運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1968-04-04 第58回国会 参議院 予算委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年四月四日(木曜日)    午前十時二十分開会     —————————————    委員異動  四月四日     辞任         補欠選任      瀬谷 英行君     稲葉 誠一君      野上  元君     柳岡 秋夫君      二宮 文造君     矢追 秀彦君      片山 武夫君     中沢伊登子君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         西郷吉之助君     理 事                 北畠 教真君                 剱木 亨弘君                 近藤英一郎君                 内藤誉三郎君                 加瀬  完君                 鶴園 哲夫君                 小平 芳平君    委 員                 内田 芳郎君                 大谷 贇雄君                 大森 久司君                 岡本  悟君                 梶原 茂嘉君                 小林  章君                 櫻井 志郎君                 任田 新治君                 中村喜四郎君                 船出  譲君                 増原 恵吉君                 八木 一郎君                 山本茂一郎君                 山内 一郎君                 稲葉 誠一君                 岡田 宗司君                 木村禧八郎君                 田中寿美子君                 千葉千代世君                 戸田 菊雄君                 羽生 三七君                 前川  旦君                 森中 守義君                 柳岡 秋夫君                 北條 雋八君                 宮崎 正義君                 矢追 秀彦君                 中沢伊登子君                 須藤 五郎君                 石本  茂君    国務大臣        法 務 大 臣  赤間 文三君        外 務 大 臣  三木 武夫君        大 蔵 大 臣  水田三喜男君        厚 生 大 臣  園田  直君        通商産業大 臣  椎名悦三郎君        運 輸 大 臣  中曽根康弘君        郵 政 大 臣  小林 武治君        建 設 大 臣  保利  茂君        自 治 大 臣  赤澤 正道君        国 務 大 臣  増田甲子七君        国 務 大 臣  宮澤 喜一君    政府委員        内閣法制局長官  高辻 正巳君        内閣法制局第一        部長       真田 秀夫君        防衛庁長官官房        長        島田  豊君        防衛庁人事局長  麻生  茂君        経済企画庁調整        局長       赤澤 璋一君        経済企画庁国民        生活局長     八塚 陽介君        法務省矯正局長  勝尾 鐐三君        法務省入国管理        局長       中川  進君        公安調査庁次長  長谷 多郎君        外務省アジア局        長        小川平四郎君        外務省北米局長  東郷 文彦君        外務省経済協力        局長       上田 常光君        外務省条約局長  佐藤 正二君        大蔵省主計局長  村上孝太郎君        大蔵省国際金融        局長       柏木 雄介君        厚生省社会局長  今村  譲君        厚生省児童家庭        局長       渥美 節夫君        通商産業省貿易        振興局長     原田  明君        運輸省船舶局長  佐藤美津雄君        運輸省鉄道監督        局長       増川 遼三君        運輸省航空局長  澤  雄次君        海上保安庁長官  亀山 信郎君        電気通信監理官  柏木 輝彦君        電気通信監理官  浦川 親直君        郵政省電波監理        局長       石川 忠夫君        建設省道路局長  蓑輪健二郎君          消防庁庁官  佐久間 彊君    事務局側        常任委員会専門        員        水谷 国一君    説明員        法務省訟務局次        長        上田 明信君        運輸省航空局飛        行場部長     梶田 久春君    参考人        新東京国際空港        公団総裁     今井 栄文君        新東京国際空港        公団理事     高橋 淳二君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和四十三年度一般会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和四十三年度特別会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和四十三年度政府関係機関予算内閣提出、  衆議院送付)     —————————————
  2. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) ただいまより予算委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  本日、瀬谷英行君、野上元君、片山武夫君が辞任され、その補欠として稲葉誠一君、柳岡秀夫君、中沢伊登子君が選任されました。     —————————————
  3. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 昭和四十三年度一般会計予算昭和四十三年度特別会計予算昭和四十三年度政府関係機関予算。  以上三案を一括して議題といたします。  昨日に引き続きまして、一般質疑を続行いたします。稲葉誠一君。
  4. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 外務大臣に最初お尋ねするんですが、アメリカ北爆停止するに至ったという要因というか、その点についてどういうふうに判断をされるのですか、ここら辺のところからまずお答え願いたいと思います。
  5. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) ジョンソン提案にはいろいろ人によって見方があると思います。しかし、私はベトナム平和的解決をはかろうとするジョンソンが、あの時点において精一ぱい提案をしたものである。その望むところは、ベトナム戦争早期話し合いによって解決しようという決意があのような提案をもたらしたものである、こういうふうに考えておるわけでございます。
  6. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは表画的なあれでして、そこに至るアメリカの国内的な、外交的、経済的というか、軍事的というか、そういうような要因がそこに加味されて今日に至ったのじゃないですか、そこら辺のところを聞きたかったわけです。
  7. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) まあいろんな要因はあると思いますけれども、しかし、その要因ばかりでベトナム戦争というものに対するいろんな収拾のしかたが必ずしも違うとも直接にはいえないのですから、やはりいつまでもあのような戦争を続けても、軍事的解決というものは、これはもうできないことは明らかです。したがって、そのことが戦争が継続することによって、いろんなやはり困難な問題も出てきておることは事実ですね、間接的に。だから、この機会に、まあ世界各国北爆をやめればハノイ話し合いに応じてくるだろうというので、それは完全なものではなかったけれども、部分的な北爆停止であっても、その裏には大統領の地位をかけておるのですから、そこにやはり重みを持たしてあるような提案をしたものであるというふうに考えております。その理由というものに対してはいろいろ各人の見方があると思います。
  8. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、アメリカからはいつごろどういう話が日本に対してあったわけですか。その内容はどうなんですか。
  9. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) まあこの国会においても、日本に話が、あれは一時間ぐらい前ですけれども、話が、もっと相談を受けるべきではないかという質問が、前日来、数回あったわけです。しかし、私は思いますのに、今度のジョンソン提案というものは、とにかく爆撃を、北爆をまあ完全ではないにしてもやめて、話し合いに入る用意がある。そのためにアメリカハリマン特使とか、トンプソン駐ソ大使をどこへでも適当な場所へ派遣するといった、こういう提案ですから、相談を受けたところで日本は歓迎というよりほかに何も異議があるわけではない。日本が従来主張していることと変らぬのですから。問題は、大統領が引退する、大統領選挙戦に出ないということですね。このことの裏づけが非常なやはり世界的反響を呼んだ大きなやはり背景になっている。これはよそに相談すべき性質のものでは私はない。これはみんなに相談して持ち回ったらあれだけの反響は呼びませんから、今度日本事前相談を受けなかったということで、日本アメリカから軽視されたとか、そういうふうに稲葉さん私は考えていないのです。今度のことはそういうことで、今度の場合はやはりあれだけの決意をしたのですから、知っておった者はごく少数でしょうから、そういうふうに相談は、いま言ったように、たいしてこれをどうしようかというような相談は受けていないということでございます。
  10. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 相談しろとかしないとかいう議論ではなくて、そうすると、話は二十度以南のものは爆撃をするのだ、こういうふうな話があったのですか、全面的にやめるという話なんですか。そこはどうなんですか。
  11. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これは全面的にやめると言ってないのですよ。言ってあることは、演説の中にも十七度線の北方に対してアメリカの軍人の生命を守ったり、いろいろな理由からそういうところは北爆停止に除いてあるのです。ところがその演説の中には、人口の九〇%を爆撃の対象にしないというので、何度までということは演説の中にはなかったのです。きのう国防省が、やはり北緯二十度までは北爆停止する中には入ってなかったのだということを説明して、われわれいわゆる十七度線、非武装地帯から北方のある地域を除いてという意味が、そこでアメリカ考えている意図が明白になったので、それは事前北緯二十度ということは、国防省の発表までわれわれは承知しておりませんでした。
  12. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは宮澤さん、アメリカの、北爆停止をするようになったという、アメリカ自身経済的な一つ要因というものが、一体どういうふうにその中にはらんでいるのか、その点はどういうふうに判断されるわけですか。
  13. 宮澤喜一

    国務大臣宮澤喜一君) その点は、最近ジョンソン大統領自身が耐乏ということばを使うようになっておりましたし、また、マーチンのように、もう少しさらにきびしく、大砲もバター両方は無理であって、アメリカ戦時経済だということを認識してもらいたい、そこまで言う人もおりました。したがって、アメリカ経済力は御承知のように大きなものでありますけれども、やはりこのベトナム戦争というものが限界のところへ、やはりマージナルなところへ乗っているということでございますから、二百数十億ドルという戦費は、確かにバターのほうもたっぷりやれるという感じのものではなかったであろう。及び、このことがかなりの原因になりまして、基軸通貨の不安をも起こしましたし、また、それを押えるとすれば、アメリカとすれば自由貿易にとっては好ましくないような措置も考えざるを得ないようになった。それらのことを総合的に判断いたしますと、この戦争をさらにエスカレートするということは、アメリカ経済及び世界経済指導者であるアメリカにとってかなりの負担になってきたという判断は働いたものと思います。
  14. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 外務大臣、いまのベトナム和平の問題に対して、日本が今後積極的にどういうような考えで何をしようと目途されるわけですか。
  15. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これはいままでも日本は終始言ってきたことは、ベトナム早期平和的解決ということの線に沿うて、これはもう日本外交としてはできるだけの努力をしてきた、私はこのためにカナダへ旅行したり、東欧、ソ連などにも行ったり、あるいはブラウン・イギリス外相が来たときも、一番大きな問題でした、ベトナム問題は。そして本人同士話し合いができなければ、第三国による共同保障方式というもので和平が達成できないかという提案も行なったわけであります。これに対して関心を持った国々も相当にあるということで、いままでこういう平和的な解決、これはもう戦争当事者話し合いをするよりほかないですから、こういう空気をつくることに努力をしてきたわけです。それは世界もまた、だれもが望んでおることですから、こういう国際世論というものも、アメリカあるいはハノイの態度にも私は影響しておると思います。みなのやっぱり努力の集積というものも無視できない。ここで話し合いが、稲葉さん御承知のように、ハノイ政府ハノイ放送を通じて、本格的な交渉でありませんけれどもアメリカ戦闘行為停止するかどうか、北爆を完全にやめ、戦闘行為停止するかどうか、それを確認する意味において話し合いに応ずる用意があると、こう言ったわけです。アメリカもまた午前二時に緊急閣議を開いて、そしてハノイの返答に対して応じて、政府の代表を派遣しようということで、両方合意に達したわけですから、話し合いが始まるわけです。この話し合い推移をしばらく見てみたいと思います。これはハノイアメリカとの間の話ですから、南ベトナムとかベトコンとかいうものは出てないわけです。これはある意味において、ベトナム戦争の根源になったわけですから、これが一体どういうふうな形で、この戦争の終結のために、どういう形でその問題が解決されるかという大問題、これに触れてないですから。こういうことで、推移を見守りながら、日本和平達成努力のできる点があったら、もうあらゆる努力をしてみたい。しかも、ベトナム戦争というものが平和的に解決すれば、次はやっぱりアジア平和建設というものがくるんですから、こうなればどうしても、日本の国力以上のことはできないにしても、日本ばかりじゃなしに、諸先進国も誘い、アジアというものの生活安定向上、いわゆるアジアの開発を通じて生活安定向上というこの基本の問題、アジア基本に横たわる問題について、これに日本は寄与していくことが必要である、それだけの覚悟は今日からする必要がある、こう考えております。
  16. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは運輸大臣ね、いまの日本外交課題が、ベトナム和平を中心として大きく転換をすると、こういうようなときに、あなたが運輸大臣として、あるいは国務大臣として、どういうふうな考え方を持って進まれるのか、きのうの例の輸銀の問題とも関連してお答え願いたい。
  17. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 運輸大臣としてと同時に国務大臣としてお答えいたします。  私はきのう運輸委員会におきまして、社会党委員質問に対しまして、吉田書簡浅沼発言、ああいうものは、御本人の御逝去と同時に、一緒に野べ送りしたほうがいいし、自分はそういうものだと思っておる、そういう発言をしたわけです。というのは、ベトナム戦争背景にある本質的な課題中国問題であると思っておる。で、この和平の問題がその後どういうふうに曲折し、展開していくかわかりませんが、北ベトナムに対して相当中国がてこ入れしていたことは事実であるし、また、中国アジアにおける潜在的な影響力というものを考えると、中国を無視してこの問題の根本的解決はなかなかむずかしいだろうと自分考えておるのです。そういう観点から、ベトナム和平完成までの間において、議長国はあるいはソ連であり、あるいはイギリスでありますし、この二つの国とも中国に対しては相当な関心を持って国際連合加入を支持している国でもあります。また、中国ジュネーブ会議の前回の参加国でもあります。そういうことから考えてみると、中国問題というものは、この和平完成についても関連して出てくるだろうと思いますし、その和平ができたあと、今度は本質的に対中国政策というものがアジアに隆起してくることだろうと私は思う。そういう先をずっと考えて、日本が何をなすべきかということを考えてみますと、私は運輸大臣として、一面においては、世界貿易という点を考えてみると、共産圏貿易平和裏に推進するということも非常に大きな条件でもありますし、船の輸出という問題もそれにからんで非常に大事な仕事である、私の職責であると考えております。もう一面において、世界平和を達成していくという本質的課題中国問題でありますから、特に日本中国との関係をできるだけ早く平和共存裏に正常化していくということは望ましいことである。そういうためには、文化交流人間交流と同時に、貿易交流というものは非常に有効なことでもあり、輸銀の船への使用という問題はこれにからんでくる問題でもあります。そういう点から、一面においては、運輸大臣としてもこの問題を推進したいと思う。ただし、この中国問題というものは、国際的な、世界史的な大問題であるので、国内が乱れておってできる問題ではない。そういう点からして、お互いお互いを自制しながら、国民的合意を達成する方向に国の足並みが統一していくことが必要だと私は思う。だから、浅沼発言というものはわれわれは歓迎いたしません。吉田書簡というものは社会党はまた歓迎いたしません。両方で、これはまあ幸いに両方おなくなりになったんだから、一緒にお棺の中に入れて——幸不幸かおなくなりになったんだから、「幸いに」は取り消しますが、歴史的に見ればあるいはそういうことになるかもしれません。両方お棺の中に入れて野べ送りをして、両方が歩み寄って、そうして国民的合意をつくって、中国問題に対するかまえをつくっていくということが、全国民が待望しているところだと私は思うのです。それが今日の政治家の大きな課題であり、責任であると思う。そういう考えに立ってきのうは発言した。きょうは、実はいままで総理大臣とこの問題について私、個人的にお話をいたしまして、総理吉田書簡を超越したと言われていますが、超越したという意味は、あれは野べ送りをやったと自分は解釈しているのだ。それでけっこうでしょう、総理大臣はそう言っておりました。そうして、運輸大臣として、船舶の問題を一生懸命やることは、これはいいことだと思う、まあ君がそういうことをすることは差しつかえないことだと思う、そしてナショナル・コンセンサンスを得る、国民的合意を得るという方向に国全体の歩みを進めるということは自分は非常に同感である、そういうことを答えられておったのであります。
  18. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 その国民的合意というのが、まるで自民党社会党との間の合意みたいに聞こえるのですがね。自民党内部合意ということも必要じゃないですか。内政干渉みたいで悪いけれども
  19. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) これはお互いのことを言うとお互いが言い分がありますから、あまり両方内政干渉しないで、そんなことは自分で片づけて、そうして国民全体が期待する方向に進んでいったらいいのじゃないかと思います。
  20. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 なかなかいい答弁ですわね、それは。  そこで、三木さんにお尋ねするのは、いまあなたの言われたアジア平和建設ということですね、具体的にどういうことなんですか、それ。その中で中国問題はどういう位置を占めるんですか。いま中曽根さんがあれだけ大演説やったんですから、あなたも負けずにひとつ大演説をやってくださいよ。
  21. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 皆が大演説をするわけにはいきません。中国問題というものは、これは世界の大問題であります。アメリカもやはりこのベトナム戦後というものは、アメリカ外交の一番大きな問題の一つです、米中間の。日本もまたそうである。したがって、この日中関係というものは将来改善されなければなりません。しかし、いろいろな障害もその中にあるわけですから、やはりこれはあまり幻想を抱いてもいけない。やれることやれないこと、このやはりけじめの上に立って、そうして日中関係を腰を据えて改善していく、一挙に解決できるという問題でもないわけです。しかし、その解決日中関係を改善して、そうしてやはり中共というものが国際的に協調のできる中共、そういうことでなければ、アジアの安定というものはないですから、それは中共自身にも考えてもらうし、日本もまた考えなければならぬ。そういうことで少しこの日中関係については私は腰をすえて取り組んでいこう。そういうことでこのアジア考えるときに、やっぱり中共というものが、このアジアの中でアジア諸国との間に内政を干渉せず、お互いにやはり共存していくということ、いまはまだどこの国ともいわゆる平和共存中共は普遍的な平和共存というものは必ずしも認めていないですけれども、そういうことが普遍的に、平和的に共存するという立場に立って、そうして中共アジアの中にやはりみんなと協調できるような中共になる。それをやはりひっくるめてのアジアの安定ということが一番好ましい形である。しかし、それまでの間には、やっぱり一挙にそこへはいきませんから、これはしんぼう強く時間をかけて、腰を据えて日中関係の改善が必要であると、こう考えております。
  22. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 三木さんの話を聞いていると、着想はいいんですけれども実行力が何かないような感じを受けるわけです。これは自民党の中でもそういうふうにあなたのことを言ってるんだけれども。それで、一体具体的にあなたはどうするのですか。具体性が何だかはっきりしないですね。まずやれることというのは何なんですか、それじゃ。
  23. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 貿易ですね、人間交流文化交流、これはやれるわけです。このことについては、これは今後もやはり貿易人間文化、この交流というものはできるだけ拡大していこうという方向、いわゆる拡大していこうという方向がやれることだと考えております。
  24. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 防衛庁長官は、ベトナム戦争和平の問題に関連して、防衛庁としてはどういうことを考え、あの中からどういう教訓を引き出したのですか。
  25. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 御質問が非常にアブストラクトでございまして、ちょっとお答えにくいのでございますが、私ども核抑止力の存在があっても、通常兵器による局地的侵略というものはあるのであるということをまざまざと感じておるわけでございます。そこで、マクナマラが引退前に柔軟反応作戦ということを言っております。これは核兵器のみならず、通常兵器その他ゲリラ、一切のものに対処する戦略、戦術でなければいけないということを勇退前、半年くらいのときに言っておりまするが、やはり一つの述懐ではないかと、私どももつとにそういうことを感じておるのでございまして、私ども稲葉さん御承知のとおり、核兵器は非核三原則を堅持いたしております。そこで、通常兵器による局地的侵略がないように、一億国民をお守り申す、そういう立場におきまして自衛隊の存立並びに訓練を継続してまいりたい、こう考えておる次第でございます。
  26. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、アメリカ核抑止力が万能でないということがわかったということですか。
  27. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 核抑止力というものは核戦争をじゃまをする力である。英語をそのまま翻訳するとそういうことになります。じゃまをする可能性、それは核戦争をじゃまをして、ないようにする可能性ということばでございます。そういう意味のものをわれわれは米国に期待をいたしております。これは相当期待を置いてよろしいと思います。にもかかわらず、通常兵器による局地的侵略というものはあり得るということは、明瞭にベトナム紛争によって証明されておるわけでございまして、でございまするから、これに万一という場合には、通常兵器による局地的侵略に対して国家国民をお守り申すだけの存在と訓練が必要である、こう考えております。核戦争がない、核兵器核抑止力はあるといたしましても、通常兵器による侵略というものはあり得るということは前々から私どもは申しておりまするし、また、昭和三十二年以降ずうっときまっておりまする日本の国防に関する基本方針にも、そういうことが明瞭に記載されてあるわけでございます。
  28. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、その核抑止力というのは一体どこにあるんですか。
  29. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 具体的のことを言えとおっしゃるんですか。
  30. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いや、あなたの考え
  31. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 私は国の名前は特定いたしませんが、強大なる核兵器を持っておる国がありまして、そこでいつも申しておることでございまするが、一発でも戦術、戦略核兵器を使うとすれば、昭和二十年のころと違いまして、必ず連鎖反応を起こす。そうすれば人類が壊滅状態に陥る。でございまするから、核兵器を使う者が結局核兵器によって滅びるということになると私は思います。でございまするから、核兵器の存在によって核兵器による侵略を防止するという力がある国は二つばかりございます。これは特定して申せといえばまた申しますが、これは世界の常識ではないかと思っております。でございまするから、ほかの三国が核兵器を多少持っておりまするが、それを使いましても、一発使いましても連鎖反応起こします。たとえばサブロックなんていうものを使うことも私は非常な考えものであるということを、私はきのうここで前川さんに申し上げたわけでございます。サブロックやアスロック等も、あるいはナイキ、ハーキュリーズ等も、あるいはメースB等も、戦術核兵器かもしれませんが、戦術核兵器といえども、これを使えば必ず連鎖反応を起こして人類が壊滅状態になる。直接死亡しなくても、白血病の遺伝素因を持った人類がだんだん健康状態において堕落した状態になる。人類が人類でなくなる状態になるということはまず世界の常識としてわかっておりまするし、私がかねて主張しておるところでございます。でございまするから、これは使わないと思います。しかし、使わないために、いまの現時点におきましては核軍縮や核兵器絶滅ということをわれわれは理念として、理想として考えておるものでございます。それを追及しておりまするが、現時点という現実的の問題といたしましては、二大強国が相手を壊滅状態におとしいれるという力を持っておるということによって、結局、平和共存がよろしいということに踏み切っておる。すなわちこれは核兵器核抑止力のいたすところであると考えておる次第でございます。
  32. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 どうも質問の趣旨がはっきりしなかったのかもわかりませんが、そうすると、核抑止力があっても非核の限定戦争というものは日本の周辺であり得る、こういう考え方に立っておるわけですね。
  33. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) この論理的にあり得るかあり得ないかということは、ほんとうは実益のない話を私はしたくないのでございまして、実益のある話としてお互いにひとつ対話をいたしたいと思います。私は戦術核兵器による日本船舶日本艦船等に対する攻撃もあり得ないと考えております。
  34. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いや、核じゃない。非核のものですよ。非核の通常兵器による一つ戦争日本の周辺にあり得るのかと聞いておるんです。
  35. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) あり得るか、あり得ないか、それはこのアジア周辺に起きた紛争にかんがみまして、全然あり得ないことではない。万一に備えてあり得ないようにするために自衛隊が存在し、訓練をいたしておるのでございます。
  36. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、非核三原則というのは、どういうような根拠から出てきたんですか。
  37. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) これは岸内閣総理大臣がまず提唱したものだと私は考えております。それを踏襲しておるのが池田内閣であり、佐藤内閣である。そこで、非核三原則というのは、外務大臣も昨日答えられましたが、日本世界唯一の被爆国であるというようなこと、それから国民的感情、それから核を一たん使えば必ず連鎖反応を起こすというのが、これは私の強い信念でございます。また一つの認識でございます。ですから、単なる信仰といったような感情的の問題ではございません。認識、理性に属する方面でございます。そこで非核三原則を堅持すべきであるというのは、わが国のとっておる賢明なる内閣の政策ではないかと考えております。そこで非核三原則をとっておることによって、全世界の方がだんだんと非核三原則というようなことに目ざめてこられる、コンセンサスを得られる端緒にもなり、よすがにもなれば幸いだと私ども考えておる次第でございます。
  38. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 アメリカ核抑止力があるから、だから日本の非核三原則というものは堅持されていると、そういうふうに考えてはいないんですか。その関係はどうなんですか。
  39. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 稲葉さんにお答えいたします。  そこが前川さんときのうだいぶダイアログをしたところでございまして、つまり理想の問題と現実の問題と二つに分けて議論をしないとぐあいが悪いわけでございまして、現実の問題といたしましては、核兵器を開発して、非常な原始的なものであっても相当それで脅威を与えようとする国がもしあったならば、これはいけませんから、やっぱりアメリカの強大なる核抑止力というのは、この一月、マクナマラが勇退する前にも、圧倒的の核抑止力を持っておるのであるということを言っておる次第でございます。そういう意味合いにおいてわれわれはいまの日米安保条約におきましては、アメリカの持っておる圧倒的なる核報復力といいますか、これは第一撃能力、第二撃能力というようなこともございますけれども、要するに、やっぱり圧倒的なる——最初にはアメリカは使わぬということを明瞭にしておりまするから、報復的の核の爆発力に依存をいたしておる。依存をいたしておれば、核兵器は全世界において使われないものである、核戦争はないものである、こういうふうに私ども考えております。
  40. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 きのう質問があったというのでしたら、それじゃその点ははしょりますが、そうすると、いまの非核三原則というものと日本国憲法とはどういう関係に立つんですか。ここがはっきりしないんですよね。
  41. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 法制局長官がおりませんから、法制局長官がしょっちゅう述べておることを繰り返しますが。——それでは、同じことを話せばなおほんとうだということがわかりますから、同じことでも申し上げます。  日米安保条約の関係で、強大なるスリーBとか、つまりICBMとか、B52にいま水爆を搭載しているということはないようでございますが、あるいはB52とか、あるいは中距離弾道弾であるポラリス、ポセイドンの搭載された潜水艦が四十一隻ございますが、これを日本に持ち込むことは憲法上は違反でない解釈でございます、従来から。つまり砂川判決その他にかんがみまして、憲法九条は日本の戦力を云々しておるのであって、外国の戦力に日本が依存せんとすることとは関係がないのである、こういうふうになっております。  そこで、しかしながら、これは非核三原則がまたそこでカバーするわけでございますが、政策として、それからその次に戦術的核兵器ということばもほんとうは正確にはないそうでございますが、まず外国に脅威を与えない、防衛だけの核兵器というふうに定義をしておるそうでございます。そういう防衛だけの戦術的核兵器、いわゆる戦術的核兵器を持つことは憲法違反ではない。第九条第一項、第二項にかんがみてこれは持ち得る、憲法上は。ということになっております。しかしながら、原子力基本法によりまして、日本で開発することは原子力基本法に触れる、持ち込んだり、持つことは別に原子力基本法に触れないわけでございます。つまり原子力基本法というものは、核兵器並びに一般平和利用の核エネルギーを開発する際には、平和利用でなくてはいけない、こういうことになっておるわけであります。これはやはり相当理論的に申さなくちゃなりませんから、長いとおっしゃっても時間にも制限がございませんし、稲葉さんも理論の人でございますから、一応、理論を申し上げるわけでございます。そこで、戦術的核兵器はそういうことであるけれども、原子力基本法に触れるおそれもあるし、われわれは持たない。つまり非核三原則がそこでまたカバーをいたします。しかし、戦術的核兵器の持ち込み、外国の軍隊が日本において持つということは、これはまた憲法違反ではないけれども、非核三原則がまたそこに働くわけでございます。要するに、日本並びに日本の周辺におきましては、非核三原則が働く、政策として働く。憲法違反の関係は、戦略核兵器は外国の軍隊ならば日本に持ってよろしい、しかし持たない。戦術的核兵器は憲法上の関係日本は持ってよろしい。しかしながら、原子力基本法という法律に触れるから持たない。それから一般的に非核三原則が働くからして全部持たない、これは政策として持たない、こういうことになるわけでございます。
  42. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、あなたの答弁を聞いていますとね、日本国の憲法で禁止したことが安保条約によってできる、こういうことですね。
  43. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 私の答えはあなたわかっていらっしゃるのに、どうも質問なさっているような感じがするのですが、法制局長官にひとつ答えてもらいたいと思います。
  44. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 あなたの答えを聞いているのです。あなた答えたらどうですか。私はよくわからなかったから聞き直している。
  45. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) つまり、少し答弁が長いとおっしゃいますけれども、段階を追って、論理の順序に従って、序論、序説、総論、本論、各論、こういうふうに申し上げておるのですから、これで稲葉さんがわからないはずはないと私は思っております。
  46. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いや、だから結論として聞いているのは、日本国憲法で禁止されていることが、安保条約によってはできるのですねと言っている。
  47. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 戦略的核兵器は、日本憲法は禁止をいたしております。そこで、外国の軍隊、アメリカの軍隊が戦略的核兵器日本に持つということは憲法は禁止していない。何も安保条約がなくても、安保条約があっても、特別に行政処分的の契約をちょっと結ぶかもしれません。もちろん国会の承認が必要でございますが、批准も必要でございまするが、まああなたのおっしゃるいわゆる安保条約でけっこうでございましょう、安保条約では持ち得るということにはなります。が、しかし、これは持たないという決意のもとに支配された安保条約でございます。非核三原則の……。
  48. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 書いてない。
  49. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 安保条約には非核三原則まで書いてないのは当然でございましょう、政策でございますから。
  50. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、あなたの考えでは憲法よりも安保条約が上にあるんですね。
  51. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 日本国憲法は外国の軍隊の戦力を規定したものではない、こういうことでございます。
  52. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 日本の憲法で禁止した外国の軍隊の持つものを受け入れるか受け入れないかは、日本国憲法、日本の主権の問題じゃないですか。おかしいじゃないですか、あなたの考え方は。あなたは主権を放棄したような議論ですよ。
  53. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 外国の軍隊に日本の主権が発動して、要請して——非核三原則が一応ないと仮定して議論しなくちゃいけませんよ、これは。いいですか、非核三原則がないと仮定して、有事も有事、相当の熾烈なる場合に、われわれはあくまで、有事であっても何であっても非核三原則は堅持するんですから、そこで一応議論をお互いに理論について対話をしておるのですから、それですから、一応、非核三原則がないと仮定してということで、きのう前川さんともだいぶ議論いたしましたが、主権の発動として、憲法の制約というものは日本の戦力に対して制約があるんですから、しかしながら、主権——お互い主権というのは三権でございますが、三権はやはり日本国民を守るためにあるのですから、その守るためにあるときに、非核三原則はわれわれは堅持しておりまするが、一応ないという場合に、もし要請しても憲法の規定していないことは憲法違反ということではないと私は思います。(「きのうと同じ論議を繰り返すことはやめようじゃないですか。われわれ審議を継続してもつまらないですよ」と呼ぶ者あり)
  54. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 つまるかつまらないかは別として、そうすると、日本国憲法で禁止していることを安保条約で認められたということになれば、それを受け入れるということは日本の主権の判断の問題でしょう。そこであなた、重大な憲法違反が行なわれるんじゃないですか。入っちゃうことは向こうのことかもしれぬけれども、その受け入れる受け入れないは日本の憲法の問題じゃないですか。ぼくはそのことを言っているわけですよ、問題として。入るときの問題ですよね。そこに問題が出てくるんじゃないですか。主権の制約を受けるんじゃないですか、憲法の制約を受けるんじゃないですか、当然。
  55. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 私が言っているのは、憲法の九条一項、二項は日本の戦力についての規定であって、外国の戦力に関する規定ではないという砂川判決の一章をあなたも御存じなんですから、私もこの際この壇上において申し上げるだけでございます。
  56. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 砂川判決はそんな積極的なことをいっていないですよ。法制局長官、それじゃもう少し理論的にその間説明してください。
  57. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) お答え申し上げます。  いま防衛庁長官のおっしゃられたことに特におかしな点があると私は思いませんが、結論的に、憲法で禁止していることを安保条約でできることになるのかというのが質問の焦点です。そういう憲法に違反するようなことを、確立された国際法規を成文化するようなものならいざ知らず、一国と他国との間で任意に結ぶ条約で憲法に違反するような事項を定めることは私はできないと思います。やはり条約と憲法との政治的効力としては憲法が上であるというふうに考えております。
  58. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 しかし、いまの防衛庁長官の答弁を聞くと、条約のほうが上のようなことを言っているんじゃないですか。そういうようにとれるんじゃないですか。
  59. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 私は、憲法、法律、すべてこれ統一ある一体であるという前提からお話をしていますから、稲葉さんとは一番対話ができると思ったところが、稲葉さんがわからなくなっちゃって私困っておるのでございまするが、たとえば事前協議の重大なる装備の変更、これは核装備ということになっております。日本における核装備といえば何も戦略、戦術に限ったことはないんですよ。アメリカが施さんとする装備の重大なる変更、これが事前協議になる。事前協議になる場合には日本の政策がそこで働くんですから、政策抜きで議論しろというなら、きのうの前川さんのように話しやすいんですけれども、政策はやはり一体となって法律論を展開すべきだと思います。そこで、日米安保条約第六条に基づく重要なる装備の変更——交換公文に書いてありまするその装備の変更とは、核装備をするかいなかということでございまして、事前協議をしてきた場合には、たいてい私どもの場合はおそらくノーと言うということを三木外務大臣も答えてございまするから、やはり実益のあるお話をお互いにしょうじゃございませんか。
  60. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 一番実益のある話は、憲法でできないのか、あるいは政策でできないのかということですよ。これがポイントなわけですよ。それをぼくは前から詳しく聞いているわけですよ。あなたのあれだと、政策ではできないんだけれども、憲法ではできるようなことを言うから、そういうようにとれるからぼくは聞いているわけですよ。  それじゃもう一つ聞きましょう。沖繩にあるメースBは、そうすると、日本にそのまま返還されるときに日本の憲法でそれを受け入れられるんですか。
  61. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 沖繩の問題はまだ検討中でございまして答えにくいんです。これは白紙という状態を続けたいと思います。  そこで、砂川判決でございますが、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいういわゆる戦力には該当しないと、このことばで、従来、戦略的核兵器も戦術的核兵器アメリカが持つことは日本の憲法の規定しておるところではない、一切のものが規定してなければ憲法違反だということじゃないのでございまして、常住座臥、われわれの食事に至るまで憲法で規定してあるわけじゃないんですから、規定してないことであるということを私は言っておるだけでございます。
  62. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 規定していないということは、あなたの論理からいうと、憲法よりも安保条約のほうが上にあるというふうな考え方になりますよ。どうもそういうふうにとれるのですがね。そこで、あなたは、メースBが、日本に返されるとき、日本の憲法とどういう関係にあるかということをぼくは聞くわけですけれども、それは総理大臣が羽生さんの質問に対して、核基地つき返還については、そのことについては国民に信を問うこともあると、こう言っているのでしょう。信を問うならば、その前提として、それが憲法違反なら信を問うも問わないも、ぼくはそういう問題は起きてこないと思うのですよ。だから聞いておるわけですよ。
  63. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) これはもう白紙の関係で検討するということがやっぱり実益のある論争ではないかと思います。そこで、メースBがアメリカ軍が保持している形でそのまま返された、それからナイキ、ハーキュリーズも核、非核両様でございまして、これはよくわかりません。それからF105サンダーチーフ等は原爆、水爆等を搬送し得る飛行機でございますということは、昨日も私は春日さんかにお答えしましたが、そのことも申しております。それからポラリス潜水艦も、寄港はいままでしていないが、寄港せんと欲すれば現在の沖繩の状態では寄港し得る。これはもう核兵器そのものでございます。全体として私は潜水艦が核兵器だと思います、単なる弾頭ばかりじゃなくて。いまは寄港せんと欲すれば欲し得る。そのものがそのままの現在の沖繩の状態で日本に帰った場合にはどうなるかということは、これはポリシーの問題として論議すべきでございまして、法律上の問題は、ひとつ法制局長官に聞いていただきたいと思います。
  64. 高辻正巳

