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1968-04-03 第58回国会 衆議院 内閣委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年四月三日(水曜日)    午後一時四十四分開議  出席委員    委員長 三池  信君    理事 井原 岸高君 理事 上村千一郎君    理事 浦野 幸男君 理事 塚田  徹君    理事 松澤 雄藏君 理事 大出  俊君    理事 受田 新吉君       赤城 宗徳君    荒舩清十郎君       内海 英男君    桂木 鉄夫君       菊池 義郎君    佐藤 文生君       塩谷 一夫君    藤尾 正行君       藤波 孝生君    淡谷 悠藏君       稻村 隆一君    武部  文君       浜田 光人君    安井 吉典君       鈴切 康雄君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      田中 龍夫君  出席政府委員         内閣法制次長  吉國 一郎君         宮内庁次長   瓜生 順良君         文化財保護委員         会事務局長   福原 匡彦君  委員外出席者         専  門  員 茨木 純一君     ――――――――――――― 三月十九日  委員武部文辞任につき、その補欠として八百  板正君が議長指名委員に選任された。 同日  委員八百板正辞任につき、その補欠として武  部文君が議長指名委員に選任された。 同月二十一日  委員内海英男君、塩谷一夫君、野呂恭一君及び  藤波孝生辞任につき、その補欠として綱島正  興君、馬場元治君、福田赳夫君及び村上勇君が  議長指名委員に選任された。 同日  委員綱島正興君、馬場元治君、福田赳夫君及び  村上勇辞任につき、その補欠として内海英男  君、塩谷一夫君、野呂恭一君及び藤波孝生君が  議長指名委員に選任された。 同月二十二日  委員伊藤惣助丸君辞任につき、その補欠として  渡部一郎君が議長指名委員に選任された。 同月二十三日  委員野呂恭一辞任につき、その補欠として南  條徳男君が議長指名委員に選任された。 同月二十六日  委員渡部一郎辞任につき、その補欠として伊  藤惣助丸君が議長指名委員に選任された。 同月二十七日  委員伊藤惣助丸君及び鈴切康雄辞任につき、  その補欠として渡部一郎君及び竹入義勝君が議  長の指名委員に選任された。 同月二十八日  委員塩谷一夫君及び華山親義辞任につき、そ  の補欠として中尾栄一君及び山本幸一君が議長  の指名委員に選任された。 同日  委員中尾栄一辞任につき、その補欠として塩  谷一夫君が議長指名委員に選任された。 同月二十九日  委員桂木鉄夫君、塩谷一夫君、藤波孝生君、竹  入義勝君及び渡部一郎辞任につき、その補欠  として村上勇君、綱島正興君、倉石忠雄君、石  田幸四郎君及び伊藤惣助丸君が議長指名で委  員に選任された。 同日  委員倉石忠雄君、綱島正興君及び村上勇辞任  につき、その補欠として藤波孝生君、塩谷一夫  君及び桂木鉄夫君が議長指名委員に選任さ  れた。 四月一日  委員伊藤惣助丸君辞任につき、その補欠として  渡部一郎君が議長指名委員に選任された。 同月二日  委員石田幸四郎君及び渡部一郎辞任につき、  その補欠として鈴切康雄君及び伊藤惣助丸君が  議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 三月二十三日  許可、認可等の整理に関する法律案内閣提出  第九五号) 同月二十六日  恩給法等の一部を改正する法律案内閣提出第  五四号) 同月二十二日  公務員賃金抑制及び定員削減反対等に関する  請願田代文久紹介)(第二八二二号)  同外一件(野口忠夫紹介)(第二八三七号)  同(浜田光人紹介)(第二八三八号)  同(浜田光人紹介)(第二九一〇号)  同外二件(野口忠夫紹介)(第二九一一号)  同(田代文久紹介)(第二九七〇号)  同(松本善明紹介)(第二九七一号)  同(米内山義一郎紹介)(第二九七二号)  同(浜田光人紹介)(第二九九八号)  国及び地方公共団体建設関係職員現場手当支  給に関する請願松澤雄藏紹介)(第二八三  六号)  同(植木庚子郎君紹介)(第二九六九号)  同(竹内黎一君紹介)(第二九九七号)  元満鉄職員であった公務員等恩給等通算に関  する請願毛利松平紹介)(第二九〇九号) 同月二十六日  公務員賃金抑制及び定員削減反対等に関す  る請願外一件(野口忠夫紹介)(第三〇一八  号)  同(安宅常彦紹介)(第三〇六一号)  同(赤路友藏紹介)(第三〇六二号)  同(淡谷悠藏紹介)(第三〇六三号)  同(井岡大治紹介)(第三〇六四号)  同(井手以誠君紹介)(第三〇六五号)  同(石野久男紹介)(第三〇六六号)  同(大出俊紹介)(第三〇六七号)  同外二件(横山利秋紹介)(第三〇六八号) 四月一日  恩給共済年金等に関する請願岡本茂君紹  介)(第三二二四号)  国及び地方公共団体建設関係職員現場手当支  給に関する請願田村良平紹介)(第三二二  五号)  同(久保田円次紹介)(第三三七五号)  公務員賃金抑制及び定員削減反対等に関する  請願川上貫一君外一名紹介)(第三二七一  号)  同(谷口善太郎紹介)(第三二七二号)  同(田代文久紹介)(第三二七三号)  同(林百郎君紹介)(第三二七四号)  同(松本善明紹介)(第三二七五号)  元満鉄職員であった公務員等恩給等通算に関  する請願外一件(愛知揆一君紹介)(第三三三  六号)  同外二件(愛知揆一君紹介)(第三四〇〇号)  恩給の不均衡是正に関する請願外七件(中曽根  康弘君紹介)(第三四〇一号) は本委員会に付託された。     ―――――――――――――三月二十一日  恩給の不均衡是正に関する陳情書  (第一〇八号)  靖国神社国家護持立法化反対に関する陳情書  (第一五五号)  退職公務員恩給等増額に関する陳情書  (第一七二号)  公務員賃金抑制及び定員削減反対等に関する  陳情書外八件  (第一七三号)  自治省選挙局廃止反対に関する陳情書  (第一七四号)  金鵄勲章受章者の処遇に関する陳情書  (第一七五号)  大谷部落差別扱い撤廃に関する陳情書  (第  一七六号)  同和対策事業補助率調整等に関する陳情書  (第一七七号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  総理府設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第六八号)  恩給法等の一部を改正する法律案内閣提出第  五四号)  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出第一二号)      ――――◇―――――
  2. 三池信

    ○三池委員長 これより会議を開きます。  総理府設置法の一部を改正する法律案及び恩給法等の一部を改正する法律案議題とし、趣旨の説明を求めます。田中総理府総務長官
  3. 田中龍夫

    田中国務大臣 ただいま議題となりました総理府設置法の一部を改正する法律案について、その提案理由及び概要を御説明申し上げます。  改正点の第一は、沖繩におけるアメリカ合衆国の政府機関との協議に関する事務を、総理府付属機関であります日本政府南方連絡事務所所掌事務に追加し、これに伴い、同事務所名称日本政府沖繩事務所と改めるものであります。  これは、昨年十一月ワシントンで行なわれました日米首脳会議におきまして、沖繩本土復帰に備え、本土沖縄との社会経済体制の一体化の促進及び住民福祉の増進のため、高等弁務官に対し、勧告し助言することを任務とする諮問委員会那覇に設置することとなったのでありますが、これと同時に、那覇日本政府南方連絡事務所の機能を拡大し、高等弁務官及び米国民政府共通関心事項につきまして協議することができるよう合意されたのであります。  このような措置をとることと相なりました趣旨は、沖繩とその住民に関する諸問題の解決につき日米両国政府協力体制をより一そう緊密化し、沖繩現地において解決することが適当な事項について、より迅速かつ円滑に処理することができるようにいたすことにございます。  このため、従来米国民政府との連絡に関する事務が主たるものでありました南方連絡事務所所掌事務に、米国政府機関との協議に関する事務を新たに加えることとし、この事務外交事務に属するので、その執行については外務大臣指揮監督を行なうことといたしました。同時に、同事務所名称を新しい所掌事務に相応するよう日本政府沖縄事務所と改称すること等所要改正をいたしたのであります。  第二は、総理府付属機関として、さきに設置期限の経過いたしました同和対策協議会を再び設置し、その設置期限昭和四十五年三月三十一日までとするものでございます。  同和対策協議会は、同和対策として推進すべき施策で関係行政機関相互の緊密な連絡を要するものに関する基本的事項調査審議することを目的として、去る昭和四十一年四月一日に総理府付属機関として設けられたものでございますが、その設置期限は、昭和四十三年三月三十一日までとされていたところでございます。  同協議会は、昭和四十年八月に行なわれました同和対策審議会答申趣旨に沿って設けられ、同和対策に関する長期計画策定とその円滑な実施をはかるために、総会、部会等を合わせ約五十回にわたりまして開催するとともに、昨年、政府の行ないました全国の同和地区を対象とする実態調査に協力する等終始熱心かつ慎重な審議を行なってまいったものでございます。  特に、昨年二月には、中間的な意見書といたしまして「同和対策長期計画策定方針に関する意見」が提出され、長期計画についての基本的方針を明らかにいたしますとともに、現在は、同和対策の推進に関する法律制定問題等関係行政機関相互連絡を要するものに関する基本的事項調査審議に当たってまいったのでございます。  同協議会は、昭和四十二年度中にこれらの調査審議の結果をまとめるべく鋭意努力してまいったのでございますが、これが結論を得るためには、なおしばらくの期間を要すること等の実情にかんがみまして、さらには、同協議会の要望をも考慮いたしまして、調査審議期間として、新たに、二カ年の期間を充てることが適当であると認めるものであります。  このような事情によりまして、再び同和対策協議会を設置し、その設置期限昭和四十五年三月三十一日までとすることが必要であると考える次第でございます。  以上が、この法律案提案いたしました理由及び概要であります。  何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御賛同あらんことをお願いいたします。  次に、ただいま議題となりました恩給法等の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び概要を御説明申し上げます。  この法律案による措置は、恩給年額増額であります。  恩給年額につきましては、一昨年十一月恩給審議会から、当面恩給増額は、緊急に措置するのが適当であるとの中間答申がなされました。政府といたしましては、この答申の御趣旨を尊重するとともに、六十五歳以上の老齢者、妻子である遺族、傷病者の置かれております立場を考慮いたしまして、昭和四十二年法律第八十三号により、昭和四十年に改定せられました普通恩給及び扶助料年額を、その受給者の年齢に応じ、七十歳以上の者については二八・五%、六十五歳以上七十歳未満の者並びに六十五歳未満の妻及び子については二〇%、六十五歳未満の者については、妻及び子を除き一〇%の増額を行なうこととし、また、公務傷病者にかかる恩給につきましては、増加恩給及び七十歳以上の者が受ける傷病年金については二八・五%、七十歳未満の者が受ける傷病年金については二〇%の増額を行ない、昭和四十二年十月から実施いたしたのでございます。  しかしながら、最近の経済情勢にかんがみ、昭和四十三年度も恩給年額の改善を行なうのが適当と考えまして、昭和四十年法律第八十二号により改定せられました恩給年額に対する昨年の増額率二八・五%のものについては三五%に、二〇%のものについては二八・五%に、一〇%のものについては二〇%に、その増額率をそれぞれ修正いたしまして恩給年額増額を行なうこととし、昭和四十三年十月から実施いたそうとするものでございます。  右の措置のほか、恩給年額増額措置に伴いまして普通恩給についての多額所得者に対する恩給停止基準を改めますとともに、その他所要改正をいたすことといたしております。  以上が、この法律案提案理由及び概要でございます。  何とぞ、慎重御審議の上、すみやかに御賛同あらんことをひとえにお願い申し上げます。      ————◇—————
  4. 三池信

