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参考人(
藤田鳳全君) 陳述に先立ちまして一言お礼を申し上げたいと思います。
小笠原諸島の住民が
強制疎開命令を受けまして本土に引き揚げさせられましたのが昭和十九年のことでございました。以来二十三年もの間、住民の帰島も許されなかった
小笠原が、国際間の相互理解の
もとに平和的に
返還されるということは、これは史上にも前例の少ないことでございまして、その喜びはことばでもって表現もできないほどでございます。これも、国会の皆さま方が超党派的に御審議くださいましたことと、また、
政府、
東京都の長い間の御尽力のおかげでありまして、ここに旧
島民を代表いたしまして心から厚くお礼を申し上げさせていただきます。
そこで、御審議の
暫定措置法の問題につきまして私どもの考えを二、三申し述べさせていただきたいと思います。
この
法律は、その御趣旨にもありますように、旧
島民ができるだけすみやかに帰島し、また
生活の再建ができるようにするための御配慮と、現在
父島に住んでおります
人たちの
生活の安定がそこなわれないようにする、そういうための措置のようでございます。この二点の配慮からつくられたものだと思いますので、私ども、この趣旨に対しまして何ら異議はございません。しかし、この
法律は、次につくられる
復興法と非常に密接な
関係を持っておりますので、これから帰ろうとする旧
島民のいろいろ心配している点もございますので、そういう点について申し述べたいと思うのであります。
まず、第一の問題でございますが、村の設置の問題でございます。この
法律によりますと、全島を一村にする、こういうような構想でございますが、これは
戦前は
父島に二カ村、
母島に二カ村、
硫黄島に一カ村、合わせて五カ村ございました。私どもは、町村合併をする線につきましては何らこれは異存のないことでございますが、
小笠原は非常にこの
地域が離れておりまして、
父島、
母島間は三十二キロ、それからまた、
母島から
硫黄島まで百五十五キロもございます。この島々全部を、全島を一村にしてしまうということは、非常にこれは不便きわまることでございまして、一体どうしてこのような構想を立てたのだろうかと
島民間
において非常に不安を持っているようなわけであります。これはもちろん現在
父島を除いた他の島には人が住んでおらぬので、人の住んでおらぬところに村づくりをするということはこれはできない。したがって全島一村にするのだというようなお話も承っておりますが、このようなことは、いま知事さんはだいぶ帰島がおくれるようなお話がございましたが、
小笠原島民の心情といたしましては、そのようなものではございません。もうあすにも帰りたい、そういう気持ちを持っているやさきこういったような措置をとられることは、
島民の帰島が非常におくれるのだという前提の
もとにこういう措置がなされるのだということが
島民間に伝わりまして、たいへん心配しているようなわけでございます。もちろん、これは帰島はできることでございましょうが、そういう点をひとつたいへん心配しておりますので、特に御検討を願いたいと思うのでございます。
第二の問題は、島の
開発方法の問題でございます。
政府の
調査団の
報告によりますと、まず
父島にベース・キャンプを置いて、
父島から
開発を始め、それから他の島を順次
開発すると、こういう方法をとるということが言われておるのでございますが、これはまことに不適当であるというのが
島民の考え方でございます。申し上げるまでもなく、帰島する者はみな一緒に帰りたい。この島には帰れるけれどもあの島にはなかなか帰れない、そういうことでもってしますと、帰れない島の
島民は、これはあすにも帰ろうとしているやさき、たいへんこれは困ることでございまして、こういう点はぜひひとつ、
開発をされるならば同時にお願いしたい。なるほど、
母島は無人島でございますし、また
硫黄島は
不発弾や
遺骨がたくさんございまして、このような島にすぐに帰るということは不可能かもしれませんが、まあ、帰島をする
島民にとりましてはこのことはきわめて重大な問題でございます。また一面、このような構想につきましては、現在
父島に住んでおる約二百名の
人たちもこれに不安を抱いているようでございます。これは全く角度の違った問題でございますが、数日前
東京都の
調査団に参加しまして帰ってきました
