○森勝治君 私はまず第一点、最近における
公社のいわゆる企業性と公共性の谷間の
公社の方々がたいへん御苦労を願っておることとは思うのでありますが、私は具体的な
一つの事例をもって
公社が最近は非常に住民サービスと申しましょうか、利潤追求を急ぐあまり、公共性の点に対する配慮が非常に、——まあ
公社は非常にということばは使いなさらぬで、ただやや
程度でかんべんせよというようなことになりはせぬかと思うのでありますけれども、私は非常に公共性が薄れてきた、こういうことを指摘せざるを得ないのであります。はたせるかな、つい先日の日刊紙の投書欄を見ますと、
公社の広報課長が、最近は住宅
電話がふえたので
公社の収益が下がったということを、ぬけぬけと公式に発表をしているような
状態であります。そこで、私は公共性が薄れたという具体的な事例で、私の地元であります埼玉の例をとって申し上げてみたいと思うのであります。ここへ持ってまいりましたが、これが東京都の個人別
電話番号簿、ここに埼玉県の
電話番号簿がありますが、九冊ありますが、これが大体三十万加入ということを言われておりますが、どうでしょうか、この薄っぺらなこと。これが
公社の
国民に奉仕する公共性が薄っぺらになった顕著なこれは姿だろうと私は思うのであります。従来は埼玉県は大体一冊でありました。ところが、埼玉と東京は御
承知のように隣接地でありますから、政治的にも
経済的にもこれは密接不可分な関係を持つわけでありますが、片や東北腺の赤羽の鉄橋を超えて埼玉に入りますと、こんなに違うわけであります。川
一つ隔てますと、たとえば戸田橋の向こうとこちらに公衆
電話がありますが、この戸田橋のこちらから川口に来れば十五円取られる。極論いたしますと、——多少それは行政区域の違いがありますから、多少のことはやむを得ないけれども、県民サービスの
立場からいっても、こんなに
電話番号簿だけをもってしても、
大臣ちょっと見てください、こういう薄っぺらなやつでこんなになったのです。東京はこんなに厚い。これが私は
電電公社のすべての姿だということは、これは断言することは早計でありますから、そんなおこがましいことは申し上げませんが、少なくともこういう姿が
電電公社の
都市偏向の姿、遠隔地採用は
電電公社は盛んにやりますけれども、遠隔地サービスはあまりやっておらぬ。
電話の問題はあまりサービスが、走字だからというので最近は非常にそういう点にもややともすれば力を入れないという不平が
国民の間から出されているわけであります。そこで、しかし私は悪口ばかりは申し上げません。この中でも
一つよいことがあるのであります。たとえば埼玉県の与野市というは
電話局は浦和市に所属します。浦和の
電話局の管轄でありますが、従来は与野市の
皆さんでも浦和の市内の浦和の
電話局のページをめくらなければ与野市が出てきませんでした。しかし、今度は与野市は
電話局はないが、与野市という欄をめくりますと、与野市の居住者の
電話番号が親切に載っかっている。この点は進歩だろうと思うのであります。だからそういう点は確かに御苦労を願っておるのでありましょうけれども、非常にサービスが低下している。なかんずく私は、特にこの
公社の
電話番号簿発行やサービスで
考えなければならぬものは、政治圏の問題、
経済圏の問題だろうと思うのであります。そういうことは当然この
電話番号の編成にあたってはやはり政治圏
経済圏というものを考慮して編成されてしかるべきものと
考えておりますけれども、そんなことは一向におかまいなし、全然
考えていない。ただこれは足して二で割ったというようなことをやっています。これは具体的に言いますと、埼玉県の県南では、埼玉県の情勢を御存じない方はお許しいただいてしばらく聞いていただきたいと思うのでありますが、たとえば東京の北、川口から埼玉が始まりますが、川口、浦和、与野、大宮というのは、これは埼玉県の県南で最も政治的にも
経済的にも中心でありまして、この
都市をどれ
一つ切り離してもこれは十分に立ち行かない、立ち行かないという表現はまずいですけれども、連携がとれない。ところが川口は川口で切り離し、浦和と大宮を切り離し、荒川の向こうの朝霞を浦和のこの中に入れ、さらにこの中には上尾とか、上尾は