    ○三池委員長 皇室経済法施行法の一部を改正する法律案議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。稻村隆一君。
  5. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 この問題は内閣委員会でも二、三度問題になったと思うのですが、皇室典範憲法との問題について政府並びに宮内庁当局見解をお聞きしたいのです。  というのは、私は何もいまここで皇室典範を持ち出して憲法上の問題の理論をもてあそぼう、こういうのじゃないのです。しかし皇室典範憲法のことをいろいろ研究してみますと、万一の場合、憲法運営の上に重大な支障を来たす問題が存在していると私は思うのです。  そこであえてお尋ねするのですが、皇室典範の第一条において、「皇位は、皇統に属する男系男子が、これを継承する。」と、こうなっておりますが、これは明らかに帝国憲法時代皇室典範考え方を残そうとする一部の学者の方、あるいは宮内庁方面にもあったかもしれないが、その人たちの強いお考えによって私はこういうのが残ったと思うのですが、これは私は明瞭に憲法第十四条の精神に背馳すると思うのです。違反とか何とかということは言わないけれども……。むろん人間歴史を見て、古い文化がなければ新しい文化はない。古い文化発展が新しい文化なんだから、あらゆる制度において、法律において、その国独得の慣習、制度をできるだけ残すということは私は必要だと思うのです。しかし、これはあくまでも発展させなければならない。古い文化はそのまま古い文化としておくのじゃなくして、古い文化を常に人間の進歩とともにそれに適応するように発展させることが私は必要だと思うのです。  そこで、新憲法においては天皇の地位は第一条において明白に規定されております。そういう場合において、古い制度の上にやはり新しい人民主権精神というものを取り入れなければならない。そういう意味において世襲制度であるから、そこで憲法十四条の規定世襲制度においては適応することを考慮する必要はないという議論は、私は根本から間違いであると思うのです。法理論としてはどうかわからないけれども、成り立つかもしらぬけれども、憲法精神から見ると間違いである、だから私はこの点を改正する必要はないかどうか、政府並びに宮内庁当局にお尋ねしておきたい、こう思うのであります。
  6. 田中龍夫

    田中国務大臣 ただいまの御意見に対しまして、私どもがただいままで考えております考え方を申し述べますと、憲法第十四条におきまして、新憲法は平等の原則を打ち立てておりまするが、同時にまたそれに対しまする一つの特例とも申すべき意味におきまして、第二条におきまして皇位世襲を申しておる、こういう関係に立つと存じます。そしてまた皇位世襲の問題につきましては、皇胤をたっとび男系男子皇位を継がれるのがわが国の伝統考え方であろう、こういうふうに考えておる次第でございまして、ことに現在皇太子殿下をはじめといたしまして多数の男子の方々もおられるわけでございます。ただいま先生の御意見といたしましては拝聴をいたしておりまするが、今日まで政府のとってまいりました考え方と申しまするものは、大体ただいま申し上げたような姿であるわけであります。
  7. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 日本歴史とか伝統とかいうことになれば議論がありますから、おのおの考え方がありますから……。日本歴史からいっても八人の女帝おいでになる。私は女帝論者でも何でもない。しかし、今日皇族の数が非常に少ない。それから一つ制度というものは、万一の場合を考慮して制定するのが当然なんです。現実的にはかりにあり得ないとしても、将来万一の場合にあり得ることがあるのです。そこで、もし皇室及び皇族男子がなかった場合、一体どうするか、男子がかりにあられても逝去される場合もある、そういう場合はどうするか、そういうことを私はお尋ねする。これは架空の問題かもしれないけれども、現実的にはあり得ることですから。特に皇族の数が非常に少ない今日においてそういうことはあり得る。過去の日本歴史においてもそういうことがあったんですから、そういう意味においてそういう場合どうしますか。もし、皇室及び皇族男子があられない場合、一体どうするつもりですか。その点をお尋ねしておきたいと思います。
  8. 田中龍夫

    田中国務大臣 いろいろと将来をおもんぱかっての御配慮に対しまして、深く敬意を表する次第でございますが、将来の問題といたしましては、あるいはさようなことを検討しなければならぬ場合があるかもしれませんが、そのときには、わが皇室伝統国民感情とを考慮いたしまして検討をすればよいのではないか。現在の時点におきまして、現行の皇室典範を特に改める必要はないというような見解のもとにただいま立っておる次第であります。
  9. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 ですから、私が前に言ったとおり、あらゆる制度を制定する場合には万一の場合を考慮してやらなければならぬということを言っておるわけです。それを無理に男系男子でなければならぬということ、どうしてそういうふうな規定をしたかということ。いろんな歴史的な事情があったでしょうが、その点いろいろ学者の間にも論争があった。現に女帝を認めるべきでないかというふうな議論が当時の国会においては大半議論だった。私最初出ておりませんでしたが、大半議論だった、こういうことなんです。学者の間でも論争があった。宮澤博士のごときは、どうしてこういうことをきめたんだろうというふうなことを自分の著書に書いております。そういう点に対して無理に、現実にそういう心配がないからといって、男系男子でなければ皇位継承の権利がないなんという規定をしたことは非常に危険じゃないか。これは即刻改正すべきである。御存じのように、皇室典範は旧憲法と違って国会において自由に改正できるんですから、そういう点で、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておりますか。そういう政治的な問題をあまりあなたにお答えさせるのはお気の毒なんですけれども、私は、こういう男系男子でなければ皇位継承権がないような第一条の規定をされるにあたって、宮内庁方面の意向がずいぶん大きく作用したんじゃないか、こう考えております。
  10. 瓜生順良

    瓜生政府委員 男系男子皇位を継がれるという皇室典範規定、これは私もそのきめられた当時のこともいろいろ聞いておりまするが、要するに皇位世襲であるというように憲法第二条で書いてありまして、では世襲という場合に、いままでの伝統的な世襲のなさり方がどうであったかというような点を検討されたようであります。そうしますと、原則男系男子である。しかし男系男子となっておりましても、たとえば、ちょうどあと継ぎされる方が非常に小さいとかいうような特別の事情があった場合に、臨時に女子の方がなっておられますが、ずっと見ますと男系女子、ある天皇さんのお子さんとかその系統の方が皇后さんになっておられたり、あるいはまたいろいろそういう関係の方が継いでおられる場合がある、これが例になっております。それで男系という点は動いておらないわけです。しかし、男系男子になりますと、歴史男系女子というのもありますから、場合によってはそういうことも絶対排除していかなければならないんじゃないかという点もあるわけであります。しかし、そういう場合も、男系男子の方がどうしてもない場合の例外的な御措置でありますというようなこと。また、外国の英国あたりの例を見ましても、あそこは女帝制度を認めておられますが、やはり男系男子の方と女子の方で同親等、たとえばごきょうだいとかいう場合は、男子の方がおられれば男子の方がお小さくても皇位を継がれる、どうしても男子がない場合に女子が継がれるというので、ほんとうの平等でもないわけであります。その当時の状況から見て、一方男系男子皇位継承権者が相当おいでになる。現在でいいますと、皇太子殿下、それに次いでは浩宮さん、それから礼宮さん、常陸宮さん、高松宮さん、三笠宮さん、三笠宮さんに男の親王の方が三方おられます。そういうように現在では相当おいでになりますから、特に先生がおっしゃいますようなことは、現在ではあまり不安がないというようなことです。しかし将来にわたって先生がおっしゃるような場合があれば、これはやっぱり検討をすべきことであるかもしれない、こう思っておるわけで、現在ではその必要がないというふうに考えております。
  11. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 私は、さっき言ったとおり、男子とか女子とかいうことはあまり問題にしているのではないのです。もしも男子の方がおありにならぬときに一体どうするか。だから万一のことを考えて、そういうことを区別しないで、新憲法精神にのっとって、女子皇位継承権があるように皇室典範改正したらどうかという意見なんです。  もう一つ、私が重大な問題をここで提起したいのは、もし皇室皇族男子がない場合、これも仮定の問題だがあり得ることなんだから、天皇が突如として崩御された場合にどうするか。天皇国事行為ができなくなるから、そこで憲法運営が不可能になりますよ。そういう重大な問題が出てこぬとも限らない、現在ではむろんそういう心配はないけれども。しかし、憲法精神というものは、長い間の歴史によるもので、厳密にはその国独特の憲法なんかありはしない。これは長い間人類があらゆる暴君の圧制と戦ってつくり上げた憲法で、その共通のものは、憲法には必ずあるのです。人民主権憲法はかりに世の中が変わって資本主義社会から社会主義になったと仮定しても、この人民の戦いの過程からかちとった憲法精神というものは永遠不滅なんです。いろいろ変わるけれども、いろいろ憲法発展していく。憲法改正するとか改正しないとかいう議論が出ても、憲法だって、これは永久に発展していっている、あらゆる制度は、古いものから発展していっている。そういう意味で私は、この憲法永遠精神に立って申し上げる。その憲法には、常に世界共通の問題がむろんある。共通のものが多い憲法だ。しかし、その国のいろいろな特殊事情によって、たとえば日本には天皇象徴として存在している。第一条において、天皇は明瞭に——日本国人民主権の、世界で一番民主主義的憲法だといわれる憲法のもとにおいても、天皇象徴としてちゃんとりっぱに存在している。そういうときに私は、この憲法永遠発展ということを考えて、その憲法を制定するときには、新しい時代と常に背馳しないように、こういうものをつくる人は、よほど慎重に検討しておかなければならない、そういう意味から私は言っている。そういう場合、どうするか。もし、皇室皇族男子がなく、しかも天皇が突如として崩御された場合、どうするか。そんなことはあとのことだから、どうでもいいと笑う人があるけれども、笑う人が間違っている。そういう場合には、憲法運営はできなくなってしまうじゃないですか。これに対してどうですか、総務長官政府としてどういう考え方を持っておりますか。こういう場合もあり得るのですよ。重大問題ですよ、これは。
  12. 田中龍夫

    田中国務大臣 将来のあらゆる問題を想定して、ここに典範を十分に整備しておこうというお考えのほどはよくわかる次第でございます。そういうふうな御高見も十分承りまして、また今後政府としても考えてまいりたい、かように考えております。
  13. 稻村隆一

    稻村(隆)委員 受田委員があとでまた詳しくお尋ねするそうでありますから、私はこのくらいでやめますけれども、この皇室典範は、私ははっきり申し上げますが、古い皇室典範をそのまま残そうとしたから、こういうことになったのであって、いま私が言ったように、皇室皇族男子がおありにならず、女子のみになり、しかも天皇が突如として崩御された場合においては、国会の召集すら不可能である。こういうふうな不用意な皇室典範を、あくまでも、これは間違いないと言うて、改正もしないでほうっておくということは、将来重大な禍根を残すということを申し上げている。  私の質問は、あとで受田委員からいろいろこまかいお尋ねがあると思いますから、これだけで終わりたいと思っておりますが、総務長官におかれては、これは重大な憲法上の問題ですから、よく総理大臣その他とも打ち合わせの上、こういう問題は明確にやはり考えを決定しておくことが必要だと思う。ひとつよろしくお願いしたいと思います。
  14. 三池信

