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1968-05-20 第58回国会 参議院 沖縄及び北方問題等に関する特別委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年五月二十日(月曜日)    午前十時十五分開会     —————————————   委員異動  五月十八日     辞任         補欠選任      源田  実君     近藤英一郎君  五月二十日     辞任         補欠選任      山本 利壽君     谷口 慶吉君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         伊藤 五郎君     理 事                 増原 恵吉君                 山本茂一郎君                 岡田 宗司君                 佐多 忠隆君                 黒柳  明君     委 員                 井川 伊平君                 内田 芳郎君                 大谷 贇雄君                 近藤英一郎君                 谷口 慶吉君                 森元 治郎君                 片山 武夫君                 春日 正一君    政府委員        総理府特別地域        連絡局参事官   加藤 泰守君    事務局側        常任委員会専門        員        鈴木  武君        常任委員会専門        員        増本 甲吉君        常任委員会専門        員        瓜生 復男君    参考人        東京都知事        東京小笠原対        策本部本部長   美濃部亮吉君        東京総務局主        幹        東京小笠原対        策本部幹事    千葉利兵衛君        旧小笠原諸島在        住者代表     藤田 鳳全君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○小笠原諸島復帰に伴う法令適用暫定措置  等に関する法律案内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 伊藤五郎

    委員長伊藤五郎君) ただいまから沖繩及び北方問題等に関する特別委員会を開会いたします。  委員異動について報告いたします。  去る十八日、源田実君が委員辞任され、その補欠として近藤英一郎君が選任されました。  また本日、山本利壽君が委員辞任され、その補欠として谷口慶吉君が委員に選任されました。     —————————————
  3. 伊藤五郎

    委員長伊藤五郎君) 小笠原諸島復帰に伴う法令適用暫定措置等に関する法律案議題といたします。  本日は、参考人として東京都知事東京小笠原対策本部長美濃部亮吉君、東京総務局主幹東京小笠原対策本部幹事千葉利兵衛君、及び旧小笠原諸島在住者代表藤田鳳全君の御出席をいただいております。  この際、参考人に一音ごあいさつ申し上げます。  参考人の各位には、御多用中のところ御出席いただき、まことにありがとうございました。  本日は、小笠原諸島復帰に伴う法令適用暫定措置等に関する法律案について御意見をお述べいただき、本特別委員会の審査の参考にいたしたいと存じます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べくださいますようお願いいたします。  なお、議事の都合上、まず、美濃部参考人から約十五分程度意見をお述べいただき、引き続き委員からの質疑お答えを願った後退席していただくこととし、次いで、千葉藤田参考人にそれぞれ約十五分程度意見をお述べいただいた後、委員との質疑お答えをお願いいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  それでは、まず美濃部参考人からお願いいたします。
  4. 美濃部亮吉

