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西家説明員 北海道におきまして相次いで
重大災害が
発生いたしまして、まことに遺憾に存ずる次第でございます。
最初に、
平和炭鉱の
災害のその後の
状況につきまして御
報告申し上げます。
災害が
発生いたしましたのは七月三十日でございまして、直後の
状況につきましては、
前回の
委員会で御
報告申し上げたのでございますが、八月一日に九名の
遺体を収容いたしまして、その後は入
気側と
排気側から
罹災者の
救出に当たったのでございます。
人気側からは戸門を設置いたしまして直接の
消火作業を行ないまして、ベルトコンベヤーのございました
崩落個所まで進行したわけであります。本格的な
救出作業は
排気側から行ないました。当初は
風管通気でございました。
風管通気を行ないまして、
救護隊の基地から
災害の
現場に至ります
距離約九百メートルございますが、そのうち四百八十五メートルまで
探検が可能であったのでございますが、その後
風量が減少いたしまして、煙の排除が思わしくなく、
温度も上昇いたしましたので、八月一日から
坑道の張り分け
通気に切りかえたのでございます。この辺まで
前回御
報告申し上げたのでございますが、張り分け
通気を約五百五十一メートルまで進行したのでございますが、その後、その先が
崩落をしておりまして、
温度も八十三度というように上昇いたしまして、視界も全くゼロということになりましたので、八月十一日にこの張り分け
通気による
救出作業は中止をしたわけでございます。そして、
罹災者の
家族等の御了承も得て、
炭鉱側は十二日から
注水をすることに
決定をいたしました。十二日から
坑内水、十三日からは
坑外水を入れまして
注水作業を行ないまして、これが八月の十五日に大体
予定水位のマイナス百二十一メートルまで
水没をしたのでございます。そこで
注水作業を中止したわけでございます。
それから、翌十六日から
排気側から二回にわたりまして
探検隊を入れまして中の
状況を調べたのでございますが、その間に軽度の
爆発現象を
坑内において確認をいたしております。そういうことでございまして、百二十一メートルまでの
水没ではまだ
救出作業ができない、こういうことに相なったわけでございまして、その後
排気側の
分岐個所の
奥部に本
密閉をすることに
決定をいたしまして、十九日から
密閉作業にかかりまして、二十一日に完成いたしました。
八月二十四日に、今度は入
気側から
崩落個所の取り
明け作業を行ないまして、八月二十七日に原動機のあるところまで、それから少し奥まで入ることができまして、この日から本格的な
火災の
原因調査に入ったわけでございます。
八月二十八日には、ほかの、
災害のございました
地区と同じ抗内でございますが、別の
区域でございます北と東の
区域に
監督官が
総合点検をいたしまして、あぶないところを修理をさせまして、九月二日から
北地区及び
東地区の
全面操業に入ったような次第でございます。
この間、
通産省といたしましては、八月の中旬に
監督課長会議等を開きまして、この間の国会の
決議の
趣旨につきまして
十分説明をいたしまして、それぞれ具体的な
指示を各
監督局を通じまして各
炭鉱に送らせたような次第でございます。八月二十一日には、さらにまた
検討事項のございます
地区につきましては、緊急に
監督部長会議を開きまして、その
具体化をはかったような次第でございます。
九月十六日現在の
平和炭鉱の
災害現場の付近の
状況でございますが、
排気側のほうからは、
密閉の中の
ガスの
状況を
観測をいたしております。それから、入
気側のほうからは
水没をいたしました
水位の
状況等をあわせて
観測いたしておりますが、
密閉内の
ガスの
状況は、その後比較的好転をいたしておりまして、
一酸化炭素の量が非常に減る等、中の
状況はよくなっておりますが、なおまだ若干でございますが、エチレンが出ておりますので、中は完全にまだ火が消えたという
状態にはなっていないということでございまして、
ガスの
状況等の
観測と相まって、今後の取り
明け作業を行ないたい、こういうように考えておる次第でございます。
続きまして、九月の三日に起こりました
夕張の
炭鉱の
落盤災害につきまして御
報告をいたします。これはお手元に簡単な
資料がございます。この
資料に基づきまして御
説明いたします。
災害のございました
炭鉱は、
夕張炭鉱第二坑でございます。
夕張市にございます。
鉱業権者は
北海道炭礦汽船株式会社、
社長は
原功一でございます。