    政府委員(高辻正巳君) お尋ねは、メースBが返還の際、沖繩に残っておったという場合に、憲法との関係はどうかということですね。これは、前にも私申し上げたような気がいたしますけれども、残り方が多分に問題だと思います。メースBというのがいかなる能力を持っておるか、これはいささか不案内でございまして、何とも申し上げられませんが、かりにそのものが憲法上問題になるものとして、それが残り方の問題の一つの場合は、アメリカ合衆国軍隊がそのままその指揮、管理権といいますか、主体となって持っておるという場合、これは先ほど来、防衛庁長官からお話がありましたように、例の憲法が禁止している戦力の保持の主体は日本について言っているので、外国のものについてはこれは話は別なんだ。これは従来、政府考えてきた態度でありますが、これは御案内のとおりに、砂川判決で支持されたようなかっこうになっておりますが、それの法理をそのまま適用していった場合に、憲法の九条二項に違反するという事態にはならないだろう。しかし、かりにその核兵器なるものが憲法の禁止しておる部類に属するものとしました場合に、日本国がその保持の主体になるということになれば憲法上問題になるのは当然であると考えております。
  65. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 総理大臣は、沖繩が核基地つき返還ということについて、日本に核基地つき返還されるときには国民に信を問うかもわからぬというのなら、その前段階としてその返還が憲法違反ならば信を問うも問わないもない、問題ないじゃないですか。問題として問えないじゃないですか、憲法違反になるなら、きちんとしているわけです。だから聞くわけです。メースBは憲法では持てないでしょう、そこはどうですか。
  66. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 法制局長官がいまお答えしたとおりでございます。すなわち、いま白紙の状態でございますから、万々一核基地がそのままの状態で日本に返るという場合には、米軍が核基地を持っておるという状態でございまして、憲法第九条一項、二項の関知するところではないとこうことになるわけでございます。関知しないといえば、直ちに日米安保条約が憲法よりも、それを乗り越えて、憲法を乗り越えるのが安保条約であるというようなことは、稲葉さんのような法曹の専門家としてはちょっと飛躍した意見ではないかと私は考えます。そこでやっぱり前川さんのことを引用しては何でございますが、実際の政策とそれから論理だけの対話とだけを区別して話をしないことには、それはまた実際上の政策にこんがらがって、解散して信を問うべきではないかという議論になると、これはポリシーの問題になりますし、やっぱり議論がしにくいのですから、分けて議論をしてくだされば私は私なりに明快にお答えするつもりでございます。
  67. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 問題を少し変えますが、そうすると、外務大臣ベトナム和平というものが実現すると、そういうことの中で沖繩の持つ役割りが変化をしてくるんですね。それが日本の沖繩返還要求ということに対してどういう影響があるか、どういうプラスの影響があるかということはどうお考えになりますか。
  68. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 沖繩のやはりアメリカの施政権、その中でもアメリカは基地というものを重要視しているんです。ベトナムに限らず、極東情勢というものが平静化してくるということは沖繩返還にとってプラスの要件である、こう考えます。
  69. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、具体的にどういうふうにプラスなのか、その機会をとらえて、ベトナム和平というときのチャンスをとらえて、日本としては積極的に沖繩返還要求運動をするというつもりは、これはあるわけですか。
  70. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) すでに稲葉さん御承知のように、佐藤総理も訪米されて、共同コミュニケの中にも両三年という——ウイズイン・ア・フュー・イアーズ、この中でめどについて話し合うということになっておりますから、しかも、それまでの間、継続的に両国で協議をするということになっておりますから、そういうことを、そのコミュニケの線に沿って日米間の協議というものを始める、まあ一応のまだはっきりした日程はつくられておらないが、沖繩の施政権返還に関する話し合いの順序というものはコミュニケの中に出ておるんですから、ああいう線に沿うて促進をしていきたいと考えております。
  71. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 アメリカ大統領がああいうふうなことになって、佐藤さんは来年一月に行くというんでしょう。そういう形の中で両三年内に解決のめどをつけるということ自身は、ベトナム和平ということを実現すれば日本としては非常にやりやすくなるというふうに考えていいわけですか。
  72. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 極東情勢が非常に不安定なときには、どうしてもアメリカ自体としても沖繩というものの軍事的な評価というものが、平静な時代と極東が不安定なときとは違うでしょうから、したがって、日本が沖繩の施政権返還を話し合う場合においても、かえって、話し合いをむずかしくするというよりかは、それはやはり話し合いの上においてしやすい状態であることは間違いございません。まあこれからの問題は、あのコミュニケの線に沿うて、そうして話し合いを進めていくということのプロセスをとったらいいと考えております。
  73. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それはそのとおりですけれども、これを機会にして国民の願望である沖繩の返還ということにさらに一段と積極的な努力を積み重ねるべきではないか、それについての決意というものがいまの日本政府にあるのか、こういうことを聞いているわけですね。
  74. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これは今度の共同コミュニケの中にも、ベトナムが片づいたらということの条件はつけてないわけです。二十数年もああいう状態に、われわれ日本の同胞である沖繩の住民が、他国のやはり支配のもとに置かれるということは、これはやはり不自然な形である、これはやはり施政権が返還されて正常な形に返されなければならぬということで、これはもうベトナム問題のあるなしにかかわらず、沖繩の施政権返還交渉というものは政府として熱意を持って促進をしていきたいというのが基本的な考えでございます。
  75. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 まあそれはわかるんですけれども、あなた外務大臣として、この際これを機会にさらに一段と、返還運動というか、返還要求を強めていって実現に邁進したいと、そういうふうなことがなぜ言えないんですかな、どこか遠慮しているんですか。
  76. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これは私いま言っておることはそういうことですよ。これはちゃんと声を大きくして言えと言うんですか。
  77. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 声だけではない、内容的にもね。
  78. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 内容的にも、それは沖繩の施政権返還のために今後は全力を傾けていくつもりでございます。これでよろしゅうございますか。
  79. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 まだ足りませんけれども、あなたもいまやっぱりもう少しフリーハンドでいきたいという気持ちは非常に強いでしょうね、それはわかりますよ。アメリカに対する気がねなんかもあるのかもわかりませんけれどもね。気がねがなければもっとはっきりしたらいいでしょう。だから、あなたがそういう態度をとっているから国民は何となくあれでしょうね、まああれでしょうねということでやめておきますが、そこで話をまた別にしてもとへ戻りますけれども、いま日本にいる台湾人ですね、法的地位というのはどういうふうにいまなっているわけですか。
  80. 中川進

    政府委員(中川進君) 台湾人の法的地位は一般の外国人と同様でございます。ただし、例の法律一二六号という——戦前、日本に国籍を有しておりました台湾人というものに対しましては、先生御承知の法律一二六号というものがございまして、別段の法律をもってその資格ないし滞在期間というものを定めるまでは現状のとおりということでございます。
  81. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 去年の九月に、あなたと田中法務大臣が台湾へ行かれましたね。そのときに台湾人の法的地位の問題に関連してどういう話し合いが行なわれたんですか。
  82. 中川進

    政府委員(中川進君) 中華民国政府側から、日本にいる中国人、もしくは中国人全部が無理であれば、せめて台湾人に対してだけでも、韓国人に与えております協定永住というような待遇を与えてもらいたいという、こういう話がございました。私どもといたしましては、それは無理であるという回答をいたしました。
  83. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これはなかなかむずかしい問題であると思うんですけれども国民政府のほうから、日本にいる台湾人の法的地位というものをはっきりきめてくれと、こういう話が法務省なり外務省に再三あったんですか。
  84. 中川進

    政府委員(中川進君) ございました。
  85. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 具体的にどういうふうなことかということを聞くと、ぼくもあれですからちょっと遠慮しますけれども、そこで、いままで日本にいる台湾人でいろいろ犯罪を犯した人ね、大村の収容所なんかに、長いのはどのくらい入っていたんですか、いままでどうしていたんですか、それは。
  86. 中川進

    政府委員(中川進君) いままでどうしていたかという御質問の趣旨は、どういうことでございましょうか。
  87. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いやいや、入れっぱなしだったんでしょう、大村収容所に。
  88. 中川進

    政府委員(中川進君) 入れておいた者もございますし、それから放免しておる者もございます。
  89. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 入れていたのは何年ぐらい入っていたのですか、あすこへ。
  90. 中川進

    政府委員(中川進君) これは人によって違うんでございますが、一番長いのは一年半くらいだと承知しております。
  91. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そんなことはないよ。三年も四年も入っていたのがいるじゃないですか。
  92. 中川進

    政府委員(中川進君) 先生の御指摘のは横浜じゃないかと思いますが。
  93. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 大村だよ、大村にもいるよ。
  94. 中川進

    政府委員(中川進君) 大村にもおりますか。その点はそれでは私もう一ぺんよく調査いたしますが、私の承知いたしておりますのは、一年半ぐらいと承知いたしております。
  95. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そこで去年あなたが台湾に行ったときに、日本にいる台湾人の強制送還というものを、犯罪を犯した者と同時に、日本において台湾の独立運動をやった台湾の人、この人と抱き合わせて台湾へ送ると、こういうような話が向こうからあったんですか、どうなんです、その点は。
  96. 中川進

    政府委員(中川進君) ただいまの点でございますが、台湾の独立運動者と抱き合わせて送るという話はございません。ただ一般的に政治的な犯罪人も——犯罪人と申しますか、犯罪人ではございません。政治的な理由日本にオーバーステイになっている者も帰してくれという話はございました。
  97. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 いままでこのたとえば在日台湾人が強制退去をされて、そのときに裁判所で執行停止になった者はどの程度あるんですか。具体的にはどういう理由からですか、その理由は。
  98. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  ただいままでは林と張という、昨年八月に政治闘争をやりました二名でございます。理由につきましては、訟務局次長が見えておりますから、訟務局からお答えいたします。
  99. 上田明信

    説明員上田明信君) 執行停止が問題になりました事件は、私のほうでいまありますのは二件でございますが、一件は執行停止がなされております。つまり政治犯罪人、または難民であるかどうかという問題、それから、それを強制送還することに対して特別許可を与えなかったことが違法かどうかというようなことは、よく調べないとわからない。帰してしまっては、調べてもあとむだになるからというような趣旨で結局執行停止を受けたわけでございます。これは執行停止を受けました事件は、中国人の張栄魁、林啓旭という人の分でありまして、これは現在本訴に係属中でありまして、そういう事実関係あるいは法律問題について訴訟になっております。  それからもう一件は、執行停止の申し立てがありましたのは、柳文卿という人であります。これは過日新聞にも出ておりましたように、執行停止が出るまでにもうすでに送還されておりましたので、私のほうといたしましては、もうすでに送還されたから執行停止の必要性という問題はなくなったという申し立てをしております。本訴はそのままになっておりますが、いずれ訴訟としては、この柳文卿のほうはおそらく私たちの考えでは却下という形に終わるものであろうかと思います。張栄魁、林啓旭については、それぞれ本訴が係属されておりまして、現在、口頭弁論を四回ほど開いております。あとは裁判所がどういう判断をされるかという段階になっております。
  100. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そこで問題は具体的なあれに入っていきますが、その前に一つ法務大臣に聞くんですけれども、人権に関する世界宣言がありますね。この十四条1項にあるわけですけれども、これを一体日本政府はどういうふうに理解をしているわけですか。これは大臣から、基本的なことですから。
  101. 赤間文三

    国務大臣(赤間文三君) 人権宣言二十周年記念の年に当たりますので、政府といたしましても、これの趣旨を徹底するようにあらゆる施策を本年はいたしたいと考えております。たとえば亡命者等につきましても、要するにその点は特に留意してそれを、たとえば亡命者を帰せば生命の危険があるというような場合には、格別の配慮をして、そういうときには帰さないような方策を講ずる、帰すときには、生命が安全かどうかということを十分調査をする、そういう方針を、大体亡命者等にも人権宣言の趣旨を普及していくという方策をとっております。
  102. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 逃亡犯罪人引渡法との関係はどうなんですか。これは相手方から具体的な引き渡し要求がなくても、この逃亡犯罪人引渡法の精神というものを援用して処理していくと、こういうふうなことですか。あるいは大臣はあれならばいいですけれどもね。
  103. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  逃亡犯罪人引き渡しに関する法律は、先方から犯罪人の指定がございまして、そうしてわがほうにそれは渡してくれという要求があった場合に起こる問題で、本件はこれには該当しないと、かように考えております。
  104. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは直接該当しないけれども、当然その趣旨は含まれてやるべきじゃないか、こういう点を考えるんですが、その点はどういうふうになっているわけですか。
  105. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  ただいまの点は、本人の生命身体の自由というものがその本国に帰った場合侵されるというときに問題になるかと存じます。この点に限りましては、ただいま大臣からお答え申し上げましたように、私どもといたしましては、十分手を尽くしまして、そのおそれなしという判断に基づいてとった処置でございます。
  106. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 今度の柳君の事件の経過ですね。向こうへ送り帰すまでの経過をひとつ概略説明してくれませんか。
  107. 中川進

    政府委員(中川進君) お答え申し上げます。  柳文卿という人は、昭和三十七年日本へ参りまして、そして昭和三十八年の四月に東京教育大学に入学いたし、四十二年の三月、この修士課程を卒業しております。したがいまして、日本に入国いたしました目的はそこで一応達成したということで、それ以上の滞在期間延期というものは拒否せられまして、昭和四十二年の四月二十日以降日本における滞在が不法になった。すなわち不法滞在をしているわけでございます。ちなみに、同人の所持してまいりました中国政府の旅券は、昭和四十年の四月四日以降無効になっております。法務省におきましては、本人が四十二年の四月二十日以降不法滞在しておりますので、何とかひとつ帰るようにいっておりますが、本人はなかなか聞きません。そこで、本人からの再審の申し立てがございまして、ことしの二月十二日に再度退去の裁決が下りました。そして三月二十六日に退去強制命令を発付し、三月二十七日に羽田から送還された、こういうふうになっております。
  108. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 しかし、このことについて、前の事件と同じように、裁判所に対して執行停止命令の申請が出されておったということは入管でも知っているんでしょう。いつごろ、どういうことから知ったんですか、それは。
  109. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  それは本人が立つことになりました日の朝早く、午前八時ごろでございますか、弁護士さんから私のほうへ、これから提起するという通知がございましたので、提起されたと思いましたが、正式に知りましたのは、役所へ参りまして、本人が飛行機で立ったあとでございまして、午前十時二十分に私のほうに通知がございました。
  110. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは前の日に令状の執行をして、次の日の飛行機に乗せたわけですね。どうしてそんなに間がないのですか。そんなにしてまで急がなければならない理由がどこにあったんですか。
  111. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  この点は確かに種々御疑念が生ずる点かと存じますが。
  112. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 時間的な経過を説明してくれませんか。何時何分に何をしたかという。
  113. 中川進

    政府委員(中川進君) ああそうですが。——まず、先ほどから申しますように、この者はすでに不法滞在になっておりましたので、そこで本人に注意を喚起するために出頭を命じたのでございまして、これは三月二十六日に出頭しろと申しました。しかし何時に出頭しろということは申しません。通例、私どもは午前の十時か十一時ごろにはあらわれるものと思っておったのでございます。東京の入管へ三月二十六日の午後四時にあらわれ、出頭いたしました。そしてわがほうといたしましては、同日の午後四時五分に退去強制令書を執行いたしました。そして、同日の午後五時四十五分に東京から横浜の収容所へ収容いたしました。それから越えまして翌日三月二十七日午前六時二十五分に、台湾に帰すという通告をいたしました。そして午前七時過ぎにそこを出まして羽田に向かった、こういう経過でございます。
  114. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 どうしてその本人が十分な準備をする前に、不法退去のあれが出ていたからといえばそうかもわからないけれども、何でそんなに急いだの、やけに急いでいるじゃないですか。何か急がなければならない特別な理由でもあったんですか。
  115. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  これは実は飛行機が非常に早く、その日の朝でございまして、この飛行機の時間が、何時に立つかということを実は私ども寡聞にして——寡聞にしてといいますか、私の怠慢で知らなかって敢行した点は、私ども申しわけなかったのでございますが、飛行機の時間が早かったために非常に早朝からやったということ。  もう一つは、なぜ一晩しか置かなかったかという点でございますが、これは実はいまの、昨年の八月に張と林という人を収容いたしましたときに、台湾の学生、台湾独立を唱える人々によってハンガーストライキが行なわれたり、いろいろな私どもといたしまして好ましくない事態が起こった。さらに、先生御承知のごとく、昨年の春は、一人台湾送還を申し渡たした人が、送還される前の晩に、前の晩といいますか、その日の早暁でございますが、房の中で自害したというようなこともございます。何かそういうような不祥事件があってはいけないということで、なるべくその収容所に入れておる期間を短くしたいということであったのでございます。
  116. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、本件の場合でも、日にちを置くと裁判所のほうから執行停止が出るということが考えられたので、極端に急いでやったのじゃないですか。
  117. 中川進

    政府委員(中川進君) お答え申し上げます。  裁判所のどうこうということは、別に私どもといたしましては考慮いたしませんでした。
  118. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 裁判所に対して執行停止の申請が出ているのですから、なぜある程度のことは待てなかったのですかね。裁判所からも入管に対して通知があったでしょう、停止命令や申請が出ているということについて。なぜそんなに待てなかったの。
  119. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  仰せのとおり、裁判所から通知をいただきましたが、これは先ほど申し上げましたごとく、飛行機がすでに立った後にそういう通知に接したのでございます。
  120. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、もうさっき言った、向こうへ帰って生命の危険があるというふうな場合には、法務大臣ね、送らないというのでしょう、人道的な見地から。本件は別としてですよ。いままでのことで、送り帰して、それで向こうでどういうふうな、これは韓国でもそうですけれども、台湾でも、どういうふうな処分を受けたかということは、あなた方のほうでわかっているの。
  121. 赤間文三

    国務大臣(赤間文三君) さきに申し上げましたように、人権尊重はもう十分にやる。台湾につきましても、独立連動に関係のある者、こういう人間を本国に送ってどういうふうになるか、生命の危険があるかないか、そういうことを十分中国外交筋と打ち合わせまして、そのために被害は受けないという確証、その確証もなお文書でもらう。それから前例として、一人送った人間、ある同じような独立運動をやった人間、彼から手紙がきた。過去独立運動をやった人です。日本でいろいろお世話になったという感謝をこめた手紙がきておる。それで、このたびの送還も、ほかの国に行きたいという考えは全然持っておらない、そういうことで身体の危険がないと確認をしまして、もう目的を日本で達したのだからこの際早く帰した。  それからいろいろ、要するに早く送ったのじゃないかというお話がありましたですが、裁判所とは関係ありませんが、とにかくもう送還が決定した者は原則としてできるだけ早く送ろう、送る、こういう方針を全部の人にとるということが法務省の方針であります。できるだけ早く送り帰す、こういう考えであります。
  122. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 台湾の場合は、いままで台湾のほうで受け取らなかったのだから、日本からの強制退去というものは実際に行なわれていなかったでしょう。それが去年の秋、あなたと法務大臣が台湾へ行ってから急に話がまとまって、行なわれるようになったのでしょう。いままで行なわれていなかったでしょう。その経過はどうなんですか。
  123. 中川進

    政府委員(中川進君) その点は、ちょっとここで申し上げるのもいかがかと思いますが、先生から先ほどお話がございました法的地位の問題があるのでございまして、法的地位を向こうは改善してくれと申します。わがほうとしましては、それは考慮はするが、むずかしい。しかし、考慮するために、すなわちこの問題を少しでも前進せしめるための一つの交換条件というのも、少しことばが悪いかもしれませんが、とにかく台湾側で水心を示す意味で、わがほうから引き取りをしばしば要求しておる人々を取ってもらいたい。いま二百十八名くらい、中国系の人で送還を必要とする人があるわけでございますが、そういうことを私どもから相当強く申しました。東京へ帰りました後も台湾の、失礼しました、中華民国の大使館の方と法的地位の問題について会談したことが数回ございますが、そのときにいつも、こっちの人を取ってくれということを申し入れました。
  124. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 こっちから申し入れるの。
  125. 中川進

    政府委員(中川進君) こっちからです。つまりこちらでオーバーステイになっておって、向こうに引き取りの義務がある人、私どもはそう考えますが、引き取りの義務がある人が、先ほど申しましたように、最低二百十八名おったわけでございます。それに対しまして中国のほうでは、日本側からいまの法的地位の改善ということと見合いにおいてそういう者を引き取ることは、必ずしもやぶさかではないが、それをやるということになると、東南アジアのほかの地域、タイでありますとかフィリピンでありますとか、マレーシア、インドネシア、そういうようなところでやはり同じような華僑のオーバーステイの問題が起こっておって、これを取るということは、取るといわれては、国民政府としては非常に困るから、まあひとつそこのところはお手やわらかにというお話がございまして、だんだん詰めていって、先ほどおっしゃいましたように、結果的には昨年の暮れからこの問題が少し動き出した。すなわち、中国人の不法滞在者が中国に帰るという事態になったのでございます。  それから、若干ふえんいたしますが、先ほど大臣が申されました郭錫麟という男でございますが、これは最初のほうのグループに入ります一人でございまして、三十五年に日本へ参りましたときに、これもいまと同じで、二十五日に不法入国をしたのを、二十六日にさっそく船に乗せて帰したのでございます。これがあらしのために帰れなくて、鹿児島の沖で送還船が避難しているときに、台湾に帰れば殺されるというので、みずから海の中に飛び込みまして、まあ死ぬつもりであったのか、あるいは陸に泳ぎ着くつもりであったのかわかりませんが、結果はとにかくまた鹿児島へ泳ぎ着いて、再び不法入国して、日本におって台湾の運動をやっておったのでございますが、これが昨年十二月に帰しましたところが、先ほど大臣からも申し上げましたように、現在元気にやっておるということでございます。  それで、昨年の十二月から今年の三月までに、中国関係者全部で、私どもはこういう話し合いがついたといいますか、中国側の受け入れ態度の進展によりまして、すでに六十三名を送っておりますが、そのうちにたまたま台湾独立と称しておる人々が、郭錫麟と今回の柳と二人おったということでございます。
  126. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 本件の場合に、台湾の独立運動をやって向こうへ帰っても、生命なり何なりの危険がないということの保証は、具体的にどういうところにあるんですか。
  127. 中川進

