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1968-03-06 第58回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年三月六日(水曜日)    午前十時九分開議  出席委員    委員長 井出一太郎君    理事 小川 半次君 理事 北澤 直吉君    理事 正示啓次郎君 理事 二階堂 進君    理事 藤枝 泉介君 理事 加藤 清二君    理事 中澤 茂一君 理事 小平  忠君       相川 勝六君    愛知 揆一君       荒木萬壽夫君    上村千一郎君       植木庚子郎君    小沢 辰男君       上林山榮吉君    川崎 秀二君       小坂善太郎君    坂田 英一君       鈴木 善幸君    田中 正巳君       登坂重次郎君    中野 四郎君       野田 卯一君    野原 正勝君       福田  一君    船田  中君       松浦周太郎君    松澤 雄藏君       松野 頼三君    森山 欽司君       山崎  巖君    大原  亨君       川崎 寛治君    北山 愛郎君       久保 三郎君    阪上安太郎君       田中 武夫君    楢崎弥之助君       畑   和君    森本  靖君       山内  広君    山中 吾郎君       横山 利秋君    塚本 三郎君       浅井 美幸君    正木 良明君       松本 善明君  出席政府委員         内閣官房副長官 亀岡 高夫君         総理府総務副長         官       八木 徹雄君         行政管理政務次         官       森部 隆輔君         北海道開発政務         次官      川野 三暁君         防衛政務次官  三原 朝雄君         経済企画政務次         官       山下 春江君         科学技術政務次         官       天野 光晴君         法務政務次官  進藤 一馬君         外務政務次官  藏内 修治君         大蔵政務次官  倉成  正君         大蔵政務次官  二木 謙吾君         大蔵省主計局次         長       相沢 英之君         大蔵省主計局次         長       船後 正道君         大蔵省主計局次         長       海堀 洋平君         文部政務次官  久保田円次君         厚生政務次官  谷垣 專一君         農林政務次官  安倍晋太郎君         運輸政務次官  金子 岩三君         郵政政務次官  高橋清一郎君         労働政務次官  井村 重雄君         建設政務次官  仮谷 忠男君  出席公述人         日本経済研究セ         ンター理事長  大来佐武郎君         東京大学経済学         部教授     川田  侃君         国学院大学経済         学部教授    正木 千冬君         第一銀行頭取 長谷川重三郎君         慶応義塾大学経         済学部教授   加藤  寛君         京都教育大学教         育学部助教授  関  順也君  委員外出席者         専  門  員 大沢  実君     ————————————— 三月六日  委員鈴木善幸君辞任につき、その補欠として小  山省二君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和四十三年度一般会計予算  昭和四十三年度特別会計予算  昭和四十三年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 井出一太郎

    井出委員長 これより会議を開きます。  昭和四十三年度一般会計予算昭和四十三年度特別会計予算昭和四十三年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会に入ります。  本日午前に御出席を願いました公述人は、日本経済研究センター理事長大来佐武郎君、東京大学経済学部教授川田侃君、国学院大学経済学部教授正木千冬君のお三人であります。  この際、御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は御多用のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。御承知のとおり、予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、当委員会といたしましても連日審議を続けておるわけでありますが、この機会に、各界の学識経験豊かな各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ各位におかれましては、昭和四十三年度予算に対しまして、それぞれ御専門立場から忌憚のない御意見をお述べ願いたいと思う次第であります。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず大来公述人、続いて川田公述人正木公述人の順で、約三十分程度意見をお述べいただき、その後、公述人各位に対し一括して委員から質疑を願うことにいたしたいと思います。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を求められること、また、公述人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御承知おき願います。  なお、委員各位に申し上げますが、公述人各位に対し御質疑のある方は、あらかじめ委員長にお申し出くださるようお願いいたします。  それでは大来公述人から御意見を承りたいと存じます。大来公述人
  3. 大来佐武郎

    ○大来公述人 本日、私は四十三年度予算案についての公述をいたすことになっております。この四十三年度予算案一つには四十三年度経済情勢国内及び国際経済情勢という観点からどういうふうに見てまいるかということ、さらには、予算の案が国の将来にも関係する点もございますので、やや長期的な点から見た問題、二、三気づいておりますようなことを申し上げてみたいと存じます。  まず第一に、予算案自体が、四十三年度につきましては従来の惰性を排しまして、かなり勇断をもって財政硬直化の防止につとめられたということは、やはり注目してよろしい点だと考えます。予算規模伸びが一一・七%程度であった、政府見通し国民総生産成長一二・一%程度に対してやや内輪になっておるという点が指摘されておるわけでございます。そのほか、公債依存度をかなり下げまして一〇%強程度のところに持ってまいった。その辺は、とにかく近年の財政規模拡大が超均衡から均衡、さらに赤字といいますか、公債発行という形で財源をふくらまして歳出の規模をふやしてまいった。いずれにしても、そういう形での財政規模膨張にあるところでブレーキをかける必要があるということは、早晩出てまいることだと考えられるわけであります。まあ、どこかでそういうブレーキを一たんかける必要があると存ずるわけでございまして、その点では、今年度そういう形になっておると見てよろしいかと思うのであります。ただ内容につきましては、後ほどいろいろ申し上げたい点もあるわけでございます。  次に、経済動向でありますが、昭和四十三年度経済につきましては、私ども経済専門家と申しますか、エコノミストといたしましてもなかなか判断のむずかしい情勢でございまして、昨年の暮れにニューヨークに参りましていろいろあちらの経済専門家に会いましたときに、そのうちのある一人が、明年度経済落石注意だ、いつ石が頭に落ちるかわからない、世界経済全般あるいはアメリカ経済としては拡大基調にあるけれども、そういった不測の事態に備える必要がある年だというようなことを申しておりましたが、確かに本年度世界経済動きということになりますと、いろいろと予断を許さない事情がございます。ただ私ども、ポンドの切り下げからドルの不安という一連の情勢、さらにドル防衛策の成り行きによっては、ドル平価の問題あるいは金価格の変更というような問題も絶対にないとは言えない情勢があるように感じております。しかし、金融面のいろいろな変動ということが、第二次大戦前でありますと経済実態面に非常に大きな深刻な影響を与えてまいったわけでありまして、一九三〇年代初期の不況期には、欧米諸国工業生産指数がほぼ半分に落ちた、世界貿易額も、金額で見ましてやはり一九二九年の三分の一以下に縮小するというような、非常に大幅な世界経済実態面の縮小、各国における深刻な失業者の発生というようなこともございましたが、戦後、とにかく世界各国ともいわゆる完全雇用成長政策というような面で実態面の大きな動揺を防ぐ政策が進行いたしておりますので、確かに金の面から見れば、世界経済はいろいろ問題を含んでおりますが、私ども実態面としては、四十三年度、一九六八年は前年に比べましてやや拡大基調であろうと考えております。アメリカ経済も、昨年二・五%の成長が、ことしは四%強といわれておりますし、ヨーロッパの西ドイツも、昨年マイナス一%というような成長率でございましたが、今年はたぶん三−四%伸びるだろう。いろいろな点を考えまして、実態面から見た世界経済環境というのはそれほど悪いとは必ずしも言えないというふうに見ておるわけでございます。  そういたしますと、日本国内経済の面におきまして、昨年来の国際収支の悪化、従来の例に従いまして引き締め措置がとられ、目下その引き締めが浸透しつつある段階だと思います。ごく最近の指標等から見ましても、この四、五月以降にはかなり引き締め影響が広く出てまいるのではないかと予想されるような情勢でございます。従来の例から見ますと、引き締めがございましてある時期たちますと、鉱工業生産横ばい状態になってまいる。そういう状態に入ってまいりますと、輸出停滞ないし幾ぶん減少する。反面におきまして、国内供給圧力が高まって輸出伸びてくるということで国際収支改善してまいる。ある期間国際収支改善が続きますと、再び引き締め解除という時期を迎える。これは過去五回ぐらいの日本の戦後の景気の循環のほとんど共通した形と見られるわけでありますが、本年の場合に、この国内引き締め政策が浸透いたしまして、どういう形で国際収支改善につながるか、その点は、いまの日本国内輸出圧力がふえましても、海外の市場がそれを十分に吸収していくかどうか、この情勢が悪いというとかなり長期にわたって不況が長引くという可能性がございますし、もし世界貿易拡大の中で日本輸出も相当伸びるという可能性があれば、それほど長い引き締めでなくても済むかもしれない。その意味では、この予算水田大蔵大臣の演説にもございますが、弾力的運営ということが、ことしの予算にとって特に必要なように思われるわけでございます。もちろん、この弾力的というのは二つの面がありますので、大蔵大臣がはたしてどちらの面を考えておられるのか必ずしも明らかではありませんけれども、つまり一つは、国際情勢が悪い。国内引き締めにもかかわらず、国際収支長期にわたって改善されなければ、さらに引き締めを強化するというような意味弾力性がございます。もう一つは、ある時間たってまいりますと生産経済活動停滞が出てまいる。ところが昨年度——まだ今年度でございますが、四十二年度には民間設備投資が三割前後ふえたと予想されておりますので、その結果新しい設備が続々稼働する、供給能力がふえる。反面におきまして需要が横ばいであるということになりますと、かなり需給のアンバランスといいますか供給過剰、生産過剰の状態が出てこないとも限らない。そういう場合には、場合によっては購買力補給的な意味での財政の出動といいますか、弾力的運営が必要になるかもしれない。この四十三年度につきましては、弾力的運営ということにこういう二つの面が考えられると思うのでございます。そういう点から申しますと、現在の経済動きから申しますと、四十三年度予算の施行にあたりましては、上半期やや押えぎみに、下半期に必要によっては景気をややささえる形で働き得る、そういった年度内の調整ということも考慮しておく必要があるように感じておるわけでございます。  これは当面の問題でございますが、やや長期立場から考えてみますと、確かに財政硬直化を防ぐために予算規模膨張を抑制した。中でも、公共事業支出伸びを低い率に押えたということはうなずけるわけでございますが、長期に見ました場合には、日本経済には従来から社会資本の不足ということがございます。昨年の、四十二年度でございますが、民間設備伸びが、前年度に比べまして政府経済見通しによっても二七・五%の伸び、しかし、実際は三〇%を突破するのではないかと見られておりますが、それだけ大きな民間設備投資の増加がございまして、政府投資的資本的支出は一六%くらいの伸びということでありまして、四十二年度におきましてもこのアンバランス拡大する姿になっております。四十三年度は、民間設備投資停滞すれば、ほぼその社会資本投資民間設備投資と同じ率くらいになると思いますけれども全般としては、やはりこのギャップが拡大する傾向がある。  昨年の政府の「経済社会発展計画」の中にも「社会資本整備」という一項がございますが、その中で、この「計画期間中に総額二十七兆五千億円の投資を行なう。これにより、社会資本整備の遅れは緩和の方向に向い、三十年代を通じて低下気味であった社会資本ストック国民総生産に対する比率は上昇すると見込まれる。」ということが計画にうたわれておるわけでありますが、短期的に見れば、この方向と四十三年度予算あるいは四十二年度経済動向は相反する方向に向かっておるということが言えるわけでございます。  もちろん社会資本と一口にいいましても、その内容が非常に問題でございます。この内容について検討はもちろん必要でございます。たとえば最近の人口動向などを見ましても、府県別出生率動向というようなものに非常に注目すべき変化が起こっておりまして、昭和三十年代の初めごろには南九州とか東北とか、いわゆる農村地帯の県が全国で一番出生率が高く、大阪とか愛知とか東京とか大都会出生率が低かったわけでございますが、四十年の国勢調査を見ますと、この関係が全く逆転しておりまして、鹿児島その他の農村県出生率全国で最低になりまして、大阪愛知その他の大都会府県出生率が最高のグループに入っておるということは、今後日本国民の大部分は都市に生まれて都市に育つということになってくる可能性を示すわけでございます。そういう意味では、やはり都市生活環境、ことに幼少年に対する生活環境改善ということは、今後の政策の重点としてもかなり考えていかなければならない。いままでは若い働き盛り人たち農村から都市に来たわけでありますが、これからは子供が生まれ、それが育つという都市になってまいりますので、そういう点からいっても社会資本を充実する必要があるように存じます。  それから、従来景気調整政策の面におきまして、いわゆるフィスカルポリシーということで財政弾力的運営をはかる、だんだんと日本もそういう形になってまいったわけでありますが、同時に、これが民間設備投資伸び政府財政支出伸びとの関係におきまして、もう一つくふうを要する面があるのではないかということでございます。昭和四十二年度民間設備投資が三〇%増大するということ、これは二年くらい前のレベルからいいますと五割近く上がっておるわけでございまして、こういうふうに大幅に民間設備が増大するということに対して、これをもう少し波を小さくするための有効な手段がまだ十分にとられておらない。ことに民間資本も大きくなってまいりましたし、ある程度企業内部留保もふえてまいりますと、従来のように単に金融引き締めという形では十分に設備投資の波を押えることができない。ことに金融引き締め手段によりますと、どうしても資金調達力の強い大企業は比較的容易に資金調達設備投資の遂行、実行ができる。しかし、調達力の弱い中小企業等におきましてこの引き締め影響をより強く受ける。これは従来も見られてまいったわけでございますが、私どもそういうような点から考えまして、今回にはちょっと間に合いかねるわけでございますけれども国会でも十分御検討願いまして、設備投資の波を小さくするための政策手段、それを幾つか整備していくという制度上の御検討をお願いしたいということを感じておるわけでございます。  これは諸外国の例などでも、たとえばスウェーデンなどでは、景気の過熱のおそれのある場合におきましては、企業内部留保の一部を中央銀行に設けられた勘定に払い込ませまして、それを今度は景気下降期に向かう、設備投資をふやしたほうがいいようなときにはこれを解除する、そういう形で設備投資が行なわれた場合には、法人利益税負担が軽減されるというようなやり方がございますし、他のヨーロッパ諸国などでは、また減価償却特別償却等景気調整設備投資調整に使っておる例もございます。今回、特別償却わが国ではちょっとそういうことに使えないようなかっこうになったようでございますけれども、とにかく金融引き締めという形だけで設備投資の波を調整するのにはかなり大きな困難がある。在庫投資調整には金融引き締めが有効でございますけれども設備投資調整には必ずしも有効でない。それには景気調整大工道具を、単にのこぎり一丁ということではなくて、のみもかんなも備えるというような形で、制度的な充実をはかってまいるということが今後必要になるのではないか。そういたしませんと、景気調整の場合に、長期的に見て必要な社会資本の増大が過度に押えられるというようなこともございましょうし、いまのような企業間のアンバランスという問題もございますので、これは今後の課題としてぜひ御検討を願いたいことだろうと存じております。  なお、長期的に見まして財政支出面の問題でございます。これもいろいろと苦心のあとを拝見いたすわけでございますし、いろいろな点で日本経済社会要求にマッチしておる点が多いと思うのでございますが、やや、長期的には、やはり私ども日本経済の将来を考えます場合に、日本経済がだんだんと先進国段階に入ってまいりましても、いかにして日本経済社会硬直化しないといいますか、財政硬直化ということが言われましたが、私ども経済社会硬直化ということを心配するわけでございまして、なるべくダイナミックな動きというものが経済社会に常に保たれる、それがやはり発展原動力でございまして、いろいろな意味での固定化ということを避けなければなりませんし、また競争という要素も常に重視していかなければならないと思います。また、特に長期的には人に対する投資、将来の発展原動力となりますのは、やはり人の能力、経営の能力技術能力、あるいは労働者能力というところに基本があると思いますので、短期的な財政規模変動がございましても、将来の日本人の能力といいますか、そういうものを高めるための人的投資、これは学問の研究奨励というようなことも含めまして、十分に考慮する必要があるんじゃないか。  また、これは非常に卑近な問題と申しますか、あるいはじみな問題でございまして、あまり一般の注目を引いておらないかもしれないと思うのでございますが、たとえば政府機関における統計整備というような問題、統計の質の改善というような点で、私ども、実は統計利用者立場にあるわけでございますが、こういう仕事はわりあいじみな仕事でございますので、どちらかというと日が当たらない。そういうことを通じましてだんだん統計のクオリティ、質が低下するおそれがあるというようなことを、これは経済の学界の方々も近ごろ心配しておるわけでございます。そういう仕事もじみではございますが、政府役割りとして非常に重要なことでもございます。また、ことに経済政策をだんだん高度化し、計量的にもいろいろ扱うということになりますと、計量の基礎になります統計がしっかりした科学的なものでありませんと、いかに高等な方法論を使いましても結果があやしいものになるという点もございますので、こういう点も長期立場から考慮する必要があるのではないか。  以上、ごく大ざっぱにこの四十三年度予算をめぐります私の印象を申し上げたわけでございますが、時間がまいりましたので、以上で陳述を終わりたいと存じます。(拍手)
  4. 井出一太郎

