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1968-04-11 第58回国会 衆議院 法務委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年四月十一日(木曜日)    午前十時十七分開議  出席委員   委員長 永田 亮一君    理事 大竹 太郎君 理事 田中伊三次君    理事 高橋 英吉君 理事 濱野 清吾君       鍛冶 良作君    瀨戸山三男君       中馬 辰猪君    馬場 元治君       山口 敏夫君    山手 滿男君       渡辺  肇君    横山 利秋君       麻生 良方君    山田 太郎君       松本 善明君  出席政府委員         法務省刑事局長 川井 英良委員外出席者         参  考  人         (上智大学教授青柳 文雄君         参  考  人         (中央大学助教         授)      渥美 東洋君         参  考  人         (弁護士)   大野 正男君         専  門  員 福山 忠義君     ――――――――――――― 四月十日  委員川上貫一辞任につき、その補欠として松  本善明君が議長指名委員に選任された。 同月十一日  委員千葉三郎君、綱島正興君、岡田春夫君及び  西村榮一辞任につき、その補欠として山口敏  夫君、渡辺肇君、横山利秋君及び麻生良方君が  議長指名委員に選任された。 同日  委員山口敏夫君、渡辺肇君、横山利秋君及び麻  生良方辞任につき、その補欠として千葉三郎  君、綱島正興君、岡田春夫君及び西村榮一君が  議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  刑事補償法の一部を改正する法律案内閣提出  第九三号)      ――――◇―――――
  2. 永田亮一

    永田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出刑事補償法の一部を改正する法律案を議題として審査を進めます。  本日、本案審査のため参考人として、上智大学教授青柳文雄君、中央大学助教授渥美東洋君、弁護士大野正男君の御出席をいただいております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多用中のところ、わざわざ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。刑事補償法の一部を改正する法律案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  それでは、参考人方々には、最初お一人十五分程度ずつ順次御意見をお述べいただき、そのあと委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは青柳参考人からお願いいたします。青柳参考人
  3. 青柳文雄

    青柳参考人 ただいま御紹介いただきました青柳でございます。  この法律案そのものにつきましては、ただ補償金額を増額するということでございまして、物価指数という点から見ましても、昭和二十五年の制定当時に比べますと大体現在三倍に近いと思いますので、その点自由刑あるいは未決拘禁の三倍という数字は、一応妥当な数値であろうかと思うわけでございます。また死刑執行の点につきましては、三倍を上回っておりますけれども、これは最初が安過ぎたようでございますから、この程度ももちろん当然だろうと思います。これらは国家財政見地その他一般の社会福祉等とのつり合いなどを考えて国会でおきめいただくことでございまして、この程度の案が私としては適当ではなかろうかと考えておるわけでございます。この金額の点については、特にこれ以上の問題は私はないように思うのでございますが、これに関連いたしまして、ここに参考人として来ておられます大野弁護士も一員となりまして、日弁連でいろいろ研究なさいました非拘禁者についての補償という問題がございますが、それについて少し述べさせていただきたいと思います。  非拘禁者、これは御承知のとおり、現在の刑事補償法拘禁を受けた者、及びほとんど例はないようでございますが、死刑執行を受けた者についての補償でございます。拘禁を受けなかったけれども無罪判決を受けたという者につきましては、刑事補償としてはこれまで問題にしておりません。もし起訴に当たった検察官あるいは裁判をした裁判官過失あるいは故意というようなものがあるとするならば、それは国家賠償の問題ということになっておるわけでございます。これに対しまして日弁連の案のほうは、そういう故意過失を問題にしないで、刑事補償法と同じような趣旨でもって受けた損害賠償をするという案を提出になっております。これは刑事補償というものの性質をどう考えていくかということとやはりある程度の関連があるわけでございまして、これを無過失賠償である、一つ法律義務だと考える立場と、もう一つは公平という見地から考えていく立場とあると思うのでございます。もちろん、公平と申しましても、これは戦前ありましたような国のお情けというような意味ではなくて、やはり権利的なものでございますから、その性質は、現在はほとんど違わないとは思いますけれども、そこに、そのどちらをとるか、どちらのニュアンスを強く認めるかということによりまして、解釈の差異はないようですけれども、立法をする場合の考え方が多少違うんじゃなかろうかというふうに私は考えております。  これはどういうことかと申しますと、公平ということでありますならば、たとえばこれからまたあとでも触れたいと思いますけれども、気違いだとか心神喪失だということで無罪になったような者、これは現在刑事補償法補償を受けられるわけでございます。たしか神戸のほうで、そういうことで補償請求をして一審が認めたということで、だいぶ世論がごたごたしたことがございました。結局あれは本人が取り下げてしまいまして問題はなかったようでございますが、そういうようなものについて、もし法律義務説立場ならば、やはり賠償すべきであろう。公平説立場からいえば、これはそこまでやらなくていいんではないかということが出てきますので、そういう立法の問題といたしまして考えられると思うのでございます。私は、現在の刑事補償というのは、無過失賠償という色彩はもちろんあるけれども、やはり公平という観点からの考え方も無視できないじゃなかろうかというふうに考えております。元来、無過失賠償というのは、いまさら申し上げるまでもない民法での過失責任についての例外でございまして、これにつきまして民法で認めておりますのは、その事業を経営することによりまして社会的に非常な大きな利益を与えるということのほかに、どうも私、民法はよく知りませんので大きなことは申し上げられないのでありますけれども、その事業者にも利益を与えるようなものについての無過失賠償ということがあるようでございます。国家が何か間違ったことをやった、客観的には間違ったことをやったが、その公務員には故意過失もないというような場合におきまして、いまの民法の無過失賠償ということから申しますと、片方の国家利益を与えるとは限らないという点で多少違いがあるだろうと私は思っております。  それからまた、犯罪の種類が非常に多いということも考えていかなければなりません。公平ということならば、何も無罪だから全部ということにならないわけでございますので、そういう点も考えられると思うのでございます。たとえば無罪の中にも、現在下級審裁判例集など見てときどき見当たるわけでございますけれども、電柱にビラ張りをしたというような軽犯罪法違反無罪とか、あるいは道路交通法違反をする無謀運転についての証明が不十分だという無罪というような、いろいろなものがあるわけでございます。そういうようなものにつきましても、補償を与える必要はあるいはないんじゃなかろうかというふうに考えます。  また審理を受けたということ、拘束を受けますと、確かにその間に働きもできませんので、得べかりし利益その他大きなものがあると思いますけれども、拘束を受けておりませんというと、その計量がはたして可能かどうだろうか、公務員故意または過失があるならば、そこで国家賠償の問題にすればいいんじゃなかろうかというふうに考えるわけでございます。  それからまた、無罪になったからと申しまして、必ずしも社会的非難に値しないとは限らない。先ほどお話ししましたような責任無能力による無罪というものもございます。それからまた、このごろよく刑法で問題になっておりますような可罰的な違法性がないという、つまり処罰に値することの違法性はないけれども、やはり社会的な非難には値するのだというような無罪も、あることはあるわけでございます。そのほか、期待可能性がないということもありますし、それからまたもう一つ根本的には、現在の刑事訴訟法というものは、昔の刑事訴訟法のように職権で証拠を集めて判断をするというたてまえではございません。検察官の主張した訴因について証明があるかないかということでございまして、ある学説によりますと、現在は罪とならずというような犯罪はなく在った、すべて証明不十分だということを申す学説もあるくらいであります。私は必ずしもそれに同調はいたしませんけれども、昔の帝人事件でいわれておりますような砂上の楼閣だというようなことで罪とならずという判断は、確かに減少をしておる。おそらく多くのものは証明不十分であろうかと思うのでございます。そういう場合におきまして、そのすべてに対して特に同情すべきものかどうかは、かなり個々的に違うものがあるんじゃなかろうかと思います。  このようなことでありますので、私としては日弁連のお出しになったものに非常に敬意を表するわけでございますけれども、そこまでやることがいいかどうかは、国家全体の見地から、ほかの社会福祉の問題などとも考え合わされておきめいただかなければならないんじゃなかろうかと思います。  ただ、そこの日弁連の問題の中に一つ入っておりますような、刑事訴訟法改正して、検察官上訴の場合の費用補償を一審の無罪にまで広げたらどうかということにつきましては、私は理論的には賛成でございます。ただ、そういたしますと、刑事訴訟法は現在いろいろ矛盾があるわけでございまして、現在法制審議会刑事法特別部会で検討いたしております刑法改正あとは、必然的にこの刑事訴訟法の手直しをしなければなりません。そのときにあわせて検討していけばまだいいんではなかろうかというような気もいたします。しかし、これはどちらでも私は特にどうということではないわけでございます。  もう一つ日弁連のほうに直接入っているのではないようでございますけれども、現在被疑者刑事補償というものが大臣訓令できまっております。その大臣訓令できまっておるものを法律に移すかどうかということが、問題になるだろうと思うのでございます。私は、結論的にはいま法律に移すべきではないという見解でございます。その点につきまして、多少私の考え方をお話しいたしたいと思うのでございます。  現在の大臣訓令によります被疑者補償規程というものは、これは確かに公平という見地に立って規定をされておると私は思うのでございます。と申しますのは、先ほどお話ししたような「罪を犯さなかったと認めるに足りる十分左事由」ということになっておりまして、嫌疑不十分というものは抜いております。それからまた、責任無能力だということで起訴をしなかったというようなものについても、やはり除外を設けておるわけでございます。したがいまして、ここにはかなり公平的な見地が入っておりますが、もし法律規定をしてこれが無過失賠償だということになりますと、もう少し広げて、現在の国家賠償刑事補償にありますような嫌疑が不十分だというようなものにつきましても、あるいは責任無能力というものにつきましても、賠償をしなければならないということになってくるんじゃなかろうかと思っております。  そこで、もしこれを法律に移して法律義務だということになりますと、捜査段階を現在のようなままにしておいていいのかどうかということが、かなり問題でございます。これは現在非常に議論があるところでございますが、現在の捜査段階は、いわゆる糺問的な捜査観といわれておる見方によっておりますので、当事者的な捜査構造はとっておりません。もしこういう法律義務ということにするならば、当事者的な捜査構造が必要になるんじゃなかろうか。ドイツのように、判断者を判事にするとか、アメリカのようなプリ・トライアル・ジャッジが判断をするとか、あるいは刑事補償法にありますような検察官が第三者の立場判断をするというようなことになっていきませんといけないわけでございますが、現在の捜査検察官司法警察職員との協力ということになっておりまして、いまのような第三者的な判断をするということにはなっておりません。そうすると、第三者的に判断が要るんだということになりますと、また今度は、たとえば起訴猶予という判断を受けた。しかし、自分は嫌疑不十分なんだというようなことをどこかで訴えるところをつくっておかなければならない。おそらくそれは裁判所請求するということになると思うのでございますが、そういうことになりますと、現在たしか全事件の三割以上が起訴猶予になっておるようなことで、それを一々裁判所にそのようなことで請求されましては、現在すでに破産状態にある裁判所負担過重になるんじゃなかろうかというような気がいたします。被疑者補償につきましては、立法例は非常に少ないわけでございまして、ドイツにはあるようでございます。ただこの場合において、ドイツ起訴法定主義で、嫌疑があれば必ず起訴するというしかけになっておるのでございまして、起訴便宜主義ではないということを考えておかなければならないと思います。フランスのように起訴便宜主義の場合においては、被疑者補償規定がないということでございます。  ちょうど十五分という時間が参りましたので、この程度で一応私の意見は終わりたいと思います。
  4. 永田亮一

