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1968-04-09 第58回国会 衆議院 懲罰委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十三年四月九日(火曜日)    午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 堀川 恭平君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中伊三次君    理事 藤尾 正行君 理事 安宅 常彦君    理事 石野 久男君       青木 正久君    伊原 岸高君       大坪 保雄君    四宮 久吉君       高橋 英吉君    永山 忠則君       廣瀬 正雄君    森田重次郎君       猪俣 浩三君    黒田 寿男君       帆足  計君    池田 禎治君       曾祢  益君    小川新一郎君  委員外出席者         議     員 鯨岡 兵輔君         議     員 穗積 七郎君     ————————————— 四月九日  委員猪俣浩三君、石野久男君、池田禎治君及び  北側義一辞任につき、その補欠として黒田寿  男君、帆足計君、曾祢益君及び小川新一郎君が  議長指名委員に選任された。 同日  委員帆足計辞任につき、その補欠として石野  久男君が議長指名委員に選任された。 同日  理事石野久男君同日委員辞任につき、その補欠  として石野久男君が理事に当選した。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事補欠選任  議員穗積七郎懲罰事犯の件      ————◇—————
  2. 堀川恭平

    堀川委員長 これより会議を開きます。  議員穗積七郎懲罰事犯の件を議題といたします。  この際、おはかりいたします。  本人穗積七郎君に対し、本日の委員会に、衆議院規則第二百四十条により、出席を求めることといたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 堀川恭平

    堀川委員長 御異議なしと認めます。よって、議長を経由して、本人出席を求める手続をとることといたします。  動議提出者鯨岡兵輔君に対する質疑の申し出があります。順次これを許します。帆足計君。
  4. 帆足計

    帆足委員 敬愛する鯨岡議員に、まず御質問しますが、国会権威ということは、これは日本国民にとって道義的にも、また、人間は政治的動物でありますから、政治的にも、最高権威あるものでなくてはならぬ。国会権威とは何ぞやというと、私はこう思いますが、お尋ねしたいのです。  ヨーロッパにおける、またアメリカ等における懲罰事犯等の例を見ますと、感情に走って、そして無礼ことばを使うというようなことがあっては望ましくない、これが懲罰動議がときとして起こる原因でありまして、言論そのものを抑圧するというようなことになっては絶対に相ならぬということが、どの憲法、法律の本を見ましても指摘されておるのでございます。わが国会におきまして、衆議院規則二百四十五条は、たびたび同僚議員から指摘のあったことですが、「議院の秩序をみだし又は議院品位を傷つけ」る行為があった場合に、懲罰動議が発生する。そういたしますと、言論の府としての国会、また政治権威を保つ場所としての国会、その国会権威というもの、それを裏づけるため、補助するために、国会はまた品位を保ち、無礼行為感情に走る行動、措辞などがあってはならない、私はこういうふうに理解いたすものでございますが、鯨岡委員におきましては、国会権威において最高ものは何であるとお考えでございましょうか、御高見を承っておきたいと思います。
  5. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 帆足先輩お話でございますが、国会権威といえばいろいろあると思います。だがしかし、御案内のとおり、国会の中でわれわれがやる演説、表決、その他一切、院外においてはその責めを問われない、また逮捕されないという特権がわれわれには与えられ、その特権に見合うだけのものを、われわれみずからきめなければならない。これが自律権であることは御承知のとおりであります。そこで、その自律をわれわれがみずから定めた、かなりこまかく定めた。諸外国のこことについて特に詳しい帆足先生、先般御承知のとおり、これほど詳しく定めたところはないと思うのです。それらのことを忠実に守る、これすなわち国会権威を保つゆえんであろう、こう思うのですが、いかがでありましょう。