    参考人美濃部亮吉君) 何よりもまず、小笠原返還につきまして、国会及び政府の御協力によりまして返還が可能になり、また、近く返還が実施されるようになりましたことを深く感謝いたします。  返還されまして、この小笠原をりっぱに復興させるということは、たいへんに大切であり、これは単に東京都の問題ではなく、国としても国際的な問題であって、せっかく返還されたにもかかわらずその復興がうまくいかないというようなことになりますると、これは世界に対する日本の恥でもありますし、ひいては沖繩返還の問題にも何らかの影響を与えることもあり得ないことではございませんので、都といたしましても、できるだけのことはいたしたいというふうに思っております。私も、わずかな時間ではございましたけれども、先日小笠原硫黄島に行って現地を見まして、そうして、現在現地におります約二百名の島民方々ともお話し合いをいたしました。そうして、この小笠原開発を円滑にやっていくことが非常にむずかしい問題であるということを痛感して帰ってまいりました。都といたしましてこの小笠原問題の解決に対処いたします基本的な方針といたしましては、三つのことが考えられると思います。  一つは、小笠原は、御承知のように、戦争ということによって島民方々強制疎開されて、それから二十年間非常に御苦労なすったわけでございます。こういう御苦労なさいましたのも、もとはと言えば、戦争という非情なできごとによるものでございますが、このたび帰島された後の小笠原は、いま申し上げましたような事情にもかんがみまして、ほんとうに平和な島として火薬においのしない島として開発していく、これが一番大事な柱になるのではないだろうかと思っております。そうして、私も行ってまいりましたけれども、まさに日本のハワイと申しましても少しも言い過ぎではない風光明媚な島でございますので、できれば一千百万人都民のいこいの場所としても発展させていきたい。そういう点からいっても、平和な島、火薬においのしない島、そういう島として開発していきたいと、そう心から念じております。  第二に、これは問題はほぼ満足すべき状況で解決されておりますけれども、なお今後ともこの島を開発いたしてまいります経過の中において、地方自治精神を強く生かしていきたいと思っております。一時は、この島の今後につきまして地方自治を無視するような方向に進むかもしれないというふうなことが伝えられましたけれども、現在のところは、地方自治を本旨として治めていくと、そういう形になっておりますので、いまのところは問題はございませんけれども、今後とも地方自治精神を貫きたいと、そう思っております。  それから第三の問題といたしましては、小笠原に住んでいらっしゃった方々強制疎開をされた方々、そういう方々にできるだけ早く帰っていただく、そうして帰っていただいたあと安定した生活を保障できる、そういう島にしたいと存じております。  それからもう一つつけ加えて申しますれば、硫黄島には二万六千人の方々がここで戦死されまして、現在まで遺骨は百人をちょっとこしたくらいの遺体しか発見されておりません。したがって、ほぼ二万人をこえる遺体硫黄島に眠っておられるので、この遺体収集をできるだけ早くやりたい、できればことしじゅうにもやりたいと思っております。できるだけ早くこの遺体収集をやり遂げて、そうして島に眠っておられる遺体内地への移管をできるだけ早くやるということもやはり小笠原問題に対処いたします大きな一つの柱になるのではないだろうかというふうに考えております。  しかしながら、こういう基本方針に沿って問題を考えていくにいたしましても、問題は決して容易ではないということを痛感いたします。それで、問題を解決いたしますにつきまして二つの大きい問題があると思います。  一つは比較的短期の問題であり、二つ目長期の問題でございます。短期の問題と申しますのは、アメリカ側からこの六月の終わりか七月の初めに日本の領土に返還されるわけでございますけれども、この返還を円滑に行なう。そこに、引き継ぎについてトラブルが起こらないようにしていくということ、これが第一にしなければならない重大な問題だと思います。  それから第二の問題といたしましては、引き継ぎが完了したあとで、どういうふうにこの島を開発していくか、そうして、その開発によって、先ほど申しましたように、もと小笠原に住んでおられた方々生活を安定させる、そういう開発計画であろうと思います。実際問題といたしましては、この引き継ぎを円滑にやるということと、それから開発長期計画を立ててそれに従って作業を進めるということとは、切り離すことのできない、互いに相関連する多くの問題を含んでいると思いますけれども、しかしながら、理論的には、両者を一応別なものとして別な計画を立ててやっていく必要があろうと思います。それで焦眉の問題といたしましては、第一の問題、つまり、引き継ぎを円滑にやるという問題にぶつからなければならないと思いますが、先日、都で都議団、若干の政府方々を交えまして調査団を約二週間派遣いたしました。そうして、現在の島の状況について相当詳しい報告書が作成されつつあります。そこで、この調査報告もとにいたしまして、引き継ぎについてこまかいスケジュールを立てて、そうして、その計画に従って順序よくやっていく、そういう計画を立てまして、こまかい日程表をつくることを命じてございます。  問題は、詳しく申しますれば、いろいろとあると存じますが、一番問題なのは、当座の問題として何をやらなければならないか、その仕事、やらなければならない仕事と、その仕事をどういうふうにやっていくか。主として労働力のほうの問題になりますけれども、それにどのくらいの労働力が必要であり、その労働力をどういうふうにして充足するかという問題、そうして仕事と、それに必要な労働力との関係から、島の人口がどのくらい、どのような形でふえていくかという問題が実は一番重要であろうと思います。そして、そういう問題の中から、現地人をどのくらい雇用することができるか。彼らにどのくらいの給料を、収入を与えることができるか。そうして、現在は平均いたしまして収入が九万円という非常に高い水準でございますが、現在とそれから将来の収入の間にどのくらいの格差が生ずるかというふうな問題、あるいは人口の増加に見合いまして、食糧その他日用品の供給をどうするか、どのくらいの船をチャーターいたしまして、どのくらいの頻度で生活物資輸送したらいいのかという問題が起こってまいりますし、また水道は、現在は最大限三百人くらいまでは現在の施設で間に合うと思いますけれども、三百人をこえますと、水道の拡張をしなければいけない。それをいつごろからどういう方法でやっていくのか。つまり、仕事と見合って人口の、それからまた、その間にどれほどの方々、つまり、昔小笠原に住んでいた方々がどのくらい帰島することが可能であるかという問題も、いまの問題とからみ合っていると思います。  それからもう一つ重要な問題は教育問題がございまして、私は現地で二時間ほど現地人話し合いましたが、もちろん、彼らの生活それ自体が今後どうなるかという不安も多分に持っておりますけれども、しかし、話し合い中心議題は、何といっても自分たち子供たちがどうなるのか。一応は日本語が話せましても、読み書きは十分ではない。そういう子供たちに対してどういう教育を施してくれるのか。そうして卒業したあとの就職はどうなるのか。また、グアム島に約二十名の高等学校生がおります。それから、中学を卒業して高等学校に進学する人が、あそこは七月の卒業でございますが、約十一名おります。そこで一番むずかしいのは、高等学校ハイスクール教育をどういうふうにしていくのか。そういう問題がございます。そして、いままではアメリカのネービィが全部の費用を負担して、そうしてほとんど無料で勉学をさせていた。それを日本がいまその状態で引き継いでくれるのか、くれないのか。とてもハイスクールに行っている人たちの学費を負担することは、いままでよりも収入がずっと減るであろう状況もとで不可能だと思われる。それをどういうふうにしてくれるのか。そういう問題が非常に切実な問題として不安の種になっていたように思います。  まあ、こういうふうに円滑に引き継ぎを終了することが焦眉の問題でございますが、引き続いて、できるだけ早く、最初にお話しいたしました開発に関する長期計画を樹立しなければなるまいと思います。ただ、小笠原をどういう形で開発していくか、第一次産業中心を置くのか、第三次産業中心を置くのか。そうして、内地観光資本あるいは大企業形態漁業資本に荒らされてそうして島民生活が不安におちいることがないようにするにはどうしたらいいか。この開発に関する計画は、実際のところ、まだ具体案というものができておりません。これは現地に国及び都の役所ができて、そこに五十人近くの職員が参りまして、そうしてじっくりと考えて、そうして、何と申しますか、誤りのない計画を立ててそれを実行していく、そういうことになるのではないだろうかと思います。  はなはだ簡単でございますが、規定の十五分を過ぎましたので、私の報告及び意見をこれで終わらしていただきます。
  5. 伊藤五郎

    委員長伊藤五郎君) ただいまの美濃部参考人の御意見に対し質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
  6. 岡田宗司

    岡田宗司君 美濃部都知事小笠原にわざわざおいでになりまして、親しく調査されてこられた。非常に適宜な処置だったと思うのでございます。  ところで、いまお話しのように、人が少ないし、開発をするのに容易なことではない。御苦心があろうかと思いますが、この小笠原開発復興には、やはり政府がよほど多頭の金を出し、また政府でやらなければならぬ仕事もたくさんあろうかと思うのであります。  そこで、この仕事を早急に進めていくためには、政府と都とが一つになって計画を立て、そうして仕事をうまく配分して協力してやっていくことが一番必要だと思うのでありますが、この政府と都との間の仕事の配分といいますか、そういうことについてすでに話し合われて、その基本的な方向はきまっておるのかどうか、まず、それをお伺いしたいのであります。
  7. 美濃部亮吉

    参考人美濃部亮吉君) 現在のところ、そういう協力機構がまだできておりません。それで私は、それが非常に心配なので、できるだけ早く政府のほうに申し出て、そうしてちりちりばらばらに思いつき的な計画を発表したりはしないで、十分に両者で考えた計画を発表すると、そういうふうにできるだけ早くいたしたいと思っておりますが、現在のところはまだそこまで行っておりません。しかし問題は、現在のところよりもむしろ返還されたあとで、国の仕事と都の仕事を調和してやっていかなければならない、それは現地における行政機関機構が対立するようになったらたいへんなんで、その点ではまだ発表する時期ではないかと思いますけれども、大体自治省との話し合いで、都のほうは小笠原支庁をつくる。それで小笠原支庁長小笠原村の村長を兼ねる。それから、国のほうは総合出先機関をつくる。そうして、もちろん小笠原支庁長の任命は都がするし、それから、国の総合出先機関の長は国が任命する。しかし、両者が離れ離れになってけんかしていてはしょうがない。そこで、小笠原支庁長を国のほうの機関の重要なポストに任命する。たとえば、国の出先機関総合出張所の次長に任命するとか、それから、都庁の役人はもちろん国の役人を併任するとか、まあ、そういうような形が適当ではないだろうかということで、自治省とも話し合っております。その、つまり国との協力体制がうまくいくかいかないかということ。それから、全体の開発には一応の試算では五百億と出ておりますけれども、五百億ではとうてい足りない。五百億よりももっと、千億近くなる。これは都ではとうてい負担できないのでありますから、それを国のほうでどのくらい負担してくださるのか。できるだけ負担していただきたいという、その国の負担がどのくらいに負担をしていただけるかということも小笠原開発が成功するかしないかのかぎだと思っております。まだその点は何もわかっておりません。
  8. 岡田宗司