災害の起こりましたのは、
昭和四十三年九月三日午後二時二十分ごろでございまして、
発生をいたしました
個所は、三区の左二片十尺層
ロングでございます。
災害の種類は
落盤でございます。同
炭鉱の
出炭量は、毎月九万三千七百トンでございます。
労働者の数は、八月末現在で三千二百名、今回の
災害による
罹災者は死亡八名でございます。
災害の概況でございますが、
夕張炭鉱は、第一坑と第二坑とがございまして、合わせまして三千二百名の
労働者で九万三千七百トンを出炭いたしておりますが、今回
災害が
発生いたしました第二坑は、
鉱山労働者数約二千名でございまして、十尺層というのと上層という層の二つの層で六つの
払いを
稼行いたしておりまして、月産六万九千七百トンを出炭いたしております。
災害を
発生いたしました三区左二片十尺
ロングは山たけ、炭の
稼行たけでございますが、一・五メートルでございまして、
支柱には
摩擦鉄柱一・四メートルカッペを用いております。それで、
採炭は、
災害当時
ピック採炭を
実施をいたしておったのでございます。この
災害のございました当
払いは、直接
天盤は、含媒と頁岩の互層でございまして、これが一・二五メートルくらいございました。その上に大天として十八・八メートルの砂岩が乗っておるわけでございます。
払いの面長は百三十五・八メートルでございまして、傾斜は十八度、先ほど申しましたような
支柱を行ないまして
稼行をいたしておったわけでございます。この
採炭現場の
払いの肩のほうに
断層が出現したために、八月二十二日から
払い深部から八十・六メートルにございます
地点から
断層に沿いまして切りかえ昇りを行なっておりまして、この
作業が八月三十一日に
上添坑道に貫通いたしておるのでございますが、この
払いはもともと一カ月前の七月二十二日に
採炭を開始した
採炭作業場でございまして、
災害時までには二十メートルしか進行していなかったわけでございます。
災害当日、一番方として
係員の方が一名、
鉱員の方が三十三名配番されまして
採炭、山固め、ステーブル座つくり等の
作業に従事しておったのでございますが、十四時二十分ごろに
払い深部から四十一メートルのところにございます
地点から上のほうに向かいまして十八メートルの間にわたって突然
崩落がございまして、その中の
係員一名を含む八名の方が
崩落ズリに
埋没罹災をしたのでございます。
災害発生と同時に六十六名の
救出作業隊が
罹災者の
救出作業に従事をいたしまして、翌日の四日の十九時二十三分に全部の
罹災者を収容したのでございますが、
全員遺体となって収容されたわけでございます。
災害発生直後に、
札幌鉱山保安監督局より
石炭課長以下七名を
現地に急行させますとともに、
鉱山保安局からは
外山監督官を急遽
現地に派遣をしたような次第でございます。
災害の
原因でございますが、
原因につきましては、
罹災者の
救出作業と並行して
調査中であったのでございますが、
罹災者の収容が完了いたしましたので、その後本格的な
調査に入っておるのでございます。
崩落個所には何らかの
異常現象、
断層あるいは盤折れ等があったため、突然
崩落したものと
推定をいたしておりまして、いろいろ現在まだ
推定をいたしておりますけれども、
災害現場を全部取り明けてみなければ、また断定することはできない
状態でございます。
当
災害につきまして
通産省のとりました処置といたしましては、ここに書いてございませんが、
北海道炭礦汽船株式会社が、比較的時間の短い間に二回の大きな
災害を起こしたことにつきまして、これを重視いたしまして、
災害の
原因等はまだわかっておりませんが、社会的な影響もございますので、
北炭の
社長を
通産省に招致をいたしまして、厳重に
警告するとともに、今後の
保安に対する
改善につきまして自主的な
提案を求めたような次第でございます。
一方、
保安局長といたしましては、
石炭協会に
各社の
社長を集めまして、今回の
災害が必ずしも対岸の
火災じゃないということで、一般的な
警告を行なったような次第でございます。
資料の最後に図面がかいてございますが、これが
災害のございました
夕張炭鉱の略図でございます。左のほうに
中央立て坑と書いてございます。ここから大体中に入るわけでございますが、この
中央立て坑の入り口からずっと立て坑を下りまして
水平坑道で右のほうへ参りまして、一番右端のところに、今回
災害のございました三区左二片十尺
ロングがございます。入口から
災害発生個所まで約二千六百四十メートルという
距離にあるわけでございます。
以上、簡単でございますが御
報告を終わります。