  5. 川田侃

    川田公述人 私は、大来先生のように全般予算の問題でございませんで、若干長期的な問題になるかもしれませんが、現在政府がかなり積極的になっております後進国に対する——後進国といってはこのごろいけないのでしょうが、発展途上国に対する経済協力問題のあり方というような問題について、思っておりますことをごく大ざっぱに申し上げたいと思います。  最近、東南アジアの開発閣僚会議とかあるいは農業開発会議のような会議でかなり政府は積極的なイニシアチブをとっているわけであります。そういう点からいきますと、経済協力政策については、かなり日本は最近積極的になったということは言えると思うのですけれども、いささか全体として、私の印象で恐縮ですけれども、若干行き当たりばったり的な感じがしております。それについて政府部内とか国会で十分に論議がかわされて、その上でこの明確な政策が立案されて、それに基づいて経済協力実行に移されているというふうにはどうも思われない。少なくとも戦後日本が、平和国家として再出発しました日本平和外交あり方が、経済協力政策というようなものに十分によく反映されているかどうかという点については問題があるのではないか、あるいはまた低開発国経済協力要請に今後わが国が引き続いてどのようにこたえていくかという、これは相当長期的な問題ですが、これについても必ずしも十分に明確にされているのではないんじゃないかというふうに思われるわけであります。経済協力政策というのは今後ますます私は大きな問題になっていくと思いますし、それに必要な資金もますます大きくなるのではないかというように思いますので、ひとつ国会でもこの問題を十分に討論していただいて、国民の納得のいく形で経済協力政策というものが行なわれるような配慮をぜひしていただきたいというふうに、国民の一人として、そのように思うわけです。  ところで、現在貧困と戦っております発展途上国経済開発をどのように進めていくか、いわば世界の貧民窟をどうやって一掃するかという問題、また、それについて先進国——先ほど大来さんが日本先進国になったというお話がありましたが、先進国がどういう形で協力していくかという問題でありますが、この問題は、一般的には現在南北問題というふうに言われております。そもそも南北問題ということばは戦後すぐ出てまいりましたけれども、これはその発想においては東西援助競争というようなことばによくあらわされておりますように、米ソなどの東西陣営先進諸国後進国に働きかけてそれを自分の陣営に取り入れるという、いわば冷戦の一環として南北問題というものが出てきた。ところが、最近になってみますと必ずしもそうではない。つまり、発展途上国国際連合あるいはその他国際場裏で非常に発言権がふえまして、そういう発言権の強化を反映して、いわば北方がつくった南北問題ではなくて、つまり北の先進国がかってに言い出したような南北問題としてではなくて、経済的に自立しようという南の貧しい国々の強い願望というものを背景にして、つまり南の国々イニシアチブのもとに、あらためて南の北に対するところの経済的な国際的不平等格差是正という要求として世界史の前面に出てきたように思うわけであります。そういう意味で、私は長期化するであろうと申し上げたわけでありますし、それから今後、国際政治経済の上で、ある意味では、南北問題はかなり画期的な意義を持ってくるのではないかと思うわけであります。そういう点で、われわれとしてもそういう南北問題の新しい性格というものを見のがさないで、積極的にこの問題に取り組んでいかなければならないというふうに私は考えます。したがって、経済協力政策の積極化は、私としてもそれ自体は全く大賛成でありますが、その場合、従来のように、北の先進国側のものの政治的あるいは経済的な勢力圏、あるいは利益圏英語で言えばスフィアー・オブ・インフルエンス、スフィアー・オブ・インタレストということばがありますが、そういうものを拡大するという観点でそれを行なうということは、厳に慎むべきである。そういう意味では、北の先進諸国のこれまでの経済協力政策については、かなり根本的な再検討を加える必要があるのじゃないかというふうに考えております。  ところで、発展途上国経済開発をどのように進めていくかという問題ですが、そのためには、明らかにこの発展途上国自体の努力が必要であるということは言うまでもありません。発展途上国が何も努力しませんで、自立的な民族経済の建設というふうな目標が達成されるわけがないのであって、その意味では、発展途上国は、その大部分の国々政府が進んで公言して、やると言っておるような農地改革などは、首尾一貫して、ほんとうにどんどん実施してもらいたいし、それに基づいて農業の発展をはかるなり、また、外国からの度の過ぎた援助にたよるというようなことをしないで、自立的な工業化計画を推し進めるなり、それぞれの経済状況に応じて、もっと努力をしてほしいというふうに私自体としても考えるわけであります。しかし、そのことは発展途上国経済開発に対して国際的な協力が必要はないということを何ら意味しないのであって、発展途上国経済開発を進めるためには、どうしてもたくさんの資本財あるいは中間財などを輸入しなければなりませんし、そのためには、先進国との貿易拡大は不可欠の条件になっておる。また発展途上国資本蓄積が十分ではありませんから、自立的な工業化の推進を妨げないような形での外資の導入というものも、何ら非難するに当たらないというふうに思います。そういう意味では、発展途上国経済開発にとって、先進国との経済協力の持つ意義というものは、今日の世界ではきわめて大きいと言わなければならないように思います。したがって、具体的問題に入ります前に、ここで、はなはだ抽象的で恐縮でありますけれども一般的なこととして、われわれは、発展途上国の自助努力をもちろんしなければならないと思いますが、それと同時に、国際協力の必要を十分に認識して、先進国経済協力を、発展途上国の自立的な発展に結びつくような形で積極化する努力を積み重ねていかなければならないということを、一応確認しておきたいと思います。その上で、次に、まず貿易に対する経済協力はどのように進めていくか、あるいは援助による経済協力はどのように進めていくべきかということについて、それぞれ簡単に思うところを述べてみたいと思います。  まず、貿易の問題から入りたいと思いますが、現在問題になっておりますところの、発展途上国輸出停滞のおもな原因は、御承知のように、一次産品の輸出伸び悩んでいるというところにあるわけですが、これは確かに先進国の関税政策などの、いわば政策的な障害に責任の一半があるということは明らかであります。また、今後発展が期待されておりますところの低開発国の製品や半製品に対しても、先進国のいろいろな自国産業保護のための措置が障害になりそうであります。こうしたことから、発展途上国は、貿易障害の除去とか全般的特恵、いわゆるゼネラル・プリファレンシスなどを供与するように先進国要求するようになっておりまして、最近、ニューデリーで、UNCTADの席で特恵問題などが論議されているのは、御承知のとおりであります。  この全般的特恵につきましては、無制限方式とか、アドバンスカット方式とかタリフクォーター方式など、いろいろなものが考えられますけれども一般的に特恵を供与した結果として、先進国にどういう影響が、出てくるかと言いますと、第一は、開発途上国から先進国への輸出が増加する、いわゆる貿易創出結果、トレード・クリエーティング・エフェクトがあります。第二に、これまで他の先進国から輸入していたものを発展途上国から輸入するようになりますから、これは貿易転換効果、いわゆるトレード・ダイバージョン・エフェクトがあるわけで、その二つが考えられるわけであります。わが国以外の先進国でありますと、非常に大まかでありますけれども、第一の貿易創出効果による影響はあるように思われますが、その貿易転換効果はあまりないのではないか。ところがわが国の場合には、そうはいかないので、わが国の場合には、軽工業製品の輸出の割合が総輸出の約四割を占めておる関係から、むしろ貿易転換効果による影響、つまりアメリカ輸出していたものがアメリカ輸出できなくなるというような、貿易転換効果による影響のほうが大きいのではないかといわれているわけであります。ただ、この貿易転換効果として予想されますことは、何よりもさっき申しましたように、わが国の軽工業の対米輸出が減退するということだと思います。もっともこの場合も、いろいろ通産省その他のはじいたところによりますと、総額としてはたいしたことはないので、せいぜい年間一億三千円ドルから一億八千万ドル程度にとどまるといわれておるのでありまして、それほど大きいものではないという数字が出ておりますが、ただ私は個々の業種、あるいはそれぞれの地域によっては、かなりに重大な影響が出てくるのではないか、業種として申し上げますと、綿織物とか、敷きもの、それから衣類、はきもの、運動用具、あるいはおもちゃ、ベニヤ板、ミシンあるいは自転車、ラジオというようなものが考えられます。このうち一地域に集中しているものもあることを忘れてはならないので、将来さらに発展途上国の工業化が進んできますと、その影響は他の業種にも及んでくるということになるかと思います。  こうしたことを考えますと、わが国としては、発展途上国への特恵供与を前提としながら、一方では、わが国に及ぼす影響をできるだけ緩和する手段をとることが望ましいわけであります。その他最も安易な方法は、セーフガードを相手に認めさせるということで、ニューデリーでも、わが国政府代表はそういうふうなことに努力はしておるようですけれども、私は、そういうセーフガードというものは非常に安直な方法であって、やはり長期的には、そういうセーフガードに全面的によりかかるのではなくて、長期的観点から、もっと国会なり政府部内で十分論議を尽くして、わが国の産業の意識的な計画調整、いわゆるストラクチャー・アジャストメントを進めていくべきであるというふうに考えます。つまり、もう少し具体的に申しますと、業種の転換や製品の高級化を含むところの中小企業の近代化を推し進めるということ、その中で発生してくるであろうところの業種転換に伴う雇用問題、あるいはさっき大来さんが申したような社会保障の問題などについて、財政的な裏づけを持った十分な政策を用意しなければならないというふうに考えます。その際、特に零細な企業に対しては、特別の考慮を払わなければならないということだろうと思います。経済協力政策というのは、どうしてもこれは対国際問題だけではありませんで、必ず国内問題にはね返るわけでありますから、その点は十分に認識して、明確な政策を立案すべきだと思いますし、その点でも、どうもこれまで国会は十分な論議を、その点についてもしているとは思われないという不満を、私などは印象として持っているわけであります。  なお、特恵につきましては、一次産品の輸入増の問題がありまして、もちろんそうした影響は出てくると思いますが、ただ、わが国の農産物の輸入先は、発展途上国よりも、先進資本主義国のほうがウエートが大きいのであります。たとえば、東南アジアからの農産物の輸入品として考えられますものは、現在輸入しておりますのは、果実とか、野菜とか、砂糖とか、魚介類などにすぎません。わが国影響の出てくるケースとしては、輸入制限を撤廃した場合には、おそらく紅茶が出てくる、あるいは関税率を引き下げた場合の砂糖とか、バナナとか、水産かん詰め、あるいはタピオカのでん粉、あるいはインスタント茶などというものが出てくると思いますが、しかし、これらの品目のうち、実際に東南アジアから輸入しているものは、それほど私は大きい部分を占めていないように思います。これまでむしろ、この点が不必要に過大視されているように思うわけであります。ですから、むしろ第一次産品の問題に関しては、わが国としては、当面発展途上国からの輸入拡大と、それに伴う国内調整をはかりながら、長期的には、発展途上国の農業発展のための、農業技術援助あるいは農業開発援助などを強化するということが、やはり重要であって、たとえばインドなどの食糧不足国が、南アジア、あるいは東南アジアに多いことなどを考えますと、この分野では、わが国としても大いに貢献し得る能力を持っているわけでありますから、農業援助については、一そう積極的な協力を惜しむべきではないというふうに考えております。  次に、貿易を通ずる経済協力については、以上申し上げましたほかに、国際的な大きな問題としては、EECや英連邦のような、いわゆる逆特恵を含むところの地域的選別的特恵、リージョナル・セレクテッド・プリファレンシスの問題がありますが、これはわが国としては遠慮しないで、その撤廃を堂々と主張していいし、わが国が一番それを主張し得る立場にありますので、英連邦やEECのような、逆特恵を含むような特恵制度はやめたほうがいいということを、国際場裏でもっと強く言っていいのではないかと思います。  第二に、援助の問題に移りたいと思います。援助による経済協力の問題でありますが、これはわが国の問題については若干あと回しにして、先進国一般の問題について言いますと、これは非常に大きな問題があります。アメリカの事例が端的でありますけれどもアメリカ経済援助は、はなはだ軍事的、政治的色彩が強い。アメリカ政府援助の三分の二くらいは韓国、南ベトナムそれからインド、パキスタン、アラブ連合、タイあるいはユーゴスラビアというような、ちょうど東西の両接点にある国に多量に落とされている。したがって、非常にそういう点でむずかしい問題が含まれている。そのほか、援助があからさまに市場獲得とうらはらになっているケースも非常に多いのでありまして、これはアメリカだけでありませんで、フランス、西ドイツ、イギリスの場合についても、いずれもかなり露骨にあらわれています。それからフランスとイギリスの例を見ますと、フランスの援助はフラン圏に集中的に行なわれている。それからイギリスの場合には、それと似ておりまして、英連邦に対して非常に集中的に行なわれている。いわば援助を通じて、旧植民地主義的な権益を維持しようというような魂胆が露骨に数字の上に出てきているわけで、経済援助というのは、そういう点で私はたいへん問題が多いと思います。  経済援助については、以上のように、政治的な勢力圏を拡大するための意図とか、商品のはけ口を拡大する意図であるとか、あるいは資本投下市場を拡大するような意図が非常にたくさん秘められている点で、たいへんやっかいな問題を含んでおりますが、そのほか、たとえば六六年の発展途上国の援助の返済額を見てみますと、四十億ドルにも達しているわけで、これは元利返済の問題でありまして、この点は発展途上国国際収支から見ても、たいへんツリアスな問題になっているわけです。むろん国連の援助でありますとか、あるいは技術援助あるいは農業開発援助など、本来低開発国が必要としているような援助に近い援助もありますけれども、そういうものは、全般として見ますときわめて少額で、世界の援助総額に占める割合もたいへん小さいのであります。  近年、発展途上国は、以上のようなことから、援助条件を緩和せよとか、援助内容改善せよとか、あるいは援助を国際化する、国連などの多国的な機関を中心とする援助機関を設立せよというようなことを強く要求してくるようになっておりますが、私はむしろそれは当然の要求であろうと思います。  ところで、わが国の問題になりますが、これは初めに申し上げましたように、わが国政府あるいは財界は、最近資本の供与の面などでも、かなり経済協力に積極的に動き始めておりますが、全体として概観しますと、部分的には確かに発展途上国経済協力に対する要求を受け入れるというような姿勢を持ったものもかなりありますが、全体といたしましては、経済協力の強化という名目のもとで、この機会にアジアに対する経済進出に乗り出すのではないかと疑われるような面もなくはない。それからまた、もう一つは、経済協力を通じて、アジアを中国の影響から引き離して、西側の影響に置こうとしている現在のアメリカのアジア外交に協力しているのではないかというふうに疑われる面も、かなり濃厚にあるのではないかと感じ取れるのであります。その根拠については、いま一つ一つここで申し上げる時間がありませんが、もしそういう意図が今後ますます強められますと、またそういう意図が強められてわが国経済協力政策がそのままいくと、私は将来に相当大きな禍根を残すようになるのではないかと思います。  まず、経済援助を市場獲得あるいは拡大と直接に結びつけて行なうということになりますと、これはわが国を再び列強による市場争奪戦に巻き込むことを意味するわけで、歓迎できない。わが国経済協力が現在全部そうであるというわけではありませんが、やはりかなり市場獲得、拡大の意図があるものもあるのではないか。やはり相手国の経済的自立の願望を十分に尊重して、いわば相手国の民族主義あはるい民族自決原則をおかさないように進められている面も決してないわけではありません。たとえば第一次産品を買い付けているとか、あるいは軽工業製品に対して進んで市場を提供しているものもありますし、それから資金援助の中を見ましても、国連機関を通じてやっているものや、アジア開銀の信託基金に出資したり、あるいは拠出したり、あるいは農業援助や技術援助などは、これは私はかなり有効であり、進歩的な日本の低開発国に対する要求に応じた、側面の強い援助も含まれているし、そういうものもあるというふうに思います。さらに、民間企業の海外進出にいたしましても、相手国の自立的な受け入れ態勢が保障されるならば、相手国の経済発展に貢献する可能性も十分にあるというふうに思います。ですから、私はそういう面は十分に評価しているわけです。したがって、そういう面をもっと今後どんどん出していくべきであるというふうに思うわけでありますが、ただ最近の経済援助を見ますと、政府援助についても、民間資金の移動につきましても、全体とてし見ますと、プロジェクトの援助であれ、あるいは商品援助の形をとるものであれ、わが国のための市場の獲得あるいは資源の獲得、さらには経済的な勢力圏を形成しようというような意味合いまで含まれているようなものがかなりあるのではないかというふうに感じられるわけで、それがかつての大東亜共栄圏的な発想につながってきますと、これはかなり反省すべき余地があると思われるわけであります。  また、先ほど、最近のわが国経済協力には、アジアを中国の影響から引き離し、西側の影響下に置こうとするアメリカの対アジア外交に追随する傾きがあるのではないかと申し上げましたが、もしそういう傾向が強まりますと、これはわが国経済的利益という観点だけに立ちましても、決して好ましいことではない、かなり矛盾することになるかと思います。申すまでもなく、米中対立をめぐるところの緊張状態にあるアジアにおいては、反共諸国へ一方的に傾斜するということは、中立諸国あるいは社会主義諸国、特に対立の一方の当事者であるところの中国との貿易の縮小をもたらす危険性が大であります。ところが、わが国のアジアにおける輸出市場はたいへん分散しておりまして、この点がアメリカやフランスやイギリスと非常に違うところで、わが国輸出市場はたいへん分散しているわけです。ですから、自国の独自な市場圏というものは持っていないわけで、いわばまた、そのことが戦後日本輸出伸びた長所でもあるわけでありますので、したがって、わが国が現在のような反共諸国への一方的な接近に近いアジア外交を続けますと、貿易上相当の痛手を受ける可能性があります。むろんこのことは、こういう外交政策経済的利益との矛盾については、私がいまさらここで言わなくても、すでに政府自身あるいは財界の一部自身よく認識されておりまして、それがまた、わが国のアジア外交政策の決定に微妙に反映しているということは御承知のとおりであります。政府、財界のアジア外交がしばしば動揺を見せているのも、実はこのためであるというふうに私は考えているわけでありますが、むしろ私は、こうした無定見というか、不明確なアジア外交を改めて、わが国としてははっきり独自の対アジア経済外交のたてまえを確立するほうが賢明である。具体的には、日中貿易をはじめとする社会主義国及び中立諸国との貿易その他経済協力も、何ら他の国に気がねしないで、はっきり明白に推し進めてかまわないし、そうしている国もあるわけでありますから、何もいままで仲のよい国と仲たがいする必要はありませんけれども、積極的に自分の国の政策を立てていいというふうに思います。いま申し上げましたように、わが国経済援助については、いろいろまだ不明確な点が多いので、援助量がだんだんふえるということを考え合わせますと、援助に関する——つまり政府援助というのはやはり国民の血税を使うわけでありますから、援助に関する審議会あるいは経済協力に関する審議会というのを政府機関として新しく設けて、各界の人々の意見をそこで十分に述べてもらって、論議をかわして、こうした国民的な審議の上で、経済協力を推進し、実施していくべきである。さらに、援助を実施するにあたっては、私は国会審議の対象にしなければいけないのではないかというふうに考えているわけであります。私は、これはぜひそうしてほしいし、ほかの国も議会で十分にその点は討論しているわけでありますから、わが国においても、経済協力については、国会において審議していただきたいというふうに思うわけであります。  なお、民間資本の海外投資については、これは国会でいろいろやるということはできませんけれども、やはりこれも野放し状態に置くのではなくて、投資形態、投資の比率あるいは利潤の現地再投資などについても、発展途上国経済的な自立の要請と背馳しないように、やはり政府が責任を持ってコントロールを強めるべきであるというふうに考えます。  以上申し上げましたことは、もう自明のことばかりで、いまさらここで申し上げることではありませんが、一応締めくくっておきたいと思います。  第一点は、貿易あるいは援助を通ずるところの経済協力に、今後わが国としても積極的に取り組むべきであるというふうに私は考えますが、その際、発展途上国経済自立の要求を尊重することが重要である。そして援助量の拡大あるいは援助条件の緩和、援助内容改善などについても十分討議をして、特に発展途上国における——これはさっき大来さんは、わが国の場合を言いましたけれども、私は発展途上国においても同じ問題があると思います。つまり、一般教育とか職業教育あるいは専門教育などの教育活動を強化する、それに応じた技術援助強化に深い関心を払うということがわが国能力から見ても、できますし、また、それが必要であるというふうに思います。さらに、発展途上国に対するわが国政府あるいは財界の援助が、政治的ひもつきの援助とならないように、あるいはまた、経済的進出の道具とならないように、十分に配慮をし、そのためには、ぜひ国民的な審議機関を設けるということが必要であると思うわけであります。そして、特にこれに関連して一言しておきたいことは、賠償とか援助とかが、わが国の一部の商社の私利私欲に回されるというようなことが、かりにもないようにしていただきたい。たとえば、某国に対して何千万というような国民の血税を払って援助をし——それは国民の税金から出ているわけでありますが、それが商品援助形態で行なわれて、結局、商品形態の援助で行なわれますと、有効な場合もありますけれども経済開発にたいして役立たないで、雲散霧消するケースが非常に多いわけであります。結局、結果的に顧みて、得をしたのはだれであったかというと、相手国の某々商社と、それと組んで取引をしたわが国の某々商社であるというようなことになりますと、これはたいへん問題があるわけで、やはり援助を出すからには、慎重に論議をして、相手国の経済発展に真に役立つような形でしていただきたい。以上が第一点であります。  第二点は、民間資本の進出でありますが、これはやはり野放しにしないで、相手国の経済開発に貢献するような形で、受け入れ国の政府との話し合いのもとで、十分なコントロールに政府が責任を持つべきである。いま、たとえばインドネシアでは、地下資源、農林水産資源開発をめぐりまして、アメリカ、カナダ、イギリス、西ドイツ、日本などの民間資本が激しい資源争奪戦を展開しているということがうわさされておりますけれども、これは経済援助に名をかりて、再び戦前のような原料資源獲得戦、あるいは商品市場獲得の争奪戦を、列強の商社がやるということになるわけで、再びこれは帝国主義戦争になる危険性があるし、そういう帝国主義的な奪い合いの再現というような、はなはだ好ましからぬ事態を呼び起こすことになるわけであります。したがって、発展途上国に対する民間資本進出についても、わが国としては、国際的に何らかの投資保障協定といいますか、投資相互保障協定のようなものを国際的につくるような、新しい国際協力の道を模索したほうがいいじゃないか。かりにもそういう争奪戦に短期的な視野から、民間資本をかり立てるというようなことがあってはならないし、けしかけるというようなことがあってはならない。長期的には、わが国の利益から見てもそういうことは好ましくないので、国際的な投資相互保障協定みたいなものをつくって、受けるほう、出すほう、真に両方とも利益を得るような形にしていただきたい。  第三は、いずれにしましても、貿易、援助を通ずる経済協力は、UNCTADのような国際機関を中心に行なわれることが望ましいので、一国の経済進出の道具としたり、あるいは冷戦の道具にならないように、わが国としては、やはり平和国家としての援助の道を経済協力についても貫徹していただきたいし、その点はわが国の安全保障の問題についてもかなり貢献をし、その点で積極的にイニシアチブをとれる地位に、わが国はあるというふうに考えます。  第四、最後の点でありますが、発展途上国の一次産品輸出促進のための国際的な市場協定とか、あるいは先進国の市場の開放であるとか、あるいは発展途上国の軽工業輸出に対する特恵の供与、それに対応する先進国の産業構造を調整するというようなことは、わが国としても積極的に取り組んでいくべきでありますが、わが国の場合には、いま申し上げましたように、まだおくれた経済部門を残しております。ですから、経済協力の観点から、やはり農業、中小企業問題にどう対処するかという点で、国民的な政策を用意することがきわめて肝要である、これについても早くしっかりした政策を立てるべきであるというふうに考えます。特に中小企業の業種転換、あるいはそれに伴う雇用問題、あるいは職業再訓練などの計画をもって、構造の調整に臨むべきであるというふうに考えます。つまり、経済協力問題は、実はすべて国内問題でもあるということを忘れないで、特恵問題その他についても、直接に日本の中小企業、零細企業あるいは農業、あるいは労働の需要供給の問題に結びついているということを確認されて、経済協力を今後積極的に進められるようにこの機会に要望して、時間も参りましたので、これで失礼いたします。(拍手)
  6. 井出一太郎

  7. 正木千冬

    正木公述人 私は、時間の関係上、三点について申し上げたいと思います。  一つは、今回の予算が、景気抑制的な予算というふうにいわれておりますが、はたしてそのように組まれているかどうかという点の検討、それからいわゆる実質減税ゼロというものの検討、次いで、少し問題を長期にわたって考えまして、財政硬直化の打開という観点から、日本財政の将来の展望、その場合における問題点といったような問題について、意見を申し述べさしていただきたいと思います。  御承知のように、政府予算方針におきましても、昭和四十二年財政の最重要な課題としまして、財政による景気抑制機能の実効を期するということが最初にあげられております。それとあわせて、恒例的な補正予算の慣行を排除するのだ、そうして財政の体質改善のきっかけをつくる、こういうことがいわれておるわけであります。そこで、私も、昭和四十三年度予算がはたして景気抑制型に編成されておるかどうか、という点の検討から始めたいと思います。  一般会計の予算規模は、御承知のとおり、六千四百億円の国債の発行を含めまして、総計五兆八千百八十五億円であります。今回は恒例のような補正予算を組まないという方針でありますから、当初予算との比較でなくて、前年度の最終予算、それに対すべきものであり、その場合には、昭和四十三年度予算伸びは一一・八%になる。予想されます国民総生産伸び率は一二・一%と最終的にいわれておるのでありますが、それを下回っているから、したがってこの国債発行を減額しているという点とあわせて見て、景気抑制型だと、こういうふうに政府は説明されておるのであります。だが、このような政府の説明をこのまま信用するには、よほどの勇気が必要ではないかと私は思うのであります。なぜならば、国債発行を大幅に削減したといわれましても、この六千四百億というものは、本年度実際に発行できるであろう額と同じなんであります。国債について、またできれば後に触れたいと思いますが、この四十三年度の場合の六千四百億も、はたして予定どおりの発行ができるかどうかということについて、かなり疑問であると、金融情勢その他から考えるのであります。それよりも問題だと私が存じますのは、前年度最終予算に対して一一・八%というこの計算方法であります。それにはいろいろなからくりがあるのです。  第一は、予算補正をしないと、こうきめてかかっておるのでありますが、これは今日の時点では一つの希望にすぎない、事実ではないのであります。補正要因のおもなものは、普通は災害復旧である、そのほかは公務員の給与改定に伴う増額である、それから米価改定に伴いまして食管赤字の増大に伴う補てん、こういったことが主たる問題であります。このうちのベースアップの財源としまして、五百億円を特に予備費の形で今度は組んでおります。これは新しいやり方であります。それから食管会計の赤字でありますが、これも四十二年度と同額の二千四百六十億円ばかりこれを繰り入れております。そこで今後生産者米価の引き上げをやる場合に、消費者米価のほうも同額同時に上げる、こうすれば、すなわちいわゆる同時スライド制が実施されるならば、米価による予算補正ということはないと、こういうふうにいわれているのです。ところが両米価のスライド制というのは、現行の食管法のたてまえとなじまないものがあります。それからまた二千四百億円を赤字繰り入れとして一般会計から繰り入れているのでありますが、これはその買い入れ数量、すなわち政府が一トン買えばここに何万円という赤字が出るのであります。そういう関係で、この二千四百六十億円というのは八百五万トン分の買い入れに見合った金額でしかない。ところが、ことしは未曾有の豊作といわれまして、すでに九百七、八十万トンあるいは千万トン近くまで買わざるを得ない。これは買わざるを得ないのでありまして、そういう関係になっている。そうしますと、かりに四十三年度米が普通作といたしましても、おそらく政府が最終的に買い付けざるを得ないのは九百三十万トンくらいまではいくのではなかろうか、そういうふうに考えます。そうだとしますると、かりに両米価のスライドがやれた——これは私非常にあやしいと思いますが、なおここに三、四百億円の食管赤字が発生するということは、大きな公算というか、確実だと思うのであります。  こういった問題を離れまして、先ほど大来さんが言われましたように、ただいまの国際情勢国内情勢につきましては、非常に流動的である。そういうときに、政府予算方針、財政政策としまして補正予算を組まないという、今度それを特に総合予算主義とか申しまして、そういうものを打ち出しているようでありますが、これはその動機はわかるのであります。そういうことを掲げることによって、なるべくスライド制を縛ろうという意図であろうと思いますが、しかしこれは、財政政策として考えた場合には、非常におかしいと思います。特にただいまのような非常に流動的な経済情勢のもとにおいて、先ほど大来君も言われましたように、減額しなければならない場合もあるし、増額しなければならない場合もあるむしろそういった場合に、より機能的に財政をやらなければならない。そこに政府みずからが総合予算主義というもので縛ってしまうということは、どうもふに落ちないのであります。  そういうわけで、私はやはり明年度予算規模を比較しますときに、これは補正なしときめてやるよりも、今回の特別の措置であるところの予備費の五百億円を予算額から落としまして、そして以前の、従前の前年度当初予算と比較する、このほうがナチュラルであると申しますか、合理的だと思うのです。  それから、からくりの第二番目でありますが、四十二年度には石炭対策特別会計、それから四十三年度では国立療養所が一般会計から特別会計に移されております。そこで一般会計の経費のワクが変動している。それを調整する必要がある。いま申しました第一点と第二点と、これを修正いたしますと、四十三年度一般会計の規模といたしましては五兆八千百八十五億円が、石炭関係で五百九十六億、療養所の関係で二百十五億が加わりまして、それから五百億引きますと五兆八千四百九十六億円になる。これがこの四十二年度の当初予算、四兆九千九百八十四億円、これは石炭会計を含めた金額でありますが、これに比較さるべき数字であります。そうすると、この両数字の増加額は八千五百十二億円、伸び率は一七%になり、先ほど申しましたような経済成長率を五%ばかり上回るのであります。したがって、いわれるように景気抑制型だとは言えないのではないか。これは数字の問題であります。  それから第三としまして、また、昨年九月、景気調整のために繰り延べた公共事業費があります。これが四十三年度支出に上のせされるのではないか、こういう点が問題であります。何らかの手を打たなければ、これは年度がわりとなりますと同時に繰り延べが解除になりまして、その公共事業経費はおそらく上半期までに出てしまうという状態であると思います。したがって、四十三年度予算の需要効果は、一見した以上に大きいものがあるわけであります。数字的にこれを見ますると、大蔵省のいわゆる試算が数日前の新聞紙上に報道されているのでありますが、繰り越しの関係調整してあるわけであります。これによりますと、四十二年度は、前の年度からの繰り越しと次年度への繰り延べと差し引きしますと、マイナス三百二十二億円であります。四十三年度は、繰り越されたところの七百十三億、これはいわゆる公共事業の繰り延べのほかに、通常の繰り越しがあるわけですね。合わせまして七百十三億、これに対して、四十三年度も、政策的な操作をしないでも当然四十四年度に繰り越されるであろうものが、数年間の平均をとりまして四百十三億と大蔵省は計算している。そうすると、差し引き四十三年度においては繰り越し関係において三百億ふえてくる。前年度が三百二十二億予算のワクが減って、ここで四十三年度が三百億ふえるわけですから、六百二十二億がその間にふくらむ。それを先ほどの第一、第二の修正しました数字に比較いたしますと、四十三年度予算の実質の伸び率、これは実に一八・四%、こういうことになってしまうのであります。これは、私がやったと同じことを皆さんがおやりになってみればおわかりだと思うのであります。決して、種もしかけもないのであります。明年度予算は、あれほど圧縮に努力したと言われながら、正確に当初予算に比較いたしますと、一七%とか、あるいはさらに繰り越し、繰り延べの解除を考慮いたしますと一八・四%とか、こういうように、何か非常に意外の感じがするほどの需要効果をはらんでおるわけです。  しかし、これは、一見ふしぎに思われるかもしれませんが、大蔵省流の、いわゆる狭義の当然増経費、これだけでもすでに一三・七%、当初予算に対してふくらむんだ、こういうふうにすでに説明されておるわけですから、これは決して考えられない数字ではない、こう思うのであります。私が、これを申し上げるのは、いまの一般会計の規模が非常に景気抑制的にできているんだと政府が自分でお考えになり、そして、そのとおり運営されたならば、これはたいへんなことになるんじゃないか。やはり正直に、これは相当需要効果を持っているんだ、特に繰り延べ解除の関係と合わせまして、何かここに手を打つべきであろう、こういうことを考えます。  他方、一般会計に比べますと、財政投融資計画のほうはよほど弾力的に組まれておりまして、このほうの指摘をしないことはやはり公正を欠くと思います。すなわち、大蔵省の原案段階では、財投の伸び率が、公開財源を含みまして一一・二%増に編成されておりますが、これは結局守り切れなくなりまして、最終額は二兆六千九百九十億円、伸び率にしまして一三%ということであります。当初計画での財投の伸びが一三%にとどまったということは、これは数年ぶりのことであります。これは確かに努力のあとがあると思います。また、近年は一般会計の伸び率よりも財投の伸び率のほうが多い、これが今回は逆転している。この点もひとつ特筆さるべきである、こういうふうに考えます。  ところで、この財政投融資の伸びがこういうふうに低くとどまっておるということにつきましては、二つほどの特殊な事情がある。一つは、これは金額的にさほど多くはございませんが、電電公社の投資計画がやや落ちておる。それからその場合の電電公社の財政状態がよろしいために、また設備資金設備負担金ですか、これを増額をいたしておりますために、財投への依存が減っておるということがあります。それから最も大きく響いておるのは、おそらく地方債の関係であります。地方債は千億近くふえるべきところが、今度はわずか二・四%しかふえていない。これは地方財政が来年度はわりあいに好調である。それから一方、国の一般会計における公共事業を押え目に組んである、それが反映いたしまして地方債の発行量が減っておる、こういう関係にある。その二つのあれを除きますと、一般の、政府財政投融資計画のほうはそんなに大きな変動はない。これは内容的にも構成的にも大きな変動はない、こういうふうに受け取れるかと思います。  次に、実質減税ゼロという増税について、私の意見を申したいと思います。実質減税ゼロは、昭和四十三年度予算のもう一つの顔であります。明年度減税について、当初、宮澤構想では、慣例的減税はストップだと、こういう声が起がったのであります。これに対して主税局方面から、減税ストップではこれは実質増税になるんだ、こういう声があがりました。次いで佐藤総理、水田大蔵大臣等が、勤労家計を百万円まで無税にするということは公約であるから、どうしても所得税の減税をやりたい、こういうふうなことで、四十三年度の減税案がスタートしたわけであります。ここまではよかったのであって、国民も、何がしかの実質的な減税が行なわれるであろう、こう思ったのでありますが、いよいよ最終案のふたをあけてみますと、所得税は初年度千五十億、平年度千二百二十億の規模実行されるということにはなっております。ところでこの財源が、酒税の引き上げで四百五十億、たばこの値上げで五百五十億、物品税の暫定措置の整理で五十五億が充てられた。政策減税のほうでは、輸出振興とか技術の開発促進、中小企業の構造改善等でありますが、初年度は四十一億、平年度になると百六十二億の規模でありますが、この分もすべて同じ特別措置の価格変動準備金の繰り入れ比率を下げることによって、財源をみずから調達しておる、これが実質減税ゼロの内容でございます。実質減税ゼロだと言われますが、これは税金を取る政府の側からの計算、勘定なのでありまして、税金を取られる国民の側の計算では、減税どころか、これは増税なのであります。  まず所得税でありますが、名目所得にかかっておるのでありますから、物価騰貴がありますると消えてしまう所得にも累進税がかかっております。そうして千五十億の所得税減税、このうち四・八%消費者物価が上がる、こういうことになりますると、四百三十億円分のものは消えてしまう、これは大蔵省が国会に出された資料であります。残り六百三十億円だけがいわゆる実質的負担軽減になる。これは給与のアップでもありますと、実際上はかなり累進が上がってくるわけでありますが、これは別問題——これはやはりこの場合も実質減税と考えます六百三十億、これに対して酒、たばこの税負担、これは言うまでもなく逆進的な間接税であります。  ちょっと資料は古いかと思うのでありますが、この二税につきましては、酒とたばこの負担につきましては、所得税納税者の層と非納税者の層によって、どっちがどれくらいの割合で負担するかということを調べた資料が、たしか税制調査会にあったかと思います。それによりますと、所得税を納める階層が負担する酒、たばこの負担分というものは、大体四である、あとの六というのは非納税者が負担するのだ、こういうふうなことになっております。おそらくこれはもっとこの比率は非納税者のほうによけいになっているのじゃないかと思うのでありますが、その後の資料がないから……。  そこで千億増税をしているわけですが、このうち六百億円が低額所得者であるところの非納税者の肩にかかってくるわけです。残り四百億、それから物品税の五十億、この負担は、かりに所得税納税者が全部負担する、こう考えますると、それでも所得税納税者のほうでは、先ほどの減税額からいまのを引きましても、なお百八十億が純減税として残ります。片方の、所得税も納めないような層において、今度は六百億の新しい負担がかかる。それのみならず、いろいろな社会保険料の負担であるとか、いろいろな公共負担がかかってくる。その上にこの消費税の値上げで特に非納税者階層に対して六百億円をかける。そうしてそれより豊かな、しかもまた減税をされておる所得税階層というものとの対比があまりにも激しい。これがいわゆる実質減税ゼロというものの正体だと私は申したいのであります。このような不公正きわまる租税の負担の配分というのは、数年来なかったことであると思います。税制調査会は、酒とたばこにつきましては数年来値上げをしておらぬ、そのために一般物価水準、それから一般消費水準に対して非常に割り安になっておる、したがって、予期せざる、意識せざる減税が行なわれておるのである、だから今度上げたのはこれをやや取り戻すだけであって、決して税収をあげるための増税ではないのだ、こういう説明をたしかしておったと思いますが、これはおかしな論理であります。消費水準が上がりまして、それで酒、たばこの税率は上がらない、こうしますと、当然そこに消費者は、下級品より中級品、中級品より高級品へと消費が移動していくわけです。したがって、当然、税を負担する高級な消費に移っていきますから、そこに税の負担というものもおのずから上がっていくというのであって、決して十年前と同じような下級たばこ、下級のしょうちゅう、そういうものが売れているのじゃないのですね。そこをひとつ考える必要がある。  なお、今度の税率の上げ方を見ましても、はなはだおかしい点がある。一番多く消費され、税収が上がると思われるものをねらい打ちにしているという感じが強いのです。たとえばウイスキーで見ますと、二級品は一八%上げているのですね。特級は八%しか上げていない。こういう逆な関係。それから一般日本酒につきましても、特級酒のほうが上げ率が少ない。こういう逆なことをやっている。これは全く大衆収奪的な増税だと言わざるを得ないと思うのであります。実質減税ゼロというものはそういったものだということを私は申し上げたいと思います。  それから、問題を変えまして、今後の日本財政の展望とその問題について若干申し述べたいと思います。  昭和四十二年度予算の編成の際に一言も財政硬直化ということについて触れなかった財政当局が、昨年の九月になりますと、手のひらを返すように財政硬直化の打開を説き始めたのであります。国民ははそれによってびくりしたといいますか、それに対して心から同感を感じ得ないような立場に置かれてしまった。なぜならば、それは国民のために国の財政を預っておるはずの大蔵省が、実は当然増経費で一ぱいになってしまって、明年度予算は組めませんということを居直るような形で申すのでありますから、どうも国民にとっては、大蔵省のやり方が非常に居直り的であるというふうな感じがせざるを得なかったのであります。それはおきまして、しかしこの非常に熱心な大蔵当局の御努力によりまして、日本財政が  一つの転機に来ている、また相当の問題をはらんでおるということについての認識は高まったということ、これは確かであると思います。またその後大蔵当局がそれ相当の努力をされておるということも、私は認めるにやぶさかではない。しかしこの四十三年度予算にそれがどの程度具現されたか、あるいは一歩前進で数歩後退なのか、あるいは三歩前進で三歩後退なのか、この検討はいまはいたしません。むしろもう少し長い目で見る必要がある、こう思うのであります。  そこで少し長い目の問題として申し上げたい。第一は、現在の時点における財政上の困難、これははたして財政危機というようなものに相当するかどうか。大蔵省はしばしばそういったような口吻を使うのでありますが、私はどうも一時的な調整期に入っているのだというふうに考えるわけであります。もちろんこれは財政危機の定義と関連するのであります。今日財政当局が指摘いたしますような財政硬直化の事実、その打開、これは政治的な抵抗からなかなか困難なんでありますが、そうかといって、直ちに財政危機というふうに大がかりで言うほどのことがあるかどうか、私は必ずしも賛成できない。歳出面の硬直性は単に財政危機の一面にすぎないのであります。歳入面で税収の伸びる力が大きいか、実際に起債の余力があるということなれば、十分であれば、歳出がかなり継続的にふえていっても、それ自体が財政危機に発展することはないのであります。当然に、財政危機と申しますと、歳入面の発展力、それから歳出の拡大とのアンバランスであろうと思うのですね。どちらかというと、歳入面の発展力が衰えてきて、歳出の伸張圧力、このほうに抗しかねる、こういう事態になりましたときに財政危機の色が濃くなるのだ、こういうふうに考えます。  大蔵省が好んで引例いたします西独財政の危機はまさにそういった典型であります。ドイツは五〇年代の経済成長率は年平均で九・七%、六〇年代の前半になりますと、平均増加率が八・三%に落ちます。それに応じて、税収の平均伸び率も八・九%、大体弾性値一・一を割るような状態、ところが、この期間に防衛費の伸びは一〇・六%である、社会保障費が九・二%、その他重要経費は総体で一二%という伸び方をしたために、ここに赤字が累積していった。そこに六七年に戦後の最も深刻な不況に打ち当って、国民所得水準が前年より二%でありましたか落ちるというような、これは日本ではとうてい想像できないような深刻な経済危機が見舞いまして、そこで財政運営が行き詰まってしまったというのであります。  このような西独の財政危機と日本財政の困難とは質的に私は相当違うと思うのです。大蔵省は、この財政危機ということを相当強く言わないとなかなか引き締まらぬといいますか、そういったような心理的効果をねらっておられるのかもしれませんが、直接に日本と西独との財政の構造を比較してみたり、その伸び率を比較してみたりすると、やはりよほど問題の次元が違うように思うのであります。  日本も、かつてのように、高度成長それから高い租税の自然増収、これは期待できないのは事実であります。もちろんこの昭和三十年代に経験しましたような年率二〇%をこえるような経済成長率とか、それから好況期になりますと、租税の弾性値が二をこえるというようなこと、これは今後おそらく期待できないと思うのです。しかし、四十年代の前半を、年平均一三%程度経済成長率を維持することは、さほど過大であるとは私は思わないのであります。ここに大来さんもおられますから、大来さんにも伺いたいと思うのでありますが、私は大体四十年代の前半期、平均一三%ぐらいの経済成長率を期待できるのじゃないかと思います。そうして、その場合の租税の弾性値の平均を大体一・三ぐらいに押えてもいいのじゃないか、こういうふうな前提を置きますと、租税の自然増収率が年々一七%ぐらいになります。そうすると、その中から三%ぐらいを国債の発行減に充てる、こういうふうにいたしますと、三年ほどたちますと、大体四十五年度になりますと、国債の発行額は二千八百億円ぐらいに減ってくる、減らすことができる。当時の、そのときの財政歳出規模の四%くらいにしかならなくなるだろう。いま政府は三年間か四年間のうちに国債の発行依存率を五%くらいにしたいというようなことを言っておるのですが、これはほんとうにやるつもりなら十分可能性があるところではないかと思うのであります。ただ、この場合に、四十三年度を含めまして、そういうところまで持っていこうとしますと大体三年間は歳出の膨張率を年率にして一二%以内におさめていくという必要があるのであります。この一二%に押え得るかどうか、三年間引き続いてそれにしんぼうし得るかどうか、その苦しさに耐える努力が必要であるということであります。三十八年から四十二年の平均拡大率は一七・六%であります。ですから、一二%ということは財政伸び方としてはかなり落ちるわけです。しかし、そうかといって、非常に落ちるのではないので、四十年代に予想される日本経済安定成長ベースと一二%というのは大体同じくらいのところであるというふうに思います。中期計画では、たしか、経過期間中の財政規模はGNPの成長率より一、二%上に持っていくというふうなことをいっておるのでありますが、この私の一二%というのは、国債を減らしていくために、一三%の経済成長率に対して財政のほうを一二%に押えていこう。この開きは国債によって、不況期のときに国債を出したためにその自然増収の先食いをしてしまったということにすぎない、こういうふうに思うのであります。  そこで、この歳出規模を年率一二%に押えていくということは、一口に言いますと簡単でありますが、これは実際問題としてはなかなか問題があると思います。特に各費目の伸び率が従来とよほど違った変化を遂げなければなるまいということなんで、すべての経費の伸び率を一律に落としてしまうというのでは意味がないのであります。一律に抑制すべきでなくて、最近において必要性が認められて、経費の増加率の高いもの、たとえば生活環境関係あるいは公害の防止でありますとか、精薄者精神病対策、交通事故対策、ガンの予防とか、科学技術研究費とか、流通機構改善費だとかいったようなものが見られますが、これらの新しい経費の拡大には一そう推進する必要があり、従来まで重要経費とされてきた大きな比重を占めているものについては漸次抑制を加えていく、こういったウエートのかけ方を変えていく必要があるのであります。既定費であれ新規経費であれ、この際経費の効果、効率の点で徹底的に洗うことが望まれます。そのために各省と大蔵省主計局との折衝にとどまらないで、もう少し科学的な経費の分析であるとか、あるいは効率の研究であるとか、こういったものを、アメリカ、イギリス等で若干進んでいるのでありますから、そういったような科学的な検討の方法、こういうことをやる必要があるんじゃなかろうかというふうに考えます。  それから、著しいことは、大蔵省は今回危機打開、歳出合理化というものに際して、指導原理としまして効率化ということを申すとともに応益負担、応能負担の原則を徹底させることが必要だ、こう主張しておるのであります。大蔵省流にいいますと——少しはしょりましょう。大蔵省流の原則、これは確かに合理的な面を持っておるのでありますが、しかしこれをあまり簡単に、たとえば消費者米価と生産者米価というように、極端に違ったものを、ただ一つの米という面だけでもってくっつけてしまう、こういったものは、おそらくこれは政策にならない。やはりもっとこれは、米の問題じゃなくて、農業政策という面で考えなければならないというふうな問題。それから社会保険その他の問題についてもいろいろとある。非常に簡単に、応益原則、受益者負担ということに走りますと、これはすぐに負担の増大になり、物価の騰貴にいかざるを得ない、こういう問題になってくるのであります。そういう点は非常に警戒を要すると思います。  それから、わが国財政で、社会保険関係費、それから公共事業費これも非常に大きな比率を占め、年々の膨張率も高かった。そこで一般的この経費を一二%程度に押え込もうということになりますと、どうしてもねらわれるのはそういったところである。しかしそうかといって、社会保障関係において、すべてが応益原則で割り切れるかといいますと、そういうわけにもいきません。そこで、どういう部面に応益原則が十分に使われていくか、それから、どういう部面にこの応能原則あるいは公費負担というものを徹底さしていくかということについて、すなわち、社会保障を前進させるということはだれも反対をいたしませんが、その中でどこに政府の金すなわち国民の金をつけるかということについては、従来は自然増収等が多かったときに、わりあいにルーズに考えられていたのじゃないか、これからはやはり金を食う社会保障に備えるために、ある程度社会保険のほうから金を抜くようなあれは必要であろうかと思います。  それから公共事業関係でありますが、これにつきましては私はいろいろ申し上げたいのでありますが、時間もだいぶ過ぎておりますので、この点だけ申し上げたい。  いままでの公共事業、これは一般会計の財政面とそれから財政投融資の会計と両方にかかっております。そうしてこの公共事業の性質も、災害、国土保全的なものと、それから生活基盤的なものと、それから生産基盤的なものと、こういう大きな性格の違ったものから構成されておる。それに対する配分計画、それから、それを実施するものの主体の選択、それから、それらの経費の分担関係でありますが、これらについてよく調べてみますると、どうもかなり乱れておるといいますか、公共事業関係というものをもう一ぺん見直す必要があるんじゃないかというふうに考えられます。その点でこれから一番大きな問題は、おそらく公共事業関係をいかに合理化するかという点であろうかと思います。ただ、それがこれまでのあれから考えますると、公共事業関係ほど、おそらくこれが合理化されることがむずかしいんじゃないか。それは言うまでもなく、各省のこういった建設関係の官僚の割拠主義、あるいは政党あるいは地方的な勢力と公共事業との結びつき、こういったものが非常にからみ合っておりますために、あるべき公共事業立場から公共事業を再編成するということは非常に困難ではないか。しかし、これがなされるかどうかということが、結局は財政硬直化をほごし得るかどうかの一つのキー重大なキーではなかろうかというふうに私は考えるのであります。そして、どうかそういった効果ある日本財政の体質改善がなされることを望みます。  ただ、せっかくこういうふうにして整理されて日本財政の弾力化が取り戻されたとたんに、その成果が国防費に食われたり、あるいは警察費の増強に食われたり、あるいは大型技術開発といったようなものに大幅に食われる、そういうことになってくると、実はそこから本格的な財政危機が発展してくるというふうに考える。どうかそういうことのないように、国会において十分監視されることを私は希望したいのであります。はなはだお粗末な公述でございましたが……。(拍手)     —————————————
  8. 井出一太郎

