○
参考人(
佐伯尚美君)
佐伯でございます。
総合資金制度について若干の
意見を述べたいというふうに思います。
総合資金制度という
構想は、御承知のように、数年前よりの農政上の懸案でありまして、もともとは三十九年の中期
経済計画の中にすでにそういった発想があらわれておりました。四十二年の、昨年の農林
金融懇談会でかなり具体的に煮詰められ、その結果がこのような形で落ちついてきたということかと思います。初年度の計画では約二十億円で、国庫
融資が現在一千億をオーバーするほどの
融資ワクを持っておりますから、量的に見ますと大したことはないように見えますけれ
ども、しかし、その質的な
内容という点からいいますと、こういった
制度ができるということ、あるいは将来にわたってこの
制度が
拡大されていくということは、農政上においても、あるいは
農業金融制度上においてもかなり重大な問題を含んでいるのではないかというふうに考えます。その点についてやや立ち入って私の見解を申し上げたいというふうに思います。
この
資金制度は、従来の
金融常識から見ましてかなり型破りの
金融であるといっていいかと思います。いろいろな側面で、これまでの
農業関係の
制度金融のワクを大きく踏み出しているのではないか。その点を少し理論的に整理して申し上げますと、大体この
総合資金制度の
特徴といわれる点は、三つほどに分けることができるというふうに思います。
第一の点は、
融資対象の規制の仕方が、これまでのように
個々のものごとに規制をするという形から、
経営全体を総合的に規制するという形に変わったという点であります。これまでの
制度金融は国庫
融資にせよ、あるいは
近代化資金にせよ、
個々のものに即した形で
融資対象を規制した。たとえば
耕地整備費であるとか、
土地改良であるとか、あるいは農機具であるとか、そういったものに対して規制をする、ものに対して
融資をするという考え方が
制度金融の基調にあったというふうに理解できます。ところが、この
総合資金制度になりますと、そういった個別的な、あるいは物的な
融資規制から総合的な、
経営的な
融資規制へと、規制の方法が大きく変わるという点であります。
経営の
内容が
一定の政策目的に合致していさえすればどんな
資金でもいい、つまりその点では
経営内容がある政策に合致さえすれば、それについては政府はいわばまるがかえ
金融をやるという発想に立っているといっていいかと思います。まあこういった発想は部分的にいいますと、たとえば
近代化資金の中の
制度融資というような発想にも若干ありますし、あるいはかなり特殊な部分でありますけれ
ども、
開拓融資の部分その他にもそういった発想に近いものがこれまでにもあったかと思います。しかし、一般農政の面でこれだけ思い切った形で
制度金融を打ち出してくる、あるいは
制度金融の発想を変えてくるということはこれが最初であります。その点においてまず画期的な意味を持っているというふうに考えます。
第二点は、
融資対象農家のきびしい選別を
前提としているという点であります。
融資を受ける
農家というのは、この
資金を使用することによって自立
経営に到達し得る
農家である、つまり自立
経営候補
農家にきびしく限定すると、そういう思想が基礎にあるわけであります。将来、この
融資のワクがどの程度に広げられるかということはよくわかりませんが、かりにかなり
融資のワクを
拡大するといたしましても、おそらくこういったきびしい
基準に合格し得る
農家というものは、
日本の総
農家の中でごく一部の上層
農家に限られるということは自明であろうかと思います。このように、自立
経営の
育成ということを
制度の目的に掲げて、選別
融資を非常にきびしく行なうということを鮮明
にしたのは、この
制度が初めてであります。その意味で非常に画期的な
制度金融であるといっていいかと思います。
それから第三点は、
融資限度がこの
制度によってきわめて大幅に引き上げられる結果になったということであります。総合
施設資金の
融資限度は一
農家当たりおおむね八百万円というふうにきめられるようでありますが、これは
近代化資金、系統
資金などの形で
セット融資される額を含んでおりませんから、それらの
運転資金をも含めますとおそらくその最大の
融資限度は一千万円をこえることになるのではないかというふうに考えます。で、現在、
近代化資金について見ますと、個人
施設に対する一件当たりの
融資規模というのはせいぜい三十万円にすぎない、あるいは
