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大橋和孝君 私は、先般第五次の
沖縄調査団として社会党から
沖縄へ行ってまいりました。そしてあそこでいわゆる
健康保険の
制度を見てまいりまして、私はその前に何かの機会で、
大蔵大臣であったか、
沖縄でやっている
方法はなかなか
理想的にいっておるという発言を耳にしたようでありますが、そういうことを思い浮かべてみますと、
沖縄で行なわれておりますところのあの
療養費払いをずっと見せてもらってまいりましたが、実に私は驚いて帰ったわけであります。総
報酬制でもって、その率は比較的まだ天井まではいっておりませんけれども、総
報酬制でもって
掛け金を集められるその金額は五百六億ドル、しかもそれが
療養費として、
患者、そういう被
保険者は前もって
保険料を払っておきながら、今度
医者にかかるときには、全額を一たん払わなければいけない。払って、今度は
あとからその領収証を持って
保険庁に金をもらいに行く。その金をもらいに行くのには、たとえ五ドルであっても、十ドルであっても、バスでもって相当離れたところへもらいに行かなければならない。もらいに行くのがたいへんだから、やめる。その
給付金はわずかの百二十六億ドル。そうすると、
掛け金を集めた約三分の一しか給付していないという
状態であります。しかも
あとの五人未満の方、
内地でいうところの
国民健康保険に当たるものはないわけであります。こういうことを
考えてみますと、これは
理想的に
黒字であるかもしれませんけれども、実際は、私は、その
病気をして
医療をしておる人には
ほんとうに恩恵になっていない。だからして
所得なんかを調べてみますと、
沖縄では、
日本に比べますと、非常に
貯金率が高い、九四・六%も
貯金をしておる。
貯金の
目的は一体何であるかと聞けば、
貯金の
目的は不慮の
災害、
病気が第一、続いて老後の心配がある、あるいはまた、そうした不安な
状態のために
貯金をしなければならぬというパーセントがあらわれておるわけであります。しかも、
所得はどうかと申せば、
日本に比べれば六割何ぼぐらいしか
所得かない。こういうような
状態で、いま
沖縄に行なわれておる実際を見てまいりまして、私は非常にこの
社会保障ということがいかに必要であるかということを痛切に
感じてきたわけであります。困っておる
人たちは、とうかといえば、農業をやっている
僻地の人なんかは、あの甘蔗といいますか、
砂糖キビをつくってやっておる
状態を見ましても、非常に疲弊な
状態で、私は
内地以上に
僻地の農民は困っているというふうに見てきたわけでありますが、そういうような
状態の中で、
社会保障がないためにそういうふうな
状態をしいられているということを見て、私は非常にびっくりして吊ったわけであります。私は、前に
大蔵大臣がそういうことを言われて、まあ比較的
理想的にいっておるのではなかろうかと言われておった。ところが今度、
厚生省の
試案を見てみますと、今度の
健康保険の
改革試案の中には、やはり大学の
附属病院とか、
厚生省の指定する
病院は、
療養費払いをするということが打ち出されておる。そういうことを裏返して
考えてみると、やはり
沖縄でやっておられるのは、
一つの、何といいますか、モルモットを使う実験のように、
沖縄で
健康保険をやってみて、そうしてしかも
療養費払いだったら
黒字になるぞということで、これを入れていこうというような
考え方、私にはこれが何か関連があるように
考えられるわけであります。同時にまた、
医師法のあれを見ましても、あるいはまた今度の
特会制を見ましても、
医師法の一部
改正では、やはり比較的
診療の手当とかというふうなことで、わりあい低い賃金でもって若い
医者を大きな
病院にくぎづけしようということも
考えられるわけでありますし、また、
特別会計においては、特に私は問題がある。あの
国立療養所には、そうした
重症心身障害児あるいはまた筋ジストロフィーとか、あるいはまた、いろいろなそうした手がかかって非常にお金のかかるものが収容されて、長期の
療養をされる
方々が入っておられる。こういうような対象を今度はまた独立の
会計に持っていこうとする
考え方、私はこれを一面に
考えまして、何か非常に割り切れないものを感ずる。特にまた最近
厚生省で打ち出されておるところの
受益者負担という
考え方、私は、
病気をした人が利益を得るという
考え方は最も根本的に間違っておる。好きこのんで
病気になるわけでないし、
病気になったために、
病気にかからない人よりは、お薬をもらったり、注射をしてもらったり、それだけのものを受けるかもしれませんけれども、これはそのためにほかに
仕事もできないし、あるいはいろいろなハンディキャップがあって、好んで
病気をする人はないわけですから、こういう
人たちに
負担させる
考え方自身は非常に間違いではないか、こういうようなことをいろいろ
考えてみましても、私は、特に
厚生大臣に対して、特にそういうことに対しては今後根本的に改めて、そういう
人たちを救済するというか、
ほんとうにそういう
人たちの身になっての
行政をしていく。先ほど
大臣からもおっしゃいましたけれども、
戦前は、あるいはそういうふうな救うという
意味だったかもしれません。しかし、いまの
憲法下においては、これは当然すべきであるし、また受けるほうの側には要求すべき
権利があるわけですから、そういう観点から申すと、そういう根本的な
考え方というものをここでひとつ十分にかみ砕いて、今後の方針を立てていただかないと、やはりこの
厚生行政の
出発点が、非常にいま
大臣の
お話を承れば、そういうことに対する配慮をしていただいておりますが、
国民の側からは、その
大臣の気持ちが十分受け入れられない、そういうふうに間違ってとられるような節々がいま私が申し上げたようにたくさん並んでいる。特にこういうような
状態で私
考えますのは、
日本の
経済の
状態は、いつも言われているように、この次の
世紀は
日本の
世紀だといわれるほど
産業も
経済も
発展をしておる。だけれども、だからといって
国民全体がそれだけレベルアップされておるかということになりますと、これは私は、
社会保障の面では非常に心さびしいものがある。いま
大臣のおっしゃいましたように、まだまだ総花的で、十分なところまでいかないの、か
現状だということは、私もわからないわけではございませんし、そのとおりだと思うのでありますが、しかし、こういう時期において、それほど
経済も
発展をしておるし、また
世界から注目されておるいまの現況において、
厚生行政というものもすっかり
姿勢が変わって今後いかれるということが、まずここできちっと出ることを、私は
国民がどれほど希望しておることだろうか、そういうふうに思うわけでありますので、特にそういう
意味で、ひとつ
厚生大臣の
所信をこういうときに明らかにしていただくことは、
国民が今日望んでおるところではなかろうかというふうに
考えておるのでありますが、そういうことでありますから、特にくどくこのことに対して申し上げておる次第でありますが、あらためて御
所信を聞かせていただきたいと思います。