    永田委員長 青柳先生、ありがとうございました。  次に、渥美先生、お願いいたします。
  5. 渥美東洋

    渥美参考人 今回審議されております刑事補償法の一部を改正する問題は、金額の問題でございまして、これはいま青柳先生がおっしゃられましたように、ほとんど問題はなかろう、このぐらいが相当であるというふうに考えられるものだと思います。この点については、特別な意見を持っておるわけでございません。  ただ、死刑の場合の補償最高額が三百万円でよろしいかどうかという問題については、若干議論があるかもしれません。ただ、現在でも死刑に伴う財産的な損害についての補償を別に考えておりますので、その問題とあわせて考えますと、三百万円という金額を決定するということはあながち不当ではない。その両者を勘案して考えますと、三百万円という金額も相当な金額であろう、こう考えられるわけでございます。  さて、ところで問題になりますのは、やはり日本弁護士連合会から出されております拘禁をされた場合でなくて、非拘禁、非抑留・拘禁のままで無罪判決を受けた場合の問題と、それから被疑者段階における問題というものが、当面わが国で解決をしなければならない問題として議論されているところであろうと思われます。  ところで、先ほど青柳先生刑事補償の基礎に法的義務という考え方と公平の見地という考え方二つがある、こうおっしゃられたわけでありますが、私はこの刑事補償の場合における公平という観念は、民事賠償責任の場合の公平という概念とかなり違うのじゃないかというふうに考えております。と申しますのは、刑事補償が認められるその根拠と、それから民事において無過失あるいは中間責任が問われる場合とでは、その様相をかなり大きく異にしているというように考えるからであります。さらにこの二つがそう違わないということを根拠づけるものとしましては、現行法解釈にあたりまして、公平の見地という立場に立って解釈せられる方々にありましても、法的な義務によって国家賠償を負わなければならないという考え方から出てくる結論をほとんどすべて受け入れておられるという点にも、その根拠を見出すことができるように思います。どうしてそうなるかと申しますと、刑事手続におきましては、通常の場合と異なりまして、必然的に刑事裁判あるいは訴訟活動訴訟行為過誤を伴うものであります。常に誤りを伴うものであります。その誤りは、行為当時においては問題にされないことがありましても、終局的な判決が確定する、あるいは再審によって問題が解決されるときになりますと、その誤りが明らかになる、こういう性格を常に持っております。このような場合に補償をしようという考え方が出てまいりますのは、それぞれの段階で、あるいは捜査機関、あるいは裁判所裁判官というものが、故意過失に基づいて行動したから、したがってその責任国家が負うというような考え方に基づいているものではなくて、それぞれの段階において相当な理由がある、プロバブルコーズがあって、手続を進めている。しかし、それにもかかわらず、刑事裁判というのは人間の行なうものですから、過失を伴う。そういう場合に、過誤を伴ってそれによって損失をこうむった人間と、必然的に過誤を伴いながら運営していく刑事司法を両立させるためにはどうするか、こういう問題から刑事補償の問題が起こってきているものというふうに考えられます。  そういうように考えますと、刑事司法を適正に、かつ、十分に運用さしていくという立法の要求を満たしながら、その中で過誤によって損失をこうむった者に対してはあとう限り補償をすべきである、こういう結論になってくるのじゃないかと思うのです。したがって、国家賠償法の場合と異なりまして、刑事補償法においては、故意過失ということを条件にしていないのだ、こう考えることができるのではないかと思うのです。そのように考えてまいりますと、故意過失を伴わない場合、それからプロバブルコーズが十分ある場合、この場合でも補償を行なっていいわけであります。  ただ、このように考えてまいりましても、現在の規定にもありますように、みずから審理を誤らせる目的で虚偽の事実を述べた場合、この場合には補償対象からはずされているのと同じように、損失をこうむった者がその受けた損失の限度内において補償を受けてよろしいという考え方は、法律的義務だという考え方に基づいても、とってよろしい見解だと思います。  そうなりますと、そこで公平の見地というものが、法律的義務というものに根拠を置いても議論されてよろしいことになるのじゃないかと思います。先ほど青柳先生がおっしゃいましたインセーンティの場合または精神障害の場合、あるいはイントクシケーション、めいていの場合、こういう場合をどう取り扱うかということになりますと、これは現行法のように区別を設けないで補償をするというたてまえがよろしいのか、それともそうではなくて、この場合に補償しなくてよろしいと考えてよろしいのか、この点については、法的義務だという観点から考えていきましても、やはり議論のあるところである。私の個人の考えでは、こういう場合は刑事補償対象にせなくてもいいのではないか、そうしなくても憲法に反することはないだろう、こう考えているわけでございます。  ところで、今度も一日を幾らというような形で換算をしております。日本弁護士連合会で出されておりますものも一日幾ら、そして非拘禁の場合にはその半額という考え方をとっておられるのですけれども、ただ、無罪になった犯罪重大性に照応いたしまして、社会的な非難や、その者の受けた名誉に関する損害というものは、大小軽重があるように思われます。そういたしますと、それらの問題を検討していくにあたりましては、やはり一定の最高金額を定める等の方法をとりまして、事案の性質の相違によって裁判官補償金額を決定するという方法が望ましいように私は思うわけです。  ただ、次に問題となりますのが、日本弁護士連合会のほうから出されているもので、訴訟費用負担の問題です、訴訟費用補償の問題ですけれども、私は、訴訟費用補償は当然行なうべきである、これは現在上訴についてしか認めておりませんが、当然認めるべきであると思います。その際に、刑事訴訟法改正を待つという問題もありますけれども、刑事訴訟法改正がそう近い将来において行なわれるということが考えられない現在におきましては、刑事訴訟法のその点に関する改正は、十分に理由のあるものである、そう考えるわけでございます。  さて、そのほかに、先ほど青柳先生がお触れになりました大臣訓令一号の被疑者刑事補償の問題でございますが、これにつきましては、私は、先ほど青柳先生がおっしゃいましたいろいろな問題が確かにあるように思います。確かに日本ではコミッティング・マジストレートというようなものがおりませんし、それからプレトライアル手続がございません。したがって、どういう理由起訴をしなかったのかということが必ずしも明らかではないように思われます。しかし、そうであるからといって、未決勾留拘禁の後に判決まで至らなかったというものについて、刑事補償をしなくてもいいという理由はない。どうしてそうかと言いますと、公訴提起するに足りるだけの理由があるのに無罪判決がおりたときには、刑事補償を受ける。公訴提起するに足りるだけの理由がないにもかかわらず、その場合には補償を受けない。これは非常なアンバランスであるといわれると思うのであります。そうなりますと、この問題を解決するのにあたりまして、何か客観的な方法を考えるといわれるならば、私はやはり現在の請求手続を活用する方法を考えたらどうだろうか。そしてその請求手続の中で、嫌疑不十分か嫌疑なしかという問題を審理するような方法を考えたらどうだろうかと思うのです。もちろん将来に向かいましてプレリミナリー・インクァイアリーまたはプレリミナリー・エグザミネーションという方法をとってこういう問題に対処するという必要はあると思いますけれども、現在でもできないというものではないように私は思うのでございます。  そのほかにも、この刑事補償に関する問題としましては、一体これが精神的損害に限るのか、財産上の損害も含めるのか。財産上の損害も含める、双方含めるとすると、種々のところにどういう問題が起こるのかということとか、または免訴の場合に、現在の制限がありますけれども、その認定をどうやって行なうのか。免訴の場合には認定手続を行なわなくて補償してしまっていいんじゃないか、そう思われるような点が幾つかございます。しかし、時間も参りましたので、まあ法律的義務だ、青柳先生がおっしゃいますように公平の見地ということを考えてまいりましても、私はどうもいま申したような処理が、近代の刑事補償というたてまえからいくと望ましいものである、そうしなければならないものだというふうに考えるわけでございます。
