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山本説明員 消防庁から
秋田県
大館市の
災害と
有馬温泉池之坊満月城の
火災の
概要について御
説明申し上げます。
お
手元に
資料を配付いたしておりますが、まず
大館市の
大火でございますが、
出火は四十三年十月十二日の十一時十六分ごろと推定されまして、十一時十九分に
覚知をいたしております。直ちに
消防ポンプ車その他
出動いたしまして、十四時三十分鎮火いたしております。しかしながら、
被害は今年度
最大の
焼失面積を出したのでございます。
焼失状況は、
面積七万九千平米でございまして、
棟数は二百九十棟、
内訳は
住家二百十六棟、非
住家七十四棟でございます。
罹災世帯は二百四十八
世帯。幸いにして
死傷者はございません。
損害見積もりは十五億円となっております。
火災原因は、
火災地区におきますところの
呉服店店員の人が
ダンボール等の
可燃物を焼却しておりまして、その後、
焼却地を離れるときに十分にもみ消していなかったために、残火が風にあおられまして、倉庫前に積んでありましたところの
ダンボール箱等の
可燃物に飛び火をして燃え広がったものでございます。
気象状況は、
参考のために書いてございますが、大体これは
火災地域から約二キロ離れたところにありますところの
消防本署の
風速計においてはかったものでございますが、四・六メートルないし七・六メートルということになっております。しかしながら、
現地におけるところの
風速はもっと強いものであったというふうにいわれております。
ポンプの
出動状況ですが、これは四十四台、
大館市の近隣の応援を得て
ポンプ車三十三台、手引き、可
搬ポンプ十台といった
消防力が
出動いたしておる次第でございます。
なお、
水利の
状況でございますが、
大館市全体といたしましては、なお
水利の点については問題がございますが、しかしながら当
地区を
中心に考えた場合におきましては、消火せん、
掘り抜き消火せん等がございまして、
地下水の利用ができますので、必ずしも
水利について問題があったというふうには
数字の上では出ておりません。
大火になった
原因でございますが、
初期消防力の不足でございます。今回の場合は、
火事が起こりまして直ちに
消防車が
出動いたしましたが、あとで申しますように、
道路その他の
状況から一斉の放水ができ得ない
状況にあったということが
一ついわれます。
それから
水利の点については先ほど申し上げました。
次に、
通報のおくれでございます。実は、この
火事は直接
消防署へは一一九番を通して入っておりません。一一〇番を通じて
警察署に入りまして、
警察署から
消防署に
通報があったということでございます。
道路の
状況は、
被災地内には幅九メートルの
国道が一本通っております。しかもその幅九メートルの
道路も
被災地のところにおきましてはやや狭くなっておるそうでございます。
被災地の中へは、その
国道から入る
道路は三メートルというような狭いものでございまして、
中心部に
消防車が進入するということは困難であったということがいえると思います。
それから
建物等の
状況は、非常に
木造が密集をいたしておりまして、特に
商店街と
木材工場が混在いたしております。
焼失面積七万九千平米のうち二万平米が
木材工場であることを見ましても、この
地域は、
火事が一たん起こった場合は、いわゆる燃えやすい
状況のものがあたり一面にあったということがいえるのではないかというふうに考えるのであります。また
東北地方、特にこの
地方の
習慣といたしまして、
木くずをストーブに入れて使う、こういうふうな
習慣がございます。したがって
木くずがたくさん積んであった、こういったことが
大館大火を来たした
原因ではなかろうか、かように考えるのであります。
それから次に
有馬温泉の
状況でございます。
有馬温泉の
状況につきましては、最近のことでございますので、すでに御
承知と思いますが、発生の日時は十一月二日の午前二時三十分ごろと推定されております。この点につきまして推定と申し上げますのは、真夜中のことであり、
発見者その他の言がまちまちでございますので、一応三十分ごろと推定いたしておりますが、これより発火時間は早かったのじゃないかというふうに考えられます。
覚知時刻は、これは
消防が
覚知した
時刻でございますが、三時六分でございます。これは
有馬出張所へ一一九番でもって、
満月城の前に住居いたしておりましたところの人から
通報がされておるのであります。
鎮火時刻は五時四十五分でございます。