公庫資金について見ましても、個人
施設に対する平均的な
融資規模というのはせいぜい五十万円にすぎない、その程度の
規模であります。あるいは
農家の側から見ましても、二戸の
農家が最大限に
制度金融を利用して借りる幅というのはおそらく二百万円ないし三百万円というのが実情ではないかというふうに思います。そういった
基準から見ますと、この一千万円という
融資限度はまさに記録的な大きさであり、その意味でかなり画期的な
制度であるというふうに考えられますが、同時に、それだけ
融資する主体、融
資金融機関の側から見ても、
融資を受ける側から見ても、リスクが大きいということは当然その裏側には含んでいるというふうに考えられます。
以上要しますのに、この
制度の基本的
特徴は、形式的に見ますと
総合資金であり、
内容から見ますと自立
経営育成資金であり、そういったものとして大量の
資金を集中的に
融資する、そういうところにあると一応考えられるわけです。これまでの
制度金融に比べまして、きわめて思い切ったいわば異例の
制度金融であり、それだけにこの
制度が実現された場合、それに伴う
問題点も非常に多いというふうに考えております。
そこで一括してその
問題点を大きく二つに分けまして、この
制度に内在する
問題点と、この
制度の外在的な
問題点という二つに分けまして、若干の
問題点を指摘したいというふうに思います。
内在的な
問題点というのは、この
制度自体に即しまして、かりにこの
制度が現実に運営されるという場合にどのような問題が生じてくるかということであります。これについては、六つほど主要な
問題点をあげてみたいと思います。外在的な
問題点というのは、この
制度を
日本農業の現状なり、あるいは
農業政策の現実なり、あるいは
農業金融の現実なり、そういった一般的な観念で見た場合にどういった
問題点があり得るかということを、これを三点にわたって申し上げてみたいというふうに思います。
ところで、まず第一に内在的な
問題点についてですけれ
ども、内在的な
問題点の第一点としてあげたい点は、はたしてこの
制度によって
資金の
総合性というのがうまく確保できるかどうかという点でございます。というのは、この
制度の中には
公庫資金と系統
資金——
農協系統資金という全く異質の
金融が含まれているわけです。つまり設備
資金は
公庫で貸し、
運転資金は系統で貸す。しかも系統で貸すという場合には、実際には系統原資としての
近代化資金と系統のプロパー
資金と二つが組まれるわけですから、いわば三本立てに近い形の構造になるわけであります。現在の
農業金融にあります
公庫と系統というこの二元的構造がそのままこの
制度の中に持ち込まれて、その
解決はもっぱら
融資機関の運営にゆだねると、そういう構造をとっているわけです。で、当然、はたして設備
資金と
運転資金がうまいタイミングで
融資できるかどうか、あるいは
融資対象の設定について、系統、
公庫という違った立場の
金融機関が食い違うことがないかどうかといった問題が出てくる。つまり、系統と
公庫というそれぞれ違った主体の
融資機関がどういう形でもってうまく調整しながら総合的な
運用の実をあげるかという問題が起こってくるのではないかということが第一点であります。
〔
委員長退席、理事
任田新治君着席〕
それから第二点は、
対象の選別がはたして政策目的にかなった形で実行できるかどうかという点であります。この点は、おそらくこの
制度の最大の
問題点であろうと思います。それは詰めていきますと、現在の
段階で一体自立
経営候補
農家とは何なのかという問題に帰着するかと思います。一応私がいただいた
農林省の資料によりますと、
融資対象農家として四つほど
条件をあげているようであります。
一つは、
経営者が比較的若いということ、若年であるということが
一つ、第二に、
農業経営を改良していくという主体的な
能力といいますか、
意欲があるということ、第三に、家族労働力が十分にあるということ、それから第四には、将来自立
経営に達し得る見込みがあるということ、その四点を一応の
対象の選別の
基準としてあげているようであります。しかし、こういった程度の抽象的な規定をもってして実際に
融資を実行するという場合にはおそらく不可能ではないかという
感じがするわけです。おそらく具体的な
融資の実行という過程になりますと、よりこまかな
基準なりあるいは要綱なりといったものをどうしてもつくらざるを得ない、それに沿って
