○
猪俣議員 この
占領中の
混乱状態というものは、
大竹さんもよく
御存じのように、
裁判所なんかも焼けてしまっておったというような
状態、いまの
答弁を見ても、
記録が全部焼けてしまった、
答弁ができないというような
説明員の
答弁もあったようです。終戦直後は、
社会全般が非常に
混乱しておった。こういう
社会全般の
混乱しておったときに、ほんとうに厳正公平な
裁判というものは行なわれるかどうか。これはもうすでに抽象的に
考えても、
結論が出ておると思うのです。しかも、その背後に、
占領軍なるものが非常に強力に
日本を支配しておった。この
刑事訴訟法の
改正案をつくるときに、
起訴状一本
主義というのは、どうも
日本の現在の
弁護士事務所の実力からすると非常に無理があるということで、われわれ
GHQにたびたび交渉に行ったのでありますが、断固として許さないというような
事例から見まして、これはあらゆる
裁判にも
GHQは
関係しておりまして、これは具体的に述べるといろいろありますが、とにかく直接本件に
関係のありまするような
事件を言いますならば、
九州におきます
西武雄あるいは
石井健治郎という人間が中
国人を殺したという
事件がある。この
西武雄、
石井健治郎は
死刑囚になりましたが、この
教戒師をつとめたのが
古川泰竜という人であります。ところが、この人が
教戒師をやっておってこの両人に接してだんだん
事情を聞きますると、そこに非常に無理な
裁判がある。これは
裁判が
昭和二十二年ですから、
起訴はそのずっと前になる。まさに
占領直後の
事件であります。そこでこの
古川氏が「白と黒との間」という本を書いておりました。一度
大竹さんお読みくださいますると、私
どもの具体的な
事情——その本のことを一々ここで申し上げる時間がありませんが、胸を打たれるものがあるかと思うのであります。その他いろいろありますが、結局当時の
社会の
混乱の
状態、
占領軍の
支配下にあったということ、それだから、検事においても、判事においても、
弁護士においても、正常な立場において公平、厳正な、冷静な判断ができなかったということは、想像に余りあると思います。なお、
帝銀事件につきましても、あれは
昭和二十三年の
事件でありますが、これなんかは
アメリカのCIAなんかが
関係した色彩が非常に濃厚でありますし、
裁判についても
相当干渉した点があるわけであります。いま具体的に一々これを申し上げませんけれ
ども、この
帝銀事件の
平沢のいろいろの
記録を読んでみますると、はなはだ疑問が起こる。これは
犯罪後二十年間、
有罪が
確定してから十数年間、
死刑が
執行せられない一つの印象を、法務大臣に与えておると思うのであります。これも
占領期間中、本法の
範囲内に入る
事件であります。こういうような例は他にも多々あるわけでありまするから、そこで、私
どもはやはり限時法にする以上、何かの区切りを置かなければならない。どこで区切るかということになりますと、
占領中ということから、それから
平和条約が発効して
日本が独立したということ、もちろんその前にも
あとにも同じようなことが多々ありましょうが、そうすると限時法でなくなりまするので、限時法としてごく
範囲を狭めまして、やむを得ざるものだけに適用するという、
再審制度の全くわずかな
部分についてのみいまこの立法をしておるわけでありまするから、その起点として、
占領の始まったときからということが妥当じゃないかと思います。