島民たちの話によりますと、まず
父島を先に
開発する、そして
父島を
開発することになると、まず漁民がそこへ全部集まってくるだろう。他の島の漁民が全部
父島に集まって、そして
父島周辺の魚をまずとることになる。そうなってきまして、それから相当後に他の島に今度は移るということになりますと、今度はその帰る
人たちは他の島の処女漁場の魚をとると、こういうことになりますので、ばかを見るのは現在
父島に住む
人たちだ、まあそういったような、これは狭い考えかもしれませんが、たいへんいま脅威を呼び起こしておる。こういうような問題もございますので、私どもも、
父島にベース・キャンプを置いて
開発することについては何ら異存もございませんが、同時に、他の島にもベース・キャンプを置いて、それぞれ実情に即した方法で
開発を始めていただきたいと、こう思うのでございます。これは
現地の住民も、これから帰ろうとする
人たちも、みんなそういったような考えを持っておるのでございます。
それから第三の問題は、
硫黄島の問題であります。これは、先ほど美濃部さん、
千葉さんからも申し述べられましたことでございますが、
硫黄島は全く戦史にも類例のない激戦のあったところでございまして、島の形まで全部変わっておる。そういう
状態からしまして、
不発弾が無数に存在している。また
遺骨も、壕の中といわず林の中といわず、たいへんなものがまだ残っておるだろう。これをそのままにして早く帰れと言ったって、これはとても帰れない。まず
硫黄島にも現在帰ろうとする者が相当あるように私ども承っておりますので、この
遺骨収集、
不発弾の処理というものは、まずその島に帰る前提条件でございますので、ぜひこれはひとつ早く手をつけていただきたい、こう思うのでございます。
それから第四の問題は、
土地の賃借権の設立と使用権の設定の問題でございますが、この
法律によりますと、他人の
土地の上にその
所有権者の承諾を得ずして使用している者に対してなお十カ年の賃借権を認めるということ、また
土地の使用の場合、公共の用に供するものは
所有権者の同意なくして使用ができる、こういう点につきましていろいろ心配している向きがございますので、このようなことは一方的の措置だと言う人もございますので、その
適用はぜひひとつ十分御配慮を願ってお願いしたいと思うのでございます。
第五の問題は、
開発の問題と帰島者に対する援護の問題でございますが、いま旧
島民が一番知りたがっている問題はこの問題でございます。
調査団の
報告にありますように、
父島の一部を除いてはすべて
ジャングルと化しておりまして、そのようなところに帰るには一体どういうような措置を講じてくださるのであろう、いま
島民はこのことを実は待ち焦がれておるのでございます。まず青写真とはいかなくとも、一応の構想をお示しくださることはできないものであろうか。そういうことがいま当面の問題ではないか。昨年
東京都も帰島希望者の調査をやりましたし、また、いま総理府
においても帰島希望者の意識調査を行なっておりますが、だれに尋ねてみましても、まず帰島
計画の概要を知りたい。帰るにしましても先立つものは金であり、また帰島者の援護の問題であります。御承知でもありますように、
小笠原の
島民は昭和十九年に全くこれは着のみ着のままで荷物三個を持ったままで本土に
強制疎開を命じられました。そして、以来塗炭の苦しみをなめまして、もう二十二年たっておりますが、その間、いまになってみればとやかくの問題はないかもしれませんが、一家心中、親子心中などという問題が十二件も生じたほどでございます。また、
戦争の犠牲者は
小笠原島民だけでないことはよく存じておりますが、
小笠原がこの
日本固有の領土であったというそれだけに、引き揚げさせられた
島民に対する当時の措置としては、適正を欠いたものがかなりあったようでございます。しかし、
小笠原の引き揚げ者にとりましては、施政権が
返還されれば
——されなくても、帰島することはすぐできる、だろう、こういう考え方が続いておりました。また帰島すれば
生活の再建はすぐできるのだ、そういう希望と信念を抱いておりましたために、励み合って
生活と戦い続けてきたのでございました。そして、一にも帰島、二にも帰島とこの悲願をかけてきたのであります。昨年十一月十六日に日米共同コミニュケが発表されたときは、全く
小笠原島民は全部抱き合って泣いてそれを喜んだのであります。しかし、それからもうすでに半年も経過しておりますが、