    井出委員長 これより公述人に対する質疑に入ります。  お申し出がございますから、逐次これを許します。川崎秀二君。
  9. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 公述人にお尋ねするわけでありますから、別にいろいろな批判を申し上げるよりはお教えを願いたいと思っておるのであります。  実は本年度予算に関連して一番問題点は、やはり国際経済との関係であると思うのです。そういう意味で大来公述人川田教授、両公述人に伺いたいと思うのですけれども国際収支改善ということでは、やはり輸出をふやすことと輸入を押てえ国際収支改善をはからなければならぬ。宮澤経済企画庁長官の、施政方針演説に付随した国務大臣の演説によると、一五%輸出を増強するというのですが、これは対米輸出がいろいろな壁にぶつかっておるという点で、わが国貿易の主柱が阻害をされておるわけですから、それでなおかつ各地域にこれをカバーするだけの輸出増というものができるかどうかということに私は非常な疑問を持っておるのです。あれは十二月二十六日の閣議できめた見通しであって、その後アメリカ大統領の教書なども発表になって、それからずっと悪材料が続いておるわけです。この一月の輸出を見ますと、やや鉄鋼ドライブなどがあってかなり国際収支改善されているかのように思いますけれども、年間を通じてこういう好調が期待できるとは私は全然思わないのです。そういう点で大来さんはどういうふうにお考えか、あるいはまた川田教授、両方の御意見を伺いたい。これが第一点。  それから第二の点は、いま一橋大学の小島教授なんかから盛んに言われておる太平洋貿易圏、つまり豪州、ニュージーランド、日本、カナダ、アメリカ五カ国を基盤にして経済圏をつくっていくことが日本の国際貿易の中における安定圏になる。いままでずっと日本伸びてきたけれども、その一番の基盤というものはないじゃないか。アメリカとの貿易が主柱で、自由国との往来をやっておる、それに共産圏貿易、東南アジア貿易、まあ三つの大きなシェアがあるわけですけれども、私は将来の日本経済発展を見ますと、どうしてもアジア太平洋構想という三木さんが打ち出した構想は一つのねらいだと思うのです。しかしそれでなおかつどっちにウエートがあるかというと、やはり中国が立ち直ってくれば、中国が国際復帰した暁は、大陸におけるわが国経済発展というものはやや遜色を見るのではないかというふうに考えておるわけです。したがって、中国と日本との関係は、私は中共の国連復帰論者であり、中共を承認せよという保守党の内部の論者であります。そして、おそらくそれは数年後には実現する方向へ向かうだろうと思うのです、世界的緊張が解ければ。したがって、中国はそのときには、われわれにとってどういう点が大きな強敵かというと、経済における二十世紀後半から二十一世紀にかけての非常な強敵になってくる。そういう意味では中国との間に、政治は友好関係を保たなければならぬ、経済では競争しなければならぬ運命におちいるのであります。共存共栄ということが大きなテーマであるとすれば、やはり日本の進路は太平洋側に重点をかけて大陸へ伸びるということでなければならぬのですから、利害得失はいろいろあろうと思いますけれども、太平洋経済圏構想というものは一つの考え方である。やらなければならぬ方向にいくのじゃないかというふうに私は考えておるのですけれども、これは政治上微妙な点もありますから、そう強く打ち出すということが今日必要であるかどうかは、なお疑問の点があります。そういう点についての御両所の御意見を承りたい。これが第二点であります。  それから非常に小さいことでありますが、最後に大来さんが統計のことを言われたのは、私非常に深く感銘しました。これはじみなことですけれども日本が非常におくれておるのはいろんな場面での統計だ。その統計でも、何がおくれておるかということをひとつ御示唆をいただきたい。金融統計などはそうおくれておるとは思わないのです。たとえば、日本の国土にいかにいろんな建物や鉄道や道路——私、去年ゴルフ増の面積が四国の半分だと言って物議をかもしたことがありましたが、事実四国の半分以上のようです。そういう統計が実際はどこにもないのです。各県の県庁に聞いてそれを集計して、大体そういうことだろうということだったのですから、こういうような統計がおくれておるのではないかというふうに思うのですが、ウィークな面と進んでいる面と、それをひとつ御教示を願いたい。
  10. 大来佐武郎

    ○大来公述人 ただいま御質問の第一点は輸出の見通しでございますが、先ほど申し上げましたように、非常に不安定な要因が国際経済にございますが、ただ実質的には昨年の一九六七年の経済というのはかなり停滞的でございました。アメリカ経済ヨーロッパ経済成長がかなり停滞しておりまして、これが六八年には成長率が上がるだろう。西ドイツの場合でもそうでございますが、もしそうしますと、世界貿易の大きさは北米及びヨーロッパ経済活動にかなり密接に結びついておりますので、OECDあたりでは七%の世界貿易伸びを見ておる。一九六七年は大体五%くらいの実績だったろうと見積もられておりますが、そういたしますと、日本輸出にも一般的には条件がよろしい。対米輸出も昨年かなり——一昨年非常に大幅にふえましたが、昨年日本からの対米輸出停滞しておりましたので、ことしはそれに比べればまだ伸びるのではないかというような予想も立つわけでございます。ただ、通貨面の問題がかなり大きな混乱にまでいくということが起こりますと、これはどうしても世界貿易の実体面にもはね返りが出てこざるを得ないかと思います。ドル防衛問題をめぐりまして、たいした混乱なしにこれが乗り切れるか、あるいはドルの平価切り下げその他の問題にまで発展して、一時的に世界的な取引にかなりの障害が出てくるというところになるか、正直に申しまして、まだ私どもはっきり見通しが立たないわけでございます。もしもその面から大きな障害が出なければ一五%程度日本輸出増大は、従来の実績等から見まして可能ではなかろうか。ことに国内生産が、たとえば政府の見通しのように、四十三年度経済の実質成長率が七・六%で、鉱工業生産伸びが九%ということをもしそのままとりますと、四十二年度に鉱工業生産指数は、大体対前年同月比で一九%から二〇%くらいの伸びを続けてきたわけでありますから、かりにことしの春から鉱工業生産が全く横ばいになったといたしましても、年度間平均の数字で見ますと、大体八%前後の鉱工業生産成長になるわけでございまして、もしそうだとしますと、年度後半には、増大した供給能力停滞する需要という形で、一種のデフレギャップ的なものがかなり出てまいり、それが日本輸出に対して強い圧力になってまいる。国内的な条件からいえば、かなり輸出伸びる条件になってまいるわけでございますので、私の判断といたしましては、いまのような世界の通貨、金融面で大きな混乱が起こらなければ、いまの程度のことは可能ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。  第二の御質問でございますが、太平洋圏の問題。実はことしの一月に私ども日本経済研究センターで太平洋五カ国から経済学者を呼びましていろいろと討議がございました。先ほど川崎先生もおっしゃったように、将来の世界貿易の姿を考えてまいります場合に、地域的な結びつきというものはどういう役割りを果たすか、これは現在ニューデリーで会議が開かれております低開発国にも同様の問題があるわけでございますが、いままでケネディラウンドということで、大体においてグローバルな無差別の関税引き下げという交渉が行なわれてまいったわけであります。これは昨年一応妥結を見たわけでございますけれども、この前私どものほうの会議でもいろいろ議論が出まして、セカンド・ケネディラウンドが可能であろうかどうか、つまり世界的な無差別な関税引き下げ協定をもう一段進めることができるだろうかということにつきまして議論が出ましたが、かなり多数の学者が疑問だ、各国は相当この方式にくたびれておる。それから、このグローバルな無差別方式でありますと、その交渉に参加しております国の中で一番自由化がむずかしい国の、つまり最低レベルで世界的な自由化が制限されるというような点もあって、次のステップとして、場合によれば、比較的相互に自由化が進めやすい幾つかの国が自由化を進める。これをフリー・トレード・エリア、自由貿易地域というような形でやりまして、それをただEECのような閉鎖的な共同市場ではなくて、開放的な自由貿易地域というふうな形で、地域的な自由化をさらにグローバルに広げていくような道をあけておくというようなことが次のステップとして考えられるのではないか。そういう意味で、太平洋地域で部分的な自由化を自由貿易地域的な考え方で進めることは、次の世界経済段階として意味があるのではないかという議論がだいぶ出ておったわけでございます。ただアメリカはグローバリズムといいますか、世界全体の問題に非常に執着しておりますから、米国の学者の人たちは必ずしもその意見に同調しなかったわけでありますが、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、それからイギリスから参りましたハリー・ジョンソンという学者等はそういう主張をいたしておったわけでございます。この点は、地域主義の結びつきが、先進諸国の間と、もう一つは低開発国を含めての問題がございます。御承知のように、これは川田先生からお答えになる問題だと思いますが、ヨーロッパのEECとアフリカとの結びつき、特にフランスとアフリカにおける旧仏領諸国との結びつき、これは第一回の国連の貿易開発会議で、いわゆる市場組織化案というのがフランス側から出ておりましたが、これはとにかく世界全体について低開発国を助けるといっても、なかなか事実上やりにくい。むしろある程度関係のある国々が、先進国も低開発国もグループとして結びついて援助を進めたほうが実際的だ、これは従来からフランスやベルギーの立場でございます。これに対して、アメリカが非常に強くグローバリズムの立場から反対しております。日本も従来反対しておりますし、またプレビッシュ事務総長も、これは低開発国の団結を乱すものだということで反対をしておるわけでございますが、事実上各国の援助の重点が、ある程度地域主義にならざるを得ない。日本としても東南アジアに比較的重点が置かれるような形になっておりますが、こういう場合に、やはり一国対一国というような形でなくて、先進国も低開発国もある程度グループをなして、地域的な援助の促進をはかるというような結びつき方も将来考えられることかと思います。この点は非常に議論のある点でございますけれども、いまのような先進諸国間の結びつきと、それから援助における地域主義という問題と、両方からみ合わせて考えてみますと、アジア太平洋地域構想というのは、今後真剣に検討に値する問題を含んでおるのではないかというふうに私ども感じておるわけでございます。  なお、川崎先生の触れられました中国との関係でございますが、これは確かにもうすでに、日本の近隣諸国の工業化がだんだん進んでまいりますに従いまして、日本の軽工業部面は、あるいは農林水産業の一部も相当な競争にさらされておるわけでございます。もし中国七億が、そのような豊富な労働力を利用する方向に、それで輸出を伸ばす方向政策を向けてまいりますと、日本の従来の輸出とかなり競合する面が出てまいると思いますが、ただ日本国内の産業構造は、いずれにしても、その豊富な労働力と比較的低廉な賃金に依存する部面というのは、だんだんやっていきにくくなる。国内情勢から申しましても、高い賃金を払ってもう十分採算の成り立つ高度の技術と高度の資本力を必要とする方向にだんだんいかざるを得ない。それでお互いに所得が上がってまいりますれば、おそらく私どもは、アジア地域におきまして、中共も含めて工業製品のいわゆる水平分業といいますか、工業製品の取引が相互に拡大する段階に将来だんだん入っていくのではないか。そういう意味では、かりに中国が工業化を進めてまいった場合にも、それが日本経済にとって大きな競争、大きな打撃というふうには必ずしも考えない。むしろこの地域全体の貿易拡大ということにつながる可能性がある。もちろんそのためには、日本経済なり技術が日進月歩で前に進んでおる、より高度のものに発展する力を持っていなければだめなわけでございますけれども、その可能性があるといたしますれば、私どもそれほど心配することではないように感じておるわけでございます。  最後に、統計のおくれの点でございますが、これは一つは、先ほど正木さんのお話にもございました、だんだんいろいろと予算のシステムを近代化していく、それと予算編成の技術、方法にもできるだけ客観的な評価の方法を加えてまいる、最近では、PPBS、プラニング・プログラミング・バジェット・システムというようなこともだいぶいわれるようになりましたが、そういった方向にもしだんだんと行政の近代化、予算の近代化を進めていくという場合を考えましても、それの一番の実行上のボトルネックは、それに必要なデータがそろっているかどうか、特にこういう面に入りますとコストベネフィット、費用便益の比較が必要になってまいりますけれども政府統計の弱い点と申しますと、たとえば建設統計——差しさわりがあるかもしれませんが、こういう面などがかなりおくれておりますし、公共部門におけるこの資金動き経済的に分析できるようなデータが比較的いままで——これは中央、地方の財政を通じて見なければなりませんが、おくれている面があるように存じます。  そのほか、先ほど御指摘の土地利用。従来土地利用国土調査の予算もいろいろついておるわけですが、これは農地についてのなわ延びというようなことでかなり進行がおくれておりますが、国土調査の、特に都市近郊について相当しっかりした土地台帳というようなものを整備する面、こういう点は御指摘のようにやはり一つのおくれている面だと思います。それから国民所得統計におきまして、やはり在庫統計の部分が、だんだん改善はされてまいっておりますけれども、まだ弱い面がある。その他、いろいろなこれからの行政の近代化を進める上にこの統計の質の向上をはかる——ども諸外国の例などを見ましても、たとえば、統計専門家を各省を通じて活用できるようなシステムのようなことも、将来は統計の質を上げる上に望ましいかとも思うのでございますけれども、一応大体のお答えを申し上げます。(拍手)
  11. 井出一太郎

