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安達説明員 それでは、御
指摘の問題につきまして、できるだけ簡単に、その後の経過を御
報告さしていただきます。
第一番目は、称名寺、金沢文庫
あと一円の
保護の問題でございます。現在
史跡として指定されておりますのは、御案内のとおり称名寺の山門内の諸伽藍と金沢文庫等のいわゆる内界に限られておるわけでございます。それともう
一つ、その伽藍の背後にございます実時の墓、それから開山の審海上人らの墓が飛び地として付属指定をされておる。いま御
指摘になりました問題は、指定地ではない。現在は指定地外になっておりますところの称名寺の周辺の日向山、稲荷山、金沢山の三山を含む地域という問題でございます。これは現在西武鉄道が所有いたしておるところでございます。
昭和四十三年五月八日に、市の建築局は種々検討の結果、西武鉄道不動産部に対しまして、宅地造成の許可をいたしたのでございますが、この案では、日向山の大幅な削り取りというものは免れはいたしましたが、三山の稜線の確保という
方針を十分生かしてないということと、それから、日向山については許可の
範囲が不明確であるというようなことでございまして、問題が出てまいったということが
一つ。それから、実時の墓のところは指定になっておりますが、その伽藍と墓との間に道路をつくりたい、こういうような計画も出てまいったわけでございます。そこで、県、それから市の
教育委員会、
文化庁と打ち合わせまして、西武鉄道の不動産部とたびたび交渉をいたしておりまして、その許可
範囲を修正、あるいは未確定的なところを確定するよう建築局に申し入れ、建築局のほうもこの線に沿って再三西部と交渉をいたしまして、日向山については、削り取らないような
範囲を多少修正拡大することで了解に達したようでございますが、六月に入りまして、再び稜線が切りくずされるのではないかというような問題も起こりましたので、
文化庁からも
専門家に行っていただきまして、各関係者と検討いたしまして、ほぼ修正の確定線が出されたわけでございます。その基本となる
考え方は、現在、三山の稜線は、技術上多少の修正はあるだろうけれ
ども、なるべくこれを確保するということ、それから実時の墓と伽藍との間の道路は中止することとして、もっとうしろのほうを回す。それから境内の中に多少土砂が入ってきておりますが、それは原状に復帰せしめるというようなことでだんだん
方針を出してきたわけでございますが、それが成立するまでは一応
現状を凍結する、手を加えないということで、市の
教育委員会はその区域に立ち入らないように仮ぐいや繩張りを行なった。こういうようなことでございまして、これにつきまして西武のほうでは、そういうこともわかるけれ
ども、それについてはひとつ
土地の買い上げ等をやってもらいたいとか、あるいは
工事の損失補償金をくれとかいろような条件が出されてはおるわけでございますけれ
ども、先ほど申しました稜線をおおむね確保するということと、墓の前の両飛び塚との間を区切るような道路はつくらないというような基本線は、おおむね了解に達したというようなことでございまして、
あと土地の買い上げとかその他の大きな問題が控えておりまするが、その
個々の方法等については、おおむね線が確定してきたのではないだろうか、かように
考えておるところでございます。
それから和賀江島の問題でございますが、これにつきましていま御
指摘になっておりまするところは、逗子側はやはり昔の和賀江島ではないのではないだろうかということについては、大体
考えが一致してまいっておるように
考えるわけでございます。そうして現在まだ指定の対象になっておる鎌倉側につきましては、精密な実測図の作所が可能になりましたので、八月中には準備を終わりまして、九月には
史跡の指定の告示をいたしたい、かように
考えておるところでございます。
それから第三の鎌倉
史跡の
保存の問題でございまして、現在
史跡に指定しておりますものにつきましては、法華堂跡とか日野俊基の墓とかあるいは源頼朝の墓とか稲村ケ崎とか、そういうようなのはすでにずっと前から指定をしておったわけでございますけれ
ども、御
指摘のように最近首都圏の
開発等によりまして、鎌倉でも
土地造成等が相次いで行なわれるようになってまいったというような状態にあたりまして、その歴史的風土と
史跡の
保存というものについては、この際抜本的な対策の樹立の必要が、各民間、
地元でも叫ばれまするし、私
どももそういう必要性を感じまして、
昭和三十九年に鎌倉の
史跡の指定を急ぐという
方針で、四十年の三月以降今日まで、鎌倉五山、それから鎌倉七口のうち六カ所、鶴岡八幡宮、覚園寺、和賀江島、永福寺等を指定してまいったわけでございます。同時に、これは
文化財保護の
史跡の指定の問題だけでは片づかない問題があるわけでございまして、こういう点につきましては、古都
保存法の運用とも相まって、今後両方相まちまして、一方では、
文化庁のほうでは、
史跡の指定についてさらにこれを進めるような
方向で研究をいたしたい。同時に、その周辺全体のことについては古都
保存法の運用の円滑を期してまいりたい、かように
考えておるところでございます。