただいま
大臣がおっしゃられましたところに若干蛇足をつけさせていただきますが、まず、
猪俣先生が初めにおっしゃいました、なぜ
本人が
台湾へ帰りたいというようなことを言い出したかという点でございます。これは先ほど
大臣から
答弁いたされましたごとく、
本人の
日本入国ビザは、御
承知の四−一−四という
観光ビザでございます。ところで、この
観光ビザというのは、
日本にとにかく来てみたい、富士山、それからまた東京、いろいろ
見物をしたいというような人が、
在外公館へ
申請いたしますというと、よっしゃというわけですぐ
許可になる、きわめて容易に発給される
入国ビザでございます。きわめて容易に
入国を認めるという裏づけといたしましては、そのかわりきわめて簡単に出てもらうということでございまして、
入国のためにこの一番簡単な
観光ビザを入手して入った上で、
日本で
商売をするとか、あるいは
学校の
先生になるとか、あるいは
新聞記者になって働くとかいうような、いわゆる私
どもの
専門語で
在留資格の
変更ということを申しておりますが、
日本に
在留する
資格を変えるということは、これは断わっております。そうでありませんというと、
在外公館で簡単に出すという
趣旨にもとるわけでございます。
そこで、この
陳玉璽という人も、ただいま
大臣から、あるいは
猪俣先生からおっしゃいましたごとく、
ハワイで
大学を出まして、私
どもの了解する限り、向こうでたしかPHDかマスターか、とにかく一応
学位をとった上で、
台湾へ帰るという
帰国の途次
日本を
見物したいという、少なくとも表面上の
趣旨で、
ハワイにおきます
日本の
総領事館から、ただいま申しました
日本見物四−一−四という一番簡単な査証をとって
入国したものと了解いたします。ところが、
本人が
日本へ着きました
あとで、先ほど御
指摘のごとく、
法政大学に入って勉強したいという話が出てきたのでございます。ところが、私が先ほど申し上げましたように、
観光ビザで入りまして、勉強する、あるいは逆に
先生になる、あるいは
商売をやるというふうな
在留資格の
変更ということは、私
どもとしては認めておりません。そこで、こういうことが起こりました場合には、何も
台湾人だからどう、
アメリカ人だからどうということじゃございません。どこの方でも、一度
外国へ出てもらいまして、その
外国も、たとえば
アメリカ人であれば、サンフランシスコとか
ハワイまで帰るとお金がかかるということであれば、
釜山でもどこでもいいのでございます。要するに、
外国へ一ぺん出てもらいまして、
釜山なら
釜山の
日本のわが
総領事館に対しまして、今度
日本へ入って、たとえば
法政大学に入って勉強したい、
学生になりたいんだ、あるいは
法政大学で教べんをとりたいんだというふうに、
日本において働きたい、あるいは
日本に滞在したいという
ほんとうの
目的を添えて、
入国を
申請してもらうわけでございます。そうしますと、私
どものほうでは、いろいろの内規なり
基準なりがございまして、この人は
学生として勉強するに値するかどうか、この人は
学校の
先生として生徒に教える
資格があるかどうかというようなこと、あるいは、いろいろ経済的にやれるかどうかということを全部検討いたしました上で、よろしいというふうにしろ、だめだから入れないというふうにしろ、いずれかの指示を与えまして、そしてその
申請を受けた
在外公館から直接
本人に対して
ビザを発給するなり、拒否するなり、そういう
手続になっておる次第でございます。
そこで、このただいまの
陳玉璽でございますが、これも全く同様でございまして、私
どもといたしましては、この人に対して特にひどい
待遇を与えたとか、逆にまた非常に例外的にいい
待遇を与えたということはないのでございまして、全く従来の慣例に従いまして処置をした次第でございます。
そこで、
先生の御
指摘のポイントである、なぜ
台湾へ帰りたいと言ったかという点でございますが、それは、ただいま申し上げましたように、
本人が
法政大学に行って勉強したいのであるならば、このままで、すなわち、
観光ビザのままで
日本に居すわって
あと二年も三年も
大学にいることは、これは不可能だ。だから、あんたがもし
法政大学に入って勉強したいのであるならば、一ぺん出直して、
台湾へ行っても、沖縄へ行っても、
釜山でもどこでもいい、とにかく
日本から一ぺん外へ出て、そこであらためて
法政大学入学の
手続をして、そこからその
学位という、四−一−四という
ビザじゃございません、ほかの種類の
ビザをもらって入っていらっしゃいということで、
本人も、それじゃそういたしましょう、それじゃ私はこの
観光ビザのままで
日本にこのままねばっていることはとてもできないんだということを
本人は何と申しますか、