  6. 永田亮一

    永田委員長 渥美先生、ありがとうございました。  次に、大野先生、お願いいたします。
  7. 大野正男

    大野参考人 刑事補償の問題につきましては、日弁連におきまして過去二年間にわたってこの改正を検討してまいりまして、これはぜひ改正する必要があるということを日弁連で強く要望しているのでございますが、なぜそれではこのことが問題になったかという、少し現実的な問題から考えさしていただきたいと思うのであります。  というのは、非常に結論的に申しますと、刑事補償制度というのは、一国の刑事手続及びその補償手続文明度をはかるバロメーターであるとすらいわれているように、非常にその国の人権保護、擁護という観点から重大な規定でございます。ところが、そういう非常に重大な規定であるにもかかわらず、この現実の利用度が非常に少ないということが問題になっているのでございます。と申しますと、たとえば少し具体的なことを申しますと、無罪になりますものを言い渡されるのは、一年に大体四百五十人ぐらいでございます。これはほぼ一定しているように、多少の増減はありますが、四百人から五百人が無罪を言い渡されてかります。ところが、この政府資料として配付されました刑事補償請求事件一覧表で見ましても、昭和三十九年が百三十二、これは終局人数でありますから多少の違いはあるにいたしましても百三十二。四十年から以降は四十件になるかならないかというようなものでございまして、無罪を言い渡された人数の比率から見ますと、一割そこそこであるということなのでございます。  じゃ、なぜそうなのかということでございますが、それは三つの理由があろうかと考えられます。  一つは、金額が非常に安いということでございます。それからもう一つは、これが未決勾留日数に限られているということでございます。それから三番目に、経済的表面にからみまして、無罪に要した裁判費用が非常に大きいにもかかわらず、それらの補償規定が全然存在しておらないという、この三つになろうかと思うのであります。  金額が非常に安いという――トータルとして金額が非常に安いのでありますが、これが今度の改正で上がるということになっておりますが、そして私ももちろんこれに賛成でありますけれども、この程度のものがいいのかどうかということは、たとえばこの刑事補償制度ができました昭和六年のときに、これが最高額が五円でございました。このときにすら、提案者によりますと、この五円という補償は決して十分ではないけれども、まず初めてつくる制度なんだから、このぐらい安くてもやむを得ないのでは互いかというふうな説明すらされている金額でございまして、私、正確に物価指数を存じませんけれども、常識的に申しますと、おそらく五円という金額は現在の二千円をこえる金額であろうと思われるのでございます。そういう点から申しましても、非常に戦後の混乱期においておくれまして次第に是正されていくということはけっこうでございますが、なおかつ決していまの金額が十分な金額であるとは考えられないのでございます。  それからこの補償対象未決勾留の期間に限られているという点でございますが、この点を特にお考えいただきたいと思うのでございます。なぜかと申しますと、二面があろうかと思われます。と申しますのは、起訴されて無罪になった場合におきますところの、その間の経済的な損失というものがどうであったかと申しますと、たとえばその方が国家公務員ないし地方公務員であった場合には、これは規定によりまして休職になります。休職の場合には、必ずしも法定されておりませんが、最高、給与の六〇%を支払うことになっております。しかしながら、公務員の場合には兼職禁止の規定が同時に働いておりますので、ほかにつとめるということはできないわけでございます。公共企業体などにおきましても、やはり六〇%でございます。それから私どもが調べました範囲でかなりの数の、相当の企業におきます就業規則等を調べましたところが、これも刑事訴追を受けると原則的に休職にするという就業規則を設けているところが非常に多くて、その間の支給に至っては、一番いいところが六〇%で、はなはだしきに至ってはゼロという規定すらあるのであります。このような点から申しまして、無罪になりましても、休職中の給与の補償もございませんし、現在のような昇給ということも全く考えられておらないわけでございます。それともう一つの面、これは起訴されることによっての精神的苦痛、社会的な面での苦痛という点が問題になろうかと思うのであります。非常に不幸なことに、わが国におきましては、たてまえの上では判決があるまでは無罪の推定を受けるはずでございますが、社会的にはこれは訴追ないし逮捕された段階においてもすでに有罪の推定を受けております。たとえば卑近な例を申し上げれば、どんな高位高官であっても、逮捕されるなりあるいは捜索が行なわれれば、その日から新聞は一切敬称をつけません。これはいま申しましたように、社会的にはもはやそれだけで致命的になります。戦前もそうでございましたが、戦後もかなりの疑獄事件がありまして、その相当数が無罪になっておりますけれども、その場合であっても、もはや訴追を受けたというだけで、その期間は政治活動は実際には確実に停止をされるということになっております。このように、現実には訴追を受けたということは社会的にはほうむられる、そして絶望的左状態におちいるというのが、ことに私ども弁護士として見ておりますと、まことに非惨な状況でございます。これはひとえに本人だけではなくて、家族の苦しみというようなものも同様であります。しかもこれは無罪になったからといって、その間の苦痛が慰謝されるわけではございません。こういう点から申しまして、単に勾留されていたときだけの期間、これはいまのこれが可決されましても、現在のあれで申しますと、大体普通の事件であれば、死刑事件等を除けば、大体三十日から五十日の勾留というのが一番多かろうと思います。そうしますと、上げられましても、まずその刑事補償は五万円しか取れないということであります。これでは実際に非常に重大な国家のバロメーターともなるべき法律の実際の運用から見て、あまりにも貧しいのではなかろうか、もう少し現実に合う補償であっていいのではないかということから、日弁連案ができております。  なお、あと一分ぐらい……。裁判費用の点でございますが、この裁判費用というのも、先生方御存じのとおり、非常に膨大になっております。たとえば弁護士費用等もございますけれども、ちょっと気がつかれないのでは、記録の印刷費というのがたいへんな数でございまして、その資料も幾つか持ってまいりましたが、最近の刑事事件等では、一回の証人の一日やりましたものの公判調書を七部くらい写しますと、すでに一万円をこえております。一回について数万円を要するのでございます。したがって、公判が重ねられますと、印刷費だけで実に百万円になったという例は、決して少なくないのであります。こういうような点から申しまして、いまのような補償は、やや極論するならば、非常にけっこうな法律であるにもかかわらず、それがほとんど運用され得ないような、そういう実情にあるという点に御留意いただきまして、法案の御審議をしていただきたいというふうに思っております。
  8. 永田亮一