    政府委員(中川進君) お答え申し上げます。  ただいま大臣が申されましたように、実はことしの二月の七日付で大使館から私どもの入管局にあてまして、こういう台湾独立とか何とか、そういう政治活動をやっておった者を本国に帰しても処罰はしないということを公文書で確約しております。それから越えて三月五日の日には陳大使が、やはり法的地位の問題に関連いたしまして、私どものところに参ったのでございます。いろいろ会談いたしましたが、そのときにも同じ問題を提起いたしまして、そうして先方は、それは絶対にそういう者をいじめたりすることはない、生命身体の自由を侵されることはないということを話しております。  それから一番の生きた例といたしまして、先ほど申し上げました郭錫麟は、昨年の十二月に帰しましたが、いまは自由になって家族と一緒に住んでおると、入管に対して礼状さえよこしておる、こういう状態であります。それから問題の柳という三月二十七日に送りました人も、その日にさっそく飛行場で家族、すなわち両親に引き渡されまして、両親と一緒にとった写真まで私ども入手しております。したがって、ただいま家族と一緒に住んでおるはずでございます。
  128. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、そのギャランティー・レターというふうなものを信用するのならば、そのことを裁判所に話したらいいじゃないですか。こういうことになっておるのだから、だから迫害の危険性がないのだから、執行停止の必要がないというふうなことを話したらいいじゃないですか。なぜそういう手続をとらないで、いきなり運んでいっちゃったというか、持っていっちゃったのですかね。逮捕しちゃったのでしょう、舌までかみ切ったのでしょう。舌までかみ切って血だらけになっているのを飛行機にかつぎ込んだというのじゃないですか。そこはどうなの、事情は。
  129. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  私どもとしましては、先ほどから申し上げますように、本件に関して裁判所の関与ということは、私どもが短見であったのか知れませんが、全然考えませんで、とにかく飛行機の手配、それから向こう側における出迎えの手配、その他全部済ましてしまったのでございまして、先ほどから申し上げますように、弁護士さんから、この件を裁判所に持ち出しますぞということを承りまして、私がうちから役所に出ようとする八時ちょっと過ぎでございまして、それから役所に来まして正式にその通知を受けましたのが十時二十分で、飛行機は出ておった。私は初めて電話でそういうことを承りましたときには、もう本人は横浜を出て羽田にほとんど着いておる、少なくとも羽田に向かっておる。そういうようなことでございまして、私どものほうといたしましては、これは裁判所の仕事になるかもしれないが、すでに万事きまったことであるから、このまま執行しようと思って実行した次第でございます。
  130. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 韓国というか、朝鮮といいますか、それから台湾の場合ですね。裁判所に申し立てして、近来執行停止が非常にふえています、去年からことし。非常にということばは変だけれども、ふえていますね。何件ぐらいありますか。そうして具体的な、どういう理由で執行停止になっておるか、おもな理由は何ですか。
  131. 上田明信

    説明員上田明信君) 仰せのとおり、強制退去に対しましては、執行停止が非常に多いのでございまして、その理由は、やはり執行停止をしないと、もう送り返してしまいますと、そのまま法律の利益がないといって、本訴が却下になってしまう。本訴で本人がそれぞれ理由を述べて、それに審理をせずにやるのはよろしくないであろうという趣旨であろうと思います。つまり、いわゆる一応の仮処分的な必要性ということを裁判所が重視いたしまして、そういう観点から執行停止が多いのだろうと思います。内容的にはもちろん本訴でお互いに争っていく、こういうことになりますし、またそうやっておるわけでありますけれども、この必要性が、帰ってしまえばそれでおしまいになるという事案だけに、裁判所も割りに執行の停止をお出しになるのであろう、われわれはそう考えております。
  132. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だから近来裁判所の執行停止が非常にふえておるから、時間を置くと執行停止になって。向こうへ送還できなくなる、こういうことのために急いで、前の夕方にあれして、その次の日の朝早く出してしまうというようなことをやったのじゃないですか。これはぼくも知っていることだけれども、法務省としましては、裁判所が執行停止を出しておるということはあまりいい感じ持っていないですね。これはどうなんですか。
  133. 中川進

    政府委員(中川進君) お答えいたします。  先ほどから申し上げますように、私どもとしましては裁判所が本件に介入するとか、しないとかいうことは全然考えずにこの処置をきめたのでございます。ただし、先ほど私が申し上げましたように、飛行機がそんなに朝早く立つということは、実は私もはなはだ怠慢で申しわけない次第でございますが、承知いたしませんで判こを押しましたので、結果的にそうなったということは申しわけないと思っております。
  134. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 法務大臣に最終的にこの問題を中心として念を押すのですが、そうすると、今後の強制退去で、ことに政治的な意味を含んだ場合、この場合にやはり迫害を本国に帰ると受けるおそれのある場合、そういうような場合には、人権に関する世界宣言やら、逃亡犯罪人引き渡し、いろいろありますが、そういう精神にのっとって慎重に人道的な見地から対処をするということははっきり約束できるのですか、その点はどうなんですか。
  135. 赤間文三

    国務大臣(赤間文三君) それを送り返すとその者の生命なり身体に危害のおそれあるというような場合は、送り届けない。本国に送り届けないで、むしろ安全なところに返すなら返すような方策をとる。大体亡命者の送還はケース・バイ・ケースに考えるということで、いま言いましたように、生命の危険のある場合には送らぬ。しかも、それを日本に置くことが日本の国益に合うか合わぬか、国益に反するようなものについては送り返したい。日本のまた公安に害があるかないか、そういう点も十分考えて、ケース・バイ・ケースにこれを処置をして遺憾のないような方策をとっていく。非常に慎重に考える。ただ、退去のいよいよ決定しました者はもうできるだけ早くこれを適当なところに送り返すという方針は将来も——裁判所はいろいろな決定をいたしますが、われわれ裁判所とは別に、われわれの決定が済めばできるだけ早くこれを処置するという方針を将来ともとっていこう、こういうふうな考え方であります。
  136. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは防衛庁にも関係あることなんですが、日本の海底電線ですね、これは現在どういうふうになっているわけですか。ことに韓国と対馬や何かとの間の海底電線ですね、どういうふうになっておりますか。
  137. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) お答え申し上げます。  現時点におきましては、韓国との間のケーブルは使用してございません。これは、昭和三十八年の八月までそのケーブルによりまして米軍が日韓間の通信に使用しておりましたのですが、現在はそのケーブルは破損しておりまして用途を廃止したままになっております。
  138. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それはどことどこの間ですか。
  139. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) 当時使用しておりましたのは福岡−釜山間ケーブルでございまして、これが十一条ございました。
  140. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 釜山のそばの、何というのですか、池浦と書いてあるところから対馬の棚樹というところまでのがあったのですか。
  141. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) 対馬の棚樹というところがございます。ここから釜山の池浦というところに海底線がございました。
  142. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それはどこのものなの、これ。
  143. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) このケーブルは、平和条約によりまして、日韓間におきまして平和条約発効後それぞれ二等分をするという懸案になっております。その話し合いがまだついておりません。
  144. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そこで、なぜつかないのですか。
  145. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) この問題は、日韓会談以前からの話し合いがありましたのですが、日韓条約が発効いたしまして、その会談の際にいずれ具体的な取りきめをしたいということでの原則的な了解はついているように聞いておりますが、その後これは外交の問題といたしまして、私ども外務省といろいろ相談いたしました。外務省から韓国に対しましてたびたびこの促進につきまして申し入れをしておるわけでございます。
  146. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは、いま外務省のほうはだれか来ておりますか。外務省のほうはどうなの、この点は。
  147. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) ただいま郵政省のほうから御説明がございましたとおり、当方といたしましては韓国と早くこの問題をまとめたいということで申し入れてございます。争点がございますので、まだ話がついておりません。たとえば、分轄点をどこにするかというような問題が一番重要な問題でございます。
  148. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 現在は日本は使っていないと言いましたね。なぜ使わないのか。
  149. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) このケーブルは、たいへん古い、戦前に布設したケーブルでございまして、常時は国際電信電話株式会社のほうで無線によりましてのルートでたくさんの通常業務を行なってきております。また、最近海底ケ−ブルの技術はたいへん進歩いたしておりまして、目下日本と韓国間におきまして、スキャター方式と申しますたいへん新しい技術で、たくさんの回線がとれる、高品位の通話ができる設備をつくっております。これはことしの五月の下旬あるいは六月になりまして開通する運びになっておりまして、一般通信を全部そのほうに切りかえるようになっております。ただいまは、そのお話のケーブルにつきましては、これは採用見込みはないという判断をしておりまして、私の関係といたしましても、これを採用するつもりはございませんですし、韓国側におきましても、これを採用することは一時考えておったようでございますが、現在におきましてはさようなことは全然聞いておらない状態でございます。
  150. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 この海底電線ね、戦後二回直しているのじゃないのですか。
  151. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) 回数は正確には承知いたしませんですが、たびたび修理をいたしております。
  152. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは防衛庁ね、軍用回線としてアメリカが使っているのじゃないのですか。どうなの、その点は。
  153. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) このケーブルを使っておりましたときには、米軍が使用しておりました。
  154. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 米軍が使う根拠というのはどこにあるの、これは。
  155. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) 終戦直後から三十八年まで使っておったわけでございますが、講和条約の発効以前におきましては、米軍からの命令によりまして日本電信電話公社がこれの施設を提供しておったわけでございます。なお、講和条約発効以降におきましては、米軍との協定に基づきましてこのサービスを提供しておったわけでございます。
  156. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 日本が使おうとしても、アメリカが軍用目的で使っていて使わせなかったのじゃないの、これ。どういう取りきめになっているの。
  157. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) 先ほど申し上げましたように、無線におきます回線と、それからこのケーブルとあったわけでございます。一般の通信におきましては、無線でやることによりまして円滑に疎通されていたわけでございます。それで、このケーブルにつきましては、米軍の命令によりまして、日本電信電話公社が、一応この分轄される前の状態におきまして運用を停止しておりましたものを、米軍の利用に供しますように設備を提供していたということでございます。
  158. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だから、それはどことどことの契約なんですか。
  159. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) これは、通常の国際通信でございますれば、日本側と韓国側の主管庁がそれぞれ協定をしてサービスを提供するという形のものでありますが、この場合はそういうことでございませんで、日本側が一方的に米軍の命令によりまして日本側に属する施設を提供していたという形でございます。韓国側におきまして、どういうような協定がありまして米軍に韓国の施設を提供しているか、これは私たちは存知しておりませんし、またこのサービスにつきまして日本と韓国側で直接協定をするということは全くございませんでした。
  160. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 日韓協定のときに、何でこれが解決できなかったのですか。どうもその辺のところがちょっとはっきりしなかったのですけれどもアメリカが反対したの、これ。どうなんですか、その経過は。これはまあ外務省かもわからぬけれども
  161. 佐藤正二

    政府委員佐藤正二君) 日韓会談のときに、この問題を解決いたしたいと思いまして、ずいぶんと交歩いたしましたわけでございます。御承知のとおり、実は平和条約では二等分ということになっておりますけれども、実はどの点が二等分線であるかという問題について、ちょっと韓国はわれわれのほうと考え方が違っておりまして、結局それは日韓の交渉の最後までこの問題は解決しませんでした。そういう経緯でございます。
  162. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、いまはもうこれはアメリカ軍は使ってないんですか。
  163. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) 昭和三十八年八月以降使用を廃止しております。
  164. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、日本の周辺にそういう海底電線というのはどういうふうにあるんです、海底電線がね。日本の周辺にどういうふうにいろいろな海底ケーブルがあるんですか、現在。
  165. 柏木輝彦

    政府委員柏木輝彦君) 戦前におきまして、いろいろ日本を起点といたします海底ケーブルは——電信用ケーブルでございますか、それといたしましては、ウラジボストック−長崎、長崎−上海とか、その他南方を結ぶケーブル、あるいは小笠原からグアム島に結ぶケーブル等もあったわけでございますが、その後通信技術がたいへん進歩いたしまして、大体無線で国際通信を疎通するということになりまして、特に戦時中のいろいろの状況におきまして、補修がしてない、使えないケーブルがたくさんできておりまして、現在残って運用しておりますケーブルといたしましては、長崎−ウラジボストックの大北電信会社の所有いたしておりましたケーブルがまだ残っておりますが、これも近く新しい協定が国際電信電話株式会社と大北電信株式会社、またソ連が入りました協定によりまして、電話もできる新型の海底ケーブルに敷きかえておるのでございます。また、東京を起点といたしましてハワイまで——これはやはり、国際電信電話株式会社とアメリカのATT——米国電信電話株式会社、それからハワイ電信電話株式会社という三者の協定でつきました。これも新型の電話海底ケーブルでございますが、これは数年前から運用されておるわけでございます。
  166. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それでは、いろいろな問題がいまの海底電線の問題であるんで、ぼくはいま研究しておるところなんですけれども、あとは報道問題を中心として郵政大臣に——これはまだ来てませんから、ちょっと別なことを聞くんですけれども、これは運輸省の人に聞くんですが、羽田の空港が、これが空港ビルディングというのがいまありますね、ターミナルのところに。これができるときに、成田は公団で運営していくというのに、羽田のほうはなぜ公団というふうなことにならなかったんですか。ここのところに一つ問題があるらしいんですがね。
  167. 梶田久春

    説明員(梶田久春君) お答えいたします。  御承知のように、昭和二十七年に羽田が日本側に返還されました際、当時の航空事情といたしましては、きわめて小型の飛行機でございます。で、現在の整備地域に旧ターミナルビルがございました。したがって、当時に予想されます航空の需要の増大に対処いたしまして、どうしてもターミナルの地域の拡張整備が必要であるということで、当時内外からターミナル地域の整備が非常に強く要請されたのでございますが、当時の日本の財政事情はなかなか窮迫しておりました。また、政府のみならず、東京都、いわゆる地方公共団体においてそういった施設をしないかといったような要請もあったのでございますが、東京都も、御承知のように、当時は本来の公共団体の施設すら満足に整備できないという状況でございました。そういった経緯がございまして、この際、民間資本を集約いたしまして、内外の航空情勢に対応し得るターミナル地域を整備しようということで、二十八年にそういった話になったわけでございます。
  168. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、そのときはだれが運輸大臣だったんですか。
  169. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 石井さんが運輸大臣でございました。
  170. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それから、この地下のところですか、これに三愛石油というのがあるんですか。これはどういう経過でこの三愛石油というのがここにできているんですか。
  171. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 三愛石油は、ハイドラントと申しまして、飛行機の給油施設を運営している会社でございます。これは希望者のうちから運輸大臣が決定してやらしているものでございます。
  172. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そのときの運輸大臣はだれ。
  173. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 操業開始は昭和二十七年でございますが、ちょっといま大臣だれであったか、手元にございませんので、わかりません。
  174. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そのときは、石井さんから今度は三木さんにかわったんじゃないですか、運輸大臣。三愛石油がなぜあそこへ入るようになったのか、その間の経過はわからないですか、あなたのほうで。
  175. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 三愛石油は、昭和二十二年からいわゆる石油の給油業をやっておりまして、羽田でもやっていたわけでございますが、いわゆるハイドラント施設をあそこにつくりまして、これの操業を始めたのは昭和二十七年でございます。二、三社の希望があって、そのうち三愛石油が選ばれた、こういうふうに聞いております。
  176. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 その日本空港ビルディングというんですか、その会社ね、その会社が何かあれですか、子会社みたいのをたくさん持っているんですか。
  177. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) われわれのほうで承知いたしておりますのは五社ございます。
  178. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 もっといろんなこまかい会社が三十以上あるんじゃないですか、そこはどうですか。
  179. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) お答え申し上げます。  いわゆる支配をしている子会社は五社程度でございますが、いわゆる出資をしております関社会社は、先生のおっしゃったような数であると思います。
  180. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 その会社は非常に数が多くて、いろんな人の名義を使っているけれども、その会社で実際にいろんな恩義を受けてやっているというのは、当時石井さんが運輸大臣であって、公団にしないで民間にやらした、こういうことから、石井さんのいろんな系列の方がそこでやっておられるということが内部から言われてきているんですよね。こういうことはどうですか。いまの段階では、まだそこまでわからないかな。
  181. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 石井先生の系列の方が系列会社におられるかどうか、把握いたしておりません。
  182. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これはいろいろな問題があるわけですね。これはもう第二の日通事件に発展するというふうなことまで——これはもうだれが言っているのかはぼくは言いませんよ、ここでは。責任のある人が言っているわけですね。で、これは三木さんは、何かこれ、三愛石油を指定したというんじゃないですか、あなた運輸大臣のときに。違いますか、三木さん、覚えていないか。
  183. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) いま、三愛石油を指定されたときの運輸大臣を調べておりますから、ちょっとお待ちいただきたいと思います。
  184. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これはもう三木さんだよ。まあその問題は、ぼくはいろいろな角度から今度は発展していくと思いますがね。きょうはまあこの程度にしておきますけれども、頭をちょっと出した程度にしておきますけれどもね。これは問題が出てきますね、これね。そこで——いまの大臣、調べてくださいね。あとで答えてくださいよ。  で、郵政大臣来られたのでお聞きをするのですが、放送の内容などについて、一体大臣としてはどの程度関与できるのですか。
  185. 小林武治

    国務大臣小林武治君) どの程度も関与できません。
  186. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それはどういう趣旨からですか。
  187. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 要するに、番組については、これらについてはわれわれは関与することができないと、こういうのが法のたてまえでございます。
  188. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 閣議で、あるテレビね、放送内容がいいとか悪いとか、けしからぬとか、こういうふうな話になったことはありますか。郵政大臣、それから防衛庁長官
  189. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 閣議ではいろいろな話が出ますが、これはまあ自由でございます。それぞれの考え方を述べる。これが行為に移らない限りは、それぞれの御感想を持ち出されることもございます。
  190. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 防衛庁長官、あなたも言って——いろいろ言うから。
  191. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) ございません。
  192. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 TBSの成田事件のことに関連をして、郵政省の電波監理局がいろいろ内容を調べていますね。これは、その間の経過はどういう経過ですか。
  193. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 格別調べたということはありません。ああいう事実が新聞その他で出たからして、様子をお聞きした事実はございます。私がお聞きをした事実はございます。
  194. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だって、放送内容なり何なり関与できないとあなた言っていたですね。まああなたが聞いたのは、あとで聞きますよ。電波監理局がどういう調べをしたの、日時を説明してごらんなさい。
  195. 石川忠夫

    政府委員(石川忠夫君) 特別に調べてございません。
  196. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だって、三月の十二日にTBSに行っているんじゃないですか。
  197. 石川忠夫

    政府委員(石川忠夫君) 行ってはおりません。
  198. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 行かない——それでは、行かないでですね、じゃ事情を聞くか何かでTBSのほうに連絡をしたことはありませんか。TBSから何か書面を出せと言って出さしたことない。
  199. 石川忠夫

    政府委員(石川忠夫君) 出さしたことございません。
  200. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 これは話がおかしいですね。それじゃ前に戻りましょう。大臣は何かそれに対してちょっとどうとか言ったようなことを言われましたね。具体的にどういうことですか。
  201. 小林武治

    国務大臣小林武治君) ああいううわさがありましたので、真相はどうかということを私が電話で聞いたことがございます。
  202. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 三月十一日ですね、あなたがTBSの社長に電話で言ったと、こういうんですね。たいへん失礼な話ですけれども、どういう根拠であなたがやったんですか。大臣としてやったの、あるいは小林——小林何というんだっけ、名前忘れたけれども、あなた個人でやったの。
  203. 小林武治

    国務大臣小林武治君) どういうって、権限の問題は別にしまして、郵政大臣が電波の免許をしておる大事な企業体である。その企業体に世間においてああいうふうないろいろのことを言われたことについて、その事情を私が知ることは、権限とかなんとかむずかしいことを言わぬでも、差しつかえないんじゃないか、そういうふうに思います。
  204. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 免許というのは、何を免許するんですか。あなたが放送内容の内容までタッチして免許するの。
  205. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 免許は、電波の免許をしておるだけであります。
  206. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 あなたは、だからTBSの社長に電話をかけたことは間違いないでしょう。電話の内容を少ししゃべってくださいよ。
  207. 小林武治

    国務大臣小林武治君) いま申し上げたように、こういうふうな事件があるとすればどうですかと、こういうふうに聞いただけです。
  208. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 単にどうですかというんじゃなくて、あなただいぶ激しくしかりつけたというじゃないですか。あなたの答弁を聞いてみても、だいぶおこりっぽいようだけれども
  209. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 稲葉委員自分がしかられたようなことをおっしゃいますが、私はしかったりはいたしません。どういうことがあったのですかとお聞きしただけであります。
  210. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 事態の経過についてあなた関心を持たれたんだから、その後についてTBSのほうからいろいろ報告なり何なりありましたか。あるいは、TBSじゃなくても、電波監理局からありましたか。
  211. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 電波監理局に別段調べてもらいたいということを言ったことはありませんが、今道社長から概要を電話で、こういうことがありましたと、こういうことだけお聞きしました。
  212. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 会社側ではね、郵政省から聞かれておるからというので、調査をしておるんです、その間の事情をね。一たん調査して出したら、それでは足りないからといって、またもう一ぺん聞かれて、書面かなんか出してんですよ。おかしいじゃないですか、これは。
  213. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 会社も、そういうことをお聞きになれば、会社の首脳部としてはお調べになるのは当然で、そのお調べの様子を私が聞いただけでございます。別にこのお調べの様子だけでは不十分だなんて押し返した事実はありません。
  214. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 しかし、その会社側の人は、いいですか、政府なり自由民主党がこのことに対してTBSならTBSに動きがなかったと言えばうそになると、こうはっきり言ってんですよ、いろんな会談の中で。あなた方のほうから圧力をかけたんじゃないですか、しっかりしろと言って、こんなことをやるなということで。
  215. 小林武治

    国務大臣小林武治君) これは自由民主党のそこらの会合で話になったことも私は聞いておりますが、会社に対する関係がもしありとすれば郵政省が関係をする、こういうことでありますから、郵政省からお話のようなことを圧力をかけるとか、もっと調べろとか、こう言った事実はありません。
  216. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、あなたが電話をかけた趣旨は、もう一ぺんよく説明してください。あなたの電話をかけた趣旨、それに基づいてあなたのほうの電波監理局が、さらに詳しい事情を知りたいと、こういうようなことで言ったわけですか——言ったというか、電話をかけたのかどうか知りませんけれどもね。
  217. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 私が聞いたことに対して、また電話があって、それだけでございます。
  218. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 だから、あなたが電話をかけて、すぐその場での電話じゃないでしょう。その場では返事があって、またあとから電話で向こうから返事があったわけでしょう。
  219. 小林武治

    国務大臣小林武治君) そういうことでございます。一、二日かたってからお電話があって、そうでございますかと承っておいただけでございます。
  220. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 結局、あなたのかけた電話というのは、具体的に何が起きたかと。とるほうによっては、TBSの報道自身の内容にまであなた方が関与しておると、しようとしておるというふうにとるんじゃないですか、だれだってあなた、大臣がかけてくれば。
  221. 小林武治

    国務大臣小林武治君) われわれはもう絶対そういう意図があって聞いたわけではありません。ただ事実を知ることはわれわれとしても必要なことであると、こういうふうに思っただけであります。
  222. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 事実を知ることが——郵政大臣としてなぜそういうことの事実を知る必要があるんですか、そんなにあなたが関心持つ必要が。
  223. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 関心を持つのが私はあたりまえだと思いますね。
  224. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 どうして。
  225. 小林武治

    国務大臣小林武治君) われわれの関係しておる放送会社にどういうことがあったかということに私が関心を持つことは、ちっともふしぎとは思いませんです、私は。
  226. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 それは技術的な周波数がどうとかかんとかいうことなら関心を持ってもいいですよ。具体的にどういうことが起きたとか、番組の内容がこのごろ偏向しているとかしてないとか、そういうことにまであなたは関心を持つのですか。
  227. 小林武治

    国務大臣小林武治君) さようなことに——私はよく申しますが、私はやはり個人でありますから、番組についていろんな意見を持つことはあたりまえであり、公人としてこれが行動に移さなければ差しつかえない、そういうふうに思うのであります。
  228. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 あなたが会社に対して——電話のことにこだわるわけではありませんけれども、そういうふうなことをかければ、会社側では、その具体的事実がどうなのかと、それに基づいてある程度の責任とかなんとかいう処分をしなければ郵政省のお気にいらないということにだれだって考えて、現実にそういうような方法をやっているのではないですか。あなたが電話をかけたことが具体的にどういう波紋を描くかということは、あなたはわかっているのでしょう。
  229. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 私は、ただどういう事実があったかと、こういうことをお聞きしても、別に悪いと思いませんし、また会社がそんなことに対していろいろ気を回されることも必要はないと思う。会社が何かされれば、会社が自発的に何かされた、そういうことでありまして、私が圧力をかけたなんという問題ではありません。
  230. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、何かあなたのほうの自由民主党の中で、この番組が一部偏向しておるとか、ああいう行動はけしからぬとかいう話で、何かあなたのところに来たことがあるのですか、あなたなり官房長官なんなりへ。
  231. 小林武治

    国務大臣小林武治君) それはいつでもあります。それを私が取り次ぐとか、これを行動に移すことがなければ、一向差しつかえないと思います。
  232. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 行動に移す移さないは別として、放送法のたてまえから、あなたのところへそういうことを言ってくること自身がおかしいのではないですか。
  233. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 私はそうおかしいとも思いません。私は聞きおくだけでございます。
  234. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 しかし、放送法のたてまえというのは、そういうことを政党なり何なりからさせないということがたてまえなんでしょう。そういうふうなことを言ってきてくれるなということをはっきり言ったらいいじゃないですか。
  235. 小林武治

    国務大臣小林武治君) まだ何か郵政大臣ができると思って来る人があるかもしれませんが、郵政大臣はできないから、ここではっきり申し上げておきます。番組等には関与は一切できません。
  236. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 あなたとしてはあれですか、一部の報道機関が偏向しているとかなんとかいうことはお考えにはならないわけですか。
  237. 小林武治

    国務大臣小林武治君) そういうことを言う人がありますが、私はそう思っておりません。
  238. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 そうすると、あなたとしては、放送の内容等については、編成内容等については一切、これはあたりまえのことですけれども、関与をしないし、もちろんそれに関与をしたというようにとられる行動、こういうようなことも一切今後は慎むと、誤解を受けるようなことは慎むと、あなたかってにこっちが誤解していると言うかもわからぬけれども、そういうふうにとられるようなことは慎むと、こういうことですか。
  239. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 従来も慎んでおるつもりでありますが、まだ誤解があれば、なお気をつけたいと思います。
  240. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 しかし、TBSのほうでは、電波監理局のほうからいろいろ事態の経過表を書いてくれと言ってきておるので、そして説明をしなければならないから詳細な事実を書いてくれというようなことを言われて、そして書いて出したらば、それがあなたのほうの自由——何というのですか、民主とかなんとかいう新聞があるね、あれに書いてあることと違うから、もう一ぺんよく調べろと、もう一ぺんよく調べているのでしょう。あの「自由民主」に書いてあることは、だいぶいいかげんなことを書いているらしいけれども。そういうことなんですよ。あなたから電話があったということがもう発端なんですから、だから、あなたの下のほうはそれを受けて、亭主の好きな赤烏帽子かなんか知らぬけれども、それを受けて言っているわけです、きっと。誤解を招いているのです。非常にこれは放送の中立性という点からいってぼくは問題だと思いますね。そうすると、いま言ったようなことで、何か政府自民党は、長年にわたって番組をモニターした結果を持ってきて、そして社長やいろんな報道局長等をやめろとさえ言っているのだと、そういうことを言っている、会社の中では。あなた方のほうでは、いろんな番組がありますね、テレビの。その番組のモニターというか、何というか、いろんな影響力やなんかは調査はしているのですか。
  241. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 自民党のそういうことは、私は知りません。
  242. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 自民党のやっていることは、これは政党がやるのだからかまわないと、自分は大臣としてはそういうことは関係ないと、こういうふうに承ります。そうすると、あなたとしては、放送法の改正というのは、まあいま問題になっていますね、これはどういうことなんですか。それに対してどういうふうに考えていらっしゃいますか。
  243. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 放送法の改正も二、三年来の問題でありまして、放送調査会というところからの答申をもとにして改正をしようと前々国会にも提案して審議未了になった。そのまま懸案になっております。
  244. 稲葉誠一