    岡田宗司君 次にお伺いしたいのは、七月一日から帰ってきたといたしまして、まずすぐに何か手をつけなければならない。で、その何か手をつけるといたしまして、都としてはまず何から手をつけるか。たとえば、二百数十人の島民ではこれは仕事をしようにもしようがない。人を送らなきゃならない。資材を送らなきゃならない。それを住まわせなければならぬ。そういうようなことから、あるいは集落をつくるための諸施設をまず手がけなきゃならないし、そのためには、何といいますか、船を定期的に送らなければならぬとか、都としてはまずどういう仕事からお始めになるお考えでございますか。
  9. 美濃部亮吉

    参考人美濃部亮吉君) 都としては、何よりもまずやっていかなければならない仕事は、おそらくは三百人をこえるであろう——いまが二百四、五十人ですから、どうかすると倍近くなる——その小笠原に住まっている人たち生計を維持する物資、物と、それから収入との両面を考えること、これが一番大切だと思うのです。それで、そのことと関連して、それからまた将来のことも考えて、次にしなければならないのは輸送の問題で、できるだけ早く定期航路をつくること。そうして、定期航路ができるまでは船をチャーターして定期的に人及び物の輸送をするとか、それから飛行場の建設、これがまたたいへんにむずかしい問題で、父島にはちょっとできないんです。できる場所がない。そこでどうするか。つまり、母島はできますから、母島飛行場をつくってそれから快速艇父島に行くようにするか、あるいは、飛行機は一応はあきらめて船による輸送中心を置くか。それから、こまかい問題になりますと、生活を維持していくためには水道が一番ネックなんで、三百人をこすと水道を新しくつくらなければならない。それからもう一つどうしてもやらなければならない難事業が、先ほど申しました硫黄島における遺骨収集で、これを早急にやらなきゃならないんですけれども、いまは二メートルくらいのギンネムのブッシュがおい茂っていて、その中に不発弾が無数にあって、そうして遺骨は数メートルの地下に埋まっているんですね。それをどういうふうにして収集するか。おそらく、そういう事業としての最初の難事業遺骨収集じじゃないか、そう思っております。  それからいまの教育の問題。これは小学校、中学校は一応いまのラドフォード学校ですか、施設はほぼ間に合うんですが、高等学校をどうするのか。私は、島民に異存がない限りは、奨学基金を募集して、そうして高等学校内地の秋川の都立高校教育したほうがいいんじゃないかと思っております。しかし、これも両親と本人の意向を聞かなければならないし、そのためには、奨学金制度を設けなければならないので、ほんとうの結論は出ておりません。
  10. 井川伊平

    井川伊平君 ごく簡単に三つのことをお伺いしますが、全くしろうとでございますので。島に帰られる人は、大体、帰ればもと島におったときのいろいろの所有権とか農業とか、いろいろありましょうが、それは帰属するのだろうと思いますけれども、島に帰らない人は、そういうような権利をどういうふうに処分することがふさわしく、あるいはどういうふうにそれは指導するのか、その点一点お伺いしたい。  それからもう一点は、島を開発していくのにつきまして、もと農業状態等も知りませんが、おそらくはやはりわずかな面積で百姓しておったのではないかと思いますが、新しい農業形態との関係で、旧所有者土地所有者との間をどういうように理解せしめて新しい時代に進めていくのかという問題が一つ。  それからもう一つは、農業に関しても、漁業に関しましても、これを開発して生計が営まれるようになるまではどのくらいの期間を要するのかという問題、その期間、どういうようにして生活をなさしめるのであるかという問題。この三点についておい伺を申します。
  11. 美濃部亮吉

    参考人美濃部亮吉君) お答えいたします。その問題は非常に重要でございますけれども、正直に申しまして、まだめどがついておりません。つまり、土地所有の問題をどうするか。昔は土地を借りて、家を建てたり耕していたりする方々が多かったのですけれども、それを、土地所有関係を今度新しくどうするかという問題が大問題ななんですが、ただありがたいことに、父島母島もほとんど全部が国有地になっておりまして、私有地はほんとうにわずかでございますから、そしてまた、全部ジャングルになっておりますから、国及び都の資金と労力で、このジャングルを全部取り払って耕地にする。そこまではどうしても国と都との負担にしなきゃなりませんから、全然新たに開墾するわけでございますから、いままでとは無関係に、国有地のほうの開墾によって帰島される方々開墾地を提供することができるのではないだろうか、そういうふうにも思っております。ただ問題は、いままで戦前はキュウリとかカボチャとか、そういう普通の野菜を早期に搬出するということで農業が維持されていたんですけれども、現在は東京周辺ビニール栽培でそういうものは十分に供給されている。そうすると、戦前農業形態では今後はいかない。そうすると、観葉植物とかバナナ、パパイヤ、そういう熱帯くだもの観葉植物でないといけないじゃないか。そうなりますと、従来の農業の形と全然違った形で開発していかなければならない。そこで、ほんとうに全然新たな農業国有地のほうに開発していくという問題になりますので、まだはっきりと何も計画は立っておりませんが、私は案外従来の土地所有の問題は支障にならないで済むんじゃないかというふうにも考えておりますけれども、もう少し具体的に詰めませんと何とも申し上げかねます、いまのところは、
  12. 井川伊平

    井川伊平君 大体要領を得ましたけれども、ただ一点お伺いいたしておきます。  そういうような新しい開拓であるとすれば、物をまいて、すぐに刈り取って金にするということはできないので、相当長い間のそういうものをつくり上げる期間が必要だと思うんですが、その間の島へ帰りました方々生活は、相当長い間お世話せなければならぬように考えるが、それは一体どのくらいの期間だというお見通しでございますか、教えていただきたい。
  13. 美濃部亮吉

    参考人美濃部亮吉君) その見通しは、何年という具体的なことは、とてもいま申し上げられませんけれども、私は、相当長くかかる、十年くらいは十分かかると思うんです。そこで、小笠原方々はできるだけ早く帰島したいという非常に強い希望を持っておられますけれども、それでは帰って生計を維持する道がない。それなのに帰っておしまいになるということでは、また帰られる方にもたいへん御迷惑になるので、開発と見合って、そして生計が維持できるような状況になるのにつれて帰島されるようにする、それまではしばらく待っていただくという以外にはないんじゃないかと思うんです。それで、新しい法律ができれば別ですけれども、帰られて生計の道がないという場合には、いまの法律では保護世帯として救助する以外にないんで、それでは非常にお気の毒で、そういうことはやれない。ただ幸いにして、いままで帰島された方がそれぞれの地域で大部分がそれぞれ生計を営んでおられますから、島の開発と見合って、計画的に順次帰島していただくというふうにやる以外にはないんじゃないかという気が現在はしております。
  14. 森元治郎