納得ないし観念いたしまして、そこで、少しでも早く国に帰って、親とも相談し、そうして至急正式に
法政大学の
学生として勉学するための
入国ビザを
申請したいということでありましたので、それではひとつ早く帰ったほうがよかろう。それで、帰るについては、御
承知のように、国の
費用で
——まあいつか無理無体に帰すというお
ことばもございましたが、要するに、国の
費用で強制的に帰すという
方法と、それから、どうせ帰らにやならぬのであるならば私は
自分の金で帰りますという
自費出国というのがございますが、
本人は、経済的にも必ずしも困っているわけでもなかったと見えまして、
自費出国ということで帰ったのでございます。この人が
日本に長くいるつもりはなかったということは、
ホノルルから
台湾へ帰る途中
日本に立ち寄ったので、
飛行機もちゃんと台北まで買っておったのでございます。ただ、いつ羽田を飛び立つかということはわからなかったので、オープンにしておったのでございますが、そういうわけで、
本人は、まだ
飛行機の切符も有効であったということから、それにもう
自費出国ということで、翌日に、そういうことなら一ときも早いほうがいいということで、御
本人がむしろ
希望して早く帰ったのでございまして、これが
本人が
永遠に
——永遠と申しますか、
法政大学を卒業するまで
あと二年かかるか三年かかるか知りませんが、それまでおれるという見通しがついたら、おそらくそういうことはせずにずっとねばったと思います。しかし、それはだめだということを厳重に申し渡しました
関係で、
本人としてはあきらめて帰ったということだと思います。
そこで、この点は、
先生御
指摘の第二点でありますところの、なぜ仮
放免、こういうことになったかという点に通じるのでございまして、御
指摘のとおり、仮
放免は通常一カ月やりますから、一月の二十三日に即日仮
放免をやって二月の八日というのははなはだ唐突でございますが、しかし、仮
放免を与える場合には、この一カ月なら一カ月をやりますこの間に、
出頭日というのを設けるわけであります。あなたはいついらっしゃい、また、仮
放免中、はなはだ
ことばは悪いのですが、逃げも隠れもせずにおるんだということを
入国管理官庁におきまして確認をする必要がございますから、そこで、仮
放免期間中の何月何日何時に出てこいということを申し渡すわけでございまして、二月八日はたまたま
出頭日になったのでございます。そこで、
本人が十三時ごろやってきた、こういうことでございまして、そこで、先ほど申し上げましたような問答の結果、それでは帰るということで翌日立った、こういう経緯でございます。
それから
先生最後にお述べになりました、
本人はただいま
台湾で
死刑を
求刑せられたという件でございますが、この点は、実は私はまだつまびらかにしておりません。八月一日に御
承知のごとく
裁判が開かれましたときに、私
どもが
新聞報道によって得た
情報でございまして、
在外公館を通して得た
情報ではございませんが、
新聞報道によります限りは、この陳という人は
二つの罪状において、
一つは
日本におって
中共への
脱出をはかったということ、第二番目には
日本におきまして
中国新聞に何か
政府を誹謗するような投書をしたという、この
二つの罪科によって起訴せられた。有罪といいますか、そういうことで起訴せられた。ところが
本人は、弁白していわく、
一つに、
自分は
中共へ
脱出を試みたことはないんだ。
二つに、その
中国紙に載った論文なるものは、
自分が書いたものではないんだ。
自分はただ校正をしただけだという弁明をしたということが
新聞報道によって伝えられておりますが、私
ども肝心の刑期はどうなるかと思って、そこをよく注意して読んだのでございますが、
求刑自体は書いてなかったように思うのでございます。しかし、あるいは
先生のほうが詳しい
情報をお持ちでございましたら教えていただきたいのでございますが、ただいまそういうことでございます。
それから、
先生お述べになられました
ホノルルにおきます
アメリカの
下院議員、おそらくパッチ・ミンクという人だと思いますが、そういう方が
非常左関心を持たれまして、
国務省を通して
中華民国政府の
関心を喚起しておるという話も、この間
中村法大総長から伺いましたし、それから、ただいま申し上げました八月一日の
裁判に関する
新聞報道によりましても、AP、UPその他
アメリカの
報道関係者も、多数その
裁判には出ておったというようなことを読みましたので、これがただいまそういう
意味で国際問題になっているということは、私も十分
承知しておりまして、
入管行政の一挙手一投足が一々
国際的左波紋を呼ぶ
可能性があるということは十分
承知しておりまして、慎重の上にも慎重にやらねばいかぬ、さように考えておる次第でございます。