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木村(武)
国務大臣 行政改革はやはり総理が
決心しなければできないのでありまして、一番大切なことは何だと言いますと、総理が
決心をする、そして不動の信念で臨む、こういうことで一番大切だと私は思っております。その総理なんでありますが、いまの
佐藤総理はしからばどういう
決心でこの
行政改革の問題と取り組んで、とりあえず一
省庁一局
削減を
取り上げたか、こういうことなんでありますが、塩谷さんも御承知のように、
佐藤総理は役人出身でございます。したがって
行政機構、
行政組織、
行政運営の長所も知っておられれば短所も体験しておられる。特に戦前から戦後にかけて、
行政官として枢要な地位についておられましたから、戦前の
行政と戦後の
行政もよく承知しておられるわけだと思います。そういう
立場に立って、
自分が一国の
総理大臣となったときに、やはり
行政機構、組織、運営は改善しなければならないと非常な
決心をされた。幸いにも川島さんが管理庁長官のときに、相当の金もかけて、それから相当の年月も費やしてつくられた臨時
行政調査会の答申もある、十六項目に分かれておりますが、りっぱなものであります。みごとなものであります。それを大半取り入れましたならば
自分の意にかなうような
行政改革ができるだろうという
考えを初期において起こされたことは、私は当然だと思います。ただ、その
行政改革は、抽象的にはだれでも賛成でありますけれども、具体的な問題になりますとそれ相当の困難が伴う。特に目に見えない大きな困難が伴なうということは、長らく
行政官としておられました総理であるだけにだれよりもよく御承知だったのじゃないだろうか。そうでありまするから、いつこの問題と取り組むかという時期は非常に
考えておられた、こう私は思うのです。
私の大体知っておることなんでありますけれども、日韓問題と総理が取り組まれたときなんであります。船田、当時の衆議院議長でありますが、衆議院議長との二人の会談では、
佐藤君、君は日韓問題を解決したならば国内の大半の問題を解決したことになるんだ。今度何をやるんだと言われたときに、
佐藤総理は、そのときに、
行政改革をやるんだ、こういうことを言われたということは、船田元議長から私も聞いておりまするから、
最初にそういう
考えがありましたが、取り組むという
決心はそのときにされたのじゃないだろうか。そしてその
決心で機会をねらっておられたところが、去年朝鮮それから台湾、いまの南ベトナム、歴代の内閣
総理大臣がなかなか行けなかった場所に大胆に飛び込んでいかれた。特に南ベトナムなんかに出かけることには党内のそれ相当の批判もあり、反対もあったようでありますが、あえてそこも出かけていく。そして東南アジアには二度行って、それからニュージーランドからオーストラリアまで足を延ばしてみて、アジア全体を大観して、アジアの平和のための日本の
役割り、それからアジア問題で日本の先覚者がいかに苦労しておったかというような歴史的なことも非常に
考えられたようであります。そして、この対外的な問題と大きく取り組むためには、それだけでなくて、大胆に言いますると、アジア全体の人心を日本が掌握するためにはやはり
行政改革、うちを固めることが必要であるという
ほんとうの
決心をされたのだろう。ですから、去年東南アジア全体を回られまして帰ってきて、そしてアメリカに出かける前に、この
行政改革の問題を今度は真剣に取り組んでいこう、その柱として一
省庁一局
削減というものを
提案された。そして
自分が帰ってくるまでの間に各
省庁は相当の
方針を出しておけ、こういうことで行かれたのだと思います。
これからは私の
意見になりまするけれども、
行政改革は非常な困難な問題でありまして、戦前でも
行政改革と取り組んで成功した内閣はなかった。戦後は吉田元内閣
総理大臣が取り組まれまして、相当国鉄なんか人員
整理もやったようでありますが、そのための大きな出血が、当時の総裁であった下山さんがなくなったことだと私は思っております。しかし、あの当時は占領
政治の時代でありましたから、大胆に言いますると、植民地
行政の時代でありましたから、アメリカの、連合国の武力を背景にしてどのような困難でもこれを押さえつけて切り開くことができたのだと思いまするが、日本が独立国となってから見るべき
行政改革というものはなかったようであります。
しかし、
行政改革をやった国とやらない国とではまるっきり違うのじゃないだろろうか。特に、日本の現状から見まして歴然としておりますることは、公務員の汚職事件、こういうようなことはたびごと
国会でも議論されておりまするが、この汚職事件というものを静かに振り返ってみますると、いくさに負けたということの最大の痛手は道徳が低下することだ。人命を失ったこともかえがたい損失ではある。財産を失ったことも大きな損失ではありまするけれども、それを上越す損失は何だと言いますると、いくさが負けたということで道徳が低下する、各国共通の現象だと思います。日本もそういう点では道徳が非常に低下しておったのでありまするが、日数がたつに従って道徳というものは徐々に回復されてくる。ドイツなんかは短かい期間の間に改革されたようであります。ところが三十七年ごろからです。公務員の汚職事件というものがのぼり坂になっていったのであります。国家公務員は収賄罪です。地方公務員は横領事件が非常に多くなってきております。そういう件数をたどってみますると、逆に三十七年ごろから件数が非常に多くなってくる。横領事件なんかはすぐ発覚いたしまするから、検挙された数と実数というものは大体正比例をしておるだろう、そんなに違わないだろうと思いますけれども、収賄事件なんというものは、もらったほうもやったほうも極秘を尊重いたしまするから、検挙された数というものは隠れておる数の何十分の一であるかもしれぬ、あるいは何百分の一であるかもしれぬ、そういうものの見方をいたしますると、公務員の腐敗、堕落、道徳の低下というものは普遍、蔓延化しておるのじゃないか。そういうことが一番大きな問題になってくる。それに対する対策というものは、ただ単に、そういう事件ができたからそれを摘発して、そして法に照らして処断するということだけではとても間に合わないことだ。根本的な
