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岡沢委員 まだ同僚議員も官房長官に対する
質問を待っておられるようでございますから、簡単にと思いますけれ
ども、ぜひこの際聞いておきたいことを二、三点お願いしたいと思います。
先ほど与党の先輩
委員からかなりきびしい追求がございまして、私は王子の野戦病院
事件も含めて全学連問題全体を、この際感情に走らないで、冷静に御一緒に
考えてみる立場から申し上げたいと思います。
昭和三十五年六月十七日、例の第一次安保闘争の直後に朝日、毎日等、日本の七大新聞が「暴力を排し議会主議を守れ」という共同宣言を発しております。そのことばは「民主主義は言論をもって争わるべきものである。その
理由のいかんを問わず、またいかなる政治的難局に立とうと、暴力を用いて事を運ばんとすることは、断じて許さるべきではない。」こういうことをうたっております。言うまでもなく近代民主国家の基礎は力にかわるに法の支配であります。この法の支配を否定しては私は民主国家における要件、国内治安の維持も社会秩序の維持も不可能だと
考えるのであります。この
意味から、国家も国民も
政府も
国会も法の無視、法秩序の破壊は神経質過ぎるくらいの配慮が必要だと私は
考えております。そういう
意味から、ここに例の三派系全学連の
委員長であります秋山さんが四十二年の十月九日に新聞発表している記事があります。われわれは現体制を認めないからその
法律も認めない、間違った体制をこわすためには実力行使は正しい、またことしの一月三十日の日比谷におきます全学連佐世保闘争報告大集会で、やはり秋山
委員長は、大衆には当然武装の権利がある、大衆が誤った代表者を武器をもって倒すのに何の気がねが要る、一九七〇年にはもっと武器を持つべきであるということを公言しているわけです。彼が
委員長のもとに統一されております三派系全学連の行動は、私がここで申し上げるまでもございません。また
一般市民の被害——警察官はもとよりでございますけれ
ども、あの被害の物的、人的な
数字等につきましても、先般来法務
委員会でも私自身も
質問してきたところであります。私は、ここまで参りますと、自民党の
委員の方の発言とは違った
意味からも、どうしても現在のこの
状態を放置すべきではないという感じを持つものでございます。
それと関連いたしまして、私はこの際御一緒に
考えてみたいのは、この
事件の背景について、先般来も教育的な見地からあるいは政治的な配慮から
指摘さしてもらった点もありますけれ
ども、きょうは特にマスコミのこれに対する影響ということを御一緒に
考えるべき段階にきているのではないか。先般来の
委員会で明らかになりましたように、三派系全学連の学生諸君の大多数は教養学部の学生であり、しかも年齢的には、三分の一は未成年者であります。しかもきのううちの麻生国対副
委員長あるいは受田議員団長等が視察された報告によりますと、高校生で女性が多数これに参加しているというような
実態があるようであります。そういたしますと、私は、彼ら
がいかに善意であり、あるいはまた動機に同情すべきものがございましても、いわば判断力のない彼らの行動は独善偏向からきた結果である、こういうものをきびしく正してやる、正しく指導してやる、勇気を持って正しい
方向に善導するということは、これは国民の一人としての義務ではないかという感じを持つわけでございます。もちろん報道関係の方々には報道の自由あるいは取材の自由がございます。またこれも憲法上きわめて大事な基本的権利であるということは私も
承知いたしております。しかし私自身の過去の経験からいたしましても、やはり若いときには物的な欲はございませんけれ
ども、英雄主義といいますかヒロイズムといいますか、あるいは自分自身の独善に基づく間違った
意味での勇気がございます。これはやはり私
ども人間としての先輩の立場から、正しく指導してやるということ自体が、学生自身のためにも、もちろん社会秩序の維持とかあるいは地域住民の被害を守るという
意味からも必要ではないか、そういう点から私は、新聞、テレビをはじめマスコミの方々があまりに彼らを英雄的な扱いをして報道されるところにも一半の責任があるという感じ
がいたします。聞くところによりますと、警備当局なんかも、どこで衝突が起こるかということはテレビ局に聞けば一番よくわかる、学生諸君はあらかじめテレビ局に、ここでやるということを報告して、やはりそのとおりちゃんとそこで衝突が起こるということを
考えましても、逆に彼らにマスコミが利用されておるというような面もなきにしもあらず、また彼ら自身の行動も、ある
意味ではショー的なあるいは英雄主義的な感情が背景にあるということを
指摘できるのではないかと私は
考えるのであります。
この際私は、過去の二・二六
事件から大東亜戦争に至る日本の失敗、あるいはナチスの失敗を
考えましても、日本人がやはり民主的な訓練の不足する点は否定できない。ややもすれば感情に走って付和雷同的な性格を否定できない。先ほど濱野
委員が
指摘されましたような米軍野戦病院の問題につきましては、あそこに設置するということも
原因の大きな条件になっておるような気もいたしますけれ
ども、しかし一連の全学連の学生諸君の行動を見ますと、やはりそれ以外に
理由を
考えざるを得ない。そういう点で、私はこの際冷静に客観的に、あるいはまた勇気を持って、間違いは間違いである、暴力は民主主義の敵であるということをはっきり、特に内閣においてもPRの組織も予算も持っておられるわけでありますから、先ほど申しました取材の自由あるいは報道の自由に反しない限りにおいて、やはりもう
考えるべき時期がきているのではないか。また大学の自治とか学生の自治ということを彼らは言いますけれ
ども、現実に卒業式におけるあの行動を見ましても、学生の自治も、学生の中の二〇%以下の数の学生が全学を支配する、
ほんとうの
意味での自治でも何でもない。もちろん大学の自治、学問、研究の自由とは何の関係もない彼らの行動です。こういうものに対して、私は日本の知識人も勇気がないと思いますが、やはりその先頭に立つ内閣なり
政府なりがもう少しはっきりした態度をこの際お示しになる時期がきているのではないかというふうに感ずるわけであります。そういう
意味から、文部
大臣はおられませんけれ
ども、内閣を代表される立場で、官房長官からも、ぜひ大学の教育問題についても——この間、大学の学生のあり方について、学校制度のあり方とも関連して文部
大臣にも
質問いたしておりますが、ぜひ中学校、高校教育も含めて、教育のあり方あるいは教育者のあり方等、特に全学連の諸君の中で過半数は国立大学の学生が占めておるということを
考えても、ぜひこの点御
検討いただきたい。そしてまた国民に対する秩序、法を守る意識、法の権威に対する挑戦についての断固たる国民の自覚を要請するという態度が私は憲法上必要ではないかという感じ
がいまいたすのでありますので、これらの点について官房長官の御所見を伺いたいと思います。