    永田委員長 大野先生、ありがとうございました。      ――――◇―――――
  9. 永田亮一

    永田委員長 これより参考人各位の御意見に対し、質疑を行ないます。  この際、委員各位に申し上げますが、大野参考人は所用のため午前十一時十分ごろ退席いたしたいとのことでありますので、大野参考人に対する質疑を先にやっていただきたいと存じます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。大竹太郎君。
  10. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは、大野先生に先にお伺いをいたしたいと思います。  御承知のように、刑事補償法国家賠償法の適用を妨げるものではないことは申し上げるまでもないわけでございますが、実務家としての先生のお立場に立ちまして、裁判の中で過失によって無罪になった、起訴をし裁判になったけれども、結論として過失によるものであるということで無罪になったというような案件は、相当あるものでありますか、どうでしょうか。
  11. 大野正男

    大野参考人 お答え申し上げます。私、広くこれを統計にとったわけではございませんが、法律の判例集等を見ますと、きわめて少ないので、一件だけが私の知っているのでは、静岡だったと思いますが、傷害致死事件か何かで、これは国家賠償法による検察官過失による訴追であるということで一審は認めた例が、比較的最近ございましたが、それ以外は承知いたしておりません。
  12. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは、先ほどほかの参考人からそれについて多少御意見があったと思いますが、故意または過失がなくて結論として間違うということは、裁判でも相当あり得るものであるということを理論的にお考えになりますか。
  13. 大野正男

    大野参考人 お答え申し上げます。それはきわめてあり得ると思います。一つ故意に、わざとという場合、これは実際には考えられないと思いますが、過失というのも、これは専門家でいらっしゃるので十分御存じだと思いますが、ある意味では程度問題だということがございます。それからやはり刑事訴追手続というのは、これも申し上げるまでもなく、やはり段階を経て形成されていくものでございますから、あとから振り返ってみると、もう少し調べればよかったではないか、証拠が不十分であるというようなことは、終局の判決において批判することはできましても、その当時の段階において、検察官も神でないし、いろいろ捜査能力に制限がありますので、それを振り返って非常に厳格に考えれば、神のごとき検察官を考えれば過失というふうに言える場合であっても、実際にはそれは無理ではないか。そして証拠不十分の多くというのは、その当時にもう少し捜査すれば何とかなったのだというのでありますが、それを民事上の、あるいは国家賠償法上の過失ということは、とうてい言えない場合が非常に多いのではないかというふうに考えております。
  14. 大竹太郎

    ○大竹委員 いま一点だけお聞きしますが、前のお二人の参考人は、たとえ無罪になっても、たとえば無能力者の場合とかめいてい等の場合には、公平の観念からいって賠償までする必要はないんじゃないかという御意見でございましたが、その点についてはいかがでございますか。
  15. 大野正男

    大野参考人 私、理論的にはめいてい、無能力者について刑事補償が否定されましても、それは刑事補償が改悪であるというふうには考えませんが、ただ現状から申しますと、実は私も心神喪失の者で無罪が確定した事件があるので、これは補償請求はいたしませんでしたけれども、ただ、いかにも現在のようなそういう精神病者の社会的の保護の施設がございませんで、それなどは実は前に病院に入っていたのが、もうなおったということで追い出されて、その間に犯して、これも一種の強迫観念で非常に本人としては悩んでいるというようなことでございまして、やはりこの点は他の参考人も申されましたように、現在における社会福祉、社会保障というものとのかね合いでお考えいただきたいというふうに考えております。
  16. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは、大野先生への質問は終わりまして、あとの方にはあとでお伺いいたします。
  17. 永田亮一

  18. 横山利秋

    横山委員 大野先生に端的に四つばかりお伺いしたいのです。  一つは、いま大竹さんからも話がございましたように、この御提案について、いわゆる身がわり犯人だとか酔っぱらいだとか、そういうような例外を法的に認めることについてはお差しつかえがないか。  それから第二番目に、渥美さんからもお話がございましたが、私も検討いたしました際に、私のようなしろうとでございますから、結局この最高額裁判官の裁量というものが、実際問題としては必要になるのではないかというようなことを私も感じたのでありますが、その点はどうでありましょうか。  それから第三番目に、弁護士費用はどう考えたらよろしいか。多数の弁護士をつけて法廷で争い、無罪になった場合、弁護士費用は被告人の自由裁量というふうに考えるべきかどらかというのが第三点。  第四番目は、この被疑者補償規程の問題につきまして、私どもが本委員会で審議しておりました際、政府側からこういう答弁があったわけであります。つまりおまえは無実であるというような書面をくれいと言った場合には出しておるかという委員からの質問に対しまして、「書面でほしいというふうな内容、どうして不起訴にしたのだ、不起訴になった理由について申し出があれば、これは書面によってそれを交付する、証明して交付してあげるというような運用になっております。一ただ、別に要求がないのにこちらから進んで、  一々嫌疑不十分だとか嫌疑なしだとかいうようなことを書面でもって交付するというような運用はいたしておりません。」という答弁がありました。で、お伺いしたいのは、被疑者補償規程というものは、弁護士の皆さん、法廷の皆さんが十分知悉しておる状況にあるかどうかということが第一。第二番目に、政府側の答弁のように、書面でおまえはいいんだというような書面交付の事例というものが、実際問題として実社会にたくさんあるかどうかという四点をお伺いしたい。
  19. 大野正男

