○
力石参考人 資本主義が始まって以来、
市場における
自由競争というのが
社会的資源の
配分を最適化してくるということが長い間信じられてきたわけでありますけれ
ども、
自由競争が必ずしも
資源配分を最適化しないものがだんだんと出てまいりました。
経済の
内部も
寡占化が進んでまいりますと同時に、なかなか
競争によって
資源配分を最適化できない。一番
最初にそういうものとしてあらわれましたのが
公益事業であります。
公益事業は非常に
規模が大きくて、ほとんど一社でもって
コストの非常に低いものを供給できる。そこで
競争なんかやるとかえって業界が共倒れになってしまう。したがって
資本的独占を認めて、その
価格形成その他について公共的に管理するというやり方がとられるようになってきた。
市場における消費者のフィードバックがきかなくなってきたので、行政的な方法でもって
国民の監視下に置いて、
価格形成や
投資のあり方を監視していくというやり方を
公益事業体は採用してきたわけです。一番
最初にこの
公益事業体の中でそういう独占の認められたのは、電電公社みたいな、ああいうほとんど初めから
競争は問題にならぬというふうなものであります。その次に電力のようなものは、初めは一生懸命
競争したわけであります。ところがどうも
競争してみると
競争はお互いに傷つけ合うだけであって、しかもたいへんたくさんの
資源を使ってむだなことをやってしまうというので、やがて電力
産業も
公益事業体として管理するようになってまいりました。
そういうふうにして
規模の
利益が非常に大きくなり、
市場の吸収能力を越えるくらいの大きな
設備能力のものをやるようになってまいりますと、だんだん
自由競争のフィールドから出ていくものが出てくるわけです。そのすれすれのところへきたのが
鉄鋼業でありまして、
鉄鋼業は国際的に見ますと、フィールドからはずして一社独占を認めて、公共的に管理しようというふうなやり方をとっている国と、そうではなくて、まだ
競争の余地があるからやらせよう、そういう境目みたいな
産業であります。たとえばイギリスの場合は一社独占を認めて、国有化をして管理をしていくというふうなやり方をとっている。オランダとかイタリアとか、こういうふうな国もいま大体一社独占を認めてやっておりますし、フランスでは二社くらいに集中してやらせる、こういうやり方をとっているわけであります。
アメリカは比較的数が多く、
競争体制をとっているのですが、ちっとも
競争しないで寡占の上に
あぐらをかいているという状態が見られるわけであります。
日本の
鉄鋼業は御存じのようにいままで
競争でやってきたわけであります。しかしながら、その
競争の中で
資源の
配分の
競争について最適化できたかというと、確かに
価格の面から見ますと、外国の
鉄鋼価格は大体階段状に上がっておりますけれ
ども、
日本の場合は長期的に見ますと少しずつ下がっていって、十年間に八%くらいの下落をした。これは非常におもしろい特徴なんです。しかしながらトレンドとしてそうなっているのですが、
価格の年々の
内部の動きを見ますと、非常に乱高下をやっている。あるときは鋼材
価格が下がってしまって、薄板が三万三千円くらいのところに下がって、
コストを割るようになって
経営者も青くなる。
労働組合のほうも、雇用問題が発生しないか、あるいは系列
企業も整理されやしないかとひやひやする。そういうふうな状態にときどきおちいりながら、景気が立ち直ってくるとまた
価格がぐっと上がるというような乱高下をしながら少しずつ下がっていくというような形の
価格ビヘービアが見られるわけであります。したがって、望ましい
生産性の上昇に合わせて
価格が段階的に下がってくる。長期的には、たとえば製造
コストはこの十年間に二五%から三五%ぐらいまで下がるところまできているのです。そこまでいかないで、八%ぐらいのところになるものは、そういう非常などろ沼状態でときどき足を引っぱられるから、多少下がりぎみになって、国際比価から見て多少安いという形になっているわけです。だから、非常にへたなやり方で何とか
価格を外国よりも少し下げてきたというやり方になっているのではないか。
なぜそういうふうなことになるかというと、これは
市場の需要範囲を越えるような
投資競争をやるからであります。
一つの高炉を建てると、いま二百五十万トンの能力があるといわれておりますけれ
ども、これを二つ建てれば五百万トンか六百万トンの能力がある。年間の