    ○三池委員長 受田新吉君。
  15. 受田新吉

    ○受田委員 それでは、目下審議中の皇室経済法に関係した質問を続行させていただきましょう。  この前、総務長官の御苦労を願わなければ解決のできない問題がありましたので、これをはさみながらお尋ねをしたいと思います。また、総務長官には御病気のまだ完全になおっておられない段階でたいへん御苦労さまですが、国務のためにせいぜいおからだを大事にされて、あまりお疲れでしたらいつでも退席していただいてけっこうです。  この皇室関係の問題の中に、いま稻村委員からもお尋ねになったようでございますが、私がすでに十数年前から問題を提起している事項があります。これは決してゆめおろそかにできない国の基本的な問題として、きょうは総務長官に、また法規的には法制局長官に、あるいは宮内庁長官にお尋ねをして、御所信を承りたいと思うのです。  皇室典範という法律は、昔のように、国権を重んじ国法に従いという、当時の憲法と同格にあった地位から、法律事項となりまして、政府が御提案になってもよろしいし、国会でこれを提案してもいいというような形になっているわけです。したがって、非常に民主的な法律ということができる。ところが、その中に盛られておる規定の中には、旧憲法精神をそのまま踏襲しているところが大半である。新時代に即応する規定として当然改めてほしいところがそのままになっているという点、これは稻村委員が指摘されたことにも関係しまするが、私なりにひとつあらためてお伺いします。  この近代的国家で、特に西欧民主主義諸国家におきましては、イギリスのように女系の女子が王位継承権を持つ国もあれば、オランダのような国もある。むしろ女王が治めるときのほうが国がよくまとまって成果をあげるというのは、ビクトリア女王などでしばしば英国でたたえられていることである。——いまのエリザベス女王のときにはちょっとおかしなことになっているようでございますが……。いずれにしても、女王という存在は非常に意義がある。  わが国におきましても、三十三代の推古天皇から三十五代の皇極天皇——それが三十六代を越えて三十七代には斉明天皇として重祚されている。それから天武、持統、文武といって、四十三代に元明天皇女帝の御身をもって奈良朝を始められた。次いで女帝の元正天皇があらわれる。そのあとで仏教を盛んにした聖武天皇という男性が一人おられるが、引き続き孝謙天皇も女性の天皇であられる。淳仁天皇を飛んでまた称徳天皇が重祚された。奈良七代七十余年間の治世は、「青丹よし奈良の都は咲く花のにおうがごとくいま盛りなり」といわれて、奈良のあの平和な明るい時代が後世にもたたえられている。その七代の中の四代までは女帝であった。これが日本の特色ですね。そうして徳川時代に入っても、後水尾天皇が徳川幕府の横暴を嘆いて、「葦原よしげらばしげれおのがままとても道ある世にあらばこそ」と嘆きたもうて、そのあとに皇女明正天皇皇位につかれた。これが百九代です。それから徳川末期に至っても後桜町天皇というお若いお嬢さんの天皇がおつきになられた。日本歴史を見ても、八人の女性の天皇おいでになる。そうしてその女性の天皇がおられるときは必ず対立抗争を避けて平和であった。皇祖天照大神も女の神さまであった。これはもう記紀の伝説の説くところによってもきわめてはっきりしておる。これは別に女なしでは夜も明けぬ国という意味とは違って、女性がおられるとそこに潤いがあって、どこかに対立抗争を避けて平和な国づくりができるという伝統日本にもあると思うのです。それを明治憲法と同じように男系男子皇位継承権が踏襲されているというところに問題があると思う。これはこのあたりでひとつ近代的国家として国民の象徴として天皇御一家であるという時代になれば、男女同権の新憲法及び民法の精神からいっても女帝の出現を期待させていただくような時世ではないか。女系の女子とまでいかなくても男系女子皇位継承権が存在するという形にこのあたりで切りかえる時期が来ておる。歴史のよってくるところと、諸外国の平和な明るい国づくりをしている国の女帝の存在とをあわせて、これを古今に通じて誤まらず、これを中外に施してもとらずという、中外から見ても、古今を通じて見ても、女帝の存在は非常に意義があると思うのでございまするが、大臣の御見解をひとつ伺います。
  16. 田中龍夫

    田中国務大臣 受田先生がお越しになります前に、稻村先生からこの女帝論に対して政府考え方はどうかというお尋ねがありましたので、大体今日までの政府としての見方、考え方を一応申した次第でございます。それは重複いたしますが、憲法第十四条で男女の同権ということは唱えられておりまするが、その特例的な意味におきまして第二条の皇位継承の問題が出ている。しかも、それは男系男子というたてまえをとっているということを申した次第でございます。しかしながら、この今日の皇室典範というものが、皇族に対しまする、また皇位に対しまする諸規定といたしましては、私はまだまだ不備な点も多々あるのではないかとも考える次第でございまして、ただいまお話しのような女性の皇位継承という問題等々の歴史的な考証をおあげいただきました受田先生の御高見に対しましても、深く御注意と申しますかいろいろとお考えのほどをありがたく存ずると同時に、われわれ政府といたしましても、これは十分にいろいろと今後ともに研究もしまた考えていかなくてはならない、かように存ずる次第でございます。
  17. 受田新吉

    ○受田委員 私がいま指摘しましたことは、歴史的な誘因、そして日本と親しくおつき合いをしておる国々の女王の存在、いろいろな観点から、いま御指摘になった憲法精神、新民法の精神こういうものを皇室典範に生かすべきであるが、ただ単に憲法精神とかあるいは民法の精神だけでなくして、歴史的な事実に立った立場からの理由を、いま私、開陳したわけでございますが、男系男子とせざるを得ない理由をちょっともう一度明らかにしていただきたい。
  18. 田中龍夫

    田中国務大臣 この皇位男系男子として原則的にきめ、またその間に歴史女帝もいろいろあられたわけでございますが、しかし御皇室の今日までのあり方が伝統的にそういうふうな姿になっておるという以外に強い私から主張を申し上げるだけの材料を持っておらない次第でございまして、ひとつ宮内庁のほうの御見解もあると存じますので、そちらのほうからもお答えをいただきたいと思います。
  19. 瓜生順良

    瓜生政府委員 この男系男子皇位を継がれるということがわが国の皇位世襲のなさり方の伝統的な原則であるということで、そのことが皇室典範に書かれたものと思います。しかし、先生がおっしゃいますように、ごくわずかではございまするが、臨時に例外的に男系女子の方が皇位につかれておる過去の歴史もございますので、それを全然無視していいかどうか、そこには疑問はあるわけです。しかし、私の想像ですが、皇室典範をきめられるその際においても、男系男子の方が数方もおられまして、特に臨時例外的に女子の方が皇位につかれなければいけないようなことが近い将来にすぐに予想されなかったことで、それで結局原則をそこに書かれたものと思うわけであります。将来やはりその原則だけでなくて、臨時例外的な、女子の方がおつきにならなければならない、男子の方がおいでにならないというようなことが予想されるようなことがあれば、そういう場合に典範をまた改正すればいいというようなことにあったのではないか、こういうふうに私は推察いたしております。
  20. 受田新吉

    ○受田委員 原則というのはどこから出たか、つまり明治憲法原則にされたということですか。
  21. 瓜生順良

    瓜生政府委員 これはずっと日本皇室歴史でありまして、奈良朝時代女帝の方が多うございますけれども、それもそのときにちょうど男子の方で皇位につかれる適当な方がなかった、非常にお小さいとか、そういう特別のいろいろ理由で例外的にそういう方がおつきになったわけであります。やはり男子の方で適当な方がある場合においては常に男子の方が皇位につかれた、そういう歴史的な伝統というものを基礎にしてそういうふうにきめられたものと私は思います。
  22. 受田新吉

    ○受田委員 奈良朝時代でも皇伯叔父という方々が全部おられる。だからそちらに男系であればいくべきですね。それを皇女子皇位を継承されたというのは、便宜的なものではなくてやはり女性を尊重するという気風があったと思うのです。その皇位継承ですが、昔は不文律としてそういうものがあったのかどうか。女性は皇位につけないということがあったのかどうか。つまり原則というのは歴史を流れているということをいま仰せられたと思うのでございますが、その原則の中に例外を認めるという規定が、現に原則を不文律とされたとしても例外が事実たくさん出ております。八例にわたってできている。それを新憲法のもとにできた皇室典範がなぜ拒否をしたかということ。  もう一つは、明治の皇室典範には皇嫡子、皇庶子とが並べてある。皇庶子が皇位を継承するのは「皇嫡子孫皆在ラサルトキニ」ということが書いてある。この皇嫡子と皇庶子という旧皇室典範規定は、やはり嫡子、庶子ということを含めた意味男系男子かどうか、これとあわせて御答弁願います。
  23. 瓜生順良

    瓜生政府委員 皇嫡子、皇庶子の問題でございますが、私の聞いておるところでは、新しい皇室典範の場合には、皇庶子はたしか予想してなかったのではないかと思います。やはり正式の結婚というのはお一人の配偶者という考え方からきているように思います。これは私、専門でないのでちょっとこまかいことは浮かんできませんが、そういうように記憶いたします。
  24. 受田新吉

    ○受田委員 法制局次長に伺いますが、皇嫡子、皇庶子を含む意味男系男子という意味かどうか、法律的な解釈で御答弁願います。
  25. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 この点は皇室典範が制定せられましたときの第九十一回帝国議会におきまして当時の金森国務大臣が説明をいたしておりますが、旧憲法時代の旧皇室典範と新しい憲法のもとにおきます皇室典範におきまして、皇位継承の資格者については今後はできるだけ嫡男系、嫡出に限定するということになっております。皇位そのものの永続性ということを念頭に置いて考えますならば嫡出者以外にもその範囲を認めることに一応理由はある。しかし、新憲法になりまして道徳的判断というものが漸次変遷をしてまいった現在の段階においては、嫡出者としからざる者、つまり嫡出者、庶出者との間に相当大きな変化を加えるということは、当然のことではないかというようなことで、一方においては皇位の永続性と申しますか永久性と申しますか、他方においては世の中における道義的な判断というものを折衷して、新皇室典範におきましては旧皇室典範と違いまして嫡出者に限ったという説明をしております。おそらくそのようなところがこの皇室典範の現在の規定趣旨であろうと存じます。
  26. 受田新吉

    ○受田委員 この規定だけからいえば、それは趣旨の説明の中にあったのであって、法律的には嫡出子と庶子と区別してないですね。法律的な解釈から御答弁願いたい。嫡出子に限るということはどこに法律的にうたってあるかということです。
  27. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 現行法の第六条の「親王・内親王・王。女王」に関する規定がございますが、「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、」云々という規定がございまして、皇族に属せられる方は嫡出系、嫡男系嫡出のみに限定せられております。したがいまして、第一条で「皇位継承の資格」として、「皇位は、皇統に属する男系男子が、これを継承する。」という規定ももちろん皇族に限るわけでございまして、皇族になられる範囲が嫡出に限定せられておるということであろうと思います。
  28. 受田新吉

    ○受田委員 そうしますと、そこに嫡出嫡男子という規定がある。この規定皇位継承のところにないですね。皇位継承権のところにうたってないです。これは名称を言うておるのであって、皇位継承権の範囲は嫡出に限るとどこに書いてありますか。
  29. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 第一条は、「皇位は、皇統に属する男系男子が、これを継承する。」とございます。それから第二条に「皇位継承の順序」の規定がございまして、第二条の第一項でございますが、「皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝上える。」といたしまして、第百万に「皇長子」、第二号に「皇長孫」、以下第七号まで規定がございます。二項、三項でそれを補う規定がございますが、ここで皇族に伝えるということが規定してございます。皇族は、先ほど申し上げました第六条で嫡出ということが限定せられておるわけでございますから、皇位を継承せられる方は嫡出に限るということに相なると思います。
  30. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、うしろのほうの規定を前にさかのぼって適用するという解釈になるわけですね。初め嫡の字をうたわなくてもおしまいにあることでそれがいくという解釈に立つわけですか。それでいいのですね。
  31. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 そのとおりでございます。
  32. 受田新吉

    ○受田委員 そうしますと、皇庶子のお子さんはどういうかっこうで扱われることになるのですか。あり得ないと解釈するわけかどうかです。
  33. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 かりにそういう方がお生まれになったといたしますれば、その方は皇族ではないということになると思います。
  34. 受田新吉

    ○受田委員 したがって、皇族の特権も全然ないので、庶民よりも不幸な存在になるということですね。
  35. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 その方は一般の国民と全く同じ地位にお立ちになるということであると思います。
  36. 受田新吉

    ○受田委員 そうしますと、皇族に与えられたる財政上の措置というものも全然ないわけだ。財政上の措置のない皇庶子をだれがお世話するということになるわけですか。典範は皇庶子を否定しておる。そしてその保護の規定もない。もし皇庶子が今後あらわれたとしたらまことに哀れなる御存在になるということじゃないですか。人道上の問題です。
  37. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 皇族にはおなりになりませんけれども、その方はおとうさまもおかあさまもおいでになるわけでございまして、その関係につきましては、おそらく民法の一般の規定が適用になりまして、その父上あるいは母上であられる皇族あるいは嫡出であられるごきょうだいの皇族がおられるわけでございます。その間に扶養というような関係も起こってくる、それによって十分一般国民と同様に社会生活を維持しておいでになることができることに相なると思います。
  38. 受田新吉

    ○受田委員 それでは、そこはそれぐらいにしておきまして、次は皇族の範囲でございますが、いま三笠宮さまにお三人の親王がおられる。また皇太子明仁親王にもお二人おられる。つまり天皇のお孫さんまでは親王、それから曾孫の方から以後は王と称せられるわけでございますが、王またはその王の次のまた王というころになると、たくさんの王、女王がおできになる。そういうときに、皇族があまりに多くなられると、国家がその御負担をしなければならぬということになるわけです。皇族の範囲というものをある程度制約して、皇位継承権を持たれる周辺の立場の方だけを皇族とするようにして、自由に皇族の身分を離脱できるような規定をどこかへ設けておく。もちろん皇族会議でそういう措置がされるといいましても、何らかの規定典範に定めておくほうがよいと思う。それぞれの親王以下の皇族に対して国家がその保障をして差し上げる経費がずぼらにどんどんふえてくるということでは、皇室に対する国民の尊敬というものにもひびが入る危険が将来あると私は思う。このあたりで、その皇室の範囲をある程度制約する規定を設けるべきじゃないかと思うのですが……。
  39. 瓜生順良

