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1968-03-05 第58回国会 参議院 文教委員会オリンピック等対策小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年三月五日(火曜日)    午後二時十三分開会     —————————————  昭和四十三年三月五日文教委員長において本委  員を左のとおり指名した。                 北畠 教真君                 楠  正俊君                 佐藤  隆君                 中村喜四郎君                 鈴木  力君                 千葉千代世君                 柏原 ヤス君                 石本  茂君  同日文教委員長は左の者を委員長に指名した。                 楠  正俊君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         楠  正俊君     委 員                 北畠 教真君                 佐藤  隆君                 中村喜四郎君                 鈴木  力君                 千葉千代世君    政府委員        文部省体育局長  赤石 清悦君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省体育局審        議官       中島  茂君    参考人        財団法人札幌オ        リンピック冬季        大会組織委員会        副会長      竹田 恒徳君        財団法人札幌オ        リンピック冬季        大会組織委員会        委員       西田 信一君        財団法人札幌オ        リンピック冬季        大会組織委員会        委員       八田 一朗君        財団法人札幌オ        リンピック冬季        大会組織委員会        事務総長     佐藤 朝生君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○オリンピック冬季競技大会に関する件     —————————————
  2. 楠正俊

    委員長楠正俊君) ただいまからオリンピック等対策小委員会を開会いたします。  まず、参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  オリンピック冬季競技大会に関する件について、本日、参考人として財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会会長竹田恒徳君、同委員会委員西田信一君、同委員八田一朗君及び同委員会事務総長佐藤朝生君の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
  3. 楠正俊

    委員長楠正俊君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  それでは、ただいま決定いたしましたとおり、委員長に申し出ることにいたします。  速記をとめて。
  4. 楠正俊

    委員長楠正俊君) 速記を始めて。     —————————————
  5. 楠正俊

    委員長楠正俊君) それでは、オリンピック冬季競技大会に関する件を議題といたします。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、皆さま御多用のところ諸事お繰り合わせの上御出席いただき、まことにありがとうございました。本日御出席いただきました参考人皆さまは、去る二月グルノーブルで行なわれました第十回オリンピック冬季大会関係者として臨まれ、現地の状況をつぶさに視察してこられた方々でございますので、グルノーブル大会の諸般の状況について、また来たるべき札幌大会において参考とすべき諸点につきまして、忌憚のない御意見をお述べいただき、本調査の参考にいたしたいと思います。  なお、議事の都合上、まず御意見をお一人二十分程度でお述べいただき、その後委員からの質疑にお答え願いたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  それでは、まず竹田参考人にお願いいたします。
  6. 竹田恒徳

    参考人竹田恒徳君) 札幌オリンピック組織委員会の副会長でございまして、また日本オリンピック委員会委員長を仰せつかっております竹田でございます。  まず、先般のグルノーブルで行なわれました冬季オリンピック大会においては、日本選手団はいずれの種目でも御期待に沿う成績があげられませんで、惨敗を喫して帰ってまいりました。まことに申しわけございません。深くおわびを申し上げます。  しかしながら、選手はいずれも努力をいたしまして、十分世界のランキングに伍し得る力を持っておりながら入れなかった、まことに残念な実情等につきましては、団長として行かれました西田団長からいずれ御報告があると存じますので、私は朴帳オリンピックに関しまして申し上げたいと思います。  ただいま申し上げましたグルノーブルオリンピックは、札幌の前のオリンピックでございましたが、これで御期待に沿えない成績をとりましただけに、ただいま日本体育協会日本オリンピック委員会をはじめ冬の各競技団体は、その敗戦の貴重な体験を生かして、四年後の札幌オリンピックにはぜひとも御期待に沿う成果をあげたいという覚悟のもとに、目下選手強化についてさらに計画を再検討し努力をいたさんとしているところでございます。  札幌オリンピック選手強化につきましては、日本オリンピック委員会札幌オリンピック選手強化対策委員会をつくりまして、鋭意これを進めておりますが、その目標といたしましては、四年前の東京オリンピック大会に劣らぬ優秀な成績をおさめるということを目標に掲げて努力をいたしております。  この委員会は、札幌がきまりました四十年の六月に研究を開始いたしまして、翌四十一年の六月に発足をいたしました。ただいまもその委員会を続行しておりますが、委員会には二つの部門をつくりまして、一つ財務委員会選手強化にはどうしても相当の経費を要しますので、その面を検討し補ってまいります委員会強化委員会は直接選手強化いたします委員会、その二つの小委員会を持って進めております。  選手強化の基本の方針といたしましては、冬季オリンピックには六つの種目がございます。すなわちスキースケートアイスホッケーバイアスロン——バイアスロンと申しますのは、近代二種競技日本では訳しておりますが、スキー射撃とを一緒にして行なう競技でございます。それからリュージュボブスレー——リュージュは、御承知のとおり一人乗り、二人乗りかじブレーキのない軽易なそり競技ボブスレーは二人乗りと四人乗りかじブレーキのつきました大きなそりをもって争う競技でありますが、この六種目がございます。それぞれのこの六種目を統括しております競技団体を中心に強化をいたしますが、冬の競技団体は夏の競技団体に比較して連盟組織等が必ずしも十分でないものがありますし、またただいま申しましたボブスレーリュージュのごときは、とのオリンピックがきまりまして初めて連盟をつくって発足をしたいというような、まだ未成熟の状況でございますので、まずこれらの連盟組織強化充実していくということを第一の方針にいたしております。  その次には、札幌オリンピックはまだ四年後のことでございますので、その四年後に優秀な選手となるべき若い年代の者、すなわち中学校の高学年、高等学校の低学年程度の層の若い者たちに重点を置いて、そうして底辺の拡大をはかる、その中から優秀選手を発掘していくということが、いまの段階として進められておることでございます。  その次には、競技施設でございますが、いま申し上げましたとおりに、中学生あるいは高校生等の若い層の中から優秀な選手を発掘していき底辺を拡大していくということになりますと、冬の競技のできる各地方にそれぞれ競技施設を持つことがたいへん大切でございます。が、しかし、いま一般のレクリェーション的な施設は、スキースケートかなり盛んになりましただけに、たくさんの競技場がございますけれども、選手を養成していくような競技場には必ずしも十分でございません。また、スケート等は、シーズンがたいへん短いので、人工の氷等で長くすべれるリンク等が絶対選手強化のために必要でございます。そうした施設の建設を促進をしていくということが三番目の仕事でございます。  その次は、世界的な高度の技術を導入しマスターするということのために、国際交流がぜひとも必要でございます。国際交流には、コーチ交流選手交流、そしてまたこちらに招聘をしますものと向こうに派遣をしますものとあるわけでございますが、それはそれぞれの競技の種類あるいは時期的な関係要求が違ってまいりますけれども、今度のグルノーブルを見ましても、やはり優秀なコーチがついてやっておるところがいい成績をあげております。ヨーロッパの中でも、たとえばいまグルノーブル直後に、ドイツケラー選手というオリンピックで五百メートル優勝金メダルを取りました選手日本に呼んでおりますけれども、しかし、そのドイツもまたやはりスピードスケート王国とい一われるノルウェーコーチを招いて、そのコーチのもとにああした優秀な選手をつくっておりまして、いまそのケラーコーチをしておりますノルウェーのムーム・コーチ東京に招致をいたしておりますが、その例のように、やはり各国ともそれぞれ発達した国から優秀なコーチを招いておるという事実がございます。したがって、本場から離れました日本としては、そうしたコーチを呼びますこともたいへん大事なことでございます。また、ケラーを呼びましたように、優秀な選手を呼んで、その技術を若い選手に見せるということもたいへん大切でございます。また、今度のグルノーブルでも、敗因のやはり一つになりましょうが、どうも日本選手は何か孤立感に襲われておる。ことばの関係もございましょう、また顔なじみでない関係もございまして、向こう選手は和気あいあいとしてお互いに楽しくしていても、日本選手はあまり知り合いもないし話も通じないということで、どうもとかく孤立に陥る。したがって、精神的に安定を欠くというようなこともございますし、どうしてもやはり国際舞台に、ひのき舞台に出して訓練をするということが世界のトップをねらうためには不可欠の要件でございます。その国際交流を進めることを四番目の仕事考えております。  その次は、いまの日本指導者資質向上でありまして、外国選手指導者等を呼びましても、結局は日本コーチが優秀でなければ、選手と密接して技量をあげることはできませんので、日本コーチ資質向上させるために、いままでしばしば講習会等を開いて指導いたしておりますが、これも今後とも続けて、指導層向上、ことに科学的医学的な研究においては、東京オリンピックの際にはかなり進んだ研究をいたしましたけれども、冬の競技につきましてはまだ十分でございませんので、スポーツ医学研究委員会というのがございますが、それと関連をして、徹底的に科学的医学的な研究も織り込んでいく、そしてりっぱな選手をつくり、指導者技術的資質的向上を五番目に努力をいたしております。  次には、札幌オリンピックは、幸いなことに、先般の東京大会一つの例がございますので、その東京大会におきまする選手強化一つの範といたしまして、いまから一九七二年までの年度別のそれぞれの目標を立てて、そして強化を進める。いわゆる具体的な各種日ごと強化進度計画、そしてその実施を進めております。  大体いま申し上げましたような項目が選手強化のおもな方針でございますが、ただ、御承知のとおりスピードスケートアイスホッケー、あるいはそり競技等、それぞれみな違った性質を持っておりますので、細部につきましては、各競技団体責任を持って進めるということにいたしております。  以上が計画でございますが、ちょっと一つつけ加えさせていただきますと、先般のグルノーブルオリンピックでは、確かに十分な技量を持ちながら負けておるという事実等から見まして、やはり基本的な、そして精神的な鍛練ということがたいへん大事だと思いますので、今後はそうしたことにさらに力を入れたいと思います。あとの先ほど申しました計画を進めるために必要なものは、結局、コーチと、そして訓練をする場所をつくりまして、その訓練を進める、あるいは外国との交流をするための強化資金を得ますこと、この三つが要約いたしますと一番大事な点ではなかろうかと思います。  グルノーブルから帰りましてまだ日がございませんので、グルノーブルの経験を生かしての具体的なことを御説明するまでに至っておりませんが、われわれがただいま進めております強化の大体の方針考え方を御説明申し上げた次第でございます。
  7. 楠正俊

