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伊藤顕道君 そこで最後にお伺いしたいのは、この
新島の射
爆場建設については、
地元をはじめ、以上指摘申し上げたような
障害が山積しておるわけですが、さてその
反対を説得するだけでも、先ほども御指摘申し上げたように何年もかかるというような難問題であろうと思うんです。したがって、この問題が
解決して、さて
建設というようなことになるのに
——もしもかりにそこまで好転したとしても、これは
防衛庁から見て好転でしょう。われわれから見ると
反対の立場ですから
——そういうことになると、長い問、
水戸射
爆場については、誤射、誤爆事件があって、
国会の場で問題になって、そういうことも手伝って、
水戸射
爆場を
返還しなければならぬ、こういう問題に発展したわけですが、
水戸射
爆場も
返還にはならない。そうなりますと、私は最終的な目標としてお伺いしている
太田大泉米軍飛行場も、これも
国会でのしばしばの公約にもかかわらず、これも
実現されぬということになるわけです。そうだとすると、これは繰り返し申し上げるわけですが、
赤城さんから現在まで十代の
防衛庁長官が、特に
赤城さんから数代の
長官は、この
委員会でりっぱに期日を明確にして約束されておるわけです。そういうことになると、これはこのままでうやむやになってしまうわけです。もし
新島に射
爆場ができない
——そういう公算が強いわけですが、そうなると、
国会で公約したこの
太田大泉飛行場の
返還の問題は一体どうなるのか、そういうことにまた戻らざるを得ないわけです。で、
太田大泉飛行場返還については、
国会の従来の問題としては、
新島に射
爆場ができたら
太田大泉を
返還する、そういう公約では決してなかったわけです。だから
新島には
太田大泉は
関係なく
返還されてしかるべきだ。ただ、
防衛庁、特に
施設庁の都合でただ
新島を選んだわけですが、結局、
太田大泉の
関係者が
新島がよかろうといって選んだわけではないわけですね。これは
施設庁が選ばれたということになる。その
施設庁の
考えは非常に甘過ぎて、意外に大きな
障害にぶつかったと、これは五年や十年でちょっと
解決されそうもない、こういう情勢で現在あるわけです。結局いずれは説得いたします、
補償もいたしますと言ったって、その
補償するには金がかかる、みんな税金で
補償するわけです。そういうことになると、これはもう五年、十年、
解決しそうもないわけです。そうなると、繰り返し申し上げたように、それでは
国会で公約された
太田大泉の飛行場の
返還は一体どうなるのか、こういう危惧を持たざるを得ないわけです。
もうすでに十年近くになっておるでしょう。正確には八年何カ月かですけれども、公約してから、それがいまだに
解決しないというような事例は、
日本の
国会にちょっとないでしょう。私はこの問題を繰り返し繰り返しやるので、もうこの問題を出すと、またかと
委員の皆さんが苦笑される。事ほどさように繰り返し繰り返しやってきた、
解決しないから。
政府が公約を
実現すれば即座にやめるわけです。まだやめ得ない。残念ながら繰り返し繰り返し約十年間この
委員会でこの問題に取り組んできたわけです。これは世界の議会史上を調べても、こういう事例はないと思うのです。一国の責任ある大臣が
国会の場で約束したことで、これは食堂で約束したとか、廊下で約束したとかいうのと違う。この
委員会の場で公約されたことです。それが十年近くもたっていまだに
解決しないということは、非常に問題があろうと思う。こういうことでいいのか。これを要約すれば、最初も御指摘申し上げましたが、行政の府が立法の府を軽視しておる、無視しておる、そういうことにもつながるわけです。きわめて遺憾千万だと思うのです。何はともあれ、公約を
実現して、
新島のいかんにかかわらず、この
太田大泉並びに
水戸の射撃場の
返還については、
政府はもっと真剣に取り組んでもらいたい。そんな見込みのない
新島と取り組んだって問題にならぬじゃないですか。結局、四十一年六月の
共同声明なるものも、ほんの一つの隠れみのにすぎない。それで世間をごまかしたかのごとく、そういうふうに受け取れぬ
事態になっておるわけですよ。この点は
防衛庁長官に重ねてお伺いするわけですが、
施設庁長官としては、そういう問題について、一体どういう
考えを持っておられ、今後どういう決意のもとに取り組んでいこうとするのか。当面の責任者は
施設庁長官あなたですから、あえてお伺いしておきたいと思う。