    大野参考人 それではお答え申し上げます。第一点の御質問でありますが、身がわり犯人とそれから酔っぱらいという例が出ましたのですが、身がわり犯人については、現行法規定におきましても、捜査を誤らしめる目的でしたような場合には、これは補償しなくてよろしいという規定になっておりますから、もちろんそれは正当な規定であり、現行法で十分まかなえると思います。ただ、酔っぱらいあるいは精神病者については、現行法上の除外規定に当たっておりませんが、これについて法律的に新しく除外例を設けることは、私個人の意見としては差しつかえないと考えております。  なお、念のため申し上げますと、それに限らず、無罪になりましても ことさらに裁判を遅延せしめるというような場合には、この日弁連の案でも、その分は引いてよろしいというふうに考えているわけでございます。  それから二番目の額について、渥美参考人がお述べになりましたどうきめたらいいか、これも実は重大な問題でございます。日弁連でも、実はこれができます前に二つの案がございまして、ほとんど裁量的にすべて裁判官に最高限をきめておいて額をまかせたらどうかという意見もあったのでございます。かなり有力な意見でございました。それは絶対にいけないということではないのでございますが、ただそういたしました場合に、裁判官の裁量の範囲があまりにも広過ぎてしまって、裁判官自身がかなりお困りになるんじゃないだろうか。で、現行のものでも、最高限と最低限を定めてございます。また、日弁連の案もそれに乗ったものでございまして、現行の規定が一応最高限と最低限をきめて、その範囲内でというたてまえをとる限りにおいては、非拘禁中のものもそれに準じて考えてよろしいのではないか。しかし、それが唯一絶対な案だというふうには思っておりませんが、実際には非常に困るのではないかという気がいたしております。  それから三番目の弁護士費用の問題と多数の弁護人をつけたらどうかという御質問でございますが、これにつきましては、現在の刑事訴訟法上訴費用についてはその制限がないのでございます。実際にも非常にわずかな金額でありますが、出廷せられた、実際に弁護士活動をされたものについては、裁判所補償を認めております。何人という制限はございません。しかし、これもおっしゃるとおり非常にまれな例だと思いますけれども、かりに不必要と社会的に思われるようなものについては、これはその分は相当な範囲の弁護士費用しか払わないというふうにされても、私はいささかも差しつかえないのではないかというふうに考えております。  それから被疑者補償規程につきまして、時間がなくて御意見を申し上げられなかったのでございますが、まず、この被疑者補償規程は、先ほど申しました見地から申しますと、全く運用されておらないと言ってもいいぐらいだと思います。私が過去において知りましたのでは、一年を通じてたぶん二件しかなかったということでございまして、これは規定を設けたというのは非常にりっぱなたてまえにはなっておりますが、もちろん弁護士のうちでも知らない人のほうが多いと思いますし、それから取り調べを受けた人に至ってはまるっきり知らないということでございまして、法律にするかどうかという問題もかなり重大だと思いますけれども、もう少し実際に運用するというたてまえでこれをやっていただくことが必要なのではないかというふうに思っております。  それから無実にといいますか、起訴されなかったことについて書面を出したことがあるかという点につきましては、この規定を運用している例がまずほとんど絶無なので、そういう実例は、私自身の経験でもないし、また聞いたこともございません。
  20. 永田亮一

    永田委員長 大野参考人には御多用中のところありがとうございました。どうぞ御退席ください。  参考人に対する質疑を続けます。
  21. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは、青柳先生にお聞きいたしたいと思います。先ほど大野先生にもちょっとお聞きしたのでありますが、先生も御意見をお述べになる中で多少その点にお触れになったのでありますが、この刑事裁判というものは、検察官あるいは裁判官故意過失がなくても、いわゆる神さまでない以上は、当然そこには誤りが出てくるものだということを、法律家の学者の立場からもう少し詳しくお聞かせいただきたいと思います。
  22. 青柳文雄

    青柳参考人 ただいまの御質問に対しましてお答え申し上げます。非常にむずかしい質問なのでございますけれども、故意によって罪とならない者を起訴したということはまずおそらく考えられませんので、過失によってということがやはり考えられるだろうかと思います。これは過失によってほんとうに罪とならない者を起訴したということがあり得るのかどうかは、実は理論的には私は非常に疑問に思うのでございます。と言いますのは、人間裁判といいますものは、結局不完全な人間がいたしますので、何が真実かということは結局はわからないのではないかという気がするからでございます。ただ、裁判になりましたときに有罪の判決を得られない程度の証拠で起訴をしたという過失ということならば、これは理論的に私は考えられるのではないかと思うのでございます。ただその場合に、どの程度それがあるかという程度問題は、これまた非常にむずかしいわけでございますけれども、大野弁護士が退席されたあとで欠席裁判をしたのでは申しわけないのですけれども、弁護士さんほどはないような私は気がいたしております。よろしゅうございますでしょうか。
  23. 大竹太郎

    ○大竹委員 次に、先生の御意見の中で、被疑者賠償の問題についてお触れになりましたが、やはりこの起訴についての便宜主義をとっている国においては、この補償がいわゆる被告人にも一立法例が――日本は御承知のように便宜主義をとっているわけでございますので、日本は何か特殊の規定がある。したがって、これを法律にはする必要がないのじゃないかという御意見のようにお聞きしたのでありますが、その点について……。
  24. 青柳文雄

    青柳参考人 ただいまの御質問でございますが、起訴の法定主義をとっておりますドイツの場合においては、この高田卓爾氏の「刑事補償法」から見たところによりますと、被疑者補償規定があるわけでございます。これに対して、フランスは確かに起訴便宜主義で、重罪である者を軽罪として起訴をするとか、あるいは起訴をしないとかいうことが許されておるようでございまして、フランスには被疑者補償規定というものがないようでございます。そのほかこまかく当たっておりませんのでよくわからないわけでございますけれども、わが国の場合には、御承知のように、起訴便宜主義でございまして、これはかなり広く運用されておる。この場合に、先ほども一申し上げましたように、起訴猶予嫌疑不十分というものの判断が当該検察官判断一つでございまして、それをどういうふうにやっておるのか私もよく実は知らないのでございますけれども、これはこのまま起訴をすれは公判になって無罪になるであろうというようなものだけが嫌疑不十分になっているのではなくて、そういうようなものは実は起訴猶予処分になっているのではなかろうか。そしてむしろこれは自分の、その検察官の心証から、これはとてもだめだと思われるものだけが嫌疑不十分ということになっているように思うのでございます。そういたしますと、この判断というものは、その基準のないといえばないような、非常に直観的なものがあるのでございまして、これを法律上に規定をする、法律義務上の立場から規定をするということになりますと、いろいろ手当てを必要とするのじゃないかということを申し上げたいと思います。
  25. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは、いまの点でもう一点お聞きいたしたいのでございますが、それならば、日本のような便宜主義をとっている国において、いわゆる被疑者補償をするというような規定を設けた以上は、起訴猶予になったような者には補償しないでよろしいというお考えなのでありましょうか、その点を……。
  26. 青柳文雄

    青柳参考人 おそらくその起訴というのは、いまお話ししたように、どの程度に正確に裁判になればこれは証拠不十分になるであろうというものを排除しておるのかどうかはかなり疑問でございますけれども、もしそれが排除をされているのだということになれば、そういうものに対して特に補償はしなくてもらいだろうと私は考えております。
  27. 大竹太郎

    ○大竹委員 次に、これはある程度はっきり先生はおっしゃったように思うのでありますが、現在の刑事補償においては非拘禁者補償がない。補償はやるべきではあるけれども、相当例外――たとえば無能力者であるとか酔っぱらいであるとか、そういう者は除くべきじゃないか。そういたしますと、ある一定のものを除いてやはり非拘禁者についての補償規定刑事補償法に入れるべきであるという御意見として承ってよろしゅうございましょうか。
  28. 青柳文雄