行政改革をしなければ間に合わないだろうということはおよそ
考えられることだと私は思うのであります。
そういう機構の点から見ますると、何と申しましても戦前の国家のあり方と戦後の国家のあり方では根本的に違う。戦前は国防国家の競争をやったのでありまするが、土台が戦後はがらりと変わってしまいまして、平和国家の建設になってまいりますると、
内容が根本的に違ってこなければならない。そうでありまするから、国防国家の建設に役に立った
行政機構をもって平和国家をつくるということは相当困難ではないかという状況である。しかし困難な作業と戦後日本が同じ要素で取り組んでみたものですから、結局そういう建物をつくるために能力の少ない人が新しい平和国家と取り組んでいく、国防国家をつくるためにはすばらしく能力のある士でありまする者も、平和国家をつくるためにはあまり能力がない、そういう
人々に平和国家の担当をやらしたものですから、少ない人教でりっぱな業績をあげることができなくて、結局人員というものは、ぐんぐんと多くなってしまったのだろうと思います。ことしなんか見ておりますと、一
省庁一局
削減とこう
政府が言いながら、同じ
政府の
行政官なんでありますけれども、そんなことは馬耳東風で、局は八つ多くしてもらいたい、部は八つ多くしてもらいたい、課に至っては六十四多くしてもらいたいという要求を平気でやっている。
政府の
政治姿勢は一
省庁一局
削減といっておりながら、その下部機構であります全体の
行政機構は、逆に局と部と課の増設を要求するというちぐはぐな現象があらわれておるのは何が
原因だといいますと、私はそういうところに
原因があるのではないかと思います。したがって、現在の
行政機構というものを見ておりますと、機構の点でも、組織の点でも、運営の点でも、
国民に
納得のいかないものというものはたくさんあると思います。そういう点から見まして、やはり
行政機構の改革というものは大胆にやらなければならないのじゃないだろうか。それは
国民の声になっておった。それから、私もこの問題と取り組むにつきまして、
行政改革をやった国とやらない国を比較対照してみたのでありまするが、アメリカは戦後やろうと思ってフーバー
委員会かなんかをつくりましたけれども、各州は
行政機構は戦後に備えて大胆にやったようでありますけれども、アメリカ合衆国としては中途はんぱに終わってしまった。戦前のアメリカは、
行政機構は
国民に対する単なるサービス機関で済んだのだろうけれども、戦後あのように世界各国に出てまいりまして、そして世界各国でものを言ってみよう、こういうことになりますと、そういう点で、改革をしなかったものですから、そういう
使命感を持てない、そういう要素のない者がヨーロッパに出ていったり、アジアに出ていったりして、それがことごとく失敗した大きな
原因なんじゃないだろうか。その
原因は、
行政改革をやらなかったことが、アメリカの世界に臨んだ失敗の一番大きな
原因ではないか、こういうふうに私は大観いたしております。イギリスなんかもそのとおりでありまして、戦前は七つの海を支配して、世界じゅうに植民地を持たない場所はなかった。戦後はそこを全部捨ててしまったので、その方面の
行政を担当しておった役人が十万人も帰ってくる。世界各国から金が入ってこなくなったのと逆に、多くの人間をかかえていかなければならない。そういう窮地に追い詰められたときに、イギリスはそれに相応する
行政改革というものをやっていなかったことが、昔日の面影を全くなくしたイギリスになったのじゃないだろうか。現状なんか見ますると、実に見る影もないイギリスになったのじゃないだろうかということを私は思います。そういう点になりますと、フランスなんかでは、数世紀にわたってフランスだけでなくヨーロッパにも臨んでおったルイ王朝が崩壊した。フランス革命のために崩壊した。ルイ王朝時代の
行政機構は
一つの搾取の機構だったのだろうと思いますが、そういうような搾取機構でなくて、
ほんとうに人民のための
行政機構をつくらなければならないというどたん場に行ったときに、革命の中心人物である、ミラボーが方向を与えて、そしていまのフランスの民主的な
行政機構になった。それがあったればこそ第二次大戦争のときには、それを中心にしてレジスタンス運動をやることができたのじゃないだろうか。そしてドゴールが帰ってきて大胆な
行政改革をやったということが、フランスの現状を確立した一番大きな
理由なんじゃないか。
こういうようなことを
考えますると、
行政機構の改革というものはやはり大胆にやらなければならない。それが日本の将来のためである。何と申しましても、昔の日本は軍隊と
行政機構という二つの柱の上に立っておったのでありまするが、軍隊というものがなくなってしまって、ただ一本の
行政機構で生きねばならないのであります。人体にたとえますと、骨格にもひとしい
行政機構だけは骨組みのじょうぶなものにしておかなければならないということは、大体おぼろげながらも
国民の世論だったろうと思います。それを総理が切実に感ぜられて、
ほんとうに
取り上げるという
決心をして取り組まれたのが、去年のアメリカに出かける前であります。私はこういうように、これは私見でありまするが、観察いたしております。
行政機構の改革に対しましては、総理の
決心は不動であるだけでなく、異常な決意をもって臨んでいらっしゃる。したがって私は、それを背景にしていま
行政機構の改革と取り組んでおる次第なのであります。