  6. 帆足計

    帆足委員 私は、わが友人穗積七郎君のために、諸兄理解を求めるだけでなくて、同時に、その友が、保守党の方であろうと与党の方であろうと、国会権威を保つために、こういう機会に互いに認識を深めて、そうして了とすべきものは了とし、正すべきものは正す、こういうふうに考えたいと思うのでございます。どうか虚心たんかいに聞いていただいて、この機会に——今日の日本国会は、その権威においても品位においても、最高を誇ることはできません。思えば明治初年ごろの英国国会は、ほとんど総選挙のときに買収が行なわれまして、ちょうど明治維新を隔たるわずか十年前のころ、選挙戦が始まりますと、投票買収株式会社というのが至るところにできまして、貧民どもから投票買収いたしまして、そうして選挙の日に、それをそれぞれ金力、権力のある者に売りつけまして、選挙の翌日にはその泡沫会社は解散して消えてしまっておる。これが明治を隔たる数年前のことです。やがてそれから十数年後に、ジョン・スチュアートミルがインテリとして、すなわち良心ある知識人として立候補いたしました。彼は一文の金も使わず、言論戦だけでいくという声明をし、また英国労働者階級の教養並びに道徳的水準が低いことをみずから戒めまして、そうしてイギリス労働者階級が今日のごとき状況であるならば、みずから卑めて人これを卑しむ、政権に近づくことは容易でないであろう、という演説をしました。ところが、一人の労働組合のボスがこの発言を聞いて怒って、死んだネコの皮をぶっつけたそうでございます。スチュアートミルは黙って応ぜず、彼の演説を続けました。ところがやがてロンドンで、みずから労働者階級に奉仕する思想と哲学とヒューマニズムを持って出た候補者が、みずからの陣営の中にあるいろいろな欠点をも率直に指摘した、かくのごとき者が真の労働者の友であるという声があがりまして、彼は最高点で当選したと、歴史の本に書いてあります。  私は、今日のイギリス議会の良識、事に面した場合に、人はこれをうかつというでしょうけれども、こうかつというよりも、常に冷静であり聡明である英国国会風格というものに対しては、一面深く敬意を表せざるを得ないと思っておる者の一人でございます。国会権威といい国会品位という、私は最もその重要なものは必ずしも形式でなくて、その本質であると思います。そこで形式上のことは、たとえば国会では必ず上着を着るとか、国会では許可を得なくしてつえをついたり、食事をしてはならぬとか、国会では互いに同僚議員に対して敬語をもって対処せねばならぬとか、等々のことは、すべて必要なことで、おのずからまたそうなるべきものでありますけれども、最も必要なもの国会権威である。いま穗積君の懲罰動議を前にいたしまして、国会権威ということに一たび思いをいたしますならば、私は与党議員諸君とともに、今日の国会権威というものは十分確立されておらず、国会議員というものがさほど世人から尊敬されていないという事実をまことに嘆くものでございます。したがいまして、私はまず形式論よりも実質論のほうに目を皆さんとともに向けて、この問題を考えたいと思っておる次第でございます。  きょう、ある新聞の切り抜きを、また久方ぶりでスクラップをたどっておりましたら、たとえばなくなりました風格のある政治家吉田さんのその最大の政治上の汚点は、造船疑獄のときの指揮権発動であった、その指揮権発動唯々諾々として受け入れ、それによって救われたのは佐藤総理その人であったということを、新聞記者が書いております。私は、かくのごときことが国民の心に与えた印象の深さというものは、実に実に深いものであると思います。その指揮権発動によって救われた佐藤さんその人が、例のプロパン事件ガソリン事件の摘発を指揮せねばならぬとは、そういう記事を見ましたときに、国民はつい苦笑いせざるを得ない。国会品位ということが単にことばのみの問題にあるならば、私は互いに注意し合って、そしてすれば事が済むのではあるまいかと思います。外務委員会におきまして、穗積君が売国奴ということばを使わずに、愛国ということばが出ましたから、そこで非愛国と言おうかまた売国と言おうか、とっさの場合に、その対照語を使ったと、穗積君はありのままの事実をもって諸兄に弁解しておりますが、そのときには、秋田委員長は、穗積君の発言の中に不穏当と思われる個所があったならば、委員長として善処しますということを言われ、穗積君もそれに関する限りは、遺憾の意をもって、委員長要望にこたえる、委員長要望に従う、こういう意思を当時持っておりました。