    委員長楠正俊君) どうもありがとうございました。  次に、西田参考人にお願いいたします。
  8. 西田信一

    参考人西田信一君) 私は、ただいまのグルノーブルオリンピック日本選手団長として参りまして、非常に御期待に沿えない結果を持って帰ったわけでございますが、率直にその大会状況並びにその結果に対する反省について申し述べてみたいと思います。  で、このたびのオリンピック、三十七カ国の参加でございます。選手数は千三百七十名。うち女子が大体二百五十名で、種目は三十五種目ございまして、そのうち日本参加いたしましたのは二十八種目でございます。  で、出発前の私どもの考えといたしましては、札幌オリンピックが決定いたしまして、札幌オリンピックに備える長期強化策というものを立てておりますが、それの第一年目が終わって第二年目に差しかかるところでこのたびのオリンピックを迎えた、臨んだと、こういう立場にあるわけでございます。したがいまして、札幌オリンピックにおいて日本が最大の成績をあげますための立場から申しますと、今回は札幌大会に対する足がかりを確保いたしたい、こういうようなことを総体目標といたしまして、その種目別に見ますると、そういう立場から考えますれば、日本水準も一歩一歩向上しておりますので、ごく若干の一、二の種目につきましては、あるいは上位入賞、あるいは上位入賞できないまでも六位以内の入賞というものは、二、三の種目につきましては何とかかちとってもらいたい、こういう実は率直な希望を持って参ったわけであります。  で、大会状況その他につきましては、後ほどまたお話がございましょうから、私はそういう点は省きまして、日本参加をいたしました種目別にその成績の概要と、それからまたそれに対する反省等を申し述べてみたいと考えます。  第一に、スピードスケートについて申し上げますが、これは男子女子と両方が参加をしております。で、日本は、男子女子も、短距離におきましてはやや国際水準に近いのでありますけれども、長距離になりますというと、かなり開きがあるわけでございまして、これはとうてい入賞というようなことは最初から期待はできませんでしたが、短距離、ことに男子短距離におきましては、かなり日本水準世界水準に接近をしておる。あるいは肩を並べるところまでいっておるのじゃないか、こういうふうなことでございました。われわれはこの五百メートルという種目に非常な期待をかけたのでありましたが、残念なことには、日本の最も期待をかけた鈴木選手が、鈴木選手にはいまだかつて見たことのないような失敗をやりました。第三コーナーと申しまして、スタートを切りましてから最初コーナーを回って第三コーナーに差しかかったところ、安定を失いまして、ついにそこで異様な大きなロスをいたしまして、結局第八位という成績に終わったわけでありますが、もしこのことなかりせば、おそらくは、優勝いたしまして今日日本に来ておりますケラー選手とどちらが勝ったかわからない、あるいは日本鈴木優勝したかもしれないというようなペースですべっておりましたが、そのたった第三コーナーにおきますところの思わざる失策のためにこれを失したというような結果に終わったわけであります。  中距離長距離等におきましては、これは残念ながら日本選手は自分の持っておる記録にも到達しない、日本の最高の、日本記録にも及ばないというような結果でございまして、これはいろいろ反省を要することであろうと思いますが、ことに日本女子選手がはなはだ不振でございまして、これは全参加選手のずっとあとのほうに位置するというような成績しかあげ得なかったのでございます。  次にフィギュアスケートについて申し上げますと、このフィギュアスケートにおきましても、日本男子女子もかつては、相当な水準に去年あたりまでは達しておりました。世界選手権等に出ましても四位ないし五位というところにおったのでありますが、今回は男子有望選手が引退をいたしましたために、かなり水準が低い選手が出場いたしました。かなりと申しますと語弊がありますが、そういうようなかつての四、五位におるような選手男子では送り得なかったのであります。女子につきましては、これも優秀選手が引退いたしましたあとを継いで大川という選手が、これは場合によりますと四位、非常にうまくいけばあるいは三位にも期待を持てるかというような実は考えで参りましたが、率直に申しまして、世界フィギュア水準はこの一年間に非常に伸びておりまして、そういうような上位入賞ということはまず困難であろうけれども、五、六位ぐらいのところには食い込める可能性を持っておる、こういうふうに実は思っておりましたが、これも若干の不運も手伝いましたけれども、やはり先ほど竹田会長が申されましたようないろいろな悪条件が重なりまして、ついに期待をしておった大川選手も、実際には順位や点数では第六番目になっておるのでありますが、いろいろこまかい競技規定がございまして、これによって第八位にとどまったというようなことで、これも最初期待を裏切ったわけであります。男子は、残念ながら先ほど申しましたような選手しかおりませんために、これも上位の者にはとうてい及ばない状況でありました。  アイスホッケーにつきましては、日本は従来の戦績に従ってBクラスに出場する出場権を得ておったわけでございますが、その前の年にCクラスからBクラスに上がりまして、そしてBクラスでは何とかできれば優勝をしていきたい、こういうような期待を持って参ったわけであります。結果は、御案内のように四勝一敗ということで、第一位のユーゴに勝を譲ったわけでありますが、しかしながら、これも結果から見まして考えますならば、日本の持っておる実力というのは、Bクラス優勝いたしましたユーゴともし今日やればどっちが勝つかわからない伯仲した実力を持っているというふうに思いますが、とにかくユーゴに第一戦を失いまして、このBクラス優勝という希望も実は実現できなかったわけであります。  ちょっとここで一言触れますと、アイスホッケーAクラスBクラスに分かれておりまして、Aクラスのほうは八チーム出ておりますが、この八チームによって第一位から六位までの入賞の国がきまったわけでございますが、その実力を見ますというと、今度優勝いたしましたソ連は飛び抜けておりますが、続いてカナダ、あるいはチェコスロバキアフィンランド等、こういうような国が非常に強いのでありますが、下位の東西両ドイツは七位、八位に終わったわけでありますが、これらのチームBクラスの一、二位にありますところの日本、あるいはユーゴ等との実力はそう大きな開きはないというふうに考えられるわけでありまして、これから日本アイスホッケーにつきましても、何とかAクラスに突入したいという、この当初の目的に向かって今後努力を要する、すればまたこれは不可能なことではないというふうに考えるのであります。  それから、スキーについて申し上げますと、これは種目がたくさんございますから一まとめに申し上げますが、ジャンプ競技——ジャンプ競技にも七十メートル、九十メートルの二つクラスがございます。それから複合競技滑降競技回転距離競技と、こういうように種目が分かれております。これらについて申し上げますと、最も有望視されましたのはジャンプ競技、しかもジャンプ競技の九十メートルのほうはかなり国際的な実力に近づいておるというようなことで、これに一番の大きな期待を持っておったわけであります。ところが、この九十メートル、最終日でございましたが、これにおきましても、日本の最も期待いたしておりましたところの藤沢選手が、第一飛躍におきましては百一メートルというような記録を出しまして、五十六名の一番最後から二番目にソ連選手が飛ぶまでは藤沢選手がずっと第一位を占めており、ソ連選手が百一メートル五十飛びましてわずかに藤沢選手を上回るというような第一回の結果でございました。これはすでに皆さん御存じと思います。ところが、第二飛躍におきまして、われわれは非常に期待をいたしておったのでありますが、残念ながら非常に藤沢選手失敗飛躍をやりまして、ついに十数位に落ちるというようなこれも結果に終わったわけであります。  滑降回転距離競技等におきましては、なかなかこれは日本選手欧州陣にはかなりの力の差がございます。わずかにジャンプ距離とを合わせました複合競技におきまして、いままでにない第十位の成績に上がったわけでございますが、ジャンプにおきましては、複合において日本選手が二位、四位、こういうようなかなり成績をあげましたが、距離競技におきまして、はなはだ残念でありますが十位に落ちる。しかし、十位というのはいままでかつてない成績でございまして、スキー競技におきましては、ジャンプにおいて入賞の機会を失し、その他の競技におきましては残念ながらあまり上位に近い、あるいは中位の成績もおさめ得ない、複合におきましてジャンプ成績によって十位に上がったというような結果に終わったわけでございます。  それから次は、スキー射撃を組み合わせましたバイアスロンでございますが、これも日本選手かなり射撃がうまいということで期待をいたしておったのでありますけれども、これまた雪質等非常に天候に災いされました影響も受けまして、残念ながらはなはだ成績がふるわず、最も悪い成績で終わって、これも期待を裏切ったわけであります。  リュージュボブスレイ等には日本選手を送っておりませんで、リュージュは新しい競技でありますが、日本選手が特別に試みにすべる試走を許されたという程度でございまして、まだこれから日本選手をつくっていかなければならない種目でございます。  以上がきわめて簡単な概況の報告にすぎないのでございまするけれども、そこで、なぜ一体日本選手はこういうような不振な結果に終わったのであるかということを、これは率直に振り返って見、反省もし、そして将来に備えなければならない、こういうふうに存じておりまして、団長として非常に責任を痛感しておるわけでございます。  先ほど来竹田さんもお話がございましたが、私は、先ほど冒頭に申し上げましたように、このグルノーブル大会において日本選手がきわめて優秀な成績をおさめてくるという実力は持っておらない、これは最初からわかっておりました。きわめて限られた一、二の種目期待をかけておったわけでございまして、四年後の長期強化対策、これの成功のためには今回できる限りの成績をおさめてきたい、こういう考えを持っておったのでございまするけれども、率直に申して非常に、世界水準に近い、あるいは到達している種目もごく少数ございます。しかしながら、世界水準にはるかに遠い種目が数多いのでございます。また、それに中間的なところまで進んでおるものも若干ございますが、総体を通じて申しまするならば、まだ世界水準からかなり遠いところに日本選手の位置がある、こう申して間違いないと存じます。しかしながら、私は当初から選手に申しておりましたことは、あまり選手に対して精神負担になるようなことは申しておりませんでしたが、とにかく自分の悔いのない戦いをせよ、自分の持てる力を出し切るということが悔いのない戦いである、もし自分の持てる力を出し切れなかったときはこれは全く悔いを残すような結果になるのであって、もし敗れても自分の持っている実力を、力を十分に出し切るということだけはやるようにということを実は選手に申し、期待をしておったわけでございます。ところが、率直に申しまして、私は、日本選手が、これは例外もございまするけれども、総体を通じて見るならば、自分の実力もよく出し切らなかった、こういうように実は思うのであります。それは一体どこに原因があるのかというようなことは、これは謙虚にひとつ振り返って反省しなければならぬと私は思うのであります。これはただ一つの事柄だけによってそういう結果になったのではないと思います。いろいろな条件がそこに積み重なってそのような結果に終わったものであるというふうに考えるのが妥当であろう、こう思うのでございます。  一体、何がそれじゃ日本選手に欠けているのか。これは日本競技の歴史というものが、これは残念ながらまだ歴史が浅いのでございます。欧米に比べて非常に歴史が浅い。また、競技をする期間も短い、競技をする場所も少ない、選手の層も非常に薄い、しかも国際交流の機会というものはきわめて少ない、こういうような条件に置かれているのが日本立場であると思います。こういう条件の中から世界の強豪を相手にして勝利を目ざすということは並みたいていのことでないということは、十分覚悟しているところでございまして、要するに、平易なことばで申しますならば、世界を追っかけて、そしてそれを追い抜く、こういう二段の努力が必要であるというふうに私どもは理解をしている。そのためにいろいろな目標を立てまして選手強化をやっており、皆さまから非常な御鞭撻をいただき、国からも相当の援助をいただき、民間からも相当な支援をいただいて、そしてやっておりますけれども、私は、外国選手の鍛練のしかた、あるいは国をあげての選手に対する組織の力で選手をささえている姿、いろいろ考えてみますると、まず第一にみずからなさなければならぬことは何であるか、私はまず精神鍛練であるというふうに思うわけであります。精神鍛練ということはいろいろな意味にとれまするけれども、日本選手が決してなまけておった、こういうような意味ではございません。  しかしながら、何と申しましても、世界の舞台において堂々と渡り合うためには、やはり現在の日本の背負っているところのマイナスの条件を、これを克服していかなきゃなりませんが、そのためには何といっても十分使い得る施設も必要でございます。さらにまた、競技会、つまり競技鍛練をする競技会の機会等も、おそらく諸外国選手に比べましては二分の一ないし三分の一でございます。向こう選手たちはもう、欧州の各国におきましても、ちょうど隣の県に行くごとく交流を行なう。そして年に二十回、三十回というような、きわめてきびしい競技経験を経て鍛練をして、そしてオリンピックに臨んでおりますけれども、日本の場合においては、国内におきましてもそれだけの競技を通しての鍛練もできておりませんし、それから国際交流の機会などはなおさらないというようなことでございます。そして海外に遠征するにいたしましても非常に長期間を要するのでありまして、今度もユニバーシアードに出場して、そしてユニバーシアードからさらにオリンピックというようなことになったわけでありまするが、こういうような距離が遠いために、費用の関係ももちろんこれにからんでまいりまして、一ぺんに出かけてチャーター機を雇うというようなことにしなければ費用負担もかさむというようなこともございまして、これが各競技種目によりましてそれぞれ違う事情を一つにまとめて出発をするというようなことでございます。そしてなれない海外に初めて行く選手もあるというようなことでございまして、外国の連中は全くもの珍しいというような気持ちではなくて、全く自分の国でやっていると同じような気持ちであらゆる競技会に出ているのに比べて、日本選手はそういうような面においても十分なチャンスがないというようなことから、ことばもできない、あるいは食事の面等におきましてもいろいろ考えなければならぬ点があると思いますが、スタミナが十分ないとか、あるいは精神的な何かものをそういう場合において感ずるというようなことやら、いろいろございまして、いよいよ大事な本番というときに十分自分の最高の力を出し切らなかったというようなことは、これからの精神鍛練とさっきことばで申し上げましたが、これは心がまえの問題も必要であります。同時に、やはりそういうようなことのハードトレーニングをやって、そうして各国選手と同様の鍛練をやる、国際的な雰囲気にならすというようなことによって、ものに動じない試合度胸をつけるというようなことはどうしても私は必要なことであろう、こういうふうに実は考えておるわけでございます。  ことにこの日本におきましては、何と申しましても、外国と違いまして、選手の、何といいますか、選手年齢といいますか、これも短い。これは日本の社会環境あるいはその他のいろいろなものに影響を受けているわけでありますが、外国選手の寿命は相当長うございますし、あるいはまた生活等におきましても、日本選手は合宿をいたしましても、合宿の期間だけ栄養をとるというようなことで、家庭に帰ってそれが年じゅう生活を通して鍛練をするというようなことにはやや欠ける面がありはせぬかというようなこともあろうと思います。  それから、今度三冠王になりましたキリーというのがフランスにおりますが、これなどはちょうど、私は札幌東京というと、パリとグルノーブルというのがちょうど似通ったところにあると思いますが、パリでは一体このオリンピックに対してどのぐらいの関心が示されたであろうかというようなことも興味を持って見ておったのでありますが、キリーというああいう三冠王が出たということもありまして、全くやはり強い選手が出なければ国全体の空気が盛り上がらぬというようなことも痛感されるわけでございます。私が向こうにおります間に、各国のスポーツ大臣と申しますか、青少年大臣と申しますか、そういう大臣が自分の国の選手を激励に来た国も相当ございました、これは距離が近いから。日本はそう簡単には  いかないということは当然でありますけれども、そういうこともございまするし、それからまた国民全体の組織の力で選手を盛り上げる、育て上げる、こういうようなことも痛切に感ずるわけでございます。  何とかひとつこういうような失敗というものを、ただ申しわけだけするのじゃなくて、申しわけは一切しないつもりでおりますが、なぜ日本が敗れたのか、なぜ持てる力を出し切らなかったのかということにつきましては、謙虚に反省をいたしまして、そうしてこれに対する対策というものを十分立てて、次の自分の国で、母国で行なうところのオリンピックには少なくとも国民の満足されるような成果をあげなきゃならぬ。私はたいへんこれは言い過ぎたことばになると思います。おしかりになると思いますが、なまじっかの成績をあげてきたよりも、むしろ惨敗してきたほうが奮起の機会になるし、また残っておるところの後続部隊、若い次の札幌オリンピックを背負う青少年の奮起の材料に一つしたい、なってほしい、こういうふうに実は思っておるような次第でございます。  はなはだ、時間がありませんので概略を申し上げましたが、率直なひとつ心境を差し加えまして御報告をさしていただきました。
  9. 楠正俊