    瓜生政府委員 その点は、皇室典範の第十一条によりますと、「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。」という規定がございまして、またその第二項に、「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。」という規定がございまして、前のほうのは、王になられた方でありますと、そのときの状況によって御自分の御意思に基づいて、皇室会議の議にはかかりますけれども、皇族の身分を離れることができるというので、そのときの事情皇族を離れられることができるわけであります。次のは親王まで含んでおりますが、親王、内親王、王、女王は、前項の場合のほかやむを得ない特別の事由があるときは、御本人の意思の有無にかかわらないで、皇室会議の議によって皇族の身分を離れるということでございまして、いまおっしゃいましたような、そういう事情のできた場合にはこの条文の活用があることと思いまして、調節の可能はあると存じております。
  40. 受田新吉

    ○受田委員 これは調節の可能をもっと寛大にする措置をとるように漸次仕向けていく必要があると私は思うのです。皇族があまり多くなられる、つまり御自身がいつまでも王でありたいということになれば、もういつまでも王でおれるというようなことになる。ある何世以下は王と称することができないというような規定にでもしておかないと、タケノコのようにとんとん——多産系の奥さまでも来られたら、もう百人、二百人という王ができる。だから、何世以下はどうなるとかいうような規定でもつくっておかないと、本人の意思がなければ皇族の身分を離れられない、意思に基づくとあるのですから、そういう規定を何らかのかっこうで設ける必要はないかと言うのです。御自分の意思がなければ——特別の事由というと精神異常とかなんとかいう場合でしょうが、そのようなときこそ皇族の身分に残しておいて差し上げなければならぬ、自己の意思能力がないようなときには。あるいは非常に不行跡であるというようなときは別ですが、だから、むしろ自己の意思に基づく前に、何世以下というような規定を設けておく必要はないかと思うのですが、いかがでしょう。
  41. 瓜生順良

    瓜生政府委員 そのことについてはやはり皇室典範をつくられる際には検討されたようであります、当時の人に聞いてみますと。しかし、この古い歴史的な規定を申し上げますと、大宝令によりますと、五世以下は皇族を離れる、そのお子さん、お孫さん、その次、その四世までは皇族、五世からは離れられるのを原則とするというようなことになっております。明治の皇室典範ですと、四世までが親王です。五世から王で、王以下については、ちょうどいまここで読み上げましたと同じような——文章は違いますけれども、勅旨または請願により、御本人の意思によって皇族の身分を離れることあるべし。これはあるべしで、そういう場合には王についてはここにありますと同じような趣旨のことがありました。  で、五世以下といたしますと、いま三笠宮様で言いますと、寛仁親王は親王で、寛仁親王のお子さまが王になられるわけであります。お孫さんまでは四世、その曾孫の方が五世になるわけであります。五世から云々というのは、そういうように五世から離れるというようなことをつくることがいいかどうか、どちらか考えますと、少し多過ぎることになるかもしれない。というのは、親王というのは明治の場合と違って一世、二世で、三世から王になられる。王になられた方についてはいまのこの規定によりまして、そのときの状況によってお考えをいただけばいいんじゃないか。そのときの状況もありますから、先ほども稻村先生おっしゃいましたように、男子の方で皇位継承権がおありにならない場合は、必ずしも何世ということで離れられてもやはり皇族であっていただきたいという場合もありましょうから、一般的には言いかねる点でありますけれども、そういうようなことでございます。
  42. 受田新吉

    ○受田委員 明治時代にも五世以下で宣下親王というのもあったわけです。親王宣下という措置がとられたというととで、そのつどの便宜でこれが定められるということはあまり好ましくない、だから一応典範規定に何かのかっこうをつけるべきじゃないかということを提案しておきますから。  それからもう一つ。これも私何回か質問して、一向にお答えが出ていない。きょうはお答えをはっきりいただきたい。それは、天皇が崩御された場合、践祚された新しい天皇の元号はどういう形になるかというととがこの典範規定にない。一世一元制という旧皇室典範と違って、元号の扱いは一向にきまっていない。陛下が崩御せられた場合の元号は一体どうなるのか。これをきょうもう一ぺん——私は三回か四回お尋ねしているのですが、非常に大事な国の基本になるものをいつまでも怠っていると思うから、このあたりでひとつはっきりさしていきたいと思います。天皇が崩御された場合の元号の問題はどういうことになるのか、責任の地位にある方から……。法制局からでもけっこうです。
  43. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 お答え申し上げます。  元号制度について、いま仮定の問題といたしまして、おそれ多いことでありますが、かりに天皇の崩御というような事態があったら元号制度がどうなるかということでお答え申し上げますと、現在の元号制度というものは法律的な根拠をもってその使用を強制するというような性質のものではございません。いわば事実たる慣習として昭和という年号が用いられているというのがその法的な性質であろうと存じます。したがいまして、かりにそういう事態が起こりました場合には、その次の代において元号をどうするかという問題は、現在使っておりますような元号制度を今後さらに維持していくかどうかという政策決定が前提になると思います。もしもその政策決定がございましたならば、さらに次の問題といたしまして、元号の使用を、ある年をあらわすために何々という元号に数字と同じものをもって表示するということを法律上の制度として強制するためには、これは法律を要すると思います。しかしながら、それではございませんで、あたかも当用漢字と同じように、使うことが望ましいということを政府が宣明をいたしまして、それに従って使う人は使う、使わない人は使わないという状態でもいいということでありますならば、あるいは何らかの国の機関の決定のみをもって元号と同じようなものを定めるということも、これは可能であろうかと思います。あるいはまたその元号という現在のような制度を維持しないという政策決定で西暦なら西暦を使うということでございますならば、何ら措置を講ずることなしにこれも事実たる慣習として西暦を使うというふうに相なるのではないかと思います。現在の段階におきましては法律上の制度として現行制度ははっきり規定されておりませんので、いま申し上げたような結果に相なると思います。
  44. 受田新吉

    ○受田委員 旧皇室典範には一世一元制が規定してあったと思いまするが、いかがですか。
  45. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 旧皇室典範には第十二条で「踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ」という規定があります。現在の皇室典範にはそういう規定はございません。
  46. 受田新吉

    ○受田委員 いま次長は昭和という元号は慣例、慣習であったと言われましたね。しかし皇室典範規定はそこに厳として定められておる。いかがですか。
  47. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 私が慣習と申し上げましたのは、「日本憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。」という法律七十二号というのがございまして、その関係で、現在の元号の使用は、昭和という元号が定められてそのときに至るまで使用されておったという事実に基づきまして現在でも事実として使用されているということであろうと思います。
  48. 受田新吉

    ○受田委員 どうも理解できないです、昭和二十二年十二月三十一日まで用いられたものをその後使う分は慣習というそのお説は。現在の昭和というのはれつきとした皇室典範規定で定められた昭和という元号ですよ。それを慣習で昭和という元号が用いられているようなお説は法制局としてははなはだまずい答弁です。昭和という元号は旧皇室典範の十二条の規定に基づいて、一世一元制の規定に基づいて、天皇践祚称したるときに定められたものである。そういうことになっているわけだ。ちゃんと法律で根拠がある。それからスタートした。それを私はいま尋ねておるのです。慣習とは何だ。
  49. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 昭和という元号が建定せられましたときは、ただいま受田委員御指摘のように、旧皇室典範に基づきまして法律上の制度として定められたものでございます。それは先ほど申し上げましたように新憲法施行に際しまして法律上のいわば根拠を失ったということでございまして、現在使われておりますのは何ら法的な拘束力を有するものではないということを申し上げたわけでございます。
  50. 受田新吉

    ○受田委員 いま使っているのは慣習で使っておるということですが、二十二年の末まで用いたものをその後も用いるという法的根拠が全然ない、二十二年以後に用いる分は、全然もう昭和という年号を用いてもいいという規定がないから、それで慣習だというのですか。慣習ということばの使い方はそういうところに使うのですか。
  51. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 現在ある年をあらわすのに昭和という年号をもって表示しなければならないという意味の拘束がないということでございます。ただ、現在の行政機関等に提出をいたしまする許可、認可等の申請の書類でございますとかあるいはまた届け出の書類の書式といたしまして、この書式の不動文字の一つとして、昭和年月日というような記載をしたものもあるかと思いますが、これもあくまでその昭和四十二年四月三日ということで記入をしなければならないということではなくて、かりにそこに一九六八年ということで記載をいたしましても、届け出としてはもちろん有効であるというのが現在の考え方であります。
  52. 受田新吉

    ○受田委員 まあ、それはそこでひとつおきますが、今度天皇がなくなられて、皇太子が即位された、践祚されたときに、元号というものがあるのかないのか、どちらですか。そのときになってきまるのですか。それだけはっきりしてください。
  53. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 これは元号の歴史でございますが、元号は一世一元の行政官布告が出ますまでは、天皇御一代の間に、非常に大きな天災地変でございますとか、大きな社会的なできごとがあるごとに年号を改定せられるということもございましたけれども、明治元年以来は一世一元ということでございますので、大正という年号が使われておりました使われる時期と申しますか、これは大正天皇の崩御のときをもって終わり、今上陛下が践祚あそばされますと同時に直ちに元号が建定せられたわけであります。そのような一世一元というやり方をもって元号というものが従来使用せられてきたということは、先ほど私が申し上げました事実たる慣習がそこまで含んでおると思いますので、昭和の元号はおそらくは、おそれ多いことながら、その崩御というような事態が生じますれば、昭和ではなくなるというのが、これは社会通念ではないかと思います。
  54. 受田新吉

    ○受田委員 昭和ではなくなったら、今度はどうなるのですか。
  55. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 そこで先ほど申し上げましたように、強制して元号を用いさせるということまで含まないで、いまと同じような事実たる慣習として存続するということでございまするならば、当用漢字について現在とっておりますような措置をとることも不可能ではないということを申し上げたわけでございます。
  56. 受田新吉

    ○受田委員 はなはだわからない。私がお尋ねしているのは、昭和がここに終わり、新しい皇嗣が即位践祚されたらその後の年号、元号というものはどういう形になるかを尋ねているのです。元号が用いられるのか、用いられないのか。つまり明治と昭和というようなかっこうのものでまたできるのか、そういうものはなくて、今度は西暦紀元を用いるのか、あるいは一部の人が唱える皇紀何年というものを使ってもいいのか、そういうことをひとつ……。
  57. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 その点は、そういう事態が生じませんでも、現在でも、昭和四十三年と言おうとも、あるいは西暦とつけませんでも、一九六八年四月三日と申そうとも、あるいはマホメットの暦を用いようとも、これは一向差しつかえないわけでございます。ただ、事実たる慣習として、国民の大多数が昭和四十三年と言っておるということであろうと思います。ただ、その昭和という年号をもって呼び得るのは、これは現天皇の御一代限りではないか。これもまた先ほども申し上げました事実たる慣習の意味するところではないか。したがいまして、万一の事態が生じました場合には、どうしてもその元号という制度を事実たる制度としてでも使いたいということでございましたならば、当用漢字と同様にあるいは内閣告示というようなこと本考えられないことではございませんし、それから法令を整備をいたしまして、これは昭和二十年ごろ、昭和二十一年でございますか、新憲法関係で元号法案というものを当時の司令部と交渉した経緯もございますが、そういうような法律をつくるということも、もちろんこれは一つの方法ではございますが、法律をつくらなくても内閣の告示という形で事実たる慣習という元号制度を維持することは不可能ではない。あるいはまたそれを全然維持しないで西暦を使う方は西暦でいらっしゃいということでも差しつかえない。あくまでその前提としては政策決定が必要であるということを申し上げておるわけであります。
  58. 受田新吉