    稲葉誠一君 まあ、話は押し問答しても同じですけれども、あなたのほうがそういうようなことを言ってきたことで、それを受けて会社側が、あるいは気を回し過ぎたのかもしれないけれども、事実を詳細に調査をして、しかも、それによって内部的な処分までしているわけですね、会社側が。このことは、とり方によっては、あなたが意図したかしないかは別として、報道に対する大きな統制がそこで行なわれておる、干渉が行なわれておると、こういうふうにとらざるを得ない結果が現実に生まれてきているのではないか、こう思います。だから、あなたがいま言ったように、全然そういうことに対しては干渉しない、はっきり守るというなら、誤解されないように——誤解し過ぎているのかもわからぬけれども——あなたも国民の間に、報道関係者の間に誤解を生じないように、しっかりと放送の中立性というものを守って、誤解を与えないように今後注意していただきたい、こういうふうに思います。これに対して最終的なお答えを願って質問を終わります。
  245. 小林武治

    国務大臣小林武治君) 承知いたしました。
  246. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 以上をもちまして稲葉誠一君の質疑は終了いたしました。     —————————————
  247. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 引き続き、矢追秀彦君。
  248. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 昨日の夜の北ベトナムハノイ放送、及び本日になりましてのアメリカ政府の声明、さらに先ほどのニュースで、ジョンソン大統領はラスク、クリフォード、ホィーラーを同行、ハワイのホノルルへ南ベトナム代表との会見のために向かった、で、南ベトナムも会談することを承諾したと、このように放送を聞きましたですが、これに対して外務大臣はどのようにお考えですか。    〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕
  249. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 先ほども経過を申し上げましたように、ジョンソン提案に対して、本格的な会議ではないけれどもアメリカの戦闘停止を確認するためにアメリカと話し合う用意があるということをハノイが放送したわけですね。それに対してアメリカも応じて代表を派遣するということで、いま、どこで会うかということはまだきまってはないのですが、いま御指摘の、ジョンソン大統領がホノルルに向かったというのは、それは南ベトナムにおるアメリカの代表と会うために向かったのでございます。チュー大統領アメリカに招待をされておりますので、その招待はやはり依然として生きておる、こういうふうに、いまわれわれのところに入手した情報によってそのようなことに考えております。
  250. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 こういう動きから考えまして、やはり和平への道が開けたと考えられるか、あるいは、いまなおかなり北爆は行なわれておるわけであります。BBC放送によりますと、北爆の回数はジョンソン声明後よりも多くなっておると、こういうようなことも言っておりますけれども、その点を日本政府としてはどのように判定をしておられるか。
  251. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) このジョンソン提案にも、全面的な北爆停止と、こう言っていないわけで、部分的な停止ということで呼びかけたわけでございます。したがって、これから話し合いが行なわれるということになれば、これはやはり北爆等についてもいろいろ影響が私はあると思います。アメリカの出方にも影響がある。しかし、その話し合い一つの予想ということはいまつきにくいわけでございます。ベトナム戦争というものはいろんな複雑な背景を持っております。また、南ベトナム、ベトコンの問題は今度のジョンソン提案の中にも一つも触れておりません。この問題というものも将来問題になるでありましょうし、まあ、いろんな紆余曲折があって、一挙に解決することにはならぬと思います。しかし、何かこういう形で話し合いが始まらなければ和平達成の糸口はないわけでありますから、そういう意味で、アメリカハノイとが提案に応じて話し合いをするというこの一つの両政府の歩み寄りがどうか実を結ぶようにわれわれは願う次第でございます。
  252. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 いま大臣が、願うということをおっしゃいましたが、きのうのいろんな答弁を聞いておりましても、もちろん、その情勢の推移は見なければならない、これは十分わかりますけれども、いままで日本政府がとってきた態度自身があまり具体的な方法については明確でなかった。やはり、そういったことから考えまして、こういったときに私は日本政府としての態度というものがまだ明確にされない。この際出したらどうかと言われると、様子を見てからと、そのお気持ちもわかりますけれども、いままでもっと具体的な方法を出していったんであれば、こういったときにも別に驚かないし、むしろ、私はそれが光るのではないかと、こういうふうに思うわけです。したがいまして、ここまでの話し合いが進みつつある現状において、平和に至るまでは相当の紆余曲折もあるし、やはりアメリカかなりベトナム政策を——一部の人から聞いた話でありますけれども——まだまだ変更しないと、こういうふうな話も聞きました。そういった向きもありますし、また、ジョンソン大統領の今回の声明は、ベトナム戦争ももちろんであるけれども、それよりも、国内の世論をまとめるための一つの牽制球であると、こういう見方も一部にはあります。そういうことから考えて、やはり、もちろんアメリカの出方、北ベトナムの出方、南ベトナム考え等ありますけれども、やはり日本政府としてこの際はっきりと具体的な方法を出していく。たとえば今回の会談についてどの場所を選んだらよいか。ただ北ベトナムとだけではなしに、さらにベトコン等も含めて、関係各国を含めて平和会議をやれと、こういう提唱をしていくと、こういう点は、私はいま日本政府として自主外交——追随外交と言われると、いつもそんなことはないと言われますが——自主外交をもって任ずる政府であるならば、私は今回態度を出すべきだと思うのですが、この点いかがですか。
  253. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 政府は、ジョンソン提案が出されたときに、在外の日本大使を通じて、ソ連イギリスに対して、このジョンソン提案が生かされて和平の会談が始まるように、両国政府はジュネーブ協定の共同議長国でもありますし責任もあるわけですから、これは全力を尽くしてもらいたい、日本も協力のできることは何でも協力したいという申し入れをしたわけでございます。したがって、今後はこれはいろいろな紆余曲折があって、この和平達成にいろいろ日本努力しなきゃならぬ場面も出てくると思います。しかし、いま両国が話し合いをしようというときに、まあ、日本から、場所はここでしろ、何しろと言うことは、そう両方話し合いして、両方が、戦争の当事者が話し合いの場所なんかもきめるのですから、一々日本が何かこう言わないと、こういう問題に対して日本発言権がないように考える必要はないのではないか。これはいろいろ紆余曲折がある、その過程において和平達成日本が全力を尽せば、それで日本の役割りというものもあるのではないかというふうに考えております。
  254. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 日本発言権がなくなるとかあるとか、そういう問題ではなしに、やはり、ただ様子を見て、わきから消極的に支援していくというのではなしに、姿勢というもの、やはりいまの日本国民政府に非常に不満に思っておることの一つは、そういった外交姿勢がはっきりしないこと——まあしておるのでしょうけれども——それはあまりにも日米関係を意識し過ぎた、そのパートナーシップの上に立ち過ぎた外交姿勢、そういうことを非常に遺憾に思っておるわけです。したがいまして、そういった意味においても、今回私は何らかの提案、どこできめるということが何か両国間の話し合いが進まないではなしに、もっと妥当である、だれが聞いても妥当であるという線、また世界じゅうの人が聞いてこれでいいのだというところ、そういうのを選ぶとか、あるいは両者の会談の次の段階としてでは、ベトコン等を含めた関係各国の平和維持会議を、まあ、公明党は前から東京でやれと、このように言っておりますけれども、そういった次の段階の提案をしても私はかまわぬと思うのでありますが、その点はいかがでしょう。
  255. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) どこの国も、世界の国がベトナム戦争早期平和的解決を望んでおるのですが、せっかく話し合いが始まろうというのですから、この推移を見ようというのが各国の態度であります。これは決して日本外交が自主性がないからいま何もやらぬというのじゃなくして、いまは両方話し合いをしようというのですから、これの推移を見て、日本がいろいろ尽力をすべき余地は必ず生まれてまいりますから、そういうときに日本が全力を傾けて和平達成努力をするということで私はいいと思うのでございます。いま、東京で未来を期して会談をしたらどうかという、一つ考え方としてはお気持ちはわかるのでありますが、ベトナム戦争というものは前のジュネーブ協定といういろいろな経緯もございますから、むろん、東京で会議を開かれることを、これはわれわれとして歓迎するものでありますが、そういうふうに、何か東京で開くというようなことではなくして、ベトナムに長続きのする平和をもたらすためには、いろいろな解決、いろいろやっかいな問題が幾つもある。これに対して日本が、日本としての、アジアの一員としての見解を述べ、また、そういう方向努力をする場面はありますから、そういうときに有効な働きをすれば、日本外交が何もしないじゃないかというようなことには私はならぬと思うのでございます。
  256. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 いま、いろいろなことができると、こう言われました、それをある程度具体的にお聞きしたい。
  257. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) たとえば、ハノイアメリカとの間に、まず停戦の話し合いに、これが順調に進めば、入るのでしょうが、やっぱり南ベトナムの問題、ベトコンの問題等も残るわけであります。そういう点で、これが長続きのする平和というものがベトナムに達成できるまでの間には、幾多の解決をしなければならぬ問題があるし、また、ベトナムの戦闘状態が終わっても、あれだけやはり戦争で荒廃したベトナム、これのやはり国内建設というものは大きなやはり問題でしょうから、そういう場合には、軍事的には日本はむろん介入する余地はいままでもなかったし、将来もないわけですけれども、そういう経済的な面における開発という点では、日本は、これもまた平和の基礎条件ですから、そういうことに寄与できる余地は非常に多いのではないか、いろいろ日本がこれからベトナムの安定のために尽すべき余地というものはたいへんにあると考えておる次第でございます。
  258. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 あまりはっきり言わなかったのですが、次にお伺いしたいことは、きょうのこういった動きからも考えまして、アメリカアジア政策というものはやはり徐々に変わってくると、特にアメリカアジアに対していろいろやってきたことが徐々に退潮していくといいますか、引いていく。そうして、アメリカの中の一部にありますモンロー主義というものがある程度台頭してくる。そのように大臣は見ておられますか。それとも、いましばらくはこのままの情勢を続けると。どう判断をしておられるか。
  259. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) おそらくベトナム戦争が与えたアメリカ人への影響は、少しアメリカ世界に対して約束をし過ぎたのではないか、オーバー・コミットメントということがアメリカ人の一つの意識の中にこれはすでに出ておりますし、今後も出てくると思います。しかし、それがモンロー主義というような——新モンロー主義といわれるのですから——昔のモンロー主義ではないまでも、今日の実力を持つアメリカが、モンロー主義のからに閉じこもることは絶対にできない。だから、いままでのような世界の諸問題について介入のしかたは変わってくるかもしらぬが、しかし、アメリカがこういう、たとえはアジアにおいても、もうすっかりアメリカ半球に閉じこもって手を引いていくというようなことは、私は考えておりません。やはり、ベトナムの戦後というものに対しても、アメリカはこの平和建設のために大いにやっぱり寄与してもらわなければならぬ。やはりそういう点では、アメリカにすっかり手を引いてもらうということは、われわれとしても、アメリカもできないでしょうし、やはりアジア平和建設アメリカも責任を分担してもらいたい、こう考えておりますから、そう新モンロー主義によってアメリカ半球に閉じこもるという、アメリカが後退することは絶対にできぬと私は確信しております。
  260. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 私は、全面的に引いてしまうという意味じゃなしに、少しずつは変わるのではないか、その点をどの程度見ておられるかということをお聞きしたわけでありますけれども、いまの答弁では、アメリカアジア政策はそう変わらないというふうに解したいと思うのですが、今回の問題について、これもよその国のことでありますけれども、いままでアメリカアジア政策というものを絶対変わらないと、こういうように確信をして、それに運命をかけてきた国というのは、日本もある程度は入るかもわかりませんが、台湾の国民政府は、あるいは韓国、南ベトナム、タイの軍事政権、こういうようなものはむしろ反共ということを一つの大きな旗じるしにして、そうしてアメリカアジア政策とがっちり組んできたと思うのです。この四つの国は、私は今回のジョンソンの声明並びに和平への一つの動きでかなり大きなショックを受けたのではないか、このように考えるんですが、外務大臣はこれをどうお考えになっておりますか。
  261. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 最初の、さきの話に、アメリカアジア政策が変わらぬと私は言っておるのではない。しかし、御指摘のようなモンロー主義、新モンロー主義というような形におけるアジア政策の非常な激変というものは考えていない。しかし、アジア政策に関してこのベトナム戦争が変化を与えることは事実でしょう。それを新モンロー主義というアメリカ外交政策の基本的な変化というふうには見ていないということを申し上げたのでございます。また、御指摘のように、韓国あるいは台湾その他の諸国というものに、いろいろな面において、ベトナム和平というものが影響があることは御指摘のとおりだと思います。しかし、もう少しアジアというものを基本的に考えてみれば、ベトナム戦争がいつまでも続いて、戦争はそれ自体として拡大の危険性を常に持っているわけですから、そういう不安な状態にあるアジアよりも、ベトナム戦争が平和的に解決をされて、みなのエネルギーが平和建設のために向けられるような状態をアジアにつくり出すことが、いろいろな面で、マイナスの面もあっても、全体としてはプラスの面が多いのではないか。そういう点で、韓国、台湾においても、このベトナム平和的解決というものが促進されることに反対であろうとは私は考えておりません。
  262. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 先ほども話が出ておりましたが、自民党内においてもいろいろな動きが出てきておりまして、新政策懇話会とか、あるいは内外政局研究会、そういうようなところからいろいろな意見が出てきておりますけれども、で、自主外交をやれと、自民党の中にも、いままでの佐藤総理の行き方が対米追随外交の傾向があった、こういうような指摘も出ておりますけれども外務大臣はこの自主外交というものをどういうように考えておられるか。その実体というものを具体的に説明していただきたい。
  263. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 私は、この自主外交、一辺倒外交という、こういうことばはきらいなのであります。自分は使わない。外交で、一体自主でない外交があるのか、反問したいわけであります。だから、外交基本というものは、やはり国際協調の中に国益を守る。日本の国益を国際協調の中に守る。これが日本外交政策の基本であって、しかし、実際のこの原則を適用する場合に、柔軟性を持たなければならぬことは、これはもう言うまでもありません。しかし、外交が守るものは自国の安全、繁栄。いわゆる国益を守るということに、外交は全力を傾けなければならぬので、だから、よその国と、どこの国と仲よくても、国益というものを踏まえて、協力する場合もあるし反対する場合もある。そういうことで、初めから外交に自主性という、自主外交、自主外交というようなことばは、私自身は全然使わないのです。きらいなんです。外交で自主でないものはない。みなやっぱり、国益というものに対して——いろいろな判断の違いはあるでしょう、人によって——しかし、政府政府としての国益を踏まえて、それを、独善的なものでなくして、国際協調の中に守っていこう、こういうのがもう外交基本であって、これは世界的な一つのプリンシプルですから、ことさらに外交に「自主」という形容詞をつける必要はない、こう考えております。
  264. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 外務大臣は、自主ということばはきらいだと言われますけれども、現にその自民党内においても、さっきの中曽根国務大臣なんかも、自主的な立場ということを強調しておるわけです。やはり、そういうことばが使われるということは、そうでない向きがあるから私は使われると思うのです。私がお聞きしたいことは、そういうふうに自主でないから自主にしろ、こういう声が出るのは、やはり現在自主でない面がある。したがって、具体的にいま日本がどういう点をはっきりすれば自主外交ということを国民が納得するか、外務大臣のきらいだとおっしゃる「自主」がなくなってほんとうの外交になるかという、私は問題点として四つあると思うのです。一つは沖繩の問題。もう一つ中国政策の確立。それからもう一つ経済援助のあり方。それから最後に日本外交の長期的ビジョン。こういう四点に私はあるんじゃないかと、こう考えておるのですが、その点についての明確な自主外交の上に立った考えをお聞きしたいんです。
  265. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 私は四点ばかりに限らないと思いますよ。いろいろやはり日本の国益を伸ばしていくために、四点ばかりに限らず、いろんなソ連との関係も大事でしょうし、あるいは、西欧との関係も大事であって、もう問題がそればかりだというふうに考える必要はないが、御指摘の問題は、いずれも重要な問題であることは事実でございます。  そこで、たとえば沖繩の問題にしても、とにかく二十三年もああいう状態で民族が支配を受けるということは、これはだれもがやっぱり納得しないわけですから、これは一日も早く沖繩の返還というものを達成しなければならぬ。これはもう世界から見ても、そんなに長期にわたって他国が支配しておる歴史はないのであります。これは早く返してもらわなくちゃならぬ。これは解決をしなきゃならぬということは御指摘のとおりであります。  そして中国問題についても、やはり中国というものは無視することのできない相手です。日本は、中共を敵視しこれと対決するということで日本はやっていけると私は思わない。しかし、いま中共との間に国交回復をするかというと、いろいろな障害がありますから、できる範囲内から中共との接触を深めていったらいい。その接触を深める点は、貿易あるいは文化あるいは人間、こういう交流を通じて中共との関係というものを接触面を深めていくことが現実のやはり中共政策である。そして最後にはやはり日中関係というものを正常な関係にこれは持っていかなければならぬことは言うまでもないことでございます。  また、第三に御指摘になった東南アジア経済協力、これ、実際に私は重要だと思う。日本は軍事的には何もできないわけですから、そうなってくると、日本の安全のためにも、日本の繁栄のためにも、東南アジア諸国というものとはかなり日本は利害を共通にするものがあると思います。こういう日本の近隣諸国というものが、ベトナム戦争というようなものが、いつまでも続くということになれば、いろいろな意味国民に対して平和の不安を起こすことは、いろいろな問題の起こっていることを見てもわかることでございます。そういう意味で、東南アジアが安定していくということは、日本の安全にもつながるし、また、将来の日本貿易という、将来の貿易というものを考えてみましても、やはり日本貿易産業構造が重化学工業化していくときに、どうしてもこういう低開発諸国、これが経済的に発展していく地域というものは、日本貿易のこれは大きなやっぱり対象とせざるを得ない。こういうことを考えてみますと、いまは引き合わないですよ。そんなに引き合うなら、低開発国でまごまごしていないわけです。そろばんに合わない。もう少し長期的に見て、そして東南アジア諸国に対しての——東南アジアばかりでもないが——日本が主としてやはりこれから力を入れていくのは東南アジア諸国に対する開発、これは経済ばかりでもないでしょう。社会的な開発もあるでしょう。そういう開発を通じて生活安定向上をはかるということにいろいろ——住宅もある、道路もある、国内でしなきゃならぬ問題は、中小企業、農業、いっぱいありますが、それができてからというのでは間に合わないですから、ある程度それと同じように——同じようというか、それをやってからというのじゃなしに、それと劣らない重要さを持ってある程度の東南アジアに対する援助をしていくということが、これは一つの国策として考えなきゃならぬ。これこそどこの国も喜ぶんですから、どこの国と相談しなきゃならぬという問題でもない。こういうことは、いま御指摘のようなことは、かなり日本の自主外交のために大事だというのじゃなくして、日本の国益を増進する上において私は大事な点である。御指摘の点はきわめて重要な課題を提起されたものだと考えております。
  266. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 私が聞いているのはそういうことじゃなしに、現在の時点においてほんとうの自主外交という上に立ってやることとしては、沖繩返還についてもっと日本の主張をはっきりと言い切って、それを貫いていくこと。ただ返せだけしかいま話が出てない。それは具体的な交渉はあるんでしょうけれども国民の前には明らかにされていない。この点を私もこの前この委員会で質問しましたけれども、核抜きなら、たとえば来年にメースBを取ってもいいというようなアメリカ考えがある。だから、ひとつ来年沖繩は核抜きで返還するように交渉していく、そういう姿勢を貫いていくとか、そういうはっきりした姿勢を出した上で外交というものをやるべきだ、それが自主外交だ、こう思うわけですけれども、そういうのは全然いままでの政府の姿勢には見られない。また、対中国政策にいたしましても、いま状況はおっしゃいましたけれども、もっと国連加盟という問題——中国の問題またあとでこまかくやろうと思っておりますけれども——敵視政策をとっていないと言いながら、やはり敵視政策と言われてもやむを得ない姿勢が日本外交姿勢の中にもあるわけです。そういった点を、やはりアメリカというものももちろんある程度意識しなきゃならないでしょうけれども日本の国益の上からどうしてももっと明確にしてもらいたい。  最後に、長期的ビジョンというのがないわけです。何か、アメリカがこう言ったからこうする。ベトナム和平がこういうふうに進んだらこうする。何か、悪く言えば、ひより見主義のような感じを受けるのがいままでの政府発言であり、政府のとってこられた行動であると私たちは解しておるわけです。その点についてお伺いしたい。
  267. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 沖繩はこれからアメリカと交渉しようとするわけです。いま言われるように、日本がこれだと言って旗を立てて、これ、一歩も譲らないという外交交渉のあり方もありましょう、それはね。しかし、むろん外交交渉というものは、国内の世論の動向なども踏んまえて外交交渉をやることは当然のことである。初めから旗を立てて、これ、一歩も退かぬという形でなくして、アメリカとの間にいろいろな複雑な問題がありますから、たくさんの問題があるから、この問題を両方で話し合って、結局は早期な沖繩の施政権返還というところに焦点を合わしてこの交渉を進めるというやり方があるわけです。われわれとしては、初めからもう日本の旗はこれだと言って旗を立てて、そうして一歩も退かぬというような形は、なかなかやはり目的を達成する上において、それが非常に強い感じ国民が受けるかもしれぬが、目的達成の上に必ずしも賢明だと思わないので、日本は早く施政権の返還を実現したい、こういう目標のもとに精力的な協議をアメリカと続けてまいりたいと、こう思っておる次第でございます。  中共問題については、一昨年でしたか、佐藤総理がワシントンへ行かれて——共同コミュニケごらんになったでしょう——アメリカと相当中共政策について意見が違うわけです。共同コミュニケにもアメリカ考え日本考えというものを、非常に違うものをそのまま共同コミュニケに、一昨年の一月でしたか、載せてあるわけです。これなどもアメリカと違ったものを共同コミュニケに載せざるを得ない大きな考え方の違いがあるわけです。もし自主外交とおっしゃるならば、これなんかも全く自主外交一つの標本みたいな感じがいたすのでございます。  それからまた、長期ビジョンというものは、アジア・太平洋構想というものを私が言っておるわけです。このことはなぜかと言えば、やはり南北問題というものが世界の最大の課題である。人類の三分の二がやはり腹一ぱいめしも食えないでおるというような状態で世界の平和が築かれるというほど甘く私は世界情勢を見ていない。そこで、どうしても世界全般がこの南北問題というものの対象にさるべきでしょうが、日本はやはり一番関係を持っているのはアジア地域ですから、このアジア地域の南北問題、これの解決のために努力をするということがこれは平和に通ずる、大きな平和の条件をつくるやはり基礎的なことだと私は思っている。平和というものは、ただ平和平和と言って達成できるものだとは思わない。そういう意味で、アジア諸国の地域協力というものを促進していきたい、地域協力。いままでアジアのナショナリズムというものは、やはりお互いに隣り同士仲悪かったわけですから、その地域協力、日本は、東南アジア閣僚会議どもそういう機運を助長するために一つの役割りを果たしている。私は日曜日に立ってシンガポールの東南アジア閣僚会議に出席するのですが、そういう会議を通じて、みなが狭い排他的なナショナリズムからやはり協調のできるようなナショナリズム、そういうことに持っていって、地域協力を、まずアジアお互い同士に仲が悪いということになると、軍事力の面においても、非常に大きなやはり軍事力を持たざるを得ないことになって、やはり国の経済建設などの面においては力をあまりそぐことはできなくなりますから、そういう意味で、みながやはり地域協力ということが大事である。一方においてアジアに対して一番その動向に関心を持ち利害を持っているのは太平洋の先進諸国だと私は思っておるのです。これはヨーロッパよりずっと近いですから、関係が。それでアメリカ、カナダ、あるいはオーストラリア、ニュージーランド、日本、こういう太平洋の先進諸国がお互い貿易を拡大してお互い経済を発展さすこともいいが、やはり共同してアジアの開発のために尽くそうじゃないか、こういうアジア・太平洋地域における連帯感というものが生まれてこなければいけない。そういう意味で、いまアジア・太平洋の中における太平洋の先進諸国とのいろいろな連係というものは深まりつつあります。たとえば、今度はシドニーで太平洋経済委員会というものが開かれて、五カ国の経済代表者が寄って、そうして経済的にいろいろ提携し、アジアに対する援助問題も話すことになっております。この一月には、そういう学者がみな寄って五カ国の会議をしました。こういうようなことで、アジアの地域協力、太平洋先進諸国のアジアヘの共通の関心、これを助長する役割りというものを相当日本は果たしている。最後にはアジアと太平洋とが結びついて、いますぐに大きなEECのような機構というものは、これはアジアとは条件が違いますから、すぐにその大きな機構をつくり出すことはかえってアジア・太平洋における連帯を阻害しかねないような場合もありますから、いまはやはりそういう一つの下地をつくって、やがては何らかの機構が生まれて、アジア・太平洋を通じて、そうしてそういう国々がアジアの開発、アジアの発展に貢献する、こういうふうなことに日本は力を尽くすべきである。私は、日本の大きな方向として、アジア太平洋における一つの、いま言ったそういう形においてアジアの南北問題を解決する。そのために日本外交が精力を傾けることは、大きな日本外交のビジョンだと私は確信をしております。
  268. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 いまだいぶ演説しましたけれども、その前に、旗を立てて譲らない、そういう外交はいけないというふうに言われましたけれども、私は何も譲るなと言っているのじゃないわけです。やはり旗を立てて行って、そうして、ある程度いろいろ話し合った上で、この辺までは譲歩した。それなら国民は納得できると思うのです。いまの外交は旗が立ってない。アメリカに行って相談をして帰ってこられても、両三年の間にめどをつけたいというだけで、方式は白紙だ。いまなお白紙。白紙というのは、これは旗がない証拠だ。白紙の旗というものは私はないと思うのです。その点どうですか。
  269. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 沖繩は非常に複雑な側面を幾つか持っていますから、いまここで旗を立てて行け、こういうわけですが、いろいろな単純な問題じゃない。いろいろな問題、安全保障上の問題もあれば、経済もあれば、財政もあれば、行政もあって、これはやはり沖繩の施政権返還というものは相当準備しなきゃならぬですからね。これを全部旗立ててという——これは日米間で協議をしてきめなければならぬ問題もたくさんありますからね。とにかく二十三年アメリカという秩序の中にあったわけですから、これは日本の秩序に服そうというのですから、問題がたくさんある。だから、旗というのはどういう旗を立てて行けとおっしゃるのか知りませんが、旗と言っても、なかなか複雑な側面を持っていますから、だから、われわれとしては、沖繩の人々の気持ちを体して、一日も早く施政権が返還をできるように、外交は全力を傾ける。そのほうがかえって問題の解決にいいのではないか。そんな複雑な問題、なかなか旗立てても複雑な旗ですよ、この旗は。だから、そういうことを考えておる、そういうふうに申し上げておるのでございます。
  270. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 複雑だから旗立てられないというのは答弁にならないのですけれども、何もこちらは、複雑な問題がある、その問題は別にしても、とにかく返せ返せと言っているだけじゃないのです。複雑なら複雑なりに、段階的にでもこういうふうに、こういうふうにやっていくと、やはりその方式を明確に国民に示して、そうして何年のうちならば、このぐらいならば、いまの日本政府としてできそうだ、ここまでは理想だけれども、ここまではできないとか、それでアメリカに行って交渉してこうなった、私はこれでいいと思うのです。これなら国民は、少々の納得しない面があったとしても、政府の姿勢に対して疑義は持たないと思うのです。ところが、いまのお話を聞いていると、複雑だから旗を立てないで、いろいろ話をやりとりをして、まあちょっと待てとか——おそらく私はもう政府の中にはちゃんと、ある程度の計画はあるはずだ。なかったら、それこそ何もやってないと同じですから、それをある程度明らかにしても決してかまわないと私は思うのですけれども、その点いかがですか。
  271. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これは沖繩の施政権返還というものを、いままでは総理大臣が行ったりして大統領と話したことはありますよ。しかし、施政権返還の方針のもとに日米間で協議をするということは初めてです。いままでは、早く沖繩の施政権を返還してもらいたい、できるだけ日本の希望が達成できるような日が来ることを期待するというようなことが共同声明ですよ。今度はやはり条件はついてないですけれども、施政権返還のもとに政府との間に日米間で引き続いて協議をするということになっておるわけですから、だから、いままだこの問題を具体的に、日米間の話というものをそういう形においてやるのは今度が初めてですからね、したがって、旗を立てる日が私はいつかは来ると思う。それはあなたが言われるように、そのときには旗立てて、これでいくからということでいいと思いますが、まだ何もそれに対して話をしてないときに、いろいろ日本が話をせぬ前に旗立てて、この旗でいくのだというような外交交渉というものは、かえって私は結果の上において、なかなかこれを、外交交渉をうまくやっていく上において、必ずしもそういうやり方が有効だとは思わないのです。しかし、ただやみくもにということはできませんから、時期が来ればこれは政府の見解を明らかにして、国民の理解と支持を得なければ、こういう問題の解決はできぬ。こういう点については、あなたの考え方と私は何も違わない。初めから今度は話をするときに旗立てていくということについては、外交交渉としてそういうことを初めからやることが問題の処理に有益かどうかということに対して、私は疑問に思う、こう申し上げているのでございます。
  272. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 もう一言だけ確認しておきたいのですが、そうなりますと、去年の佐藤ジョンソン会談というものは、沖繩返還の方式等の話ではなしに、これから話をきめるという話をきめただけである。それからかなり年月もたっております。だから、もう政府としてはこういう用意があるという方式を、ある程度私は示されてもいいと思うのですけれども、まだ白紙白紙がずっと続いているわけです。この間も言ったわけですけれども、両三年というのがいつまでの両三年か。去年も両三年、ことしもまだここでは両三年とおっしゃっているわけですけれども、まあウイズイン・ア・フュー・イヤーズですから、どうでも二、三年ですから、一応日本の訳は。四年であってもかまわないかもわかりませんけれども、そういう点で、私は、じゃ次の段階、いつごろから返還方式を発表するとか、それから、それまではこういうふうな点で練っていくとか、そういう点で、ある程度示されてもいいと思うのです。そのことを再度お伺いします。
  273. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これは、ちょうど佐藤総理が行かれたときというのは、時期的にあまりよい時期ではなかったのです。大統領選挙の前で、そういうことでアメリカの国内事情というものもなかなかやはり、そういう憲法の規定はございませんが、慣習として、大統領選挙のときには重大な決定は行なわない。それは大統領が、自分が出てくるか出てこないか、わからぬのですからね。そういうことで、アメリカ大統領選挙も十一月に行なわれて、一月にだれがなるか、新大統領ができるわけですから、そういうことで、そのときに、ベトナム戦争というものも非常に話し合いが進展しているということになれば、沖繩問題の、沖繩施政権返還にも、私はもっと具体的に話す時期が来ると思います。そういうことで、いまおっしゃられることはわかりますよ。もっとはっきり、ウイズイン・ア・フュー・イヤーズというのじゃなしに、ナインティーン——何年何月というふうにはっきり言ったほうが、これはわかりやすいことはわかっているわけですから、これは私は時期があると思います。やはりいままでは、アメリカとの間にまず協議を始めて、そうして話を具体的に固めながら、それが実行されるめどをつけていくという、こういうプロセスがいまの段階では必要だと思っています。
  274. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 もう一度お伺いしますが、いまのお話の中で、アメリカの次の大統領がきまった時点において、政府としては沖繩返還に対して何らかの具体的方法をもって交渉をする用意がある、こう解してよろしいでしょうか。
  275. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これは、時期は別ですよ。しかし、新しい大統領が選ばれれば、新しい大統領と沖繩の施政権返還について話をしなければならぬことは当然だと思っております。
  276. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 次に、中国問題でありますが、中国の脅威ということが、この前の佐藤ジョンソン会談のいわゆる共同コミュニケでも言われておりますが、この中国の脅威というものをどのように考えておられるか。
  277. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) あのコミュニケの重点が置かれているのは、中国が核開発などやっていますから、そういうことに何か脅威を感じて、ことに東南アジア諸国というものが非常な不安に思われるというようなことのないような、もっとしっかりした体制を、しっかりした体質を東南アジアにつくり上げるということが重点であって、中共の脅威というものは、国によってみな考え方が違いますから、むしろ重点は、中共、そういうものに脅威なんかされないような、やはりしっかりした国内体制をつくるというところに、そのコミュニケの重点が置かれておると私は解釈しております。
  278. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 そうすると、軍事力だけではなしに、たとえばイデオロギーが日本へ浸透してくるとか、そういうようなことも含めた上の解釈でしょうか。
  279. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 日本中共が脅威だとは、われわれは考えていないわけです。しかし、東南アジア諸国の中には、非常にやはり中共のこのごろの行き方に対して不安を感じておる国があることは事実でしょう。だから、国によってみな違うし、国の発展段階によって、共産主義の対策もみな違う。一律の処方せんはないんです。国がいろいろな点に、どういう点に重点を置くかということは、一国のいろいろな事情、一国の発展段階によって、共産主義に対する一つの対策は違ってくる。全部普遍的に適用できることは、そうい対策というものはないと私は思っております。
  280. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 いま日本感じないと言われましたけれども、そう解してよろしいですか。
  281. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 中共が現在のところいろいろ核開発をしておると言いましても、中共に対する脅威は私は感じていない。
  282. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 軍事的な面から防衛庁長官、いまの問題についてどう考えられているか。
  283. 増田甲子七