    委員長楠正俊君) どうもありがとうございました。  次に八田参考人にお願いいたします。
  10. 八田一朗

    参考人八田一朗君) 私は、冬季オリンピック、冬季競技はしろうとでありますから、イタリアで行なわれましたコルチナダンペッツォの冬季オリンピックと今回のオリンピックと二度見学いたしまして感ずるところをお話ししようと思うのであります。  今回の成績、いろいろ言われておりますが、体力がなかったと、あるいは根性がなかったということを言われておりますが、私は私の率いるレスリングで常に言っておることを申し上げて参考にしていただければ幸いと思うのでありますが、体力——体力は何であるかということがはっきりしていないと思うんです。体力というものは、私は、筋力——筋肉の力、それから持久力、それから瞬間的に出す力、われわれ瞬発力と言っておるのですが、この三つが集まって体力と思うのでありますが、いつも、東京オリンピック成績の悪かったときも体力がなかったと言っておりますが、じゃ、体力の何が不足しておるのかということがはっきりしていないために、ただ体力体力と言っておったのに、その後さっぱり成績があがらぬというので、私はこの三つに分けて体力というものを見ておるのです。  それで、筋力というのは、この筋肉の力ですから、足の力も腕の力もあるのですが、大体日本人は腕の力が外国人に比べて弱いのです。それで、腕の力は、少なくも自分の体重を自由にできるだけの力をつけていなければ運動選手は一流になれないと思うのです。非常にからだの大きい人が腕に力があるように思いますが、これは大きなものを、重いものを持ちますと、小さい者と比べますと確かに力はあるのですが、体重に比例した力を持っていない。ですから、天井からひもをぶら下げて足を使わずに上がったりおりたりしてみろというと、大きな重いやつはのぼれないのです。軽い、優勝したようなやつは、上がったりおりたり何べんでもして、足と同じ力を持っておる。こういう選手になれば何々をしても一流になれると思うのです。特にスキーの耐久レース等は、平地を走ります。ですから、つえをついて押すわけです。のぼるときもそれでのぼるのですから、足と同じ力を持っているといままでの倍の力が出る、スピードが出るというようなぐあいに思うのですが、腕に力をつけていない。そういうところにスキーの耐久レース等は不成績な原因があると思うのです。私はしろうとですから、外から見た点では、外国選手とそんなに違わないと思うのです。すべるということについてそんなに差がないと私は思うのです。そういうところに差があるのです。たとえば、スケートでいえばホッケー、これは腕に力がないから、たまをたたく、あれを打つ力が日本選手はスピードがないのです。向こうのやつが打てばピューンとくる。そうすると、それをよけそこなう。いろいろそういう原因が出てくるのです。それは腕の力があるないによって差がそういうところに出てくるんだというぐあいに感じておるのです。  筋力をつけるのは、先ほども西田先生おっしゃったように、食事の問題もあるのですが、結局栄養をとらないかぬ、たん白源を。これはビフテキをしょっちゅう食えばいいでしょうが、これは金がかかるからそういうぐあいにいかぬでしょうが、できるだけ安くて栄養源になるたん白源をとるというようにする必要があると思うのです。腕に力をつけるには、一日一回筋肉に刺激を与えればいいということを言われているが、五秒といったり、七秒といったりしておるのですが、一日一回刺激を与えて、だんだん重いものを持たせると、自分の体重と同じものが持てるようになる。自由に扱えるようになるのです。これが非常に大切だと思うのですが、選手の食事、今回も見ますと、ラーメンを持っておった。あるいは福神づけを持って行っておる。梅干しを持っておる。そういうようなことで、結局これはヘルシンキのオリンピック以来、米にたよっておる競技団体はあまり強くなっておらないのです。これは現地で、村でもって非常に栄養の高いものを食わしておるのですから、それでやればいいのですが、米をどうしても食わなければいかぬという競技団体は、私はあまり強くなっていないというぐあいに思っております。  それから、そうやって体力がつけば、あとは根性だと思うのです。どうしても勝とうという気持ちを持っておるやっと持っていないやっと、だいぶ違います。コルチナダンベッツォでスキーの耐久レースを見たんですが、ソビエトの選手はとにかく一生懸命で走ってきて、決勝点に入ったらそのままひっくり返ったのです。そして担架で運ばれていった。ですから、全力を尽くして、死ぬ一歩手前まで力を尽くして走ってきた。日本選手はどうかというと、三十何位かで入ってきて、そのままのこのこ旅館に帰って、シャワーをかぶって、着がえて活動写真を見に行っている。だから、私はもっと力一ぱい走って、ひっくり返るまでなぜ走ってこないかということをそのときに痛切に感じたのですが、とにかく日本選手でゴールに入ってひっくり返ったやつはいないのですよ。ですから、死ねとは申しませんが、死ぬ一歩手前まで一生懸命走ってくる必要は私はあると思います。そういう意味で、ぜひ勝とう、何としても勝とうという気持ちを持っていないというところに勝負の差が出てくるというぐあいに思います。  そして、私のほうは常に夢で勝てと言っておりますが、夢の中で化けものや猛獣が出てきて、こいつを夢の中で退治させる。夜寝るときに自分で自己暗示をかけて、化けものが出たら退治しろというぐあいに、しょっちゅう寝るときにやらせます。それができたら、次には苦手をやっつける。どうしても勝てない苦手を夢の中に持ってきてやっつける。それができたら、今度は必ずオリンピック優勝して日章旗を上げる夢を見ろということをしょっちゅうやっておるんですが、どうしても勝とうという気持ちになれば、そういうことを選手みんながやれば、必ず勝てるようになると思います。  それで、これはまた指導者も絶対に勝つのだという気持ちを持たないとだめだと思います。たとえば東京オリンピックのときに、金メダルの数を体操の近藤とかけて、負けたら銀座で一ぱいごちそうするという約束をしたのですが、陸上競技会長とか、水泳の会長に、あるいは講道館の館長に、このかけに入らぬかと言うと、いや私のほうは自信がないから入らぬと言っているのですが、会長がそういうことでは自然に選手に響いておるのです。会長は、勝っても負けても、勝つんだという気持ちでやっておれば、必ず勝つと思います。私は常にはったりはったりと言われてきたのですが、三十数年はったりを言っているうちに、とうとう金メダルを五個取れるようになったんですが、指導者をつくるということはたいへん大事なんですが、必ず勝つのだという気持ちを持つように指導者がされるなら、これは勝てるようになるというぐあいに思います。  それからあと、眠る訓練ということもしておりますが、これはどうしても興奮して眠られないというのは事実であります。あした試合というときには眠られない。ですから、ふだんから眠る訓練をいたします。電気をつけておいたり、あるいはラジオをつけっぱなし、テレビもつけっぱなしだったりいたしますし、夜便所に行くときにはなるべく大きな音を立てて、できるだけ戸はどたばたやって便所に行けと、ついでに近所に眠っているやつも起こして行けということをやっております。ですから、よその競技団体と一緒になりますと非常に迷惑されまして、いろいろ苦情が来ますが、われわれのほうは眠る訓練をやっておるからだめだと断わりますが、結局われわれのほうが腕力強いせいかそのまま泣き寝入りになっているかと思います。それで、夜中に行って引きずり起こして顔を水で洗うと目がさめる、目がさめたらまたすぐ寝ろというぐあいにやっておりますが、これは自己暗示で眠れるのであります。夜中になれば心臓は血液を左右に運ぶから、心臓に負担がかからない。立っておると心臓に負担がかかる。横になっておれば心臓が休まる。それから、目をつむれば何も見えぬから、脳の働きが半分以上休まるのです。ですから、眠れなくても横になっておればからだが休まるのだから、心配するなというぐあいに申しますと、選手は安心しておりますし、眠ろうとあせりませんから、かえって眠れるようになるのですが、こういう眠る訓練と夢に勝つという訓練を体力のほかにやっておりますが、スキー選手スケート選手もそういうようにひとつ神経を太くやるならば、私は決して札幌で負けるようなことはないと思うのです。必ずいい成績をあげられると、私は技術的にはわかりませんが、そういう感じを持っております。  それから、国際的な雰囲気にならす。これは非常に大切なことでありまして、われわれ選手外国に連れていくときには、よく帝国ホテルとかオータニとかいうようなところに、なるべく西洋人が大ぜいいるところに行ってめしを食わせたりいたします。こういうことで少し外国の雰囲気にならせておけば、外国へ出たときにあまりびっくりしない。いきなり山の中から外国へ連れていくと、日本にオータニ・ホテルがあることも知らなかったりして、たいへんおどおどするのですが、やはり東京でもああいうようなところへ連れていってめしぐらい一ぺん食わせておくと、だいぶ違うのであります。私はメルボルンに選手を連れていったときに、これは勝つなと思ったのは、メルボルンでもって、ここはずいぶんいなかですねと、こう言うのです、日本選手が。私は、これはだいじょうぶだ。メルボルンへ来て、これはいなかだなと言えば、だいぶ全体の空気をのんでかかっていますから、だいじょうぶだと思ったのですが、こういうぐあいにするならば必ずうまくいくと思います。  それにもう一つスキースケート競技場をできるだけ早くつくって、選手にそこで練習させる。そこでオリンピックをやるのですから、その競技場になれるということがたいへん大事なことだと思うのです。聞くところによると、フランスの三冠王ですか、あれのためにフランスの軍隊が雪を運んで、何べんも同じところですべらせたというのです。ですから、日本ではそこまでいきませんでしょうが、できるだけ早く競技場をつくって、その競技場に全選手をならすということがやはり一番大切なことだと思うのであります。ですから、ひとつそういう方面の予算措置とかそういうものを、できるだけ国際競技のできるような予算とか、それから競技場を早くつくるというようなことは非常に大切なことであります。  取りとめもないことを申し上げましたが、私はこの二つ競技において感じたことを率直に申し上げました。
  11. 楠正俊