死傷者は、
死者が三十名、傷者四十四名というふうになっております。
死者の
内訳は
従業員が一名、お客さんが二十九名でございます。
原因並びに
損害額でございますが、この点につきましては、いろいろ
警察と
消防それぞれの立場で協力をしながら
調査をいたしておりますけれども、まだ確とした
原因を申し上げる段階ではございません。
焼失面積は六千六百三十平米でございます。
満月城の全体は約一万二千平米でございますから、半分以上の
部分が焼失したということになっております。
満月城は、これは順次建て増しをいたしておりまして、大きく分けますと、
木造部分と、それから
本館といたしまして
鉄筋の
部分がございます。その
木造部分と
本館鉄筋部分の間にさらに
鉄筋部分を増築をいたしまして、三者がそれぞれ廊下によってつながっておって、
一つの
建物になっておるというふうな
状況でございます。
旅館の
収容人員は、一応八百六十五名、客室百二十六室というふうになっておりますが、大広間を使いますと、ピーク時には千名くらいも入れるというような大きな
旅館でございます。
従業員は百四十六名でございます。
出火当時の
宿泊者は二百五十名、
出火当時の
宿泊従業者は六十名となっております。この二百五十名のうちの六十名でございます。
宿泊者並びに
従業者でもって二百五十名の者が当夜
満月城において寝ておったということでございます。
非常におそい一一九番による
覚知によりまして、
消防隊は直ちに
有馬出張所の
ポンプ車二台と
北上分署の一台が現場に
出動いたしまして、その後第二、第三、第四
出動をかけまして、
特令出動と相まちまして、
消防ポンプ車十三台を含めて
合計二十三台の
消防自動車が
出動いたしております。
結果的に申し上げますならば、この
事故は
ホテル火災といたしましては戦後
最大のものでございます。四十一年三月に
水上温泉の
同様事故がございましたが、これは
死者数においては三十名で同数でございますが、
重軽傷者が
水上は二十九名でございますので、
有馬温泉の
火災が
ホテル火災といたしましては
最大のものであるというふうにいえるわけでございます。
こういった大
惨事を招いた
原因でご
ざいますおもな点を申し上げますと、まず
火災の
発見及び
通報がきわめておそかったということがいわれるのではないかということであります。それは先ほど申し上げました。
それから
夜間における
防火管理の態勢がきわめて不十分だったといえます。これは
夜間におきましては、守衛兼夜警が一人で
旅館内を回っておるというだけでございます。
それからその次に、
死者の
状況を見ますと、いわゆる煙による
窒息死と申しますか、
中毒死と申しますか、そういった方がたくさん出ておられますが、これは内装がいわゆる新建材を使っておりまして、煙が非常に多く出たというふうな点があげられ、かつまた火の回りが早かった。たとえば
防火シャッターの
設備がなかったために、全館が煙突のようになって、縦横に火が早くはい回ったというふうな点があげられるのではないかと思います。
次に、
自動火災報知機の
設備が設けられていなかったということでございます。これは
木造部分と
本館部分では
火災報知設備が設けられておりません。いずれも三十五年以前の
建物でございまして、設けられておりません。その後建て増ししました本丸には設けられております。こういう
状況のために、
火災報知機による
火災の
覚知、
発見というものがなされなかった点も
一つの
原因として考えられるのではないかというふうに考えるのでございます。
それから
避難径路の案内も
避難誘導の点につきましても、非常に手抜かりがあったということが指摘されると思います。
以上申し上げました点が大
惨事を招いた
原因であろうというふうに考えるのであります。
次に、この
建物におけるところの
消防法あるいは
建築関係の
法令違反の有無の問題でございますが、先ほど申しましたように、
消防法令違反といたしましては、
自動火災報知設備及び
電気火災警報器等が未設置になっております。
建築基準法関係につきましては、これは
建設省の所管でございまして、
建設省で
調査をしておられるわけでございますので、その点
建設省から御指摘があると思います。
次に、
資料によりますと、いろいろ戦後多数の
死者を出したところの
火災なり最近の
旅館、
ホテル火災について述べておりますが、先刻も申しましたように、戦後
最大の
ホテル火災事故であるというふうに考えておるのであります。
以上、簡単でございますが、
大館並びに
有馬温泉旅館における
火災の
概要について御
説明申し上げました。