私は、敬愛する鯨岡さんが、倉石発言のしっぺい返しを一本とるために、穗積君の問題を取り上げたとは思いません。なぜ思わないかというと、それは鯨岡君の人柄によることであって、ほかの人がやったことならば、あるいはそういう感を持ったと思いますけれども鯨岡君の場合は持たない。しかし当時巷間伝えられるところによれば、心なき与党議員が、あれは倉石発言の人質じゃと、穗積君に対する懲罰動議を言うた人がおることも、新聞のスズメのささやきほどの欄に出ております。そのようにとる向きもあった。それほど、この問題はボーダーラインに属する問題であったということは事実であろうと思います。  人は感情に激する、また、演説をしている最中は、適当な措辞を選ぶのにあやまちをおかす。したがいまして、本質の問題でなくて表現の問題であるならば、お互いになるべく寛大であることを私は望むものでありまして、委員長から何も指図を受けなくていいと思うこともしばしばですが、速記録中、われわれが選出した委員長の目から見て、不適当と思われる措辞があるときは、文意の、ことばの意味の論理をたがえない範囲において、委員長措辞表現についてはしばしば修正を一任するという慣例があるのでございます。先日私は、沖繩の問題について、やはり思い余って、これは半年前のことでありますが、アメリカ東京では紳士のごとくふるまっておるけれども沖繩ではまさにギャングである、こういう発言をしました。半年前のことでありますし、私は、ちょいちょい街頭演説で、そういうことばを使っておりました。そのときは臼井さんが委員長であったと思いますが、ことばの使い方については、与党議員もおかれることだし、君の意味するところのものがよくわかればいいのであるから、委員長に、多少修正するように一任してもらいたいというお話がありました。私は、臼井さんのお人柄を信じて一任いたしました、ところが、彼は、沖繩においてはギャングのごときふるまいをするような事件がたびたびあることは遺憾である、こういうふうに措辞修正いたしたのでございます。こういうような次第でございますから、私は、与党議員諸君に切にお願いしたいことは、措辞修正をもって済むことならば、そういうふうに極力はかっていただいて、そして事の本質に関することならば、何ゆえにそういう発言が出たかという由来のものを明確にしていただくことが、これが懲罰委員としての責任の本質であると思うのでございます。  そもそも、国会権威国会品位という二つことばがありますが、この二つの連関について鯨岡議員はどのようにお考えでございましょうか。
  7. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 るるいろいろお話がありましたが、その一つ一つについて私の考えておるところを述べたいと思います。  帆足委員が言われました、実質形式の問題です。実質が大事だから形式は論ずるに足らないというようなお考えでしたら、全く私とは考えが違います。実質が大事であればこそ、形式もこまかくきめている。それは、ほかでもない、帆足先生たちみずからがきめたんです。実質が大事なことは言うまでもありませんが、だからといって、形式を軽んじてはいけない。実質が大事なればこそ、形式も重んじなければいけない。形式はどうでもいいんだというようなことでは、実質を重んずることにもならない。これは聡明な帆足先生十分お気づきのことであろうと思うのであります。お気づきでありながら、どうしてそういうことを言われるのか、私は理解に苦しむわけであります。  それから、何か指揮権発動のことまで言われましたけれども、それは、十分われわれが平生考えなければならないことであることは論を待ちませんが、いまここで論ずべきことではないと思います。何か一つ事件が起きたときに、その事件を論ずるのに、他の事件を持ち出してきて、その事件のほうがむしろこの事件よりは大きいというような印象を、もし他に与えようとする御意図であるならば、それは議論を紛糾させるだけで、ものごとを解決していくために何ら効果がない、こういうふうに思うわけであります。このことも、十分聡明な帆足先生にはお気づきのことであろうと思うのですが、あえてそれをおっしゃるのは、どういう意図に基づいているのか、私は理解に苦しむわけであります。  事の問題は、無礼の言を用いてはならないとはっきりわれわれはきめたのです。自分自分のことをきめたのです。そこで、「あなたは売国者」だと言ったそのことばが、無礼の言に当てはまるか当てはまらないかということを判断するのが、私は、この委員会に課せられた任務であろうと思うのです。私は、無礼の言となりますということで、懲罰動議を提出したのであります。