    委員長楠正俊君) どうもありがとうございました。  最後に佐藤参考人にお願いいたします。
  12. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) 私は、今度のグルノーブルに、いままでの札幌オリンピックの準備状況報告に参りましたが、施設その他を視察する目的で参ったのでございまして、競技施設大会運営のことにつきましてあらましを申し上げまして、われわれ札幌オリンピックを運営いたしますにつきまして、いろいろ参考になりましたことがございましたので、その点を申し上げたいと存じます。  グルノーブル競技施設は、グルノーブルの市内に開会式場をつくり、またアイスアリーナ、これは閉会式にも使いました。開会式は仮設でつくられました。また、アイスアリーナ、これは新設されたのでありまして、工費約三十四億でつくられおります。そのほかグルノーブルの市内にスピードスケート場がつくられておりまして、これは収容人員八千人でございまして、工費約十三億という金でつくられております。その他アイスホッケーのためにもう一つ場所がございまして、これは既設のものを使ったようでございました。その他のいろいろなスキー施設ボブスレーリュージュ施設は全部グルノーブルの市内にはございませんで、遠く離れたところにございます。アルペン競技場につきましては、回転、大回転滑降をやります競技場としまして、シャムルースに、これはグルノーブルから三十一キロでございますが、そこでアルペン競技が行なわれたわけでございます。これは従来の施設を整備した程度でございまして、整備費約六億円という金でつくられております。次にノルディックのスキー競技におきましてはオートラン、市内から三十五キロでございますが、そこで開かれまして、距離競技はこれは整備でございますが、バイアスロン、近代二種競技は、これは新設されまして、これに約三千万円という金が使われております。それから、七十メートルのジャンプ競技場もオートランにつくられておりまして、これは新設でございまして、約一万八千人の観客の収容人員でございまして、建設費が約二億ということになっております。それから、九十メートルのジャンプは市内から約二十四キロございますサン・ニジェールで新設されまして、これは収容人員約五万人で、建設費が約五億でございます。それから、一番遠いのが、先ほどからお話がございますボブスレー競技場でございまして、アルプ・デュエという市内から六十キロのところに新設されまして、これが約四億の金でつくられております。最後にリュージュ競技場は、これは市内から約三十五キロメーターございますヴィラール・ド・ランスというところにつくられておりまして、これが建設費約二億でつくられております。  以上申し上げましたとおり、競技施設は全部市内から非常に遠いところにつくられて、スケートを除きまして、スキーその他の競技距離の遠いところにつくられております。これは札幌とだいぶ事情が違いまして、札幌は一番遠い恵庭が三十キロ足らずというような、全部近いところにつくられる。こういう点が非常に違うと感じた次第でございます。また、ちょっと申し上げましたとおり、グルノーブルは一部既設のものがございますが、札幌におきましては全部これは新しくつくらなければならないというのが、われわれとして非常にこれから苦労の種でございます。それから、いろいろ感じましたうちで、ボブスレーリュージュ、これは先ほどからお話ございますとおり、わが国において初めての競技でございますし、われわれとしましても、これは組織委員会がつくることになっておりますが、専門家の方をお呼び願いまして、いろいろ研究してまいりましたが、これはわれわれもこれから四年間の間非常に苦労して専門家を外国から招聘したりいたしましてやりませんと、なかなか向こう競技団体の納得のいくような競技場ができないんではないかとひそかに思っておる次第でございます。それから、先ほどお話のございましたとおり、われわれの施設をつくります上におきましても、試験的にいろいろだめしてみなくてはいけませんし、また選手強化のために非常に必要でございますので、ぜひ早期建設ということが必要であるということをつくづく感じてきた次第でございます。  以上が大体の競技施設のことでございますが、大会運営のことをあらまし申し上げますと、先ほど西田団長からお話がありましたとおり、今回の大会参加国は三十七カ国でございまして、選手が千三百七十人、それから選手村に入った役員の方々が六百人、合わして千九百七十人でございます。そのほかにプレスハウスに入りました新聞記者その他報道関係、マスコミ関係の方が非常に今度は多うございまして、ラジオ、テレビの関係が千三百四十人、新聞雑誌関係が千五百人、合わして二千八百四十人のマスコミ関係の人が来ております。プレスハウスに入っていたわけでございまして、この点が東京大会のときよりも非常に人が多い。先ほどからお話もございましたが、グルノーブルがパリから離れておって、パリの人が行くにつきましても宿舎を利用しなくちゃいかぬ。これはまた札幌にも通じますので、東京から札幌に行きますのに、東京日本人の人にも宿舎をつくらなくちゃいかぬという問題が起こるのじゃないかということを私感じた次第でございます。組織委員会で使いましたいろいろな人間は、調べてまいりましたところによりますと、大体六千二百人でございまして、入場券関係で千人、あるいはレストラン関係で五百五十人、ホステスが三百五十人、宿舎関係三百八十人、輸送関係九百五十人、技術関係が千五百人、競技関係が四百人、式典関係が百四十人、その他九百三十人で、六千二百人の人を使っているようでございます。  それから、予算は、一九六四年から六八年までの全部の、準備時代も加えまして約八十四億でございます。それから、先ほど申し上げました競技施設の合計額が大体九十二億という金を使っております。これは円に直した金でございます。その他高速道路につきまして六十五億、あるいは一般道路につきまして百四十五億等を使いまして、全部の総投資額が七百九十六億という数字を聞いてきたわけでございます。  大会に従事した人間は、先ほど申し上げました組織委員会の六千二百人のほかに交通輸送につきまして七千四百人、また安全及び保健衛生につきまして千百人、通信関係七百五十人、軍隊が三千六百人、合わして約二万人の人を使っておるのでございます。  それから、自動車が非常にふんだんにあったように思われましたんですが、自動車が大体千六百台、そのうち観客用の大型バスが六百五十台、その他のものが千台というふうな数でございます。  それから、駐車場も非常に大きくとってございまして、グルノーブル市内に八千五百台の駐車場と三千五百台の駐車場とが設けられておりました。その他各競技場にも千台、二千台という駐車場が設けられ、またその他ヘリコプターをふんだんに使っておりまして、二十五台のヘリコプターを使っておったような次第でございます。  以上が大体の大会の模様、データでございますが、大会運営につきまして感じたことを二、三申し上げてみたいと思いますが、先ほども申し上げましたとおり、新聞と申しますか、マスコミ関係に対する待遇と申しますか、プレスハウスに泊めまして、その他の待遇は非常によろしかったというふうに感じますんで、これがまた今回の次の札幌のときもマスコミ関係に対する待遇を十分しなくちゃならぬというふうに感じてきた次第でございます。  それから、施設を早くつくらなくちゃならぬということは先ほど申し上げたとおりでございますが、交通関係がまあ非常に、冬でございますんで、交通関係が、これからわれわれとしましても十分道路をつくっていただき、また道路につきましても一方通行を励行するとか、あるいは駐車場をつくるとか、いろいろのことをやりまして、また自動車、バスにつきましても、非常に多量に用意しなくては円滑に交通ができないのではないかというように感じております。  また、今回の大会におきましては、アルぺン競技、あるいはボブスレーリュージュ等につきまして、暖冬異変で延期された競技がだいぶあったんでございます。札幌におきましては、こういう暖冬異変ということはまああり得ないと思いますが、雪が多いので、除雪についてこれから十分四年間研究しなくちゃならぬだろうということを感じてきた次第でございます。  それから、自衛隊、警察の協力が非常に強力であったわけでございますが、今回の次の札幌オリンピックにおきましても、その点を十分お願いしてやらなければ大会がうまく運営されないんではないかと思った次第でございます。  その他、まあフランスでございますから通訳等もいろいろ準備ができたわけでございますが、東京大会のときもいろいろ通訳につきまして苦労したわけでございますが、今回も札幌オリンピックにつきまして、いまから通訳の養成と申しますか、いろいろの語学に対する通訳を準備しなくては大会がうまく運営できないんではないかというふうに感じてきた次第でございます。  それから、冬の大会でございますんで、予算につきましても相当弾力性を持っていなくては、予備費と申しますか、予備費を少し持っていませんと、雪が非常に多いときにすぐ予算が足りなくなるというようなことが起こるのではないかというふうに感じて、予備費を十分お願いをして、そのときの不時の用に備えるようにしなくてはならぬということをひそかに考えてきた次第でございます。  以上、簡単でございますが、運営、競技施設につきましての私の感想を申し上げました。
  13. 楠正俊

    委員長楠正俊君) 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  本件に関し質疑のある方は順次御発言願います。
  14. 千葉千代世

    千葉千代世君 やっぱり机上の空論でなくて実際にいらしたという、御苦労なすって体験なすった御報告ですから、私はほんとうに身にしみて伺ったし、自分の勉強にもなったと思っております。  そこで、やっぱりこの冬季大会というものは国民的な関心が日本においては薄い。東京オリンピックだとか、それと違って薄いのですね。薄いということは、つまり国民的な基盤が少ないという気がするわけです。あまり強くないということだと思うのです。そういう情勢の中で今後の問題点をお示しになったのですけれども、いらっしゃってごらんになって、大体——強いとことか特別のところは新聞によく出たのでわかりました。で、日本と同じようなところは大体どの辺だったでしょうか、国について。
  15. 西田信一