    青柳参考人 私の申し上げましたのは、非拘禁者とおっしゃいましたものが二つあるわけでありますが、被告人のものについては現在の補償法の規定被疑者については現在は御承知のように法務大臣の訓令によっておるわけでございまして、私のほうでここに参りますのでちょっと調べたものによりますと、確かに非常に少ない者しか補償請求をいたしておりません。補償になりましたのも、大野さんの言われた二人というのが三十九年、四十年には一人でございます。四十一年二人、四十二年四人という程度の者しか、被疑者補償を受けておらないわけでございます。そういうものは、現在のままでこれをもう少し広く知らせるというようなことで運用すればいいのじゃなかろうか。これを法律に持ってまいりますと、嫌疑不十分、嫌疑なしというものと、いや自分は起訴猶予になったけれども、嫌疑なしなんだというようなことについての判断をしてもらうような機構を別に考えないといけないというような、非常にめんどうなことになるだろうと思うのであります。
  29. 大竹太郎

    ○大竹委員 最後に、この金額の問題でありますが、先ほどは大体今度の上げ方も相当なところじゃないかという御意見でございましたが、御承知のように、この刑事補償法規定の中には、慰謝料も入っておれば、財産損害、また得べかりし受益ですか、そういうものもあわせて考えてやれということになっておるところから見ますと、今度上げましても六百円以上千三百円以下ということになるわけでありまして、これはやはりまだ少し安いのじゃないかという気がしてならないわけでありますが、その点についてはどう考えていらっしゃいましょうか。
  30. 青柳文雄

    青柳参考人 これは確かに安いといえば安過ぎるわけでございます。これは大きな国家の政策の問題でございまして、ほかの社会福祉の問題その他と関連させまして、国会のほうでおきめくださることだろうと思います。私としては、法務省の原案も、この程度で上げておくというのも一つの理屈であろうかと思うだけでございます。
  31. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは次に、渥美先生にお聞きいたしたいと思います。  同じようなことをお聞きすることになるわけでございますが、先ほどの御意見をお聞きいたしておりますと、現在の補償法によれば無能力者とか酔っぱらいとかというような者にも補償することになっておるわけでありますが、先ほど先生の御議論を聞いておりますと、現在の規定においてもそういう者は補償を受けられないように改正すべきであるし、また今度非拘禁者補償というものも考えるべきではあるけれども、その場合においても当然いまのような者は除いて考えるべきであるという御意見のように承ったのでありますが、そういうことでよろしゅうございましょうか。
  32. 渥美東洋

    渥美参考人 いま大竹議員がおっしゃいましたように私考えております。特にめいてい者の場合はそうであろうと思うのです。犯罪をみずから誘発しておる。それによって補償を受ける。これは行為としては違法であります。ただ、現在の法律がそうなっておりますから、めいてい時における犯行について無罪になるわけで、こういうものは、人間の能力の至らないところで過誤が起こって無罪判決がおりるというものとは、性格を全く異にいたします。こういう場合は、私は当然除いてしかるべきである、立法上除くべきである、そういうふうに考えておるわけです。ただ、無能力者の問題になりますと、かなりむずかしい問題が起こるようにも思っております。と申しますのは、外観上無能力者でないように見える者で訴追を行なったところが、究極的に無能力者であるというふうに考えられた、自分もそうではないと思っている、こういう場合の措置について刑事補償をしなくてよろしいかどうかということになると、だいぶ問題になる。私がいまはっきり申し上げられますことは、みずからめいていをして犯行を行なった場合は、積極的にその者に対する補償を削除すべきである、このように考えております。
  33. 大竹太郎

    ○大竹委員 いま一点お聞きしたいのでありますが、先生は、この補償金額の問題について、特に死刑金額の問題で、大体三百万円あたりが適当じゃないかというふうにおっしゃったように思うのでありますが、先ほど青柳先生にもちょっとお聞きしたように、ことにこの死刑――人間の命というもの、これはある意味においては金額で見積もれ雇いというよう表面もあるかと思いますけれども、たとえば、御承知のように自動車の強制賠償なんかが最近三百万になっておるというようなことが、まだ政府のほうからいろいろな説明を聞いておらないのでありますけれども、ある意味においてはそういうよう主点も大いに関係があるんじゃないかと実は思っておるのでありますが、自動車の強制賠償と国があやまって死刑にした者と同額でいいということは、何といいますか、そういう面においてはあまりに少ないんじゃないかというような気がしてならないのでありますが、そういう点、どうお考えになりますか。
  34. 渥美東洋

    渥美参考人 現在の規定でも百万円、百万円ということでございますが、今度の規定では三百万円、三百万円ということであります。つまり死刑執行を受けたということだけで三百万円の補償を受けて、財産上の損失がある場合には三百万円を加算する、合計六百万円の限度になるわけでございます。したがって、相当であろうと考えたわけであります。  この死刑以外の場合でございますね、一日幾らというやり方に疑問を抱いたのでありますけれども、死刑以外の場合にも、財産上の損害についてやはり問題にすべきじゃないか、そういうふうに考えるわけです。一律にこういう日にちによるやり方というのは、かなり問題があるように私は思うのであります。
  35. 大竹太郎

    ○大竹委員 終わります。
  36. 永田亮一

  37. 横山利秋

    横山委員 青柳さんにお伺いするのですけれども、私は職場から出た人間ですが、先ほど参考人がおっしゃった中で、事故を起こす、休職になる、六〇%、兼職禁止、無罪になる、私の同僚もやはりそういう例が多いのであります。その場合に、ほんとに自分が何の過失もなかった、そして当然無罪になった場合に、その間の四割をはじめ、得べかりし収入に対して、本人はだれにその損害賠償を要求したらいいであろうか。現行法はそれを補償してないように思うのであります。先般来、本委員会でそれを取り上げましたところ、一応政府側の意見としては、それは使用者たる国の責任でなくして、統治権者である国の責任であろう。けれども、まだそれを補償する法規がないのである。それなら補償しろ、法律を必要なら法律をつくれ、こう言って論争いたしました。これに関しましては、与党側の諸君も賛成をいたしまして、先般附帯決議をつくったわけであります。こういう点で、どういうお考えでございましょうか、御意見ございましたら、お聞かせ願いたいと思います。
  38. 青柳文雄

    青柳参考人 いま御質問がありましたように、確かに一つの欠点でございます。このような場合におきまして、将来どういう方法によるのがいいのか。刑事補償法という形でやっていったらいいのか、あるいはそういうのは、それぞれ国家公務員法なりあるいは地方公務員法なり、それぞれの関係の法規を改正してやっていくのがいいのか、この辺も、私、いろいろ問題があろうかと思いますが、まだあまり研究をいたしておりませんので、必ずしも刑事補償法改正してやらなくてもいいんじゃなかろうかということだけを、いまの感じとして申し上げたいと思います。
  39. 横山利秋

    横山委員 その必要は御同意なさるわけですね。
  40. 青柳文雄

    青柳参考人 はい。
  41. 横山利秋

    横山委員 ありがとうございました。  それから、やはり大野参考人の言われたことなんですが、私もこの問題を検討するにあたりまして、過去のものをいろいろ調べてみましたが、考えてみますと、旧憲法と新憲法とを比べまして、新憲法は人権擁護の色彩の濃いものであります。にもかかわりませず、この問題についてだけは、先ほど大野参考人からお話がございましたように、戦前と比べて人権擁護の色彩が濃い新憲法下において補償がきわめて少ない。だから、法律規定の面ではなるほど人権擁護がされておるけれども、銭の面ではその点がきわめて薄いという感じがするわけであります。先ほど、政府側が善意でやったことだろうからというお気持ちではございましょうが、率直に申し上げて、この辺がちょっとおくれておるんではないか、予算の面、金額の面でおくれておるんじゃないかということを痛感をするわけでありますが、いかがでございましょうか。
  42. 青柳文雄