したがって、鯨岡無礼の言と言うけれども無礼の言とはならないと判断するか、なると判断をするか、それは先生方の御判断であります。私は、やはりそういうふうにものごとを整理してかかることが効果を生むゆえんである、こういうふうに思うわけです。  それから、事の次第が十分理解されるならば、ことばについては、まあなるべく寛大なというお話がありましたが、それは私も全く同感です。また、そういう御処置をおとりになるかどうかは皆さま方のことでありまして、前段、われわれとしては、十分に穗積先生の心情についてもいろいろ考え、十一時間にわたって、なるべくこの委員会等に持ち出さないで、当該委員会の中で解決しようと努力したことは、趣旨弁明の説明の中で明らかにしたところであります。だがしかし、それらはついに穗積先生並びに社会党の拒否するところとなった事情をおくみ取りを願いたいと思うわけであります。  権威品位とについて考えを述べよということでしたが、品位が重んぜられればこそ権威が保たれる、こういうふうに考えます。私は、しばしば申し上げているように、言語学者じゃありませんから、言語学的にそれを解明することはできませんが、品位の重んぜられないところに権威はない、品位を十分に重んじてこそ、そこに権威があらわれてくる、こういうふうに考えるのでございます。終わります。
  8. 帆足計

    帆足委員 鯨岡議員の御答弁に対しまして、後半は、私はよく理解いたします。しかし、私がもの本質のほうがきわめて重要であると申しましたのは、実は、この件に関して、論題をそらし、顧みて他を言おうとする意図から出たものでないことだけは御了解を願いたいのですが、私は、今日の日本国会機能国会権威というものは非常に低いと思っております。そして、それはすでに目に余るものがあるとまで思っております。その一つ一つの例をあげる時間が許されるならば、私は、もう数限りない例を、議会速記録を通じてあげたいと思うくらいです。たとえば、この国会において、大臣が答弁し、政務次官が答弁したことが、三日後にはもうひっくり返ってしまって、そして守られていない。また、外務委員会のみならず、予算委員会等において政府が確約したことがほとんど守られていない。しかも、それを監察する機能もない。こういう点において、この懲罰委員会機会に、互いに意見を交換したことが機会となって、国会権威がもっと高くなるように、日本国会法の再検討がなされることが望ましいことを、私は痛感しておるものの一人でございます。たとえば予算委員会等も、昔の第一読会、第二読会のあった時代のほうが、もっと内容が実質的でなかったかと、しばしば私は思います。予算分科会に至っては、実に議員の質問が具体的で実際的で、すばらしいものでございます。私は、自分みずから議員になる前に、政治家というものをあまり尊敬しておりませんでした。ところが親しく同僚諸君に接するに及んで、大多数の方々が、それぞれ一家言を持ち、非常な経験とエネルギーを持っておられる方であるということを痛感いたしまして、世のいわゆる口舌の評論家諸君に、議員というものの能力をもう一ぺん再検討してもらいたいということを痛感いたしております。たとえば予算分科会速記録のごとき、はたして多くの政治評論家ジャーナリスト諸君が通読しておられるかどうか。ところが、いかにすぐれた予算委員会における質疑応答も、ほとんど行政の中に生かされていない。議員発言というものは、よく私が冗談で申しますが、船は出ていく煙は残る。船は出ていく速記は残る。速記が残っておるだけで、残る速記がしゃくの種。貴意に沿うようにいたします、先生の御要望に沿うようにいたしますといって、行政は、ほとんど国民の代表たる議員要望に沿うていないことがあまりにも多過ぎると思っております。したがいまして、いま問題にすべきことは、事の本質であるといって鯨岡議員指摘されましたように、その形を軽視していいと別に言うわけではありません。たとえば、一例をもって申し上げますと、なき吉田総理は、−御存命の方でないほうが当たりさわりなくていいですから、一例として、南原東大学長に対して、曲学阿世の徒と言いました。私は当時すでに議会に籍を置いておりましたが、これは普通ならば懲罰動議に値する発言であろうと思いました。一国の中央の最高学府の、その数千の生徒をあずかる学長に対して、軽々しく、自分の政見と違うからといって、曲学阿世の徒というがごときは何ぞや。それは少なくとも、南原学長プロテスタント的風格のある人で、矢内原学長と似たようなタイプの方であって、彼の信念から言っていることであって、そしてそのときの時流にこびて言っておるのではないことは、南原先生の過去の経歴や一般の評価で、だれしも知ることです。