    参考人西田信一君) 今度メダル、一、二、三位に入った国というのは、三十何カ国の中で、メダルをとにかく銅でもなんでも一つ以上取った国は十二、三あったと思います。正確にはちょっと手元に表を持ってまいりませんでしたが……。日本もまあメダルを取り得る——取って帰るべきであったと実は思うのでありまして、三十幾つのうち、そういう比較のしかたをしますと、あるいは日本も、そうですね、十二、三位のところに行き得るところであったろうと思います。しかし、この日本選手の順位を、参加選手のうちで平均して比較したものをまだ持っていませんけれども、そういたしますと、相当特殊な種目についてはそういう力を持っておるけれども、全体では私は中よりずっと下だと思いますね、日本の力は。いまのお尋ねは日本と同じぐらいの国はどこかと……。
  16. 千葉千代世

    千葉千代世君 国民的基盤というか、そういう関心のありそうだったという、感じでけっこうですが、大体おわかりでしょう、向うに行って直接触れ合っていれば。フランスは国をあげてどうとか、ソ連はどうかということをおっしゃったですけれども。あたたかい国と寒い国の違いもありましょうし……。
  17. 西田信一

    参考人西田信一君) たとえば、私はスケートのほうをやっておりますものですから、スケートのほうで申しますと、ソ連という国は非常な力の入れ方をしておりまして、アイスホッケーなどというのはカナダのほとんどお家芸であったわけですが、それが今日ではカナダも及ばないというところまでのし上げた。私がガルミッシュ・パルテンキルヘンの第四回の大会日本アイスホッケーを連れていったときには、ソ連にはアイスホッケーというものはなかったのです。日本は歴史が浅いと申しますけれども、その面に関しましてはかえってソ連のほうが浅いにもかかわらず、それまでやってきた。現在どれだけのアイスホッケー人口があるかと申しましたところが、百万人というのです。日本はとてもアイスホッケーの人口は、百万人の、おそらくその百分の一であるか五十分の一であるかわかりませんが、相当盛んになってきたと申しましても、そんなところですね。やはり北欧の諸国、ソ連なんかも含めまして、あるいはカナダ、そういった国は全く国をあげてウィンタースポーツに……。ですから、日本ではちょっと、かりに相当な競技会をやりましても、おそらく観衆は、北海道なんかで非常に集まるところもありますけれども、比較的集まらない。向こうでは零下何十度という夜の競技でも、ちょうど日本の職業野球に集まるように何万人も集まって、寒さなんか全然感じないと思うぐらい、そういう北欧の国やソ連とかそういう国は。したがって、冬季競技に対する関心なり国民的な盛り上がりは非常に高いと思うのです。フランスなんかも、スケートはそれほど強くないのですが、スキーにつきましては三冠王を出したぐらいでございまして、スキーの本場と言われておる国でございますが、アルプスの付近では。とにかくこういうスキーなんかにつきましては非常に国民の関心が集まっておるし、支援も相当なものだと思いました。ですから、日本はそういうことからいうと、日本の国半分、これから北のほうは雪や氷があるわけですけれども、そう意味で申しますと、どうでしょうか。それに日本はあまり強い選手が出ておらぬということもあると思いますけれども、フランスなんかよりも国全体の冬季競技に対する関心なり比較で申しますと、まだずっと下じゃないかという感じです。
  18. 千葉千代世

    千葉千代世君 もう一つついでに竹田会長に伺いますけれども、メキシコ大会にアフリカの不参加問題がありますね。この間私ラジオで聞いたのですが、副会長さんが、ブランデージ会長さんと協力して、その趣旨に沿ってやる以外にはない、だけれども、スイス云々というようなことをおっしゃいましたね。この間国会議員のスポーツ連盟で、ぜひひとつオリンピック本来の趣旨に立ち返るように、アフリカも参加できるように措置をとってほしいと言ったわけですね。この委員会はそういうようなことを話す委員会ではないと思いますけれども、やっぱりオリンピック関係しているし、メキシコがあって、そのあとこれがあるわけですね。で、札幌に決定する前に西田先生があそこで提案して、私、賛成を本会議でやったという記憶の中で、非常にこれは札幌を成功させたいという考えで、一つの前哨戦になるわけですね。そういう意味で、世界各国が参加していくという姿、これをスイスでもう一ぺん検討するというようなことを何か執行委員会かなんかあるというのですけれども、それはそこで考え直すということなんでしょうかしら。
  19. 竹田恒徳

    参考人竹田恒徳君) ただいまのアフリカがオリンピックをボイコットする問題でありますけれども、これは非常にたいへんな問題だと思うのです。もとの起こりは、御承知のように南アの選手をメキシコに入れるか入れないかという問題なんです。で、本筋から申しますと、南アは御承知のとおり人種差別をしておるわけですね、これは国として。オリンピック委員会の力でどうにもなる問題じゃありませんけれども、オリンピック参加する場合には、そうした人種問題をすべて乗り越えて一緒に参加をするという約束をしたわけです。それに対してどうするかというときに、投票しましたら、それなら参加させようと。ただこれは条件つきで、人種差別を一切撤廃した形で参加するならば入れてもいい、こういうことが可決をされたわけです。それに対してアフリカその他の諸国は、やはり南アはしかし国全体として依然として人種差別をしているじゃないか、そういう国を参加させるのはけしからぬ、こういう問題でございますが、私ども四年前に東京オリンピックをやったものとして、今度のメキシコでアフリカをはじめ多くの国が来ないということになったら・せっかくこれだけ準備したメキシコに対してほんとうにかわいそうなことだと思うのです。また、実際オリンピックそのものもここで一つの大きな挫折をすることになります。何とかそういうことはなくうまく参加してくれればと思うのです。  IOCといたしましては、一度決定をした問題ですから、いきなりこれをどうするというよりも、ただこの問題をどういう方向に向けていくかということを研究するために、おそらく理事会と申しますか、実行委員会といいますか、IOCの中で、会長、副会長、それから選ばれた一部の理事会等で、約十人ほどの委員会があるわけです。その委員会を五月の初めにローザンヌで開いて、そうして検討する、こういうことになったと、まだこれは正式な通知を受け取っておりませんが、ニュースとして聞いております。その内容がどうであるかは、まだ十分に承知をいたしておりません。ただ、そうなりました一つの動機が、メキシコの組織委員会会長その他がブランデージI OC会長のところに行って、いろいろ長時間にわたって相談した結果、そういうことが行なわれるということは、メキシコとして何とかボイコットをしたような大会にならぬようにしてくれという、おそらく申し出があったに違いない。それに基づいて開く委員会ですから、何らかの方向に善処したいということだと思います。  で、私ども、昨日も懇談会でお話がございましたが、先ほど申したように、すでにオリンピックを経験した国でもございますし、それからこの次の札幌オリンピックを行なう国でございますから、これは情勢を十分検討した上しかるべきところと連絡をして善処をしたいと、こう考えております。
  20. 楠正俊

    委員長楠正俊君) ちょっと申しおくれましたが、政府側より赤石体育局長、中島体育局審議官出席いたしております。
  21. 北畠教真

    北畠教真君 ちょっと佐藤さんにお伺いしたいんですが、きょういろいろお話を伺いまして非常な参考になりましたけれども、どうもグルノーブルの機構ですね、体育設備、いろんな設備が非常に大きいように感じられたんですが、日本の現在計画なさっておる、お考えになっておる会場その他と比べてどういうふうになりますか、それをひとつお話しを願いたいと思いますが、どうも札幌ではそういう機構というか、設備が非常に小さいんじゃないかという感じがいたしましたが、ちょっとその対比をひとつお話し願いたいと思います。
  22. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) いまの点でございますけれども、経費から申し上げますと、先ほど申し上げましたとおり、グルノーブルにおきましては、競技施設につきまして約六十七億ぐらいかけてやっておる。われわれとしましては、いま考えておりますのは約九十億ぐらいの経費でやろうとしております。ただ、グルノーブルのほうは既設の、先ほど申し上げました既設の施設がございまして、それにプラスしたのがあれである。われわれのほうはほとんどみんな新しいことでもございますし、われわれがいま計画しております施設で決してグルノーブルに遜色のないものができるだろうと私ども思っておりますんですが、まあ物価水準なんか違いますから、金だけでは比較できませんが……。
  23. 北畠教真

    北畠教真君 しかし、たとえばですね、スケートリンクがありますわね。この大きさが、向こうがどのくらいであって、こっちはこのくらいのものであるという、こういう対比ですね。
  24. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) それも遜色ございません、一つも。
  25. 北畠教真

    北畠教真君 では、フランスでこのたび行なわれた会場とあまり変わりがないと……。
  26. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) むしろ少しこちらのほうが大きいかもしれません。
  27. 北畠教真

    北畠教真君 いまあなたのお話を聞くと、非常に大きい感じを受けたんですが……。
  28. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) そうじゃございません。
  29. 北畠教真

    北畠教真君 まあほどほどにということに了解していいですね。
  30. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) はい。
  31. 北畠教真

    北畠教真君 それから、もう一つお伺いしたいんですが、マスコミのプレスハウスですかな、それが非常に多かったように御報告がありましたが、日本ではどのくらいの程度のお考えに……。
  32. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) この点につきましては、目下まだ計画中でございまして、今年中に計画をつくろうと思っておりますが、これは選手村を真駒内につくろうと思っておりますので、真駒内と札幌の間、あるいは真駒内地区をこれから選びまして、将来住宅となるようなものを、アパートをつくっていただきまして、それに選手を入れるという計画。また、プレスセンター、プレスハウスにつきましては、いろいろな方法は考えられますけれども、たとえばプレスセンターにつきましては、将来その地区につくります学校なんかを、学校を使わしていただく、あるいはプレスハウスにつきましては、あるいはそのころできます自衛隊の兵舎なんかを使わないうち使わしてもらう。いろいろな方法をこれからことし一ぱい考えまして、一般国民にあとで分譲いたします。あるいはアパートメントだけに限らず、広く考えまして、まあ今回の札幌オリンピック等は東京オリンピックと違いまして、プレスも来る人も多うございましょうし、東京札幌という地理的条件もございますので、ちょうどグルノーブルと同じようなことで十分ことしこれから一年間考えまして、これと同じものができるかどうかまだ断言できませんけれども、これと劣らないものを計画したいと考えております。
  33. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 今回の大会に出場して、しかも力を持ちながら敗れて帰ったその原因はこういうところにあるのだということを、西田団長ほか竹田参考人八田参考人八田参考人らしい見方をしているのですが、私どもうなずける点が非常に多いわけでございまして、実力を持ちながらできなかった、あるいは竹田参考人は、日本選手孤立感、孤独感の中にいるのだ、あるいは八田参考人が、ならさなければいけないのだというような、こういうことも一つ一つ指摘されたわけでございますが、こう聞いてみますと、私もスポーツを少しやっているものでございますが、その昔の武道の極意の中に、勝つにふしぎの勝ちあり負けるにふしぎの負けなしという極意があります。勝つにふしぎの勝ちあり負けるにふしぎの負けなし、勝つことは、偶然に勝つことはできますけれども、負けるには決して偶然の負けはないのだ、負けた原因というのは必ずあるのだ。その負けた原因というのを指摘されたような感じがするわけです。  そこで、私は、竹田参考人西田参考人に特にお伺いしたいのですが、出場した選手たちはこの負けた原因等についてどう考えているだろうか、飛行機の中なり、あるいは帰ってきてなり、いろいろ話し合いをして、八田参考人に聞くと、もうぶっ倒れるまでやらずに、映画館に行ってしまったということで、あっさりしたスポーツマンらしい行き方をしているような感じがしまして、特にメキシコ大会を控えていることでございますから、竹田参考人等からも、こういったグルノーブルの敗戦の結果を今後の競技訓練等で、そうしてまた出場にどう生かしていくかということについて、何かお考えございましたならば、お聞かせいただきたいと思います。
  34. 竹田恒徳