    森元治郎君 ちょっと伺いますが、従来の国有地とか民有地とかいうものに関する帳簿などもちゃんといま残っているのか、残っていないのか。  それから、渡島ですか、日本におる者が自分かってに船をチャーターして押しかけてかってなことをしていいのかどうか。おそらくある期間待てということになることもあると思うんですがね。そういうところはどうなっていますか。  それから、開発業者あるいは一発屋といいますか、山師といいますか、政府の力にもよらなくて、自分の金で自分でもって食糧を持って行って、観光開発みたいなことで何をしでかすかわかりません、いまは時代が変わりましたから。こんな一発屋をどう押えるのか。そうしないと、旧島民、あるいはこれから開発するにしても、帰ってみたら手も足も出ないというおそれもあるので、いかにこれを防ごうとされるのか、そういうお考えを伺います。
  15. 美濃部亮吉

    参考人美濃部亮吉君) 土地の登記簿は都が持っております。しかし、一応持っているだけでございます。ただ、登記簿がございますから、どこの土地はだれさんの所有だということはわかっております。  それから、たとえば観光資本ですが、これで荒らされてしまうということを何とか規制しなければいけないので、これには、一番いいのは、国立公園に計画して、そうしてすべてを認可制にするのがいいんですが、なかなか国立公園あるいは国定公園にする手続がむずかしいので、不完全ではありますけれども、早急に都立公園にして若干の規制はいたしたいと思っております。  それから、帰島する方々、あるいはほかの方で小笠原に住みたいという人が小笠原に行かれるのを制限することは、いまの法律ではできない。その点私非常に心配なのは、帰りたい一心でどんどん帰られる、それをとめることはできない。ところが、向こうに行かれて、何といいますか、収入を得る道がない。それで非常に不平不満が出てくる。そういう状況になるのでは非常にまずいので、そこをどういうふうにしたらいいのか、ちょっとまだ名案が浮かばないでおります。
  16. 伊藤五郎

    委員長伊藤五郎君) 美濃部参考人には、たいへん御繁忙中のところを本特別委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございました。  ただいまお述べいただきました御意見は、今後の委員会審議に役立たせてまいりたいと存じます。まことにありがとうございました。どうぞ退席していただいてけっこうでございます。
  17. 美濃部亮吉

    参考人美濃部亮吉君) じゃどうもありがとうございました。(拍手)
  18. 伊藤五郎

    委員長伊藤五郎君) 次に、千葉参考人
  19. 千葉利兵衛

    参考人千葉利兵衛君) 気のついたことで、二、三の意見を申し述べさしていただきます。  第一番目に、現在審議中の暫定法の中には、政令にゆだねられているものが多いのでございます。この中には、都とかあるいは村の行政と非常に関係が深いものがございます。このような政令の立案にあたりましては、事前に都の意見を聞くようお取り計らい願いたいと思います。なお、現在もいろいろ内々御相談はございますが、特にお願いしておきます。  それから第二点といたしまして、国の総合事務所、それから支庁、村の三者というものが一体として運営さるべきだと思います。なかんずく、国の機関はまだどれぐらいなりますか知りませんが、一本になるべくまとまったほうがよいと思います。また、先ほど知事も申し述べられました支庁と総合事務所の関係は、お互いに緊密に連絡し合いまして、そして効率的に運営し、住民の福祉を向上できるように配慮されたいと思います。  それから第三番目に、暫定事業復興事業に要する経費につきましては、相当多額の経費がかかると思いますので、国におきまして特段の御配慮をお願いしたいと思います。  それから第四点でございますが、返還と同時に都知事が直ちに行なう必要のある仕事がたくさんございます。これらは国の行なうべき仕事、たとえば魚族の保護等、非常に海区の保護を住民は望んでおりますが、それには省令でいろいろ制定してそれから東京都の漁業調整規則等を制定するとか、いろいろ関連がございますので、前提となります仕事につきましては、政令と同様に東京都の意見を十分聞いていただくと同時に、間に合うように処理願いたいと思います。  それから第五点でございますが、現地島民の税の負担は非常に現在安いわけでございます。五ドル以上の者から二%現在取っておりますが、こういう実情から見ますと、現地住民の租税負担が激増しますと、先ほど知事が申し上げましたように、生活安定の見地から非常に好ましくない状況になると思います。それで、住民の租税負担の能力を考慮しまして、適宜、税負担緩和措置を講じ得るように政令等においては措置願いたいと思います。それから、われわれのほうも、現在東京都といたしましては、現地島民の支庁、村役場等の職員の採用につきましては現在検討中でございますが、国のほうにおきましても、現地島民の採用は当然やられると思います。なお、われわれのほうから採用します職員の給料のきめ方とそれから国の総合事務所の職員の給料のきめ方につきましては、現地でトラブルが起きるとまずいので、国とよく相談してやっていきたいと思います。  それから第六でございますが、強制引き揚げ前に東京都におきまして、当時東京府と申しましたが、その時代に東京府の支庁でございますが、事務事業または職員の住居の用に供しておりました国有財産につきましては、復帰以後東京都に譲与していただきたいと思います。また、引き揚げ前に都が使用していなかった国有財産でも、小笠原諸島の住民の生活の安定、復興開発を促進するため東京都の事務事業の用に供する場合には同じく譲与を願いたいと思います。  それから第七番目でございますが、先ほど知事が申し上げましたが、硫黄島の不発弾及び遺骨収集等につきましては可及的すみやかに処理、収集されるようにお願いしたいと思います。  それから第八点としまして、先ほども申し上げましたが、島民が非常に二十三年間蓄積した魚でございますが、魚はわれわれの貯金なんだ、それに対して静岡県とかいろいろ各県がございますが、各県の漁船が海域に入りまして相当魚をとっているようでございます。それらの魚族の保護対策につきましては、われわれのほうも監視船とかなんとかを東京都としてもやりたいと思いますけれども、国におきましても特段の御配慮をお願いしたいと思います。  それから終わりに一言。小笠原開発につきましてはいろいろ問題が山積してございます。生活の安定の問題、教育の問題、それから病虫害の駆除の問題、港湾の整備の問題、空港の整備の問題、開墾の問題、道路の復旧等、いろいろ山積してございますが、国と都が密接な連携を保ちませんと当面の措置も将来の開発もできないと思います。都としてもできるだけのことはやるべきだと知事も先ほど申し上げましたが、ことに資金面につきましては、都の能力を越えた多額のものでありますので、特に国の御配慮をお願いしたいと思います。  以上で終わります。
  20. 伊藤五郎