経済圏でありますからよろしいですが、今度は、つい先だってまでは久喜あるいは岩槻とかいうふうな、久喜、岩槻は政治圏となりますと、大体これは春日部が中心ということになります。向こうは向こうでやっている。こういう政治的な考慮、
経済的な配慮というものは私はこの
電話番号簿をもって推理いたしますと何ら顧慮されていないということです。私はこれでは住民サービスにはならぬだろうと思うのでありまして、こういうことについて、これは当然お
考えでありましょうけれども、そこまでなかなか手が回らぬと言われてしまうと、私もことばの継ぎ穂がなくなるわけでありますが、どうかそういう面についても住民サービスの低下することのないようにひとつお
考えいただきたい。
さらに、この
電話番号に関連して、私は一〇四番、一〇五番の案内の例を申し上げてみたいと思うのでありますが、従来手動式の場合ですと、番号で呼ばずに屋号で、大体当時の地方のしきたりでいきますと、魚屋さんは魚屋さんとか、角の八百屋さんとか、何丁目の床屋さんとか、こういうことで、番号でなくして屋号だけで呼んで、しかも
皆さんが案内台に向かって何丁目の魚屋さん、八百屋さんと言えば、それは何番ですよと言って教えてくれたわけです。ところが最近自動化が急速になりましてから、
公社がこれでは確かにどんどんどんどん加入数が多くなるわけでありますから、いつまでも番号だけではどうにもならないというので、屋号で教えてはまかりならぬと、すべて
電話番号をもって案内せよ、こういうことからこれはそういうことになったわけであります。その点を私はとがめてはおらぬのであります。ところが、最近はこの大体従来は
電電公社の案内というのは、交換の方でも練達の士を配置しておったわけであります。もちろん現在の諸君も練達の士でありますけれども、何ぶんにも
公社が利潤追求、
合理化を追い求める姿が急なるあまり、そういう点も非常になおざりにしまして、画一的に案内台をつくりまして、これに集中いたしまして、たとえば春日部で
電話番号を調べようとすると、たぶん草加の交換台が出るでありましょう。蕨の
電話番号を調べようとすれば浦和の局が出るでありましょう。あるいは上尾の
電話番号を調べようとすると、たぶん大宮の、別の隣の市の所在地の
電話局の交換台が教えてくれるでありましょう。ところがその案内の方には練達の士でありますけれども、何分にも蕨の事情を知らない。従来は蕨の
電話局でありますと蕨の局で長年鍛えた諸君が案内台につきますから、さっき言ったように番号がわからんでも、番地がわからんでも一番親切で一番詳しいといって市民の評判をかちとったところでありますけれども、最近はそういうことはないのであります。だから、したがってそういうことはもう
合理化でそうしたでありましょうけれども、しかし、こういう面はこれはもっと親切な扱い、これはよいことはいつまでも持続すべきだと思うのであります。ところが最近これはうそかどうか知りませんけれども、
公社ではどうも案内がふくそうして困るから案内代を取ってやるというさもしい根性を出したということも風の便りに聞くわけであります。私はせめてこういうところは、案内、住民サービスはもっと強化していただきたい。したがって、今後こういう問題から、これは具体的な事例を出しながら、埼玉県のこの埼玉通信部の管内の
電話番号の具体的な事例を私は提起して申し上げておるのですから、たとえば埼玉県のこういう分冊にされたやつを県民が全部買わなければならない。東京都は全部買わずにくるわけであります。しかも、これは
経済圏であるが全部分断しておりますから全部買わなければ、従来と同じように、日常の商業のほうは商業、工業のほうは工業、住宅のほうは住宅の用をなさぬのであります。したがって、こういう問題をどうお
考えなされるか。住民サービスについて、
国民の信をつなぐためには、やはり
公社が一考あってしかるべきものだと私は
考えますので、この点をまずお伺いして、それから本論に入ってまいりたいと思います。