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大橋和孝君 この
内容が
ばく然といたしておりまして、私まだそれではよく納得ができないわけでありますが、私はそこのいまの
局長の
答弁の中からも考えることば、今度の
研修というのはいままでの
インターンの中で行なわれた
研修とは
意味が違うと思うのです。いままでの
研修は、
免許証を与えるために必要な
実習をさせるというか、
臨床的な
実習というのが主体になっているわけでありますが、今度は、この前の
質疑の中にもありましたように、
医師免許証を渡すわけでありますから、それまでにかなりの
ベッドサイド・ティーチングもスモールグループ・ティーチングも行なわれるということが前提であって、少なくとも
医師免許証を渡された時限においては
医者としての
欠格条件はないのだ、完全に
医者としてやれるだけの
能力のあることを見定めて
医者になっているわけでありますが、いまの
国民の
医療に対する水準が非常に大きく要望されている
意味においてもっとそれを円熟させる、習熟させるという
目的だと思うわけであります。そういう点から考えますと、この
研修の
内容というものは、もっと深くもなろうし、あるいはまた、もっと幅広くもなろうし、そしてそれが
ほんとうに受ける
患者の側に立って非常にプラスになるというもので、
信頼ができるというものにならなければならぬと思うのであります。そういう点からいって、私は、いまのお話を聞いておりましても非常に
ばく然としていて、そして、その
内容の中には、いままでのような
研修といいますか、
実習といいますか、そういうものを含めたようなあいまいさがあっては相ならぬと思うわけであります。ですから、ここで明確にしてもらいたいことは、このあいだの論議の中でも申しましたけれ
ども、
医師免許証を渡すまでの間に、
文部省側の医学の
教育という中で非常にウエートを高めて、いま言われた中に入っているような
事柄は、もう
免許証を渡す前にやってもらいたい
事柄がたくさんある。そういうことを今度の
研修の中では明確にしておかないと、
免許証をもらうまでに当然やらなければならぬようなことを、
免許証をもらってもまだだらだらと繰り返すということになれば、若い
勉強しようと思っている者に対しては時間の空費にもなろうし、また二年間だらだら遊んでしまう。いままでの一年間の
インターンの中で実効がなかったのをまた二年間で繰り返すということになって、非常に大きな問題を残すんじゃないか。そういう
意味で、
臨床研修というものの
内容というものは、もうここで画期的なものでなければならぬと考えるわけです。そういう点を踏んまえて、もっとも、これから
審議会にかけて、あるいはまたいろいろ検討される面もあるからして、私が言うようなことには相ならぬかもしれませんけれ
ども、しかし、そこのところの
研修というものに対しては
相当に意欲を持たせて、そういうハイレベルでもっとこういうものを考えてもらわなかったら、実際そこでまた同じようなことを繰り返す、私はそういう危険を非常に感ずるわけです。そういう
観点から、いまの御
答弁の中ではまだ十分明らかにしてもらえない点は私のほうもよくわかりますけれ
ども、特に
研修の
内容というものはもっともっと高めてもらいたい。
同時にまた、そんなふうにしてほかに
連絡をとって、いままでの
インターンでやったような、あるいは
免許証をもらう前の
実習的なものでなくて、もっとほかに治療に結びつき、
医療にも結びつき、同時にまた、
医者と
患者関係のもっと
信頼感にも結びつくところの
相当の
権威のあるものにしていかなければならぬ、こういうふうに私は思うわけです。そういう点は十分ひとつ配慮していただきたいと思います。
それから、先ほど申しました
教育病院の
適格条件、これがまた非常に問題だと思うのです。いまのように現在のあるままを考えて、そこにはたとえば
教育病院とされるところの
大学以外の
病院を考えた場合には、そこにはかなり
臨床的に経験のすぐれた人が
国立病院などにはいらっしゃいます。だからしてそれは
イコール病院として適格であると、こういうふうには相ならぬと思うわけです。ですから、少なくとも卒業して
免許証を持った人がより
国民のそうした
信頼をになうような
研修をするということになれば、その受け入れるところの
教育病院なんというものはもっともっと国の力で国の援助によってそれをいいものにするということが先行するのじゃないかと思います。そういう
意味で私は
適格性をどういうふうなところで表現されるかという質問をしたのでありますけれ
ども、それにつきまして、いろいろ
審議の
関係があるかもしれないし、すぐかくかくであるということにならぬかもしれませんけれ
ども、私はいまここで先ほどの
答弁を聞いても少し
不満に思いますのは、
医師法を改正してこういうことをやるというならば、こういうものにしますというものが先行するんだと思いますね。こういうふうにしたんだからこういうところへ来て
勉強するんだということになって、それを見て
国民がこれがなるほど
自分の
生命を預けるところのお
医者さんの
研修の
場所だということが納得できるものが出ておれば、それで問題がないだろうと思います。ところが、今度の場合は、そういうことに対して非常に
ばく然としているわけですね。
それから、私は非常に問題があると思いますが、特に、いまの話を聞きましたように、二百七十から二百八十の総合的な
病院がある。おっしゃるところの