それに対して曲学阿世の徒と言い、われわれ庶民に対しては、不逞やからと彼は言いました。あげくのはては、ばかやろうと言って、懲罰委員会を逃げるために、国会を解散してしまいました。このような例は、他が悪いからわが友を弁護する材料に使おうというのではありません。しかし鯨岡議員におきましては、一体、なき吉田総理がこのような殿様ぶりを、日本ではこれを気骨りょうりょうというように、お人よしの庶民の目には映るでありましょう。はたしてこれがりょうりょうたる気骨から出たことか、土佐のいなか殿様のわがままから出たことばか。私がジャーナリストであるならば一言なかるべからずと、当時思ったのでございます。これは思い出話でありますけれども、この曲学阿世の徒ということばは、われわれ政治家であると同時に、ともどもに学問に志す者にとっては、いまだに忘れ得ざることばであります。鯨岡さんはどのような御感想でおられるか、これを承っておきたい。
  9. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 そのことが、今日の問題とどういうふうに関係がつくのか、私にはよくわかりませんが、いまおっしゃられたように、当時の吉岡さんのことばが、曲学阿世にしても不逞やからにしても、ばかやろうにしても、問題となっているゆえんものは、やはり当時それが大きな問題になったからでございましょう。いま帆足先生みずからおっしゃったように、一国の最高学府の長に対して、自分考えと異なるからといって、曲学阿世とは何か、まさに懲罰に値すると、こう言われた。それだったら、一国の総理大臣に対して、事のいかんを問わず、自分考えと違うからといって、売国者と言ったことは懲罰に値しないかどうか。だからこそ、私は当てはまると言っておるのであって、全く私は、帆足先生の言っておることと私の考えと同じだと思うのですが、いかがでしょう。
  10. 帆足計

    帆足委員 私が言いましたのは、曲学阿世の徒と言い、不逞やからとわれわれをののしっても与党からはこれに対する非難が起こらなかったという事実を申しておるわけであって、すなわち与党の者ならば責めず、他党の者ならば責めるという傾向が、封建性の強いこの国においては、特に著しいということをも示唆し、同時に、国会内のことばのやりとりというものにはこのような例もあって、それは懲罰にせずに不問に付しておったという、そのときの事実を申し上げただけであって、何ら事の本質にまで触れた議論ではございません。そこで、限られた時間でありますから、私は事の本質に触れて、同僚議員に御注意を促したいと思うのでございます。  そもそも、このたびの問題が起こり、そしてことば表現には遺憾な点があったけれども、その本質において一歩も譲る気がないと、穗積委員が主張するゆえんものは、私はよく理解できるのでございます。このことは、沖繩の問題に連関し、沖繩核基地の問題に連関し、また日本憲法に連関しておる問題でございます。実に沖繩の問題こそは、私どもにあまりにもわかりやすいために、またかくのごとき不当なことが白昼公然と行なわれておる、世にもふしぎな物語一つでございます。単にふしぎな物語というだけでなくて、立法府としての議会行政府としての内閣にとって、これは将来の歴史の語りぐさになるほどの重要な問題でございます。  まず第一に、沖繩は本来日本でございます。そしてとにもかくにも沖繩を他国の支配下に置くということは、終戦直後世論の許さざるところでありました。ましてや人口九十六万の同胞を無国籍者にするなどということを、ナチスと戦った連合軍の手前、アメリカといえども主張することは当時できがたい世論を背景としておりました。したがいまして、アメリカ沖繩をやがて来たるべき中国包囲戦の戦略に使おうと、アメリカ軍部が決意いたしたときに、アメリカ国務省ははたと当惑いたしたのでございます。このときに、まことに残念なことですけれども一知半解の二、三の学者がおりまして、その一人はオーエン・ラチモアという学者でございます。世間ではこの人を左翼の学者と思っておりますけれども、このオーエン・ラチモア博士が、一知半解の観点から、沖繩同胞は、アイヌ族と同じように、毛深く、目が大きく、アリアン系の血を持っておる。同時に南方との混血であって、そのことばはまったく日本本土ことばと読み取りにくい。顔の色も浅黒く、日本民族とは言いがたいし、歴史的に見て、長い間中国支配下にいたこともあるということを、彼は書いたのでございます。当時沖繩を何とかして軍事基地にしようと思っておりましたがダレス国務長官は、渡りに舟とばかりにこのことばに飛びついたのでございます。