    国務大臣増田甲子七君) 佐藤ジョンソン・コミュニケには、中国核兵器を開発していることに注意を喚起し、しこうして、中国の脅威を東南アジア諸国感じないような環境をつくることについて協力することを同意したと、こういうことでございまして、いま外務大臣のおっしゃっているとおり、東南アジア諸国も、中国の開発しつつある核兵器というのでございませんで、中国のとりつつある非妥協的な態度についての脅威、こういうものから免れるような環境をつくることに、大統領佐藤総理が同意したと、こういうことでございまして、結論的には、日本も米国も共同いたしまして、中国はもちろん国際社会の一員ということになる場合が近い将来に設定されますから、そういう場合には非妥協的態度をとらないように、こういうふうに考えているのが、佐藤ジョンソンであろうと思います。また、ジョンソンの後継者も必ずそういうことを考えると私は思います。  それから中国核兵器の開発につきまして日本は脅威を感ずるかどうか。全然脅威を感じないというわけではございませんが、米国の強大なる核抑止力に依存いたしておる日本といたしましては、脅威といったほどのものは感じない、こういうことは明らかにし得ると思います。
  284. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 では核の脅威もそんなに感じない。で、そのほかの脅威はもちろん感じないと解せると思いますけれども、それならば、中国に対して、いまの話を聞いておりますと、やはり将来アメリカ中国がいまのような関係ではない状態が来るかもしれない、そのときに中国は非妥協的な態度をとらないことを望むと、こういうことだと思いますけれども、私は、そこのかけ橋といいますか、そこを日本中国問題に対して積極的にやっていく必要を十分感ずるわけですけれども、その点は外務大臣いかがですか。
  285. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) まあ、かけ橋とみな言って、それは確かに日本の役割りとして考えられましょうが、かけ橋になろうとすれば、やはり日本もかけ橋になれるような一つの条件というものを整える必要がある、アメリカも理解し、中国も理解して。ただこちらがかけ橋になるということだけでは、かけ橋の役割りは達成できませんから、いまはかけ橋になれるような条件を達成するということが大事だと思います。そういうことであれば、これは日本として将来、米中関係の改善に大いに日本が役立つような日もあると思いますが、ただかけ橋になるというのではなくて、日本がなれるような条件を整えるということが私は大事だと思います。
  286. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 じゃあ、そのかけ橋になるということは、まあ外務大臣も賛成だと思うのですけれども、じゃあ、その条件というものはどういうものを考えておられますか。
  287. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) やはりアメリカとの関係、これは非常に理解が深まっておるわけでありますが、中国との関係というものは必ずしもお互いに理解が深まっておるとは言えない。だから、お互い日中関係というものは私は内政を干渉しない、お互いの。この両方の国がやっぱり内政干渉しないという原則のもとに今後接触を深めていくという心がけが両方に私は大事だと思います。そうでないと、内政に干渉しないで、お互いのいろいろな立場が、お互い政府立場があるのですから、それを尊重しながらやっていくということで、両方がそういう点の一つ日中関係のプリンシプルというものが確立をするならば、非常に接触面というものは深まってくると思います。そうして日本中国との理解も深まってき、また、もう少しやっぱり日中関係というものが、むろん、できる範囲とできない範囲とありますけれども、できる範囲内で、もう少しやっぱり何といいますか、秩序というものができる、そういう形になってくれば、これはやはり日本が米中関係についていろいろ果たし得る役割りも出てくる、そういう点に、私はいまの条件というものをそういうふうに見ておるのでございます。
  288. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 中国日本の間の理解でまだまだ足りない面があると、私はその一つがやはり国連加盟の問題が一つと、もう一つは、日本と台湾との間の日華条約、また、国連の、国連軍が朝鮮に行ったそのときの決議に日本が賛成していると、そういうような問題がいろいろやはり国際——それを舞台とした上での日本のとってきた態度というものが大きな影響の一つではないかと、こう思うのですが、その点はいかがですか。
  289. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 三つの点をおあげになったわけです。朝鮮のときは、やはり中共が韓国に入ってきたことは事実であります。そこでやっぱり国連の決議になったわけでありますから、そのことは日本ばかりじゃなしに、国連の決議という形で朝鮮の平和秩序というものの回復をはかろうとしたわけでありますから、これが日中関係を阻害しておるとは私は思いません。  また、日本と台湾との関係でありますが、これには日華条約を結んでおるわけであります。しかし、この台湾の問題というものは、これは一面、国際問題であると同時に国内問題であって、中国を二つに分けるということは、日本がそういうことをしたのではないわけであります。現実にこう違った政府が二つあることは事実であります。しかし、二つの中国をつくろうとか、つくらぬとか、そういうふうなことに対して日本が責任を持つ地位にはないわけです。これはやはりこの大きな問題が平和的に解決されることを望んでおるので、このことが日中関係を阻害するとは私は思わない。  また、国連の問題にしても、御承知のように、国連というものはたいてい三分の二なんですよ、国連の決議は。もう過半数という決議はほとんどないんですよ。三分の二ですから、中国問題という中国の代表権は、いまおるこの国民政府の代表を今度は追放して、それで中共の代表者がかわるというのですから、かなりやっぱりちょっとした問題でも、過半数ではない三分の二というのが国連決議の一つの形態であるのに、これだけの大きな問題はやはり国連の重要問題として三分の二の議決を必要とするということに賛成をしておるので、日本中共を国連から締め出すためにこの決議に賛成をしておるのではない。これはきわめて重要な問題であることは、これはもうお考えになってもわかる。だから、これは重要事項として三分の二の決議を必要とする、過半数すれすれでこの問題を決すべくあまりに重大な問題であるという立場に立って、日本は国連の決議に参加しておる、重要事項の指定方式と言われるものに参加しておるので、このことが中国から非常に日本が恨みを買うというような私は原因ではないと、いろいろもしそういうものがあるとするならば、われわれの一つの説明の足らない点があると思います。日本中共から非常に日本の背信行為として非難を受けるような性質のものではないと、御指摘の三点についてそう考えておる次第でございます。
  290. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 それでは、外務大臣中国日本の国交回復の一番の障害、この点を解消していくならば、まだまだいまよりもっと開けるとお考えになっておるかどうか。
  291. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) いろんな日中間の障害を一つ一つ取り除くことができれば、日中関係というものはもっと改善されることは、御指摘のとおりであります。
  292. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 どんな障害ですか。
  293. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) たとえば台湾の問題も、これは大きなやっぱり問題点の一つであります。まあ一番大きな問題点は、やっぱり台湾問題だと私は思います。こういう問題は、これはやはり中共自身でもこれは簡単には、短期間には解決することはできぬ、やはり時間をかけなければならぬと中共自身も言っております。何ぶんにも、国民政府一つ中国ですから、また、中共一つ中国ということで、こんなに考え方が違っておりますから、その解決というものはやはり時間がかかる。やはり国際問題というものは、解決が困難な問題は時間をかけるということが必要で、困難な問題を一刀両断のもとに解決しようということは、解決もできやしませんし、することに対して非常なやはり弊害も起こるので、やはり時間をある程度かけざるを得ない。こういう障害が除かれてくれば、日中関係というものは非常な前進が見られるであろうと考えております。
  294. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 私、いまのお話を聞きまして、少し矛盾を感ずるんですけれども、というのは、要するに、日華条約というものも中国との友好の妨げにならない、こういうふうに言われましたし、それから、いまの、ではどういう障害かと聞かれると、台湾の問題だと。これはもちろん向こうの問題だと思いますけれども、実際直接いま日本中国貿易においてもあれぐらい難航しているわけですし、やはりその一つの障害を取る、その障害は台湾であるとしたら、やはり台湾と日本の間の条約の関係というものを中国はどう評価しているか、どう見ているかと、やはりこういう点も分析はされており、議論はされておる問題でありますけれども、やはりこれをどうするかということも考えなければいけないと思いますけれども、いまの二つの答弁でちょっと矛盾を感ずるのでお伺いしたいと思います。
  295. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) それは御指摘の点が障害になっていることは事実ですよ。しかし、それが、日本がそういうふうにしたのだと言って日本に責任を負わすということは当たらない、こういうことを申しておるので、障害になっておる、なっておるけれども、そのそういう事態というものに対して、日本がそういう事態をみずから招いたのではなくして、もしそういうことがあるとするならば、そういうふうな一つの、朝鮮問題にしても、国連問題にしても、台湾問題にしても、いま言ったような事実がこういう問題を、こういう態度を日本がとったので、特に中共というものに対して、意識して中共に敵対するがゆえにそういう態度をとったのではない、だから障害にはなっておるけれども、それを日本の責任だとするのは当たらないと申し上げておるのでございます。
  296. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 その日華条約の中にある、そのいわゆる大陸反攻と言われておる条文ですね、「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域に適用がある旨のわれわれの間で達した了解」、まあ、これが大陸反攻ということに言われておるわけですけれども、この点をどうお考えになりますか。
  297. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) これはもう全然大陸反攻などということと無関係で、日本は大陸反攻などを支持したこともございませんし、ただ単純にそういうことを、支配権の及ぶ範囲ということを言っておるだけのことであって、それを少し用心深く言っているのでしょう。しかし、これが大陸反攻と関連があったり、日本が大陸反攻を支持するというようなことは、これは絶対にそういうことはございません。
  298. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 では、そのことは中共もそういうふうに了解しておると考えておりますか。
  299. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) 中共日本が大陸反攻を支持しておるとは私は思っていないと思います。そういうことは日本が支持して、これを、大陸反攻を台湾に対して日本がこうしっかりやるようにというような、激励しておるような立場ではないということを中共も——中共と言ったって、なかなか中共も賢明な面がありますからね、世界情勢の分析に対しては、なかなかやっぱり賢明な点もありますから、そういうことは中共が信じておるとは私は思いません。
  300. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 では、まあ中国問題は時間をかけなきゃならぬと大臣言われましたけれども、それは確かにそうだと思いますが、やはりただそれで待っておるというのか、その点が私はさっきから言っておるその自主外交にならないという一つ理由でもあるわけですよ。まあ貿易もやっていくと、文化交流もしていくと、それもけっこうですけれども、まだまださらにできる面がある。特に国連加盟の問題についても、できないからじゃあ主張しないというのではなしに、やはりできるように努力をする点では、もっと主張する点がまだ私は日本政府としてあると、そうして中国との間にまだまだ理解を深めていくと、いま言われたように、中国はなかなか状況分析が非常にうまいと言われるなら、日本政府もこれに負けないような状況分析をやってもらいたい。アメリカ中国政策はどう変わるか、毛沢東政権が今後どうなっていくか、毛沢東の死後はどうなるかというような、やはりそういう問題の分析もかなりされておると思いますけれども、その点の大臣の見解をお伺いしたい。
  301. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) なかなかこういう席で毛沢東の生命などを申し上げることは私も適当でもないし、よくわかりません。長生きされることを望むものでございます。ただ、しかし、これはいきなりですね、この中国問題というのは、いま言われたように、可能性があったら接触面を広げていったらいいと思うのですよ。どういう点で、むろんできないことをやろうということじゃだめですが、できる範囲内で日中間の接触を広められるものがあったら、私はだんだん広めて、深めていったらいいと考えておりますから、そういう問題はひとつ今後とも絶えずわれわれとして検討をしなければならない。しかし、この複雑な問題を一気に解決しようということは、あんまりそういう焦燥感というものは——私は、外交というのはある程度の安定感が要ると思っているのです、外交には。あんまりこういろいろな世界の変化に、即応もしなけりゃならぬけれども、あんまりこう即応し過ぎて右から左へ変わっていく外交というものも、かえってやっぱり信頼性を失うのではないか。だから、やはりあんまり焦燥感というのでなくして、中共問題というのは大事ですから、もっとこう、きわものというのでなしに、じっくり取り組んで、日中関係を改善できる余地があったならば、少しでも改善していこうという努力を私はしたいと思っております。
  302. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 では、次の問題に移りますが、この間この委員会で、まあベトナムがもし和平に向かう場合、一つの方法として、まあ総理は人道的な面と言われましたので、病院船でも出してはどうかということを申し上げましたら、船がない、しかしアイデアはいいと言われたのですけれども、医療援助の問題ですけれども、やはり私は、北に対してもやる方法がある、その病院船を赤十字に頼むとか、そういう方法があると思うのですが、いままでは南しかやってないわけですけれども、この点いかがですか。
  303. 三木武夫

    国務大臣三木武夫君) このベトナム戦争というものが片づいてきますと、まあ、いま話し合いが始まって。そうすればインドシナ半島における様相も非常に変わってくると私は思います。いまはどうしてもやっぱり国交回復がないでしょう、北ベトナムには。どうしても不自然になりますから、したがって、早くベトナムが平和的に解決をされて、そうして日本も北に対しても、いろいろな点で協力できるような状態をつくり出すことが私は必要で、いまのような状態のもとでは、やろうとしてもいろいろの障害があるというふうに、率直に感ずるわけでございます。
  304. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 これは昔のことでありますけれども昭和四十一年の三月に、南ベトナム政府に対して医療援助をやっておりますけれども、このときの経過についてお伺いしたいと思うのです。
  305. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) 矢追君の質疑の途中ですが、午後二時四十五分再開することとし、これにて休憩いたします。    午後一時四十四分休憩      —————・—————    午後二時五十八分開会
  306. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 予算委員会を再開いたします。  午前に引き続きまして矢追君の質疑を続行いたします。矢追君。
  307. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 ベトナム医療援助について質問いたします。  最初に、三十九年度にもベトナムに対して医療援助が行なわれましたが、このときの要請の内容、この結果、日本政府はその要請に十分こたえることができたと、こう確信をされておるかどうか。
  308. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) お答えいたします。  三十九年度の援助が総額約百五十万ドルでございまして、その内訳は医薬品その他となっておりますが、これは医療団の派遣約二千七百万円、医療器械、医薬品その他約三億八千万円、衛生器具、救急箱約九千万円、救急車二千七百万円、プレハブハウス三千九百万円、トランジスタラジオ四千九百万円、大体こういう品種でございまして、いずれも難民救援のために有効に使われたものと確信しております。
  309. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 次に、四十一年度にもベトナム難民救済援助が行なわれましたが、このときの経過について説明をしてください。
  310. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) ただいま御指摘の点は、四十年度、一昨年の三月でございます。四十年度のものであろうと思いますが、さようでございますか。——これは当時、依然として難民が非常に悲惨な状況になっておりまして、ベトナム政府から難民援助のために緊急の援助をしてもらいたいという要請があったものでございます。これに応じまして、日本政府といたしまして約七千二百万円の金額にのぼります繊維——衣料用の綿布でございます、毛布、それから薬品、これを社団法人ベトナム協会に調達、送付等の実務を依頼いたしまして、これに補助いたしまして、ベトナム政府の難民救済に協力したものでございます。
  311. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 社団法人ベトナム協会に委託された理由ベトナム協会の事業実績、これをお伺いしておきたい。
  312. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) この援助は、緊急の援助を求められましたので、緊急に処理する必要があったわけでございますが、調達、送付等の実務につきましては、私ども政府が直接やりますよりも、ベトナム事情に通じておりますベトナム協会にやらせたほうが迅速かつ有効に実施されるという考えから、これに補助を行ないまして実施したものでございます。ベトナム協会は、ベトナムとの親善友好を深め、両国の交流を行ない、またベトナム事情の調査をする、こういう社団法人でございます。
  313. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 四十年度の実績がわかればお教え願いたいんですが、さらに四十一年度の事業実績もあわせて。
  314. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) ただいま申し上げましたのが四十年度の緊急援助でございます。四十一年度は、医療協力といたしまして予算に計上していただきまして、約一億八千万ドルの医療援助——これは医者の医療のほうでございます。病院の拡充、器材の拡充、そういうものに援助を行なっております。
  315. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 いまの四十一年度の一億八千万ドルというのは、四十年度と同じ形式のものですか。
  316. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 四十年度のものは、緊急援助といたしまして、ただいま申しましたような着物用の衣料、毛布、薬品、これは直ちに難民のために配給されて使用されたものでございます。四十一年度の医療は、先ほど申しましたように、病院の施設、器材その他に対する援助でございまして、直接に消費されたと申しますよりも病院を拡充いたしまして、難民及び民生の安定に寄与しているものでございます。
  317. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 やはり四十一年度の一億八千万ドルも予備費から出たんですか。
  318. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 予算に計上していただいたものでございます。
  319. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 このベトナム協会を選ばれた理由ですが、さきに聞きました三十九年度の援助の場合は、東南アジア文化友好協会にきめられたわけですが、それがどうしてベトナム協会のほうに変わったのですか。
  320. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 御指摘のとおり、三十九年度は東南アジア友好協会に補助したわけであります。東南アジア友好協会は、東南アジア各国との一般的な親善友好を目的とした団体でございました。したがいまして、当時まだベトナム協会がございませんでしたので、この団体に委嘱したわけでございます。その後ベトナム専門と申してはおかしいのでございますが、ベトナムとの直接の友好親善をはかる団体ができましたために、ベトナムに対する援助でございますので、ベトナム協会に委嘱したわけでございます。
  321. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 この緊急援助の閣議決定はいつですか。
  322. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 四十一年の三月一日でございます。
  323. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 このベトナム協会が委託を受けたのは、そのあとの二日後の三月二日でありますが、二日間でこのベトナム協会が最適であると、そういうふうにきめられたと思うのですが、二日間で検討がなされて、十分できたかどうか、あるいは前々からこのベトナム協会に対して相当の実績を政府として認めておったから、わずか二日でもここにきめることができたのか、その辺の経過をお伺いしたい。
  324. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 閣議の決定をいただきましたのは三月一日でございますが、ベトナム政府からの要請は一月中ごろに来ております。それ以来私どもといたしましては、援助の検討をしていたわけであります。その間におきまして適当な団体としてベトナム協会を考えておったわけであります。したがいまして、正式に閣議決定をいただきましてから委嘱いたしましたまでには、御指摘のとおりきわめて短時間でございます。その以前において調査をしておったのであります。
  325. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 このとき日赤には働きかけたのかどうか。
  326. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 日本赤十字社にも本件について打診いたしました。日本赤十字社といたしましては、政府の意図はわかるけれども、分裂国家であります関係上、赤十字の中立性を維持したいということで、本件については辞退したいという意向が参ったので、それは取りやめたわけであります。
  327. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 補助金の交付決定についてお伺いしたい。
  328. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 三月一日分閣議の決定に基づきまして、社団法人ベトナム協会に対しまして、先ほど申しました綿布五千九百七十九万六千円、毛布四百八十六万円、家庭用医薬七百十三万四千円、事務費といたしまして二十四万四千円、計七千二百三万四千円を交付することに決定されたわけでございます。
  329. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 このベトナム協会に依頼されたことに話は戻りますが、この三十九年度の東南アジア文化友好協会のこの五億三千万円の医療援助については、公明党の二宮議員が決算委員会で、そのやり方のずさんさを追及をいたしまして、非常に問題になったわけであります。そういう点でやめられたのか。先ほどの御答弁では、ベトナムについてはこちらのほうが専門だからと、こういうお話でありましたが、それではこのベトナム協会がベトナムについては、東南アジア友好協会よりもさらに実績を持っておると、そういう証拠があるのかどうか。
  330. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) ベトナム協会は先ほど申しましたとおり、ベトナム国及びベトナム国民との友好親善を高める、お互いに理解し合うという目的でできておりますので、こういう援助その他の仕事というものは、従来やっておりません。こういう仕事につきましては、もちろんこの件が初めてでございます。
  331. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 このベトナム協会の役員及び所在地をお伺いしたいと思います。
  332. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 役員は、会長一萬田尚登、副会長長谷川峻、保科善四郎、大谷贇雄、鹿島守之助、植村甲午郎、野田卯一、久保田貫一郎、専務理事眞山寛二、常務理事岩田喜雄、吉江勝保、久保田豊、秋田大助、千賀鉄也、前田正男、以上でございます。
  333. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 所在地。
  334. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 東京都港区赤坂新坂町アジア会館内でございます。
  335. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 この役員の名簿を見ましても、非常に国会議員とか、有名なお方が名前を連ねておられますが、実際そのベトナム協会の実績というものがはたしてどのようなものであるか、その前の東南アジア文化友好協会の場合も理事長は石井光次郎衆議院議員でありまして、非常にこの援助について疑惑が起こったわけでありますけれども、ほんとうに今回の、このいま問題にしておりますベトナム協会の事務所がいまアジア会館と言われましたけれども、これは現在でもそこにあるのかどうか。お伺いしておきたいと思います。
  336. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 先ほど申しましたとおり、この友好親善を主とする団体でございますので、特に事業を行なうというのは主たる目的でないわけであります。たとえば人の交流とか、そういうような点に一応主力を注いでおります団体でございます。事務所は現在も先ほど申し上げました所にあるわけでございます。
  337. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 そのいま事務所で十分な活動が、いま言われた人間交流とかそういうことが行なわれておるかどうか。
  338. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) これはただいま申し上げましたようなことが主たる活動の状態でございますので、特に多くの事務スタッフを必要とするわけではございません。これはベトナム協会のみならず、一般の各国との友好協会は大体事務スタッフは少なくて、役員及び会員の活動に待っておるわけでございますので、先ほど申しました目的のためにはベトナム協会は有効に働いているというふうに考えております。
  339. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 いま言われたそのアジア会館の事務所が十分使われているかどうか。
  340. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) ベトナム協会の事務所はそこにあるわけでございます。有効に使われるとおっしゃいますのは、会合その他にはあるいは使われておらないかもしれませんが、定款上の事務所として、依然として先ほど申しました所に事務所を置いております。
  341. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 実際は、この事務所というのは名前だけかけてありまして、外部からはこの事務所があることもわからないし、一番奥の所でございますし、かぎがかけられて、全然最近では使われていない。実質的な事務所というのはここにはないわけです。電話をかけましても、電話してくれというところは衆議院の第一会館の政策審議室のこの中にあるわけです。こういう点がいいのかどうか。規約には連絡所、支部を置くことができると書いてありますので、この中に持ってきてあると思うのですけれども、こういうふうなあり方で十分なことが行なわれるかどうか。お伺いしておきます。
  342. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 事務局の担当者が他の職務を持っているためにそういうことになっているのだろうと思いますが、先ほど申しましたとおり、こういう協会は毎日事務をとると言いますよりも、いろいろ交流の機会があったときに活躍する団体でございますので、特に常時人がいないということもこれはあり得ることであろうと考えます。
  343. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 実際四十一年度を見ましても、行なわれたことは、いま言われたように毎日のことではないかもしれません。一つは、ベトナム人私費研修員五名の研修先あっせん、それからベトナム人国費留学生の世話及び在日ベトナム人留学生団体との交流、三番目がインスタント・コーヒー協会派遣コーヒー園栽培開発調査団に対する助言、あっせん、これだけしかやっていないわけです。なぜこういうことを言うかといいますと、前の三十九年度のベトナムの医療援助のときも全く同じケースであったわけです。というのは、事務所は、すみれ幼稚園の一室が事務所で、机だけしか置いていない。そうして巨額の何億というお金がそれを介して動いておる。そうして品物が買われ、ベトナムに医療品が送られていった。今回金額は七千二百万と非常に少ないわけでありますけれども、それでも大金といえば大金です。これがいま事務所が、もういまほったらかしになっている。それだけで終わりなんです。だから結局このためにつくられた協会で、それが終われば、あとほとんど事業らしいものはやっていない。こういうふうに言わざるを得ない状態なんです。この点どうですか。
  344. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 先ほど申しましたとおり、この種の事業というものは、むしろベトナム協会、あるいは他の地域の協会にいたしましても珍しいわけでございまして、一般的にはベトナム事情の調査あるいはベトナムから人が参りましたときの懇談というようなことを主にしておるわけでございまして、先ほど申し上げました役員の方々は、依然としてベトナム問題につきましては熱心な御研究をしておられることは私も承知しておるところでございます。こういう事業がないからと申しまして、ベトナム協会はなくなったも同じだというわけではないと思います。ベトナム事情の調査その他はいつでも依然として続行しておられるわけでございます。
  345. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 それで要請があったのは先ほど一月だと言われましたが、このベトナム協会の設立申請が四十年の十月十五日、許可がおりたのが十一月の二十六日。それで、一月のベトナムからの要請で外務省としては久しく検討して、三月の閣議決定で直ちに二日後にこの協会にこの品物の依頼をしている。さっき実績があるとおっしゃいましたけれども、わずか五カ月ぐらいで、こういうベトナムとのいろんな交流とか、そういうことがほんとうに実績があがって、もうここが一番いい団体、医療援助をやらせるには向いている、こう判定するのは、ちょっと私は疑義を感ずるのですが、いかがでしょう。
  346. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 先ほど申しましたとおり、一月の十二日に要請を受けまして、三月の一日の閣議決定までの間に事務当局といたしましていろいろ研究したわけでございます。ベトナム協会ができましたのは御指摘のとおりその前の年の十一月であったと思いますけれども、先ほど申しましたとおり、ベトナムに関する専門的な協会というものは初めてそのときできましたわけでございまして、その意味ベトナムに対する援助の依頼を行なうのは適当であると判断したわけでございます。
  347. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 さっき実績があると言われましたから聞いたわけです。それじゃベトナムのことを専門にやるのは初めてできた、だから最初やらしてみようと、それはいいかと思いますけれども、そのあとの実績というのは、いま言った四十一年は三つしかやっておりませんし、四十二年もほんとうにこの報告書から見ますと、お粗末なベトナム協会であるわけです。こういうのが難民救済という非常に大事な仕事をするわけです。その前に日赤に断わられたからと言って、すぐにこっちへ持ってきたわけですけれども、何かこの援助をするためにつくられた。まああと一応できたから何か細々とやっておる。この前の東南アジア友好協会も同じケースだと、確かこの前は領収書もなかったし、向こうの政府に着いたか着かないかわからない。極端にいえば五億円が消えてしまったような形でありました。今度はちゃんと領収書もおとりになっておりますし、その点では非常に進歩されておると思うのですけれども、相変わらずこういう大事な——人命尊重の上からいえば非常に大事な問題、それをこういうふうな形でやられるこの姿勢ですね、これを私はまあ疑惑を感ぜざるを得ないわけです。しかも、その内容はどうか、これからお伺いするのですが、これも考え合わすと、よけいおかしいものだと私は思うのですけれども、では次にこの内容ですね、送られた品目の内容で特に医薬品について伺いたいのです。
  348. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) これはベトナム側から援助の要請のありましたリストがございますが、その中に綿布、毛布とともに医薬品もほしいということを言ってきておったわけでございます。そこで、先方とも相談いたしまして、綿布、毛布のほかに医薬品を加えたわけでございまして、特に特別の理由があるわけではございません。
  349. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 その薬の内容を言っていただきたい。
  350. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) これは主として家庭薬でございまして、品目はたくさんございますが、一々申し上げますか。
  351. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 大まかに。
  352. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) ベルベリン製剤、キノホルム製剤、阿仙製剤、マーキュロ製剤、メンタム製剤、抗菌製剤、目薬製剤。
  353. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 こういう品目を決定されたのは、どこで決定をされたのですか。
  354. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) ベトナム側と打ち合わせてきめたわけでございます。今回家庭薬が主となっておりますのは、その前年の医療援助におきまして専門薬が相当行っておりました。これが専門の病院その他に配付されたわけでございますが、ベトナムの末端に参りますと病院の設備もございませんので、すぐ使えるような薬というような趣旨から、今回は各部落の救急所とか、そういうところですぐ使えるようなという趣旨から、家庭薬を主として選んだわけでございます。
  355. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 これは実際向こうへ行かれたお医者さんたちからいろいろ聞いたのですけれども、いま、その前の年にかなりそういういい薬が行っているから今回は家庭薬と言われましたけれども、実際はマラリアとか結核患者が非常に多いわけですから、やはりストマイとかパスとか、そういう抗生物質を中心にしたほうが向こうの希望が多いと思うのですが、そういう意見が出たけれども、今回は、これはほんとうかどうか確認はしておりませんけれども、富山の薬など家庭薬という品目で大蔵、厚生両者からの了解をとっているので変更できないと、こういうふうに言われて、医師の意見は取り上げられなかったと、こういうふうなことも聞いておりますし、また代議士たちがいろいろ次々と自分の県から買ってくれとか、そういうふうな話も聞いておる。こういうふうに担当しているお医者さん自身は非常にこの薬の内容についても憤慨をしておられるわけですが、この点はそういう現地担当の医師から十分意見を聞いて、その上でこの医薬品の品目をきめられたのかどうか。しかも、この内容は、最近の薬じゃないのです。もちろん売薬が悪いとは言いませんけれども、あまり上等な薬じゃないと思うのですけれども、どうでしょう。
  356. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 先ほど申しましたように、専門薬は病院その他で使われるわけでございますので、その後の先ほど申しました病院援助その他には携行資材として専門薬が行っております。今回この会において家庭薬が選ばれましたのは、先ほど申し上げましたような理由でございまして、御指摘のようなことは私ども承知しておりません。
  357. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 時間がないので簡単に聞きますが、このベトナム協会の手数料、マージン、これはどの程度見込まれているのか、詳しく教えてください。
  358. 小川平四郎