  12. 川田侃

    川田公述人 大体大来先生が御説明になったこととダブリますが、最初の第一点の御質問に関して、私もほぼ同じ考えであります。  イギリス、西ドイツの景気が回復してまいりましたので、そういう点では必ずしもそう悲観するにはあたらないのじゃないか。やはり問題はドルと申しますか、世界通貨の問題が問題でありまして、これはやはりベトナム戦争と非常に大きな関係が出てくるのではないか。ただ、この点に関連してフランスの金吸収策というのがかなり——二十八年にフランスが金吸収策をやりまして、それからたいへんな金をため込んだわけでありますが、そのために三十一年の金融恐慌が来たという説もあるくらいの金吸収策をやったわけでありますが、現在やっておりますフランスの金吸収策は、私は、フランスの実力からいって、これ以上もうやれないのではないか、そういう点ではフランスの金吸収策には相当限界があるのではないかという感じを持っております。  それからドル、ポンドについては、ポンドもかなり弱まりましたけれども、そうかといって、マルクやフランがこれにかかわり得る国際通貨になるだけの実力はまだない、そういう観点からいきますと、やはりドルとポンドというのが依然として世界通貨として続いていくであろう。ただ問題は、世界通貨の大混乱が、ドルの基盤が弱くなることによってどうなるかということに将来——非常に長い将来でありますけれども、私は、いささか大げさになりますけれども、究極的には、現在の世界銀行は社会主義圏は入っておりませんが、やはり最終的にはルーブルも含めた意味での全世界的な通貨機構というのができなければ、これは国際経済にとっては、国際貿易発展にとっても妨げになるのではないかというように感じております。  第二の点でございますが、この点もリージョナルなコーポレーションの問題はたいへん複雑な問題でありまして、大来さんがおっしゃいましたように、後進国の地域統合というのは、これは私はかなり意味があるように思います。たとえばラテンアメリカのように、各国各国がたいへんな強い保護政策をとっているときに、一たんラテンアメリカの中で地域統合をやることによってその中で自由化を進めていくということによって、後進国の過度の保護主義を少しずつなくしていくという点ではリージョナルなコーポレーションが後進国同志で行なわれる。ただ、この点について、東南アジアについては、私は悲観的であります。ラテンアメリカのような場合と違いまして、東南アジアの場合には、政治的、軍事的にもそうですか、経済構造からいいましても非常に違っておりますので、東南アジア諸国同士がラテンアメリカのような地域統合をどうやって発展させていくかということは、これは大問題になっていく。そういうところに日本がたとえば太平洋アジア協力圏というようなものをどうやってつくるか。三木構想というのが発表されていろいろ論議をされておりますが、ねらいとしてはもちろんEECのように対外共通関税のようなものをつくらない。ああいう閉鎖的なものでなければ、それなりの効力があるかもしれませんが、これはつくることが大体非常にむずかしいのではないか。太平洋に限りましても、必ずしも利害が一致しておるわけではないという点でもかなり問題があるのではないか。そういう点で私などから言いますと、ちょっと語弊がありますが、若干スタンドプレー的なところがあるのではないかという感じを持ちます。  太平洋経済圏というようなもの、これは一種の先進国同士の経済協力でありますが、これは私は若干大来さんと違った意見を持っておりますのは、EECにしてもOECDにしましても、それからケネディの出しましたアトランティック・パートナーシップにしましても、これは決して経済的な問題だけではない。必ず軍事的、政治的な問題がある。これは歴然とはっきりしておるわけであります。イギリスかEECに入れなかったのも、実際は多角的な核戦力の問題であって、経済的な問題よりも政治的な問題のほうがウエートが強かった。太平洋経済圏というようなものをつくりますと、日本の意図はどうあれ、やはりこれは一種の政治的インプリケーションあるいは軍事的インプリケーションを持つものとして評価されるのではないか。そういう点では、私はむしろ日中貿易なり日ソ貿易に悪影響が出てくるおそれがあるという点であまり賛成できない。ソ連あるいは日本からしましても、日ソ貿易というのは、日本の全貿易量あるいはソ連の全貿易量から比べても、非常に小さいわけであります。それから日中貿易にしましても、日本の全貿易量と中国の全貿易量から比べて、決して大きいものではない。日本から見れば非常に微々たるものであって、これはもっともっと伸び可能性がある。中国は確かに——私も去年一カ月ばかり見てまいりましたけれども、これは強敵になるということは目に見えておりまして、十年後あるいは二十年後にはたいへんな競争相手になることは、これはもう疑う余地のないほど進みつつあるわけであります。しかし、この点は私も大来さんと同じように、中国が非常に工業化が発展しましても、むしろ現在の世の中は、発達した経済国同士の経済交流のほうが盛んになって、つまり製品の多様化というのがどんどん行なわれておりますので、中国の経済水準が上がることは逆に日本にとっては中国市場が広がることになる。そういう点ではむしろ日中経済交流あるいは日ソ経済交流の前途は非常に大きく開けておるように思います。もちろん東南アジア輸出ということに関しては中国はたいへんな競争相手になると思いますが、それについては日本はもっと経済を高級化しなければならない。特に、さしあたり中小企業などは、製品の高級化を含むところの近代化ということを推し進めていかなければならないと思います。その他の点は、大筋では大来さんと違いませんが、最後に統計について、私には御質問がなかったようですが、ちょっと私の感じたことを申し上げたいと思います。これが特に非常に重要だと思いますのは、ノルウェーに私行きましたときには、つぶれかかった家というのは国家の命令で取りこわすことになっております。そういう統計ができておるわけで、日本のように崩壊寸前の家がハイウエーを走っていて見えるというようなことはないわけです。ないわけというのは、政府がそういう措置を講ずるわけです。しかし、それはそういう統計ができていて、この家は倒壊寸前であるということであれば、それを取りこわして、政府が援助して建て直させるというところまでいっているわけであります。  もう一つ、スウェーデンの例で言いますと、たいへん小さい零細農業はやめさせる。日本もおそらくそういう事態、が来ると思うのですけれども、零細農業として成り立たないようなケースを一々こまかく全部データに取っていて、この農家はとうてい二代、三代と受け継いでいけないというふうに判断する資料が整っていて、その上で零細農業を切り捨てる——切り捨てると言っては語弊がありますが、国家が補助金を出しまして、二代目までは補助金で援助をし、そうして、職業訓練をやって業種転換をはかる。そこまでやっているわけですが、そういう政策を立てるにはやはりしっかりした統計がなければならないという点で、こまかい統計がまだ日本にかなり不足し、それが政策の明確な提案ないし政策の明確な立案を妨げている根本的な原因になっているように私は思いますので、やはり小さな問題ではないように思います。たいへん簡単でございますけれども……。(拍手)
  13. 井出一太郎

    井出委員長 この際申し上げますが、午後一時三十分から他の公述人が御出席されることに相なっておりますので、この点お含みの上、質疑並びにお答えをなるべく簡潔にお願いをいたします。  次に、大原亨君。
  14. 大原亨

    ○大原委員 簡単に一問だけお尋ねいたしたいと思うのですが、日本政府がつくりました長期的あるいは短期的な経済計画は、つくった片っ端からこわれるわけです。つくったら、その年の中ごろ、終わりごろにはもうこわれているということです。その原因が一体どこにあるんだろうかということを、簡単にひとつお答えいただきたいと思うのです。  たとえば、所得倍増計画は三十六年から四十五年までですが、二年くらいでだめになりました。二年待たないでだめになりました。中期経済計画も、池田内閣のときに、ひずみ是正でつくりまして、佐藤内閣は閣議決定したのですが、これも一年あまりでだめになりました。経済社会発展計画も、経済成長設備投資あるいは物価、フィスカルポリシー公債政策あるいは国際収支、こういう面からもう全く崩壊同然であって、その経済社会発展計画とは関係なしに、たとえば宮澤構想がぽんと出る。これは、何か関係があって宮澤構想が出ておるのかというと、全然関係がない、こういうわけです。それなら、宮澤長官が一人おればいいじゃないか。経済企画庁では電子計算機を使い、たくさんのエコノミストが集まって、数字をいろいろ議論して、おもしろくやっておられるのですが、非常に興味のある仕事だそうでありますが、しかし、やっておる仕事というものは、国の政治の中では全く——全くと言うと語弊が起こるでしょうが、意味ないということになっているわけです。結局は安定成長にならない。安定成長を求めること自体が体質上無理かと思うのですが、ともかくもそういう非常に大きな欠陥があると思う。これは結局国民の弱いところが犠牲になる、こういうことだと思うわけです。その欠陥は機構自体にあるのか。経済企画庁が、閣議決定して、長期、短期の見通しや計画を立てまして、そして経済を誘導していく、あるいは予測をする、こういう役割りを果たす、こういうことを称しておるのです、閣議決定をしているのですから。しかし、企画庁の権限にあるのか、あるいは作業自体が間違っておるのか、そういう点で、私どもは疑問を持つわけです。そういう点につきまして、ひとつ簡潔に、こういう点を直せばいい、これがだめなんだ、こういう点でひとつ御意見をいただきたいと思います。
  15. 大来佐武郎

    ○大来公述人 私も、実は、企画庁で長らく経済計画仕事を扱っておりましたので、いまの御質問はたいへん痛いのでございますけれども、ただ、私どもこの計画仕事をやっておりまして、何のためにこういう計画をつくるのかということをしばしば考えさせられておったのでございますけれども一つは、政策を考える場合に、全く計画がありませんと、たとえば受け持ち各省の立場、あるいは短期的な単年度の問題にどうしても判断が大きく影響される。それをある程度長期に、日本経済の変化の方向なり、起こってきそうな主要な問題点をあらかじめ指摘するということが、一種のオリエンテーションといいますか、各省なりあるいは民間その他国民一般を含めまして、日本経済の将来の問題点についてある程度意識するということの役割りを持っておるんじゃないか。成長率やいろいろな数字につきまして、当たった、当たらないということで計画を判断するということは必ずしも適当でない面もあると思うのでございますが、たとえば、倍増計画は、十年で国民所得を倍増するということはあの計画のどこにも言っておらない。それが目的だということは言っておりませんで、この計画の目標は、この五つの長期的な政策を実現することなんだ、一つ社会資本の充実である、第二には輸出及び経済協力の促進だ、第三には産業構造の高度化を進めていかなければならない、第四には科学技術の振興と人的能力の向上をはかることだ、第五には二重構造の是正だ、そういうことがこの計画政策の目的なんだということを申しておるわけでございまして、私ども、当時も、十年倍増というのはほっておいてもなる、これは政策目標でも何でもないというふうに考えておったわけでございます。もう一つは、自由経済体制のもとにおきまして、いまのような計画をつくるということは、現在の政策が目前にあまりとらわれ過ぎないように、ある程度長いものさしを横に置きながら、ことしの予算、ことしの政策を考えていくという手がかりに使うというのが一つの大きな役割りだと思いますので、その意味では、私ども、従来から、長期計画は大体二年か三年ごとに、その後のいろいろな新しい情報が出てまいりましたときにつくり直して、先に延ばしていくというやり方がむしろ実際的なんじゃないか、問題の目的は、五年後にここまで必ずいくのだというような計画ではなくて、現在ものごとを判断する上に、長い目で見たらどういう点に問題があるかということを考える手がかりということに重点があるように思っているわけでございます。   〔委員長退席、二階堂委員長代理着席〕 もちろん、できれば、計画の数字が実績と狂うということはあまり望ましくないわけでございます。ただ、正直なところ、日本経済成長率が、昭和三十年−三十五年とだんだんしり上がりに上がってまいりました状況につきましては、実は、これを予測できた人々は非常に少なかったわけでございまして、倍増計画自体につきましても、成長率が楽観的過ぎるという御批判が非常に多かったわけでございますが、ここまで参りますと、いろいろ戦後の経済のデータもかなりそろってまいりましたし、計量的な手段もだんだん発達してまいりましたし、この実績とそういう計画の見積もりの数字の開きということが、これはしさいに検討していただきますと、従来よりかなり縮まってきておる面がございます。ことに、単年度動きということよりも、中期の計画になりますと、トレンドでございますから、一年一年をとりますと景気変動がかなりございますので、その点も、だんだんこういうことを積み上げていくことによって、計画自体が次第に有用性を増すことになるのじゃないか。  もう一つは、率直に申しまして、経済企画庁というのは、私どももおりまして、非常に力の弱い官庁でございますので、結局政府自体が、そういうものを各省がほんとうに尊重していくということでなければ、やはりどうしてもペーパープランになる。その意味では、やはり計画財政当局との関係というのは、もう少し将来考えてみる必要のある面ではないかと思います。ただ、これがあまり密接になりますと、客観的な姿を描くことがまたむずかしくなるというジレンマもあるわけでございます。ただ、各省でいろいろな長期政策をいろいろと考え、またときどきそういうものが打ち出されておりますが、やはりその源となっておりますのは、長期計画を作成する過程におきまして各省も集まっていろいろ論議したものがその後において各省の長期政策として出てきておる例が非常に多いわけでございますので、まあ私ども計画仕事というのはいろいろ御指摘の点のようなことがございますが、一種の政策を考える上の地下水みたいな役割りで、いろいろなところで働きをしておるのじゃないか、やや弁護的になりますが、こういうことをお答え申し上げて、終わりたいと思います。
  16. 川田侃

    川田公述人 ごく簡単に私の考えておりますことを申し上げます。  やはり私は、計画というものは一つの目標でありますから、つくるべきであろうと思います。ソ連などでは、現在——去年来ましたネクラソフ教授に聞きましたところが、二〇〇〇年のソ連の経済像というのを目標にして、人員三百人で計算機をはじいておる。そういうことをはじいてそのまま二〇〇〇年のソ連がそうなるかどうかということは別としても、やはり一つの目標を立てて、国民経済をこういう姿にするということを描くことは非常に重要なことだろうと私は思います。正直言いまして、アメリカが産業連関分析では一番進んでおるんでしょうが、ソ連でもかなりこのごろ進んできておる。日本では大来さんの専門ですけれども、私は、まだまだその数理統計とか、産業連関分析というものには弱いというそういう一つの面があって、これをもう少し強化しなければならないと思います。  それからもう一つは、たとえば三百人とか二百人とかいうことで二十年先、三十年先の長期計画を立てるということになりますと、問題になるのは、やはりどうやって研究するか、これは個人、個人の研究者の、つまり目的で、何のために自分はこの研究をしておるのかということもありますが、その目的をやはりはっきりさせておいて、そこで、どうしても二百人、三百人になれば一種のアドミニストレーションをしなければならない。これはこの問題だけに限りませんけれども、私が日ごろ痛感しておりますのは、必ずこういう大型の研究になってくるとビューロークラシーが出てくる。悪い意味のビューロークラシーが出てくる。そうなると非常に研究が妨げられてきて、さっき大来さんがおっしゃった客観性がなくなってくるということなので、どういうことを研究目的にするかをはっきりさせて、そこでいい意味でのビューロークラシーを発達させて、そこで研究をうまく組織化し、外部からの圧力によってどうする、こうするということはないようにする。それからもう一つは、研究の成果をある一部分の人に取られてしまうということのないような措置が絶対に必要でありて、これは統計計画の問題というよりは、むしろ大型プロジェクトの問題になるかと思いますけれども、研究の成果をだれが利用するかという点が非常に重要な問題になるように思います。  もう一つ計画を立てるということはある種の歯どめになるかと思います。日本の戦前の場合を見ましても、必ずしも軍事費は戦争の始まるまであんなに大きくなかったわけですが、長期計画である程度の大筋をきめておけば何らかの暴走を防げるという歯どめにもなるのではないかという気がいたします。  お答えになったかどうかわかりませんが……。
  17. 正木千冬

    正木公述人 私、別に申し上げることはございません。
  18. 二階堂進

    ○二階堂委員長代理 横山君。
  19. 横山利秋

    ○横山委員 簡潔にお三人にお尋ねします。  まず正木さんにお伺いするのですけれども予算のポイントになっていますが、継続費並びに債務負担行為——今回の防衛庁の汚職にもそれが非常に問題でございます。いまお話しの繰り延べ問題でもやはり問題で、今回のこの予算案審議するに際しましても、何かそのアキレス腱になっているような気がするのであります。防衛庁の汚職についてはまだ全貌が明らかになっておりませんが、いまの継続費並びに債務負担行為のあり方改善のしかた、運営のしかたについて何か御意見がございましたら承りたいのであります。  それから川田先生には、お話の業種転換の問題でございますね。私もその必要は感じておるのでありますが、私どもの心配いたしますことは、なまはんかな業種転換政策政府がやりますことによって、結局いま戦後最大の不渡り倒産を、名目だけ政府がやっているということで、促進する可能性を心配するわけであります。何かコンスタントにそれをやらせるについては、どうしてもこれ以下に下がってはならぬという歯どめが一体できるものかどうか。それがなければ私はむしろ不渡り倒産を促進する結果にならないかということを心配する。その歯どめについてお伺いしたいのであります。  それから大来さんには、お触れにならなかった物価について伺いたいのであります。各金融機関すべて五・五%ないし六%といっております。審議の際にも四・八の中には消費者米価は含まないということが明らかになりました。このままでいきますと、私が先般指摘したのでありますが、貯蓄とたいへん関係がある。貯蓄ができなくなる。金利を上げなければならなくなるという意味において、物価政策はお触れになりませんでしたけれども、きわめて重要だと思うのであります。物価政策はいろいろあるけれども、お聞きしたい点は、枝葉末節のことでなくて、ポイントであります。どこで物価政策の突破口を切り開くかというその焦点になるものの考え方、政策を、一つだけでもいいからお伺いしたい。  以上でございます。
  20. 正木千冬

    正木公述人 いまお尋ねの国庫債務負担行為、それから継続費の関係でございますが、先に事実を申し上げますと、四十三年度は、私は予算書を拾ってまいりましたところが、四十二年度よりも債務負担行為の承認額がかなり多くなっております。それから継続費も同じくでありまして、一般会計の関係で合計してみますると、四十三年度要求されておる総額が二千二百六十億、四十二年度、これも新規でありますが、千四百六十三億、差し引きしまして今回のほうが約八百億ほどふえておる。防衛庁の関係の継続費が七十七億、合計しまして八百七十五億円ばかりがこの債務負担行為並びに継続費という関係でふえておるということであります。  いろいろこれには問題があると思いますが、私は汚職その他については詳しい知識を持っておりませんけれども、債務負担行為と継続費の関係につきまして若干平素考えておる点を申し上げますと、一体債務負担行為と継続費とどこが違うのかということが、どうもよくわからないのでありまして、継続費は新しい財政法の後になってから入れられたわけでありますが、継続費の場合は戦前の継続費と違いますけれども、ともかく年度ごとの区分がついております。五年間にどういうふうな形で発注されて支払わなければならないかという後年度の年次がわかるわけですが、債務負担行為のほうは、同じようなものでありながら、最初五年間あるいは三年間というようなことで、年度ごとの支払いがついてない。飛行機にしても弾薬にしても、そういったものが多いのでありますが、どうもそこのところがはっきりしないので、私は、そういった防衛庁関係の債務負担行為についても、性質上同じようなものであるならば継続費にすべきではなかろうか。軍艦だけが継続費であるというのは、どうもいわれはないように思う。それから、弾薬、車両の発注等につきましても、初めのころのように日本の軍需工業あるいは重工業が発展しなかった場合に、この工業の基礎をつくるために一括発注という形で債務負担行為を使う、これはそういう助長的意味において必要だったかもしれないのでありますが、いまのような段階におきましてはたして一年ずつの発注でいけないのかどうか。自動車にしても通信機械にしても弾薬にしても、そういったものは一年ずつの予算でもいいのじゃないか。そうじゃなければ継続費でちゃんと年度を区分してつくったらいいのじゃないか。そこの点が、どうも私にも割り切れない問題があります。  どういうふうに改善すべきかとおっしゃるならば、一体、どういうものが債務負担行為にすべきで、どういうものが継続費にすべきか。御承知のように、最初の継続費が国会で承認されますときには、軍艦には使えませんということを大蔵当局は明言しておった。いつの間にかそれが継続費になってしまった。一般に継続費であった河川その他のものは長期計画になってしまって、債務負担行為でもないというふうな形になって、非常におかしい成り行きを示しているわけであります。
  21. 川田侃

    川田公述人 業種転換の問題でありますが、御質問の意味は、低開発国の問題と関連して、経済協力として先進国が産業調整なり構造調整をやる場合に、中小企業の問題が日本は一番大きな問題になる、これは当然そのようになるわけです。ですから、どうしても日本の場合には中小企業の業種転換に伴う雇用問題、あるいは転換をしなくても高級化することによって中小企業をもっと近代化するというようなことをしなければならないわけですが、そのためには一体どうしたらいいかというと、やはり経済協力というのは、お金を出すこと自体も、たとえば国際収支でいろいろ問題がありますから、これはGNPの一%を出すというような暗黙の国際的な理解があるわけですが、これも相当大きなお金になりますから、その援助の実施についても国会審議を十分すべきだということを私は先ほど申し上げたのですが、同時に、国内にはね返ってくるわけですから、その意味でも、審議会を政府機関としてはっきり設けて、その中に労働代表も加えるというような国民的な審議の場にして、援助の実施のみならず、たとえば日本の産業構造の改革をやる場合にどういうふうに財政的な裏づけをもって推し進めるかということは、やはりその国民的な審議機関で十分討議して歯どめを設ける必要があるし、これは日本の場合には非常に財政的な措置も大きくならざるを得ないと思うのは、中小企業が相当にまだ大きなウエートを占めているから、歯どめといっても簡単ではないと思うのですね。   〔二階堂委員長代理退席、委員長着席〕 そういう意味においても慎重に審議して、ずるずるべったりにいかない。現在経済協力がなくても、日本の産業構造の調整は日常どんどん行なわれている。日本経済が高級化すればするほど、弱い部門は脱落して倒産していくわけで、これ以上にまた経済協力でやれば、それがまたひどくなるわけで、そういう場合に、なしくずしに弱いものが落っこっていくということでは困るわけですから、ここではっきり審議会を設けて、農民代表あるいは労働者代表等も加えて、国民的な審議会をはっきり設け、そこで十分論議して、さらに国会で十分な論議をしていただきたいというふうに思います。具体的にどうすればいいか、こうすればいいかということまでは、私もちょっと現在アイデアを持っておりません。
  22. 大来佐武郎

    ○大来公述人 物価問題でございますが、三十五、六年から消費者物価は急激に上昇するようになりまして、一ころ年率七%前後上がったわけでございますが、昨今これが四%から五%ぐらいの上昇率になってまいりました。私個人としては、日本経済の現在の情勢及び諸外国との物価の相対的な関係がございますので、諸外国との関係などから見ますれば、消費者物価の年率三、四%程度はやむを得ないといいますか、それ以下に上昇率を下げようとすれば、かなり激しいデフレ政策とか他の面でいろいろと障害の起こる、マイナスの起こる政策というものが必要になってくるおそれもあるわけでございますので、現段階におきましては、三、四%というところを一つのめどに考えるのがいいのではなかろうかという気がいたしております。  その有効な対策ということになりますと、理屈の上から申しますれば、経済硬直化すれば物価上昇ということが起こりやすくなる。その意味では、なるべく硬直化を防ぐ意味での競争原理というものをできるだけ残していく。大企業の製品につきましても、あるいは中小企業あるいは環境衛生の料金等も含めまして、とにかく硬直化しないようにということが物価対策の一つの面であるかと思います。  もう一つは、これにも関連いたしますが、やはり海外に相当安いものがあればそれを輸入する。直ちにきき目がある方法といえばそういう面もあるかと思うのでございますが、もちろん、これは理屈の上のことでございますので、国内の構造政策あるいは社会問題等々の関連を考えてやらなければならないことでございますが、原則的な対策としては、やはり競争的な条件をできるだけ残してまいる。  さらにもう一つの原則としては、総需要が総供給を超過しないように全体として経済のインフレ的な傾向を抑制するといいますか、そういう点が物価対策として基本になるのではないかというふうに考えております。
  23. 井出一太郎

    井出委員長 田中武夫君。
  24. 田中武夫

    田中(武)委員 大来、川田公述人に、三点について簡単に御意見を伺いたいと思います。  その第一点は、国際収支についてでありますが、宮澤さんは、経済演説の中で、来年度末の国際収支の赤は三億五千万ドルにとどめたい。そのためには輸出額を率にして一五%、金額にして二十億ドル程度伸ばす。先ほど両先生は大体この一五%、二十億ドル伸びは可能である、こういうような御意見のように伺ったわけですが、これを妨げるものはいろいろありますが、一、二あげますと、アメリカにおきましてはいわゆる輸入制限措置というものが考えられておる。あるいは輸入課徴金の問題がいま大きな問題になっている。こういうのに対して、これがうまくいかなければ、私はこういう考え方は成功しないと思うのです。そこで、アメリカの輸入制限ないし輸入課徴金等についてどのように見通しを持っておられるのか、あるいは中国の関係にいたしましても、まず政府の姿勢あるいは吉田書簡の問題 ココムリストの問題等々、輸出を増加さすということに対してのマイナスの面がたくさんあると思います。こういう点についてどのように考えておられるか。  第二点は、外貨準備ですが、現在の二十億ドル程度では少ないと思います。これはよくいわれることですが、輸入総額の四分の一ぐらいは、すなわち、日本にすれば三十億ドルくらい必要であろう、そして、そのうちの三分の一、十億ドル程度は金保有でなくちゃならぬということがいわれておりますが、そういうことについてはどう考えておられるか。  さらに、外貨準備の下限といいますか、これ以上外貨が減るならば為替相場を維持することができないというような下限があると思うのですが、そういうものについてはどのように考えておられるか。  それから、三点といたしましては、金融引き締めが浸透するにしたがって、中小企業の倒産がふえてくる。そこで、中小企業対策ということに対して、たとえば特別金融とかあるいは下請代金の支払いの改善とか、こういうことが必要だと思います。そういうことについて、特に金融引き締めと中小企業対策の問題、また、川田先生は先ほど南北問題をあげて言われましたですが、この南北問題は、結局私は国際間の二重構造の問題だと思うのです。かつて中小企業基本法を論議したときに、この日本内における経済の二重構造ということで、政府とわれわれはだいぶん議論いたしました。そのときに、私は、やはり二重構造というのは、一国の経済の中に先進国状態後進国状態が同居しておるのを二重構造だというように言ったことを記憶しております。そこで、この南北問題、いわゆる新特恵問題等々は、日本の二重構造の面、すなわち、中小企業、農業等に大きく影響があらわれてくると思うのです。それに対する何らかのいい対策があるかどうか。  それからもう一点は、先ほどの第二点のアメリカの輸入課徴金あるいは輸入制限に対する対抗策、こうよくいわれておるのですが、その一つとして、私は、アメリカがそういうことをやるならば、日本はそれに対する対抗策としてアメリカから輸入しておる綿花あるいは鉄鉱石、大豆、こういうものを中国、ソ連から輸入さしたらいいじゃないか。いままでの貿易アメリカ依存——総理は三〇%程度だから決して依存ではない、こう言われておりますが、そういうことをもしアメリカが強行するならば、私は、そういった報復手段として、日本貿易の構造を変えるといいますか、こういうことを、すなわち、中国、ソ連その他との貿易をふやす、輸入をふやしていく、そして輸出を求めていく、こういう方法がとられねばならぬと思うのですが、以上のような点について、何か御意見がございましたら承りたいと思います。以上でございます。
  25. 大来佐武郎