同僚議員諸君の御承知のように、最近の人類学者指摘によりますと、日本本土原住民は、幾つかの原住民族がおりましたが、北海道と沖繩原住民族の遺跡が最も広く残っており、一部はまたメキシコのほうに南下して、メキシコ民族日本原住民族と非常に深い血のつながりがあることなどを論証しております。しかし、沖繩同胞ことばは、非常にわかりにくいようでありまして、比較言語学的に調べてみますると、古来のやまとことばでございます。たとえば、私はあなたを好きだというのを、東京では「すき」、九州に行くと「すいちょる」と言います。あなたというのは古いやまとことばで「うんじゅ」「うんじゅすいちょる。」それが沖繩に参りますと、中国の影響を受けまして、「うんじゅすちゅん」こう言うわけです。そうすると、一見ことばの上では「すちゅん」と言いますから、中国語のように聞こえますけれどもことばを分析してみますると、千五百年も前の敷島のやまとことばの系統がそのままこの地に残っておることを論証し得るのでございます。このような事実や、さらに、当時、国民党が支配しておった時代の大公報が、かつて古き時代に沖繩からみつぎもの中国にささげていたことなどを載せました。またこれらの文章の一部が、タイムス・オブ・インディアに出まして、渡りに舟とばかりにこれを使って、そしてダレスは、沖繩は民度が低く、どうも民族が違うようである、したがってこれに信託統治という名を与えることに関心を持っていました。  戦争前の信託統治といえば国際連盟時代ですけれども、国際連合時代の信託統治というものは、各位の御承知のように、文化のおくれた民族に対してその自治能力を涵養し、教育の水準を高め、教育の水準が高まってくるにつれて一日も早く自治権を与える、いわば幼稚園、小学校のような役割りを演ずるのが、この信託統治の定義でございます。その信託統治には二種類ありまして、一つは軍事的信託統治、一つは平和的信託統治。原則は平和的信託統治でありまして、軍事的信託統治に移そうとするならば、これは安保理事会の承認を必要とするのでございますから、ソ連が拒否権を行使することによって軍事的信託統治にすることはできないことに、ダレス長官は気がついたのでございます。そこで、信託統治と言ってみたものの、平和的信託統治では何の役にも立たないということに気がついたダレスは、信託統治までの暫定期間、直接の軍事占領を続けるという一句を挿入したのでございます。当時、国際連合は平和のうたげに酔っておりまして、だれしも、信託統治ということばの背後にいかなる陰謀がたくらまれておるかということを知るべきよすがもありませんでしたけれども、長らく植民地支配に苦しんんでおりましたところのインドのネール首相は、彼の宗教的英知をもってこのことに気がつきまして、その代表をして、ダレス国務長官に質問せしめました。信託統治の趣旨にしばらく賛成であるとするも、その手続の間軍事占領を続けるというが、何年ぐらいの占領期間であるかということを質問せしめたのでございます。それに対してダレス国務長官は、むかっと憤ったような表情をいたしまして、答弁の必要なしという答えでありました。かくして、インドの代表は憤然として席を立ち、アラブ連合の総裁、当時はエジプト共和国の総裁ナセル大統領並びにビルマの首相もまた、サンフランシスコ条約から脱退を声明したのでございます。かくしていまや二十三年たちまして、当時ネール首相が心配したと同じ、二十年たってなおかつ軍事統治が続き、信託統治のことには全然触れず、いわば結婚詐欺のようなことでありまして、おまえとやがて信託統治にするための婚約を結ぶ、しかししばらく手続に手間どるから軍事占領を続ける。そしてその軍事占領は、もう二十年も続いてまいりました。当時二十のおとめはすでに四十になっておるのでございます。しかもいつまでもというわけにいかないので、今後三、四年中にそれでは日本本土に戻そうかということが、日本国民世論及び世界の世論のために抗し切れなくなってまいりました。しかし、すでに今日、信託統治を目的とするまたは信託統治に直接なっておる領土は、その本土が国際連合に加盟した場合には、自動的にその効力を失うという条項が、国際連合の信託統治条項の中にあるのでございます。したがいまして、信託統治を終着駅とするところのサンフランシスコ条約中の沖繩に関する項目は、すでに国連憲章によって、国際法的に無効になっておるのでございます。今日、国際連合憲章、世界人権宣言並びに端的には植民地廃止宣言、これには植民地とは非自治領という定義がなされておりまして、この定義はアメリカ代表がした定義でございます。