  21. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) 陳述に先立ちまして一言お礼を申し上げたいと思います。  小笠原諸島の住民が強制疎開命令を受けまして本土に引き揚げさせられましたのが昭和十九年のことでございました。以来二十三年もの間、住民の帰島も許されなかった小笠原が、国際間の相互理解のもとに平和的に返還されるということは、これは史上にも前例の少ないことでございまして、その喜びはことばでもって表現もできないほどでございます。これも、国会の皆さま方が超党派的に御審議くださいましたことと、また、政府東京都の長い間の御尽力のおかげでありまして、ここに旧島民を代表いたしまして心から厚くお礼を申し上げさせていただきます。  そこで、御審議の暫定措置法の問題につきまして私どもの考えを二、三申し述べさせていただきたいと思います。  この法律は、その御趣旨にもありますように、旧島民ができるだけすみやかに帰島し、また生活の再建ができるようにするための御配慮と、現在父島に住んでおります人たち生活の安定がそこなわれないようにする、そういうための措置のようでございます。この二点の配慮からつくられたものだと思いますので、私ども、この趣旨に対しまして何ら異議はございません。しかし、この法律は、次につくられる復興法と非常に密接な関係を持っておりますので、これから帰ろうとする旧島民のいろいろ心配している点もございますので、そういう点について申し述べたいと思うのであります。  まず、第一の問題でございますが、村の設置の問題でございます。この法律によりますと、全島を一村にする、こういうような構想でございますが、これは戦前父島に二カ村、母島に二カ村、硫黄島に一カ村、合わせて五カ村ございました。私どもは、町村合併をする線につきましては何らこれは異存のないことでございますが、小笠原は非常にこの地域が離れておりまして、父島母島間は三十二キロ、それからまた、母島から硫黄島まで百五十五キロもございます。この島々全部を、全島を一村にしてしまうということは、非常にこれは不便きわまることでございまして、一体どうしてこのような構想を立てたのだろうかと島民において非常に不安を持っているようなわけであります。これはもちろん現在父島を除いた他の島には人が住んでおらぬので、人の住んでおらぬところに村づくりをするということはこれはできない。したがって全島一村にするのだというようなお話も承っておりますが、このようなことは、いま知事さんはだいぶ帰島がおくれるようなお話がございましたが、小笠原島民の心情といたしましては、そのようなものではございません。もうあすにも帰りたい、そういう気持ちを持っているやさきこういったような措置をとられることは、島民の帰島が非常におくれるのだという前提のもとにこういう措置がなされるのだということが島民間に伝わりまして、たいへん心配しているようなわけでございます。もちろん、これは帰島はできることでございましょうが、そういう点をひとつたいへん心配しておりますので、特に御検討を願いたいと思うのでございます。  第二の問題は、島の開発方法の問題でございます。政府調査団報告によりますと、まず父島にベース・キャンプを置いて、父島から開発を始め、それから他の島を順次開発すると、こういう方法をとるということが言われておるのでございますが、これはまことに不適当であるというのが島民の考え方でございます。申し上げるまでもなく、帰島する者はみな一緒に帰りたい。この島には帰れるけれどもあの島にはなかなか帰れない、そういうことでもってしますと、帰れない島の島民は、これはあすにも帰ろうとしているやさき、たいへんこれは困ることでございまして、こういう点はぜひひとつ、開発をされるならば同時にお願いしたい。なるほど、母島は無人島でございますし、また硫黄島は不発弾遺骨がたくさんございまして、このような島にすぐに帰るということは不可能かもしれませんが、まあ、帰島をする島民にとりましてはこのことはきわめて重大な問題でございます。また一面、このような構想につきましては、現在父島に住んでおる約二百名の人たちもこれに不安を抱いているようでございます。これは全く角度の違った問題でございますが、数日前東京都の調査団に参加しまして帰ってきました島民たちの話によりますと、まず父島を先に開発する、そして父島開発することになると、まず漁民がそこへ全部集まってくるだろう。他の島の漁民が全部父島に集まって、そして父島周辺の魚をまずとることになる。そうなってきまして、それから相当後に他の島に今度は移るということになりますと、今度はその帰る人たちは他の島の処女漁場の魚をとると、こういうことになりますので、ばかを見るのは現在父島に住む人たちだ、まあそういったような、これは狭い考えかもしれませんが、たいへんいま脅威を呼び起こしておる。こういうような問題もございますので、私どもも、父島にベース・キャンプを置いて開発することについては何ら異存もございませんが、同時に、他の島にもベース・キャンプを置いて、それぞれ実情に即した方法で開発を始めていただきたいと、こう思うのでございます。これは現地の住民も、これから帰ろうとする人たちも、みんなそういったような考えを持っておるのでございます。  それから第三の問題は、硫黄島の問題であります。これは、先ほど美濃部さん、千葉さんからも申し述べられましたことでございますが、硫黄島は全く戦史にも類例のない激戦のあったところでございまして、島の形まで全部変わっておる。そういう状態からしまして、不発弾が無数に存在している。また遺骨も、壕の中といわず林の中といわず、たいへんなものがまだ残っておるだろう。これをそのままにして早く帰れと言ったって、これはとても帰れない。まず硫黄島にも現在帰ろうとする者が相当あるように私ども承っておりますので、この遺骨収集不発弾の処理というものは、まずその島に帰る前提条件でございますので、ぜひこれはひとつ早く手をつけていただきたい、こう思うのでございます。  それから第四の問題は、土地の賃借権の設立と使用権の設定の問題でございますが、この法律によりますと、他人の土地の上にその所有権者の承諾を得ずして使用している者に対してなお十カ年の賃借権を認めるということ、また土地の使用の場合、公共の用に供するものは所有権者の同意なくして使用ができる、こういう点につきましていろいろ心配している向きがございますので、このようなことは一方的の措置だと言う人もございますので、その適用はぜひひとつ十分御配慮を願ってお願いしたいと思うのでございます。  第五の問題は、開発の問題と帰島者に対する援護の問題でございますが、いま旧島民が一番知りたがっている問題はこの問題でございます。調査団報告にありますように、父島の一部を除いてはすべてジャングルと化しておりまして、そのようなところに帰るには一体どういうような措置を講じてくださるのであろう、いま島民はこのことを実は待ち焦がれておるのでございます。まず青写真とはいかなくとも、一応の構想をお示しくださることはできないものであろうか。そういうことがいま当面の問題ではないか。昨年東京都も帰島希望者の調査をやりましたし、また、いま総理府においても帰島希望者の意識調査を行なっておりますが、だれに尋ねてみましても、まず帰島計画の概要を知りたい。帰るにしましても先立つものは金であり、また帰島者の援護の問題であります。御承知でもありますように、小笠原島民は昭和十九年に全くこれは着のみ着のままで荷物三個を持ったままで本土に強制疎開を命じられました。そして、以来塗炭の苦しみをなめまして、もう二十二年たっておりますが、その間、いまになってみればとやかくの問題はないかもしれませんが、一家心中、親子心中などという問題が十二件も生じたほどでございます。また、戦争の犠牲者は小笠原島民だけでないことはよく存じておりますが、小笠原がこの日本固有の領土であったというそれだけに、引き揚げさせられた島民に対する当時の措置としては、適正を欠いたものがかなりあったようでございます。しかし、小笠原の引き揚げ者にとりましては、施政権が返還されれば——されなくても、帰島することはすぐできる、だろう、こういう考え方が続いておりました。また帰島すれば生活の再建はすぐできるのだ、そういう希望と信念を抱いておりましたために、励み合って生活と戦い続けてきたのでございました。そして、一にも帰島、二にも帰島とこの悲願をかけてきたのであります。昨年十一月十六日に日米共同コミニュケが発表されたときは、全く小笠原島民は全部抱き合って泣いてそれを喜んだのであります。しかし、それからもうすでに半年も経過しておりますが、島民はそのとき、もうすぐにも帰れるのだ、もう帰島はすぐできるということを思い込みまして、あれやこれやと、以来もう大騒ぎをしているような状態でございますが、これからゆっくり開発して生活のできるようにしてから住民を帰すのだ、このようなお考えでありますと、これはもうたいへんなことでございまして、もう船を持っておる漁民は、すぐ現地に乗り込みたい。それから、魚は、二十三年もとらないために、ほんとうに魚はたくさんわいている。それをよその船が来てみんなとられて荒らされてしまうのではたいへんだ。また農民は農民で、早く土地開墾してそうして種をまきたい、早く収穫をあげたい。こういう考えを持っている。先ほど都知事さんの、ビニール栽培の発達によって小笠原農業がほとんど形が変わってしまうのではないかというような御心配も伺いました。このような杞憂はいまのところ全くないのでございまして、私どもはいろいろ調査をしておるのでございますが、害虫駆除の問題さえ解決いたしますならば、ビニール栽培しますにはビニールの費用というもの、相当費用がかかるのでありますが、小笠原は天然の恵まれた土地でございまして、そのままで真冬にいかなる野菜でも栽培できる、こういう土地でございまして、輸送費の問題それから生産費の問題等を考えまして少しも心配のないことが私どもわかってまいったような情勢でございます。いずれにしましても、帰りますにはまず家が一軒もない。この家を建てていただかなくては、これは自分がいま島に帰り、新しく土地開墾して家を建てることができるというような人たちは一人もないと言っても差しつかえないようでございます。また、産業開発するにしましても、機械を買うとかあるいは産業施設をつくるとかいうような問題につきましても、これは相当費用がかかることでありますので、まずこの補助金の問題とか、あるいは長期低利の資金の融資とか、そういう問題をまず一日も早くお考えをいただきまして、ひとつ帰島が早くできるようにお願いしたいと思うのでございます。  次の問題といたしましては、諸般の事情から考えますに、小笠原開発を国でやって、行政面は都でやるというようないままでの御構想のようでございますが、いろいろ先ほどのお話を承っても、そこにたいへん隘路があるように思われますので、むしろ開発事業団とか、あるいは開発事業会社とかいったような、そういった特殊機関を設けまして、その機関開発に当たらせる。しかも、これは超党派的に運ぶというようなことが小笠原開発を早めるのではないか、こういうふうにも考えられるのでございます。御検討を願いたいと思うのであります。  以上、旧島民が最も関心を示しております二、三の問題につきまして申し上げましたが、私どもは決してこの法案に反対しているわけではありません。その点は何とぞ誤解のないようにお願いしたいのでございますが、今後の復興法をおつくりになる場合大切なので、いろいろ考え方を申し述べさしていただきました。  再び申し述べさしていただきますと、まず、帰島の場合、帰島者に対する援護措置をぜひひとつ親心を持って国も都も考えていただきたい。  それから第二の問題は、小笠原開発はどのような構想で行なわれるかということについて、ひとつなるべく早く構想を示して、島民に安心を与えていただきたい。  次は、旧島民はいつごろになったら帰島ができるか、こういう問題につきまして、ぜひひとつ御検討をお願いしたいと思います。返還協定も六月中には発効するというように承っております。農家も一日も早く帰りたい。また、漁業者は漁業者で、発効と同時に現地に船団を組んで乗り入れて漁業をやりたい。こういったような、ほんとうに待ち焦がれている気持ちが小笠原島民の現在の心情でございます。ぜひその点をひとつ御考慮をお願いしたいと思います。  なお、終わりに一言私がつけ加えて申し上げておきたいことは、小笠原は風光明媚の土地でございまして、将来観光地として開発されることはこれは当然と思いますが、まず小笠原開発は、戦前同様産業に重点を置いて、農業漁業、これは独特の味のある島でございますので、やはり島民があそこで生活をするには産業に重点を置いて開発していただくのが島民のためには一番大切なことと思いますので、そういう点を御考慮に入れていただきましてひとつ御検討をお願いいたしたいと思います。  簡単でございますが私の陳述を終わります。
  22. 伊藤五郎