    ○大来公述人 最初に、国際収支の問題でアメリカの輸入課徴金問題でございますが、昨年私もちょうどニューヨークに行っておりましたときに、あちらの経済学者と話しておったときにも出たわけでございますが、国際収支の対策としてこの輸入課徴金が一つ考えられる。これは一部に言われております輸入クォータ、鉄鉱とかその他の特定の品目についてのクォータよりは課徴金のほうがいいんだ。それはクォーターをやりますと、あとではずすことが非常にむずかしくなる、特定の産業や商品に結びつくものですから。課徴金であれば国際収支の問題がある程度めどがつけばすぐ全面的に撤廃するという点で、どちらかといえば、そのほうがいいんだということを、これはアメリカのサミュエルソンという学者が申しておりましたが、その後、ことしになりましていろいろ具体的な問題が出てきておりますので、私どももはっきりした見通しはつかないわけでございますが、場合によると実行される可能性——ヨーロッパ側はむしろ流動性過剰といいますか、外貨状態が非常にいいわけでありますが、そういう状態から考えて、一時的ならばアメリカがやってもしかたがないという方向に行く可能性もあるかもしれない。これは日本政府の反対にかかわらず、そういうことになるかもしれないという感じがいたしておりますので、もしそうなりますと、日本輸出にどの程度響くか、これもいろいろ政府内部にも見通しが、計算もあるようでございます。私、はっきりわかりませんが、二%ぐらいのときだったらば、その一億から二億ドルぐらいの輸出影響するのではないか、五%だと相当響くのではないかというような御意見もございます。ただ、この輸入課徴金ないしボーダータックスでアメリカが予定しておる外貨節約が世界全体に対して大体五億ドル前後ということになりますと、これが全部日本にかかってくるということはたぶんないだろうと思うのですが、やはり日本輸出にとってはマイナスの要素に働き得る。その辺も最初に申しました不確定要因でございますので、日本経済としては、その場合にはある程度輸出をマイナスとして考えざるを得ないということになるかと思います。これは、いろいろな報復措置というのは、日本立場としては、いかにもこういうやり方、アメリカ側が商品貿易で黒字であるにかかわらずこういう行き方をとるということは、どうも客観的に見て合理性が薄いように感じられるわけでございますが、反面世界的にこれが報復措置のはね返りになってまいりますことは、世界貿易全体、縮小さして、それがまた日本経済にはね返ってくるということになるおそれもありますので、私、これは非常に個人的な考えでございますが、かりにそういう課徴金をやる場合の期間について、できるだけはっきりした言質といいますか、きわめて短期の臨時的措置であるということについての約束が何とか得られないものかどうか、そういう点も実はひとつ考えるべきではないかと存じます。そういう意味では、報復措置ということはできれば避けたほうがいいのじゃないか。短期的には、どうもあまりこのまま黙っておるということもどうかという気はいたしますけれども日本貿易国としての立場からいうと、やはりその辺はやや長期的に考える必要があるように感じております。  それから、外貨準備につきましては、これもどうもなかなかとらえどころがございませんで、現在二十億ドルということで、だいぶ数年横ばいでございますが、その間輸入規模はかなり伸びておりますので、私どももう少しやってもいいのではないかという気がいたします。ただ、外貨をため込むということは、それだけ経済成長伸びに使い得る輸入を抑制するような面もございますので、安全と見られる大体ぎりぎりのところで運転していくというのが、経済政策としては賢明だろうと存じます。日本の円に対する信用は、外貨準備や金の保有高ではなくて、むしろ日本経済成長力とか輸出産業の競争力というのが、現実に円の裏づけになっておると思いますので、その点がやはり一番基礎だと思いますので、準備についてあまりはっきりした限度というものが引けない。それで、今度の景気調整政策によって、やはり従来どおり日本国際収支を比較的短い期間で黒字にできるかどうか、その実績が示されれば、この外貨準備の量というのは、金額というのは、それほど対外的な信用に影響しない。国際収支長期にわたって改善できないとなると、いろいろ批判が出てくるというような性質のものではないかと思うわけでございます。  それから、第三の引き締めと中小企業の問題、私も最初に申し上げましたが、一般的な引き締めということが、従来言われておりますように、どうしても資金調達力の弱いところに大きな圧力がかかるわけでございまして、その場合のいろいろ救済手段田中先生のお話しのような下請代金その他の点についても、当然必要でございますが、同時に、大企業設備投資が非常に大きくフラクチュエートといいますか、動揺するというような点につきまして、何とかもう少し大企業設備投資についてのゆれの幅を小さくするような政策というものを今後は十分考えておく必要があるのではないか。そうすれば、景気調整の際に中小企業に来る波の力も弱まるという点がございますので、やや根本的なことになるのでございますけれども、その面は、中小企業対策としてもそういう行き方が望ましいかと存じます。  私の受け持ちとしては以上であります。
  26. 川田侃

    川田公述人 とてもたいへんむずかしい問題を出されましたのですが、まず、世界貿易全体の伸びですが、これも必ず一五%いくというふうに申し上げたわけではなくて、イギリスないし西ドイツの立ち直りなどを見て、輸出がこのままむしろ落ち込むということはないのではないかというふうに申し上げただけであります。  一つ問題がありますのは、日本貿易としては、貿易相手国が非常に分散しているにもかかわらずアメリカに対して三分の一もある。ですから、これは他が分散しているということを考えれば、たいへん集中しているということで、決定的にアメリカに依存しているという点が非常に問題がある。それからもう一つは、最近、ここ一、二年の問題としては、ベトナム特需が少ない計算でも八億ドル、私の試算では十二億ドルぐらいいっている。それでかなり救われている面がある。そういうことを考えますと、ドル依存が非常に強まっている。それから、ドルが現在非常に危険になっているにもかかわらず、対外投資について、アメリカは、EECについては完全に規制に入れましたけれども、カナダ、日本、それからイギリスはその除外例として必ずしも規制をしてこない。したがって、アメリカ資本が今後日本に入ってくるということは十分あり得る。これは日本国際収支にとっては一時的にはプラスでありますけれども、ますます日本アメリカ経済の中に組み入れられていくということになって、あまりこの一国に依存するということは、やはり日本の将来から見て、地理的な日本環境から見ても、私は決して賢明な政策ではないと思います。そういう点で、ソ連ないし中国との交流あるいはアジアとの交流も、もっと力を入れて進めていくべきである。ただ、それを輸入課徴金のような問題、大来さんは一億ドルから二億ドルと申しましたが、私も二億ドルないし三億ドル、これは低開発国に対して全般的特恵を与えたよりも、アメリカの輸入課徴金のほうが若干多い影響が出てくるでのはないか。そういう点で、日本経済にとっては、二億ドルないしそれ以上ということになりますと相当大きな問題になろうかと思いますが、やはり報復措置というのは必ず報復措置を招くといいまして、これは一九三〇年代に御承知のとおりアメリカがホーレー・スムート関税をやりましたら、直ちにフランスが報復し、フランスが報復したらほかの国が報復するということで、世界経済は大混乱におちいったわけでありますから、粘り強く交渉して、そういう政策をとらない、つまり、オープンシステムを主張しているアメリカとしてはたいへんな矛盾になるわけでありますから、そういう矛盾をついて粘り強く交渉し、日本もあまりそれに対して報復処置ということを直ちに考えるのがいいかどうかというのは大問題だろうと思います。現在、たとえばニューデリーで、日本の代表はガット三十五条適用国に対しては特恵を与えないということを主張しているようでありますが、私は、これも問題があるのじゃないかと思います。アフリカの小さな国などみなフランスにならってガット三十五条適用国でありますけれども、ガット三十五条適用国であるからということで、報復的に日本はそれに対して差別待遇をして特恵を与えないというような姿勢をむしろとるべきではないので、やはりその点は長い目で、報復には報復をもってするということでなしにやっていけないものかというふうに考えております。  それから、成長の問題でありますが、経済成長ばかりに目を奪われて日本はきたわけであります。国内における二重構造の改善と申しましたか、そういう御質問がありましたが、日本のストラクチャーアジャストメントのほうにもう少し力を入れるべきであって、あまり成長成長——成長の中で自然にその二重構造を解消するというような政策をとって、弱いものは切り捨てられて高度化してきたというのが、巨視的に見れば戦後の日本経済あり方だったと思うのでありますが、そういうことでなしに、成長よりも、ここらあたりでいわゆる構造改革といいますか、構造調整というほうにむしろウエートを置く必要がある。しかし、そのときに、もちろんリアクションが出てくるわけで、そうなりますと、たとえば外貨準備をため込むとか、それから下請代金を出すというようなことになりますと、全般として財政支出が負担になってくるし、金融引き締めの問題も国際収支で出てくる。そのときにはやはり中小企業に大きく波及してくる。そういうところで、私は、いままでの政府、財界の経済政策の根本的な改革をやらなければならないのじゃないかという気がしているわけであります。  日本の中に南北問題があるのに世界の南北問題に答えるのはどうかという意見もあろうかと思いますけれども世界の貧民窟と呼ばれているような国々——インドを旅行すればすぐわかるわけでありますが、ああいう国が世界にあるということはやはり問題が大きいわけですから、日本の中に南北問題をかかえてはおりますけれども日本の南北問題に対処しながら世界の南北問題に対処しなければならない。しかも、その南北問題が南の側から打ち出されてきているということの世界史的な意味合いというのは、私はこれは一朝一夕では消えないと思います。ベトナム戦争や一時的な戦争によって、南北問題が一時それほど大きな脚光を浴びない時期があるかもしれませんが、これは必ずまた大きな脚光を浴びてくるので、これに対しては積極的に立ち向かわなければならないという気がしておるわけであります。  アメリカに対する依存度が大き過ぎるということと、ドルにあまりたより過ぎた場合にドルと一緒に心中する危険があるという点は十分に認識して、広く世界経済交流の場を求めていく、これはたいへん抽象的な結論になりまして恐縮でありますけれども、私の気持ちとしてはそういうことであります。
  27. 井出一太郎

    井出委員長 以上をもちまして午前中の公述人に対する質疑を終了いたしました。  公述人各位におかれましては、御多用中のところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  午後は一時三十分より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後一時八分休憩      ————◇—————    午後一時四十四分開議
  28. 井出一太郎

    井出委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  昭和四十三年度予算について公聴会を続行いたします。  午後に御出席いただきました公述人は、第一銀行頭取長谷川重三郎君、慶応義塾大学経済学部教授加藤寛君、京都教育大学教育学部助教授順也君のお三人であります。  この際、御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところ御出席いただきましてまことにありがとうございます。御承知のとおり、予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、当委員会といたしましても連日審議を続けておるわけでありますが、この機会に、各界の学識経験豊かな各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ各位におかれましては、昭和四十三年度予算に対しまして、それぞれ御専門立場から忌憚のない御意見をお述べ願いたいと思う次第であります。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず長谷川公述人、続いて加藤公述人、関公述人の順で、約三十分程度意見をお述べいただき、その後、公述人各位に対し一括して委員から質疑を願うことにいたしたいと思います。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を求められること、また、公述人委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御承知おき願います。  なお、委員各位に申し上げますが、公述人各位に対し御質疑のある方は、あらかじめ委員長にお申し出くださるようお願いいたします。それでは長谷川公述人から御意見を承りたいと存じます。長谷川公述人
  29. 長谷川重三郎

    ○長谷川公述人 ただいま委員長より御紹介を賜わりました第一銀行の長谷川でございます。  本日は、四十三年度予算案並びにこれに関する一般的な経済環境等に関し意見を申し述べるようにとの御趣旨でお呼び出しをいただいたわけでございますが、私自身、三十数年銀行業に従事いたしてはおりますが、財政のことに関しましては一向に専門的な知識もございませんし、また、本年度予算につきましても、具体的に勉強いたしておるわけでもございませんので、したがいまして、以下に申し述べますことが、多少見当違いも多かろうかと考えておりますが、あらかじめお許しをいただきたいと思います。  ただ、今日のように、日本経済としてきわめて大事な時期に、長年金融に従事いたす者の一人といたしまして、金融と不可分の関係にある財政並びに予算の問題に関しまして、私個人としての考えでございますが、その一端を直接委員各位の前で申し上げ、そしてお聞き取りをいただく機会を得たことをはなはだ光栄に存じておる次第でございます。  本年初頭、予算に関する大蔵原案が内示されましたおり、私は、ある新聞社から、これに対して批評を書くようにとの依頼を受けました。もちろん、予算内容等に関しまして詳しい検討をいたしたわけでもございませんが、私なりの感じから、点数で申せば八十五点かという答えをいたしておきました。それをごらんになった二、三の方から、その後、あれは少し甘過ぎるじゃないかという御批評を受けたのでございますが、私は、新聞でざっと予算案内容を拝見したとき、実はほんとうにそう感じたのでございます。  と申しますのは、昨年の夏、私は、ヨーロッパに参ります機械がございまして、そのおり、ドイツ銀行のアプス総裁にお目にかかるおりがございました。そのとき、西ドイツの不況につきましていろいろ総裁から説明がございまして、アプスさんは、口をきわめてエアハルト内閣の財政政策を非難しておられました。  御承知のとおり、西独におきましては、財政のいわゆる硬直化の結果、一九六六年の連邦予算が編成難におちいりまして、ついにエアハルトの退陣とか、キージンガー政権への移行というようなことになったわけで、その余波がドイツ経済の慢性的不況を招来いたしまして、一時は西独の奇跡というようなことを言われた繁栄はあとかたもなく消えてしまいまして、当時の話では、明春——ただいまのことでございますが、明春までは上昇の見込みが立ちがたいとアプスさんは言っておられたのを記憶いたしております。  昨年秋、わが国におきましても財政硬直化の問題が名方面で議論されておりましたが、経済界に身を置く者といたしまして、私は、実はこの問題は最も気になっておった次第でございます。と申しますのは、かりに本年度予算においてこの問題が真剣に取り上げられないといたしますれば、国際収支の問題も多難なおりでもございますし、一、二年後には日本経済は、ただいま申し上げましたような、昨年西独の経済が経験した以上の不況をこうむらなければならない。さらでだに安保改定その他政治的社会的に問題の多い時期にこれは容易ならぬことだと、専門外の問題ではございますが、私なりに心痛いたしておった次第でございます。それだけに、先刻申し上げました、本年度予算の原案を拝見いたし、それが景気抑制を主眼として、かつまた総合予算主義を採用し、いわゆる財政硬直化の打開への第一歩を踏み出そうとしておられる基本的な姿勢をその中に感じ取りまして、先刻申し述べましたとおり八十五点という点をつけて、政府当局の態度に率直に敬意を表した次第でございます。ただ、この採点は、本年度予算がほんとうに総合予算として貫かれるならば、つまり補正予算が例年のとおり組まれないならばという重大な前提がついておるつもりでございます。財政当局は、本年度予算が、予算の基本的な特色として財政規模の抑制をあげておられます。確かに一般会計予算規模は、四十二年度補正後予算額に対しまして一一・八%増で、四十一年度の一九・六、四十二年度の一六・二%増の増加率から見ますと、これをはるかに下回って、政府経済見通しの四十三年度の名目成長率一二・一%ということだそうでございますが、それにマッチする数字かと存じます。しかし、この原案に国立療養所の経費を加え、四十二年度補正予算で増額されました食管会計の繰り入れ額と給与改定費を差し引いて、すなわち四十二年度当初予算の立て方に引き直して比べますると、一四・三%増ということになっておりまして、必ずしも景気抑制型とは申しがたい要素を含んでおるとも考えられまして、ただいま申し述べたとおり、ほんとうに総合予算として貫かれるということがきわめて大事なように存じます。この点につきまして、政府御当局のきびしい決意の御遂行を信頼いたしたい気持ちでございます。  以上、本年度予算に関します概括的な考え方を述べてまいりましたが、次にこの予算の運営に関しまして、私なりの希望やら意見を若干申し述べさしていただきます。  まず第一にお願いいたしたいことは、予算の遂行にあたりまして、きめのこまかい機動的な運営でございます。一九六八年、本年度世界経済は、ほんとうに何が起こるかわからないほど流動的であり、かつまたきびしいものであることは間違いないようでございます。こうした環境のうちにございまして、わが国経済としては、一日も早く引き締めの浸透をはかり、国際収支改善を期することがさしあたりの急務かと考えられますが、また時至らば適切に引き締めを解除いたしまして、不当に経済不況のどろ沼に陥没させないことも肝要でございます。こうした要請によくこたえ得るものは、財政政策の機動的運営、特に金融政策と相携えましたいわゆるポリシーミックスかと存ぜられます。  第二に、以上申し上げたこととやや重復いたしまするが、金融政策に不当のしわ寄せがまいらないように特別な御配慮が願いたいのでございます。  目下私ども金融界、特にいわゆる都市銀行は、極端と申してもよいほどの日本銀行の窓口規制のもとに苦心しておる状態でございまして、国際収支改善という点からは、これもやむを得ぬ試練とは存じており、またその効果も徐々に産業界に浸潤してまいっているように見受けられまするが、金融政策が不当に重荷を背負わされますると後になって国民経済にそれが意外に深いつめあとを残すものでございます。近ごろ新聞紙に報道されておりまする中小企業倒産の問題もそのはしりかとも考えられまするが、たとえば外国におきましても、一九六六年の米国の金融引き締め政策が、終局において金融恐慌に近いものになり、国民の住宅建設に大きな支障を与えたことや、先般の西独の極端な景気後退をもたらした金融引き締め政策の苦い経験なども、私どもは常に他山の石として顧みるべきものかと存じます。  第三に、国債及び政府保証債が民間金融市場を不当に圧迫いたさないように御配慮をお願いいたしたいのでございます。  確かに本年度公債依存度が前年に比べてかなり引き下げられますることは、本年度予算の特色の一つであろうと存じます。すなわち、一般会計の公債依存度は一〇・九%となりまして、四十一年度の当初の一六・九%、四十二年度当初の一六・一%に比べまして相当の低下が予定されておりまして、この限りにおきましては、財政運営に節度が取り戻されるきざしが出てまいったものとして大いに賛意を表する次第でございます。  しかし、これを少し長期的に見ますると、次のような数字に相なります。すなわち、昭和三十二におきましては、債券や株式等いわゆる長期資金調達が、わが国経済全体のうちで、政府等公共部門に対して一三%、民間部門に対しまして八七%というふうに配分されておりました。それが四十一年度に至りますると、公共部門が六六%、民間部門が三四%と、配分の比重が公共部門に大幅に移っております。そして、そのうち最も大きな部分を公債の発行が占めておることは申すまでもございません。私は、結局のところ国債依存率は、なるべく早くできれば五%程度にまで引き下げていくことが国民経済上も、あるいはまた公共、民間投資均衡の上から申しましても、かつまた財政硬直化対策の上から見ましても必要なことではないかと考えております。  なお、この公債の問題は予算の中でわれわれ金融機関として最も直接の関係ある問題でございますので、多少こまかな点になりまして恐縮ではございますが、付随的に二、三気のつきました問題点だけを指摘さしていただきます。  第一点は、国債の消化の環境、なかんずく消化の中心となっておりまする金融機関の資金事情が、金融の引き締めによりましてきわめて現在苦しく相なっておるという点でございます。本年四月以降の金融状態を考えますと、国債の発行につきましては四十二年度と同様、情勢に応じて弾力的に対処していただきたいと存じておる次第でございます。  第二点といたしましては、地方公共団体、公営企業等のいわゆる縁故債の発行についてでございます。これらは財政投融資計画のワク外にあるのではございますが、結局は市中の金融にしわが寄ってくる結果と相なりまするので、これの規制につきましてもしかるべく御勘案をいただきたいものと考えております。  第三点といたしまして、国債の売りさばき方、これは基本的な方向といたしましては、どこまでも個人その他機関投資家の安定的な消化につとめるように持っていくべきものと考えております。したがって、いろいろ事務的に支障もあることとは存じますが、金融機関、郵便局等の窓口でこれを販売するというような手段も、この際考慮していただいてはいかがかと考えております。  以上、るる本年度予算案を中心にいたしまして私の考えを申し述べてまいりましたが、最後に、国民の一人といたしまして国会の皆さま方並びに政府当局にぜひとも心にとめていただきたいとお願いいたしたい点がございます。それは、現在のような世界経済の激動期にあたりましては、自分の国の円の通貨の価値の安定こそが何ものにもかえがたい大切なものであるという国民全体の認識をこの際確立しだいという点でございます。これは裏を返せば、物価の安定でございますが、これが、長い目で見た場合、国民経済成長の上にもまた民生の安定の上にも最も重要なことであるという事実を、この際あらためて国民政府も認識し直して、いろいろの政策立案の基礎としていただきたいということでございます。ドル防衛に対抗して申すわけではございませんが、この際、円の防衛策がほんとうの意味で考えられてよいのではないかと考えられます。予算ないし財政のみに限りませず、本年度わが国経済の運営にあたりまして、政府当局におかれましては、まず消費者物価をこの程度に押えるというめど、まあ四%増程度のめどを希望いたしまするが、これを立てまして、それに順応していろいろの経済政策を遂行していただきたいと考えるのは、私どもの従事いたしまする金融機関の預貯金が通貨価値の安定によってふえるというてまえみその議論からだけ申し上げるわけではなくて、国民全体の希望でもあり、かたがた自由化を控えましたわが国経済の明日の躍進の基礎条件でもあろうかと存ずる次第でございます。  以上をもちまして私の公述を一応終わらしていただきます。どうも長らく御清聴いただきましてありがとうございました。
  30. 井出一太郎

    井出委員長 この際、委員各位に申し上げますが、長谷川公述人は所用のため二時半ごろに退席されたいとの申し出がありますので、同公述人に対する質疑はこの機会にお願いをいたします。  加藤清二君。
  31. 加藤清二

    加藤(清)委員 私は簡潔に長谷川さんに二、三の御質問を試みたいと存じます。  第一点。貿易金融面に非常に不安定要素が多い。それは国内の円のみならずポンド、ドルともにしかりでございます。運命共同体にありまするところのこの円は、一体、やがて起こるやもわからないところの混乱をはたして守り切ることができるかできないか、日本の金融界としてはどのようにお考えになってみえるのか、これが第一点でございます。  第二点。財政引き締めるとかゆるめるとかというものに二つの柱があるようでございます。一つは税金でございます。一つは金融でございます。つまり、国の財政の二本の柱のうち一本の大きな柱は金融でございます。その金融をゆるめ、引き締めることをほとんど過去においては窓口規制ということ、言うなれば銀行家にゆだねられていたわけでございます。したがって、日本の産業投資、これのキャスチングボートは金融面にあるわけでございます。産業家に言わせますると、金融界は産業界の上にあぐらをかいている、こういううわさまで出るわけでございます。それほど重要な任務を持ってみえます。そういうおりに、窓口規制をなさる方々がはたして産業構造の将来、方向を指導する能力ありやいなや。能力ありとするならば、何を基点に行なってみますか。これが第二点でございます。  第三点。第三点は金融正常化でございます。今日ほんとうに正常化の必要なものは金融と選挙だと思います。その正常化のポイントでございまするが、歩積み、両建て、過去十三回にわたって大蔵省銀行局長から指示が出ているはずでございます。にもかかわりませずこれが依然として絶えておりません。これは一体どうしたことでございましょうか。銀行、金融関係の報告を見まするとゼロになっているはずでございます。ところが、公取に訴えられている点あるいはそういう関係の世話活動をしている個所、そこへはわんさと苦情が殺到しているのでございます。これがやがて三月危機説、六月危機説、中小企業倒産の主たる原因をなしているようでございます。一体これはどうしたことでございましょうか。引き続いて、その金融をなさる場合に担保をおとりになりまするが、過重ではないか。零細金融に限って特にはなはだしいではないか。なおかつそれを凍結してしまいなさる。すでに担保をはずしてもよい時期になってもなおこれを厳重にワクをかけて移動をさせない。こういうことが行なわれている。次に、不良手形、悪質手形でございまするが、これは御案内のとおり、六十日をこえるものについては振り出し人がこれを金利を負担するということに相なっております。六十日をこえるかこえないかは金融機関しかわからないわけでございます。チェックするのは金融機関かないしは手形交換所でございます。すでにこのことは本委員会においても何回も論議されまして、それを厳重に守り、悪質手形を発行し、その義務を負わなかった者に対しては体刑罰をしょわせるということを田中大蔵大臣も本席で述べていらっしゃるわけでございます。しかしそれがそのままに相なっております。  最後に、公債の市中消化と称するところの公債でございます。しかしそれは今日の実態はそうではなくて、銀行シンジケート引き受けに相なっているようでございます。この銀行シンジケートはやがて金融が逼迫しまするゆえに買いオペと姿が変わるわけでございます。一年たたないうちに買いオペになります。買いオペになるということは、日銀券の増発を誘発するわけでございます。日銀券の増発はやがて物価高、貨幣価値の低落、これを招いて、いまあなたがお述べになりました日本紙幣の尊重、これを守るということとは違背する結果に相なっており、この点は銀行シンジケートの方々、特に零細金融の金融機関は非常にお困りのようでございます。これは一体どうしたものでございましょうか。以上でございます。
  32. 長谷川重三郎