なぜアメリカがこのような定義をしたかといいますと、自分の国は長い間英国の植民地であったから、植民地の苦労を知っているのはアメリカそのものである、こういって、植民地諸国の気を引くために、彼がことさらに手をあげて議長発言を求め、植民地廃止宣言のいうところの植民地という定義を定義づける資格のある国は、ソ連、英国でなくして、このアメリカである、アメリカは長い間英国の植民地として苦労してきて、そしてワシントンが最初の独立宣言を発し、これが源となってフランス大革命も行なわれたくらいであるから、アメリカ代表こそは、植民地廃止宣言の定義をするのにふさわしい代表である、植民地とは何ぞや、一言にして言うならば、非自治国である、住民に自治権のない国である、こういう定義をしたのはアメリカでございます。かくして、いまや沖繩は国際法的にその根拠を失い、そして世界のいずれの国に参りましても、マダガスカルに行っても、象牙海岸に参りましても、今日の沖繩のような状況に置かれておる国は一国もないのであります。すなわち、領土が他国に移り、住民の自治権が他国に移り、その通貨が他国の通貨に移り、立法、司法、行政三権ともに、他国から重大なる実質的制約を受けておる国は、まさに歴史にいま類例の見ないところでございます。  私は一昨年イギリスに参りまして、バートランド・ラッセル卿の山荘を訪問する機会がありまして、そのときに各国の公使並びに英国労働党の関係の政治家、現在の与党政治家も二、三参りまして、はしなくも沖繩のことが話題に出ました。そのときに、沖繩の人口九十六万ということを説明しましたら、みな驚いてしまいまして、九万か十万の人口と思っていた、百万の人口のあるこういう独自の文化を持った大きな国ということは知らなかった、なぜそれに対して日本政府が抗議しないのか、こう言いますから、私は、正式に国際連合並びにアメリカに対して沖繩の返還を求めたことは、当時としてはないように聞いております。そう申しますと、では国会は一体どうしていると言いますから、沖繩の立法院も満場一致祖国復帰の決議をし、国会も満場一致祖国復帰の決議をしていると言いましたら、琉球立法院がそれを決議し、衆参両議院がそれを正式に決議をしておりながら、なぜその決議をそのままの形でアメリカ政府並びに国際連合植民地解放宣言特別委員会日本政府は提出しないのか、理解に苦しむ、こもごもそういうことばでありました。もし日本政府が沖繩同胞に対して、また沖繩の国土に対して、一片の良心を持っていたならば、インドのネール首相が一言主張したことによって、ゴアをそのふところに取り戻し得たように、沖繩は直ちに自動的に日本のふところに戻らざるを得ない。一言国際連合へ手続をなさったならば、それは自動的に日本に戻るべき性質のものでありますというのが、その席に集まった政治家並びに国際法学者の一致した意見でありました。そこでみな首をかしげまして、世にもふしぎな物語ということが言われたのでございます。  今日、沖繩の置かれている状況は、ちょうどたとえばこの部屋が沖繩と仮定いたしますと、ある一瞬に、この部屋だけは他国の領土になり、この部屋に住んでいる者は、琉球人という名をもって呼ばれ、国籍がなくなり、ふるさとに帰るにもパスポートが要る。外国へ行けば何国人かわからぬ取り扱いを受ける。そして他国兵に暴行を受けても、その娘に対して救う方法もなく、裁判の独立権もなく、完全な意味の司法権、自治権もなくなったとしたならば、それは憲法違反であるだけでなくて、国際連合憲章違反であり、植民地解放宣言違反であり、人権宣言違反となるでありましょう。ちょうど同じことを、私は北九州に行って感じたのですが、いまから五十年前の北九州においては、炭鉱夫さんたちが、生活の苦しさのあまりわが子を売らねばならぬことすらしばしばありました。そのときに口入れ屋というのがありまして、その職業紹介所の女衒が言うことには、親の許可を得たものであるから、その娘をどこに売ろうと自由である。そして炭鉱夫の生活をしているよりも、料理屋に行って、おしろいをつけて、おいしいものを食べたほうが、その娘にとってもしあわせであるということがいわれました。しかしいまでは母子福祉法並びに児童憲章によりまして、自分の子であるから焼いて食おうと煮て食おうと自由だ、というわけにはまいりません。自分の子であるからといって、他人にこれを売ることは許されません。またこの娘を買った者も処罰され、売った者も処罰されるのでありまして、国際連合の憲章からいうならば、これをアメリカに渡した日本政府も処罰を受け、これを買ったアメリカも、言語道断な人食い人種として処罰を受けねばならぬのが今日の国際法のわれわれに教えるところでございます。  