    青柳参考人 ただいまの御質問でございますが、戦前の刑事補償法というのは、本質的にいいますと国家のお慈悲ということで、権利ではないという考え方だったんじゃないかと思うのであります。それが戦後権利ということになりましたので、それだけでも理論的にも確かに大きな進歩でございましたし、それからいろいろな制限が戦後のものははずされておるはずでございます。こういうようなことで一応やはり進歩はしているんじゃないか。ただ、これで完全だとは私は考えておるわけじゃございません。
  43. 横山利秋

    横山委員 お二人の参考人にあわせて、こういう機会にちょっと御意見を承りたいことがございます。実は本委員会に、与党の皆さんにも御検討願っておるのでありますけれども、私どもの党から、神近先生を筆頭にいたしまして、再審制度というものを提案をいたしておるわけでございます。御存じのように、最近、戦前戦後を通じて死刑判決、有罪の判決を受けました者が無罪になる例が、吉田石松さんを含めて相当顕著にあらわれております。私どもの考えを端的に申し上げれば、死刑廃止が根底になっておるわけではありますが、現状をもっていたしましても、新刑事訴訟法ができましてしばらくの間、あるいはまた占領下におきまして、必ずしも公正、十分な裁判が期しがたい時代があったような気がするわけであります。したがいまして、最低線、戦後ある一定期間において死刑判決を受けた者について、相当な証拠があるならば再審をももう一度やったらどうかという提案を実はいたしておるわけであります。いま手元にその法案がないので十分御説明ができませんが、死刑の問題、特にこの再審の問題について、現状どういうようなお考えをお持ちでございましょうか。唐突な質問で恐縮でございますが、それぞれ御意見がございましたら、この際お聞かせ願いたいと思います。
  44. 青柳文雄

    青柳参考人 ただいまの御質問は再審のことだと思いますが、この再審という制度に対しまして、私は、制度そのものに対して現在の刑事訴訟法とどう調和するのかについて、理論的にちょっと問題があるように思っております。と申しますのは、現在の刑事訴訟法というのは、当事者主義を徹底をしたといわれております。そういう当事者主義を徹底をしていきます場合におきまして、先ほどちょっと触れましたように、罪とならぬという結論が非常に出がたい、証拠が不十分だという結論が出てくるだろうと思うのでございますが、そういう場合におきましての証拠は十分であるかどうかというのは、そのときのその裁判官のいろいろなものを調べた、被告人あるいは証人等の法廷における態度とか口調だとか、そういうようなものがかなり重要左意義を持ってくるわけであります。それをあとで記録の上で調べましたときに、記録の上だけではどうもおかしいけれども一その証人がたとえば非常に矛盾したことを言っておる。しかし、その公判廷における証言の態度は、それは十分に信用できるという場合もあろうかと思うのでございます。そういうようなものを一体再審ということで救済できるのだろうかということ、それを非常に疑問に思うわけでございます。イギリスあたり、アメリカもそうでございますが、これはすべてパードンと申しまして、特赦のほうに持っていっておりまして、再審という、ニュートライアルということばはございますけれども、それはいわゆる再審ではございません。日本のような再審という制度は持っていない。そうすると、結局当事者主義ということを徹底してきますと、そういうものを裁判の面でまたやっていくということが、非常にむずかしいのじゃないかという疑問でございます。これは先生の御質問にお答えしたことになるかどうかわかりませんけれども、私が年来持っておる一つの疑問でございまして、ちょっと例をあげられました吉田石松氏の場合には、あれは大正二年だったと思います。大逆事件は明治の末年でございます。そういうようなものにつきまして、その当時の記録が完全に残っていたにしたところで、その記録そのものでもまたどれだけ心証がとれるのかという非常に疑問を持ちますので、ちょっとその点だけ申し上げておきたいと思います。
  45. 渥美東洋

    渥美参考人 私、再審という制度がある以上は、かなり活用されるようなものとして運用さるべきであるというふうに考えています。ただ、いま青柳先生もおっしゃられましたように、非常に長い過去に起こった事案を現在において再審を行なうというか、それで過去の裁判がどうであったかということを認定するということは、非常にむずかしい問題を含んでいるように思うのです。そのような場合には、やはり一定の疑義があり、一定期間を経過してそのような処理をすることが妥当ではなかったという場合に、行政府の恩赦というような方法で処理をするというようなやり方が、かなりの合理的な根拠を持っているように思うわけでございます。はっきり無罪であるということがわからない場合には、前の手続で行なわれたものでも再審を認めないというような方法を現在ではとらざるを得ませんので、そういう点から考えますと、再審制度というのは、長い過去の問題を扱います場合には、裁判を行なったものの適正さをあとで適正さのないものとしてしまうという危険性と、もう一つは、真実無罪であるものについてあとから十分な証拠がないので再審でも無罪にならないという場合、二つの場合を含むわけであります。そういう問題を考えるのに、現在の再審という制度でやるよりも、一定の期限を越えたものについては、恩赦という方法が十分に考えられるものだというふうに思うわけです。  ただ、いま青柳先生が証拠不十分ということでアドバーサリーシステム、論争主義、当時者主義をとっている場合云々ということをおっしゃいましたけれども、これは私は必ずしも論拠にならないのじゃないかと思うのです。当事者主義訴訟を行ないました場合でも、やはりフェアトライアルの要求が非常に強いわけでございまして、そのフェアトライアルは、ただ単に手続の進め方だけではございませんで、内容についての実質的な公正さということが非常に問題になってまいります。それによって刑事訴訟法規定が非常にこまかくなってまいりますと同時に、弁護人の訴訟というものを非常に強く認めていくという方向がアメリカで出まして、イギリスでもそういう方向に向いております。したがいまして、当事者主義訴訟だから証拠不十分ということで無罪になる場合があるので、それは原審判断で最終的なものとして主張すべきであるというふうには、必ずしもいえない。やはりフェアトライアルを欠いているというその一面として、証拠による事実認定が不十分であったという場合が、この場合に当たるわけでありまして、その場合をやはり救済するような方法というのは考えてよろしいだろうと思うのであります。ただ、その場合に、英米流のニュートライアルという方法をとるかどうかという問題が起こってまいります。これはずいぶん大きなむずかしい問題でございます。不利益変更の禁止もございませんし、前の手続をまるきり最初からやり直すわけでございまして、そういう点では、日本は従前職権主義でやっておりまして、全部責任裁判所にある、したがって、誤った場合には被告人側に有利にだけしか変えられない、こういう制度であったわけです。ところが、これから考えてまいりますと、いろいろな不都合があって、その不都合によって手続がフェアでなかったということで破棄された場合、そのときに被告人側だけに有利に手続を進めればそれでよろしいかというと、私はそれにはかなり問題がある。そういう点は上訴制度から刑訴全体の問題にからみますので、非常にむずかしい問題であるように思っております。ただ、私は先ほどのような古いものについての問題、それからそう古くないものについては、やはり現在の再審制度をもう少し活用できるような方向を考えてみたらどうかというふうに思っております。
  46. 横山利秋

    横山委員 お手元にいま法案を差し上げました。渥美先生にちょっと見ていただいて、その間ちょっと法務省側に御質問をしたいと思います。その間に、もしお二人で法案について御意見がございましたら、あとでお寄せいただきたいと思います。  法務省にこの際伺っておきたいのですが、私も、実は先ほど先生から指摘をされました印刷費用というものが、ほんとうに裁判でかかるものだなということを日ごろから痛感をいたしておったわけであります。お話によれば、一回の証人の公判調書七部で約一万円はかかる、一つ裁判で百万円もかかるというお話だそうでありますが、これは何とかならないものでしょうか。それだけはコストを割り出して算出をなさるものでありましょうか、どういうことになっておりましょうか。私のようなしろうとにはよくわかりませんけれども、これだけ印刷費用がかかるのでは、とても裁判は一般の人には思いがけない負担だと痛感をされるわけでありますが、これは緩和の方法はないものでありますかどうか。御検討なさっておられるでしょうか。
  47. 川井英良