粗鋼の需要増大率は大体六百万トン、七百万トンという
規模で
発展していくわけですから、需要と供給との間で六社もそこに入り込んでやったら、たちまちどろ沼になってしまうわけであります。したがって、どうしても
各社は
投資競争を抑制しようと努力する。しかし、なかなかこれがうまく調整ができなくて、御存じのような過当
競争を行なう。この過当
競争の結果、過剰能力をつくり出して、いま言ったような冷や汗をかくような
価格下落に見舞われる。これは
一つの破滅的
競争の姿ではないかというふうに私は考えます。
これを
資源の
社会的な
配分の観点から見ますと、この
投資競争を通じてどれだけ
資源が大
規模にむだにされているかということを数字的に見ますと、たとえば
粗鋼能力で一千万トン過剰能力ができた、
昭和四十年ころにはそのくらい能力過剰がございましたが、この場合に、この一千万トンをつくるには四千億円くらいの
設備投資資金が必要であります。四千億円くらいの
設備投資資金が、一年間にわたって、その能力過剰という形で眠ってしまうわけです。これの金利費用はたいへんなものです。しかも、四千億円というのは、
日本の
社会保障費総額の半分近くであります。そういうふうなたいへんな
社会的資源がむだに使用されてしまう。
あるいは、いま
最適規模が八百万トンから一千万トンの能力の
プラントをつくるのが一番いいのだということで建設を進めているわけでありますけれ
ども、そのぐらいの能力に達するまでの間に大体一社でもって年間七百億ぐらい
資金が投入されればいいほうであります。四千億もお金を投じて、まとまった一千万トンの
規模をつくるわけでありますから、六、七年かかるわけです。六、七年かかってやっと非常に安い
コストのところへ
生産設備の
規模が達成されるというふうな形になるわけです。
これは、どうしてそうなるのかと言いますと、
各社は
資金調達能力が限られておるし、
各社がお互いに一度に一千万トンの
規模のものをつくれば、一ぺんに過剰になってしまうことをおそれて、少しずつ、一本ずつ、お互いに輪番みたいな形で建てていくわけです。そうすると、六、七年かけてそういうものをつくることになる。ほんとうならば、
計画的に行なえば、一年半から二年くらいで一千万トンくらいの
規模の
プラントなんかすべてできてしまう。そうなれば、金利費用からいいましても、また
生産コストの点からいいましても、非常に安くできるわけです。建設費用の面で見ますと、大体二百五十万トンずつ四社でつくって、あわせて一千万トンにした場合と、一千万トンの高炉を一社で一ぺんにぽんと
投資した場合と比べますと、一ぺんに
投資した場合のほうが一千億円くらい建設費用が安い。そのいろいろな付帯工事なんかを入れますと二千億円近く安くなる。そういうことがわかっておりながら、お互いに
競争で、むだなんだけれ
ども少しずつやっておる。そして六、七年かかってやっと完成するわけです。
大体いまの
技術進歩は、六、七年ぐらいかかりますと、
生産の
最適規模はもっともっと前に進むわけです。われわれは五百万トンくらいの
規模の
設備をいま持っておりますけれ
ども、これを完成するために六、七年かかってやっと達成します。しかし、その六、七年の間に、建設の途中ですでにもうほんとうは一千万トンのほうがいいのだということに
技術進歩の結果なるわけです。われわれはいま一千万トンのものを六、七年かけてやろうとしていますけれ
ども、この過程で、おそらく、
あと数年したら、二千万トンのほうが実はよかったのだ、御苦労さんだったということになってしまう。ですから、一千万トンの一番有効なやつをぽんとつくって、その次にまた一千万トンつくるというふうにして、短期に最も
コストの安い建設をやろうということになりますと、いまのような無秩序な
競争体制というのは適しないわけです。こういうふうにして
社会的資源が必ずしも有効に使われない、むだなことをやってその結果
価格は多少外国より低いというふうな状態をつくり出しているということはたいへん問題なのでありまして、むしろ
社会的資源の有効利用という観点からすると、
社会開発その他も非常におくれているわけでありますから、そちらの方向に
資源がむだなく使われるように
投資調整をちゃんとやって
計画的に行なう。と同時に、
投資効率がよくなりますと、その結果を
価格に反映するようにコントロールをしていくというやり方が、これからは必要なのではなかろうかと思います。そのために、六社の