    ○長谷川公述人 ただいまの加藤先生からの御質問に対してお答えを申したいと存じます。  第一番のどう思うかという御質問の点は、いわゆる円不安をどう思うかという点だったと思います、ロンドン・タイムズとかフィナンシャル・タイムズとか申すイギリスの有力紙がこのごろ円不安を特に取り上げているように存じまするか、その論旨は大体次のようになっているように思います。今回の日本景気過熱の原因が旺盛な消費需要にささえられた設備投資にある、政策面で消費を押えるのはむずかしいから、結局は国際収支が悪くなって円の切り下げに追い込まれるのではないかといった論旨のように存じます。私は、かなりこの見方は、まあ一部各国の通貨に関するスペキュレーターの思惑的なものの言い方のようにも感じまするが、しかし現実の国際収支に先行する指標は、ここのところだいぶ改善が伝えられておりますので、やがては円不安の問題は、こういうルーマーは消えるのではないか、もちろん経済界金融界一体となった努力次第ではございますが、少しずつ国際収支も御案内のように改善いたしておりますので、これはだんだん消えていくのではないかというふうに、あるいは希望的観測かもしれませんが、存じておるのでございます。  それから第二の御質問の、金融というものは非常に重大なもので現在の金融業者に、産業の再編成が非常に重要な段階にきているときに金融業者にそれをあんばいして考えていく能力ありやという御質問のように承りましたが、これはどうも私自分の口で何と申し上げてもちょっと申し上げようがないのでございますが、しかし現在の日本経済といたしまして最も重要なことは、やはり資本自由化に対しまして、こちら側で申せば日本経済企業の国際的な競争力をほんとうの意味で増すことが緊要かと存じます。各銀行はもちろんそれぞれ私企業でございますから利害はございますが、しかしまあそのポイントにつきましては皆さん大体一致してそれぞれの努力を一生懸命払っておりまするので、また関係当局の御指導もありますし、またジャーナリズムその他からの御叱正を得て、こういう問題についてはわれわれとしてももっと勉強しもっと努力してその負託にこたえたいと思っておる次第でございます。  それから、その次に拘束預金、いわゆる歩積み両建ての問題につきましてのお尋ねだったと存じます。現在、歩積み両建てにつきまして加藤先生の御指摘のとおりのいろいろな問題点があり、それで銀行間で申し合わせて自粛の努力をいたしておるわけではございます。何ぶんにも全国の銀行の店舗は六千七百以上ございます。拘束預金の規制の対象にあります相互銀行、信用金庫等を加えますると、一万三千以上の店舗になり、かりに一店舗当たり百件の貸し出しがあるとしましてもたいへんな数でございます。そういう御指摘のようなケースが出ますことはまことに残念なことではございますが、当局の御指導もあってそれぞれの協会におきまして注意をいたしまして——まあこれはほんとうにそう思っておるのでございますが、徐々に効果はあがってきておる、これはほんとうに真剣にやっているわけでございます。拘束預金の整理を進めていく金融機関のいろいろな形式がございますが、これがはなはだむずかしい、わかりにくい規制をやっておりますために、場合によりますとその数字の出方がちょっと過度に見えるように存じまするが、この秋が一つの期限でございます。  それで現在までのところ、少なくとも都市銀行におきましてはかなり改善されてきておりましてこの十月でございましたかその期限に一応問題を整理してみまして、また当局のいろいろな新たなる御指導を得て、順次改善していくという方向をたどるものと思いますので、御指摘のような点もございますかと存じますが、これはもうしばらく時間をかしていただければという感じがいたします。それからもう一つ、担保を少し押え過ぎているのではないかという御指摘がございました。これはまあ幾つかの個々の問題でございますからそういうこともあるかもしれません。正直申しまして、必要債権額以上に担保をちょうだいいたしましても金融機関としては実は何にもならないわけでございます。そういう場合もございますかとも存じまするが、これもだんだんに改善されていくように努力をいたし、また進める所存でございますので、いましばらくその成り行きを見守っていただきたい、さように存ずる次第でございます。  銀行のシンジケートの問題は、いま世話人会というのがございまして——国債世話人会と申します。それで打ち合わせをしまして引き受けております。その一年たった部分が買いオペによりまして日銀のほうへいっておる。これが非常に悪く循環いたしまするといわゆる悪性インフレに移っていくという点は、確かに御指摘のとおりの可能性があるものという感じがいたします。そこで先ほど公述のときに申し述べましたとおり、やはり将来は理想の姿としては公募ということ、一般の安定的な消費者にそれを持っていただいて、それでほんとうの意味国民の蓄積にしていくという方向、これをとるいろいろな手段がもっともっと考えられなければならないのではないか、またそうしていくことによりまして、正当な公社債市場というのもでき上がっていくのではないかというふうに考えております。この点は先生の御指摘のとおりと私は存じます。まあこれもあるいは過渡的な段階で今後の努力がなお必要かと存じます。  それから手形サイトの問題は、実は私ちょっと問題点がはっきりつかめないのでございますが、長い手形があることは事実のようでございます。ことにこういう金融引き締めになってくると、かなり出てくるようでございます。これは正直なところ、銀行側で一々お客さまが手形を振り出されるときに全部を全部チェックしているわけでもございませんので……(加藤(清)委員「割りに来たときにわかりますね、現金に割りに来たときにそこでチェックする」と呼ぶ)結局銀行のほうとすれば、そんなに長い手形は、大体銀行のほうもやはり私企業でございますから、何か心配な点があるというふうに考えて、その近いところまで、期日六十日とか九十日とかというところまでのものでなければ割らないように大体しておるものと存じます。ただ銀行側としてそれを特に、発行なさる方はお客さまでいらっしゃるわけですから、その強制もできないというのが現状ではないかというふうに存じます。
  33. 加藤清二

    加藤(清)委員 じゃ、その点だけについて。悪質手形の問題は、下請代金支払遅延等防止法によりまして、六十日以上のものを発行した場合には発行人でもって割引料、すなわち金利を払うことになっているわけです。それを怠った者についてはそれぞれ所定の罰がきめられているわけです。ところがいまだかつてその罰則が適用されたためしがございません。しかしこれを発見するのはどこかといったら銀行の窓口で割るときでございます。それ以外は持っていたらどうにもならぬですから。そういう長いもの、いわゆる法律に違反するようなものが次々と行なわれていく、実行に移されていくということは、やがて私造紙幣が行なわれるという結果に相なりまして、せっかくの窓口規制その他の政策もそこからくずれるおそれがある。したがって、これは窓口でチェックをする長いものについてはそれぞれの処置をする、こういうことに相なっておるのですが、チェックのできるところが金融機関と手形交換所以外にないわけでございます。そこで金融機関において、お手数ではあろうけれども、これについて対策を練るということに前からお約束ができておるわけでございます。
  34. 長谷川重三郎

    ○長谷川公述人 はなはだ不勉強で申しわけないのでございますが、いま加藤先生のお話の法律、この席でそういうお話が出たということを私実はよく存じませんでおりました。確かにおっしゃるとおりの弊害がそういうことによって起こってくるかと思います。これは一つの銀行だけでできる問題でもございませんので……(加藤(清)委員「だから協会で……」と呼ぶ)はい、銀行協会がまた、これ普通銀行だけがカバーしている現在の状態でございます。相互銀行、それぞれの協会がございますそういうところとよく連絡をとりまして、私どももまことに同感でございますから、御趣旨のような線でさっそくにもう一回チェックし直して努力いたしたいと存じます。ありがとうございます。
  35. 井出一太郎

    井出委員長 塚本三郎君。  時間の都合もございますから、御質疑、御答弁、なるべく簡潔にお願いします。
  36. 塚本三郎

    ○塚本委員 一点だけ、先ほどの公述を聞いておりまして、長谷川さんにお尋ねいたします。  今度の予算は八十五点だという採点をおつけになりました。しかもそれには条件がついておりまして、補正予算を組まないならばということを厳におっしゃったわけです。これには政府はきびしい態度をもって臨んでほしい、こういう話がございました。ところが、午前中の公述人正木さんのお話は、これと全く反対の、実は総合予算主義である、このことは最もいけないことなんだ、なぜならば流動化したいわゆる経済の実態を縛ってしまうのだ、こういう実は午前中の公述人で指摘があったわけでございます。おのおの見解の相違であろうとは思いますけれども、私どももちろんここできまったことは行政府は厳にこれを実施していただかなければなりません。そういう意味で、あとからなぶるということは、これはいけないというのが正論であろうかと思います。しかし、毎年繰り返されております過去の経過を振り返ってみますると、御承知のとおりすでに人事院勧告等におきまして公務員給与のベースアップをはじめとして、あるいは災害等不慮の問題も出てくることでございましょう。これが政府では見込んであると言いまするけれども、しかしこれもやはり先に限界をきめてしまっております。こういう意味でやはり正木さんの御説明になったような、流動化を縛ってしまうことは生きた政治としては不適当ではなかろうか、こういうふうに感ずるわけでございます。銀行屋さんの立場からいいますると、表現はどうかと思いまするが、通知預金よりも定期預金のほうが扱いやすい、こういう判断がまじっておるように、失礼な表現かもしれませんが、感ずるわけでございます。この点の御説明をいただきたいと思います。
  37. 長谷川重三郎

    ○長谷川公述人 ただいまの塚本先生のお話の、午前中のあれを私伺いませんでしたが、総合予算主義ということは、まあ補正予算が組まれないという意味で私はけっこうなことではないかと申し上げたわけでございます。要するに総合予算主義とか補正予算とかいう形式の問題より、財政規模が大きくならないという点に、われわれ金融界としては非常に関心を持ったわけでございます。確かにおっしゃいますように、不慮の災害とか、いろいろな政治的な動きもございましょうし、予算につきましては、絶対にそういうことをしてはいけないということは私ども申せない問題、これはもう国会のおきめになる問題かと思います。ただ、私はそのあとで、一応そういう形式をとって運営を機動的にやっていただきたいということを特にお願いいたしまして、金融にしわが寄らないように、機動的な財政の運営をきめこまかにやっていただきたいということをお願い申し上げたつもりでございますので、あるいは両方一緒にいたしますると、いま先生のおっしゃった意味にやや近くなるのではないかというふうに感じます。
  38. 井出一太郎

  39. 阪上安太郎

    ○阪上委員 時間がないようでございますので簡単にお伺いいたしたいと思います。このことはあとで公述なさる両先生からも伺いたいと思っておりますが、お立ちになりますので先に伺っておきたいと思います。  その一点は、景気対策として、計量経済理論に基づいて予算にフィスカルポリシーを導入する。このことについての基本的ないろいろな議論があると思うのでありますが、それは別といたしまして、実はきょう午前中に大来公述人からも話が出たのでありますが、日本ははなはだしく統計に不足をしておる。ことに計量といいますか推計といいますか、こういった推計経済学、そういったものの確定が不十分である、こういう話があったのですが、日本の場合統計に不足を来たしておって、したがって長期の推計というものがなかなか立たない。そういったことによって、景気の見通しというものについてもなかなか確実なものをつかみ切れない。これは何回も政府は失敗いたしております。そういった日本においてフィスカルポリシーなりポリシーミックスなりを大幅に導入するということは、はたして適当であるかどうか、こういうことにつきましてお伺いいたしたいと思います。これが第一点であります。私はむしろ不適当ではないか。こういうような統計不足でもって、実際過去の失敗から考えてみても適当じゃないんじゃないか。しかしこのままで放置できませんから、しからばどうするか。これはやはりビルトイン・スタビライザーといったような基本的な機能というものをもっと強化する必要があるんじゃないか。たとえば二重構造の問題等も解決していくという形によって、そういったビルトイン・スタビライザーというものの機能をもっともっと強化していく、そのことのほうが先じゃないか。予算もまたそういったものによって編成されていかなければならない、こういうことを考えておるわけなんですが、この点についてひとつ伺いたいと思います。  先ほど地方債についてお話がございましたが、はたしてこういった状態のもとで地方公共団体にこのフィスカルポリシーなりあるいはポリシーミックスを、国と同一の基調によってこれを適用させていくということは無理があるんじゃないか。ことにサービス行政をやっております。国民の生活と直結しておる地方公共団体です。国が財政硬直化したからといって、これだけの理由によって直ちに地方公共団体にぶっつけていく。現にやっておるわけです。四十三年度の地方財政計画を見ましても、五兆六千億という国の予算に匹敵するような財政規模を持っておるわけです。しかし三千三百七十幾つの市町村と四十六の都道府県、個個の団体にとってみたら、その財政規模というものはきわめて小さいのであります。そんなところへもっていってこれを適用するということは非常に不適当じゃないか。  この二点だけ、ひとつ簡単でけっこうでございますから見解を伺っておきたいと思うのであります。
  40. 長谷川重三郎

    ○長谷川公述人 ただいま阪上先生の御指摘の第一点でございますが、確かにわが国におきまして統計的な資料がまだまだ不十分であろうという点はあるのかと存じます。ことに国の財政、そういうものの場合に過去において結果として誤りをおかしたという点が、あるいはこの統計の不備の結果だったかどうかそれはわかりませんが、しかし完ぺきなものでないことは確かであろうと存じます。おっしゃいましたようにその点はだんだんと完備されていくことが、私ども民間の者としても非常に望ましいことでございます。ただ日本経済の場合、私も前に経済審議会の何か専門部会の委員を仰せつかりましたが、日本のように外国の経済からの影響の非常に大きな国民経済の場合に、あまりにはっきりした統計的な——統計的な資料が完備することはけっこうでございますが、計数的にあまりがっちりきめて長期計画を立ててしまうと、外の影響に応じて臨機応変な措置がとれない場合もあるいはあるのではないかという感じがいたしたことがございます。  それから地方財政の問題につきましては確かに御指摘のようなことも非常に多いかと思います。したがいまして、いわゆるポリシーミックスと申しますか、要するに財政を圧縮するために、ほんとうに地方の公共的なもの、サービス的なものを、そのための地方債の発行というものは全部やめていただきたいという意味で申し上げているわけではないのでございますが、これも私、自分だけの実例ではなはだ恐縮でございますが、先般道路審議会という何か建設省のお呼び出しをこうむりまして、それで私拝聴しておったのですが、地方でかなり、たとえばでございますが、観光道路みたいなもののために地方債が発行されているようなことが間々ございます。こういうものを含めまして、やはりそういう点に格別の御配慮を得たい、そういう希望でございます。御趣旨はごもっともに存じたのでございますが、そういう意味で申し上げたわけでございます。
  41. 井出一太郎

    井出委員長 他に御質疑はないようでございますので、長谷川公述人に申し上げます。  御多用のところ、貴重な御意見をお述べくださいまして、ありがとうございました。委員会を代表し、厚く御礼申し上げます。どうぞ御退席になってけっこうでございます。     —————————————
  42. 井出一太郎

    井出委員長 なお加藤、関両公述人にはたいへんお待たせを申し上げまして恐縮でありました。逐次公述をお願いいたします。加藤公述人
  43. 加藤寛

    加藤公述人 この機会に、日ごろ私が考えております点につきましていろいろと意見を述べさせていただきます機会を得たことを、たいへん幸いに存じております。  昭和四十二年が昨年からすでに国際化時代ということが盛んに言われていたのでございますけれども、その国際化時代という意味には二つ意味がございまして、一つは言うまでもなく防衛を問題とした一つの行き方でございます。もう一つ経済の問題から見ましても重要な問題がこの四十三年には山積しているということが、私どもの国際化時代という意味での非常に強調したい点でございます。このような意味では、たとえば資本の自由化あるいは、特恵関税がどうなるかというような問題に日本はぶつかっておりまして、輸出あるいは輸入の問題、国際収支をめぐって日本の解決しなければならない問題が非常に多いということを私どもは痛感しているのでございます。その点、この予算委員会が常にそういう経済問題の非常にじみな問題につきまして積極的ないろいろな御発言があり、そしてまたいろいろと御研究になっておられるということを、私ども外部におりましてたいへんにうれしく思っておる次第でございますが、そのような非常にじみちな、そしてまた経済の問題というのは一般にはなかなかわかりにくい問題がございますので、そういう意味からは、なかなか国民全体にはそのじみちな皆さま方の御発言あるいは御研究が伝わっていないということが、私の非常に残念に思うところでございます。そういう意味で、私は、やはりきょうの問題を申し上げます前に、予算というものをめぐっての基本的な考え方というものが当然そこになければいけないと思っておりますが、私は、予算というものを考えます場合に、それは一国の家計をいかにしていくかという重要な問題でございますから、そのような問題の一つ一つが及ぼす影響というものを十分に考えた上でなければ、予算というものはなかなか決定することができないのだということでございます。  私は、先ほども長谷川公述人がいろいろと点数のことをおっしゃっておられましたけれども、むしろ点数をつけるならばこれは教師であるわれわれにおまかせいただきたいのでございまして、そのような点数という点につきましては、私はここでは別に何点とは申し上げません。重要なことは、そういう点数よりも、私どもがその予算を通じてどういう問題を展開しなければいけないかということでございましょう。そういう意味で、私はまず最初に申し上げておきたいのは、景気の中立型ということが盛んにいわれておりますけれども、この予算というものが私は必ずしも景気中立型ということではないように考えております。それは確かに成長の予想というのは二・九%であり、そして予算はその成長予想よりは低く見積もられておる、こういうふうにいわれておるのでありますけれども、実際は、この予算の総額は、当初の比較では二〇%増になりますし、あるいは公定歩合が引き上げになっておりますので、さらに成長というものがもっと落ちるということも考えますと、こういう予算の中では十分な私は景気を押えるということは不可能であろうかと思います。そういうような景気を押えるという点から十分ではないということにつきましては、私はいろいろな方がそういうことを言っておられますので、それ以上は申し上げないことにいたしますけれども、たとえば先ほども一つの問題が出ましたけれども、それは補正予算を組まないならばという一つの前提がございました。そういう補正予算を組まないならばというこの考え方が、もしそのまま貫かれますならば、私は、たとえば公務員給与というものがこの予算の中にすでに組み込まれておる。そうすると、それはおそらく既定のものとして考えなければならなくなりますから、この公務員給与というものは、おそらく所得政策のような意味を含んでくることになると思います。そういう政策所得のようなものを含むかどうか、これは私の一つの疑問でもありますけれども、もしそうでないならば、それは当然に補正予算を組まなければいけなくなりますでしょう。こういう意味で、日本経済は非常に現在弾力的な発展をしておりますから、そういう弾力的な意味から申しましても、補正予算というものをやはり全然組まないでもって最初の予算どおりに貫き通せるかというと、これは私は非常に疑問に思うのであります。そういう点で、政府が十分にその予算の厳守をなさるならば、これはいいかもしれませんけれども、それは非常に困難が大きいのだ、そういう点をどう考えているかということが、私の第一の問題でございます。  さらに、第二に私は考えたいのでありますけれども、こういうように政府財政硬直化ということを盛んに言っておるわけでありますけれども財政硬直化というのは、これはどうして日本で起きたのかといえば、それは一口に言いまして、私はやはり現在の日本財政というものが公共投資を非常にやっておったということに一つの論点があるように思います。これは一般政府があまりやらないというふうな行き方に対しまして、むしろ政府はよくそういう点では公共投資を伸ばしてきたのだ、こういうふうに私は評価をしたいのでありますけれども、ただし、その公共投資伸びといものうが、実は産業資本を中心としたようなものであった。特に工業用地あるいは工業用水に関しての公共投資が圧倒的な比重を占めている、そういうようなものが非常に大きく行なわれてきたということは、その反面国民の生活基盤としての投資がどうしてもおくれることになる。そのこと自身私はいきなり悪いということを言っているのではありませんけれども、そういう公共投資一つの配分のしかたが非常に片寄ってきた。このような片寄ったことから、現在の都市社会資本の不足というものが非常に激化してきている。このような都市の公共資本の不足というものが深刻化してきているということは、それがいろいろな意味国民生活に影響を及ぼすわけであります。たとえば、簡単に申しまして、現在鉄道料金が非常に上がってくる、たとえば私鉄の料金が上げられなければいけないというようなことが起こっておりますけれども、このような問題は、公共的な投資というものが私鉄あるいは国民の輸送の力になる、そういうものに対しての投資を行なっていなかった。別な言い方をすれば、簡単に言ってしまえば、これは地域経済の不均等な発展というものがそのまま残されていたところに問題があるのではないだろうか、こういうふうに私は考えます。したがって、鉄道の輸送という点からまいりましても、路面電車はすでに交通ができなくなって、そうして自動車の過重なために道路の運営が不可能になっていく。そこで、路面電車の赤字が続いていくということが起こります。あるいは高速鉄道をつくりましても、これは新規の投資というものをしなければいけなくなりますから、当然に赤字を増大いたします。そうすると、結局ここに起こってきている問題は、公共料金というものの増大をめぐって、そうして私たちの国民生活を圧迫することになっている。このような意味では、予算がこの公共的な投資というものをはたしてやっているのかどうか、ここに私は一つの疑問を持っております。この点に関しましては、公共料金と一口に私は申しましたけれども、たとえば物価の上昇という点につきまして政府予算の予測では四・八%という消費者物価の上昇を出しておりますけれども、その四・八%というのは、公共料金を除いているというところに一つの問題があると思います。それは公共料金の増加というものがこれから一そう増すわけでありますから、それを除いてしまって消費者物価の上昇を考えたとしても、それはほとんど意味をなさないだろう。そういう意味で、私は政府予算がまず第一にやるべきことは、そういう都市を中心とした公共投資に十分な投資を行なう。これをやらないでほっておきますと、やがてまた大きな物価上昇にはね返らざるを得なくなるだろう、こういう意味で、私は現在の消費者物価の上昇というものは、すでに公共料金の上昇ということでもって第三期的な症状に入っている、こういうふうに考えるわけであります。こういうようなことがさらに次の問題にも関係いたします。  それは第二の問題となるわけでありますけれども、国鉄に対して利子の補給をしているわけでありますが、このような国鉄に対しての利子の補給ということが行なわれているということは、国鉄が非常に苦しいという意味では明らかな一つ方向だろうと思います。しかし、同時に考えるべきことは、こういう公社、公団というものがはたして十分な効率的運用というものをしているだろうか、ここに私の第二の問題がございます。それは公共料金、あるいは国鉄の料金といってもよろしゅうございますが、こういうようなものがどんどん値上がりをしてくるということは、結果的には道路あるいは鉄道の統合的な政策というものがないからであります。そのような道路や鉄道の統合的な政策という点からまいりますと、国鉄あるいは私鉄が、都市化が続くことによってどんどん郊外に進出をしてきた住民たちを運んでこなければいけない。そうすると、どうしても鉄道が足りないので赤字になる、こういうことが起こってくるわけでありますが、そのような新線をつくるというような問題が大きく登場してまいりますと、それは結局国鉄では負担できない、あるいは私鉄でも負担できない、こういうことになりますから、料金の上昇ということに反映をするように思います。そうすると、重要なことは都市というものがはたして最適な都市というものになっているかどうか、そういうことを考えなければいけないわけでありまして、政府はすでにさきに新産都市計画を出しているわけでありますけれども、その新産都市計画そのものが実は実際には活用されていない。それが活用されていないから、次々と都市への集中化が起こってまいります。そのような集中化に対して、公社、公団というものがはたしてそれを押えるような役割りを果たしているだろうか。たとえば国鉄の場合には、そういう地方都市というものを育成するために国鉄の大きな購買力を使えば、私はかなり大きな力になると思います。ところが、そういうことが一切考えられないでただ都市に集中してくる住民を運ぶのだ、そういうことにしか公社、公団の意味がない。そうすると、これは公社、公団というものが十分な力を発揮しているとは言えないわけでありまして、私は、もちろん公社、公団が絶対的に経済を指導するということを申し上げているのではございません。それはあくまでもそういう一つのやり方の中でもって活用されていいのだ、つまり政策手段としてそういうものは動いてもいいのだ、そういうふうに考えております。先ほど阪上先生から御質問がございまして、計量の有効性ということが——計量経済統計があまりできていないのに、経済学がはたして使えるかという有効性の問題がございましたけれども、私はどちらかと申しますと、統計というものは、これはどこの国でもそう完備しているものではございません。むしろそういう計量というものをやった場合に、それがどんな影響を及ぼしていくかということをさせていくためには、つまり政策手段としてその計量的な結果をうまく適合さしていく、そういう仕組みができていることが重要だと私は考えております。そういうような意味で、公社、公団というものの効率的な運用を考えませんと、財政硬直化という問題は結局解決されないままに残るのではないだろうか、こんなふうに私は考えます。  第三に考えたいことはそれはこういうふうに行政という問題を、都市一つの問題をとりましても、たとえば住宅問題一つに取り上げましても、それは一般会計の中でもって住宅に対して支出されるお金と、それから財政投融資で行なわれるお金とがありますけれども、こういう財政投融資でもって住宅の建設が次々に行なわれてまいりますと、それは当然のことながら、非常に住宅としては、いわゆる公営住宅よりも公団住宅のほうが圧倒的な比重を占めてまいります。そういたしますと、これは住宅というものを公的な形で補給していくという問題が、私はそこには出てこないように思います。そうすると、私は、これは統計的にいろいろ言うことができるかと思いますけれども、住宅の投資として考えなければなりませんことは、それは一般会計の中でも住宅の投資というものを大きく考えていかないと、公団住宅に入れない人たちがそこからはみ出ていくということになります。こういうような意味で、私は、住宅投資というものを一つ取り上げましても、予算が考えるべき問題がそこにひそんでいるように思いますが、こういうような問題に関しましては、どうも行政というそういう問題に関しては、民間に依存させていこうというような、そういう考え方があるように思います。  そうしますと、それは民間都市開発というこでもってどんどん行なわれていきますけれどもそれは必ずしも民間の利益にはなっても国民の利益とは直結しないという問題が起こってまいります。こういうわけで、私は、第三の問題として、やはり住宅などにあらわれておりますように、一般会計の中からも十分な投資を行なっていくことを考えなければならないんだ、こういうふうにあえて指摘しておきたいと思います。  それから第四の問題でございますが、現在日本景気が非常に変動をしておるわけでありますけれども、このような景気変動の問題を取り上げました場合に、日本に前に昭和四十年でございますけれども景気調整税制というものがつくられておりました。この景気調整税制というようなものは、実はカナダあるいはスウェーデンなどで行なわれております投資平衡基金と同じような考え方でございまして、景気のいいときにはそのような税金を多くし、景気が悪いときにはその税金を支出していくという、こういう弾力的な運営というものがカナダあるいはスウェーデンで行なわれているわけでありますが、このようなひとつのビルトイン・スタビライザーと申しますか、そういうものを私はやはり使うべきではないだろうか。すでに日本には景気調整税制があるわけでありますから、こういうものを発動して十分に景気の調節というものをやることは可能ではないだろうか。そういうことがどうも今度の予算の考え方を通じてあらわれていないことは、これは私の第四の疑問でございます。  そのことから、直ちに第五の疑問に移るわけでありますが、それは個人の消費というものを抑制しよう、こういうような考え方もやはりそこにはあるように思います。その場合は、私は、現在の日本景気調整をしていくということは、これは輸入の効果の非常に大きなものを抑制しなきゃならない。つまり輸入効果の大きなものを抑制するということが、景気を調節するための重大な役割りであって、それを輸入効果のあまりない、つまり輸入を大きく起こさないそういうものの支出というものを小さくするということは、これはほとんど景気調整のためには意味を持たないわけであります。したがって、輸入効果の非常に大きいもの、輸入を大きく誘発いたしますのは、これは民間設備投資でありまして、こういう民間設備投資を押えて、逆に今度は個人消費というものは進めていくことによって、私は全体の景気というものが安定的な方向に動くことができると思います。こういうふうに景気変動というものを小さくしていく、こういうくふうがやはり必要であるかと私は思いますが、これはおそらく予算そのものよりも、予算の運用という問題にかかっておるかと思います。そういう意味では、先ほどの長谷川公述人が言われたとおり、財政というものの動かし方に重点的な配慮が必要だ、そういうことを考えるべきではないかと私は思っております。  最後に、第六の点になりますけれども、これは私はひとつまとめて言ってしまいますけれども、やはり日本の現在の公共料金の値上げというものをめぐって、一番大きな問題は地価であろうかと思います。土地の価格が非常に放任されておる。このようなことが経済全体の物価上昇に大きな影響を持っておるわけでありますから、このような地価の抑制に対しての対策も持たなければならない。このようなことがはたして予算ではどういうふうに考えられておるのか、これは表面には出ないことかもしれませんけれども、私どもにはやはり納得できない点であります。  こうして考えてまいりますと、いま私が申し上げましたすべての問題は、予算の配分を通じて直していくことができると同時に、その予算の配分というものが効果をあらわすような仕組みをつくっていかなければならない。そのような仕組みをつくっていくことを予算の中に含めておかないと、予算自身の効果というものは十分にあらわれない、こういうふうに私は考えております。  以上六点を中心にいたしまして、財政予算をめぐりましての問題点をいろいろと申し上げたわけでありますけれども、そのような点についていろいろと御考慮いただければ幸いだと思っております。  以上で終わらせていただきます。(拍手)
  44. 井出一太郎