    ○受田委員 いまの法制局のお答えでは何をしてもいいということになっているわけなんですね。どんなことになってもいいんだというようなまことにまとまりのない見解の表明があったのですが、総務長官、政策決定というのは、法制局はついに政府の政策に責任転嫁をしてきたわけです。総務長官として、いまの私たちの法律論争を前提にされて、このあたりで元号を必要とするのかしないのか、西暦紀元を用いることになるのか。そのことは天皇がおなくなりになられるという事態が起こったときにすぐ起こる問題なんですね。そのときにあわてて、どうするかで政府が閣議を開いてやる、国会で御相談するということでは間に合わない。こういうものはいまからきちっとやっておかぬと、もうそういう事態がきたときには抜き差しならぬことになってくる。そういう意味で元号制度というものを創設するのかしないのか、あるいは西暦紀元を用いるという形をとるのか。自民党政権はすでに二十年以上を担当しておられるし、総理府にも公式制度連絡調査会議なるものも設けられていろいろ当たっておられる。すでに当面して答えが出ていなければならないこの問題について、総務長官としては元号制度をどうお考えになるか、明快なる御答弁を賜わりたいです。
  59. 田中龍夫

    田中国務大臣 先ほど来受田先生をはじめとされまして、いろいろと皇室典範の問題についての論争を拝聴いたしておりましたが、拝聴すれば拝聴いたすほどに、これは終戦直後のいろいろな客観情勢もありましょうけれども、制度的に不備な点が非常に多いのではないかとやうふうなことを痛切に感ぜられる次第でございます。いまもこの元号の問題はいろいろ政治的な問題もありまして、ある一部にはことさらに昭和という元号を廃止して、使わないで、西暦だけでもってすべてを書いたり何かしょうという動きもありまするし、反面においてはまた昭和という元号が非常に便利な現実の実態もございます。そういうふうなことで、この元号の問題も含めていまの皇室典範その他の問題を慎重に、しかもこれは抜本的に考えなければならない客観的な事態があるということを私痛感するわけでございます。元号のみならずいろいろと御注意もあった次第でございますので、たまたま総務長官に就任いたしました私といたしまして、ひとつ思いを新たにして諸般の問題を考えてまいりたい、かように考える次第でございます。
  60. 受田新吉

    ○受田委員 諸般の問題を新たに考え総務長官が十数年続いてきたのです。それで一向答えてくれない。これは私は非常に重大な制度だと思うのです。だから天皇がなくなられたときにあわてふためくという状態になる。国葬令というのが従来あり、また皇室喪儀令というものがあって、大喪儀その他の葬儀の規定も旧憲法のもとにあった。国葬令もあった。そういう公式制度をここでもう何回か私がお尋ねしたけれども、うやむやにして吉田さんの国葬を行政措置でおやりになっている。まあ各党の責任者にも一応相談したというようなことですけれども、これは国会の意思できまったものではない。国費を出す大事な問題が、すなわち国という名称を用いる葬儀はやはり国民全体が弔意を表するような形のものでなければならぬ。いわんや陛下の御葬儀、象徴天皇の御葬儀ということになれば、私は特別の規定が要ると思うのです。そういうものが全然用意されないでじんぜん月日をけみしている。これは非常に怠慢だと思うのです。公式制度調査会なるものがあってそこでやるとおっしゃったが、その後総務長官をお引き受けになられた事務引き継ぎでこの調査会はどういうふうになっているか、承っておきたいと思います。
  61. 田中龍夫

    田中国務大臣 実は、今日受田先生の御答弁をいたすにつきまして話を聞いてみますると、歴代の総務長官が就任されるたびに受田先生が冒頭にこの問題を御質問になっておられるということを聞きまして、それならばこれはいまいまの話ではない、今日までも何回かこういうふうな重大な問題を警鐘を乱打せられたということをしみじみと感ずると同時に、深く敬意を表する次第でございます。  それで、ただいまお話しのように、皇室の問題でございますから、なかなか言いにくいことも考えにくいことも、また特に元号の問題等となりますとかえっておそれ多いようなことで、言いたいことも言わない、考えなければならぬことも考えないといったようなことが繰り返されてまいっているのだろうと存じます。しかしながら、ほんとうにお話を聞けば聞くほどいろいろな問題が、欠陥、不備が多々あることを考えまするにつけましても、御注意に従いましてわれわれも慎重に——また同時に、すみやかにこれらの問題を調べもし、また事に当たってみたい、かように考える次第でございます。
  62. 受田新吉

    ○受田委員 池田総理のときに、私、池田総理にお尋ねしたことがあります。これは天皇国事行為委任法を憲法規定に基づいて制定すべきだと意見を述べた。そうしたら、その晩徳安総務長官にすぐ指令が出て、直ちに、その法案の制定に着手せられた。すぐ、間髪を入れず措置された。  私はいまあなたにひとつ御決意を承りたいのですが、この元号の扱いというものは非常に重大な問題であるので、これはぜひ早急に答えを出すべきである。国葬、天皇の大葬儀こういう御葬儀というようなときにどういう規定を設けているか。国民的規模で御葬儀を営むというような形に私はきちっとした規定が要ると思うのです。そういうようなものをあわせたもの、それは公式制度として国歌とか国旗とかいう問題も含まりますけれども、そういうものをあわせた調査会のようなもの、もっと権威ある調査会というようなものをすみやかに設ける、たとえば、付属機関として総理府に設けるというようなことでもやって、ひとつ早急に措置をしていただく決意があるかないか。もうあなたからまた次の総務長官にこれを引き継がれるということのないように、田中大臣のときにこの大事な公式制度が——公式法という法律でもいいのです。きちっとしたものをつくってみたいという熱意ありやいなや。むずかしもようではありますが、非常にやすい問題であります。お答えを願いたいと思います。
  63. 田中龍夫

    田中国務大臣 受田先生のお考えはよくわかります。わかりますが、たとえば元号の問題等いまの諸般の情勢下においてこれを取り上げることの政治的な可否ということは、また別な判断が必要とされる面もあるかもわかりません。それからまた、いまこういうふうな問題が特に法律規定によらないで慣習法的に国葬なら国葬というものが一つできた、こういうふうなことからさらに積み上げていっておのずから出る結論、これは特に英米法的な慣習法を重んずる考え方もありましょう。しかしながら、何ぶんにも御皇室を中心とした典範の問題やらその他の問題の中には、ほんとうに御指摘になるような不備な点が多々あると存じますので、いまここでいついつまでにこうするのだということはお約束はできませんけれども、この問題につきましては、私は真剣にまじめにひとつ今日ただいまからでもいろいろと調査し検討してみたい、かように考えております。
  64. 受田新吉

    ○受田委員 今度は法律関係するのですが、皇室の内廷費について四年間くぎづけにされておるのですよ。こういうことでなくして、大体毎年改定して御不自由なくして差し上げるという配慮は政府の側に要ると思うのです。宮内庁はある程度遠慮しておると思うのです。毎年のごとく給与などが改定されておるのだから、内廷費の改定もせめて二年に一ぺんはこれが改定されるように——四年間も据え置きでその経費を節約に節約を重ねてきたという答弁をいただいておるわけですけれども、総務長官としては、内廷費の改定はできればひとつ他の一般の経費の改定と同じように、財政上の措置と同じような改定措置政府側として講じられるという方針をひとつ明示していただきたいと思います。
  65. 田中龍夫

    田中国務大臣 内廷費の四年間据え置きの現状に対しまして、受田先生の非常に御同情ある御意見を承って感謝にたえないのでありますが、と同時に、また宮内庁におかれましても、やはりそういう点は非常に慎重に考えておられるわけであります。私どもも、事皇室の問題であればあるほどに、必ずしも一般物価にスライドしてどうこうするというようなことでなく、十分に慎重に諸般の情勢も配慮いたしまして今回の改定をお願いしたわけでございますので、どうぞこういうふうな事情も十分御勘案いただきましてすみやかに御審議を賜わり、また御協賛賜わりますようにひとえにお願いいたします。
  66. 受田新吉

    ○受田委員 四年間も据え置き措置ということでないように是正せよという要望の御答弁がないのです。それは皇室も最近は対外的に非常に御苦労の多い時代になっておるのです。いろいろな会合などに出られたりして、またお客さんも来る。こういう国民の中へ溶け込んだ皇室としての存在を持たれるようになっただけに、内廷費の四年間据え置きというようなことが今後ないように留意すべきだということの御答弁が抜けておるのです。
  67. 田中龍夫

    田中国務大臣 まことにありがとうございます。十分お気持ちはそんたくもし、感謝いたしております。われわれも一生懸命に努力いたしますのでよろしくお願いいたします。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 おしまいに、実は皇室財産にあらざる天皇家のいわゆる私有財産という形のもので宮中三殿——賢所、神殿、皇霊殿、これは昔でいう新年元始祭、春秋の皇霊祭、新嘗祭、神嘗祭等の式典をやられるところ、あるいは皇霊殿の場合、神殿の場合いろいろございます。この宮中三殿というものは日本歴史にとっても非常に大事な貴重な国宝であると私は思うのです。それから三種の神器という皇位継承の際に私的に継承される宝物がある。それから立太子のときに壷切の剣というものを伝承せられておる。こういう国家としても、皇室の私有財産ではありましても、国宝的な存在の意義を、持つ私有財産の扱い方が何ら明確になっていないわけです。これはどういうかっこうになっておるのか。これは宮内庁次長と御一緒にひとつ御答弁願いたいのです。
  69. 瓜生順良

    瓜生政府委員 皇室経済法に「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」という規定がありまして、これが何をさすかは、三種の神器はもちろん、いまおっしゃいました壷切の御剣なども含まれるわけであります。それじゃそのほかにどういうことか。いまおっしゃいました宮中三殿なんかもその中に入ることと思われます。そのほかにまだ代々天皇が受け継いでこられた宝物、そういうものも考えるべきじゃないかという点があるわけであります。はっきりしているのはいま申したようなことですが、代々継がれたものの中でどういうものを特に考えるかというと、実を申しますと、現在も調査検討中であるということでございます。
  70. 受田新吉

    ○受田委員 調査検討をせられて、その保存維持というものについてどうお考えになっておられるか。これは皇室財産ではないから、たとえば陛下の御一家で非常に開放的な陛下が将来出られたような場合に、それが皇室の外へ持ち出されるとかいうようなことがあっても法的には何ら規制ができないわけです、私物ですから。こういうときはどうなるのですか。
  71. 瓜生順良

    瓜生政府委員 保存の関係は、天皇陛下が直接というわけにもまいりませんので、そういうものは側近奉仕の時従職の任務として大切に保存をしてきているわけであります。そのほかに時従職以外の保存の担当者も例外的にはございます。  なお、こうしたものは皇位とともに伝わるべき物というふうなものでございますから、皇室におかれては非常に大切にされておりまして、外にかってに出ていくというような御心配はないと思い、ます。
  72. 受田新吉

    ○受田委員 外へ持ち出されてもこれはやむを得ないものです。私が知っている古来の名門、歴史伝統を持つすばらしい名門の育ちに非常におもしろいあと継ぎがおりまして、どんどん売りさばいて何にもないようにしているのを私は何軒も知っておるのです。いま維新百年を記念して資料を収集しようと思ってやっておるのに、全然なくなっている。この間から当たってみると、維新の功臣が持っていたというものが全然ない、こういう家もある。だから、これはやはり国家とともにある名器ということになれば、文部省あたりで国宝に指定するという扱い方はいかがかと思うのですが、文化財保護の立場から、国民的な宝として、陛下の私有財産であり同時に国民全体の宝という制度を創設して、しかるべきじゃないかと思うのですけれども、文部省文化財保護委員会の福原先生がおられるから、その点について伺いたい。
  73. 福原匡彦

    ○福原政府委員 お答え申し上げます。  ただいま宮内庁から御答弁がございましたように、非常に大切に保存されておりますので、そうしたものにつきましては、私ども文化財保護委員会としても、たとえば宮内庁の保管しております宝物あるいは史跡等につきまして重要文化財、国宝、史跡等に指定していないのと同様に、三種の神器あるいは壷切の剣あるいは宮中三殿というものにつきましても、現在までそれを国宝に指定をするということは考えたことはございませんし、これからもこれに指定するということはいまのところ考えられないのではないかと存じております。
  74. 受田新吉

    ○受田委員 国宝に指定することは考えられない。国の宝ですよ。皇室の宝であると同時に国民の宝ですね。そういうものはやっぱり、宮内庁どうですか、国宝として特に文化財保護法の保護を受けることにすかっとして差し上げるほうがいいのじゃないですか。  それからもう一つは、宮中三殿は御殿ですから、皇室財産としてきちっとおきめいただいて差しつかえないものだと思うのですが、どうですか。宗教とか何とかということでなく……。
  75. 瓜生順良