基準といえば
各科があってそして比較的
指導体制があるというわけでありますけれ
ども、その
指導体制と
各科があるということも非常にあいまいなわけですが、どういうふうな
指導体制に
——これは私は少し
あとからお尋ねしようと思うんですが、そういうふうな形で、二百八十のやつを百四十ぐらいにしぼってやるのだ、こういう形だけが出ているということになれば、しぼったところのものは、それはしぼられたから、
半数になれば、よりりっぱな
病院になろうとは思いますけれ
ども、しかし、その
病院の
適格性、
基準から考えてみると、非常にまだ
ばく然としております。これに対して私は非常に
不満です。少なくとも
厚生省が一番根っこになって
責任を持たなければならぬ
国民の
医療、
国民の
生命、そういう病気というものに対して
責任を持たんならぬ
厚生省が、特にこういうような
医者になる人の
研修というものに変革を与える場合に、
病院というものがこういうふうにして
教育を与えるのだということを先に明確に示すべきではないか。そういうことで私はいま
不満に思うわけでありますけれ
ども、そういうことから考えて、もっともっと
教育病院を
厚生省としてどう考えておられるかということを
国会の
場所で
——いま現在示すことができにくいと思うならば、少なくともこういうふうな
ビジョンで、こういうふうなものにする、こういうふうなものを出してもらいたい、こう思うのです。
これは私のほんの私見でありますから、まだまだいろいろな面からは批判があるとは思いますけれ
ども、少なくとも
教育病院であるというならば、いまの
大学病院と少しも
損色のないものにしなければならぬ、私はこういうふうに思います。だから、少なくともその
教育病院の
内科の
医長なら
内科の
医長、
外科の
医長なら
外科の
医長というものは
教授にしてもいいと思う。これは
文部省で
教授という
制度をとっておられるけれ
ども、
厚生省でも
教授というあれを出してもいいんじゃないかと思う。そこいらのところの可否は私はよくわかりません。わかりませんけれ
ども、少なくともポジションは
大学の
教授とちっとも変わらないような
教授というような資格を各
教育病院に与えて、同時にまた、そういう人があれば、その下には、
教授を助け、
研究を広く
指導していくという助
教授の
立場の人も要るだろう、
講師の
立場の人も要るだろう、また、それをやるところの助手の
立場の人も名前は違いましても要るのですが、そういうスタッフを
教育病院の中にはそろえて、そしてその
講師級までの間には、こまかく分析するならば、たとえば
内科であるならば、血液のほうをやるとか、
心臓のほうをするとか、高血圧のほうをするとか、
胃腸の
方面、ガンの
方面、いろいろあろうと思います、同じ
内科のものでも。そういうものに対して一人一人
権威として持って、そういう
人たちがそういう
立場から総合的に
指導できるような
体制をつくらなければ、
指導体制とか
教育病院とか
ばく然として言ってみたって、非常に見劣りするんじゃなかろうか。たとえば
大学を卒業してそして
医師の
免許証をもらいたての人がどうしようかと考えた場合に、やはり
自分が
信頼できるようなそういう
指導者のあるところへ行って
指導を受けたい、また、同時に、こちらでは
心臓をやったがこちらでは
胃腸のことをやりたい、いろいろなところでそれを学びながら、むしろ開放的に
——いま
大学病院の中では
医局というもので閉鎖されておりますけれ
ども、むしろ今度は、
教育病院のほうは開放的になって、どこでもそういうことを
勉強できる。たとえば時間があって、午前中
診療をして、
診療中に
ベッドサイド・ティーチングを受けるなら、午後はそういうところのいろいろな講義も聞けるし、いろいろな
研究もできる。先ほど
局長おっしゃったようないろいろな
症例の検討もできるし、また、ディスカッションもできるし、レクチャーもできるというような形のものになっていかなければ、
国民が
ほんとうに
教育病院で
勉強した人をあれは値打ちがあるというふうには受け取らぬのじゃないか、こういうふうに思うのです。
そういう
観点からいって、
教育病院の
あり方を、百四十にするとか百三十にするとかいうことだけでもってしぼったら、
教育病院として
基準内容がよくなるというものではないのではなかろうか。そういうふうなことで、一方には
研究もできる必要があると思う。
教育病院あたりでは、ただ単に
診療だけをしているわけじゃなしに、少なくとも
各科の
医長は
教授の待遇でもってやるとすれば、いろいろな
研究もできる。たとえば、
患者をみて、どういうことか起これば、それはすぐ
動物実験に移して
動物実験でやってみる。このごろ、
外科あたりでも、
心臓の
移植あたり、そういうものを
動物実験でやっておられるわけですね。そういうものなんかも
教育病院でどんどんとできる状態にならなければ、
教育病院の
ほんとうの
基準というものはないのではないか。また、そういうことになれば、いままでの弊害でありますところの、
大学に行かなければいけないという、いわゆる
教授を先頭とするところの
医局の中に閉じこもるということが打破できて、
教育の
民主化ということも自然にできてくるのじゃないか。そういうことを考え合わせますと、今度の、
医者になってから
あとの
研修というものは、
目的の置き方によっては非常に変わってくると私は思うのですが、そういう
観点について、もう一回
研修病院についての
考え方を
大臣のほうにお伺いしてみたいと思います。