    井出委員長 次に関公述人
  45. 関順也

    ○関公述人 この機会をお与えいただきましたことを感謝いたします。これは私だけではございませんで、私が教えました連中が地方の公共団体その他で働いております。現場で働いておるその苦しみを、いろいろな形で手紙で寄せてまいりました。その教え子の申します点も含めて、国会議員の、ことに予算関係の、熱心に審議していただく皆さんに聞いていただきますことを光栄に存じます。  まず、この予算案は数々こう並べられておりますが、百の公約よりも、正直に政府が実際に施行せんとしておりますところを表明するものである。予算審議を通して、そこに示されました政治理念であるとか政策意図というものを論じられるのが、国会政策論争としては中心課題であります。しかしながら、そうした政策理念や政策の意図が何であれ、決定された予算案の執行は、経済一般的な法則に従いまして国民経済動向を大きく左右いたします。ことに、今日の予算案は、年々その規模拡大して、国民経済に与える影響が大きいばかりではなくて、最初から国民経済を左右することを目的とした財政活動の分野も大きくなっております。すなわち、今日の国民経済が当面しておる諸問題は、これまでに政府が行なってきた財政活動の結果や影響であることが多い。これに対処して編成された今年度予算案が、これからの国民経済動向一つ方向を与えようとしておるということも事実であります。ここでは、まず国民経済の当面している問題点をあげまして、これに対処する四十三年度予算案内容が適切であるかどうかにつきまして、経済学の立場から若干論じてみたいと思います。  四十三年度予算案の編成に際しまして、政府の発表されました経済見通しの要点は、次のようであります。経済成長率は、名目が一二・一%、実質が七・六%で、前年に比較しますと相当低くはなりますが、国民総生産そのものは大きくなっておるということ。それから四十二年度国際収支は七億ドルの赤字になりますが、四十三年度にはこれが三億五千万ドルに縮まる。それから個人消費支出は堅調ですが、前年度比で見ますと一四%に落ちつく。企業設備投資は、引き締め策で鈍化する。さらに卸売り物価は安定をし、消費者物価も、物価政策によりまして前年度比四・八%にとどめる。こういった政府経済見通しが、国民所得計算によるところの推計数字でありまして、どこまで信頼できるかということは、今後の国民経済動向が立証してくれるというふうに思います。ただ、先日報道されました日銀の卸売り物価指数の計算のように、時に応じて積算基準を変えたり、調査品目を入れかえたりということでは、この数字がいかに信用できないものかということがわかろうかと思います。こういった推計数字につきまして、政府の希望的な観測も入っておる甘い見通しだという批評もございますが、ここでは経済運営の基本的態度としてあげておられます国際収支均衡回復と物価の安定の二つの点について取り上げてみたいと思います。  現在の国際経済のきびしさは、政府も大いに強調されておるところではありますが、それには二つの面がございます。そしてそのことによって国民経済の受ける影響も異なってまいります。その一つアメリカドル防衛強化でありまして、ガットの精神にも明らかに反するような輸入課徴金を実施するまでになっておる。こういった昨今の情勢が、ドルのかさのもとに安住してまいりました日本にとって、たよりにしておった屋台骨がゆらぎだしたといったようなものであります。第二点は、工業化を目ざしておるところの低開発国の工業製品に対して特恵関税を認めざるを得ないといった、南北問題が激しくなっております。これらの工業製品と競合することの多い日本の中小企業の製品が、輸出市場の面と国内市場の両面から深刻な打撃を受けることは明らかであります。このように、貿易収支は黒字であっても貿易外収支が赤字になる、結果として全体が赤字になるというような、いわゆる中進国型の日本経済におきまして、ドル防衛と特恵関税、両面にはさまれまして、今後の国際関係が一そう苦しい立場になる。しかも、その深刻さが国内の産業一様ではない。部門、業種によってその深刻さが著しく異なるということを考えておかなくてはならないと思います。  次に、物価の安定でございますが、こういった外的条件に対処する根本、これは日本経済の体質改善でありますが、これがこれまでの政策によって非常におくれておる。その上に、政府の放漫財政が拍車を加えておるということであります。もう少し申しますと、日本国民経済は、前資本主義的な農林漁業、さらに職人的な加工業の上に、二重構造といわれる企業間格差をかかえております。そうしてそこには、資本系列、労働力構成、いずれの面から見ましても、いわゆる特異な日本型の構造を持っておることは、御承知のところであります。この日本経済の構造的特質を十分に考慮しないで、一般的な資本原則に基づくところの景気対策であるとか国民所得推計というものを全面的に適用せんとするところに、初めから無理があります。池田内閣に始まるところの高度成長政策が、政府の投融資を拡大して民間投資をあおってきた。大企業優先の特別措置によって国民総生産は上がりました。しかしながら、農林業及び中小企業の体質改善は、期待されたようには進んでおりません。それに依存しておるところの国民の生活必需物資はどんどん高くなりまして、国民所得増倍をキャッチフレーズにしておるところの高度成長政策がこの面から破綻したということは、皆さんの先刻御承知のところであります。今次内閣がそうした高度成長政策のあとを受けまして、安定成長を旗じるしに進めてまいりましたが、四十一年度や四十二年度予算案では、この膨張した国民所得計算を基礎にいたしまして、消費的な支出政府投資、これのおおばんぶるまいをやり、その結果が今日の物価騰貴やインフレ傾向に拍車を加えておるということは、たとえば四十一年から始まりますところの投資超過、資金不足ということにもあらわれております。今日の国民経済にとりましてまず必要なことは、農業や中小企業生産性を高めるための体質改善であり、政府がこれに対して抜本的な対策に乗り出すべきときだと思います。そういった政府の抜本的な対策が、国民生活に対する慎重な配慮とともに進められることによって、初めて日本経済の体質改善は可能となり、国民総生産では世界で二、三位にありながら、一人当たりの実質所得では二十何位といった世界でも類のない日本国民生活を改善するということもできるようになりましょう。今日当面しておるところの物価騰貴やインフレ要因の進行は、国民の生活改善要求がそれを満足するに足るだけの財貨を提供されておらないというところによるものであります。この国内の物価騰貴やインフレ要因を解消することなしに、輸出を振興しよう、国際収支改善しようとしても、むだであります。輸出振興の根本的な対策は、まず国内の物価騰貴やインフレ要因を排除することであります。しかも、それを国民に耐乏生活を強制することなしに実現する方法は、財政の非生産的な支出を圧縮するとともに、農業や中小企業生産性を高めるために政府が本腰を入れた対策を実施することが必要であります。  以上述べましたような国民経済の問題点から、今年度予算案にどのような配慮がされておるのかという点を二、三点あげてみたいと思います。  第一点は、今年度、四十三年度予算案規模国民所得の関係であります。政府財政規模国民所得の何%ならばよいかということは、そのときの国民経済の状況と財政収支の内容によって異なります。民間投資や消費が盛んになって景気過熱のおそれがあるというときでは、まず政府の消費的な支出を主としたところの財政規模を思い切って削減するというのが常識であります。政府景気抑制を旗じるしにしておられるのですから、財政規模の縮小に相当努力されたようではありますけれども、はたして抑制型の予算になっておりますかどうか四十二年度伸び率に比較しますと、四十三年度伸び率は若干低いように見えます。しかし、それは種々の帳面上の操作をした結果でありまして、第一、比較の対象になっておる四十一年度や四十二年度というのは、おおばんぶるまいをやって今日の物価騰貴や財政硬直化を引き起こしたというものなんだ。したがって、その伸び率がそれに比べればやや低いといっても、安心するわけにはいきません。また、四十三年度政府見込みの経済成長率以内にとどめたといいましても、四十二年度の繰り延べ分が四十三年度支出に加わってまいります。それに地方税交付金を当てにした地方財政膨張が含まれます。そうしますと、全体の財政支出は、相変わらずの刺激型になります。したがって、政府は、口には景気抑制を申しながら、実際の予算案では反対になるようにしてあるというふうに言っても過言ではなかろうと思います。政府が本気で景気抑制に取り組まれるというのであれば、まずこの膨張した財政支出、ことにこの消費面の財政支出を圧縮することが先決であります。  第二点は、歳入面における国債発行と税制改革であります。四十三年度の国債発行額は、四十二年度よりは若干低くなっております。しかし、なお六千四百億円が予定されております。今日の国債発行が、公共事業に限定された建設国債を主としておる、市中消化の原則を守るならばインフレにならない、こういう理由で復活されたものでありますが、その結果が昨今のインフレ傾向に関係がなかったと言えるでありましょうか。なるほど国債の発行そのものは、必ずしもインフレ要因ではなく、順調に消化されるならば通貨収縮の一つ手段でもあります。しかしながら、一度市中に放出された国債は、信用創造や通貨増発の手段になります。さらに、国債を財源とするところの政府の放漫財政の源泉にもなります。すなわち、政府が国債発行によって民間から吸い上げた通貨分を、そのまま蓄積に充てるというのならば、インフレ抑制の手段になりますけれども、国債発行を当てにして消費的な支出やむだの多い政府投資拡大するということであるならば、激しく景気を刺激して、蓄積とならない国民経済にはインフレを激発することはあたりまえであります。したがって、国債発行は、単に市中消化の良否ということだけではなく、政府支出内容国民経済の状況を慎重に考慮して伸縮すべきものであります。景気抑制の旗じるしを掲げながら多額の国債を発行して、ばく大な消費的支出を続けるということは、矛盾もはなはだしいと言わざるを得ません。ことに最近の国債のように、国債の市中消化が悪くなっておりますが、そうなりますと、その発行価格を引き下げ、税制面で特別の優遇措置をする、こんなことまでして国債を売りさばかねばならぬということ自身が赤字国債の実態を示しております。  国債の問題はそれくらいにしまして、四十二年度の税制改革について、その特色を述べてみたいと思います。  所得税の減税額と酒、たばこの増税額を相殺しまして実質減税ゼロといっておるのでありますが、物価が騰貴して生活費が上昇しておるときに国民の名目所得も大きくなるのが普通であります。したがって、これに対して所得税の免税点や累進税率をもし従来のままで適用したら、これは事実上の増税であります。しかも、課税対象を低所得層に拡大したことになります。今回の所得税減税がこの点を考慮して若干の手直しはしておりますけれども、ほんとうの意味での減税とは言いがたいものであります。これに比して、大衆必需品であるところの酒、たばこ、そのうちでも最も需要量の多い中下級品にまでも増税をするということは、低所得層に負担を傾斜させた大衆課税であります。しかも、それらの品物は政府が独占的に支配しておるものであります。国民はほかに代替品を求めるわけにもまいりません。どんちゃん騒ぎをしておるところの公用族だとか社用族はいざ知らず、一本のたばこ、一ぱいの晩酌に一日の疲れをいやさんとするような低所得層の勤労者にとっては、まことに残酷むざんな悪税と言わざるを得ません。  さらに、これを租税徴収によるところの景気調整作用から見ますと、所得弾性値の大きいところの所得税と、弾性値のきわめて低い酒、たばこ税を総金額で相殺するというのでありますから、税制によるところの景気調整の機能はぐっと低くなります。したがって、そこには税制面での新たな硬直化要因を加えることになります。  インフレを押えるということだけから言えば、最も簡単明瞭な方法は増税であります。しかし、これは国民に耐乏生活を強制することによって収拾する道であります。国民が納得するに足るだけの増税理由を明らかにして、負担の均等化に細心の注意が払われねばならないと思います。ことに、日本のような特異な国民生活となっております場合には、放漫財政のしりぬぐいを低所得層に傾斜させるような方法で押しつけるのでは、国民は決して納得いたしません。今回の税制改革には増税理由があいまいであるとともに、負担均衡化の配慮が足りないというふうに思います。  第三点は、財政支出硬直化対策として取り上げられております諸問題であります。  まず公務員定数の五%削減でありますが、年々増加の一途をたどってきました公務員定数を、わずかでも削減されるということけっこうなこととは思います。しかしながら、その前に断行してもらいたいことがあります。それは公務員の経済件を高めるということであります。すでに無用の長物となっておるような行政機関を思い切って整理をする。腐敗、汚職のはなはだしくなっておるところの公務員の綱紀を粛正し、行政責任者が率先して官庁全体の能率を高めるということであります。行政機構や公務員制度の根本的な改革を中途はんぱにしておいて、財政硬直化を理由にした画一的な定員削減ということにとどめますならば、それは公僕であるところの公務員が国民に提供するところのサービスを削減させたということにすぎないと思います。  次に、食管会計への繰り込み分二千四百億円を用意して生産者米価の引き上げに備えますとともに、消費者米価にスライドさせるということを前提にしました総合予算主義でございます。現在の生産者米価は、国際米価に比較しますと非常に高いものであります。しかもなお、農民の収益は十分保障されてはおりません。政府は農協関係者の要求に譲歩して生産者米価の引き上げを予定しながら、その財政負担を一定限度内に押えて消費者米価に転嫁するという一手段としてこの方法が考えられたと思いますが、これでは政府がいままで実施してまいりました農業合理化政策に完全に矛盾いたします。とともに、政府の最大の公約でありますところの物価対策はどうなります。米をはじめとするところの食糧価格の騰貴は最近問題になっております公共料金の値上げと並んで、消費者物価や賃金を大きく騰貴させ、そのことがまた財政の上に新たな硬直化要因となってまいります。この悪循環を断ち切るためには、農業や中小零細企業など、おくれた産業部門の生産性を高める以外に道はありません。中途はんぱな補助金政策の再検討と、政府投資によるところの思い切った開発計画の推進が必要であります。金融操作によるところの景気抑制策が強められますと、中小企業の倒産が相次いでまいります。工業化政策にあおられて農民の離村が進んでおります。こういった今日の国民経済のもとに後進部門の合理化にはよほど強力なてこ入れをしなかったら効果がございません。経済体制の均衡を保つということもできません。金融面での景気抑制政策反面に、こういった財政面からのてこ入れ政策が必要であります。  さらに、硬直化対策のやり玉にあげられて大幅な削減を見ました社会保障、教育、住宅建設、こういった公共事業費について、一言いたします。これらの公共事業費は非生産的な投資として景気動向に最も深い関係を持つものであります。昨今では景気刺激の手段としてやたらに増加されてきております。したがって、再検討されるべきところの時期が来ておることは確かであります。しかしながら、それは景気対策の手段として再検討するのではなく、公共事業本来の目的に沿って、その重要性や緊急度、実施効果、こういった点を吟味して考えるべきであります。すなわち、公共事業費は単にその金額の大小が問題なのではなくて、公共利益や社会福祉の内容から取捨されねばならないと思います。  ここで政府が最も力を入れております社会開発の一例として、住宅建設をあげてみます。政府が四十五年度までに建設する目標としてあげておるのは六百七十万戸でございますが、そのうちで政府が直接に手を下すのはごくわずかであって、しかもそれも今回の削減で実現不可能のように聞いております。その上に、政府が定めましたところの入居資格や補助基準というものは、今日の騰貴した賃金水準や土地建物の価格に比較しましてあまりにも低い。したがって、補助金を目当てに遠隔地に建てた安いものの公営住宅には入居希望者もないといった珍現象さえ生じております。このほか、急速な工場建設や都市化に伴う道路整備、上下水道、じんあい処理、衛生施設、このような緊急に実施されるべきところの公共投資が山積しております。工業化が急激に進んだわりあいに、それの引き起こすところの公害はそのままに放置されておるというのが現代日本の現実であります。そういった緊急の公共事業費をも景気対策のために削減してしまうということは本末転倒であります。公共事業費の削減が必ずしもいけないというのではありませんが、事業の性質によって取捨していくというだけの政治的配慮が足りないというふうに思います。  最後に、これまで述べてきましたような苦しい財政的やりくりの中で、防衛費と軍人恩給の増額が目立っております。水素爆弾三、四個で全国民が吹っ飛ぶというふうにいわれておる今日の軍事情勢のもとで、日本の防衛費は一体何に役立てるのでありますか。そうした防衛論争は一応問題外にしましても、日本の国防費負担を、国民総生産に比較しまして諸外国よりははるかに軽微だなどと結論することはできません。国民一人当たりの純所得、さらに社会公共施設の充実度も計算に入れた真の生活水準から見ますならば、今日の防衛費負担でも必ずしもそれほど低いものではございません。さらに、増額された防衛費がいかなる産業にどのように注文されるのかということを考えますと、四十三年度予算案の旗じるしであったところの景気抑制とか国際収支改善とかということは一体どこへ行ったんだというふうに言いたくなります。  また、恩給制度について申しますと、公務員が長年積み立ててまいりました共済掛け金を恩給という形で受け取れるようになります退職年齢になりましても、恩給でどうにか食えるというのはわずか数年であります。あとは物価騰貴の波に流されまして四苦八苦しておるというのが現状なのです。今日こういった恩給に対して最も望まれることは、給付金の引き上げもさることながら、慢性的インフレによるところの給付金の実質的な価値を切り下げないでもらいたいということであります。今日の恩給増額は、そういった文官恩給よりも旧軍人遺族の年金引き上げを主としたものであります。新聞では圧力団体に弱い政府の正体だというふうに書き立てております。無謀な戦争にかり立てられて肉親を失った応召遺族に対する補償は、敗戦の責任の一端をになうべき職業軍人の場合とは区別して考えるべきだと思います。しかしながら、すでに実施されておる旧軍人遺族年金を主とした恩給だけを特に大きく引き上げるという理由はどこにありますか。物価騰貴によるところの実質価値の切り下げということならば、それは決して恩給だけに限りません。定額の貨幣所得にたよっておる者は、すべてがその実質価値を切り下げられておるのであります。苦しい財政的やりくりの中で軍人遺族年金を主としたところの恩給だけを大幅に引き上げられておるということに、何か将来に含みがあるのかというふうに疑いたくなります。  以上、要するに四十三年度予算案は、内外の経済情勢の悪化に備えまして、景気抑制と財政硬直化の手直しをしようとしたものでありますけれども、これを国民経済立場から見ますと、積年の放漫財政によって生じた矛盾を国民経済に転嫁するということになります。したがって、政府が本気でそのことを実行しようとされるのならば、まず政府が率先して政治姿勢を正し、綱紀を粛正して国民の信頼を問われるとともに、そういった景気抑制の圧力が常に経済力の弱い後進部門に傾斜しがちになるということも十分考慮して、負担均衡化のために慎重な配慮がなされねばならぬと思います。現在の大蔵省はじめ政府関係者がそういったことに相当努力されたのではあろうと思うのですが、でき上がった予算案で見る限り、政治体制の根本問題に触れることを避けまして、枝葉末節のびほう策をやっておる。しかも負担均衡化の配慮よりも、大資本優先や軍備強化の意図が見えておるといった、まことに不徹底、不可解な予算案である。これでは日本経済に内在しておるところの諸矛盾を解消するというよりも、一そう深刻化させるのに役立っておるというふうに思います。  以上でございます。      ————◇—————
  46. 井出一太郎

    井出委員長 これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。阪上安太郎君。
  47. 阪上安太郎

    ○阪上委員 いまお二人の公述人から御意見を承ったわけであります。先刻の長谷川さんに対する質問と同じような質問を申し上げたいと思いますが、ただ加藤先生のほうからはすでに答えが出ておったように私は思うのであります。しかしながら、加藤先生は、統計不足もある、なかなか長期の計量というものも困難であるし、完全なものが出てこないが、それだからといってそれを捨ててはならないのであって、やはりこれは政策に大きく取り入れるべきだ、こういうことでありました。ただ、その場合、ポリシーミックスというような導入のしかたもあるけれども、やはり原則的にはビルトイン・スタビライザーをもっと強化しなければならないのだということでございました。私は、その点は非常にけっこうなことだと思いますが、ただ地方公共団体に、先ほど言いましたようなことで、そういった政府と同じ基調でもってこれをしていくことはどうか、こういうことを私は依然として考えておるのであります。この点について加藤先生から御意見を承りたいと思います。  それからいま一つは、公共投資の面でお触れになりました。私ももっともな御意見と思っております。そしてその公共投資の額においては、かなりなことを政府はやっておるとおっしゃいましたが、私もそうだと思います。ただしかし、その内容が偏向しているのだという御指摘がございまして、その例として、特に公共事業のうちで住宅政策をお取り上げになりましたが、そういった住宅政策等の国民生活に直結する部門について、たとえば、そのほかにも生活環境というような問題がありますが、そういった面についてはなはだしくこれはおくれておる、不足しておる、こういうことでございました。しかしながら、それらを含めていまこういった公共投資を正しい方向に持っていくためにも、先行して土地利用の問題がある、あるいは土地対策の問題がある、もっと端的に言いますと地価対策の問題がある、こういうふうに御指摘になったように思うのであります。  問題はそこで地価対策をどういうふうに進めるかということが問題であろうかと思いますが、もうすでにいろいろな論議がこの委員会で行なわれてきたわけなのであります。しかしながら、一向に肝心かなめの土地利用計画というものを政府は出してこない。したがって、それが出るまでの間は、土地税制にしても手がつけられないのだというような逃げ方をいたしております。これは質問が少し的はずれかもしれませんけれども政府は常々、総理大臣以下、土地政策あるいは土地利用というものを先行させなければならぬという答弁をいたしておりますが、一向にそれが出てこない。そこの原因は一体何であるとお考えになっておられますか。その点をひとつ聞きたいと思うわけであります。  それから、なおそれらと関連いたしまして、私は、政府部内からそういったことでまとまりがつかない大きな原因は、やはり土地を含めた私有財産制の問題であろう、それに踏み切れないところに問題があるんじゃないか、このようにも考えておりますが、あわせて御意見を承れればけっこうだと思います。  それから、加藤先生は、公共投資について、財投とそれから一般会計の投資があるが、どうも一般会計の投資というものが非常に押えられておる。最近では財投へ財投へとこれを持っていかれる傾向がある。このことは、国民の生活を守っていくためには本末転倒ではないか、こういうふうに論じられたと思いますが、いま一度その点について明確にひとつ御意見を承りたいと思います。  それから次に、関先生でありますが、景気抑制と、それから財政硬直、こういう当面日本が遭遇しておる問題について、やはり療法として消費の縮少ないし消費の抑制ということが必要だ、私はその点については異存がないのであります。ただ、この場合、そういうことであるならばあるだけにその反面、社会的な消費あるいは団体的消費というものをむしろ逆に拡大する必要があるのじゃないか。ウィルソンはああいった政策をとりました。けれども、英国はそれ以前に社会的な消費の蓄積あるいは団体的消費の蓄積というものがかなりなされておる。日本はこれがなされていない。ことに蓄積、ストックにおいてはこれはほとんど貧弱なものである。そういった中で、個人消費だけがどんどんと抑圧されていくということになったら一体どうなるか、こういうことになるのでありまして、私はこの点社会的な消費というものをそれなりによけいにやはり力を入れなければならぬ。そこで財政硬直化との関係が問題が出てくるわけでありますけれども、それは先ほどどのように、その内容というものに取捨選択し、重点をどこにおくかということによって解決できる問題ではないか、こういうふうに考えますので、さらにこの点についての御意見を伺っておきたいと思います。  それから、国の財政硬直化の指標の一つに地方交付税があると先ほど御指摘があったように思います。あるいはそうでなかったかもしれません。大蔵省はそう言っておる、こういうことだと思うのであります。   〔委員長退席、正示委員長代理着席〕 しかし、これは御承知のように、地方交付税というものは国税三税にリンクしているわけであります。したがって、地方交付税が二千数百億伸びるというその前提としては、国税三税が伸びておるということなのであります。だから、これをもって直ちに国の財政の硬直の指標だという考え方は私は成り立たぬと思います。この点についてさらにひとつ御意見を伺っておきたいと思います。  以上であります。
  48. 加藤寛

    加藤公述人 簡単にお答えを申し上げます。  第一点は、計量的な統計が十分でないのに、はたしてそれをうまく使っていいかという問題で私はビルトイン・スタビライザーというものをとにかく活用しなければだめなんだ、統計は決して万能ではない。万能ではないがゆえに、かえって政策的にはそれをうまく運営していくような戦略的な拠点が必要になるということを申し上げたわけでありますが、そのようなことがはたして地方の問題にまでも使えるだろうか、こういう御質問だったと思いますが、私はこれにつきましてこういうふうに考えております。  金融政策財政政策と申しますのは、これは経済政府の中での全体的な量的な扱い方でございます。つまり、一つ一つの分野について何をするかということが問題になるのじゃなくて、経済全体の仕組みの中でもってどういうふうに行なわれるかということでございますから、たとえば一つ政策、公定歩合を引き上げますと、その影響は全部の分野に影響してしまって、質的な差をもたらすことにならないわけでございます。ところが、現在の日本で重要なのは、量的なそういうマクロ全体の政策の効果ではなくて、一つ一つの質的なところに足りないところを補っていくというのが日本のいま一番必要な政策でございます。そのような政策をやります場合には、これは各地方ごとを中心としました公的な部門というものが必要になってまいります。この場合、私がいま公的部門と申し上げたのは財政という意味ではございませんで、たとえばその地方独特の公的な企業を考え、その公的な企業が中心になって一つの質的なおくれをとっている分野を開発していくとか、こういう努力をしないと質的な政策実行できない。したがって、ポリシーミックスと簡単に申しますけれども財政金融政策では質的な差を持った政策は不可能である、こういう意味で、財政金融政策はさらに質的なものが使えるような分野、分野のところに一つの戦略点をつくっていくことが必要なんです。こういうふうに私は考えております。  第二点は地価対策の問題でございます。  地価対策がおくれているのはどういうことに一番の原因があるかという御質問でございますが、これは全くいま先生のおっしゃったとおりでありまして、私有制度というものが一つの障害になっていることは言うまでもございません。土地の問題というものは、本来は、これはほかの国の場合ですと、私有制というよりは公共的なものに役立つ限りにおいては、それは公的なものにするというひとつの考え方がございます。ところが、日本に関しましては、日本はこういう私有制というものに関しては、非常に土地に関してもきつくそれを考えていますが、私はそれはあくまでも間違いであって、土地的な都市の集中というものがどんどん起こっております場合には、都市周辺の土地というものはこれはすでに私的なものではない。これは公的なものにすでに性格が変わってきている。こういうものを、いかにして公的なものとして使っていくことができるかということにその一つの飛躍がございますが、その飛躍をしないとどうしても土地問題は解決しない、こういうふうに私は考えております。  第三点でございますが、財政投資が中心になって現在日本はきておるわけでございますが、私が実は先ほども申し上げました意味は、財政投融資政策というものが日本一つ財政の特色でございますが、この特色は日本が非常に弾力的に成長をしているときにはプラスでございますけれども、それがうまく弾力的に合わなくなってくると非常に硬直化の問題を起こします。このような意味で、たとえばことしの場合もそうでございますけれども一般会計を非常に押えましたために吸収できなかったものについては、すべてそれを財政投融資でもってまかなってしまうという形にやっております。したがって財政投融資は、これは一三%の増加になっておりますが、政府の考えによりますと、それは十数年来の最低ではないか、こういうふうにいわれておるわけでありますけれども、それは高度成長を継けているときには、一三%という成長率は決して大きくはございません。しかし、ことしのように日本成長を安定させていかなければいけないのだということを考えているときには、その一三%という数字を、十数年来のものと比較して低いからいいのだ、こういうふうに結論いたしますと、財政投融資でもってすべてのものが吸収されてしまって、財政全体の縮小とかあるいは財政全体を政策的に運営するということができなくなってしまう、こういう危険があるわけであります。そこで、財政投融資というものは、もちろんこれは活用していいものではありますけれども一般会計の中でもって考えられない問題をすべて財政投融資におんぶさせてしまう、こういう考え方では困る、こういう意味で申し上げたわけでございます。
  49. 関順也