    政府委員小川平四郎君) 二十四万三千七百五十四円でございますが、これはこの計画の樹立、物資の調達、梱包その他の監督をいたしまして、実際に物を買ってから送り出すまでの事務経費を実費で計上したものでございます。
  359. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 時間がありませんので、あとは外務大臣が来られてから大きな問題でお聞きしたいと思いますけれども経済企画庁長官が幸いお見えになっておりますので、一言お聞きしたいんですが、この経済援助ですが、要するに日本経済成長とこの経済援助の関係はどうあるべきが一番妥当であるか、これが一つ。  それから、いまベトナムの情勢が非常に変わりまして、今後和平が実現する方向にいった場合、ベトナム特需というものがある程度問題になると思います。これは通産大臣にも重ねて一緒にお答え願いたいと思いますが、日本の直接の特需もそうでありますけれども日本以外の国で、たとえばフィリピンであるとかマレーシアとか、いろいろな東南アジアの諸国が、ベトナム戦争による特需で非常にいま助かっておる国がありますけれども、もしその辺がだめになってきた場合、それと日本との関係、この点がどうなるのか、この点もあわせてお答え願いたいと思います。
  360. 宮澤喜一

    国務大臣宮澤喜一君) わが国の経済協力は、他国に比べまして、経済成長が高うございますために、毎年かなり実額としては伸びておりまして、前年に比べましておのおの一九六四年で九%、六五年には六七%、六六年には一一%、六七年は推定で二四%ほど伸びております。まあ御承知のように、UNCTADなどでは国民所得の一%ということに、今度そういうことを目標にするということを御議論になったわけでありますが、その際わが国としては、国民所得に対する比率もさることながら、前年の実績に対しての伸び率、伸び方でございますか、そのこともやはり評価してもらっていいのではないかということをわがほうの代表が演説をしておるようなわけでありまして、このことは、わが国のように経済成長の高い国では、実際額が相当伸びましても、国民総生産あるいは国民所得に対する割合というものは伸びない、時によっては減ったりし得るわけでございますから、わが国としては当然そういう主張をしてもよろしいと思っておるわけでございます。それで、まあ経済協力は相手方のためによかれと思ってやることではありますが、同時にわが国の貿易も結果としては伸ばすことになる効果が相当にございますので、なかなか国民所得の一%という目標は急には無理でございますけれども、まあ戦争をしないというわが国の国是からして、平和に貢献する方法としては成長に従ってこれをやっていくべきだというふうに考えております。  それから、ベトナム特需の問題でございますが、事態がわれわれの望んでおります方向に向かうといたしましても、完全に平静化するのには相当の時間がかかると思いますので、プラスの要因、マイナスの要因、相当時間がかかって展開するということは当然御了承いただけると思いますが、そこでまず直接特需と言われておりますものは今日大体年間五億ドルほどでございます。昭和四十年の十一月ごろからふえまして、毎月四千万ドルぐらいのベースでございます。そこで、この五億ドルというものは直接特需でございますが、ただ、戦争が激しくなります前にも大体毎年三億ドルほどのいわゆる特需がございましたから、この五億ドルのうち二億ドル程度がベトナム戦争に直接関係のある異常な部分であるというふうに判断をいたしております。で、兵員が一時にみんな帰ってしまうわけでもございますまいかと思いますので、いっときにこれがなくなるとは思いませんが、いずれにしてもこれは戦争というものに直接関係のある部分でございます。二億ドル程度でございます。  これから、御指摘になりました次の問題は間接特需でありますが、その中で、アメリカ戦争を遂行するために各国からの輸入がふえたと、わが国からの輸入もふえたという部分は、アメリカとの関係では間接特需になるかと思いますが、大体ベトナム戦争遂行のためにアメリカが生じておる赤字が十五億ドルないし二十億ドルというふうに言われております。そこで、これが間接的に世界各国の黒字になっておるわけでありますから、わが国がそのうちどのくらいであろうかということを推定するとすれば、アメリカの輸入における日本のシェアが大体一〇%でございます。それを掛けてみますと、一億五千万とか二億とかいうものがアメリカとの関連における間接特需ではないだろうか、こう考えます。しかし、これはアメリカ自身ベトナム戦争が終わりますと、大体一年半ぐらいの間にほぼ百五十億ドル軍費が減ると、そのかわりに三百億ドルぐらいのいわゆるグレート・ソサイエティーといわれておるような購買力の造出をやるということをことしの一月に議会に報告しておりますので、おそらくはアメリカ経済の現在の手一ぱいの様子から見まして、ベトナム戦争が終了いたしましても、わが国のアメリカに対する輸出、ことにいま申したような点でございますが、直接に私は影響を受けることはおそらくないのではなかろうかと思っております。  それから、最後に、ベトナム周辺の各国に対して現在戦争のゆえにわが国からどのくらい輸出がふえておるかというのが最後の点になると思いますが、これはもう非常に推定が困難でございます。ただ、申し上げられると思いますのは、これらの数カ国が戦争が激しくなりましてから二年半ほどの間に外貨準備がほぼ十億ドル増加いたしております。そしてその中に、あるものは、たとえば朝鮮戦争の結果わが国の経済が伸びたと申しますけれども、似たような意味で、この外貨保有の増大に伴って経済的には自立に向っていわば離陸をする、テイクオフをするような段階にあるように見受けられますので、したがって、ベトナム戦争が終結いたしましても、これらの国との関係でわが国の輸出が急に大きく減る——何がしかの影響はあろうかと思いますが、急に大きく減るということではなくって、多少、長い時間の間にはむしろふえていく、そういうふうに考えるべきではないだろうか。ことに平和建設が行なわれるといたしますと、一そうそうではなかろうか。概括してそのような影響があると思います。
  361. 椎名悦三郎

    国務大臣椎名悦三郎君) 経済企画庁長官からきわめて詳細な答弁がございましたので、もう私が申し上げることはほとんど残されておりません。ただ、朝鮮戦争のときには日本の全体の輸出が十二億足らず、それに七、八億のプラスがあったわけでございますから、六〇%以上の恩恵に浴したわけでございます。今度は、輸出総額で百億ドルこしておるという状況でございます。直接の特需が五億程度ということになりますと、全体の輸出に対するパーセンテージは五%にすぎないのでございます。それからまた、特需の内容も、軍の直接使うのもいわば平和建設に使う物資が多い、ほとんど全部でございます。御承知のとおり武器、弾薬は、これは輸出しておりません。それから、三億ドル以上の軍人、軍属の家族等の民需物資は、いわばラジオだとかカメラだとかそういったようなものが多いわけでありまして、戦争が終結してもすぐにこれらの人たちが一斉に引き揚げるということはないということになると、特需の内容は変わらない。こういうことでございますから、あえて朝鮮戦争の場合と比較する必要はもちろんございませんけれども、ああいうものとは非常な違いがあることを御了承願いたいと思います。
  362. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) それでは、矢追君の質疑時間四分を残しまして、次に移ります。     —————————————
  363. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 柳岡秋夫君。  先ほど柳岡君のお名前を秀夫君と呼んだそうでございまして、訂正いたします。柳岡秋夫君。
  364. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 最初に、災害対策について伺いたいわけですが、末端のタンカーが着岸の際に火災を起こしたとした場合に、千葉県の市原市の石油コンビナート付近の場合にはどういう結果が起こるか、自治省並びに運輸省。
  365. 赤澤正道

    国務大臣赤澤正道君) 最近、タンカーが非常に大型化いたしました。小型タンカーでありました場合には対策もありまするけれども、最近のように二十万トンのタンカー、またこの間進水いたしました二十七万トンのタンカーなどということになりますと、実はいろいろの対策を研究いたしておりまするけれども、なかなか現在の状態では手が届かぬような状態でございまして、場合によっては、東京湾内に進入するということにつきまして、そういうことを許していいかどうかという根本的な問題もあります。が、しかし、千葉の海岸のことをお取り上げでございますが、現在では、そういう大型タンカーの対策ということよりは、始終接岸をいたします接岸のときの事故で火災を起こす場合が一番多いわけでございますので、そのためには昨年度から消防艇の補助の道も開きまして、明年度はその増額もいたすわけでございますが、それぞれそういうタンカーが寄ります市町村には消防艇などを院備いたしまして、また海上保安庁との間には協定も結びまして、大体どこまでは主として陸上の消防が担当する、また沖合い停泊、また領海外などの場合は海上保安庁というふうな、それぞれ任務分担をいたしまして、近代科学の消防の知恵の限りを尽くして万一に備えるという準備はいたしております。
  366. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 大型タンカーの出現に対しまして一番心を痛めておるのは狭水道における海上交通であります。たとえば瀬戸内海の一部であるとか、明石海峡とか、ああいう狭い水道がございます。あるいは浦賀その他の狭水道において、非常にふくそうしておるところで事故が起きないように一番戒心を要すると思っております。御存じのように、かつてトリー・キャニヨン号事件というのがございまして、そのためにフランスやイギリスが油で非常な災害を起しました。そういう点も考えまして、海上交通法という法律を新しくつくりまして、特に狭水道における交通の規制そのほかについていろいろ万全の手配を講じようと思いまして、その法案をいまつくっておるのでございます。いま一部漁業関係との補償の問題がございましてその法律が行き悩んでおりますが、早期にこれを解決いたしまして、大型タンカーの出現に備える航路の安全措置を行ないたいと思っております。
  367. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 四十年の五月二十三日にノルウェー船のヘイムバード号というのが衝突をして二十八日間燃え続けていたわけです。これが東京湾とかあるいは石油コンビナートという特殊な地域を考えますと、現状の対策で十分だと思いますか。
  368. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) まだ非常に不十分でございます。特に消防艇、油用の消防艇は不足しておりまして、予算上も来年、再来年、各港湾に配属するように要求しょうと思っております。そのほか地元の関係市町村、港湾管理者、海上保安庁との連絡等につきましても必ずしもまだ十全でないと思いますので、そういう協力態勢の確立につきましても対策を考えたいと思っております。
  369. 赤澤正道

    国務大臣赤澤正道君) 運輸大臣が申しましたとおりに、現在の姿は全く不十分であると思います。しかし、一方タンカーはどんどん大型化いたしますので、ただいま根本的な対策につきましては消防庁のほうでも消防研究所で、運輸省また通産省などと共同研究いたしまして、あらゆる場合を想定して万が一の災害に備えて準備はいたしておりますが、現段階ではまだなかなか対策として十分なものがございませんので、こういったことにつきましては、早く対策をはっきりしたものを立てたいというふうに考えております。
  370. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 いま言ったヘイムバード号の場合は、市民に避難命令とか交通機関の一時ストップ、こういう事態が起きているわけです。したがって、その対策の中にこうした国民に対する訓練と申しますか、対策はありますか。
  371. 赤澤正道

    国務大臣赤澤正道君) 人命を危険から守らなければならぬことは当然でございまして、消防艇はまあ十八市町村に全部で三十六艇の準備はしておりまするけれども、しかし石油コンビナート地帯で大きな事故が起こりました場合には容易ならぬことが起こることは想像されます。そういう所には御案内のとおりに水上消防署というのを設けてございますが、ただいま避難命令を出すなどということにつきましては、これはまだ立法化はできてないと思います。が、しかしながら緊急事態に備えて、これは付近の住民に危険が及ぶと判断した場合につきましては、当然避難につきましては万全を期す考え方を私どもは持っておるわけでございます。
  372. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 ことしの二月二十九日市原の出光岸壁でノルウェーのタンカーが事故を起こしておりますけれども、これについて把握をいたしておりますか。
  373. 赤澤正道

    国務大臣赤澤正道君) 具体的には聞いておりませんが、もう一ぺんお願いします。
  374. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 二月の二十九日に市原の出光岸壁でノルウェーのタンカーが事故を起こしております。この事件について知っておるかどうか。
  375. 赤澤正道

    国務大臣赤澤正道君) 詳しく調査しておらぬようでございますので、いずれまた所管のものにつきまして詳細は説明をさせたいと思います。ただいまはお許しを願います。
  376. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 それじゃ次に空港問題についてお尋ねします。  運輸大臣佐藤内閣の中でもたいへん異色な大臣だと言われているわけですが、今日の世界航空技術の発達の中で、日本のこれからの航空政策についての所感をまず承りたいと思います。
  377. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 新しい大型航空機が順次出現いたす予定であります。特にフランスのコンコルド、それからアメリカのSSTがもう焦眉の問題として登場してまいります。それらの大型機の輸送、発着に対して支障がないように日本も受け入れ施設を至急に整備する必要があると思います。それを日本でやりませんと、台湾とかあるいはソウルとか、あるいは場合によっては北京に国際飛行場を取られまして、日本がローカルラインになる危険性があるからであります。その前に今度はジャンボージェットというのが出てまいりまして、三百数十人くらいを大量に輸送するというのが、これがもうすぐ二年くらいのうちに出てまいります。アメリカのジャンボージェットの出現に対しましては、羽田でお客さんが一ぺんに三百人も出てくるものですから、税関の仕事であるとか、検疫の仕事であるとか、パスポートの仕事であるとか、それを早い時間に親切に処理する施設が必要なのであります。そういう施設の改良を羽田のターミナルを中心にして行なう予定で一部開始しております。  なお、航空政策でもう一つ大事な点は航空貨物の問題が出てまいります。この航空貨物の問題につきましては、国内に出願が二、三太平洋を中心にしてすでにございますが、この点はもう少し情勢を見ながら認可の問題は検討しているというのが実情でございます。
  378. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 「わが空はわが空ならず秋の空」と、あるパイロットが嘆いておりますが、今日のわが国の空が日本の自由にならない、この現状をどう考えておりますか。
  379. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 日本が敗戦いたしまして、占領中はそういう自由がございませんでした。この不自由を脱却して日本を独立させるために、われわれの先輩同僚は非常に努力していただいたのでありますが、努力と同時に平和条約、安保条約という二つの条約に支えられて日本は曲りなりにも独立し、国連にも入ったわけでございます。しかし、そういういきさつで日本が独立いたしましたから、過去のいろいろな経過や因縁もございますし、それからまた、安全保障条約によってアメリカ日本を防衛するという大きな義務と負担をしょっている反面、日本はまた施設を提供するという義務を負って、それで均衡を得ているわけであります。したがって、アメリカ日本を防衛しているという大きな義務と負担はわれわれの目の前にはあまり直接には出てまいりません、万一の際にこれは出てくるので。出てこないほうが非常にけっこうな時勢であるとわれわれはふだん考えなければならないのですが、一方において飛行場その他の施設を提供するという義務は、日常国民の目の前に見えているものですから、国民の皆さんのほうでもなかなか不満も出てくることもまたやむを得ないことであると思います。私はやはり日本の安全保障という問題とそれから日本の航空の便益、日本の航空の自主性というものをうまく調和させていくところに今日の政権担当者の責任があると、このように考えております。そうしてでき得べくんば、でき得る限り日本の自由、日本の主体的な航空政策というものを拡充していくということが、われわれの責任であると考えております。
  380. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そういう現状を容認した場合、その前提に立つならば、先ほど言われたあなたの航空政策については、その実現について非常に困難性がありますが。
  381. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) これはまあ考えようでありまして、一面において米国が日本を守ってくれているという大きな利点を日本は得ておるのでありますから、それに見合う程度の犠牲——義務というものも多少日本は負担するのが国際的常識になっておるわけです。そういうようないろいろな点から考えてみまして、将来の時点にわたって日本の航空政策を拡充し、発展していくという点について、現在の安保条約や安保体制というものがそれほど支障を来たしているという要素は少ないと、このように思います。
  382. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 柳岡君、ただいま海上保安庁長官が参りました。
  383. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 一昨日、現地の一老人が空港建設を苦にして自殺をしたということについて、どう考えますか。
  384. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) その真相は調べさせておるのでありますが、私のところへきた警察の情報では、空港問題が端緒ではなくして、病気をずっとしておられてそれを苦にしておなくなりになったのだということを聞いております。
  385. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 それでは、その成田の三里塚に空港を建設するということの、いわゆるこれを適地とした根拠は一体何ですか。
  386. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 先ほど申し上げましたような大型の飛行機に備えるためには、四千メーターの滑走路が必要であります。それと同時に、世界の国際空港のあり方等も参考にいたしまして、まず第一は、都心から一時間ぐらいで行けるというところ、それから第二には、気象並びに土質等において難点が少ないということ、それから第三番目は、アメリカの持っておるいわゆるブルー14と申しまする横田その他の進入路と障害を起こさないということ、まあ、そういうような諸点と、でき得べくんば国有地やその他であまり民家に対して被害を及ぼさないようなところ、そういうような観点を考えまして、一つは、東京湾につくれという議論がございましたが、たとえば木更津にいたしますと、羽田に発着する飛行機がブルー14の影響を受けて、みな太平洋岸に回ってくるわけです。それとぶつかるものですから、羽田も半分死んじゃいますし、新空港も半分死んでしまう、そういう面から東京湾につくるということは非常にロスが起こるわけです。そういう点から適地を見ますと、千葉県の北部、いわゆる北総台地という周辺以外に東京付近から一時間という場所はなくなるわけであります。そうしてその中でもわりあいに国有地、県有地の多いという点を見ますと、三里塚の現地点ということになりまして、気象並びに土質等を調べてみたところも適地であるとわかりましたものですから、そこに決定した次第でございます。
  387. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 いま言われた気象なり土質なり、そういうものの事前調査はいつやられましたか。もしやられたとするならば、その経過なり結果を示していただきたい。
  388. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 大体、気象の関係は気象庁の観測の結果がございます。これは長い間やっておるいわゆる精密検査ではございませんけれども、あの地帯の気象に関する記録がございます。それから土質等につきましても、これは地質調査所の日本全国の地質の調査はあるわけです。しかし、その地点を深くボーリングして調べたというところではございませんけれども、大体関東ローム層で、あの上の表土を取り去って砂利を入れれば非常に適地である、そういう判定を得ましたので、きまったわけであります。
  389. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 政府はこの三里塚空港にあたっての四つの点について、条件等は適しておる、まあこういうことできめておるわけですが、これらの四つの点が三里塚においては十分満たされておるという前提に立っているわけですか。
  390. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 一〇〇%満足であるというところは、おそらく現在の日本においては見当たらない情勢と思います。たとえば最近、小笠ということが一時叫ばれておりました。浜松の大井川の下流にある地帯のことでございます。しかし、ここも東京からは非常に遠いということや、土量を五億立米ぐらい動かさなければならぬ。それには三里塚以上のばく大な経費がかかるということとか、浜松の航空路と非常に衝突する、そういういろいろな観点もございまして、小笠ということも不可能になったわけであります。日本がこれだけ稠密な人口を持っているところでありますから、一〇〇%全部満足するという条件はない。特に東京の場合は、いまのブルー14と羽田の機能ということを考えますと、コンパスをあてていけばどうしても千葉県の北総台地にいかざるを得ないのであります。そういう観点からいたしまして、一〇〇%満足ではございませんが、ベターなものとしてあそこが選ばれたのでございます。
  391. 加瀬完

    ○加瀬完君 関連。土質調査をなさったとおっしゃいますが、では、いつどういう機関で行なったのか、その結果を資料としてお出しいただけますか。
  392. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 気象関係とそれから土質関係はいままでの既成の資料を使ったわけでございます。先ほど申し上げましたように、測候所が持っておりまする、気象庁が作っております全国の気象の統計がございます。それであの地帯の平均を全部調べてみたり、それから土質につきましても、先ほど申し上げました地質調査所が持っている全国の地質の構造の資料があるわけであります。そういうような既成の資料を用いまして一応点検したわけでございます。
  393. 加瀬完