    ○川井政府委員 最近の裁判の印刷の費用という点につきましては、実は原告間の当事者の立場からも、非常な手数とまた予算を必要とするという問題がありますので、刑事訴訟における印刷の手数と費用というような問題については、私どもも私どもの立場から非常な関心を持っているところでございます。訴訟費用として見た場合にどういうふうにするかということになりますと、これはやはり現実の訴訟としては、有罪になった場合においては事実上被告人の負担となる費用となるわけでございますので、無罪となった場合のその費用というようなものについてそれをどう扱うかというような点について、訴訟費用全体の問題としていろいろ検討はいたしておりますけれども、いま直ちに先ほど大野参考人から述べられたような形においてそれを解決することができるかどうかというふうな問題につきましては、なおその他の費用との関係にかきましてもいろいろまた検討を要する問題があるように思いますので、いま直ちにそれについてどういうふうな結論を持っておるかということは、ちょっと申し上げかねる段階でございます。
  48. 横山利秋

    横山委員 この印刷費用が、裁判費用の中でとてもべらぼうな価額を占める、価値を占めるという点については、どういう方法でそれを計算されておるか私にはちょっとわかりかねますけれども、別の機会にぜひ善処をお願いしたいと思うのであります。  両参考人、ごらん願ったと思うのでありますが、それにはいろいろ経過がございまして、そういう事件に限定することの是非論等もございましておそらく初めてごらんになったお二人には、根本的な問題もあると思うのであります。根底には私どもは死刑廃止を前提と考えておりますから、その意味で御理解を願って、唐突でございましたが、ごらんになってもし御意見がございましたら、お伺いいたしたいと思います。
  49. 青柳文雄

    青柳参考人 いま拝見いたしましたが、突然でございますので、あまりはっきりした意見を申し上げられないわけでございますけれども、ここに占領下のものだけを特に取り上げておられますのですが、もしこういうものをつくるとすれば、そこだけに限定をされるのはいかがなものであろうか。それからまた参審ということが出てまいりますけれども、参審をおとりになるならば、それは訴訟全般の問題でございまして、もっと最初のうちから参審員でもってやるというのも一つ考え方でありまして、こうなりますと、これは非常に根本的な刑事訴訟法の訴訟組織の問題になってまいります。ここだけをお取り上げになるというのは、はたしてどうであろうか。  それからまた、死刑判決が確定をいたしますと、従来の例で見ますと、死刑執行になるまでに大体平均してたしか二年七カ月という数字が出ていたと思うのでございますけれども、その間に再審の請求なり恩赦の申し立てなりいろいろやっておるわけでございまして、そういうものになっておりますので、特にこれを規定をなされましたことでどれだけ実際上の意味が出てくるかは、ちょっといまのところ疑問だということだけを申し上げたいと思います。
  50. 渥美東洋

    渥美参考人 私も青柳先生とそう変わらないのですけれども、一定の期間を限って――これは占領下の段階を限っていますが、占領下の段階を形式的に限られるだけですと、このような御趣旨にはそう賛成ができません。それにも、この時期に特に現在よりも不当な裁判が行なわれたんだというような事実に基づく証明がありますれば問題は別でございますが、ただ占領下であったという理由だけでこういう法律をつくるということには、私はかなりの抵抗を感ずるわけでございます。  それから、いま先生おっしゃいましたシェッフェンゲレヒト、参審制、これも日本でとってよろしいかどうかという問題は、非常にむずかしい問題でございます。再審に入りますと、たぶん長い時間が過ぎているから同情するだろうというような考え方だけで参審制度をおとりになるとすれば、これは刑事司法というものをあまりにも皮相的におとらえになっておるのじゃないかという気が、私はいたします。やはり参審制度をとるのでしたら、参審制度を運用していくに足りるだけの種々の手当てをいたさねばなりません。この場合だけ特別に取り上げるということには、やはりかなりの問題が残っておるように思うのでございます。  それから二条で再審事由の特例が書かれておりまして、かなりゆるやかにしてございますが、現在の法律の運用におきましてかなりゆるやかな解釈がとられておりまして、これを持ち出しましても、それほど実益があるとは思われません。しかも先ほど青柳先生おっしゃいましたように、死刑判決を受けた場合には、恩赦を申し立てたりまたは実際に再審請求をやっている場合が多いのですが、特にこれをこういうふうに取り上げることで処理ができるかどうかには、かなりの疑問を感ずるわけでございます。ただ、将来死刑を処理するのにあたりまして、現在の手続とは違った手続でなされるというようなことが規定されるかもしれません。それは全員一致でなければならないとか、いろいろな条件が加わってくる場合があるかもしれません。そういう場合には、過去の死刑事件を救済するというようなことで、その段階で特別法が問題になることがあると思いますけれども、現在の段階でこれを使いまして法律を制定いたしましても、実際にはさほどの影響を及ぼさないのじゃないか。ただ、死刑廃止の方向へ向かっての御一歩ということで、そういう御趣旨では承っておきますけれども、私はそういうふうに思うわけでございます。
  51. 横山利秋

    横山委員 ありがとうございました。先ほど申しましたように、それにはずいぶん経過がございまして、そこへ一応到達をいたしました。また機会がございましたならば、私どもの意見も十分に聞いていただき、意見も伺う機会があろうかと思います。いずれにいたしましても今日の、最近できておりますもろもろの裁判上の問題にかんがみまして、私どもとしては一応の成案を得たものでございますから、また後日御検討を願いたいと思います。私の質問はこれで終わります。
  52. 渥美東洋

    渥美参考人 先ほど言い落としましたことで、私若干申し上げておきたいことがございます。  それは、未決の抑留拘禁後に無罪判決を得ませんで、捜査段階検察官段階で処理された場合について現在の大臣訓令がございますが、これは法律にしたほうがよろしいと私先ほど申し上げたのですけれども、現在の大臣訓令の中でも、やはり考慮されなければならない問題が一つ残っていると思います。それは高田卓爾先生が出しておられる問題ですが、現在の準起訴手続、不審判請求手続によって処理される場合でございます。この場合は、やはり検察官起訴猶予、不起訴処分というものと同じように考えて、法律に移行されない場合には、やはり現在の大臣訓令改正されることをお考え願いたいという点が第一点でございます。  それからもう一つは、刑事補償請求の形式でございますが、私は請求の形にかからわしめることではたしてよろしいかどうかという疑問を持つわけでございます。無罪判決がおりた、あるいは再審によって無罪になった、この場合に、裁判官が一定の金額によって補償を受けることができる旨をその法廷において被告人に告知すべきじゃないだろうか。そしてこういう制度があり、この制度を行なうのにあたって、これを放棄しても自分自身不都合がないという十分な意思が確認されない場合には、裁判官補償請求があったものとして処理をするというようなことを考えるべきじゃないかと思うのです。先ほど大野参考人が、請求された事件が少ないことを政府側から出されました資料に基づいて説明をされましたけれども、先ほど大野参考人が言われました理由もあると思いますが、現在のこの規定によって、いかなる方法によって請求をなしたらよろしいかが判然といたしておりませんで、そのために請求ができないということになっているのじゃないかと思うのです。私は、この点についてもっと十分な手当てを加えるべきであるというふうに考えております。つけ加えまして以上申し上げました。
  53. 永田亮一

    永田委員長 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、貴重なる御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、来たる十六日午前十時より理事会、理事会散会後委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午前十一時四十九分散会