○大出
委員 けさの読売
新聞の十四版の十四面を見ますと、
警視総監と記者との一問一答がずっと載っておりますが、この中で、記者の側から――記者はずっと現場におりましたから、ほとんど事情はわかっている。テレビでも実に詳細な
報告ですよ。マイクロバスがひっくり返されて火がつけられたけれ
ども、火をつけたのは
学生ではなかったというようなことまで言っておるんですからね。ここでもそれが出ておりますけれ
ども、何で一体あそこまでいかなければ
警察は何もできなかったのかという
質問をしています。全く情報収集の不備があったのではないかということを記者の側から
質問している。それを
警視総監はしぶしぶでしょうが、最後には認めたようなかっこうになっている。だから、これは少しひねくれた見方になりますが、見方によれば、
事前にわかっておったことで、そこで
警察の側の方々もいろいろ御
努力をなさったが、しかし、結果的にどうもちぐはぐになってしまった。私が
国会にいてもそうなんですが、ほとんどだれもいないところに入ってきたから、中に待機していたおまわりさんも、入り出してしまってからつかまえたというわけです。だから、ことごとくちぐはぐだったろうと思います。だから、そういう意味での
警察側に対する世間一般の批判上、おくればせながら
騒擾罪を
適用した、そうなれば、
新聞は伝家の宝刀を抜かれたというようなことを載っけるから、そういう
状態だったなら、
警察はおたおたしたようだけれ
どもしょうがないということになる。どうもそういう意味の
責任のがれのような
感じまで、この一問一答を読んでみますと、ひねくってとれば受け取れる。とにかくこの
時点までいって、なぜ十二時過ぎというような
段階で
騒擾罪になるものを持ち出さなければならなかったのかという点が、いまの御答弁だけでは全く不明確きわまると思うのですが、しかし、課長さんですから、それ以上申し上げてもしかたありませんから申し上げません。
そこで、ちょうどここに「戦後の
騒乱事件」というので
新聞に全部表が載っておりますが、ここの最後のほうに、二十七年五月一日、
東京桜田門のあそこで一合戦あった
メーデー事件というのがあります。私はあのときたまたま官公労百八十万の事務
局長をやっておりました時代のメーデーでありますから、総評の事務
局長高野実さんと一緒に立っておった。ところが、
学生集団がどうしても皇居前広場を使わせろといって、また私
どもの団体もしきりにいってきたけれ
ども、時の
政府は強引に押えて使わせない。それで、桜田門のあの辺から、こっちの警視庁の前から皇居前広場に
学生諸君がなだれ込み、それに一般労働者もくっついてなだれ込んだという
事件です。堀の中に落っこちたおまわりさんが泳ぐ、それをまた
学生が突き落としたといううようなことを目の前でやる。ガス弾が撃たれ、しまいにはピストルを発射するような騒ぎが出てくる。こういうところに私も行っておりましたから、よくわかったのですが、このときに実は大きな騒ぎになった。GHQがあった時分でありましたが、
騒擾罪という形の
適用が出てきました。このあと、引き続き二十七年五月一日の
メーデー事件。ちょうどサンフランシスコ条約のときです。だから朝鮮戦争が始まった翌々年です。ところが、一カ月たって六月二十五日には、例の大阪で
吹田事件が起こった。さらにすぐもう一カ月たって七月七日には、名古屋で有名な
大須事件が起こりました。ところが、
吹田事件は、二審で
騒擾罪は不
適用、つまり、公判では共同意思の確認は結果的にできなかった。したがって、なお慎重になるのでしょうが、
メーデー事件にしても、
大須事件にしても、三つとも結論が出ない、こういうかっこうで今日延びてきておる。こういうわけです。だから私は、ここで
騒擾罪云々というものを持ち出してみても、そのことで今日的な
学生の
状態というものがおさまるとはどこから
考えても思えない。なぜかというと、昭和二十七年当時というのは、背景に政治的な朝鮮戦争というものがあったからですよ。そうすると、今日いろいろ起こっているものの中に、例のジェット燃料の輸送をとめようという
一つのねらいがある。そのことを世間一般にアピールしようという、これも大きな反
体制運動の一環かもしれない。ジェット燃料というのは、
防衛庁に御
質問しようと思っておりますが、私
どもの選挙区である横浜に、不法占拠を含めて
米軍の燃料置き場がある。われわれが知らないうちに、地下にジェット燃料の埋蔵タンクがたくさんできておる。現実にそこから運び出しておるのですよ。そして鶴見からタンクローリーで持っていったやつを
新宿を通って立川に輸送している。これは横浜から厚木にも行っているのですよ。しかも町の中では、そのタンクローリーの車が町の電柱にぶつかって人家にあぶなく飛び込むところの大きな写真が載って、それこそ町じゅうひっくり返るような騒ぎになった。爆発したらどうするかというのです。そういう
状態が至るところにあるわけです。そうなると、やはりそこに
一つの問題点がある。政治的な意味での背景がある。こういうものと結びついている。だから、掲げているスローガンからいえば、ジェット燃料輸送をとめさせようというそのことは、安保条約というものとからんで、七〇年というものを
一つの目標にした
考え方につながっていく、こういう動きなんです。そうすると、これは大きくいって、ある意味ではやはり政治問題ですよ。だから、それをどういうふうに解明をして、どういうふうに押えるかということは、むしろ
法律的な
騒擾罪というふうな形のものの発動という以前の問題、私はやはりそこに問題があるというふうにとらえておるわけです。だから、おそらくこの二十七年の例からいっても、ここで
騒擾罪をより広げるという
長官の御意見のようだけれ
ども、
防衛庁のほうもひとつ
適用にお踏み切りなさいという
お話を
閣議でおやりになったのでしょう、検討してくれとおっしゃっているのだから。そういう形の押え方で、それによって
学生運動というものは押えられるというふうに
長官お
考えですか。