○小山省二君 ただいま
大蔵大臣から報告のありました、
昭和四十一
年度一般会計
歳入歳出決算外二件につきまして、自由民主党を代表いたしまして、
総理並びに
大蔵大臣に対し、二、三の点に関し
質問をいたしたいと存じます。
私があらためて申し上げるまでもありませんが、
昭和四十一
年度決算はこれから審議がなされるものであります。したがって、ただいまここで、四十一
年度決算そのものの内容につきまして詳細なお尋ねを申し上げるわけにはまいりませんが、過去並びに現在の
決算を通しまして、かねて私の疑問といたしておりますことを総括的にお伺いをいたすわけでありまして、四十一
年度決算審議の前提をなすものとお考えを願えればよろしいかと存じます。
昨年の六月、第五十五
国会におきましてわが党の吉川議員から
発言されたことでありますが、御
承知のとおり、
決算委員会といたしましては、
予算が効率的に使用されたかどうか、
予算そのものが妥当なものであったかどうか、
予算の意図するところが十分に実現されたかどうか、これらの諸点を審議するのがその主たる任務でありまして、これがまた
決算審議の重要な柱となり、前提となるものであろうと私は考えるのであります。
そこで、まず第一にお尋ねいたしますことは、毎年、
決算を議決いたしますつど、
予算の効率的執行並びに不当事項の根絶ということを、繰り返し声を大にして、
政府並びに
関係各省に対し注意を喚起しておるのでありますが、今日まで依然として
改善の実があがらないばかりか、いわば、その場限りの警告、勧告として、委員会の結論は全く無視され、その結果、いかなる
改善が行なわれたか、指摘事項がどのように処置されたか、ただいままで何らの報告がなされていないというのが
現状でございます。
政府関係者がしばしば御答弁の中に、
改善されつつあると指摘されておりますが、ここ数年の会計検査院の統計等を見ましても、一向に減少の傾向を見せておらないのは、はなはだ遺憾にたえない次第であります。しかしながら、行政管理庁が取り上げ、推進されている一省一局削減案や、公団公社の整理案等が、おそまきながら非常な熱意を傾けられて、
合理化計画を
昭和四十三年三月七日 衆議院
会議録第九号推進されておりますことは、深くその労を多といたす次第であります。したがって、行政姿勢を正すためにも、また今後の
決算審査の効果を確保し、
政府の責任を明確にいたしますためにも、特に重要な
改善事項と認めた点につきましては、そのつど、委員会の決議あるいは委員長の強い要望事項として、
関係各官庁に処置方を求め、
政府からその結果を必ず報告するという義務づけを願いたいと思うのでありますが、
総理の御
所見を承りたいと思うのであります。
近時、突如として、
財政の硬直ということが強く打ち出されておるのでありますが、何が硬直であるのか、その
原因は何か、その硬直を正すには、いかにしたらよいかということになりますと、その診断、治療は、むしろ
決算面からの厳格なる審査を通してこれを正すことが、最善の道であろうと考えるのでございます。
そこで私は、英国の
決算制度を思い出すのでありますが、聞くところによりますと、イギリスでは、議会においてなされた
決算審査の決議あるいは勧告等は、行政庁が将来適切な処置をとるよう、
国会がこれを強制することができるということであります。すなわち、英国の
決算制度の特色は、
決算委員会の審議の結論がそのまま放置される事例はなく、すみやかに具体化され、活用されるよう、定められておるということであります。
また、アメリカの
決算制度を見ましても、その審査のやり方は、わが国の制度と著しく
趣旨を異にしており、アメリカにおける
決算は、収支のつど、支出官吏のなす経理行為を会計検査院長が検査、確定するものでありまして、わが国のごとく、一年分の収支の計数書では、
決算の
目的を達することができないといわれておるのであります。すなわち、米国におきましては、
年間の総合
決算では、長い日時の経過等もあり、その審査が満足な成果を得られないところから、さような方法がとられているものと思うのであります。
ところが、御
承知のとおり、わが国の
決算は、会計検査院の検査と、その後における
国会の審査と、二重の調査を受けるのであります。これは、会計検査院が法的見地から、
決算内容の合法性と適確性とを調査し、決定するためのものであり、
国会の審査は、政治的見地から
決算内容を批判し、
予算執行責任者たる