島民はそのとき、もうすぐにも帰れるのだ、もう帰島はすぐできるということを思い込みまして、あれやこれやと、以来もう大騒ぎをしているような
状態でございますが、これからゆっくり
開発して
生活のできるようにしてから住民を帰すのだ、このようなお考えでありますと、これはもうたいへんなことでございまして、もう船を持っておる漁民は、すぐ
現地に乗り込みたい。それから、魚は、二十三年
もとらないために、
ほんとうに魚はたくさんわいている。それをよその船が来てみんなとられて荒らされてしまうのではたいへんだ。また農民は農民で、早く
土地を
開墾してそうして種をまきたい、早く収穫をあげたい。こういう考えを持っている。先ほど都知事さんの、
ビニール栽培の発達によって
小笠原の
農業がほとんど形が変わってしまうのではないかというような御心配も伺いました。このような杞憂はいまのところ全くないのでございまして、私どもはいろいろ調査をしておるのでございますが、害虫駆除の問題さえ解決いたしますならば、
ビニール栽培しますにはビニールの費用というもの、相当費用がかかるのでありますが、
小笠原は天然の恵まれた
土地でございまして、そのままで真冬にいかなる野菜でも栽培できる、こういう
土地でございまして、
輸送費の問題それから生産費の問題等を考えまして少しも心配のないことが私どもわかってまいったような情勢でございます。いずれにしましても、帰りますにはまず家が一軒もない。この家を建てていただかなくては、これは自分がいま島に帰り、新しく
土地を
開墾して家を建てることができるというような
人たちは一人もないと言っても差しつかえないようでございます。また、
産業を
開発するにしましても、機械を買うとかあるいは
産業施設をつくるとかいうような問題につきましても、これは相当費用がかかることでありますので、まずこの補助金の問題とか、あるいは
長期低利の資金の融資とか、そういう問題をまず一日も早くお考えをいただきまして、ひとつ帰島が早くできるようにお願いしたいと思うのでございます。
次の問題といたしましては、諸般の事情から考えますに、
小笠原開発を国でやって、行政面は都でやるというようないままでの御構想のようでございますが、いろいろ先ほどのお話を承っても、そこにたいへん隘路があるように思われますので、むしろ
開発事業団とか、あるいは
開発事業会社とかいったような、そういった特殊
機関を設けまして、その
機関を
開発に当たらせる。しかも、これは超党派的に運ぶというようなことが
小笠原の
開発を早めるのではないか、こういうふうにも考えられるのでございます。御検討を願いたいと思うのであります。
以上、旧
島民が最も関心を示しております二、三の問題につきまして申し上げましたが、私どもは決してこの法案に反対しているわけではありません。その点は何とぞ誤解のないようにお願いしたいのでございますが、今後の
復興法をおつくりになる場合大切なので、いろいろ考え方を申し述べさしていただきました。
再び申し述べさしていただきますと、まず、帰島の場合、帰島者に対する援護措置をぜひひとつ親心を持って国も都も考えていただきたい。
それから第二の問題は、
小笠原の
開発はどのような構想で行なわれるかということについて、ひとつなるべく早く構想を示して、
島民に安心を与えていただきたい。
次は、旧
島民はいつごろになったら帰島ができるか、こういう問題につきまして、ぜひひとつ御検討をお願いしたいと思います。
返還協定も六月中には発効するというように承っております。農家も一日も早く帰りたい。また、
漁業者は
漁業者で、発効と同時に
現地に船団を組んで乗り入れて
漁業をやりたい。こういったような、
ほんとうに待ち焦がれている気持ちが
小笠原島民の現在の心情でございます。ぜひその点をひとつ御考慮をお願いしたいと思います。
なお、終わりに一言私がつけ加えて申し上げておきたいことは、
小笠原は風光明媚の
土地でございまして、将来観光地として
開発されることはこれは当然と思いますが、まず
小笠原の
開発は、
戦前同様
産業に重点を置いて、
農業と
漁業、これは独特の味のある島でございますので、やはり
島民があそこで
生活をするには
産業に重点を置いて
開発していただくのが
島民のためには一番大切なことと思いますので、そういう点を御考慮に入れていただきましてひとつ御検討をお願いいたしたいと思います。
簡単でございますが私の陳述を終わります。