○
亀田得治君 きまってないところが同じということですね。まあこれは、現在の
制度の
責任者側としては、否定的な批判的なことを言うのはなかなかむずかしいのです。もう七、八分
質問者の
意見と同じであっても、なかなか言えない。それは気持ちはよくわかるのですが。たとえば非常にいやがる
仕事だとか、また
判決の
執行の
最終段階ですから、なかなかむずかしい
判断を要する問題も確かにある。だから
手数料制がいいのだというふうには、ちょっと私はならぬと思うのですよ。むしろ、そういう状態だから、やはり
俸給制にしなきゃいかぬというふうにもまた言えるわけなんですね。そうしませんと、
最後の
執行の
段階で、やはり金をたくさん積んでいろいろ細工を弄する、そういう方面になびく、そういうことがあっちゃいかぬわけなんです、
判決の
執行なんですから。
ほんとうに
判決で命ぜられたとおり忠実に守らなきゃいかぬわけなんですね。だから、決して
困難性があるとかそういうことから
手数料ということには結びつかぬと私は思う。やはり
俸給制でやって、そうして特殊な
仕事を
一つか二つやったという場合には、
俸給制の中でやはり特殊な
手当をしていく、こういうふうにしませんと、不公平な措置などに結びつきやすいわけです。だからこれは理由にならぬ。それは、一番いやがる
仕事といえば、
刑事のほうも
死刑の
執行など、これはだれだって一番いやがるんですよ。そんなもの外部に請け負わすとか、もちろんそんなこと言ったら人が笑うでしょうから。しかし、同じ
判決なんですから、
一緒なんですよ、それは。
判決の内容によっては、
死刑の
執行と同じような衝撃を受けるようなものがたくさんあるわけですからね。だから、特殊な職種に対する特別な
手当という問題は、これは研究の
余地があるとしても、やはり大原則は、こんな
手数料によって
収入をまかなっていくというのは全く古い
考えですよ。これはひとつ研究してほしいのです、前向きで。さっきからいろいろな
意見があって、結局どうとも言えないという
意見をお二人とも出されているわけですが、不自然さぐらいは私は肯定してもらえると思うのですね。こんな不自然なことはないですよ。
赤間さんは長い
間知事や通産省におられたのですが、いろいろな
手数料をよく持ってきますよね、みんな国に入るわけです。
月給は
月給ですよ。
手数料がよけい入るところの
役所におるやつがよけいもらえるなんて、そんなことをしたら大問題になる。だから、これは筋が通らぬですよ、こんなことは。ただ、
明治のころこういうことを始めたものだから、なかなかそれが
習い性となっていて断ち切れないのですよ。だから、なかなかきめにくい問題と言うけれ
ども、なにこんなものは
俸給制に割り切ってしまえば簡単なことですよ。そんなに反対が起こるとは思われませんがね。
収入の少ない
執行官のおるところなどは、これは賛成だろうしね。そういう
執行事務があってもなくてもいなければいかぬのですからね、あっちこっちに
裁判所がある以上は。ちょうど自分のおるところは
事件が少ない、だから
収入が少ない。そんなことは、そこにおる人から見たらこれは不満ですよ。だから、そういうところには国がこれを補助をするのですね。だから、補助するということ
自体がそれはおかしい、もう
手数料制というものをこわしておるわけでしょう。
ほんとうの
手数料制なら、おまえは注文があって働いただけしか
収入がないのだと、これで割り切らなければいかぬ。そんなことでは
役所の
形態をなさぬわけですよ、それは。それでちゃんと例外を設けて、
収入の少ないところには国からちゃんと金を出している。これは
人件費、
俸給でしょう、そうなれば。そこまで来ておるのですからね。今度の
恩給だってそうでしょう。
一般の
公務員の
恩給が上がる、それに準じて
執行官の
恩給も上げるのだ。一々そんな
一般の
公務員の
恩給が上がったときに
法律出すのはめんどくさいから、今度はもうあっちが上がったら自然にこっちも上がるようにやってくれということは、これは自後の
俸給ですね、それについてそういう
執行官も同じ扱いを始めておるわけですよ。だから、
不足分を国が負担する
制度、あるいは今度の法の
改正の
趣旨からいっても、本体の毎月の
収入、これについて
手数料制を維持するというようなことは、これは矛盾だと思うのです。だから、どうもこれは不自然だということくらいはお認めいただけると思うのですが、どうでしょうか。