    ○加瀬完君 すみません、もう一ぺん。気象調査は、気象庁の気象調査は正確なものではないということはここの委員会ではっきりしたわけです。しかも地質調査は、既成のものではいま大臣のおっしゃるような空港の滑走路に適地であるというものは出せないという、そういう学会からの資料も提出されているはずです。どういう機関でどういう責任の下にはっきりと適地であるという、土質に限ってもいい、土質調査がなされましたか、その資料があればあとでいただきます。
  394. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) その点は航空局長からただいまから答弁させます。
  395. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 土質調査につきましてはその地域内のボーリングはやっておりませんが、相当程度関東ローム層の等圧線のあれがございますし、従来の土質資料で判断したわけでございまして、これは資料としてすでに運輸委員会のほうには御提出申し上げてあります。
  396. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 大臣は比較的ということばを使われましたけれども、移転戸数が少いとか、あるいは土木技術上工事に難点がない、あるいはあとの補修、維持、そういうものに難点がないということを確認されているわけですか。
  397. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 考えられる場所の中であすこが一番難点がない適地である、このように判定したわけであります。
  398. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 それならば次に一つ一つ聞いていきたいと思いますけれども、まず騒音区域の問題ですが、滑走路端から何キロ取っているわけですか、幅、横はどうですか。
  399. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) いわゆる騒音区域というものは施策の対象によって、騒音対策の対象によって区域が違ってくるわけでございます。たとえば小学校の防音装置をするのは何ホン以上のところであるとか、それから騒音地域であるから買い上げるのはどれだけの地域である、こういうことで対象が違っております。買い上げ地域につきましては、騒音防止法の規定によりましてこれは国会でおきめいただいているわけでございますが、新空港につきましては地元の強い御要望もあり、また千葉県知事の要望もありましたので、滑走路の末端から二千メーター、中心から六百メーターの範囲につきましては、もし買い取りの希望があれば、ここに公共用の空港施設をつくるということでこれを買い上げるということを地元にお約束をしておる次第でございます。
  400. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 日本音響学会では、羽田における騒音調査でもわかりますように、滑走路端から六キロ、幅二キロは八十ホン以上だ、そういう結果が出ておるのですけれども、これについてどう思いますか。
  401. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) これは、羽田におきましては、DC8、あるいは707を対象にいたしまして騒音の調査を長いことやっておりまして、騒音コンターをつくっております。八十ホン以上の地域は、おおむね滑走路の末端から五・五キロ、滑走路の中心線から片側それぞれ一・二キロメートルの範囲が八十ホン以上の区域になっております。
  402. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 あまり大差はないわけですが、その点については認めているわけですか。
  403. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) ただいま申し上げました点は私どもの調査によるコンターでございます。
  404. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 現在の飛行機でそういう状態ですから、大型の今後飛来するであろうジェット機、あるいはジャンボジェット機とか、そういう機種の場合はもっと広がるのではないですか。
  405. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) その点は非常に大事な点でございますが、今度やってまいりまする、たとえばコンコルドにしましても、あるいはSSTにいたしましても、製作会社のほうに精細なデータを要求しておりまして、その報告によりますと、現在のDC8よりも大きな音は立てさせない、そうでないとアメリカが許可しないという条件になっておるのであります。したがいまして、羽田における騒音以上のものはあり得ない。それから、もう一つは、SST等がのぼって行きまして超音速になるときに、いわゆるソニックブームと称して衝撃波が出るわけであります。これがまあ一番心配の問題なんであります。ところが、その着陸するときにはもうスピードを落として来ますから、超音速ではないわけです。そうして太平洋に沿って降りて来るわけですから、DC8以上の影響はない。それから、離陸する場合には、二万メートルくらいになったときにあれは初めて超音速に変わるわけです。そうしますと、大体札幌程度に行ったときにそのソニックブームが起こるわけなんです。したがいまして、DC8以上の大きな被害というものはないというのが科学的な判定の結果なんであります。そういうような騒音の問題というのは一番大事な問題でございますから、その点につきましては今後もさらに研究してまいりますが、現在の資料ではそういう結果になっております。
  406. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 では、かりに七十ホン以上と押えた場合には、一体、離陸とか着陸の場合、各何キロになりますか。
  407. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 滑走路の末端からそれぞれ八キロでございます。
  408. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 ジャンボジェットなどの場合は着陸下降度は五十分の一ということになっておりますが、これで心配ないのですか。専門家の意見ですと、七十五分の一でないと危険だと、こう言われておる。そうしますと、さらに騒音区域というものは広がるのではないかと思いますが、いかがですか。
  409. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) お答え申し上げます。  ジャンボジェットの着陸の降下角度が五十分の一と申したことはございません。これは進入表面の角度が五十分の一ということにいたしております。しかし、実際はILS——電波で誘導しますので、その角度で飛行機は降りて来るわけでございます。これは通常二十三分の一から十九分の一でございます。非常にいま言われましたよりも広角度でございます。五十分の一というのは進入表面で、その下に物を立ててはいけない、この下に建造物があってはいけないというのが五十分の一でございまして、実際の現在のジェットの降角度は二十分の一程度でございますから、この進入表面よりはるか上を降りてくるわけでございます。
  410. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 SSTの場合は、専門家の間ではそういうことでは危険だということが言われているのじゃないですか。
  411. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) SSTの場合は、降下角度が大体この二十分の一程度にFAAの指示で指定されております。
  412. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 ヨーロッパでは、安全区域を滑走路の先端から十五度の扇形に、距離は少なくとも六キロを対象区域としているわけですけれども、もしこれを基準とした場合には、成田の今度の空港の場合にどういう地域が含まれますか。また、この区域の移転戸数、それについて運輸省で調べた結果をお知らせ願いたい。
  413. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 民間空港の場合、危険区域とか安全区域というものはICAOの規定ではやっておりません。ただ、日本におきましては、基地の場合は若干離着陸の場合に危険があるということで、滑走路の着陸帯の末端から千メートルの範囲は希望があれば買い上げると、こういうことにいたしておりますが、その危険区域とか安全区域という制度はICAOの標準ではございません。
  414. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 騒音対策を考える場合に、あらゆる距離の範囲の中でどのような騒音が起こるのかということをやはり国民に詳しく知らせるということが必要じゃないですか。そうした場合に、たとえば六キロをとった場合に一体どういう地域の範囲になって、そうして移転戸数と申しますか、その中に含まれる戸数は一体どのくらいなのかということは、当然これは航空局として、あるいは運輸省として国民に知らせる義務はあるんじゃないですか。
  415. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 先ほど申し上げましたように、滑走路の末端から五・五キロは八十ホン区域になる。それから、七十ホン区域の場合は八キロ程度であるということは、われわれの騒音調査の結果を公表いたしております。
  416. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 その場合に、その中に含まれる地域、市町村なり、あるいは戸数というものは一体どのくらいですか。
  417. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 空港公団の総裁の今井でございますが、いまの件をお答え申し上げます。  私ども、滑走路の末端から二千メートル並びに滑走路の中心点から六百メートルの範囲におきましてを一応買い上げの対象区域として考えておりますので、その間における戸数は全体として現在四百数十戸というふうに推定いたしておりますが、それ以外の区域については現在何戸あるか、戸数の調査はいたしておりませんが、先生の御希望がございますれば、できるだけ早く調査をいたしまして、それを調査資料として提出いたしたいと思います。
  418. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そうしますと、いま言われた二キロと六百メートル以外の区域については、何ら補償とか、あるいはその他の対策は考えないということですか。
  419. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 新空港の騒音対策につきましては、私どもは、現在地元に対しましても、地元の人たちをも含めまして騒音対策委員会というものを設けまして、航空機の騒音に対する被害防止についてできるだけの措置を講ずるつもりでおりますので、騒音対策委員会を通じまして得た結果についてできる限り政府に進言して、その実現をはかるつもりでおりますが、なお、現在におきましては千葉県知事と御相談いたしまして、できるだけ広範囲に手厚く騒音対策を講ずるということで検討いたしておる次第でございます。
  420. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 具体的に答弁を願いたいのですが、二キロ、六百メートル以外の所では八十ホン以上、あるいはそれ以下の場合でも全然考えないということですか。
  421. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 現在におきましては、私どもが騒音区域として予定しておりますのは二キロ、六百メートルの範囲でございまして、その間において手厚い施策を講ずる考えております。それ以上に騒音の被害が起こるというふうなことが事実上ございますれば、騒音対策委員会を通じまして具体的な策を講じて、これをできる限り救済していく、そういう考え方でございます。
  422. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 大臣は、この二キロ、六百以上の八十ホン以上の地域に対する補償、あるいは対策についてどうお考えになりますか。
  423. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) SSTやジャンボ、あるいはコンコルドの場合でも、現在のDC8以上の騒音は起こらないという向こうからのデータがあるのであります。大体大型になると大きな爆音を出すように皆さんお考えのようでございますが、B52のような軍用機、あるいは軍用ジェット機の場合は、これは爆弾を積んだり、それから非常なスピードで上昇して急カーブで上がっていくという性格を持っていますから、エンジンを非常にしぼって、非常に高度の爆発力を出すわけなんです。しかし、民間航空機の場合はそういう必要がないのですから、スムーズに上がるように設計やその他もしておりまして、爆音その他は軍用機とは比較にならないほど小さく設計もされておるわけです。今度来るコンコルドや、あるいはSSTの場合も、大体DC8の水準以下という資料で世界的にも通用する。そういう点からしても、羽田や、あるいは伊丹における騒音区域以上の心配をいまする必要はないとわれわれは考えております。しかし、実際現物が出てきた場合に、もし予想以上の騒音や被害が出るという場合には、これは当然考えなければならぬと思っておりますが、現在の科学的データに関する限りは二キロ、六百の範囲内でいいと私たちは考えております。
  424. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 われわれが調べたり、あるいは専門家の意見を聞きますと、今後の飛来する飛行機の騒音というものは非常に大きいものがあって、二キロ、六百以外でも八十ホンなり九十ホンの音が出るということを心配するからお聞きしているのですけれども、その二キロ、六百以外の地域のものに対しては何らの補償もしないということを確認してよろしいですか。
  425. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 二キロ、六百以外の地点に関しましては、先ほどの総裁の御答弁をちょっと補足さしていただきますが、騒音防止法の規定によりまして、学校、これは小学校あるいは中学校等の騒音防止装置、それから共同学習室、これは家に児童が帰りましてからの学習室、これらのものは、七十ホン以上の距離ではなしに、音によって規定をいたしておりますので、この飛行機の経路によりまして七十ホン以上の所を対象にして国の施策を考えております。  それから、飛行機が大きくなっても騒音は大きくならないという大臣の御説明をちょっと補足さしていただきますと、たとえば747、これはジャンボジェットでございますが、まいりますが、これに使いますエンジンは現在DC8は8トンの推力でございますが、747は十八トンの推力で、倍以上の推力になります。しかし、音は、現在のDC8よりも小さくなるだろうといわれております。それはいわゆるファンジェット、コンプレッサーの前にファンがついております。ファンジェットの技術が非常に発達いたしまして、燃焼室に空気を送る量の割合が非常に少なくなっております。現在のDC8では、一のものが燃焼室に入ると、一・四が燃焼室を通らないで圧縮されたまま直接噴射する、こういうバイパス・レーショといっておりますが、一対一・四でございます。ジャンボジェットの場合は、これが一対五くらいになっております。五が燃焼室に入らないでそのまま出てしまうわけでございます。したがいまして、排出する空気の量は非常に多いけれども、スピードは現在より少ないということで、その騒音は現在のDC8のエンジンよりも少なくなっている、こういう実情でございます。
  426. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 政府が騒音対策として出しておるこの一定ホン以上というのは、いま言われた七十ホンですか。
  427. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 騒音対策の対象によって違いますが、学校の防音装置等につきましては七十ホン以上を考えております。
  428. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そうしますと、その七十ホンの範囲に入るその対象の件数はどのぐらいあるのですか。
  429. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 学校、幼稚園等を含めまして二十数校であると思います。
  430. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そうしますと、そのまだ七十ホン以上の確定した学校、あるいは病院その他の対象件数についての確定した件数というのは把握していないのですか。
  431. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) すでに確定してございますが、ただいま手元にその学校その他につきましての詳細な資料がございませんので、後ほど先生の手元にお届けいたしたいと思います。
  432. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 その範囲ですね、地域とその資料についてひとつ御提出を願いたいと思います。  それから、四季を通じ、一年の——四千メートルの滑走路にはどういう方向から離着陸するのですか。
  433. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 私からかわってお答えいたしますが、成田における風向、風速の問題でございますが、先ほど大臣からお答えがございましたが、実は当公団といたしましては、四十二年の七月から成田の地区に観測所を設けまして、七月からずっと観測を続けております。その観測の結果によりますれば、夏は大体において北東風、冬は北西風がわりあいに多うございまして……(「違うな」と呼ぶ者あり)夏が北東風でございます。冬は北西風が多いわけでございますが、その観測の期間中を通算いたしますと、十六方位の風向の分布が、大体各方面につきまして、二・二%から大体一〇・三%の範囲でございまして、きわ立って卓越した風向がないというのが結論でございます。また、風速につきましては、秒速六・七メートル以下の状態が九六・二%というふうに、非常なよい状況でございまして、風速一〇・三メートル以下の状態が九九・九%というふうな状況でございまして、現在の大型機に対しまする風速の影響というものは非常に弱いというのがあの地区の特徴でございます。したがいまして、滑走路の方向をどのように選んでも、風向、風速に関してあまり問題はないのではないかというのが私どもの結論でございます。なお、この点について七月から二月までの資料を現在持ってまいっておりますので、ただいまでも御提出申し上げます。
  434. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 一、二月とか三月、これはいま言われたように、北西風ということは私どもの調査でもそのとおりでございますが、夏はやはり南東風ということがいわれておるわけです。これは違いますか。(「北風吹くはずないじゃないか」「海のほうから吹くでしょう、北東風にならないでしょう」と呼ぶ者あり)
  435. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 失礼いたしました。その点、御訂正を申し上げます。ここに表がございますので、これに出ておりますが、ENEと書いてございますので。
  436. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そうしますと、少なくとも夏は成田の市街地の方向から着陸をし、さらにまた、一、二、三月の冬は、成田の方向へ離陸をするということになりませんか。
  437. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 先ほど私が申し上げましたように、風向並びに風速ともに大型航空機につきましてほとんど影響をするほどの風向並びに風速でない状況でございますので、主滑走路を使って十分一年じゅう飛べるのではないかというのが私ども考えでございます。(「離着陸の方向を聞いている」と呼ぶ者あり)それは北からの風の場合には当然に南から風に向かって飛びますし、それからまた、南からの風の場合には……(「どっちへ飛ぶかというんですよ」と呼ぶ者あり)大体一年を通じましてそういった風の向きに対しまして飛ぶ関係がございますので、資料によりまして御判断を仰ぎたいと思います。
  438. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 風の方向に向かって飛ぶということになれば、当然、いま言ったように、夏は成田の市街地の方向から着陸をして、冬は成田の方向に向かって離陸をすると、こういうことになるわけですね。
  439. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) その点は、私が報告を受けた範囲内では、芝山のほうからおりてきましてそして着陸して、今度は、出るときには、芝山のほうを離陸点にして海のほうに出る。つまり、海のほうから出たり入ったりする、そういう考えであるということを報告を聞いております。間違っておりましたら、あとで訂正いたします。
  440. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 総裁の、風の方向に向かって飛ぶということになれば、いま大臣の言われたようなことはあり得ないと思うのですね。そうしますと、当然これは成田の市街は騒音区域内に入ると思うのですが、いかがですか。
  441. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) おっしゃるとおり、冬はこっちに向かって着陸いたします。(「こっちじゃわからない」と呼ぶ者あり、)冬は、北風でございますから、南から北のほうに向かって着陸をいたします。それから、夏場は、南風でございますから、北から南に向かって着陸するということは、先生のおっしゃるとおりでございます。したがいまして、成田市上空を通過することは、季節によってやむを得ないと思います。
  442. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そうしますと、当然、成田市街地は騒音区域に入るわけですね。
  443. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 騒音区域の範囲が、先ほど申し上げましたように、対策によっていろいろ違ってまいりますが、飛行機の進入経路の下になるという意味においては、そのとおりでございます。
  444. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 高度六千メートルの場合、超音速で飛ぶ場合に、ソニックブーム、これはどういう状態になりますか。
  445. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 先ほども大臣から御説明申し上げましたように、ソニックブームは、音速を越えて飛ぶときに起こる現象でございまして、ガラスが割れ、あるいは地上にいる人が倒れるというような状態もございますが、しかし、幸い日本は島国でございまして、陸地内で超音速で飛ぶことは絶対にございませんので、そのおそれは絶対にございません。
  446. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 ソニックブームを防ぐには、高度二万メートル、先ほど大臣も言われましたけれども、それをとらなきゃならぬということですが、そうしますと、高度二万メートルから三里塚の国際空港まで二十キロでございますけれども、この二十キロの間に高度ゼロにするにはどういう航法がとられるですか。
  447. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) コンコードのSSTも亜音速で飛べるように相なっております。それで、特にアメリカのSSTの場合は可変翼でございまして、非常におそいスピードで飛べるようになっております。したがいまして、太平洋から陸地に入りましたら、もう亜音速に変わるわけでございます。
  448. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 二万メートルの海上からゼロの地点に達するには、二十キロの間にどういう高度をもっておりてきますか。
  449. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) それは、各キロごとの高度をつくりまして後ほど御提出申し上げたいと思います。
  450. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 九十九里海岸から入ると言っておりいますが、その九十九里から成田までの間は、そうしますと、飛行機の下になるわけですよね。そうしますと、安全区域、そういうものについてはどういうふうに見ておりますか。
  451. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 安全区域というのはどういうことでございましょうか。
  452. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 いわゆる九十九里から成田まで、高度二万メートルで入ってくるわけですね。その場合に、飛行機の直下の各市町村があるわけですね。それらは、すべて危険区域になるのじゃないですか。
  453. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) これは、日本の陸地のところまで超音速で来て、すぐそこから亜音速に変わるというのではございませんで、相当太平洋の遠いところから亜音速に変えますので、ソニックブームとの関係におきましては、陸地においては危険区域というものはございません。
  454. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 ソニックブームの被害はないにしても、九十九里から成田までの各その飛行機の真下の市町村は、それぞれ騒音なりその他の危険区域と申しますか、そういう中に入るんじゃないですか。
  455. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 飛行機の音が聞こえるという意味では、そのとおりでございます。
  456. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 それでは、次に、土木技術上の問題について伺いたいわけですけれども、たとえば二百面トン以上の物体が速度秒百メートル以上でこの地帯に接触した場合には、接触面がでこぼこにならない、少しもそういうふうにならないようにするためには、一体どういう地盤の構造、硬度というものが必要なのか、具体的に説明していただきたいと思います。
  457. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 先ほども御指摘のとおり、専門家でございませんので、詳細な御説明はできませんが、知り得る範囲でお答えを申し上げたいと思います。先生がいま御指摘の、着陸時にはかなりの速度になるわけでございまして、やはり一秒百トンというふうな重量をもって滑走路に接触いたすことになるわけでございますが、このときに航空機はまだ浮力を受けておる状態でございますので、路面に働く衝撃力はそれほど大きなものではないということが言われております。したがって、速い速度で着陸いたしましても、地盤に働く力は航空機のとまっておるときの重量よりも少ないというのが定説でございます。これは、アメリカのFAAの調査によりますと、飛行機がエプロンにとまっているときの重量の七割程度であるというのが定説になっておるようでございます。したがいまして、御参考までに申し上げますれば、二百トンの重量の航空機が滑走路に着陸いたしましたときには、約百六十トンの重量が停止しておると同じ地耐力構造にすればよいというのが定説になっておるようでございます。それで、したがいまして、現在は、私ども考えておりますのは、滑走路は大体アスファルトで建設されるわけでございますが、百六十五センチ程度あればいいんじゃないかというふうに考えております。もちろん、エプロンのほうはコンクリートが主でございますので、工事等につきましては、アスファルトよりかたいわけでございますので、先ほどのあれから言いますると、なお七割方薄いものでいいのじゃないか。しかし、それがとまっておるときは当然に重量は飛行機が着陸するときよりは重いわけでございますので、その辺の計算は必要かと存じます。
  458. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 その場合に、地耐力は一体どのぐらいになりますか。
  459. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) 地耐力——CBRでございますけれども、これは関東ローム層でございまして、しばしばそういう点につきまして従来も私どもそういうふうなお話を受けるわけでございますけれども、御承知のように、成田付近のローム層は、富士火山帯あるいは箱根火山帯の影響を受けたローム層でございまして、その厚さは大体二メートルから五メートル程度の厚さを持っておるのではないかというふうに考えております。その地耐力は、場所によって違いますが、成田の付近ですと、非常に悪いところでも四から六、まあ普通のところで六から八というふうな程度の地耐力を持っておりまして、これを外国の主要な空港の地耐力に比べますと、たとえばオランダの空港等に比べますと、地耐力は非常に優秀であるという意味において、空港をつくる上において全然心配ないというふうに私ども考えております。
  460. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 私の質問したのは、先ほど、接触する場合、百六十トンとかなんとかいう重さだと、それに耐えるには地耐力はどの程度の地耐力かということを聞いたんです。
  461. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) 工務を担当しております高橋でございます。  ただいまの、いわゆる接地するときの圧力がどのようなものであるかということと、それから地耐力との関連という御質問でございますけれども、先ほど総裁から申し上げましたように、むしろ接地するときの圧力のほうが地耐力としては少ないという定説でございますので、したがいまして、停止したときの地耐力よりははるかに少なくてよろしい。ということは、CBRで言いますと、先ほどの四ないし六という数値よりもさらに少なくても十分である。接地をするときの現象だけを取り上げれば、そういう……。
  462. 加瀬完

    ○加瀬完君 議事進行。柳岡君の質問は、百五十トンなら百五十トン、二百トンなら二百トンのスピードを持った重さで着地をするんでしょう。そのとき、一体、どれだけの力が滑走路に加わるか。逆に言うなら、その滑走路のCBRはどれ以上でなければ持ちこたえられないかという問題を聞いているわけですよ。いろいろ今井さんもおっしゃっていますけれども、花崗岩地帯の外国の飛行場でも、百五十トンくらいの飛行機が入るときにでこぼこでできている例がたくさんあるでしょう。先ほどから資料がはなはだ不明確です。二ないし三ですよ、あそこのCBRは。七だの六だの八だのというところはありませんよ。そこで、浮力があるから軽くなると言いますけれども、 スピードがあれば、これは物理の初歩でしょう、MVの二乗ですか、力は加わるんですから、重いものが速度を持って着地するときに物自体より圧力が小さくなるということはあり得ませんよ。だから、それで、どれだけのものであればたえられるか、そのたえられるCBRを教えてくださいと、こういうことなんです。
  463. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) 接地するときの圧力はむしろ停止しておるときに比べまして少ないという理屈につきましては、簡単にはなかなか御説明申し上げかねるのでございますけれども、そのおもな点を申し上げますと、第一点は、いわゆる路面上をころがっておる状態ではなくって、むしろ浮力を持ちながらバウンドをしながら通過をするというような状態でございます。それからまた、百メートル毎秒というような相当なスピードで接地することも事実でございますけれども、そのスピードは主として路面に平行な方向に動くスピードでございまして、いわゆる垂直な方向ではないのでございます。その二点からいたしまして、その衝撃力というものは地盤にはさほど影響がない。ただ、先ほど先生の御指摘のように、路面に対しましては相当強い摩擦力が作用いたしまして、路面の構造によりましては表面の荒されるという事態も起こりますし、あるいはまた、車輪のゴムが流れましてそれが滑走路に付着するというような種々の現象は起こります。しかし、これにつきましても、材料的な見地からいろいろくふうがこらされておるわけでございまして、特に地盤との関連はないわけでございます。  それから、さらにまたちょっと補足させていただきますと、いわゆる地盤に対しますところの影響と申しますものは、滑走路の舗装の厚さによって種々変わってくるわけでございまして、地盤の悪いところは地盤の悪いなりに路盤の厚さを深くする、あるいは、上質の材料でもって舗装するというようなことをいたしますのでございまして、それによって地盤のかなり悪いところでも十分たえられる程度の舗装ができる。先ほど今井総裁から御説明申し上げましたように、オランダのスキポール空港におきましては、相当軟弱な地層でございまして、これはCBRで申しますと一・五あるいは二という程度のものでございます。これも、しかしながら、材料を十分使いますれば、最近の大型機に対しまして十分であると、こういうことになっております。  それから、先ほど、CBRが二ないし三程度ではないかという御質問でございますけれども、これにつきましては、CBRのはかり方がいろいろございまして、室内でもって実験室的にやる場合、あるいは野外でもってやる場合という、いろいろ方法がございます。私ども、先ほど五ないし六というような数値を申し上げましたのは、これは野外における測定結果でございます。これをまたいろいろ工学的には補足いたしまして、野外CBR五ないし六に対する舗装方法というものはできておるわけでございます。それに従いまして今後舗装を進めたいと、かように考えております。
  464. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 建設省、おりますね。建設省は、関東ロームの土性について調査をしたことがありますか。
  465. 蓑輪健二郎

    政府委員蓑輪健二郎君) 関東地方の関東ローム層につきましては、土性の全般的な調査を行いまして、分布についてはどの辺に分布してるかという資料を持っております。
  466. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 その結果についてお知らせ願いたいと思います。
  467. 蓑輪健二郎

    政府委員蓑輪健二郎君) 関東ロームといいますと、やはりこれは火山灰、富士山の噴火でできました火山灰が偏西風という風に乗りまして関東の平地に集まったもの、集積されたものだと思います。われわれの調査によりますと、関東地方全域にわたってこの層がございます。その中で、やはり山、秩父の山系とか、千葉でいいますと千葉の南の山のところ、こういうところにはほとんど関東ロームが出ておりませんようです。そのほか平地については大体一メートルか二メートルぐらいの厚さの関東ロームが出ておるようになっております。
  468. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 成田空港地域のCBR値あるいは自然の含水比あるいは乾燥密度、そういうものについての資料はありますか。
  469. 蓑輪健二郎

    政府委員蓑輪健二郎君) 成田空港の付近につきまして、現在これは東関東自動車道その他の調査、まだ十分できておりませんが、その調査の段階には、こういう土質の強度の調査というのは全部やるようにいたしております。そのほかにつきましては、現在いろいろ国道の舗装その他で現場でやっておる資料がございますが、ただいまのところ私どものところに持っておりません。
  470. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 関東ローム地域の各府県でつくっておるこの道路整備促進協議会というものがあることはご存じですね。
  471. 蓑輪健二郎

    政府委員蓑輪健二郎君) 関東ロームにつきまして、そういう促進協議会があることはよく存じております。
  472. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 その促進協議会の中で出しておる資料によりますと、これはもう三里塚の場合はCBRは二から三でございますね。これはいかがですか。
  473. 蓑輪健二郎

    政府委員蓑輪健二郎君) この周辺については二ないし三という数字が出ております。
  474. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 乾燥密度と、さらにまた自然含水比はどうですか。
  475. 蓑輪健二郎

    政府委員蓑輪健二郎君) 鹿島の周辺で乾燥密度が〇・六二九、含水比が八五・一という数字になっております。
  476. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 航空局長ですか、総裁ですか、先ほどCBRは四から六と、こういうことを言われましたけれども、それは一体どういうところからそういうCBR値が出たのですか。
  477. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) CBRのはかり方につきましては、先ほどちょっと御説明申し上げましたように、種々のはかり方がございまして、大きく分けますと室内実験的に試料を砕いて突き固めまして、それを数日間水につけて、その後測定するというような方法と、それからもう一つは、現場に機械を持っていきまして、それを直接地盤に当てて、その沈下で測定をするのと二種類ございます。私どもがいわゆる現地の周辺でやりましたのは、後者の現場測定でございます。これによりますと、上層では比較的固うございまして、六ないし八という数字も出ております。それから中層が比較的軟弱でございまして、これがまあ四ないし五、こういう数字でございます。
  478. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 CBRは、いずれにいたしまいても三里塚区域は三%、それから含水比はもう九〇%もあると、こういわれておるわけですね。したがって、雨の日にはほとんどどろんこになるし、お天大気の場合にはものすごい黄塵が立つと、こういう非常に世界でも類例のない悪質の土性だということがいわれているわけですね。この点についてはいかがですか。
  479. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) ただいまの主として施工上の問題点につきましては、いわゆる関東一円の道路工事その他にも全部当てはまる問題でございまして、幸いこれにつきましては、最近までの種々のデータがございます。また施工の実績もあるわけでございます。これらを参照いたしまして、現在の施工技術では十分施工はできるということを確認しております。これにつきましてのいろいろ調査も、専門家をわずらわせまして実施したわけです。
  480. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 あの地域は非常にこういう軟弱な地盤であるということから、非常に道路の舗装についてもいろいろおくれている地域なんですね。そういう関係で問題が多いわけですけれども、航空局として滑走路の建設計画、あるいは滑走路をつくるための事前のそうした土質、地盤の調査をやられておりますか。
  481. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 先般御説明申し上げましたように、関東ローム層に関する関係のところの調査、ローム層の等厚線その他を調査いたしまして、それで関東ローム層は御承知のように、東に行けば行くほど薄くなっておりますので、あの地域はローム層の撤去は可能であるという調査をいたしております。
  482. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 まだボーリングはやっておらないということですが、ボーリングをやった結果、滑走路には不適だという結果が出た場合にはどうしますか。
  483. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) これは、あるいは公団総裁からお答え申し上げたほうがいいかもしれませんが、地域内のボーリングはやっておりませんが、あの周辺のボーリングはやっておりまして、そこと地域内と大差はないであろうということで、これは十分工事にたえ得る、このように結論を得ております。
  484. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 非常に道路建設の場合でも、先ほど言いましたように、関東ロームというものは非常に広範囲になっている。したがって、施工の場合に良質の土をどこからか持ってこなければならない、こういう困難性があるわけですね。したがって、工事費も相当かさむわけです。また盛土をいたしましても、そのあとさらにまた沈下をするというようなことも含水比の関係から出てくるということなんですけれども、空港建設の場合に、相当な客土ですね、これが必要じゃないかと思うのですけれども、一体それはどのくらいの量になりますか、そうしてまた、そういう客土計画というものがありましたら、ひとつ明らかにしていただきたいと思います。
  485. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) ただいまの客土につきましては、現在周辺の成田はもちろんでございますが、大栄、多古その他の利根川周辺の山を調査いたしておりまして、あの周辺から大体六百万立米程度の砂を運ぼうということを計画いたしております。
  486. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 全体としてどのくらい必要であるかということを聞いているわけです。
  487. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) ただいまは客土だけについて申し上げましたが、全体として砂の必要量は一千万立米ぐらいではないかというふうに考えております。それで、その大体の供給源といたしましては、ただいま申し上げましたように、周辺の市町村の山林等からの砂以外に、現在、御承知のように鹿島灘の臨海工業地帯の開発が進んでおりまして、そのしゅんせつによる砂を利根川を遡航させまして、バージで、できるだけ、成田付近まで持ってきて、これを成田に運ぶというふうなことを考えておりまして、十分たえ得るのではないかというふうに考えております。
  488. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 客土いたしましても、先ほど言ったように、排水が完全でないと、またでこぼこができると思うのですね。そういう排水に対する対策はどうなんですか。
  489. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) ただいまの排水につきましては、まあ地盤が悪いから、主としてそれをどうやって水を抜くのかということの御質問かと思いますが。
  490. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 地下水は。
  491. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) 地下水でございますね。これにつきましては、実は谷が相当ございまして、その部分の確かに排水につきましては相当考えなくちゃいけないという状況でございます。ただ、これも多少時間もかけますれば、と申しますのは、砂にくいを打ちまして、それに埋め立て土を上にかぶせます。そうしますと、その荷重で下の水がしみ上がってくるということでございます。この方法によりまして、十分下のやわらかいところの水分は抜ける、かように確信しております。
  492. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 排水路計画はできておりますか。
  493. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) 排水の全般の問題につきましては、大きな問題としまして、空港全域にわたる雨水の排除でございます。これにつきましては、確かに舗装をいたします関係上、水が相当の勢いで出てくるということが懸念されるわけでございます。それで、それでこの出水に対しましてのはけ口といたしまして、主として空港敷地の北側の根本名川の改修をいま進めておる段階でございます。この河川改修につきましては、建設省御当局の御指導のもとに、千葉県がこれの実施計画に当たっておりまして、目下その計画を固めつつある段階でございます。
  494. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そういう排水路のためにつぶれる地域、その面積というものはどのぐらいですか。
  495. 高橋淳二