    委員長伊藤五郎君) ただいまの両参考人の御意見に対し質疑のある方は、順次御発言を願います。
  23. 谷口慶吉

    谷口慶吉君 藤田参考人に伺いますが、はなはだ失礼ですけれども、強制疎開されます場合、その当時あなたはどういう仕事をしておられましたか。
  24. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) お答え申し上げます。  私は島でデリスという農薬原料の薬草園を経営しておりました。
  25. 谷口慶吉

    谷口慶吉君 強制疎開された方々が本土にあちこち分散されていますね、それの、大体でいいですから、強制疎開された人たちが現在どういうところで生活しておられますか、それを次に伺いたい。
  26. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) 引き揚げ当時、まず八丈島に縁故がございますので八丈島に一番たくさんの人が参りまして、農耕を主としてやっておりました。それから静岡県には、漁民が前からの縁故がございまして、まず清水を中心にしまして静岡に参りました。それから那須。硫黄島の引き揚げ者はほとんど那須に行って那須の開拓をやったのです。ところが、これは立地条件が悪くて非常に苦しみまして、いまだに苦しんでおるようでございます。それから、その他の方々は大島とか、あるいは東京では大森方面にかなり集団的に住んでおりました。そういったぐあいに、それぞれ集団的にあちらこちらと散在しまして、引き揚げた当時は実にお話にならぬ苦労をいたしておりました。といいますのは、これは外地の引き揚げ者と違いまして、小笠原の引き揚げ者は、これは施政権の返還はともかくとして帰島はすぐできるだろう、こういう安易な考えがありましたために、本土に生活の基盤を求めようとする人がきわめて少ない。もう帰れるだろう、帰れるだろうということの連続のために、だんだんインフレになってきますし、持ち物もなくなってきますし、そういうことのために生活の立ち直りがほとんどできなかった。これが小笠原の引き揚げ者の全く苦労をなめさせられた原因でございます。  大体そのようなことでございます。
  27. 谷口慶吉