融資させるという形にならざるを得ないのではないかというふうに考えられます。となりますと、おそらくその場合問題になるのは、
一つは、県なりあるいは国なりによってつくられるであろうそういった
一定の
対象農家の営農類型なりあるいは
経営主張なりといったものがはたしてどこまで現実に妥当するものかどうかということが
一つ問題になるわけです。いま
一つは実際の
審査に当たる
関係者、これはかなり多くの
関係者が予定されるようであります。たとえば
農協、
信連、
公庫といった
金融機関の系列があります。おそらく県、市町村の
農業改良普及所といった行政の
関係も当然
審査委員会ですか、の中に入るかと思います。その中で、一体どのような権限の分限
関係を想定するのかということが問題になろうかと思います。場合によってはお互いの権限が明確でないままに何とはなしに相談ずくで
融資するという形になって、責任の所在があいまいになるという可能性が多分にあるのではないかという気がいたします。この二つの問題の扱い方いかんによっては、これまでの
制度金融にしばしば見られたような行政による一方的な押しつけというような、いわば
制度金融の悪い面が
拡大されてくる可能性が残っておるのではないかという
感じがいたします。以上が第二の問題であります。
それから第三の問題は、担保
制度についてであります。この
制度によりますと、
施設資金八百万円という非常に大きな金を
融資するということになりますが、それに見合う担保をどう考えるかという問題であります。その点に関連して言いますと、当初のこの
制度の発想は、考え方では、これと
セットに考えられていた
農業抵当
制度というのが結局見送られて、わずかに
農業動産信用法の改正が実現されるという模様であります。しかしこの程度の改正をもってしてはたしてこれだけの巨額の
資金の担保をまかない得るかどうかということがかなり疑問である。あるい疑問であるというより、もっとはっきり申しますと、どうもとうてい所要の担保をまかない得ないのではないかという
感じがいたします。これまでの
公庫資金の
融資については、
公庫資金はどうも形式的な担保主義が強過ぎるという批判が下から強くあったわけですが、おそらくこれだけの大きな、しかもリスクの大きな金を出すということになりますと、当然
公庫の窓口といたしましても担保というものをかなり強く考えざるを得ない。となりますと、担保の問題がネックになってこの
資金が容易に流れないという問題が生ずる可能性があるのではないか。結局あくまでも政策の発想に忠実であり、その初志を貫徹しようとはかるならば、現在の
制度金融の基調となっております担保主義ですね、これをある程度ゆるめるといいますか、撤廃するというか、そういう考え方に立たざるを得ないのではないか。ある程度ゆるめるといいますのは、担保として一応
融資物件をとるけれ
ども、その
融資物件では評価が不足であってもこういった
金融についてはやむを得ないのだ、そういう割り切り方をして
融資をするかどうか、それがなければおそらく八百万円という非常に巨額なものを限度として想定いたしましても、それだけの金が流れないのではないかという
感じがするわけであります。
それから第四の点は、
信連の直貸に関連してであります。この
制度によりますと、一応窓口は、
融資の責任は
信連であり、
信連直貸を原則とするというふうにうたっております。おそらくその趣旨は、非常にリスクが大きいから
単協にできかねるのではないか、
単協にゆだねるのは無理であろうということかと思います。その趣旨はわかるのですが、実際にはそれに伴って次のような問題が生じてくるのではないか。
一つは、現在の
信連の状態あるいは
信連の
実態から申しますと、
個々の
農家までを
信連が全部把握している、その
経営実態を十分に把握していくということはまず無理である。おそらく実際の処理といたしましては、
農協が窓口となりましてある程度の選別を行ない、それで合格したものが
信連に持ち込まれる、いわゆる
融資候補
農家として持ち込まれるという形になるのではないか、そういった
農協と
信連とのいわば窓口と
融資責任機関との分業体制がはたしてうまくいくかどうかという問題が
一つある。それからもう
一つは、
運転資金をどうするのかという問題であります。たとえば
近代化資金であるとかプロパー
資金であるとか、この
制度に
セットして
融資されるべき
運転資金を、はたして
信連で直貸せよというのが法案の趣旨かどうかという点でありますが、どうも私の印象から申しますと、そこまでこの