    瓜生政府委員 宮内庁としても、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」を特に国宝に指定していただくということは必要はないと思うのであります。これは、その保存に当たっております者は側近奉仕という意味のことをしている国家の職員がやっておるわけでございまして、やはり国家の意思を体してやっている者ですから、普通の場合のようにそういいかげんなことをいたしておりませんから、したがって特に国宝に指定していただくということがなくても間違いはないと確信をいたしておるわけであります。  それから、宮中三殿についてあるいは建物を皇室用財産、つまり国有財産にして皇室用財産というふうな御意見だと思いますけれども、現在のところは、あの建物につきましても、やはり国有財産というよりも由緒ある伝わるべき物というふうに一応考えております。これらにつきましては検討を要する点は残っておると思っております。
  76. 受田新吉

    ○受田委員 いまの宮中三殿、これはりっぱな皇室財産として国家がお守り申し上げるべき性質のものだと私は思っておる。何か懸念されることがあるのですか。たとえば、儀式が神式であるからとかというようなことが対象になるのですか。そういうことがあればまた承りたい。一応状況を伺います。
  77. 瓜生順良

    瓜生政府委員 この法律上の解釈として、場合によっては国有財産にすることも可能ではないかという意見はございますけれども、しかしいろいろの関係の役所なりと相談をしたところ、慎重論が多いものですからそれには踏み切っていないということでございまして、法制局の見解なんかもいろいろ聞いたことがございます。まだ踏み切るところにはいっていないというわけであります。
  78. 受田新吉

    ○受田委員 法制局の御答弁を伺います。
  79. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 憲法の解釈のぎりぎりの議論といたしまして、宮中三殿を国有財産としてこれを国が管理をいたしまして天皇の信教上の用に供するということが憲法に触れるかということになりますれば、憲法の二十条の三項なり八十九条の規定に反するということはないと思います。しかしながら、宮中三殿は、申すまでもなく、あくまで天皇の信仰上の行事に必要な施設として置かれているものでございますので、憲法全体を流れる精神等踏まえて考えますと、少なくとも適当な措置ではないというのが従来の考え方であったと思います。  ただ、先ほど来宮内庁からもお答え申し上げておりますように、皇室経済法第七条で申しております「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の範囲に宮中三殿が入るか入らないかという議論もあるかとも思いますが、当初皇室経済法を制定いたしましたころは、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」とは三種の神器をさすものだということが、当時の立案者の頭にあったようでございます。しかしながら、なぜこのような規定を設けたか。皇室の私有の財産が民法の相続の原則によって分割相続されて散逸することは適当ではない。三種の神器についてこのような第七条によって皇位とともに皇嗣が継承するという規定を置きましたゆえんのものは、やはり三種の神器というものが皇位をあらわす一つのシンボルであるという考え方皇位とともにあるべきものだ、したがってそれは分割相続によって分散することは適当なことではない、あくまで皇位とともにあるべきものだという考え方であったと思います。宮中三殿につきましても、国民の天皇を仰ぎ奉る精神におきましてはやはり同様なことがいえると思いますので、宮中三殿についても、この皇室経済法第七条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の範囲に入るということは十分に立ち得ると思います。ただ、いますぐそういう問題が生ずることでもございませんので、先ほど宮内庁からお答え申し上げましたように、今後なおそのような方向で検討するということが現在の態度でございます。
  80. 受田新吉

    ○受田委員 神式による式典が行なわれるという意味で、神道の一派である行事が行なわれるというので憲法二十条及び八十九条の規定に反しはしないかという懸念はない、こういま仰せられたと思うのですが、そのとおりですか。
  81. 吉國一郎

    吉國(一)政府委員 最終的にぎりぎりの議論を詰めれば、憲法に違反するとまで言う必要はないということでございます。
  82. 受田新吉

    ○受田委員 憲法に違反しないとなれば、その前提のもとに、これは皇室財産としてきちっとおきめ申し上げておくほうが、相続その他の問題もなくて間違いも起こらない。皇室に永久に存在する。お子さまはたくさんあられて、臣下にくだられても、相続の対象などという議論も起こらない。この点は、すかっと皇室財産におきめいただくほうがいいのじゃないかと思うのですが、これは宮内庁次長としてはどうですか。それから、総務長官としても、そうした皇位とともにいくというよりも、宮中三殿の場合は、皇室財産としてずっと国家がお守りして差し上げるほうが筋が通る。御所見をそれぞれ承りたい。
  83. 瓜生順良

    瓜生政府委員 この三殿につきましては、皇室用財産というふうにはっきりしていただくということがいいのじゃないかなというようなことで、いろいろ相談をした事実はございます。その神事を行なわれるということも、憲法上どうということはございません。要するに、憲法にいう宗教団体の行事ということではないのでございまして、その点、法制局がいまおっしゃったようなことでございます。  私的にお使いになるか、これは、生物学御研究所もそうでございます。生物学御研究所は国有財産であり、皇室財産でございますので、そういうことから考えまして、いま先生がおっしゃったような点は考えられるのじゃないかということで、関係方面といろいろ相談をした事実はございますが、現在は、なお相談中ということでございます。
  84. 田中龍夫

    田中国務大臣 まことに御高見のとおりでございます。
  85. 受田新吉

    ○受田委員 皇室財産ということになると、大蔵省などがちょっと何か、いま異議をはさむような余地のありそうな役所がありそうでもありますが、しかし、長官、それは遠慮のない担当国務大臣として、ひとつこれはすかっとされることを私は希望したいのですが、その私の希望する線に沿うて措置することをお考えなのかどうか、お答え願います。
  86. 田中龍夫

    田中国務大臣 戦前におきましては、御承知の、世襲財産というふうな制度もありまして、担保物件の対象にならない、そのゆえに付属した財産であるという制度もあったわけでございます。ただいまお話しのような、ほんとうに宮中三殿といったようなものは、皇室財産としてどこからも手がつけられないような姿において今後、永久にきちんとするということは、私は、国家としても国民としても、ぜひともそうありたい、かように考えます。
  87. 受田新吉

    ○受田委員 きわめて明快です。その線でひとつお進め願いたい。  ぎりぎり最後にあと一つだけ。この前お尋ね申し上げたことで、天皇の外国御旅行にできるだけ道をお開きして差し上げること、これは政府としても十分配慮していただかなければならぬ。むしろ宮内庁からどうしてくれということは、事実問題として言えないと思うのです。政府から、陛下に、長い問の御心労から解放して差し上げる意味からも、この六月十七日に行なわれるハワイの移住百年祭などは、あのハワイの住民の三分の一が日系人であるという現状にかんがみても、陛下がお出ましになるのにまことによい機会である。ところが、この間瓜生先生は、あちらから、常陸宮に御苦労願いたいという要望があって、陛下には来てくれと言わなかった、こういうことでございまするが、私は、昨年秋にあちらへちょうど旅をしておりまして、あちらの住民の皆さん、現在の日系人にようく聞いてみたが、陛下に御苦労いただけばこの上ない喜びだと言う。もう海外に長い間発展した皆さんにとっては、日本から陛下が来られたとなれば、これは飛び立つ思い、勇気百倍、日米親善の拠点にもなることですし、これは非常に政策的に陛下には御苦労いただくチャンスだと思います。常陸宮を御一緒にお連れして、親子むつまじく、日系人移住百年祭が明治百年と移住百年がくしくも一致したことし、ひとつ陛下に御苦労いただく、これは、政治的な配慮をしてやられて一向差しつかえないと思うのですが、これは由来、皇室に非常に御縁のあった田中先生といたしましては、ぜひひとつ英断をふるって、総理以下の閣僚をくどいていただいて、この機会にこそ、天皇の国事委任行為による初めてのお出ましであるという機会を陛下に差し上げる必要がありはせぬかと思うのですがね。長官いいことだと思うのですが、いかがですか。
  88. 田中龍夫

    田中国務大臣 その問題は、内外諸般のいろいろな情勢もございましょうから、御意見は十分に承って、なおまた、そういうことができるならば最も望ましいことではございますけれども、慎重に配慮いたしたい、かように考えます。慎重に配慮いたします。
  89. 受田新吉

    ○受田委員 わかりました。しかし、時期が非常に迫っておりまして、もうあと二カ月ばかりしかありませんので、できるだけすみやかな配慮の結論が出るように御配慮を願いたい。  これで私の質問を終わります。
  90. 三池信

    ○三池委員長 大出俊君。
  91. 大出俊

    大出委員 先般、皇室経済法施行法をめぐりましての質問を私、少し時間をかけてしたわけでありますが、たまたまこれは大臣が御出席をいただけない席での質問でありました。私どもの委員会は、旧来の慣行で、大臣の御出席をいただかないときの質問というのはしないことにしてきているのでありますけれども、特に御病気ということもございましたから、御協力を申し上げる意味で質問をいたしてきたわけでありますが、しかし、やはり大臣に御出席をいただかないと、とどのつまり、はっきり問題が決着がつかないわけでありまして、きょうまで延ばしていただいたわけであります。  本日は、時間もたいへんおそく始めておりますので、長い時間をとりたくないというようなこともあるので、明確な御答弁をいただきたい、こう思っております。  まず、どうも、袞龍のそでに隠れるということばがいにしえからあるわけでありますが、私も大正時代人間でございますのでだいぶ教わってきております。どうもその傾向なきにしもあらずと考えられる節々があるわけでございます。これは、私が宮内庁長官にものを承りたいと思って電話をいたしましたら、御前でございますと、こういう御回答でございまして、いつごろどうなるかと聞いてみても、御前でございます。こういうふうにしか言わない。次の方おいでになりませんかと言ったら、御前でございます。いつごろどうなんですかと言ったら、これが御前でございます。なるほど、御前と言われて考えてみたら、陛下のところに行っていると、こういう意味だと思うのでありますが、御前だと言い切られてそれっきりものを言われないというと、どうも話の継ぎ穂がない。しようがないので、国会宮内庁政府委員室に電話をかけて、御前御前と何が御前だかわからぬけれども、いつごろ帰るかわからぬなんてばかな話はないじゃないかと言ったら、実は私は人事院の政府委員でございますというので、宮内庁政府委員は出てきていないのかと言ったら、来たことがございませんということであります。こうなると、どうも全くつき合いづらい役所だわいと思っておりますが、実はそういうことでは困ると私は思っているのであります。これはやはり皇室にかかわる問題ではございますけれども、それだけになおのこと、ひとつ明らかにすべきことはできる限り皆さんのほうで積極的に明らかにして、あとで一般的にながめてみて、どうもいろいろな憶測をされるようなことはどんなことであっても避けていかれるということではないと、私は新しい憲法のもとにおける天皇の地位というものを考えたときに、逆に非常なマイナスの面が出てくる、こういう実は心配があるわけであります。したがって私は、できるだけひとつ宮内庁側で表に出してものを言うべきものは言う、こういう立場に立ってほしいと思いますから、その意味では先般申し上げましたが、この皇室経済法施行法ではこの内廷費の定額部分等につきましては四年間もほっておくということでなくて、やはり公務員給与その他の上昇に合わせまして、必要である限り上げるべきものは上げるという配慮はどんどんやっていただいて一向に差しつかえない。皇室経済会議等も総理も御出席であるわけですから、なぜそれをほっぽっておくのかという実は逆の疑問を抱くわけであります。そこで大臣にこのあたりのところでひとつ一般的に、何かどうも宮内庁のやっていることは何をやっているのだろうかというふうなことがあってはいけないと私は思っておるのですが、そこらあたりのところを所管の大臣である総理府総務長官、田中さんの立場でどういうふうにお考えになりますか。
  92. 田中龍夫

    田中国務大臣 私の所掌の中におきましても、あるいは恩給局でございますとかあるいは人事局でございますとか直轄的な面と同時に、あるいは公取でございますとかあるいは宮内庁でございますとか警察庁でございますとか非常に自主的な八条機関的なものもございます。宮内庁に関しましては、常時幹部会にも出席を願っておりまして、そういう関係におきましては比較的よく連絡をとっていただいておりますが、本来の性格からいたしましてできるだけ自主的にやっていただいておる次第でございます。ことにわれわれといたしましては、予算その他の面におきまして私のほうが取り仕切って御提出申し上げておりまする関係からも、いろいろと連絡もとっております。ことにただいまのお話のようなことが皇室の問題でありますればありますほどに、宮内庁も非常に真面目に諸般の事務を扱っていただいておりましょうし、われわれもそれに対しましてはあくまでも公明正大にいたしておる。なかんずく、かりそめにも李下に冠を正すようなことがあっては相ならぬということを十二分に戒めておる次第でございます。
  93. 大出俊