    参考人竹田恒徳君) 御質問の件でございますが、競技によってもいろいろ違うと思います。私もスケートのほうを世話をいたしておりますが、スケートの、たとえばスピードスケートあたりは、いま御指摘のありました力がありながら負けたいい例なんで、こちらに帰る前に、西田団長も非常に努力をいたしまして、先ほども申し上げましたように、グルノーブルで金メダルを取った選手を三人東京に呼ぶ計画をいたしましたが、事情があって二人は来られなかった。ドイツの五百メートルの優勝ケラーだけが来たわけです。そうして帰ってからすぐに軽井沢で日本選手権を開いて、新聞等で御承知のことと思いますが、そこではグルノーブルよりもいい成績を出しております。これはもちろん、自分の国へ帰ったというプラスがございましょうけれども、しかし、選手そのものも、これではいけない、札幌を目ざして大いにやらなければいかぬという気持ちは十分に持っておる。そうしたことがやはりあの成績にあらわれてきたのじゃないかと思います。  それから、選手もそうでございますが、同時に監督あるいはコーチ、これは非常に責任をいま感じております。どうしても雪辱を札幌でということで、先般もケラー選手についてきました世界的に有名なムームというコーチが参りました。これはスピード王国といわれるノルウェーの人ですが、有名なコーチです。これを囲んでの研究が一時間か一時間半で終わる予定だったのですが、日本コーチが熱心に質問に及んで、三時間余にわたってなお足りなくて、翌日にまたやったというくらい日本コーチも非常に奮起して、ぜひともひとつこの次はという気魄が十分に見られました。ムーム・コーチ日本に来て、日本コーチはこんなに熱心なのかと、初めは驚いたという感想を漏らしておりました。先ほど西田さんも言われましたとおり、この敗戦をかえって将来へのいい踏み台としていきたいという気持ちには、選手も監督もなっておると私は思います。
  35. 西田信一

    参考人西田信一君) 私からお答えいたします。全般について申すことはあるいは妥当を欠くかもしれませんけれども、私も、いま竹田さんが申されましたように、選手の、特に役員陣は、今回の敗戦は自分たちの責任である、そしてただ従来のとおり踏襲した鍛練方法では不徹底である、こういうことに十分考えを持ちまして、いま私どもも案を練っておるところでございます。先ほど申しましたような、基本的なことを申し上げましたが、これを基礎にして、ひとつその四年間の徹底した鍛練をやりたい、こういう考え方を幹部はみな持っております。  それから、選手について、私は一つの例を申し上げますが、鈴木という選手優勝すべくして惨敗した。そのショックはきわめて大きかったようでございます、率直にいって。それで、新聞には、何か監督を通して私に引退を申し出た、こう帰ってから見た新聞には書いてありましたが、そういう事実はございませんけれども、そういう気持ちになった瞬間があったようです。もうこれで一切終わったのだというような気持ちになったようでした。これはまことに一面同情すべき点がありますけれども、私は実は鈴木選手と監督とが対面しても全くものも言えないでおる場面を見まして、監督をはずして、私は鈴木選手と話し合いをいたしました。やはりそういうような、一時的なショックのためにそういう気持ちになったようでありますけれども、私はこう言ってやったのです。とにかく私は昔から、試合に出て負けて泣くということは大きらいでして、負けて泣かない、泣くときは勝利の涙を流せということを言っております。負けて泣くということは、要するに悔いなき戦いをしなかったことであるというふうに、何か心残りがあるために涙が出るので、全力を尽くして戦ったときには涙が出ないのだ、どういうふうに思うのです。鈴木選手によく言いました。そして心を取り直して世界選手権にも出ないか。氷から離れるという気持ちを一時持ったようでありますけれども、心は取り直して世界選手権にもその後出場いたしました。そして世界選手権で五百メートルで四度目の優勝をいたしました。  それから、いまお話しのケラーその他のゴールドメダリストを招聘するということも現地できめまして、体協とも御相談して、私の名で招待状を出してこれは呼んだわけであります。非常に無理な日程でございましたが、鈴木選手もずいぶん心身ともに疲れておりましたけれども、その気持ちがあの軽井沢におきまして、ケラー選手という金メダルの選手を二度も破って、しかも世界の最高記録を二度も出したということは、鈴木選手のいわゆる一時的なそういう気持ちを全くぬぐい去って、そして奮起しよう、こういう気持ちのあらわれだと思うのです。とにかくまだ二十五歳であるし、日本選手は引退が早過ぎる、大体アマチュアに引退ということばはないと思うのでございますが、そういう意味で鈴木選手もいまはむしろこの雪辱を、年齢的には二十九歳になるけれども、次の札幌まで自分の実力を維持して、そしてひとつ次の四年後に勝利の涙を流したいと、こういう心境になっておると思うのです。もし君がここで、年齢とかいろいろなことがありましょうけれども、それを克服して、そうしてやって、そうして自分の後続部隊が、あとに続く者が自分を追い越すということは、むしろ君の最大の喜びとすべきである。そういうことになって、自分よりもっと強い選手が出た場合に、それに札幌をやらせるということはけっこうであろうが、君がいまもしいなくなるということになれば、これこそ大きな目標を失うという激励もいたしまして、いまは完全にそういう気持ちになっておると思います。  しかし、ひとり鈴木選手だけではなくて、今回出場いたしました選手全体に私はそういう気持ちが芽ばえてきておる、起きてきているというふうに思うわけでございますが、しかし、私は、これからはやはり何といいますか、根性のできない、根性のない選手は、これはもう技術だけで選手になるべきじゃないというような気持ちを持っておりまして、少なくとも技術と根性とを、根性があれば百の力を百二十出せるが、根性が足りない場合には百の力を八十しか出し切れぬということにもなると思いますので、これから先は、今度の敗戦というものを、ほんとうに苦い体験というものをみんな味わって、ほんとうに腹の底から味わってきたのでありますから、そういうふうにしていきたい。また、選手も役員もそういう気持ちになっておるというふうに思います。しかし、これはたくさんの選手の中でありますから、そうでない例外もあるかもしれませんが、私はそういうふうに見ておるのでございます。また、そうしなければならぬ。また、十分にそういう気持ちに徹しておらない者があるならば、これからでもおそくもございませんから、そういう気持ちに全部さして、そうしてまた、いまの現選手が全部札幌に使えるわけじゃございません。これにひとつ、むしろ残っておるところの若い選手、若い連中、こういう連中に一大奮起をさせるという絶好の機会——というとたいへん申しわけありませんが、負けてきた教訓を生かすという意味におきまして、生かしていきたい、こういうふうに考えております。
  36. 佐藤隆

    佐藤隆君 ただいまいろいろと貴重なる御意見を承ったんですが、私の友人も一人グルノーブルに視察に行っておりますし、オーストリーのミスター・カールというコーチから、これはリュージュコーチだろうと思いますが、日本人というのはもう少し動物的になれ、人間本来の姿に返るべきであるという批判を受けたと、こういう話を私は聞いておるのです。なまいきなことを言われたもんだと、私こう聞いて思ったものですが、しかし、きょう参考人の皆さんからいろいろお話を承ると、確かにそういうことなんだなあということをつくづく感じたわけです。特に私の聞いた話では、期間中暖気で競技を休むという日があっても、イタリアとかアメリカの選手は走っており、日本選手は宿舎で休養だということで、休養したほうがはたしてあすの競技にベストを尽くせるのかどうかという問題も出てきますが、そういうことで、非常に外国人から見て、他国のコーチなりそういう方々から見て、まあ聞けば恥ずかしい思いをするような反省に迫られているということなんですが、私はやはり、こうしてきょう小委員会ができて、そうしてまた皆さんから貴重なる意見をお聞きするということは、札幌オリンピックというものをひとつどうしても成功させよう、先ほど千葉先生からもお話あったとおり、何としても成功させよう、そのためにはこの高価な反省をどういう形で広報活動の面に乗せていくかというのは、やはり国民的関心が出てこなければいかぬと思いますし、国民世論がそこに集まらなければいかぬと思います。そうした点では、この小委員会ができたことももちろん意義があることだし、またいまのとうとい御意見等は、広報活動の面でこの高価な反省がどう運ばれていくか、なるべく早い機会に日本体育協会なりあるいは札幌オリンピック組織委員会なりにおいて、当然そのルートに乗せて、何か広報活動というルートに乗せてその反省を求め、みずからも反省をしながら、また日本全部が反省をして、そうして備えるということが必要だと思うのですが、何か具体的な広報活動の方法というのは、私は何もしろうとでわからぬものですからお聞きしたいのですが、いまここへ来たらこういうものが配られて、「近づくグルノーブル冬季大会」なんというのを見たんですが、何かそういう点について事務当局なりのお考え事務総長さんのお考え、何かございましたら、ちょっと承りたいと思います。
  37. 竹田恒徳

    参考人竹田恒徳君) 先ほど来お話がございましたように、どうもこの冬のオリンピックは、札幌という日本の一番北端でやるということで、首都東京でやりました四年前のオリンピックのようになかなか全国的な盛り上がりというものが得られないことは、われわれも非常に心配をいたしております。まあ、それにはまだ四年あることでございますし、これから大いに努力をしなきゃなりませんが、いま具体的にというお話でございますが、私どもの選手を養成いたします立場から申しますと、やはりこれから、何と申しますか、口で言うのでなくて、実際に選手が真剣に訓練をやるところをほんとうに見てもらう、あるいはそれを報道してもらう。  それから、競技会等がいままで日本では非常に少ないんですね。たとえば、さっきから話をいたしておりますドイツケラーコーチ、ムームの話を聞きますと、ノルウェーは、これはスピードスケートは国技と言っていいところですが、公式の競技会が、一年、といっても十二月から三月ぐらいまでの三、四カ月の間ですが、百二十回ぐらいある。ドイツはあまり盛んではないんですが、それでも三十回ぐらいある。日本は公式の競技会というのはいままで三回ぐらいしかないんです。日本選手権とか、あるいは国体とか、実業団の大会とか、三つか四つきりしかないんです。こういうものをひとつこれから大いにたくさんやろうじゃないか。そして、そういうものでまた成績をあげて、そして実際の実績を報道してもらい、また知ってもらうということによって、冬のスポーツ、あるいは続いては札幌オリンピックに対するほんとうの成果をあげたい、私どもの立場ではそう考えますが、ただなかなかその実施になりますと、非常にむずかしいんです。  十二月から三月ぐらいの間に十回から二十回ぐらいの大会をやりたいと考えておりますけれども、選手はみんな学生であるか、まあ会社へ入っても若い下っぱの会社員なんですね。それがわずかに数カ月の間に十回も二十回も、勉強なりあるいはつとめを休んではたして出てこれるかどうか。まあ出てくるにも、場所が北海道とかあるいは長野とか、非常に方々にばらまかれているわけなんです。それに金でもありますれば、飛行機でちょっと連れていって、ちょっとすべって、また仕事に帰るということもできるかわかりませんが、なかなか費用もかかりますし、まあ気持ちとしては、向こうに負けないぐらい大会もたくさんやって、そして大いに冬のスポーツに関心を持ってもらう、札幌にも関心を持ってもらうというふうに考えておりますが、実際の問題としてはなかなかむずかしい問題もございますけれども、しかし、先ほど来のように、そういって従来と同じことでは相すまないことでありますので、何とかこれを強調したいというふうに考えております。
  38. 鈴木力