制度では強制していないし、またできないのではないか。おそらく
運転資金については、ケース・バイ・ケース式に、ある場合には
信連のプロパー
資金を
運転資金として出し、ある場合には
単協のプロパー
資金を
運転資金として
単協が出すという、そういう処理のしかたになるのではないかという
感じがいたします。そこでおそらくよほどうまいことをやらなければ、両者の中で、一方は、
施設資金は
信連が出す、他方、
運転資金は
単協が出す、その関連がうまく調整がつかなければかなりの混乱が生じるおそれがあるのではないかという
感じがいたします、それが第四点であります。
第五点は、これはあまり大きな問題ではありませんけれ
ども、
融資コンサルタントの問題であります。当初の
構想といたしましては、この
制度のメリットとしては、営農指導と
融資との一体化が実現されるという点が非常に強調されていたわけであります。その意味から、
融資コンサルタント機能を大いに活用するのだというととがしばしば強調されていたわけです。おそらくそういった発想はこの
制度の模範になりましたアメリカのFHA
金融というのがあります、
農家更生
資金、これを模倣して、それを
日本に持ち込もうとしたのだろうと私は推測しております。ところが最終的に落ちついた案を見ますと、
融資コンサルタントとしては、わずかに
公庫の本店に三名の嘱託を置くという形になるようであります。で、どう考えましてもこれだけの
融資を行なう、しかも全国的な広がりをもって行なうという場合、わずか三人の
融資コンサルタントというのでは非常に中途半端ではないか、その程度の
規模では、一体どの程度の
コンサルタントをやろうとするのか非常に不明確である、あるいはもっと詰めていきますと、そもそも現在の
日本の
農業の指導
組織なりあるいは営農指導体制の中で、あらためて
融資コンサルタントというものをつくる必要があるのかどうかという点も問題になろうかと思います。
第六点といたしまして、この
制度ができた場合に、たの
制度金融との区別といいますか、区分はうまくいくのかどうか、特に下部の
農家段階及び
単協段階で混乱を生じないかどうかという点であります。この
制度の考え方といたしましては、自立
経営候補
農家については、すべてこの
資金でめんどうを見る、逆にいいますと、他の
資金は一切貸さないということになるかと思います。しかし、はたして現実の
農家がそううまく峻別できるかどうか、同じ
土地改良資金を借りるという場合、この
総合資金対象農家は借りれないというふうに割り切れるのかどうか、あるいは
近代化資金を貸りるという場合、
総合資金の
対象者は
総合資金にワクづけされた
近代化資金以外に借りれないというふうに言えるのかどうかということであります。そういった点を考えますと、実際の
農家段階では、結局さまざまな
資金ルートが交錯して、無理にそれを
制度的に割り切るというのは、かえって混乱を生じるのではないかという
感じがいたします。その点をもう少し理論的に詰めていきますと、この
資金が先ほど言いましたように特定の階層、つまり自立
経営候補
農家という特別の階層をまるがかえで
融資するのだという形を一応とっておりますけれ
ども、必ずしもそれが徹底していないという点にもなるかと思います。それについては、すぐ
あとでもう少し一般的な角度から申し上げてみたいというふうに思います。
以上申しましたことが、いわばこの
制度の運営に即した内在的な問題だと思います。
次に、この
制度をやや外部から見まして、この
制度の評価をどのように考えたらいいのかという点であります。
これについていろいろな問題がありますけれ
ども、第一の問題は、自立
経営育成政策あるいは構造政策という点から見まして、この
制度ができたということは、どうも政策の手順としては逆になっているのじゃないかという
感じがいたします。たとえば西ドイツにせよ、フランスにせよ、構造政策を展開するという場合には、まず目標とすべき
経営の
内容を確定する、それに沿っていろいろな施策を集中していく、というのがいわば構造政策の正規の手順であります。ところが
日本の場合には、この
制度ができたにもかかわらず、目標とすべき自立
経営農家というのが一体何なのかという点が、
内容が全く固まっていない。やや極言しますと、構造政策の目標については現在なお個別
経営か共同
経営かというようないわば非常に抽象的な議論が戦わされているという
段階であります。どうも少し勘ぐって考えますと、この
制度ができてある程度