    大出委員 総務長官は伊豆の須崎に新しい皇室の御用邸をおつくりになるという御計画について、いつごろ御承知でございましたか。
  94. 田中龍夫

    田中国務大臣 この御用邸の件につきましては、当初の予算には出ておりませんでしたが、十二月の皇室経済会議でございますか、その後に御用邸の項目が追加せられまして、そうして知ったわけでございます。
  95. 大出俊

    大出委員 どうもそこらが私はまず理解に苦しむわけでありますが、皇室経済会議というものがある。そしてまた三十九年以来、国会において取得議決という形は行なわないことになっているわけですね、国有財産については。そうすると予算の中に入って出てくるとチェックのしょうがない、そういう性格のものが皇室経済会議のときにも表に出ない、そのあとになってぎりぎりのところへ来て閣議できめた、こういうのでありますけれども、まさに唐突なんですね。いま御答弁をいただきましても、私も調べましたが、当初予算には出ていないわけなんです。七億五千五百万という金ですね。それがきわめて唐突に、十二月にぎりぎりのところでぽかっと出てくる。どうもそこらあたりも、何でそういうことをするのかという気がしてならないわけであります。国の予算であります。一体どういう理由でそういうことになったとお考えでございますか。
  96. 田中龍夫

    田中国務大臣 本件につきまして、宮内庁のほうから来ていただきまして事情を聴取いたしたのでございますが、この須崎の御用邸については前々から宮内庁とされましてはこの問題をずっと希望しておられた、あるいは葉山あるいは沼津の御用邸がだんだんと周囲の環境が御用邸として不適当になって、いずれかの地に御用邸を置かなければならぬということで、伊豆の方面を物色しておられた、そして須崎地区にここならばということで前々から交渉しておられたところが、なかなかこれを手に入れることが困難であったのでありますが、その後状況が変わりまして急に手に入れることができるようになったので、これを既定方針どおり御用邸といたしたい、かようなことで急に決定を見たものと心得ております。
  97. 大出俊

    大出委員 そんなことを言ってみても、住友信託が三井の用地を買い取ったのは昨年の夏のことなんですね。しかも当時は三井本家のことですから、評価額二億円ということですでに値をつけていた、そこに住友信託が入ってきて五千万よけい足して二億五千万で夏にこれを買い取った。そのときにはすでに宮内庁に住友信託の方と非常に親しい方がおったという、そこで話が全部進んでおって、いうなればかわりに買っておいたという形で住友信託が買っておるわけですね。何も去年の暮れのことじゃないわけです。だとすれば、これは皇室経済会議が行なわれているんですから、当然そこで正当な提起のしかたが行なわれ、相談が行なわれて、特に所管である総理府総務長官に十二月のそのときになって話がいくなどという、そういうばかげた話はないと私は思っておる。あくまでもこれは所管は総理府総務長官、行政責任者です、行政長官ですからね。そうだとすると、行政長官にも話をしないで、かってに住友信託のほうと外局の宮内庁がそういう話をしておったなどということは、許しがたいと私は実は思っておる。総務長官のいまの話からすれば、あなたは全然知らない。総務長官に何も話をしないでそういうことが一体できるものかどうか、私は疑問に思っておるのですが、総務長官いかがですか。
  98. 田中龍夫

    田中国務大臣 その間のいろいろな詳細な経緯につきましては、冒頭申し上げましたように、私のほうでも事宮内庁の問題につきましてはあまり精細にいろいろなことをいたしませんで、むしろ自主的な姿においてやっていただいておったわけでございます。なおまたどうか宮内庁のほうにおかれましても、いやしくもそういうふうな御懸念になるようなことはないと私は心得ておるのでございまして、どうぞ、宮内庁のほうからその間の詳細な経緯を申す機会をお与えいただきたいと思います。
  99. 大出俊

    大出委員 いまの御答弁は、私は知らないから宮内庁に聞いてくれという答弁です。私は大蔵省にただしてみた。主計局の総理府担当の主計官は高橋元という方です。補佐が金沢という方です。そうしたところが、ぎりぎりになって、いまさっき御答弁があったように、御用邸の用地費を七億五千五百万円出してもらいたいという話になってきた。不動産購入費。ところでこれは第三者の、つまり民間精通者の意見、それから積算その他について財務局の評価、さらに不動産研究所の評価、こういうふうなものが材料になって出てきている——ここまで答えている。しかし、それがどこまで正当だと評価をすべきかという点については、宮内庁のことでございますのであまり詳しく実は検討いたしておりません。したがって宮内庁にお聞きいただきたい、こういう大蔵省の答弁です。総理府総務長官は、宮内庁に聞いてくれ、わしにはわからぬ、大蔵省も、私のほうはわからぬから宮内庁に聞いてくれと言う。そうすると、宮内庁総理府という関係は、法律的にはどうなっているんですか。監督権はない、宮内庁は独自に何でもかんでもかってにおやりになる、こういうふうに法律的になっておりますか。御説明いただきたい。
  100. 田中龍夫

    田中国務大臣 それはまさに監督下にあるわけでございますけれども、先ほど来いろいろとお話が出ましたように、普通の役所と異なります宮内庁のことでございますので、私どもといたしましては、あくまでも自主的にやっていただきたい、かように存じておる次第でございます。
  101. 大出俊

    大出委員 では、法律的に自主的にやっていただくようにきまっておりますか。そこのところ、関係法律を読み上げてください。
  102. 瓜生順良

    瓜生政府委員 法律的には、特別にそういう規定はございませんが……
  103. 大出俊

    大出委員 けっこうです。それでいいです。そうすると、総務長官、自主的にやっていただくというのはどこできまっているのですか。
  104. 田中龍夫

    田中国務大臣 それは常識的に、政治的に考えまして、事宮内庁の問題に対しまして、私どもが、宮中・府中の問題もいろいろとあったのは、昔から御存じのとおりでございます。厳重な私どもの監督のもとに、一々ケース・バイ・ケース監督をするということでなく、従来の慣行からいたしましても、自主的にやっていただいてまいったのでございます。
  105. 大出俊

    大出委員 いやしくも国の行政監督権、あるいは行政権というものからいきまして、これは常識で運営されてはえらいことになってしまいますよ。そんな答弁はないでしょう。あなたは常識で行政権をあずかっておるなんというばかなことはない。行政機構の中に明確に権限相互の関係は明らかになっている。読み上げれば時間がかかるからやめますけれども、常識とはとんでもない話ですよ。いやしくも国民の税金ですよ。この七億五千五百万という金は国民の税金なんだから、明確に。そうでしょう。旧来の慣行があろうとなかろうと、明らかに現在ある法に基づいてきめられているのです。それを、常識的に運用するなんて、ばかな話ないです。取り消してください。
  106. 田中龍夫

    田中国務大臣 常識でということは、これははっきりとお取り消しをいたします。私どもの従来の慣行といたしまして、事宮中に属します宮内庁の問題につきましては、一応自主的に運営をしていただいておる、かようになっております。
  107. 大出俊

    大出委員 だから私は冒頭に、袞龍のそでに隠れるということばがあるけれども、これは悪政の例ですよ、そういうことがあってはいかぬということを言っているのです。あなたもそれをお認めになっている。大蔵省は、事宮内庁のことでございますからと言う。総務長官は、宮内庁のことでございますからと言う。そんなことを言ったら、国民から行政権を預っておる皆さんの立場というものは一体どうなるのだ。しかもそこで使われる金は、明確に国民の税金です。そうでしょう。だからこそ、あとでいろいろそういう点で疑問を持たれるようなことがあってはならない。だから特に配慮をされて、明確にすべきものはむしろ進んで明確にしていくということでなければ、今日新憲法下における皇室の地位というものについてもひびが入る。だからそこのところは、私は冒頭に念を押しておるわけです。したがって、総務長官おいでにならぬところで論議はしてきたけれども、長官においでをいただいて明らかにしておきたい、こういう気持ちになっているわけです。そこで、いま私はここでこの評価のしかた、あるいは中身を出してくれということは、宮内庁の皆さんのほうから、ぜひ私にそういうことのないようにというお話があったので、私はそれは了解いたします。  ただ大蔵省のほうも、実はきょう大蔵省にもおいでいただこうと思ったのだけれども、長くなりますから御協力申し上げる意味で遠慮したのですけれども、大蔵省側の言い分もけしからぬのです。よく中身はわからないけれども、宮内庁のことだから間違いないでしょうと思ったので、深く検討はいたしませんでした。特に宮内庁のことですから、皇室のことですからと、こう言う。そういうことであってはいけない。これは私は念を押しておきます。  そこで、もう一つどうも釈然としないのは、私が資料要求をいたしまして、新御用邸計画資料というものを三月十八日付で、初めて私にお出しをいただいた。ところがこの経過をながめてみると、数年前からというふうに書いてある。ところがこの下田の町では、狼煙崎御用邸事件という逸話がある。これはある電鉄関係の会社が、御用邸用地にするのだからといって土地を購入をした。しかも比較的安く購入した。これまた、ここに書いてあるとおり、数年前です。そうすると根もない話ではなかった。私も現地に行って、私の秘書に聞かせてみた。確かにそういう話が町じゅうに流布されておる。それで、しかもお役に立つならというので土地が売られている。ところが御用邸の話はいつの間にか、大野伴睦さんがなくなったころにというのでありますけれども、消えてしまったという話が、いまだに伝わっている。現在、その民間の会社がその土地を持っている、こういうわけです。ばかをみたという話が、現地の諸君の口から耳に入る、こういうわけです。  今回は、昨年の夏に三井の別邸を、三年間に当主が二代御不幸で相続税というようなものと関連をして、このお屋敷を売られる。ところで三井本家のことだからというので三井不動産が評価をして二億の値をつけた。そこへ住友信託が五千万プラスをして買い取った、こういうわけです。ところが、これもあとになったら宮内庁と話がついておって、御用邸用地にするのだというので、住友がかわって買っておいたというのです。ここに五千万円、すでに差が出ている。しかもこの間、坪当たり幾らぐらいですかと言ったら、五千円くらいだという。五千円だとなりますと、買い値と五千円という額、私はもっと高くなるのではないかと思っているのですけれども、そのままでいっても一体住友信託のふところに幾らころがり込むことになるのですか。去年の夏のことです。どうも私は皇室の御用邸をつくるということで、そういう金がぽかっと入っていくというようなことにしておくということは、これはまたきわめて不可解千万だという気がする。詳しいことはこの間宮内庁の皆さんにとくと聞きましたから、責任ある大臣の立場でこのあたりを一体どういうふうにお受け取りになり、お考えになりますか。
  108. 田中龍夫

    田中国務大臣 私は冒頭にも申し上げましたように、事宮内庁のいろいろな所掌のことはかりそめにも瓜田にくつをぬぐというようなことがあってはならないのでありまして、その点は宮内庁の担当者の方々は十分に心得て事務処理をしておられると存ずる次第でございます。どうぞその辺の詳しい問題につきまして宮内庁の担当官から途中御説明を申し上げることをお許しいただきたいと思います。
  109. 大出俊

    大出委員 いや、この間私はもう質問をしてありまして、時間がありませんから……。採決といってもこれは成立しているのかしていないのかわかりませんが、してなければやめて帰れということを国対で言われているんですけれども、まあ続けます。  この二億五千万というのを逆算をいたしますと、住友信託が買っております坪当たり単価は三千三百六十円くらいになりますね。この間幾らくらいにつくかといったらおおむね五千円くらいという話だったんですけれども、そうすると、そこだけ坪当たり千六日四十円差がある。これは去年の夏でいまの話ですから、まだこれは幾らもたってない。どう考えてみても釈然としないですね。だからそういうことになると、どうもそのあたりにあらかじめ宮内庁と住友信託のほうで話がされておってということだとすると、それも土地を取得する方法の一つだとは思いますけれども、事皇室にかかわることだけに、私は、これが静岡県の何々公社というふうな公の団体でもやっているのならまだわかる。しかも静岡県の商工部長の自戸さんという方は宮内庁から行っておられる。そうだとすると、これはどこからだれがどう考えても、皇室の別荘をつくるにあたって、御用邸をつくるにあたって、もう少しなるほどと思われるようなしかたがなぜとれなかったのかという気がしてならぬわけです。隣の区の持っている土地の場合、区長自身が一万円としきりに言っている。これはもう少し安くなるかもしれませんが、それにしても安くなって八千円であってもあるいは七千円であっても、五千円という三井のほうとの坪当たり単価の開きがあり過ぎる。したがって、これは気を回せばきりがないことになる。だからこれは長官、あなたのほうもさっき申し上げたように、七億五千五百万円、これは国民の税金なんですから、そういうことについてもこれは宮内庁が自主的にやっているんだからわれわれは知らぬとおっしゃるんですか。
  110. 田中龍夫

