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赤路委員 ちょっと大蔵省のほうへ御注文をつけるというかっこうになろうかと思いますが、四十一
年度の決算の説明、これはいつも出るわけなんですが、
年度における施策の
数字的な説明と申しますか、この
程度で
年度内の具体的な行政されたもの、施策面を説明するのですから、非常にむずかしいことと思います。ただ、注文したいのは、重要なポイントだけは、説明にあたって何とかやはり考慮してもらいたい。
それで
一つその実例を申し上げるわけなんですが、四十一年だけでなしに、さかのぼってずっとこの総説の中の
経済の概観というのを読ましてもらいました。これをさかのぼって申しますと、三十七年の十月に引き締め
政策を解除した。それから三十八年に入ると、鉱工業生産、輸入増大と
経済が急テンポで拡大をした、そこで三十八年の十二月に預金準備率を引き上げ、三十九年三月に公定歩合を二厘引き上げ、金融引き締めの措置をとった。その題のところで、三十九
年度のわが国の
経済は引き締め
政策のもとに推移をした。三十九年の十月以降引き締め効果が浸透をして、三十九年の十二月から四十年四月までに引き締めを解除した。それから四十年の
経済は、三十九年以来の金融緩和策の実施にもかかわらず、停滞
状態を続けた。
政府は金融緩和と
財政面からも積極的に
景気の回復策をとった。不況は四十年秋に底をついて、四十一年に入るとともに
景気は回復した。四十一
年度の
経済は
国民総生産は前
年度に対し実質一二・三%の伸長を示し、完全に不況から脱却するに至った。貿易収支も大幅黒字を出した。
大体三十八
年度からこの決算説明を読んでみますと、概観はそういうことになっておる。これを並べてみますと、三十七年十月に引き締めを解除した。三十八年の十二月に引き締めを開始した。この間一年三カ月。それから四十年四月に引き締めを解除しておる。したがってこれは一年四カ月。それから四十年の秋不
景気は底をついた。四十一
年度は
景気は回復した。それから四十二年の九月に、これは宮澤さんだったと思うが、
財政硬直引き締めということを言っておる。これが二年四カ月。こういうふうに引き締めあるいは解除し、引き締め、これを繰り返しておるわけなんですが、
経済は生きておりますから、それぞれのときの変化に対応して手を打っていかなければならぬと思いますが、こういうような事態の中で中小企業の倒産、先ほど鈴切君からもありましたが、中小企業の倒産が三十九年は四千二百十二件、四十年が六千百四十一件、四十一年六千百八十七件、四十二年は八千二百六十九件、おそらく四十三
年度は
財政硬直の
あとを受け一万件近いものに倒産はなるのじゃなかろうか。これは負債一千万円以上であります。これを
考えてみますと、
財政金融措置を引き締めたり、解除したり、繰り返して行なわれておるが、中小企業の倒産はふえてきておる。ちょっと疑問を感ずるのは、一体そういうことはだれのためにやったのか、中小企業者はほうりっ放されたのか、こういう
感じがするわけであります。何か説明があるかと思ってあっちこっち見てみますけれ
ども、一向説明がない。この点、私は今後この決算説明を出されるときに十分ひとつ配慮してほしい。これが一点です。
それからもう
一つは、これも
一つの事例でありますが、
日本輸出入銀行のところなんですが、この資金運用に次
年度繰り越し三十五億五千五百万というのがあるわけです。これをもしお持ちになっておれば、四十一
年度の説明の三百七十三ページ、ここに三十五億五千五百万あるわけです。どうしてもこれと対応するものが見出せぬ。わからない。
数字と見合うものがない。それから
政府機関の決算書の中にもこれに見合うような対応するものがありません。そこでこれを聞いてみましたら、
年度末の貸借対照表の借り方の中に有価証券、それから現金の預金、仮払い金の合計、これから貸し方の雑勘定の総額を差し引いた残が次
年度の繰り越し三十五億五千五百万円だ、こういう説明なんです。そうしてやってみるとそのとおりになるわけなんですが、何か説明がえらい不親切なように思うわけです。こういうものがあちらこちらで見受けられますので、わずかこれだけの中で一年間の総ざらいをするのですから、すべてそうしたものを入れていくということはむずかしいことだと思いますけれ
ども、そうしたポイントだけはひとつ十分留意をしてやっていただきたい。これは注文です。
答弁は必要といたしません。
そこで
一つだけ聞きたいのですが、この説明書によりますと、四十一
年度の不用額となったものが四千五百一億円、これだけあるわけです。そうして四十一
年度の剰余金は九百二十九億円、こう記載されておる。そうしますと、この中で純剰余金はどの
程度になっておるのか、この三ページに書いてありますのは「
歳入歳出差引き
昭和四十一
年度の剰余金(歳計)は九百二十九億円となった。」こうあるわけです。そうすると純剰余金は何ほどあったのですか。