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小沢(貞)
分科員 私いつも、午前中にやったNHKの予算の審議のときもそう感じました。また電電公社の予算のときも、私たちはこういうものを見るのは、いまの堀さんと違って専門家じゃありませんから、たいへんしろうとなんです。われわれしろうとが見ても、一体企業の中でいかほど
値上げを防ぐように努力をしたか、こういうあとがわれわれには見られてないわけです。少しぐあいが悪くなってくれば
値上げという安易な政治的な方法に依存しよう、こういう風潮のように見えてしょうがないわけなんです。たとえば先ほど
指摘のありましたように、やはり支出の中の大きなウエートというものは私はたくさんあると思うのです。一つは、やはり人件費が出された予算の中では大体二七%、それから償却費が大体三五%、これが概算要求のときには確かに人件費が二八・五%、それから償却費が三七・五%、この二つを合わせて六割六分、約七割ですね。だから問題は、この二つのものにやはり何らかのメスを加える、何らかの方法を講ずる、これは大きな項目からいえばそういうことではなかろうか、こういうように
考えるわけです。もう一つはもう少しもうかることに、
——これはそういうことを言うと不便なところにも電話を入れて大いに大衆に利便を与えろ、これは一つの政策としての方向だと思いますが、しかしいま企業的にピンチだ、こういうことになれば、もうかるところに大いに先に入れて、もうからぬところは若干あと回しにしてピンチを乗り越えたらやろう、こういう三つのところに私は要約されるのではなかろうか、こういうように
考えるわけです。
ところがこの
数字が私に語っているところは、私は説明もあまり詳しく聞いておりませんが、先ほどはからずも
指摘しておりましたけれども、
料金値上げ二二%を織り込んだときの人件費増は一万五千人の増を要求しているわけです。今度出された予算では八千五百二十二人、こういうことなんですね。これほどいとも簡単に、予算で
値上げを認められれば一万五千人だ、これは八千五百人だ、ちょっと渋いな
——大体人をこんな簡単にふやしたり減したりやっていくということなんでしょうか。
この人の問題について私は
考えるのだけれども、これは時間がないのではしょっていきますけれども、どうも諸外国の労働の生産性なんかと比べてみて、たとえば
昭和四十年ごろの比較でしょうが、アメリカであったら一人当たり百二十一口、西ドイツが六十四口、こういう中で
日本は四十六口、こういうわけですね。しからばうんと金をつぎ込んで電電公社が先般出されたような第四次五カ年計画の後にはどういう状況になるだろうかといってみると、
昭和四十七年のときには七十二口、こういうことだと、まだアメリカの本年度あたりの百二十口にも及ばない、こういう状況ではなかろうか、こう思います。だからもう少し労働の生産性を上げる、だから人間を安易にふやすな、こういう問題についてもっと真剣に取り組んでまいらなければならぬのじゃないか。私はいまから五年か六年前くらいだったらいいと思います。しかしいまは人をいかにして余すかということが
日本経済にとって最高の問題だと思うのです。私たちのいなかに行ったって、このごろ中小企業がたくさんつぶれるけれども、つぶれても一つも労働問題が起きないのは、つぶれるといううわさが起こればわれ先にと飛んでいって、早くこっちに来ないか、つぶれるおまえの会社よりこっちのほうがたくさん給料くれるぞ、こういうことでやっているからそういう中で上向移動が行なわれているわけです。だから昔の感覚と同じ感覚でやっておられるのではないか、これは経営の姿勢にも私は
関係すると思う。いとも簡単に人間がこういうふうにふえていく。しかも前に井上計画
局長から聞くと、第四次五ヵ年計画の終わる時分には三十何万になります。こう言いますから、われわれ民間企業の感覚からいえば、民間企業は生産が、売り上げが倍になっても人員は減らす。そのかわり資本の効率もよくなるだろうし労働の効率もよくなるだろうからいいけれども、こういうように安易に計画されているのを見て実は私にとってショックだったのです。その辺どうでしょうか。人件費がかくも安易にふやされていくということは非常に憂うべき現象だ、こう私は思います。