    田中国務大臣 宮内庁のほうにおかれましては、私はあくまでも公明正大に、しかもその間におきまするいろいろな契約の進め方にいたしましても、あるいは価格の設定にいたしましても、十分に適正な手続と、同時にまた価格を法定せられて今日に立ち至っておる、かように私は信じておる次第でございます。
  111. 大出俊

    大出委員 先ほど長官から宮内庁のほうにというおことばがありましたから一つだけ聞いておきますが、私はこの六万四千坪ばかりの土地のことでありますから、逆算をすれば、一億五千万なるものは買い値は三千三百六十円くらいになっている、こう思うのです。そうすると、あなたのほうは正確にはお話しになりませんが、おおむね五千円ということを先般の質問でおっしゃった。住友不動産なるところは大体どのくらいもうかるというわけですか。
  112. 瓜生順良

    瓜生政府委員 先日全体で十三万数千坪ですから、坪当たり平均五千数百円というふうに申し上げたんですが、しかしこれは全体の平均でございまして、区有地のところあたりと平均すると、上になると思います。それから旧三井別邸のほうは、買った値段はいまおっしゃったようなところがありますが、その他の民有地が九千坪ばかりございます。その他の民有地というところも平均よりはだいぶ上にいくだろうと思います。そういうことでございますので、最後的には鑑定士にさらに鑑定をやってもらいまして適正な価格を出しまして、適正な価格の範囲内でその相手と交渉して取引をするということになりますから、そういまおっしゃいますような特別の大きな利益があるとかいうようなことにならないのじゃないかというふうに、いまは思っております。
  113. 大出俊

    大出委員 私は注意を喚起しておるわけでありますから、さらにこまかく申し上げるときりがありませんのでいいかげんでやめますけれども、ともかく宮内庁の答弁によりますと、単価が高くなったということで金が足りなくなったらどうするのかと聞いたら、それだけ用地を下げますというのですね。そうでしょう。そうすると、いまおっしゃるように、それじゃ区有地のほうは一万円でございますといった場合に、その引っ込んだ分だけ住友信託側で買っておるものを下げてくれという話にはこれはならぬのでしょう。おまけに民有地九千坪とおっしゃるけれども、それもあなたのほうは、あらかじめ予算がつく前に住友不動産を通じて買ってくれと依頼して買わしているのですね。そうなると、とれまたそこで買収をして高くついたものを、片方で三井の用地あとのほうを坪当たり単価を下げて埋め合わせるなんというわけにいかない。だからそこらのところは、まだお買いになっていないで、住友不動産が持っておる、いま民有地を一生懸命買収しておるのですね。ここで私はこれ以上申し上げませんけれども、しかし総務長官総理府の所管なんですから、こういうことにしておくと、そのとどのつまりというのは皇室に対する問題につながってまいりますので、そこのところは、皇室だからということで法律上何もないものをそういう形にしておくことはよくない、こう実は私は思っておるのでございます。したがって、御存じないようですから、もう少しこの辺は総務長官のほうでお調べをいただいて、先ほどおっしゃるような、と思っておりますということだけでは困るので、世の中じゅう、と思っておりますにもかかわらず、黒い霧だの黄色い霧だの出てくるわけですから、そういう点は責任ある立場で十分御配慮賜わりたいと思います。  それから「沼津の御用邸は、近年海水の汚染や周辺の環境が悪化しておるため、御用邸として不適当なものとなりつつある。」という点、それから「葉山の御用邸も、御用邸としてはふさわしくない傾向を随時見せ始めている。」こうなんですが、これはそうすると、沼津、葉山両方を国有財産ですから国に返して、そうして三井別邸あとをということなんですか。
  114. 瓜生順良

    瓜生政府委員 沼津の御用邸につきましては、この下田のほうの御用邸の問題がはっきりいたしますれば、これを皇室用財産から解除するという方針でおります。  それから葉山のほうは、これはだいぶ先まで考えますと、いつまでお使いになるかという点でちょっと不安な点がございますけれども、しかしながらこれは主として夏でございまして、冬場あたりですとそう込んでおりませんし、あのあたりの生物の採集は主として冬場になさっておられます。そういうわけで、当分葉山の御用邸は持続するというつもりでございます。
  115. 大出俊

    大出委員 この沼津のほうは戦後何か皇太子が一ぺんぐらいおいでになったくらいで、あと陛下とかはほとんど行ったことがないというふうに耳に入っておるのですけれども、どうなっておるのですか。
  116. 瓜生順良

    瓜生政府委員 戦後貞明皇后さんが御存じのようにあそこに一番よくおいでになっておりました。そのほか皇太子殿下もよくおいでになっておりましたが、ただ、だんだん最近になりますと、昭和二十七年くらいからあまりおいでになってないと思います。
  117. 大出俊

    大出委員 あまりじゃない。行ってないのですよ、調べてください。それは皇太子が行って以来行ってない、二十七年から。それ以後だれも行ってない、これはずいぶんむだな、もったいない話だと思うのです、土地がなくて大騒ぎしている世の中に。  そこで、沼津、三島、あの周辺の漁業組合の皆さんのお話を聞いたところが、地元の方はきわめてこれを意図的に見ている、なぜかというと、かつて沼津、三島方式といって石油コンビナートをあそこへ誘致するという騒ぎのときに市議会あげて大混乱になった。そしてこれは四日市ぜんそくみたいになってはたいへんだというので、四日市の例の石油コンビナートをめぐる大公害、これが非常に高く住民の間で問題にされて、とうとうこのコンビナート計画を町の方々の反対でつぶしてしまった、しかも今度はそのあとの沼津の市議会選挙で、コンビナート誘致に賛成した議員はまくらを並べて一人残らず落ちたという歴史的な事実があった。だから、この方々の話によると、これは住友信託だの何だの入ってきて、向こうのほうにつくるというのは、その裏のほうに、沼津はやがてほとぼりをさまして大企業、大会社に払い下げくらいになって、当時のコンビナートをつくろうなどと考えた方々はその夢を捨てていないから持ち込むという考え方が背景に動いていて、それが実は今回の問題につながっているという意味のことをしきりに口にするわけですよ、現実の問題として。だから政治的にたいへんに勘ぐっていますよ、ほんとかうそか私はそこまで調べていないけれども。したがって、私が今回明らかにしておいていただきたいのは、沼津の御用邸のほうはおやめになるというお話なんだけれども、いつ、そしてどういうことでおやめになるのか。使ってないものを、十七年にわたってそのままにしているわけですから、これは一体どういうふうに考えておられるか。このあたりのところをひとつ総務長官のほうからお答えいただきたい。過去にも沼津、三島というところは大きな騒ぎが起こった地域なんですが、この辺どうお考えになりますか。
  118. 田中龍夫

    田中国務大臣 これがもし廃止になりました場合におきましては大蔵省のほうに移管になる、こういうわけであります。
  119. 大出俊

    大出委員 それはあたりまえのことで、国有財産ですからそうならなければえらいことになる。私が聞いているのはそうじゃなくて、いつごろどういうかっこうでおやめになるというのか。ただいきなりこれは御用邸ではなくなりました、やめましたでは困る。どういう予定になっているのですか、そこのところをお答え願いたい。
  120. 瓜生順良

    瓜生政府委員 この御用邸を廃止をいたしまするという場合はまあそう遠くない将来だと思います。下田のほうの御用邸用地の買収等の関係がはっきりいたしますれば、その準備の任務にかかるかと思います。主として大蔵省なんかと打ち合わせいたしまして、それを解除しますと、それが大蔵省のほうの普通財産となります。そのあとの土地をどうするかというのは大蔵省の国有財産局のほうで考えるということになると思います。
  121. 大出俊

    大出委員 十七、八年一ぺんも使ってないものを何でいままでほっぽっておいたんですか、この沼津の御用邸というのは。もったいない話だ。
  122. 瓜生順良

    瓜生政府委員 先ほどのは少し不正確な点がありましたが、昭和二十九年には両陛下がおいでになっております。それから昭和三十七年には皇太子、同妃両殿下がおいでになっております。お使いになっている頻度は少ないけれども、全然なかったわけでございません。なお、いままであまりお使いにならないのにどうしてそのままになっていたかということでございますが、これはときによってはあの方面に御旅行の際にお宿にお使いになるようなこともあろうかというようなことも考えながら保存しておったわけであります。
  123. 大出俊

    大出委員 それはまあわれわれの常識で判断できないわけで、帰りの宿になるからというようなことでそのままになっていたというならば、ぼくらの判断を越えた次元の話でございますからそうなのかもしれませんが、しかしいずれにしても新御用邸用地まで用地費として組んでおるわけですから、そうなるとこれは一体どうするのかというようなことをあらかじめ片方では準備をしておいて、そして新しいところでこうこうするというのが普通じゃないですか。そうなると、まだこっちのほうはどうなるかわからないのでしょう。方針がきまってないのでしょう。そこら辺どうなのですか。
  124. 瓜生順良

    瓜生政府委員 沼津の御用邸を皇室用財産から解除するという方針はきまっております。時期の問題でございます。
  125. 大出俊

    大出委員 時間の関係がありますからあまりそれ以上詳しいことは差し控えますけれども、これは総務長官、いま私がここで申し上げておりますように、先々のこともありますから念のために申し上げておきますが、どうも私どものほうも、あまりいままで宮内庁の問題というのは深く突っ込んで検討もしていない面がありました。これからひとつ大いに勉強しようと実は思っておりますが、ここでこの問題を取り上げなければ、今回のこの七億五千五百万という金のついているこの問題は、予算委員会その他でもどこでもチェックのしようがないままに予算が通ればそのままくっついていったということにしかならないわけであります。そういう性格のものであります。あとの処理等も沼津という場所柄、あるいは先ほど申し上げました狼煙崎の話等々いろいろあるのでありますから、地元にはいろいろな意見がございます。したがって、そういう点から、ひいては皇室に対する住民諸君の、何でこんな形で沼津の御用邸あとがとんでもないところに行ったのかというようなことにならぬように、これは十分にひとつ、常識でというのじゃなくて、明確な行政長官の権限があるのでありますから、そういう面でしっかりやっていただきたいと思います。  時間の関係がありますので、念のためそれだけ申し上げて終わります。
  126. 三池信

    ○三池委員長 これにて質疑は終了いたしました。     —————————————
  127. 三池信

    ○三池委員長 ただいま委員長の手元に、松澤雄藏君外三名より本案に対する修正案が提出されております。
  128. 三池信

    ○三池委員長 提出者より趣旨の説明を求めます。松澤雄藏君。
  129. 松澤雄藏

    松澤委員 ただいま議題となりました皇室経済法施行法の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、提案者を代表して、その趣旨を御説明申し上げます。  案文はお手元に配付してありますので、朗読は省略し、その要旨を申し上げますと、原案では、その施行期日を「昭和四十三年四月一日」としているのでありますが、すでにその日が経過いたしましたので、これを「公布の日」に改め、本年四月一日から適用しようとするものであります。  よろしく御賛成をお願いいたします。     —————————————
  130. 三池信

    ○三池委員長 これより、原案及び修正案を一括して討論に付するのでありますが、討論の通告もありませんので、直ちに採決に入ります。  まず、松澤雄藏君外三名提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  131. 三池信

    ○三池委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。  次に、ただいまの修正部分を除いて、原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  132. 三池信

    ○三池委員長 起立総員。よって、修正部分を除いては原案のとおり可決いたしました。  これにて、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案は、修正議決すべきものと決しました。  なお、ただいま可決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成については、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  133. 三池信

    ○三池委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕     —————————————
  134. 三池信

    ○三池委員長 次回は、明四日午前十時より理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後四時十九分散会