内閣の責任を明らかにするためのものといわれておるのであります。両者とも、すでになされた収入、支出に関して何らの効果を及ぼさないという点では、同様であります。
これに対しまして、アメリカでは、違法な支出は、単に違法支出として批難されるだけでなく、支出そのものが否認をされるのであります。すなわち、違法支出と確認されますると、責任者はその支出した金額を国庫に返還しなければならないということであります。いま私が申し上げました諸外国の事例から見ましても、わが国といたしましては、その
予算の執行にあたっては、一段と厳格にその使い道を正し、
予算の経済的効果、あるいは行政面からの成果等が十分反映されまするよう、
政府としても真剣に考えていただきたいと思うのであります。(
拍手)
いやしくも国民の税金を行使する者が、少額たりとも不当不正の行為があってならないことは、いまさら言を待つまでもありません。私ども議員が、常にこのような問題に深い配慮を払い、審議を重ねておりますのも、一に
予算の執行が適切であったかどうか、国民の信託にこたえておるかどうか、これらの点をただし、責任の一端を果たしたいと思うがゆえであります。(
拍手)
しかるに、今日まで長い間、あらゆる面から、
決算制度のあり方、または
決算審査の効果的な方法を比較検討し、これが
改善方に鋭意
努力しておるにもかかわらず、
政府各機関は、依然として
予算の獲得のみに狂奔し、一たび
予算をとってしまうと、事後における執行や
決算関係については何ら意としない
状態であります。私は、このような考え方の上に立って、
財政の運用が行なわれまするならば、
財政の硬直はいよいよ激しく、
予算ぶんどりの弊害は一向に
改善されないものと信ずるのであります。憲法八十三条は、国の
財政処理について、
国会中心主義を明らかにいたしております。
国会が
財政処理の結果に深い関心を払うこともしごく当然といわなければなりません。
決算が
予算に劣らぬ重要な議案にかかわらず、
大臣の出席すらもきわめてまれであります。
内閣の責任者たる
総理は、今後
決算審査のあり方、または
決算制度をどのように改革あるいは活用されるお考えでございますか。特に国民の政治的不信感をなくすためにも、不正不当な事実に対し、責任体制をどう確立なさるお気持ちでございますか。綱紀粛正を強く打ち出している現
内閣としては、これらの点につきまして、明確なお考えのほどをお示し願いたいと思うのであります。
財政法第四十条には、「
内閣は、会計検査院の検査を経た
歳入歳出決算を、翌
年度開会の常会において
国会に
提出するのを常例とする。」とあり、私どもは、この
提出された
決算を、可能な限り、次
年度の
決算が
提出されるまでに終了するよう審議を進めておるのであります。しかし、
決算の審査結果を
予算の編成時に参考に供するには、あまりにも内容が乏しく、かつ古いので、したがって、新しい
年度のものについても、できる限り資料の
提出を願って、審査を進めたいと思っておるのでありますが、一向に
決算につきましては、
関係当局の誠意のほどが示されておらないのが
現状でございます。これはまことに遺憾しごくでございますが、常にこのような形を繰り返しておりましても、何ら前進、解決するわけではありません。
そこで、私は、いまこそ
政府が、政治姿勢を正すたてまえからも、これらの問題を含め、法的見地から根本的な解決をはかり、委員会多年の要望を実現せられるよう、特段の配慮を強く要望するものであります。
次に、第二点といたしまして御
質問申し上げたいことは、国の
決算が国民に対してあまりにも知られていないということであります。
憲法第九十一条に、「
内閣は、國會及び國民に對し、定期に、少くとも毎年一囘、國の
財政状況について報告しなければならない。」としるされ、さらに、
財政法第四十六条には、「
内閣は、
予算が成立したときは、直ちに
予算、前前
年度の
歳入歳出決算並びに公債、借入金及び国有財産の現在高その他
財政に関する一般の事項について、印刷物、講演その他適当な方法で国民に報告しなければならない。前項に規定するものの外、
内閣は、少くとも毎四半期ごとに、
予算使用の状況、国庫の状況その他
財政の状況について、
国会及び国民に報告しなければならない。」と、報告の義務を強くうたっておるのであります。
ところが、
国会における審議はともかくとして、国の
決算なるものがはたして国民にどれだけ周知されておるかといいますと、これまた
関係者のたいへんな認識
不足があるように思われるのであります。そこで、私は、どのような報告が国民になされておるか調べてみたのでありますが、結果は、官報の附録のようなものが四半期ごとに