競争体制というものを何とか
集中化する。私は、
鉄鋼のようなものは、イギリスの労働党がやっておりますように一社独占がほんとうは望ましいのだと思います。こういう形にいますぐいく条件がないとすれば、少なくとも
八幡、
富士ぐらいは集中的な
投資の
メリットを発揮して、君津に両方の力を一本に集中して、一千万トン
規模のものを七、八年かけてやるのではなくて、二、三年ですぐ到達するような
投資計画にしたほうが、
社会的に望ましいのではないか。そういうふうにして
資源を低
生産部門、
社会開発の分野に回すようにして、むだなことをしないようにしてもらうことが
一つ。
それからもう
一つは
価格の面で、そういう
集中化をしていきますと、先ほ
どもお話がありましたように、
市場支配力が非常に高くなる、
寡占化のおそれが確かに出てまいります。こういう寡占の弊害を除去するためにどうしたらいいか。
独禁法の観点からすると、
競争で
寡占化の弊害を防ぐというわけですけれ
ども、そういうふうなものが
独禁法の手に負えなくなったような
産業であるとするならば、これは
独禁法のワクの中で処理するのではなくて、イギリスの場合でも、スケール
メリットはあるけれ
ども独占の弊害もあるというふうなどっちつかずでどうしようもない場合は、
独禁法からはずして、政府が
産業再
編成公社というものをつくって、ここから政府出資を行なって、半官半民の
会社にするとか、あるいは一社独占の国有
企業にするとかいう形で政府がこれを統制していく。そして
価格が適正なところへつくように、いわば行政的フィードバックを働かして管理する以外にない。こういうふうな種類の
産業というのが
鉄鋼産業なんじゃなかろうか。
寡占には三つ型がございまして、集中型寡占といいまして、非常に
規模が大きくて、しかも
製品には別に差異がない。そしてすぐ
価格競争をやってどろ沼
競争になる、しかも
生産規模が
市場の
規模を非常に越えやすい。集中型寡占はどうもそっちの方向にいく傾向が強いわけです。
それから二番目の寡占は
製品差別型寡占といいまして、非耐久
消費財、繊維だとかくつだとか、こういうふうなものは、大きくなるけれ
ども、それほど
市場の範囲をずっと越えてしまうような、三社、一社ぐらいで全部供給してしまうようなそういう力はございません。
製品差別性を持ちながら
競争していくわけですから、こういうものは
独禁法のワク内で
競争をやらせながら能率を発揮させる、こういう指導が必要であります。
その中間のものは、
製品差別性を持ちながら同時に集中型であるというもの。
製品差別性を持っているために、集中型で
最適規模がかなり高いのですけれ
ども、それに限度があるというものが複合型寡占、中間型なんです。自動車とかテレビとかラジオとかいうふうなもの、こういう複合型寡占に関しましては
競争の
メリットというものがありますから、これは
独禁法のワク内で処理していく。しかしこの場合も問題が最近起こっておりますのは、自動車や電気機械や電子計算機のようにワールドエンタープライズとの
競争の観点からすると、
研究投資の
最適規模が非常に大きくなってきて、どうしてもワールドエンタープライズと
競争していくには
研究投資の面で
企業の
研究開発を統合しなければならぬというふうな問題が起こってまいります。そうすると、これもある
程度合併を進めざるを得ない。そういうふうになって
競争を残しながら
合併の
効果も出していくというふうなやり方が必要でありますので、自動車とか電気機械のようなものについては、数社で
競争させながら、その中の一社はフォルクスワーゲンやルノーのように混合
企業にしておいて、独占の弊害が起こりそうなときには、ルノーなんかは率先して
価格を下げてフォードの
価格を引き下げるというふうな、そういう
競争的公
企業というやり方が
ヨーロッパで出てきている。こういうやり方でもって処理するのが適している
産業、それから自然的独占を認めて公共的に管理せざるを得ない
産業、いろいろな
産業がありまして、その
産業に応じて独占に対する対策は、
独禁法でいくか、公共的規制あるいは
産業再
編成公社のようなやり方でいくか、いろんなやり方があるわけでありまして、
日本の
鉄鋼業の問題は、そういう
産業政策についての幅広いパースペクティブの中で処理しなければならない問題になってきているのじゃないか、こういうように考えます。
――
―――――――――――