    鈴木力君 いろいろ伺いましたが、まず佐藤事務総長さんに、これはもう御質問というよりもお願いなんですけれども、この委員会これから何べんか持ちますし、札幌を成功させるためにはいろいろわれわれもまだ検討することもあると思うんでして、特に施設の面とか、それから運営の面等について、さっき報告を伺いましたけれども、あれを札幌計画とにらみ合わせまして、さらにこれから検討するようなものがあれば、たとえばさっきのプレスハウスのようなものが、どういうものが新たに検討されなけりゃいけないか、そういうものにはどの程度の金がほしいというような、そういう整理したものを、はなはだ恐縮ですけれども、あとでわれわれのほうにちょうだいできると非常にありがたいと思いまして、これはお願いでございます。  それから、あと若干お伺いいたしたいんですが、まあいろいろ伺いまして、役員の方も選手の方も成績が悪かったということを非常に痛感をされていらっしゃる。私に言わせますと、むしろ、何といいますか、あんまり荷物を負わせ過ぎるんじゃないかというような感じさえ私は実はしているんです。ですから、いま選手を責めるというような立場はこれはとっちゃいけないんじゃないか、こういう気持ちを持っておるのですが、そういうことで、これはだれがやるのかどうかということはどうも私も疑問なんですけれども、こういう面について日本の風習というのが、あまりにも最初選手に対する期待が非常に大き過ぎるのじゃないかという感じを一つ持つのであります。そうして結果が負けると、今度は責任追及という形ですね。極端から極端に変わってくる傾向があるのじゃないか。たとえば、さっき西田先生から伺いましたが、大川さんですか、フィギュア選手ですね。いま初めから伺ってぼくもびっくりしたのですけれども、選手団長や役員の方々は四位くらいを期待しておった。うまくいけば三位くらいになれるのじゃないかと期待しておられた。ところが、われわれが新聞で知っている限りは、大川選手はもう有力な優勝候補という報道がじゃんじゃんなされておったわけですね。そうして優勝したどこの方ですか、アメリカの方との話で、あの人も大川選手をマークして一生懸命練習を見ておったとか元気づけた、そういう報道が非常に強く入ってきておる。それから、鈴木恵一選手に対しても、ややそういう期待感というものが非常に大きくなってきておる。もしそれでうまくいって優勝なり日の丸なりあげると、急に日本人はそういう選手はもう英雄に祭り上げてしまう。しかし、いざ惨敗をすると、きさま何してきたという態度に急に変わってしまう。ここのところが、これはちょっと体育協会にやれというわけにいかないし、それならだれがやるのだと言われるとちょっと私まだあれですが、やはりこういう種類のスポーツに対する国民的なレベルというのがやはり低いという評価をすべきではないか、こう思うのです。  そうしますと、いまのオリンピックならオリンピックという機会が、こういうスポーツそのものの国民的なレベルを引き上げるためにどうするか、そのことが私は選手強化と無関係ではない気がするのです。そこで、そういう点についての、これはちょっときょうの先生方に伺うのは当たるのか当たらないのかわからぬですけれども、何かそういう点で具体的にお考えになっていらっしゃるとすれば、そういう点承りたいと思います。  それからもう一つは、いろいろ新聞等でも、今度のグルノーブルの結果についての評論等、いろいろな人たちからいろいろな意見が出ていると思いますが、これは去年の、前にやった委員会でも選手強化についてはそういう議論をしたことがあると思いますが、大体今度は先生方に伺っても、最初から全部が入賞候補とか相当のいい成績をとれるという期待はしなかった、大部分は。そうすると、そのことを私は理解できるのです。それでよかったとむしろ私どもは思っているのでございますけれども、そのことが今度出た選手の選考といいますか、その選手札幌にいかされる選手であることを私どもは実は期待したわけですね。国際競技において経験を一つ経て、いま成績が悪いけれども、札幌の時期には仕上げる、総仕上げのそういう時期に合わして、全部選手を選考されたと思うのですけれども、そういう点については今度参加された選手のうちですね、そういう札幌向けの選手、これはことばがいいか悪いかわかりませんけれども、簡単にいえば札幌あたりでもっと実力を出せるような選手というのはどの程度選考されていかれたのですか、その点をひとつ伺いたいと思うのです。  それから、時間がありませんが、もう一つ伺いたいのは、これ、八田先生から伺いまして、きわめてごもっともなんですが、たいへんだと思ったことの一つに、体力を強くするために食糧ですね、栄養が必要だというお話を伺った。ちょっとわれわれはそのまま聞きますと、これはどうせ米にたよっているから、そこであきらめなければならないかという気持ちに逆になるのでありますけれども、しかし、いまの日本選手というのは、いろいろな形ではありますが、大部分は若い選手であることから見れば、高等学校なり中学あたりから、ことしは秋田の中学の生徒が何か日本の一位になったとかならぬとか新聞に出ておりますけれども、そういう家庭生活と選手生活というのが、これはもう仕上げの時期は別としましても、伸びていく土台の養われる時期というのは日本の家庭の生活の中にあるんじゃないか。そうしますと、その家庭の生活で、いま御報告をいただいたような外国の場合には常食になっているからあるいは平気かもしれないけれども、相当に栄養の取り方というのは特別な何かをしなければ、いまの家庭生活じゃとてもだめだ。まあ幸い私のせがれは選手になれっこないからいいけれども、私のせがれが選手になれそうなかりに素質を持っておったとしても、どうしても毎日牛肉を食わせるわけにはいかない。やっぱり米と大根でということになると、これからの札幌なら札幌、しかし札幌でおしまいになるわけじゃないですから、その次にはまたどこかに行く。将来の日本のこういう選手強化といいますか、体育を盛んにしていくための何かそういう面についての、家庭の責任じゃなしに、公の何かの機関でそういうものの責任を持っていくような方式を一時的には考えなければならぬのじゃないか。だんだん日本人は、日本の食生活がよくなって体位がよくなっていると言われますから、将来も日本は自然にそういう家庭が進んでくれば別ですけれども、そういう面について何か具体的に御検討なさっていらっしゃるのかどうか、そういう点についてちょっと伺いたいと思うのです。
  39. 西田信一

    参考人西田信一君) 優勝に対する期待の問題ですが、これは私は成績があがらなかったから弁解的に申しているんじゃなくて、たとえば大川選手などは三位ということは非常にむずかしいことだということで、まあ四位にいくか五位になるか、あるいはもう非常にうまくいった場合に三位ということもあり得るかというのが、これはもう共通したわれわれの期待であったわけです。優勝なんというようなことが新聞に出たことは実はまだ私たち知らないのですけれども、それだけの実力は初めからわかっていました。ですから、それがさっき申しましたように向こうへ行ってみまして、一年間の間の進歩というものが、私はまあ専門家ではありませんから、フィギュアの専門家から見ても、一年間の間に非常な進み方をしておって、それで競技の面にはもう三位、四位というようなことよりも六位以内に何とか入賞する、五位なり六位に入るということがもう最大のことで、向こうへ行ってからはちょっと一段期待が下がったといいますか、向こうと比較してみてそういうような判断をしておったということでございます。どうもいまおっしゃったように、国民の期待が非常に大きいということはたいへんけっこうなことでありますけれども、ずいぶん実はそういうことから、期待が大きいからでしょうけれども、現地にも試合の前の日でもじゃんじゃんと新聞など東京から呼び出し電話が直接かかってきまして、それで私どもどういう用件かわかりませんし、一々全部断わるということもなかなかむずかしいので、困まったこともございますけれども、帰って、負けてきていろいろおしかりを受けることに対して、私どもは甘んじて受けたい、こう思っておるんでありますが、いまおっしゃったような期待と、それからそれに対する批判とが非常にあるということを、極端から極端だとおっしゃいましたが、これも私どもはいい勉強だと思って実はおるわけです。  それから、選手の選考につきましては、これは竹田さんのほうからおっしゃったほうがよろしいと思います。
  40. 竹田恒徳

    参考人竹田恒徳君) 二番目の御質問についてお答えをいたします。  実はいま御指摘のことがグルノーブル選手を選ぶときに一番苦労した問題なんです。というのは、やはり国庫の補助もいただいて国民の輿望をになってグルノーブルオリンピックに行く以上、やっぱり成績をあげることをまず考えなければいかぬ。ところが、グルノーブル成績のあがるようないま円熟し切った選手というのは、必ずしも四年後の札幌には通じない。札幌についてはまたさらに大きな国民的関心がありますから、いまはとにかく札幌で働く者をひとつ連れていきたい。ところが、その者はいまはまだ未完成ということで、グルノーブルでは大きな期待はかけられない、こういうジレンマがあったわけであります。そこで、日本オリンピック委員会で選考した基準は、勝機を持つ者をもって編成する、ただし四年後の札幌オリンピックも十分考慮して選ぶという、二またをかけたことになりました。  事実今度はたくさんの選手が参りまして、あんなにたくさん行って成績があがらなかったじゃないかということでおしかりを受けておりますが、実はオリンピックに選んだ選手は四十六名です。ところが、その十日ほど前にユニバーシアード大会があった。これは御承知のように学生大会ですから、若い方があれで、これには札幌に通ずる人がだいぶ出ていた。それを各競技団体と監督あたりが、札幌につながる者がいるから、ぜひオリンピックを体験させてくれという希望があった。日本オリンピック委員会としては、その気持ちはわかるから、よろしい、しかしあまりみっともない成績をとるような者は監督のところで道義的に返上すべきだという形で、その参加を許したわけです。それが二十数名行ったわけです。それで七十何名かの選手参加したわけです。したがって、今度の成績は、先ほどお話がありましたように、トップの者が勝てる力を持ちながら負けたということは申しわけないのでございますが、同時にまた、三十何位、四十何位というあんな選手を出してどうしたのだというお話もございます。これは全く申しわけないというほかはないと思いますけれども、その辺は札幌に通ずるまだ未完成の者を出したということもあったと思います。
  41. 八田一朗

    参考人八田一朗君) 栄養の問題、これは確かに金がかかるのです。だから、われわれは宿屋とか合宿のほうで寝るほうを倹約いたします。たとえば学校の教室を借りればただです。それを全部食べるほうに回すわけです。そういう方法、それから家庭のときにはなるべく着るものとかそういったぜいたく品は倹約して、一切食べるほうに回す。酒やたばこをのむやつは一切いかぬ。たばこ一箱幾らかかるか、それを南京豆やミルクにかえたらどうかというようなことを言って、絶対にたばこは吸わないで全部栄養に回す。いまの旅館なども学校に泊まったときには、毛布をかぶりながら、ござを一枚敷いて、着のみ着のままで寝て、一銭も金のかからないようにして、食べるほうに回すのです。ですから、今度のスキーなんかの合宿も、雪の中にテントを張ってやれば、あまり金がかからないで十分栄養が取れると思うのです。これは寒いところに馴れなければならないですから。私らのほうは平気で板の間にふとんなしで寝ていることがしょっちゅうあります。
  42. 鈴木力

    鈴木力君 すぐにどうということを言うわけじゃないのですが、さっきの選手の問題についていま竹田先生からお話ございましたように、そういう配慮があったということを国民に知らせておかないと、何十倍になったのはけしからぬというように、ただ選手責任を追及したり、あるいは監督は何をしておったのだという形に変わってくるのは、やはり将来のスポーツ振興のためにあまりとるべき方法でないように考えるのです。そういうつもりで、これは国民の側にむしろ私は責任があると思うので、何か考えなければならないと思っておりますが。あとは栄養のお話で、そういう形でできるということになれば気が強いのですが、私はほんとうの体育の振興という、それが何らかの選手に大きな期待をかける以上は、これをどうすればいいかという具体案は私どもないのですが、それだけの使命を持たせて国際試合なら国際試合に出すということの配慮というものが、国なり社会なり、何かもう少しそういうような方法を考えてみる必要があるのじゃなかろうかというようなつもりで申し上げたのですけれども、しかし、具体的にどうしようというあれは、私は全然持っておりません。
  43. 西田信一