    参考人(高橋淳二君) ただいま申し上げましたとおり、目下計画を固めておる段階でございまして、もう少し時間がたちますれば、これの具体的な所要の用地、その範囲というものは確定するのではないかと考えております。
  496. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 成田空港のために計上されている予算というものは、これらを全部含んでおるわけですか。
  497. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) これは御承知のように空港公団自身が実施しますものは公団の予算に含んでおりますし、そのようないろいろな関連公共事業で、各省予算あるいは千葉県予算に含まれるものは各省予算の中に含むようにいたしております。
  498. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 いまいろいろこうやりとりしている中で、だいぶ航空局は自信を持ってあそこに建設できるということを言っておるようでございますけれども、少なくとも関東ローム地域においては、建設省関係の道路工事関係者は、このような支持力がきわめて弱い、したがって相当重量のあるものにはたえられないということが一様にいわれているわけですよね。さらにまた、土木作業の段階でも相当大きな機械が、重い機械が使われるわけですけれども、作業能率が非常に低下をする。したがって施工費等の増高も考えますと、たいへんこの建設工事というのはむずかしいということを言っておるわけですね。この辺はどういうふうに考えておりますか。
  499. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 関東地域で飛行場を建設しようとしますと、この関東ローム層を排除し、客土しなければならないということは、これはどこにおきましても同じでございまして、むしろ東に非常に寄っておりますので、等厚線としては関東ローム層が薄い辺であるということ、それからこの排土ということは現在の技術をもってすればこれはできるということで、われわれはこれに確信を持っております。それから、もし他の地域を選ぶといたしますと、たとえば先ほど大臣の言われました小笠などにおきましては、五億立米からの土工事を要しますので、むしろ土工事量としてはこの成田空港は少ないほうではないか。このように考えております。
  500. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 空港までの自動車道、東関東自動車道、それから高速鉄道の計画、こういうものについて明らかにしていただきたい。また、その予算についても明示していただきたい。
  501. 保利茂

    国務大臣(保利茂君) 道路局長から答弁いたさせます。
  502. 蓑輪健二郎

    政府委員蓑輪健二郎君) お答えいたします。  空港に行く道路といたしましては、都内から首都高速の七号線、これで小松川橋の下流を通りまして、道路公団が現在管理しております京葉の有料道路に接続いたします。で京葉の有料道路が現在幕張まで供用開始しておりますが、さらにこれを千葉のほうに延ばす予定でございます。これは四十三年度中に千葉の付近まで供用開始ができるようでございます。千葉から空港に向かいましては東関東自動車道ということで成田まで延長二十九キロ、総工事費二百六十二億ということで、空港の開設までに四車線を完成していきたいというふうに考えております。
  503. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 運輸省。
  504. 増川遼三

    政府委員(増川遼三君) 鉄道といたしましては、通勤超高速鉄道網の構想の一環といたしまして、都心から北千葉ニュータウンを経由いたしまして成田新空港を結ぶ、こういう高速鉄道の計画を目下検討中でございます。本格的な空港の使用開始予定であります四十九年には、何とかこれを間に合わすように実現の運びにいたしたいと考えておるわけでございますが、何ぶんにも法制上、財政上、また制度上の諸問題がございまして、特にいわゆる開発利益をどの程度に期待し得るかというようなこともございまして、運賃水準との関係も出てくるわけでございます。目下これらの点につきまして検討中でございます。まだ予算要求の段階には至っておらないのでございますけれども、何とかこれの完成を急ぎたいと考えておるわけでございまして、東京−成田空港間約現在のところ鉄道といたしましてはキロ程で五十キロ、これが完成の暁には、運転必要時分約三十分でございまして、工事期間といたしましては、着工後約四年の見込みでございます。
  505. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 予算はどのぐらいですか。
  506. 増川遼三

    政府委員(増川遼三君) 都心部分につきましては、非常に高価になっております。たとえば東京駅付近に入りますにはシールド工法で相当地下の深いところを通ってまいります。キロ当たり単価約五十億ぐらいあるいはかかるんじゃないかというふうに考えますが、成田の空港につきましては、その所によりまして違ってまいりますけれども、キロ当たり単価約十億ぐらいはかかるものと考えております。したがいまして、総額約一千億ぐらいは見込んでおかなければならないかと考えております。
  507. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 次に、発着回数等についての質問をいたしてまいりますが、成田空港における一日平均の離着陸機数をどう想定しておりますか。
  508. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 成田空港は、昭和四十六年の四月からこれを供用開始をする予定でございますが、現在羽田におきまして十一万回の離発着のうち二万回が国際線でございまして、成田には原則として国際線を全部移すということで、四十六年の供用開始時には、約三万回から三万五千回程度であろうと思います。
  509. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 滑走路別に、四千、二千五百、それぞれ機数はどれぐらいですか。
  510. 今井栄文

    参考人(今井栄文君) ただいま四十六年度の開設当初の離発着の回数につきましては、航空局長の答弁どおりでございますが、滑走路別にどの程度の離発着回数を予定しておるかという点につきましては、これはそのときによりまして、できるだけ空港の運用上機能的に、能率的に運営するという観点から、現在から滑走路別に航空機の離発着回数を予定するということは、困難かと存じます。
  511. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 三万五千からの飛行機が飛来するということになれば、それに滑走路は四千と二千五百ということになっているわけですから、大体の想定は出るんじゃないですか。
  512. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 昭和四十六年から供用開始いたしますのは、四千メートルの滑走路でございまして、二千五百の滑走路は四十八年までに完成するということに相なっておりまするので。当面四千メートルの滑走路のみを使用いたします。
  513. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 現在の羽田並みに離着陸するということになりますと、ラッシュ時には何分間隔になりますか。
  514. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 一番のピークは、一本の滑走路につきまして一時間約三十回でございます。
  515. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 航空政策研究会が、運輸省の発表したこれらの発着の問題について批判を加えておりますけれども、これについてどうお考えですか。
  516. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 航空政策研究会は法的な研究機関ではございませんが、あすこに集まられた方は、いろいろ将来の空港の何と申しますか、完全な理想図を考えられて批判をしておられるわけでございまして、あの研究会の御意見には、とるべきところは多うございます。その航空政策研究会といろいろお話をいたしまして、現状においては、運輸省の考えているこの対策が実施し得る最善のものであるということにつきまして、意見の一致を見ております。
  517. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 国際線用の大型機の発着は、四千メートルに限られるわけですね。
  518. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 四千メートルには限られませんで、風の速度あるいは機種によりまして、二千五百のほうも十分使用に耐えるものでございます。
  519. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 航空政策研究会での批判の中に言っておりますように、この四千と二千五百の二つの滑走路では、とうていこの将来の飛行機をさばくことができない、こういうことを言っているわけですけれども、そのできない場合には、拡張するという考えを持っているわけですか。
  520. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 現在の成田の空港は、これを拡張する意向は全然ございません。
  521. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 先ほど航空局長が言われましたけれども、航空政策研究会の言っていることは、完全な空港を想定して言っておる。成田空港は不完全な空港だ、不完全ながら当面はこれでやむを得ないということで意見が一致した、こう言われるのですか、そのとおりですか。
  522. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 先ほど御説明申し上げましたように、現状において、運輸省の案は最も実施し得るよい案である、こういうことについて航空政策研究会と意見の一致を見たわけでございます。
  523. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そうしますと、それは完全なと申しますかね、将来の航空技術の発達の中で考えられる空港としては、成田空港の場合は不完全だということになりますね。
  524. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) そのような意味ではございませんで、たとえば先ほども質問がございましたように、たとえば都心との連絡というものは、もっと近いところを選ぶべきでないかというようなことが、航空政策研究会の御指摘の一つと思いますが、これは現在においては実施不可能である。それから将来にわたってこれが利用できないではないかとおっしゃいますが、現在予想される将来の機種につきまして、四千メートルの滑走路というものは、いかなる機種に対してもこれを受け入れる能力があるわけでございます。これは十分に完全な飛行場でございます。さらに都心から六十六キロというのは遠いようでございますが、現在におきましてはおよそ東京に近いところで考え得る最適の飛行場でございまして、これは未来永劫にわたって非常に重要な国際空港であるということができると思います。ただ、航空政策研究会はたとえば広さはもっと広いほうがいいというようなことを御指摘になっておりますが、それは三百万坪より七百万坪のほうがいいにはさまっております。現在の時点におきまして、この三百万坪で十分長期にわたっての利用に対応し得るということで、このように決定をいたしたわけであります。
  525. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 公団法審議の際は、七百万坪なければならないのだということで提案をされたわけですよ。それがいま三百万坪で十分将来にわたって永久に使える国際空港だということでは、これはおかしいじゃないですか。
  526. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) これは三百万坪でございましても、四千メーターの滑走路、二千五百メーターの滑走路、横風用の滑走路がとれるのでございます。この空港は東京に最も近い国際空港として、未来永劫にわたりまして非常に重要な価値を持つであろう、こういうことを申し上げておるわけでございます。
  527. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 初めは富里、八街の案のときは、四千メートルの滑走路が二本なければ、これからの世界の航空競争の中で日本は取り残されてしまう、こういう説明をなさったのじゃないですか。
  528. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) これを数字で申し上げますと、この成田の空港の二本の滑走路によりまして、年間約二十六万回までの離発着の能力を持っているわけでございます。それで、この成田の供用開始のころは、先ほど御説明申し上げましたように、三万ないし三万五千回でございますので、相当長期にわたりましてこれを使用し得る、こういうことを申し上げているわけでございます。
  529. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 三里塚に決定をされる直前ですが、私は参議院の本会議佐藤総理に対して、この三里塚というのは富里の約半分だ、これは一体どういう性格のものかということを質問した。そのときに、これは羽田の補助的な空港だということを言っているんですよ。それで十分、国際空港には違いないけれども、将来のいわゆる極東地域における要衝としての地位を占めた空港と言えるわけですか。
  530. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) かりに国際線だけをとりまして、二十六万回になるのには、相当長期の期間を要しますし、その間における航空機の技術の発達その他を考えまして、第二の空港対策を練ればよいのではないか。この成田の空港ができましたら、これは相当長期にわたりまして十分国際線をここでさばくことができることは、これは非常に明確でございます。
  531. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 だめだ、これは。その当時のあれと全然違っているから。
  532. 加瀬完

    ○加瀬完君 関連して。あなた方は、四千メートルの滑走路が二本、二千五百の滑走路が二本、三千五百メートルの横風用が一本と、五本なければこれからの頻発する飛行機の離着陸には耐えられないという計画を、富里空港の場合には発表したわけですね。今度は四千メートル一本でしょう。これからますます飛行機がふえてまいりますときに、横風用は三千五百ありますけれども、この横風用の三千五百と四千の主滑走路でさばけるという保証が立つんですか。あなた、二千五百の滑走路も使えると言ったけれども、これがSSTみたいな大型になったときに、二千五百は使えば使えますけれども、危険性が発生しますから、なかなか常時使うわけにはまいりませんね。だから当然、三里塚の成田空港というものは将来拡張しなければ、初め考えた理想的なものにはならないですよね、がまんして使うというだけのことで。だから、これが使えなくなったときには、第二の新東京国際空港というものを考えざるを得ないということが、これはもう学会が指摘しているまでもなく、常識じゃないですか。
  533. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) 成田の国際空港の能力は、先ほど御説明申し上げましたように二十六万回ございますので、二千五百につきましては、機種の制限その他ございますが、二十六万回までの能力に達するには、相当長期を要するであろう。これはいろいろな係数のとり方によりまして、昭和四十六年から何年かかるかという計算の方法がございますが、一番短いものでも十五年は十分その使用に耐える。そうすると現在から約二十年先でございますので、十分長期にわたってこの使用に耐えるということを申し上げておるわけでございます。それは滑走路の数が多ければ多いほど使用できる期間が長いことは確かでございます。現在の状態におきまして、この三百二十万坪でも相当長期にわたって国際線の飛行機を受け入れることができる、このように申し上げておるわけでございます。
  534. 加瀬完

    ○加瀬完君 世界の各国は、大体三千ヘクタールぐらいを飛行場の敷地として最小限に要求する情勢ですね。十五年という期限を考えても、十五年先はどうするのですか。ここを拡張できないといったら、また新しく工事を起こす。なぜそういうむだなことをするのか、もっと理想的なものを考えることが当然じゃないですか。
  535. 澤雄次

    政府委員(澤雄次君) これは飛行場が広ければ広いほど、長期にわたって使用できることは当然でございますが、昭和四十年から四十一年にかけましての情勢におきまして、その三百二十万坪というものはやむを得ないということで決定いたしましたわけでございますが、この三百二十万坪でも、先ほど御説明申し上げましたように、二十六万回の能力があるわけでございますから、これは十五年と申し上げましたのは、一番確度の高い、最も短い計算法で十五年、相当長期にわたって使用できるであろうということを申し上げておるわけであります。二十六万回達しましたらそのあとどうするかということは、これは御指摘のように検討しなければならぬ問題と考えております。
  536. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 運輸大臣は間もなく見えるそうです。(「委員長運輸大臣の退席は許したのですか」と呼ぶ者あり)理事の許しを受けて出たのです。いますぐ戻りますから。柳岡さん、ほかの質問ありませんね、あったら……。いますぐ来るのですから、それまで休憩しましょう。そのままでお待ちください。    午後五時十八分休憩      —————・—————    午後五時二十一分開会
  537. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) それでは委員会を再開いたします。柳岡君。
  538. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 いままでの論議の中で成田地域の土質なり気象条件なりその他を勘案しても非常に不適当な土地であるということを、私どもは調査の上確認しておるわけです。しかもその上にこの成田空港というのは当初政府考えた富里、八街に比べますと半分以下なんですね。これは明らかに国際空港としては将来にわたって不完全な空港だということが言われているわけですけれども、この点について大臣はどう考えますか。
  539. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 私が報告を受けました限りでは気候条件、土質等は不適格地ではないというふうに聞いております。特に土質のような問題は、表面の関東ロームも撤去いたしまして相当量の砂利等を入れてやるのが常道だそうでございまして、そういうことをやれば心配は毛頭ないと聞いております。  それから日本に現在国際空港が要るという国家的要請を考えまして、東京周辺にそれを求めてみますと、目下のところ成田以外には場所はないのでございます。そういう点からも千葉県そのほか地元の御協力を得まして、いま鋭意御了解を得るように努力している最中なのでございまして、われわれとしてはなるたけすみやかに成田空港を完成さしたいと思っております。規模につきましては、当初ほどの大きなものでないので、その点ははなはだ残念でございますけれども、年間二十七万回程度の発着陸は可能なのでございまして、二十七万回という回数等考えて、それが国際線だけに利用されるということを考えますと、かなり余力もありまして、それほど心配することではないと思っております。
  540. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 航空政策研究会ではこの成田空港は十年後には使用に耐えられないだろう、しかも公団法等審議の際に、政府の当時の橋本官房長官等もこういう小さなものでは十年後にはまた再び考えなくちゃならぬだろう、こういうことも発言しているわけですね。参議院の本会議においての佐藤総理の答弁もまた、これは当面羽田の混雑を緩和するための飛行場である、こういうことを言っているわけです。そうしますと、政府あるいは運輸大臣がいま言っているような、将来にわたっての国際空港としては規模が非常に小さいということになるわけですが、その点はいかがですか。
  541. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 日本経済成長の度合い等を考えますと、国際空港は日本に成田のほかに一つあるいは二つぐらいは要る段階になるのであります。現に関西におきましても、大阪を中心にして新しい国際空港を建設しようという運動もあり、また運輸省といたしましても、その必要を認めて予備的な調査もしておるのであります。こういうようなことを考えてみますと、成田一カ所だけではないのでありまして、五年ないし十年、十五年の将来を見ますと、必ず国際空港はあるいは関西とか、あるいは北海道の千歳周辺とか、そういういろんな点を考えてみますと、そういうこともできる段階になりますので、成田がそのためにだめになるということはないと考えます。
  542. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 この不完全な空港をさらに拡張はしないということは政府もはっきり言っているわけです。そうしますと、第三空港をいま運輸大臣は何かほのめかしているようですけれども、つくるということになるわけですね。
  543. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) いずれはまず関西あるいは北海道、そのほか適地を見てもう一カ所国際空港をつくらなければならぬ段階がくると思っております。
  544. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 十年といいますと、もうすでに公団法ができてから足かけ三年近くなるわけですから、そうしますと、これから成田空港が本格的に運用されるには相当また五、六年かかるわけです。そうしますと、十年後には使用に耐えなくなるという当時のことを考えますと、当然この段階では第三空港がさらに必要になってくるということになりませんか、そうすると。
  545. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 日本経済成長の度合いとか、あるいは世界の国際航空の頻度、そういうものにも関係してくるのでございますが、一応十年というのは目算で言っておるのであります。私は十年よりもっとかかるだろうと腹の中では思っていますが、安全をとって十年というふうに人は言っているんだろうと思います。いずれにせよ、日本ぐらいの、これだけの大国になれば国際空港が一つだけということではないのです。台風が来たりあるいはいろいろな状況の場合には避難する予備空港も必要でございますし、あるいはまた関西方面等の事情を考えてみましても、やはり国際空港を一つつくってやらなければならぬ段階がくると思っております。それはもう十年以内に必ずくるであろうと私は考えております。
  546. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 そういう第三空港が近いうちに当然必要とされるならば、私はこの際、いま現地の混乱を起こしてまでもこの権力的なと申しますか、これは私どもの一般的な見方でございますけれども、強行的にこの建設をやるということではなくして、そういう建設のむだを省いて、もっと適当な場所があるわけですから、そういう場所をもっと綿密に調査をして、本格的な将来にわたっての国際空港をつくったらいいじゃないですか。
  547. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 目下の日本に必要なのは東京周辺に国際空港をつくるということなのでありまして、東京周辺の条件を考えますと、目下のところ成田が最適地なのであります。関西方面というものは東京から離れておりまして、別の意味において関西方面に必要である、こういうことなのであります。そういう点から見まして成田の皆さんの御納得を得まして、政府としてはできるだけ早くつくりたいと思っておるのでございます。
  548. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 先ほど言いましたように、成田空港が適地であるということを政府が出したその幾つかの点について一つ一つどもは調査をし、論争をしてまいりますと、非常にこの工事の施行面でも、あるいは工事費の面でも決して成田地域が適地だということは私どもできないわけです。もっと東京周辺におきましてもいろいろ適地があるということを私ども聞いているわけですから、そういう点もやはり考えてブルー14というような、いつまでこれがあるのかわからぬようなものにいつまでもこだわらずに、やはり将来三十年、四十年の先を考えるならば、この際もっと本格的な空港をつくるということに政府は踏み切っていくべきだと私は思うのです。大体この成田空港は、富里以来そうですけれども、住民の意思を一回も聞いておらないわけですよ、事前にですね。しかもこの事前に科学的な調査も一回もやっておらないわけです、これは大臣も知っておると思うのですけれども。そうして一方的に決定をしたということが今日の成田における混乱を招いている。一体こういう政治的な責任というのはどう考えておりますか。
  549. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 東京周辺におきまして二三%程度の国有地あるいは県有地を持っている場所というものはそうはないのでございます。そういういろんな条件を探し回りまして、最後に成田ということに落ち着いた模様です。ただ、その際速急に決定いたしまして、地元の皆さん方には御迷惑をおかけしたこともあると私は考えております。その点はまことに遺憾であったと思います。しかし現在の日本全体の要請を考えてみますと、地元の皆さんにぜひとも御納得を願いまして、まあ国のために御協力を願いたいというのがわれわれの考え方でございます。
  550. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 したがって、遺憾であるというだけでこの事態は私は解決しないと思うんですよ。大体国際空港とかそういう大きな工事をやる場合には、政府は綿密な計画を立て、その地域の住民にどういう影響があるのかということをあらかじめ十分研究、調査をして、それを住民の皆さんに発表をして納得をしてもらうということは、これからのこの政府の事業にとって私非常に重要だと思うんですよ。そういうことは全然やられておらない。そういうところに今日の混乱の一つの原因があるわけですね。しかも成田空港は適地でないというこの航空政策研究会あたりの意見がありますし、この科学的な調査からいっても非常に不適な土地だということが言われておるわけですから、この際私は、政府はこれを白紙に返して、そして与野党一致してこの国際空港についての今後の方針について話し合っていく、検討していくということが私は必要ではないかと、こういうふうに思うんです。私はそういう希望をいたしまして、この空港問題についての質問を終わりたいと思います。  当初の残された質問について、ちょっと海上保安庁長官の答弁をしていただきます。
  551. 亀山信郎

    政府委員(亀山信郎君) 二月二十九日、千葉の出光の製油所の岸壁にノルウェーの船舶が接触をいたしまして、本船の左舷船首部に若干の亀裂を生じました。なお桟橋に損害を与えました。しかしながら人身の損傷事故、原油の漏出はその際なかったということは承知いたしております。
  552. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 この事故はいつ通報を受けたわけですか。
  553. 亀山信郎

    政府委員(亀山信郎君) 当日の二時間後ごろに千葉の海上保安部に出光から連絡がございました。
  554. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 ノルウェー船ですね。室蘭で事故を起こしたのもノルウェー船なんです。このノルウェー船はこのとき航行法規というものを守っておりましたか。
  555. 亀山信郎

    政府委員(亀山信郎君) 現在この船の水先人をいたしておりました日本の水先人を調査をいたしました。この港に入る際はこのような大型船でございますので、必ず水先人によって着岸をするということになっております。で、操船の実際上の指揮は水先人が当たっておるということでございまして、航法上の過失があったのではないのかというふうに私ども感じておりますけれども、法律あるいは命令に違反したやり方であったというふうには考えておりません。
  556. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 このときの着岸状況は一体どういうふうになっていますか。
  557. 亀山信郎

    政府委員(亀山信郎君) ノルウェー船は千葉の製油所に着岸するために、引き船三隻を随伴して姉崎航路から入航いたしまして、入航直後に機関を停止いたしました、それから引き船によって船を押させて回航させつつ、桟橋の沖の百メートルぐらいのところで桟橋と平行にさせる、こういうやり方で近づいてまいりましたけれども、本船の惰力がなお強かったために、後進全速をパイロットは命じたわけでございますけれども、これが命令が徹底しませんで、後進微速の状態でございましたために、ややななめに桟橋に船首部を接触せしめたと、こういう形になったのでございます。
  558. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 こういう場合の船長の責任というのはどうなるのですか。
  559. 亀山信郎

    政府委員(亀山信郎君) いままでのかかる岸壁への接触の事故の例によりますと、まず第一に、海難審判によりまして、船長は海難審判の直接の被審人というものにはなりません。外国人であります、外国の免状を持っておりますから。パイロットが審判の被審人になりまして、なお、しかしながら、刑法の過失器物損壊罪あるいは過失艦船覆没罪という点については、船長もパイロットも、いずれも責任が生ずる場合があるわけでございます。
  560. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 外国船の場合にこういう事故があった場合に、それを通告をする義務はないわけですね。
  561. 亀山信郎

    政府委員(亀山信郎君) 現在の港則法では、港内において船舶が事故を起こした場合には、港長に報告をする義務が、国籍のいかんを問わず、日本の領域内にある限り、日本の港にある限りございます。
  562. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 これはたまたま船首が衝突をしたということで、幸い発火は免れたわけだと思うのです。これは船腹がぶつかった場合には、油が流出して、もし火気があった場合には、必ず室蘭以上の災害が起きたということは想像されるわけですね。したがって、いま言われたような、先ほど来の対策なり、あるいは海上保安庁としてのこの事件なり、いままでのこうした事件に対する取り締まり方針、こういうもので十分こうした災害を防いでいくことができると思いますか。
  563. 亀山信郎

    政府委員(亀山信郎君) 御指摘のとおり室蘭の事故はややこれに似た形で、岸壁に接触をし、そこから亀裂を生じ、油が流れてそれに引火したという事件、あの場合には岸壁でございまして、千葉の場合には幸いにしてこれがドルフィンでございまして、緩衝装置がついておりました。ドルフィンのほうがひっくり返って、本船のほうの損壊が起こらない、最近のかかる荷役設備は多くがこういう形になって、もし船舶がこれに接触、衝突等を起こした場合に、ケーソンその他の物体によりまして衝撃を緩和する。で、ドルフィンのほうがこわれて船体のほうに被害を生じさせないというようなやり方に、技術的にそういう岸壁の築造が進んでまいっております。しかしながら、仰せのとおり御指摘のように、そういう火災、流出等の危険は常に存在するわけでございますから、私どもといたしましては、港内における航行の規制、あるいは港の外であっても狭い水道を入ってくる船が最近の日本の高度経済成長によりまして激増をしてまいっております。船もタンカーをはじめとして非常に大型になっておりますが、これらの航行規制あるいは方向指導という点については間違いのないように万全を期していきたい、かように考えております。
  564. 柳岡秋夫

    柳岡秋夫君 最後に、これで終わりますけれども、大臣に、こうしたタンカーの大型化に伴う災害対策ですね、これは運輸省としても四十一年の十一月にきめておりますけれども、その中でほとんどまだ実際に実行されておらないのがたくさんあるわけです。こういうことでは、いま海上保安庁長官言われたように、ますます原油の輸入が多くなってきて、しかも二十数万トンというような非常に大きなタンカーが出入りするということでは危険性が非常に多いわけですから、この点についての大臣の災害対策のひとつ決意と申しますか、今後の方針等もひとつお聞かせを願って、私の質問を終わりたいと思います。
  565. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 大型タンカーの事故対策といたしましては、航行規制、特に狭水道における航行規制、構造、設備の改善、それから石油荷役設備の整備等総合的に検討を進めると同時に、事故発生時における関係各機関との協力体制及び防火設備、巡視艇その他の化学消防能力をフルに整備して、それと同時にオイルフェンス、油除去剤、消火剤等の応急救難資材を整備することが必要でありまして、その線に向かって努力したいと思っております。  なお、日本のタンカーの問題と関連しまして、われわれが重大関心を持たなければならない問題が一つあります。それはマラッカ海峡の航行の問題でございます。二十万トンタンカーがあすこを通るともう底をするという現象がありました。そこでマラッカ海峡の航路の整備、灯台、浮標、そういうものの整備ということが国際的にも非常に大事な段階になってきたのであります。日本の船が、先般暗礁が相当ございまして、浅いものですから、浅いところへ行くと吸い込まれるようにして船首をすったことがあるそうです。そこで国際的にも国際海事機構、政府間海事機構においてあすこの調査をやって、国際協力で整備をしよう、そういう考えがありまして、関係各国の了解を求めるいま動きをしております。シンガポール、マレーシアは賛成いたしました。インドネシアにつきましては、この間スハルト大統領がおいでになりました際に私はある機会にお会いして、そのことをお願いしましたら、国際協力であるならば、よろしいこちらも協力しよう、こういうお話がありました。これですみやかに国際協力体制をつくって、必要あらばあすこをしゅんせつするとか、航路標識をつくるとか、そういうことで三十万トン、四十万トンのタンカーが通れるようにするということが日本の国益にも重大な問題になっておるのであります。これは純民間の通商政策としてわれわれは考うべき問題であると思いまして、その線に向かってもまた努力してまいりたいと思っております。
  566. 西郷吉之助

    委員長西郷吉之助君) 以上をもちまして柳岡君の質疑は終了いたしました。  本日はこの程度にいたしまして、明日午前十時から開会いたします。本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十五分散会