○受田
委員 それでは、目下
審議中の
皇室経済法に
関係した質問を続行させていただきましょう。
この前、
総務長官の御苦労を願わなければ解決のできない問題がありましたので、これをはさみながらお尋ねをしたいと思います。また、
総務長官には御病気のまだ完全になおっておられない段階でたいへん御苦労さまですが、国務のためにせいぜいおからだを大事にされて、あまりお疲れでしたらいつでも退席していただいてけっこうです。
この
皇室関係の問題の中に、いま
稻村委員からもお尋ねになったようでございますが、私がすでに十数年前から問題を提起している
事項があります。これは決してゆめおろそかにできない国の基本的な問題として、きょうは
総務長官に、また法規的には法制局長官に、あるいは
宮内庁長官にお尋ねをして、御所信を承りたいと思うのです。
皇室典範という
法律は、昔のように、国権を重んじ国法に従いという、当時の
憲法と同格にあった地位から、
法律事項となりまして、
政府が御
提案になってもよろしいし、
国会でこれを
提案してもいいというような形になっているわけです。したがって、非常に民主的な
法律ということができる。ところが、その中に盛られておる
規定の中には、旧
憲法の
精神をそのまま踏襲しているところが
大半である。新
時代に即応する
規定として当然改めてほしいところがそのままになっているという点、これは
稻村委員が指摘されたことにも
関係しまするが、私なりにひとつあらためてお伺いします。
この近代的国家で、特に西欧民主主義諸国家におきましては、イギリスのように女系の
女子が王位継承権を持つ国もあれば、オランダのような国もある。むしろ女王が治めるときのほうが国がよくまとまって成果をあげるというのは、ビクトリア女王などでしばしば英国でたたえられていることである。——いまのエリザベス女王のときにはちょっとおかしなことになっているようでございますが……。いずれにしても、女王という存在は非常に意義がある。
わが国におきましても、三十三代の推古
天皇から三十五代の皇極
天皇——それが三十六代を越えて三十七代には斉明
天皇として重祚されている。それから天武、持統、文武といって、四十三代に元明
天皇が
女帝の御身をもって奈良朝を始められた。次いで
女帝の元正
天皇があらわれる。そのあとで仏教を盛んにした聖武
天皇という男性が一人おられるが、引き続き孝謙
天皇も女性の
天皇であられる。淳仁
天皇を飛んでまた称徳
天皇が重祚された。奈良七代七十余年間の治世は、「青丹よし奈良の都は咲く花のにおうがごとくいま盛りなり」といわれて、奈良のあの平和な明るい
時代が後世にもたたえられている。その七代の中の四代までは
女帝であった。これが
日本の特色ですね。そうして徳川
時代に入っても、後水尾
天皇が徳川幕府の横暴を嘆いて、「葦原よしげらばしげれおのがままとても道ある世にあらばこそ」と嘆きたもうて、そのあとに皇女明正
天皇が
皇位につかれた。これが百九代です。それから徳川末期に至っても後桜町
天皇というお若いお嬢さんの
天皇がおつきになられた。
日本の
歴史を見ても、八人の女性の
天皇が
おいでになる。そうしてその女性の
天皇がおられるときは必ず対立抗争を避けて平和であった。皇祖天照大神も女の神さまであった。これはもう記紀の伝説の説くところによってもきわめてはっきりしておる。これは別に女なしでは夜も明けぬ国という
意味とは違って、女性がおられるとそこに潤いがあって、どこかに対立抗争を避けて平和な国づくりができるという
伝統が
日本にもあると思うのです。それを明治
憲法と同じように
男系の
男子で
皇位継承権が踏襲されているというところに問題があると思う。これはこのあたりでひとつ近代的国家として国民の
象徴として
天皇御一家であるという
時代になれば、男女同権の新
憲法及び民法の
精神からいっても
女帝の出現を期待させていただくような時世ではないか。女系の
女子とまでいかなくても
男系の
女子は
皇位継承権が存在するという形にこのあたりで切りかえる時期が来ておる。
歴史のよってくるところと、諸外国の平和な明るい国づくりをしている国の
女帝の存在とをあわせて、これを古今に通じて誤まらず、これを中外に施してもとらずという、中外から見ても、古今を通じて見ても、
女帝の存在は非常に意義があると思うのでございまするが、大臣の御
見解をひとつ伺います。