    谷口慶吉君 帰島の希望者ですがね、これは条件がかなえばという一つの条件の問題もあろうと思うのです。ただ、行ってみたってどうなるかわからないというところに帰るというわけにもまいらない人たちもいると思うのですが、そこで現在、あなたのお話によれば、一日も早く向こうに帰りたいとおっしゃる。そういう人たちが大体何人ぐらいおられるものなんですか。
  28. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) 東京都で昨年調査をしたときは四、五千名ぐらいあったというふうに承っております。現在総理府でもって意識調査をやっております。この結論がまだ出ておりませんので、どのくらい帰れるかということはわかりませんが、私どもの考えとしましては、いますぐ帰れるという人はやはり三、四千名ぐらいのものではないかと存じておりますけれども、この点は、島を一体どのようにして開発してくれるのだろう。とにかく二十三年も空白がありまして、曲がりなりにも、もうすでに本土に生活の基盤を現在持っている。それを片づけて島に帰るのですから、あそこに裸で行って、自分たちが、昔の開拓民のように木を切り倒して、くわで掘って、そうして種をまく。そういうようなことでは、これはとてもなかなかたいへんだ。裸で引き揚げさせられたのですから、まず、あそこに帰れるようにもと小笠原状態に復元してもらいたい。なお、欲を申しますと、本土は戦後非常に繁栄しておりますので、まずその繁栄にマッチしたようなひとつ開発の方法で、軍隊もいなくなったのですから、あそこをまず平和の島にして、ほんとう日本の国民の楽土のようにしてもらいたい。島民は、そのようにしてもらわなくても、まず早く帰りたい、そういうのがいまの心情でございます。
  29. 谷口慶吉

    谷口慶吉君 大体三、四千名だとおっしゃいますね。それを分散した場合に、硫黄島に幾ら、父島に幾ら、母島に幾らというのが出るでしょうね。あなたの御要望によれば、できることなら同時開発してもらいたい、こういうことですが、その配分はどういうことになりますか、実質的に。
  30. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) 母島小笠原島の全島の一番重要な産業地でございまして、農業にせよ、漁業にせよ、これは母島が最高でございます。その次は父島でございます。父島人口は、引き揚げ当時非常に多かったのです。ところが、父島には軍事施設なんかもありましたし、官庁街は全部父島、それから商店街もしたがって父島にありましたので、産業人口としてはむしろ母島のほうが多いのです。ですから、父島に四千何百名、母島に二千何百、硫黄島に大体千何百、大体七千七百十一人近く引き揚げたのでございますけれども、今度帰る場合、むしろ父島より母島のほうが多いのじゃないかと考えております。それから硫黄島のほうは、これは全く、いますぐ帰れるといっても二の足を踏む人が非常に多い。先ほど申し上げましたように、至るところに不発弾がある。これでは帰ってもどうにもならぬ。だから、その問題が先だというふうに言う人が多い状態です。はっきりしたことはわかりません。
  31. 谷口慶吉

    谷口慶吉君 藤田参考人ね、私、九州の鹿児島なんですが、奄美大島が復帰した昭和二十八年からの推移をずっとながめておるのですが、参考に承りたいことは、台風と農業関係小笠原の場合はどういう状況ですか。
  32. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) 小笠原島も、毎年ではないのですが、ときどき大きな台風がやってくる場合がございました。それは家も吹っ飛ばしたような台風もございましたけれども、小笠原の台風というものは、産業面におきましてはわりあいとそう大きな被害はないようでございます。というのは、気候が非常に温暖な地方でございまして、たとえば苗木を植えて作物をとる。すぐもう苗木を用意しておく。そういう状態ですから、現在の作物が吹っ飛ばされても、すぐその次の苗木を植えてそうして生産に当たる。また、船は全部、台風が来るとなりますと、おかへ上げてしまいまして、そう島には大きな船もございませんので、台風が来ましても被害の状態というものはほとんど——ないというわけじゃありませんが——きわめて少ないのが実情でございます。
  33. 谷口慶吉

    谷口慶吉君 耕種農業といま観葉植物の問題ですが、知事も観葉植物のほうに重点的にというふうにお考えのようであるし、参考人のほうでは、昔の農業のそれにみんながやっぱり未練を持っている、こういうようなお話のように承ったのですが、やはり従前の農業状態はどういうことだったのですか。耕種農業が主だったのですか、あたたかいところですから。たとえば、本土でできないようなものがいろいろありますね、パパイヤとか、先ほど話が出たバナナ。私、台風のことを聞きますのは、奄美大島でもりっぱなバナナがとれるんだけれども、台風でやられる危険性が多分にあるということで、知事がちゅうちょした過去があります。ですから、その辺はどうなんでしょう。今後、農業をやりたいという人たちはどんな農業を欲しているのか。これは重要なことですから、聞いておく必要がありますが。
  34. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) ただいまの御質問はほんとうにこれは重大な問題でありまして、いまあそこへ帰って島民がどういう農業をやるかということについて、いまいろいろな角度から研究しております。バナナのごときは一ぺん台風にあいますと、これは立ち直りが相当おそいので、バナナは最も台風の被害の少ない、風当たりの最も少ない場所を選んでやるべきだ。これは台湾バナナが一番適当であろう。それからその他の問題、たとえばトマトの問題も、これはビニール栽培が発達しましたので、小笠原のトマトはもうだめじゃないかという意見もございます。ただ、ミカンコミバエの問題がございますが、それは加工するか、ガスくん蒸をして本土へ送る、そういうような形をとりますれば、生産コストの点からもトマトは非常に有望である。それからセロリとかカボチャ。まあ、カボチャは、これは内地ではできませんので、ある程度カボチャは有望である。これは私どもは現在神田青果市場とか、東京中央青果市場という市場に行きまして、いろいろ市場の人たちの、重役さん方の意見を聞きまして、そして現在協会の中に農業部会、漁業部会、それから建設部会といったような部会をつくっていろいろ検討しておりますが、小笠原農業ビニール栽培によっていささかも支障がないという、一応の、いまのところは結論が出ておるわけでございますので、一応安心をしているようなわけでございます。
  35. 谷口慶吉

