○稻村(隆)
委員 先ほど
農政局長は、
土地所有権の上限の撤廃は近代的大経営にするためだ、こう言ったけれ
ども、これはあとで
農地法をだんだん調べてみるとわかるのですが、小作地の所有の制限緩和とかあるいは賃貸借の制限緩和でそうならないのですよ。いま手間賃は、田植えの時期などは女でも二千円取りますから、そんな高い労賃をかけて大経営なんかしないですよ。これはもう必然的に小作のほうに
発展するのです。地主
制度の復活にならざるを得ぬのです。これは幾らいっても大経営なんかにならぬ。だから私は言ったでしょう。大経営をやるなんというような社会的な条件はできてない。大経営をやるなら
農業協同組合なり農事協同組合で共同経営を機械を中心としてやれ、そういうふうに進めていけ、こう言ったのです。私は、
農地法改正をみんな見たんだから、
農業協同組合のそういうことをうたってあることを知らないわけじゃない。だから、これはもう地主
制度の復活にならざるを得ないのです。あなた方若いから知らぬけれ
ども、そう言っては失礼ですが、昔はわれわれの若い時分は、戦争のずっと前は、小作料がまだ下がらない
農民運動を始めたころは、五町あればふところ手で食えたのだから、
日本の高率の小作料
——ついにそこになりますよ。それは議論だからここではあまり言わないけれ
ども、こういうことが近代経営になる、資本主義経営になるということは、それは部分的にはあるかもしらぬけれ
ども、全体的にはならぬ、そのほうが全く損だ。
そこで、私は小作地の所有制限の緩和と賃貸借の制限についてちょっとお尋ねしたいんですけれ
ども、今度の改正で、都府県は一ヘクタール、北海道は四ヘクタールまでに不在地主を認めることになったのですね。不在地主という
制度は、ほんとうは全然不在地主をなくすることが
農地改革の目的なんですよ。ところが不在地主を今度一町まで認めるということは、やがては何かの機会に二町にする、三町にする、こういうことになる。昔は
——昔といっても戦争前ですね。肥料商だとかそういう
農業者でない者が不在地主であって、
農業を支配していた、そうして
農民を搾取しておったのだから、幾ら理屈を言ってもそういうことに
発展せざるを得ないことになるのです。しかもこういうことは
農地改革の精神を根本から否定することになる。こういう法案をつくるときには、
農地改革というものは
——これは私は何もえらそうに言うわけじゃないけれ
ども、どこの国でも同じ
事情で行なわれている。これは資本主義のもとに行なわれようとも共産主義のもとに行なわれようともです。つまり、地主
制度というものは、ブルジョア
経済学のリカードじゃないけれ
ども、
農業生産力を阻止しているものだからこういうものは資本主義の
発展のためになくさなければならぬということをブルジョア
経済学者は言っているんです。だからヨーロッパではすでに、御存じのように、スペインとかそれからドイツを除くほかは、
農民生活その他で、フランス革命なんかの影響で自作農主義でもって
——そうでないところも多少は残っているけれ
ども、大体は自作農主義でもって民主的な
農地改革が行なわれている。ただ、中国とかソ連とかは非常におくれた国だったから、封建時代の
土地所有が残っていた。そこで、
土地改革を共産党がやったにすぎない。この
農地改革の
歴史をよく知らない者は、
農地改革の
歴史は共産主義革命だと言っている。とんでもない話なんだ。
土地改革は純然たるブルジョア民主主義
改革である。これはあなた方は学問をしているから御存じであろうけれ
ども。だから
農地改革というものは、どこの国でもその精神というものは、特殊の例を除いては、不在地主をなくする、地主
制度をなくする、
農民でない者が
土地を持つとかそういうことをなるべくなくしよう、こういうのが
農地改革の精神だ。ただイギリスだけは、あれは大農経営で、
農業賃金労働者である。地主は、これは地主じゃなくて
農業資本家なんだから、英国だけは特殊であって、あとのいわゆる民主主義国家では自作農主義が基本なんです。そういうことを
考えると、これはもう根本的に間違っている。小作地の所有の制限を緩和するとか賃貸借の制限緩和とかいうことは、
農業史を無視した、ただ法律屋が法律だけを
考え、何かの思惑を持ってこんな案を出した、こう疑わざるを得ないのです。こういう点は
一体どう
考えるのか。不在地主の
土地所有を一ヘクタール認め、それから賃貸借も制限を緩和するなんということは、これは地主
制度の復活にならざるを得ない。その点
農林大臣はどう
考えておりますか。