    参考人西田信一君) いまの問題でございますが、私はたいへんいいヒントを与えられたように思うのでございますけれども、これはごく一例にすぎませんけれども、鈴木恵一という選手、これは今度金メダルをねらうぐらいのつもりでやっておりました。彼の一年間のあれを聞いてみますと、一年間もう完全に肉食に切りかえておるのです。そのために相当の経費負担が伴っておったようです。そこで、いま八田さんからもお話があって、そういう食生活に、他のものを捨ててそっちのほうに振り向けるということも一つのあれであろうと思いますし、あわせてやっぱり何かはんとうに札幌で一発日の丸をあげようということならば、これはある程度何かそういう面についても考えてみる必要があろうと、私は実はそういう気持ちも持っておるわけでございます。まだ具体的な案を持っておりませんけれども、国民の組織の力をあげてということをちょっとさっき申しました。いろいろな意味を含めて申したわけでございますが、精神的な応援もする。あるいは、もちろんアマチュアでございますから限界もございましょうけれども、何かやはりそういうようなこともほんとうに選ばれた代表選手ぐらいには、そういういろいろの栄養等についてもいい方法があるならば考えてやる必要がありはせぬかというふうに、私個人的には思っております。
  44. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 中島審議官、あなた専門的な立場向こうへ行ってきたわけですから、いまの参考人お話を聞きつつ、なおあなたが感じたことだけを短い時間に簡単にひとつお聞かせください。
  45. 中島茂

    説明員(中島茂君) もうスポーツ界の大先輩から申されましたので、私から申し上げることはございませんが、御指名でございますので、感じたことだけを申し述べます。  佐藤事務総長報告になりました運営の点でございますが、開閉会式等の運営は、私は実際に東京大会の開閉会式の責任者でございましたので、入念に見てまいりましたけれども、ああいった運営はむしろ日本人のほうがうまいのではないか。あれくらいならば十分できるのではないか。三つの点あたりでは、東京大会のまねをしておられたような気がいたしました。  それから、先ほどもお話が出ましたけれども、運営の面で、日本じゃちょっと、あれをやったら大問題になりそうな……。たとえばバイアスロン。私も早く出かけましたけれども、そうしたら、けさは天候がちょっとあたたかいからやめた、いつやるのだ、それはわからない、天候次第だからしょうがないじゃないか、というようなこと。それで、たくさんの観衆は天候が悪いので中止になったということについてあまりぶつぶつ文句を言わないで引き揚げてくる。これは非常に私は奇異に感じた。日本であったならば、一体入場券はどうしてくれるんだとか、大会の運営者はたいへんおしかりを受けたりすることだろうと思うのでございますけれども、方々でそういう場面を見て、非常に奇異に感じてまいりました。  それから、プレスマンに対して非常に開催地は御親切であったように私は見受けました。プレスマンの次に選手団。あとは一般の視察員とか一般の観衆に対してはあまり親切ではない気がいたしました。  で、運営なんかでも、日本でやる場合は日本語と英語とフランス語、三カ国語を用意したのでありますが、ほとんどフランス語オンリーでございまして、私のような語学の力のないものは非常に困ったものでございます。これは選手団の方も非常に御不便であられたのではなかろうかと思います。特に選手団の方は、グルノーブル市内の選手村には、いま佐藤総長から御報告がありましたように、選手村本村は市内であり、スケート競技の代表が泊まっておって、あとは大部分が六十キロも七十キロも離れた分村におる。役員が日本側は非常に少ないので、選手のお世話やわからないことばに非常に陰の苦労があったのではなかろうか。私は、むしろ分村におる選手団の諸君には非常に同情した感じを持ちました。  それから、軍隊と警察官をこの大会にはフルに動員しておられたのでございます。たとえば、すべての自動車の運転手は、オリンピックに使う自動車の運転手は警察官がすべてやられた。それから、軍隊が、冬の競技でございますから、先ほどお話がございましたように、とにかく組織委員会に対しては六千二百名の要員があったのでございますが、そのほかに、佐藤総長からお話がありましたように、交通、それから除雪、一般の輸送というのに七千四百名も動員されておりますが、これらのもの、それから軍隊が三千六百十名動員されておるということについては、私ども非常に珍しく感じてまいりました。  いま最後に、いわゆる選手強化の点、選手の皆さんの成績の悪かった点についていろいろお話が出たようでございますが、私、冬期競技については全くのしろうとでございますが、私もほかの競技で長い間選手生活をいたした一員として、私は冬の選手は非常に気の毒だなという感じを持っております。これは、ついておるときとついていないときの差が非常に多くあるというような気持ちを持ちました。たとえば、吉岡選手が十秒三の記録を持って、佐々木選手が十秒四です。そうすると、これは十秒三と十秒四はもう歴然と力の差があって、何かがなければ佐々木選手が吉岡選手を破るということはない、コンマ一できまるのでございますけれども、スピード競技、特に鈴木選手のやったとき私は見たのでございますが、残念ながら彼はフライングスタートを二回やって、三回目か四回目に出たように感じましたけれども、あれがついておったときとついていないとき、たとえばジャンプ選手が第一回目の飛しょうのとき百一メートル五十かなんかで二位か一位にあったのでございますが、第二回目でちょっとバランスをくずしただけで十八位に落ちるということで、ほんとうに紙一重の差でランクがぱっと違うというのが冬の競技、特にスケートジャンプ、それから滑降競技には言えるのであって、冬の選手はほんとうに気の毒だなあとスポーツマンの一員として思った次第でございます。  まあ、私もたいへん、やはりフランスのときはフランス向けの訓練札幌では札幌向けの訓練が必要ではないかと、かように感じました。  ほんとうに補足的なことでございますが、感じたままを申し上げた次第でございます。
  46. 竹田恒徳

    参考人竹田恒徳君) 私、先ほどから日本オリンピック委員会委員長立場選手強化の面を申し上げましたが、組織委員会の副会長もいたしておりますので、運営準備のほうのことでちょっと感じたことを少し申させていただきたいと思います。  夏のオリンピックと冬のオリンピックと比べますと、たいへんに大きさが違います。夏の東京で行ないました種目は二十一種目、冬は六種目参加国数が東京では九十何カ国、冬はせいぜい三十カ国、参加した選手数東京では七千人からになります。冬のは、先ほど御報告のありましたとおり、せいぜい二千人、競技の日数は、夏は十六日間、冬は十日前後ということで、たいへんに大きさが違うんです。冬のオリンピックは小さい。  しかし、それにつきましては、ローマで、札幌オリンピックがきまりましてすぐ——戦後、夏と冬の両方のオリンピックをやりましたのはイタリアだけなんです。そこで、イタリアのオリンピック・コミッティーに参りまして、冬のコルチナダンベッツォのオリンピックと夏のローマのオリンピックの両方の事務総長に集まってもらいまして、いろいろ話をしたんです。そのときの結論で彼らが申しますのは、確かにいま言ったとおりに、冬の大会は小さい、しかしどっちがむずかしいかといわれたら、文句なしに冬がむずかしいということを言っております。ですから、冬はその大きさの比率では絶対できない。開会式も閉会式も、小さいながらみんなあるんですし、選手村も、先ほどの報告関係もああいうふうにあれだけ集まるんですから、夏と冬の大きさの比率で言えないことは当然なんですが、そのとき言われたことで一番私どもが頭に残ったことは二つなんです。施設を早くつくりなさいということ、そしてテストをしなさいということであります。  これは、夏の場合には陸上トラックは四百のこういうトラック、それはアンツーカーであるかタータンであるか、水泳はこういうプールでこういうふうにやれと、規格が全部きまっているんですね。それで、つくってテストすれば一ぺんでできてしまうんですが、冬の場合は、スキーなどは自然の地形を利用してやる。また、スケートも、氷のぐあいですべるすべらないということで非常にむずかしい技術を要する。スキースケートそり競技会にしても、全部天然自然を相手にやるということ、そこに非常なむずかしさがある。ですから、オリンピックの直前にできたのではだめなんで、少なくとも二年前につくりなさい、そしてテストを二回しなさい。そして手直しして初めてオリンピック選手が満足してくれる設備ができるんだということが一つ。  それからもう一つは、先ほど佐藤総長のほうからも言いましたが、冬は天候気象相手なんだから、予期しないことが起こる。これが一番心配のもとだ。インスブルックのときは雪が少な過ぎて、スキー場に兵隊が雪を運んだんです。そして非常に苦労をした。インスブルックのオリンピックあと、あそこの事務総長のウルフガングのところへ行って、雪が少なくて非常にお気の毒だったなと言ったら、雪が少なくて助かった、雪が多かったらたいへんなんだ。雪が少ないときは、スキー場の雪の少ないところだけに雪を持っていけばすべれる。雪が多過ぎたら、競技場に行くまでの全部の道路の除雪をしなければならない。そして、たくさんの自動車が集まるパーキング場の全部の除雪をしなければならない。雪が多過ぎたらたいへんなんだ、雪が少なくて助かったということを言っていました。札幌では、どちらかというと、雪が多過ぎるほうの公算が強いのです。それでもそのときになってみないと、多いのか少ないのかわからない。先ほど佐藤総長が申しましたように、予備費的な金が非常に必要なんです。また、それだけ神経も使いますし、冬のほうが非常にむずかしい。夏よりも小さいから、小さいなりに簡単にいくというふうにややもすれば考える向きがあるのですが、それは反対だということだけ十分御承知いただきたいと思います。
  47. 西田信一

    参考人西田信一君) 私は選手団長として競技会に出ることが主たる任務でございましたけれども、次の札幌オリンピック大会というものも控えております。私もその組織委員立場も持っておりますし、それで各国の選手団と十分そういう意見交換あるいは交歓をする、親善をする、そういうようなことも必要だと考えまして、私は各国のおもなる選手団長をほとんど訪問いたしました。親善あるいは札幌に来ていただくようにいろいろお話もいたしました。それから、各国の選手団長あるいは各国競技連盟会長クラスの方、あるいはフランスの組織委員の方々を私の名前で一度お招きをして、会合を持ちまして、そういう機会も持ったわけであります。それから、各国選手団を訪問したときに、いろいろ札幌に対する注文が出ました。それはフランスのグルノーブル大会の体験にかんがみたいろいろの御注文が出たのであります。そこで、施設の面、あるいはオリンピック村の面、あるいは食事の面、その他交通の面、いろいろな面について私は札幌に対する希望なり意見なりというものをアンケートを求めまして、かなりの返事が来ております。これを持ってまいりまして、いずれ組織委員会のほうに差し出したいと思いますが、そのようなことでございます。  ただ、その間におきまして、札幌には行きたいのだけれども、何しろ遠いから経費がかかるという意見も少し出ました。これについてはわれわれもくふうするが、皆さんにもくふうしていただきたい。東京大会の場合もあるわけですから、わりあい経費をかけないで来る方法もあるからということで、そういうこともかなりの国で話題になりました。そんなことをあわせてやってまいりましたことだけを一言だけつけ加えさしていただきます。
  48. 楠正俊

    委員長楠正俊君) 他に御発言がなければ、本件に関する本日の質疑はこの程度にいたします。  一言、参考人の方々にお礼を述べさしていただきます。  本日は長時間にわたりまして非常に貴重な御意見を承りまして、まことにありがとうございました。たいへんありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時二十六分散会