大蔵省調査、「国庫の状況」として、大体十カ月おくれの資料で出されており、内容に至ってはまことに無味乾燥、おそらくこの資料が憲法及び
財政法が示しておる
政府に対する唯一の広報義務だといたしまするならば、思い半ばに過ぎるものがあります。村役場や町役場に配付される程度でその任を果たしたとするならば、あまりにも国民を軽視した方法と申さねばならないのであります。
内閣は、少なくとも憲法や
財政法の示す精神に従い、親切でわかりやすい内容にして、新聞等にでも差し込んで、各家庭にくまなく送り届けるぐらいの
努力は当然のつとめではないかと思うのであります。広報の民主化を進める佐藤
内閣としては、いささか片手落ちの感を免れないのではないかと思うのであります。
私は、今日ほど広報活動の必要性を感ずるときはないと思うのであります。
政府がそのような
努力をいたしまするならば、必ず国民は、国家の
財政、経済について深い関心を持ち、私どもが審査をしている
決算の内容も、おのずから国民の一人一人に十分理解が願えるのではないかと思うのであります。
総理、
政府は、憲法に規定された国民に対する
財政報告の義務をどのように理解されますか。今後、
大蔵省の出している、この枯れ葉をかんだような「国庫の状況」なる数葉の報告書を、もっと親切丁寧に、わかりやすい内容のものに書きかえ、国民の前に
提出して、国民とともに国の
財政を考えるということにしてはいかがですか。御
所見のほどを承りたいと思うのであります。
決算は、決して汚職とか黒い霧をあばき、つつき回す舞台だけではありません。その職責は、どこまでも、先ほど申し上げましたように、国民の納めた税金が正しく、効果的に使われたかどうかを審議するところでありまして、それには国民の一人一人の関心と協力を得なければ、大きな成果を期待することはできないからであります。
第三にお尋ねを申し上げたいことは、今日なお、本
決算分に二百五十七億五千四十二万円、さらに前期残分百三十二億四千七百万円、計三百九十億余万円に及ぶ膨大な会計検査院の未確認事項があるということであります。
本件は、いずれも二つの特別会計分を除けば、残余の九割九分は防衛庁の武器購入代金の前払い金または概算払いに関する分であり、古きは三十八
年度にさかのぼるもので、九年、四十年、四十一年と、数年にわたって、いまなおこれらの発注品が納入されておらないというためであります。委員会の報告資料によりますれば、一部の艦船建造費の前払い金を除き、いずれも艦船及び航空機の部品程度で、数年を要するほどの特別機材でもないようですが、これらの督促、整理について、長官はどのような御
方針をお持ちでございますか。いつごろ発注品が納入され、引き続き検査が確認できるのか、これらの見通しについて、まずもってお尋ねをいたしたいのであります。
四十一年を最終
年度とする第二次防衛力整備
計画は一兆三千二百十七億円で、うち装備品
関係諸費は千四百四十七億五千万円でありまして、各国に比較いたしますれば、きわめて低額な防衛費で侵略に対する万全を期しておるのであります。この警備体制のもとで多少不安を感ずることは、支払い方法などは別として、長期間武器もしくは部品が納入いたされない、このような契約状況のもとで、はたして自衛隊がわが国の平和と安全を保障できますか。防衛体制に支障はないのでありますか。多少の不安というのは、実はここにあるのです。このような調達状況下で、万々一にも国土の一部に侵略行為が行なわれた場合、部品が届かぬ、そろわぬでは、一体兵器として何の役にも立ちません。その結果ははたしてどうなるのですか。受注国には
関係がないのですか。そして、その発注方式で武器や部品の補充は万全を期せられますか。かく考えまするとき、防衛兵器の国産化
計画こそ、前向きの形で早期解決を進める必要があるのではないでしょうか。ころばぬ先のつえです。いまからでも海外発注の弊を改め、多少の犠牲は忍んでも、国防の自立体制はすみやかに解決せねばならない緊要の問題ではありませんか。一部の政党には、防衛産業不要論も聞きますが、今日の国際情勢下、自主防衛体制は現下の急務であります。このような
方針は、現に世界の
現状が、そしてわが国国民の決意が、選挙を通して明らかに示しておるではありませんか。(
拍手)長官の御見解はいかがでありますか。犠牲を払わぬ前進などはあり得ません。明確な御答弁を期待いたしまして、四十一
年度決算の
概要に対する
質疑といたします。(
拍手)
〔
内閣総理大臣佐藤榮作君
登壇〕