    谷口慶吉君 奄美が復帰しました際に、あなたのおっしゃるトマトが出たのです。もっと詳しく私の過去を申し上げますと、私は農協連の会長をしておりました。だから、トマトもとれるんだ、高級野菜もあたたかいところだからビニールも鉄骨ビニールなんか使わぬでやれるんだ、おっしゃるようなことを向こうでも言ったのです。ところが、トマトというのは、飛行機で送れば別ですけれども、奄美大島から大阪の市場まで運ぶ間に非常になまに近いものを出荷しても、カキの、熟柿みたいになっちゃうのです。だから、私が農協連の会長でやってくれと言われたけれども、だめですと私はそのときは断わりました。しかしながら、やりようがあるということをいまは思います。それは、現地でジュースの工場をつくればいいんです、トマトジュースの。そこに、知事が先ほど聞き捨てならぬことをおっしゃった。資本の介入はごめんだとおっしゃったのであります。第二次産業にタッチする者の介入すらお断わりになるなら、島の発展はないと私は断言しておきます。ですから、これは千葉参考人も、なぜいけないのか、少なくとも都と政府が規制しそうして介入する場合には、私はこれを頭からだめだという理屈は一体考えられないと思う。これは私の意見になるから答弁は要りません。ただ参考人に承りたいのですが、実はつい最近私は八丈島に行きました。ところが、農業らしい農業をいまやっていませんわ。昔はサトウキビもつくり黒糖も生産し、まじめな農業を、みんな耕種農業をやっていたけれども、いまは観葉植物一本やりなんです。これはあなたも、参考人もよく御承知でしょう。長い目で見れば、やはりそういうものをも含めた第三次産業が一番いいじゃないかと私は思います。それに伴う農業をマッチさしていくというような考え方がいいじゃないかと実は思いました。  それともう一つ最後に聞きたいのですが、水産の問題ですがね、これは非常に心配しておられるように、また引き揚げた人たちから言えば、よその漁船が来て乱獲されては困る、そのとおりだと思います。これはいろいろと捕獲の規制を水産庁のほうでやっていますから、どこはどこ、どこはどこと、これは私はできると思うのですが、ただ輸送の問題といろいろとからんでまいると思いますが、そういうこともあわせて今後検討していけばその問題は私はそう御心配になることはないんじゃないかという気がします。そこに私は政治が介入する大きなポイントがあろうかと思います。  最後に、千葉参考人に承りたいのです。知事は、いま藤田参考人が非常に失望されたような御発言がありましたのは、住めるようになってからやるんだということをおっしゃいました。ただ、私が聞いたのは、五百億の復興費ではとても足りるものではない。おそらく一千億に近い復興の金を必要とする。その金がどういうものに使われるかは私はいまは存じませんけれども、それだけの金が動けば相当な人間が、その仕事に携わる相当な人間が必要になるでしょうね。機械類だけがそれだけかかるというものでもございません。そういうことに非常に熱意を持って帰島したいという人たちに優先的に何かそういうふうの作法に従事させるような考え方が浮かばないものかどうか。これは千葉参考人に、最後ですからひとつ承って、私の質問を終わりたいと思います。
  36. 千葉利兵衛

    参考人千葉利兵衛君) 五百億とか一千億とかいろいろございますが、何しろ東京都の調査団は二、三日前帰ってまいりましたので、調査団意見を十分聞きましてそれで開発計画等は樹立したいと考えておるのでございますので、相当のたとえば母島につきましては沖港というところがございますが、現在五十メートルくらいでこわれてございますが、それを直しますのにしても一億くらいかかるとか、あるいは病害虫の駆除の問題で相当の金がかかるというのは農林省から聞いていただければわかると思いますが、そういうように人員、どれくらいの相当の人員が必要だということでございますが、建設にいたしましても、住宅の建設にしましても、それから水源開発のダム工事にいたしましても、いずれにしろ当面の仕事にもう相当な人が要るように思うのでございます。何人くらい要るかということになりますと、この前の旧島民の帰島調査によりますと四千九百六十七人、一応われわれの東京都で行なった帰島調査ではそれくらいになっておりますので、島民といたしましては約五千人くらい、父島へ行く人は二千五百三十六人、母島で千七百四十三人、それから硫黄島で六百八十八人というのが、東京都が去年行ないました希望の数でございます。旧島民といたしましては、その人たちが約五千人帰るわけでございますが、この人たちのいろいろ職業分類をとっておりますが、やはり農業とか水産業に従事したいという人が多いのでございますので、その人たち仕事がやりいいようにわれわれのほうも復興計画の上で練っていくという態勢で進めたいと思っております。
  37. 井川伊平

    井川伊平君 なければ一点。いまの藤田さんのお話を承りまして、私の胸も切々として打たれるものがありまして、多く共鳴するわけでありますが、しかし、お帰りになりたいということは、もとおった浜辺に、もとおった畑に、そしてもと自分が関係のあったところを開拓するという気持ちが主になっておられるのでしょう。そうでしょう。
  38. 藤田鳳全

    参考人藤田鳳全君) はい。
  39. 井川伊平

    井川伊平君 そこで千葉さんにお伺いいたしますが、島民の三千名からの方のお気持ちというものは私もよく了解がついたのでありますが、それで、そこに入る人たち土地所有権もと所有権と今後の農業形態等はどういうようにお世話するのかということを知事に聞いたところが、知事さんのおっしゃるのは、その問題は十分の研究はしていないのだ、しかし心配はあまり要らぬのだ、八割までが国有地開発なんだ、こういうお話ですね。そうすると、島民のいま考えておるところとは全然別な国有地開発であり、その国有地開発をするのには国費を多く投入する、その国有地に直接関係のなかった島民だけがそこに移っていくということにするのだということになりますと、ちょっとはずれてくるのじゃありませんか。やはり島民方々が考えているように、いままでの、もと生活状況においてそこで生活せしめることを主に解決をしてそれから国有地のほうを開発をしていくのはいいのだけれども、国有地だけを先にやってしまってそういう方面をあと回しなんだ、金は国の費用でやるのだということなら、小笠原の人に限った利益じゃないということじゃないかと思いますが、どうでしょう。
  40. 千葉利兵衛

    参考人千葉利兵衛君) 知事が国有地をまずやるのだというお話でございますが……。
  41. 井川伊平

    井川伊平君 わしが言ったのじゃありませんよ。
  42. 千葉利兵衛

    参考人千葉利兵衛君) いやいや……。そういうお話でございますが、いずれにいたしましても、旧村落とかいろいろございますが、旧村落をそのままやるという方法もございますが、これはあくまで私見でございますが、いなかのほうの耕地整理みたいなふうにやるとかということで、効率的にやる方法もあると思います。それは現在東京都に課税台帳の土地台帳がございますが、それでこま切れになっているのを、これから水問題も、農業用水も、従来母島におきましてもパイプで農業用水として引いておりますので、それで都有地の関係母島農業試験場のようなものがありましたのですが、そこは、現在ちょっと考えますと、住居にして、そしてどこか別なところへまとめたほうがいいのじゃないかとか、いろいろ今後も国と十分相談いたしまして土地問題につきましては解決していきたいと思います。
  43. 伊藤五郎

    委員長伊藤五郎君) よろしゅうございますか。  それでは、小笠原諸島復帰に伴う法令適用暫定措置等に関する法律案についての参考人からの意見の聴取はこの程度にいたします。  参考人には、御多忙にもかかわらず長時間にわたり御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。  お述べになりました御意見は、今後委員会の審議にきわめてよい参考になることと存じます。ここに厚く御礼申し上げます。  なお次回は、明二十一日午後一時から沖繩及び北方問題等に関する特別委員会・地方行政委員会連合審査会を開会することとし、本日はこれにて散会することといたします。    午前十一時四十五分散会