    ○関公述人 順序が地方交付税のほうが先でございましたか、ちょっと忘れましたが、地方交付税の問題に触れまして、それが財政硬直化のあれじゃないかというお話でございました。私はそういう意味で申し上げたのではございません。全体としての日本財政を考えます場合に、ことに景気対策という問題を考える場合には、中央・地方両方を含めて考えなくちゃならない、そういう意味で全体としての財政支出膨張しておるという意味で申し上げたのでございます。  それから、社会的投資の問題でございますが、これは加藤さんと全く同じでございまして、この問題に関して申しますと、財投が一三%ということ自身に問題があるわけでございます。つまり国民所得理論のほうから申しましても、景気対策を考えます場合には、総貯蓄と総投資関係を考えていかなければならぬわけでございます。そのことが資金面でいえば、いわゆる政府資本不足という形になってあらわれるわけでございます。過去の例を申しますと、これは日銀の統計ですでに発表されておるのでございますが、高度成長政策といっておるときでも、三十五、六年の場合には、地方公共団体とそれから公社なんかの場合には非常に資本不足でございました。ところが、政府のほうはむしろ資本剰余がございまして、それである程度ブレーキをかけておったわけです。ところが、四十一年度から地方公共団体のほうの資本不足と、それから政府自身の資本不足、要するに政府が税金その他のほんとうの収入から政府の本来の支出を差し引いたものが政府投資に充てる分になるわけですが、その足らぬ分を結局財投に持っていくわけです。ですから、その財投がふくらむということ自身は、これはいわば投資を借金であふっていくということになるわけです。そういう意味でむしろ一般会計の規模よりも財投のふえ方、それからその内容、こういったような問題を十分考えますと、先ほど来加藤さんも言っておられますように決して抑制型じゃない、刺激型になっておる。  その中で、先ほどお話しの社会的投資の問題、これはお話しのとおりでございますが、いま申しますようにワクがございます。つまり社会的投資だから何ぼでもやってもいいということにはならないのでございまして、そこでいわゆる政府の本来的な消費的な支出というものをできるだけ削減する、いわゆる人件費、物件費、そういったようなものをできるだけ削減してそうしてその費用をこの社会的投資に回さなくちゃならぬ、その配慮がどこまでできたかという点で先ほど来申しましたのです。そうして、いわば蓄積した社会的投資に充てる分を、いわばなけなしのものを使うわけですから、できるだけ効率を高く使ってもらいたいという意味で、先ほどお話しのように、内容、つまりどのような社会的投資に何をどのように充てるかということ自身が一つ問題でございますし、それからその使い方が問題になろうと思うのです。使い方につきましては予算面ではわかりませんが、しかし年間の使い方にロスがないかどうか。最近の新聞なんかで見ておりますと、会計監査なんかで出ておりますいろいろなもののロス、そういったようなものについてどこまで圧縮して、そういうものをなくしていくことができるか、この二点から、結局社会的投資は一定のワクの中でやらなければならぬし、そのやる社会的投資をできるだけ重点的に効率的に使わなくちゃならぬ、こういう意味なんでございます。
  50. 正示啓次郎

    ○正示委員長代理 次に、塚本三郎君。
  51. 塚本三郎

    ○塚本委員 加藤先生に三点ほどお尋ねしたいと思います。問題を浮きぼりにするためにちょっと極論的な表現でお聞きしたいと思いますから御了承いただきたいと思います。  第一は、先生は都市対策について非常に詳しく見解をお述べになりました。その都市対策の根本は、先ほどの御質問にもありましたように、やはり何といっても地価対策に一番の問題点があるというふうに判断されるわけでございます。ところが地価対策は一般の政治的な見解でこれを論ずるということがいままで行なわれておりましたが、市民の感情から申しますると、実は証券界、株に投資しては不安定だから土地に投資しておくのだ、こういう考え方あるいは銀行なり郵便局に貯金しておいても利息よりもインフレのために実は物価が上がってしまって利息とついついになってしまう。こんな状態であるから、いま土地がほしいわけではないが、いわゆるこの二つの問題のかわりとして土地が買われておる。したがって、大都会でもあちらこちらにずいぶんあき地があることは御承知だと思います。したがって、土地の問題を土地として論ずるよりも、株券のかわりあるいは金融機関への預金利息のかわりに、それよりももっと安全であり、かつまた確実な投資の対象としてこれがとらえられておる。だから、あき地がありながら実は産業界にこれを使うことができない。金融界またそれを見越して、担保ありますかということは土地がありますか、こういうふうに聞くのと同じことでございます。建物、機械、そんなものは担保の対象になりませんと、こういう返事が返ってくるわけでございます。だから全く、いわゆる担保力としての力というもの、証券のかわりであり、いわゆる預金利息のかわりにこれが使われておる、ここに一番の問題点があるのではなかろうか、これは極論の表現でございまするが、これをどう解決するかということに土地問題の解決があり、ひいてはそのことが都市対策の問題にメスを入れることになりはしないか、これに対する御見解が第一。  それから第二は物価高の問題でございますが、物価高の主役は、何といっても今年度予算で見る限りはやはり公共料金の値上げが主役を演じておることは両先生もはっきりとお述べになったはずでございます。すでに産業界におきましては、国際経済の激しいあらしの中で合理化を進めてきております。したがって、実は産業界におきましては逆にいい品物をつくりながら、なおかつ値を下げて、かつその上で利潤をあげておるというのがあの開放経済下に立つ産業界の姿でございまして、労働者も好むと好まざるとにかかわらずその道に協力をさせられておるという立場に立っております。ひとりこのとき、独占企業である公共料金だけがいわゆる産業界のこの流れに対して超然として値を上げてきておる、こういうところにございます。いわば日本のインフレの根本は政治的なインフレでございまして、経済的に根源を発するものではない、こういうふうに判断されるわけでございます。これも私の極端な表現かもしれませんが、これをどう解決するのか、これが第二番目のお尋ねでございます。  最後に、これら公共料金の値上げをはじめとして、一連の行きつく先はやはり財政硬直化というところに結びついてしまうわけでございます。ところが財政硬直化をどう改めたらいいのか。もはや国民の、あるいは産業界における担税力は限界に来ておるのではなかろうか。まともに働けば、利益を出せば、それは実は税金に奉仕をするだけのことなんだということでもって、まともにこれ以上働きたがらない。残業を拒否するところの労働者の気持ちの中にも、あるいは産業界が社用族として、実は交際費を乱費することも、結局担税力にもう限界が来ておる。これ以上働いてももはやそれに報われる道はないんだという考え方になってきております。であるとするならば、やはりこの際いわゆる効率の高い税金の使い方を考えていかなければいけないのではなかろうか。そうなると、何といっても問題となるのはやはり能率の高い行政能力でなければならない。ところが世上いわれておりますように、官僚政治という形が、お役所仕事で能率が悪いこと、ということは、個人にそれがはね返ってきません。逆に言うならば、びしびしと仕事をする者はかえってじゃまにせられる。これも極端な表現でございまするが、そういう空気が今日のお役所の中には充満しておる。だから思い切った行政の整理をしないことには、そうしてそれをいわゆる直接事業費に回すことを考えていくということでなかったら、国民はいわゆる政治のために、あるいは行政のために働かさせられておる、こういう気持ちさえも受け取ってきておるわけでございます。そういうふんまんが、あげて政治家に対する非難という形で投げかけられてきておるのではなかろうか。こういう点で、どうしたら根本的に行政機構を改革することができるか。  もう一ぺん申し上げると、第一は地価対策に対して、証券と銀行利息、実はこれがインフレによっていわゆる帳消しにされてしまっている。ここから、土地へと手が伸びてしまっている。第二が物価高の主役はいわゆる公共料金の値上げという政治的インフレなんだ。第三は行政機構を根本的に改革する道は何か。この三点についてお尋ねしたいと思います。
  52. 加藤寛

    加藤公述人 三つの問題につきましてお答えをいたしたいと思いますが、第一は都市の集中化ということを私は申し上げました。その大きな中で問題になるのは地価の問題だというふうに申し上げましたが、その地価は実は有利な投資対象になるために地価の上昇が起こるということを否定することができないということでございます。私もそういう面があることは否定いたさないのでありますけれども、むしろそういう点に問題になりますのは地価がそれではどうして有利な投資対象になるのかということでございましょう。そうすると有利な投資対象になるのだということは、土地を持っていれば必ず上がるのだということがその将来の見通しになるからであります。そこに問題がひそむわけでありまして、現在のように、日本都市化という問題が放任されておりますと、どんどんどんどん都市に集中することによって土地は必ず上がってまいります。そういうようなことが、土地に対する投資を有利にしている一つの理由でございますから、私どもにとって、こういう問題を解決する場合には、単に貯蓄あるいは株価の問題と比較して、それを解決しようとしても無理であって、重要なことは、やはり都市の分散というものを考えることが必要になります。そのような都市の分散というものがいろいろといままで言われてきながら、それがなかなか実現できない。ということは、一つには、都市はどんどん人が集まってきても、必ずあるところまでくれば集積の不利益が大きくなるから、そこで人々はひとりでに出ていくだろう、私は、こういう一つの楽観的な見通しがあったような気がいたします。そのような楽観的な見通しでは都市を分散することは不可能でありまして、もし都市を分散させようと思うならば、特定の土地に工場をつくった場合には、それを政府が優先的にバイヤーとしてその品物を購入するとか、あるいは土地につきましては、土地の購入を一挙にやってしまうような、そういう公団を考えることも一つでございましょう。たとえば、そのようなことに開銀の資金を使うことも考えられるわけでありますが、そういう手段をとってまいりませんと、巨大都市を解消していくという手段をとりませんと、地価そのものの上昇を結局押えることができないのではないか、こんなふうに私は考えます。  第二の問題は、物価の上昇につきましては、公共料金が非常に大きな主役を占めていると私は申し上げましたが、こういう公共料金の上昇というものが起こりますのは、これはさっきも申し上げましたけれども、物価上昇の第三番目の現象でございまして、一般的には、最初に物価が上がるときには、労働力の不足に伴いまして、労働力の賃金が上がることによって物価が上がってまいります。これが第一期的な現象であります。その次に起こってまいります物価上昇は、低生産性部門から起こってくる物価上昇であります。これは特に農業を中心とする低生産性部門が物価を上げていくわけでありますが、このようなところで物価の問題を考えるのをとめておきますと、第三の物価上昇が起こってまいります。そこで私は、現在の日本では、生産性を上げていくことによって物価問題はある程度解決することは、これは確かに考えられますけれども、それは相当高度の生産性上昇を考えなければ不可能である。むしろ現在日本に非常に大きくなってきているのは、公共料金の第三期的な物価上昇、そのような物価上昇が政治的インフレとおっしゃったわけでありますが、そのことばは妥当かどうか別といたしまして、公共料金というものを上げてきた一番大きな原因は、都市というものに集中してくるということを放任していることにある。このような都市の集中というものを何とか分散させていくことを考えなければ、絶対に資源のアンバランスを解消することはできない。つまり、地域間のアンバランスがある限りは、都市を中心とした公共料金が必ず上がっていくのだ、こういうふうに私は考えます。したがって、私はそこでやはり資源の配分の効率化ということが一つ重要な問題として登場してくるかと思いますが、そのことは第三番目の御質問と関係をしておるように思います。  第三番目に財政硬直化ということから担税能力も限界にきている、ここで行政能力を効率的にやる以外にないのだ、こういう御意見であったかと思いますけれども、私もまことにそのとおりだと思います。しかし、ただ担税能力が限界かどうかということは、これはちょっと私もまだ十分検討をしておりませんけれども、私は一般的な統計から考えまして、日本の担税というものは、税金を払っていることは、GNPで比較いたしますと、ほかの国に比べてそれほど高いとは思えません。むしろ重要なことは、税金を払う不平等、その不平等を是正しませんと、これが私たち国民に、非常に税金が苦しいという印象を私は与えるのではないかと思う。   〔正示委員長代理退席、委員長着席〕  そういう意味ではおそらく税制調査会がいろいろと検討を加えておることだろうと思っておりますけれども、そういう担税能力の限界は、やがてやはり日本にやってくることは事実であります。そのときには行政能力を効率化することが必要でありますが、現在、投資をする、たとえば道路をつくる、あるいは政府がいろいろな公的企業をつくる、その場合の効率的な使用というものがはたしてできているかどうかということに私は問題があるように思います。それはたとえば、政府一つの公企業を使って原料を買う。その場合に、原料を買う、あるいは道路をつくるときの建設が、はたしてコストの点において妥当なものであるかどうかということについて、欧米ではコスト・テスト・プラントというものがございます。それはコストを試験的につくった場合にどうなるかということまで実際に検討してみるという、そういうテスト・プラントがございますが、そういうようなコスト・テスト・プラントのようなものまでもつくって、能率的に考えていくことが必要ではないだろうか。そのことは公共企業というものが公共性という名のもとに赤字になってもかまわないんだといっておったら、いつまでたっても効率化というものが是正することができません。重要なことは、公共的なものというのはやはり企業として能力を発揮し、その発揮した能力によって公共的な仕事をしていくこと、これが公企業の重要な仕事だと私は思います。そういう意味において行政能力の効率化、ある意味では、さらには行政官庁の整理をするということも必要になってくるかと思いますが、そういうようなことを考えていかなければいけないだろうという意味で、私は硬直化の問題については考えておる次第でございます。
  53. 井出一太郎

    井出委員長 正木良明君。
  54. 正木良明

    正木委員 関公述人にお尋ねいたしたいのであります。  物価の問題につきまして種々お話がございました。特に四年続きの消費者米価の値上げが行なわれまして、最近四十三年度におきましては、酒、たばこ、国鉄定期、おそらく本年も引き続いて消費者米価の値上げということは必然的であろうと私は思うのであります。したがいまして、最近よく巷間言われておることは、最近の物価高騰は政府主導型であるというような言い方をされておるようであります。経済企画庁が発表いたしました本年の消費者物価指数は四・八%であるとか、しかも四十二年度から持ち越します、いわゆるげたばきというものが、その中に三・四%あり、あと一・四%しか残っていない。こういうことから考えますと、一・四%でその他のいわゆる四十三年度に値上げされるところの、消費者物価が吸収されるかどうかが非常に疑問であるということも種々言われておるようでありますし、銀行筋の調査によりましても、おそらく四・八%ではとどまることがなかろう。五・五%ないし六%くらいの消費者物価指数の値上げがあるであろうというふうに言われておるわけであります。  そこで、いま関先生のお話の中に、物価指数というものが都合によっては品目が入れかえられて非常にあいまいなものになっておるというようなお話がございましたが、その辺をもう一度詳しく御説明をお願いしたいと思うわけであります。  もう一点。これは両先生にお尋ねを申し上げたいと思うのでありますが、特に四十三年度の公共料金の値上げの中で、国鉄の定期代の値上げということがやかましく言われております。この国鉄の定期代の値上げ、しかも四十三年度には国鉄に対して初めて利子補給を行なうことになっておりますが、こういう一連の問題から考えまして、国鉄の経営の合理化というものが非常に大きく浮かび上がってまいっております。そこで問題を限定してお尋ねを申し上げたいのでありますが、イギリスにおきましては労働党内閣になってから、いわゆる国鉄の赤字につきまして、赤字線の解消ということが真剣に取り上げられておる。同時にまたもう一つは貨物輸送の問題でありますが、鉄道の貨物輸送とそれから自動車によるところの道路貨物輸送との間には、これはもう完全にコストにおいて競争にならないものであるということが定説になっておるようであります。鉄道はレールを敷き、そうして相当な資本投下をその運賃の中に込めなければならないが、貨物自動車、トラック輸送の場合には、道のほうは全部国のほうでやってくれ、その点におけるところの資本投下は必要がない。簡単に申し上げるとこういうことらしいのでありますが、そういうことによって、いわゆる道路と並行するところの鉄道貨物運賃につきましては、これはもうとうてい競争にならないのだ。したがって、西欧では道路また鉄道の輸送について統合すべきであるというような意見が出ておるようでありますが、こういう点について、もしお聞かせ願えるならば、私たちに教えていただきたいと思うわけであります。  以上、この二点を両先生からお願いいたしたいと思います。
  55. 関順也

    ○関公述人 物価指数のことを先ほど申し上げましたのですが、物価指数の中に消費者物価指数と卸売り物価指数が日本では指標になっておるわけでございます。かつて、池田内閣の時分によく言われたことなんですが、卸売り物価指数があまり上がりておらぬ。消費者物価指数は上がってもたいしたことはないという形で、ずいぶん長い間議論がされたと思うのですが、こういった物価指数を見ます場合に、何%ということがよく問題になりますけれども、まずその場合には、基準年次をいつにとっているかということを明確にしてかからなければならない、これが一つでございます。つまり、基準になる年が変われば、指数が変わるのはこれはあたりまえの話でございます。ところが、だんだんこう上がってくる。そうしますと、この上がったときをまた基準にして指数を割り出してまいりますと、これはあまり上がっていないように見えるわけです。そういった操作か一つございます。先ほど申しました日銀の卸売り物価指数の計算が今度変わったということが新聞に載っておりました。まあ新聞に書いておる範囲のことだから、私、まだ直接その実際のやり方を詳しく調べておりませんのでわかりませんが、これによりますと、結局この基準年次の問題もございますが、さらにこの卸売り物価指数にどのような品目を取り上げるか。非常に物価が、全部が一せいに同じ率で上がるわけじゃございませんので、同じ卸売り物価指数の調査品目にしましても、非常に高く上がったのや低く上がるのがございます。その場合にどれをとるかということは、本来的にいえばそういう指数じゃなくて、経済の実勢の上で何が重要品目になるかという観点から選ばるべきはずだし、またそうなっておると思います。そういう観点から選ばれたのであろうと思うのですが、結果から見ますと、上がりの低いものを入れて、上がりの高いものが排除されている。したがって、全体としての卸売り物価指数は低く計算される。つまり、同じ物価であっても低くなるようになっております。ですから、これから後発表される日銀の卸売り物価指数を以前の物価指数にそのまま比較して何%上がっているとか上がっていないとかいったって、これはちょっとおかしいというふうに考えなくてはならぬと思います。それから消費者物価指数につきましても同じことでございまして、どのような品目をどのようにそれに入れるかということによってパーセンテージが変わってまいります。つまり、最近で申しますと、食料品であるとか、要するに日常生活必需品、それからまた公共料金も含めまして、そういったものは非常に上がりが大きいわけですし、それから、それほど上がっていないものもある、どういう品目をとるか、これが重要でございまして、その操作をされたら、これは消費者物価指数を比較されたって意味がないということになります。それからもう一つ、私どもにとりましての生活実感からいたしますと、それほどこの消費者物価指数だのに、われわれの生活実感としてはもっと苦しいということを考えます場合には、ウエートのかけ方が違うわけです。つまり私たちの生活の中で、エンゲル係数から申しまして、米代に払う比重というものが何%であるか、そういったウエートのかけ方によって生活は実際は変わってまいる。つまり米代がうんと上がる場合と、何か高級品が上がった場合とでは違ってまいります。しかもそのエンゲル係数の相違は、所得の高い低いによって変わります。したがって、生活必需品が非常に値上がりをしておるという場合は、消費者物価指数はそれほど上がっておらぬでも低所得層にとっては非常に苦しい生活になりますし、ぜいたく品が上がっておるのならば、物価指数としては変わらなくてもそれほど低所得層にはこたえない。そういったのが常識でございます。したがって単に消費者物価指数だけからと、私たちの生活実感として物価がどれほど上がっておるかということとはそこにズレが出てくる。この点を十分に考慮してかからなければならないというふうに思います。  それから公共料金の問題でございますが、そうして特に国鉄の問題が出ましたのですが、確かに先ほど来もお話が出ましたように、こういった公共料金をどこに置くか。一つはいわゆる独立採算制に基づくところの企業ベースに乗せていく。そのためにはいろんな計算をした結果どうしても値上げをしなくちゃならぬということになってまいりましょうし、先ほど出ましたような赤字路線は解消する。それから貨物についてのいろいろな割引なんかについても考える。いろいろいわゆる一企業としての経営体としての問題がありましょう。現在の国鉄がそれに対してどこまで、いわゆる一般の会社に比べまして企業能率をあげておるかという問題は、これは経営としての問題がございますが、私は元来、鉄道を国営でやって国有鉄道としてあるということ自体が、単にこういうような採算ベースに乗るか乗らぬかの問題ではなかったはずだと思うのです。つまり場合によりますと、地方を開発していくために、ときによりますと赤字をもかかえなくちゃならない。つまり非常に大きな社会開発の意味を持ったものが国営なんです。そうでなければ、何のためにわざわざ国家が鉄道をやるかということになります。戦前はいわゆる軍事的配慮もございましたでしょうが、戦後の場合にはそういったような軍事的配慮は、少なくとも表面にはないはずなのです。しかしながら、国家が鉄道に関係しているということの中には、単に採算ベースという——もちろん経営自体は一般企業に負けないように最も能率的に経営するということは、これは当然でございますが、と同時に一方のほうにおいては、いわゆる社会公共性という問題が入っておるはずなんです。単に料金だけの問題ではないはずだと思うのです。その点を十分に考慮して、つまりいわゆる企業ベースに乗せるということと、それから少なくとも鉄道の持っておる社会公共性というもの、両方を配慮して、国家が財政の中に位置づけなくちゃいけない。それをただ財政硬直化の打開とか、財政面だけから操作する。最近はとかく景気調整とか財政面が非常に先に立ってまいりましたが、やはり一方ではそういう事業自体の性格ということを十分考慮して、場合によっては、現在は赤字でも、どうしてもやらなくちゃならないというところもございましょうし、いろいろあると思うのです。ただ、よく新聞にも出ておりますように、とてつもないところに鉄道を引張ってみたり、駅をつくってみたり、いわゆる票田との関係からやるというような、これはけしからぬ。しかし、もっと社会的、全体的な立場から、単に赤字をおそれるというのではなくて鉄道が運営されなきゃならぬということだけは言えると思います。  以上です。
  56. 加藤寛

    加藤公述人 国鉄経営の合理化という問題でございます。私はかように考えます。  国鉄経営というものが合理化をするという問題につきましては、言うまでもなく赤字線の解消ということが第一でありますけれども、これは、いままで国鉄が分類をしていなかったこと自身に問題がございます。つまり、赤字になるもの、あるいは、赤字だけれどもしかし公共的に必要なもの、こういう分類が幾つかなされて、初めて赤字線はどれを整理していくかということ炉問題にならなければいけません。そういう点についての配慮がいままでなされていなかったのでありますが、昨年からこれについて取り組んでおりますので、赤字線の解消につきましては、これは私は省略さしていただきますが、ただ一つここで申し上げておかなければなりませんのは、鉄道というものは、これは先ほどの御質問にございましたように、世界的に見ますと、これは経営の成り立つものと成り立たない分野とがございます。その経営の成り立たない分野につきましては、これは十分にこの鉄道というものの将来を考えなければいけないわけでございまして、先ほど私は、バスと鉄道との統合化ということを申し上げましたけれども、鉄道自身、国鉄自身が持っております線の中には、バスの停留所があれば十分であるというような駅がたくさんあるわけです。そういうような駅を整理することによって、人員の合理化というものが、ある程度可能になるはずであります。そういうようなことを考えていきませんと、公共性つまり住民の利益を守りながら、しかも合理化をはかるということができないわけでありますから、バスと鉄道との統合化ということを私は第一に考えるべきことだと思っております。  その次に貨物輸送と自動車輸送でありますが、これはもう明らかに鉄道による貨物輸送というのは、自動車輸送に比べると不利であります。しかしこの不利なものを、いま国鉄は必死になって日通と競争しております。そのような競争関係がありますために、貨物の料金はコストが高いにもかかわらず安くして、そして旅客の輸送のほうがコストが安いにもかかわらず料金は高くしております。このような競争状態がはたしてよろしいのかどうか、私は検討すべき余地があるように思います。自動車のほうは、これは道路に対しては全然投資をしていないわけでありますから、そういう意味で、自動車輸送については、道路税のようなものによって、その道路の建設費を吸収するということも必要でありましょう。そういう同じ次元において競争させるということが、やはり必要な第二の条件ではないかと私は思います。  第三に考えるべき点は、国鉄には副業経営というものが認められておりません。これは法律的には決しておかしくないのでありますけれども一般的に国鉄はそういうことをやりたがらないのでありますけれども、副業経営というものを認めることによって、私鉄を中心とした鉄道会社が非常に利益をあげているということはこれは事実であります。そういたしますと、都市交通と競争していきます国鉄としては、当然に副業経営というものもやはりそこに入れていっていいのではないか。やはりそれをやっていかないと、鉄道自身の独立採算制をとることは困難ではないだろうか、これが私は第三に申し上げたい点であります。  第四に申し上げたいことは、国鉄というものが低料金であるということが非常に主張されるのであります。これが公共料金というような言い方で言われているわけでありますけれども、どうもそういうことがあまり中心になりますと、公共企業だから赤字でもかまわないという、むしろ隠れみの的な役割りを果たすと私は思います。そういう意味において低料金がいいのではなくて、国鉄がどれだけの能率をあげて、それが料金を形づくっているかということをはっきりさせるべきである。そうしないと、イギリスがやったような失敗に再び日本もおちいるかもしれない、こういう危険を私は考えますので、公共性というものはあくまでも能率をあげたあとにおいて行なわるべきものである、こういうふうに私は考えます。したがって、企業性と公共性ということがよく二律背反のように言われますけれども、実は公企業にとって大切なことは、企業性を上げて、その上げたところの余剰が公共に奉仕する、こういう考え方で、次元が違うのだというふうに考えるべきではないかと私は思います。  こういう四つの点が、私は国鉄経営の合理化として考えるべきだというふうに思います。  以上でございます。
  57. 井出一太郎

    井出委員長 公述人に対する質疑はこれにて終わりました。  公述人各位には御多用なところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  以上をもちまして公聴会は終了いたしました。  明七日は午前十時より委員会を開会し、一般質疑を続行いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時十六分散会