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政府委員(天城勲君) 最初のときから、ちょっとこまかいことになって恐縮でございますけれ
ども、事実を御説明申し上げたいと思っております。なお、事が
教育長の人事でございますから、私
たちといたしましては、終始
委員長と御相談いたしましょうという態度できております。これは京都側の御希望でもございました。
昨年の十一月の二十二日でございますけれ
ども、東京で
教育長
関係の会議がございまして、前の
教育長がその機会に、私は十一月末で退職したいのだ、後任の
教育長の承認についてできるだけ早くしてもらえないか、こういう話がございました。それが二十二日でございます。これは事前に前任の
教育長が言っている。しかし、そのとき私
たちとしまして、これはちょうど内閣更迭のことが予想されておったときでございますし、事務処理上、通例の一週間か十日でやるといっても、十分
大臣に御説明したり処置をとることの時間がないから、通例のようにいかないでしょうということはそのときに申し上げてあるわけでございます。
二十七日に
委員長が正式においでになりまして、そうしてぜひ三十日までに承認してほしいのだということで文書を持って参ったわけでございますが、その文書は日付もつけてはございませんでした。私といたしましては、ちょうどこのときお目にかかるのがやっとのような状況でございまして、非常に錯綜しておったときでございますし、とても三十日までには承認という形にいかないから、少しこっちで
検討して目鼻がついたときに書類をいただきますからということで、通例の場合にそういうことをやっておるものですから、申し上げたのですけれ
ども、私、
委員長とお話ししたときに、そういう
意味で、きょうは書類は私はいただかないでおきますということも申し上げたわけでございます。しかし、まああとで、持ってきたんだから置いていきたいからといって、随行してきた人が書類を置いていくと、私のほうも、置いていくならば預かりましょうというような
いきさつもございまして、預かったわけでございます。
京都は、予定どおり前の
教育長の退職を発令し、後任がきまらないものですから事務取り扱いを発令されたわけでございます。十二月の十四日、山田
委員長がおいでになりまして、承認を年内にしてもらいたいという、これは督促のお話がございました。このときは私は何かの都合で直接お目にかかれませんでしたけれ
ども、担当官のほうにそう言って行かれました。できるだけ、われわれのほうも長引かせるつもりはないのだから、一応めどをその辺に置いて
努力はいたしましょう、しかし、まあこれは非常に高度の人事ですから、いつということは申し上げられませんということを担当官はそのときに申し上げたわけでございます。その後、私
たち予算の問題の準備に入ってしまったのと、
予算が重なってしまいまして、その問題を処理するいとまがございませんで、年が明けまして、一月の半ば、十六日に府から部長、課長が参りまして、早く
措置をしてくれというお話がございました、したがいまして、これはまあ承認を早くしてくれという督促だったわけでございます、お互いになるべく早くこの問題を
措置したいということば言って別れたわけでございます。
しかし、その間にいろいろ情報もあるものですから、私
たちこれを的確に
調査をしなければならないということで、今村審議官をして一月の二十一、二十二日に出張させたわけでございます。
一月の二十九日、三十日にちょうど東京で会議がございまして、課長会議がございまして、京都府も課長が参りまして、
調査も終わったことだから承認を早くしてくれないかという催促があったわけでございますが、
調査の結果、岡田さんと会ったほうがいいのではないかということもそのときは担当官に伝えたわけでございますけれ
ども、まあ向こうは面接的テストをやるという
意味なら
教育長は出さないという
意味のことを、これはちょっと妙なことでございますけれ
ども、下僚がそういうことを言っておりましたのでございますけれ
ども、まあそういう
いきさつもあったのでございますが、私
たちとしては、
調査の結果、やはり御本人に会う必要があると
考えまして、一月の三十日に
委員長に電話で申し上げたのですが、
委員長は初めは、二月一日に候補者を
文部省に差し向ける線で府委員会で相談をするからという御返事でございましたけれ
ども、翌日になりましてから、しばらく事態を静観するから候補者の召換の要求は拒否するというお電話がございました。私は手紙で、電話では不十分だと思いまして、二月の五日付で、お目にかかりたいという趣旨を
先ほど申したような文書にいたしまして、手紙で
委員長に申し上げたわけでございますが、それに対して、京都府委員会で言っておられる
教育行政の最高
責任者は
教育委員会であるし、人事権は
教育委員会にあるのだから、
委員長らが上京するからと、そういうお返事がありました。それから、まあ私は、
委員長がおいでになり委員がおいでになることについていつでも喜んでお目にかかるから、ただちょっと
仕事の
関係で日にちにつきましては両方の一致したときでないと、わざわざおいでになっても十分にお話ができないからということで、途中で一ぺん日にちをきめたのでございますが、私
どものほうでやむを得ない事情があったために、一ぺん延ばしていただきまして、結局土曜日、二月二十四日の土曜日に
委員長、それからもう一人の委員の方がおいでになりまして、こちらからいろいろとお話をいたしました。
しかし、そこでお話ししたことについては、まあ時間的にも十分でございませんので、完全にすべての問題で
意見が一致するというところまではいきませんでしたけれ
ども、たいへん話し合いをして有意義であったし、今後も話し合いを続けよう、そのことに
関連して、候補者の上京問題についても、上京問題も含めて京都に帰ってから他の委員と相談してあらためてお返事しますということでお別れしまして、また次の機会にお目にかかりましょうといって次回を約束して別れたわけでございますが、二十八日に至りまして、また
委員長から手紙が参りまして、
教育長の承認問題については
文部大臣の承認を待つだけだと、こうおっしゃられたわけです。こういう手紙をいただいておるわけです。