融資が実現されていけば何とか目標も固まってくるのではないかという、そういう発想に立っているのじゃないかということさえ考えられるのであります。どうもそれでは非常に政策としては無責任ではないかという印象を強く持つわけであります。
第二点は、以上政策全体の問題として考えました場合には、構造政策全体の中でこの
制度の位置づけが明らかになっていないのではないかということになるかと思います。構造政策というのは、農地政策であり、後継者
育成政策であり、あるいは資本の大型技術の導入政策である。しかし、単なる個別政策ではなくて、それらを含めた総合施策であるというのがいわば常識化しているわけでありますが、実際には他の施策、他の政策というのは一向進まないで、もっぱら
金融だけが独走する形を強めているというのが実情であります。いわばこの
総合資金制度というのは、構造政策としては非常に孤立化した形の政策であり、それだけに危険性が多い、リスクが多い形であるという
感じがいたします。
第三の点は、
農業金融政策、
金融制度の問題であります。
長期的に見た場合に、
制度金融全体の体系をどう考えていくのかということは、当然こういう
融資制度をつくる場合考えていく必要があるのではないか。現在二十億前後の
融資規模ということでありますから、さしたる問題はないように思いますけれ
ども、しかし、性格から言いまして、この
資金ワクというのはかなり急激に増大していく可能性がある。そうなりますと、
農業関係の
制度金融全体のあり方をどう考えていくかという問題にどうしても直面せざるを得ない。しかも、それはかなり近い将来に直面するのではないかという気がいたします。
制度金融の中にも、この
総合資金に見られるような
経営中心の発想と、その他の
制度金融に見られるようないわば物
中心の発想と二つある、その両者の調整をどう考えるかという問題がどうしても近い将来に現実化するのではないかという
感じがいたします。いわば
農業金融の交通整理問題がより複雑化してきた形で提起されてくる可能性があるのではないかという気がするわけであります。
その点は、結局ここで交通整理問題については詳しく述べている時間はございませんけれ
ども、簡単にポイントだけ申し上げますと、
公庫資金の中でもこの
総合資金制度というのは、従来の構造改善
関係の
資金に比べてはるかにリスクが大きい
資金であり、いわば
公庫融資といっても、どちらかといいますと、事業団
融資に近いような性格を当然持たざるを得ないのではないかという
感じがいたします。となりますと、将来の
公庫融資の方向として、こういった
総合資金に見られるような階層別
融資という方向を一そう徹底さしていくのか、それともやや幅を拡げた従来の構造改善
関係資金、そういったものを
公庫融資の
中心に置いていくのかという、そういった選択を
公庫自体が迫られていくことにどうしてもならざるを得ない。
公庫がそういう問題に直面するということは、やや広げていきますと、結局
公庫と
系統金融とのあり方についても関連してくるわけであります。この
制度を将来に向かって
拡大していくというには、当然そういった点を含めまして、将来の
農業金融制度なり
農業金融機関全体の見取り図的なものをある程度見当をつけておく必要が現在あるのではないかという
感じがいたします。
以上、いろいろ申し上げましたけれ
ども、結論として言いますと、この
制度は発想としては非常に斬新であり、しかも性格としては、基本的には農政の将来の基本線に沿っている
制度、政策だと、その点については私も大いに
賛成であります。ただ、現実の状態に照らしていきますと、この
制度を取り巻くいろんな
条件、たとえば
農業の状態であるとか、農政の姿であるとか、あるいは
農業金融の
実態、そういったものに照らしてみますと、そういったまわりの
条件があまりにも弱体であり、十分に詰められていないのではないか、この
制度をささえるだけの
条件が熟していないのではないかという印象を強く持つわけであります。その点でややこの
制度が理論倒れに終わる可能性が強い、あるいはやや先走り過ぎた
感じが強いということを強く
感じるわけです。この
制度を当初の発想どおりに動かすためには、どうしてもそういった点において農政全体が強くバックアップしていくということがなければ成功しないのではないか。この
制度を生かすも殺すも一にかかってそこにあるのではないかという
感じがいたします。
以上、ごく簡単でありますが、私の
意見を述べさせていただきました。