そこで、その後諸外国を回るにつけまして、どこの国の議員からも、私は同じことを聞きまして、どうして、人口百万もある沖繩を他国にゆだねて、その自治権も司法権も行政権もないとは、それは一体どういうことであろう。しかもそれが盟邦の国といわれておるのはどういう理由であるか。もちろん、軍事的必要のために、本土における安保条約のような軍事協定を結ぶことは、それはあり得ることであるし、そのときの政策の必要によって、与党が必要と認めたならば、憲法の許す範囲の条約であるから、何人がこれに干渉することができよう。しかしいかなる権力をもってしても、いかなる理屈をもってしても、その住民を売り、国土を売り、その自治権を売ることは、今日の国際法ではもう許されない。ちょうど少女の人身売買が許されないと同じ事実である。このような世にもふしぎな物語が、日本アメリカの同盟のゆえをもって、白昼公然として行なわれておるということは、まことにふしぎなことである。  そこで、私はさらに、このような歴史があるかということを調べてみました。ところが戦争の結果奪い去られたという歴史はありますけれども、しかし、みずから進んで、わが娘を他国に譲り渡したいという例はありませんし、誤って譲り渡した場合は、執拗に、これをわが手に取り戻すように、全力をあげて努力をしておるというのがその例でありました。たとえばアルサス・ローレン、一部のドイツ系の人たちはエルザス・ロートリンゲンと呼んでおりましたが、アルサス・ローレンの学校の先生たちは、その生徒を、ひな鳥をいつくしむ母鳥のように、子供たちを抱いて、そしてひそかに祖国フランスのことばを子供たちに教えていたということでございます。まさに沖繩祖国復帰運動の中心が、日教組ではなくして沖繩教職員会、まさに教職員にふさわしい名称であると私は思いますが、沖繩教職員会、そこに結集した先生たちが、子供の教育だけは日本国民として教育したいということで、ハンガーストライキその他のあらゆる努力を重ねまして、そしてついに、日本国民として沖繩の子たちを教育し得るという教育基本法を高等弁務官に承認せしめた歴史は、かのアルサス・ローレンの教職員組合の歴史にもまさに似たものがあることを痛感するのでございます。  また、中国におきましても、皆さまよく御存じの例の岳飛の伝記を読みましても、金に併呑されました岳飛は、あくまで祖国の復帰を主張し続けまして、わが山河を返せ、墨痕りんりとして扁額にその字を書きとめましたが、一部の快からず思う人の目に触れまして、ついに彼は終身刑となり、獄死いたしたのでございます。後世、岳飛の愛国の心を慕う者はあとを断たず、いまは西湖のほとりに岳飛の記念碑が残っておりまして、わが山河を返せという墨痕りんりたるその筆墨のあとを石刷りにして、旅客に分かっておるのでございます。私は沖繩の現状がこのようなことであるのに、そのすべてが国民に知らされておらず、そして衆議院の満場一致の決議、沖繩すなわち琉球立法院の満場一致の決議にもかかわらず、いまだかつて、国際連合に対して日本政府がこれを提訴したことがございません。そこで各国の大使館を歴訪いたしまして、国会がこれを主張することによって沖繩が救えるかどうか、尋ねてみましたところが、国会が決議しましても、政府が取り上げなければ、国際連合上の正式の手続にならない。国会が全部決議しておるのに、なぜその手続を政府がしないのであろうか、その真意を知るに苦しむというのが、各国の政治家または大公使諸君の意見でございました。したがいまして、私は、沖繩に対して、日本政府は尽くすべきことを尽くしていないことは明らかであって、もし佐藤さんがほんとうに沖繩同胞をわが子と思い、沖繩の領土をわが父祖伝来の領土と思うならば、国際連合に対して、ゴアを戻せと言って叫んだネールと同じように、これを提訴し、アメリカに対して同じ正式の文書を送るべきだ。もちろんその場合にも、自由意思によって、両国の軍事同盟をつくることは、それは日本国会、多数党がきめることでございますから、許されるべきであります。それはインドのネールも当時述べております。日本が独立したあとに対等の資格をもってアメリカと軍事同盟を結ぶならば、その善悪は評論家の言うべきことであろうとも、余は他国の政府に干渉しようとは思わない。しかし敗戦の日本がいまうちひしがれておるときに、その上に駐留軍を置いて、駐留軍を置いたままの状況で保安条約を結び、駐留軍を置いた状況のままで沖繩を奪い去るということは、不正にして不当なことであるから、インド代表はこの席にとどまることはできない、こう言って退いたのでございます。歴史の本を調べましても、領土を暴力をもって奪われたという歴史はありますけれども、奪われたあとに対して、奪い返す方法が国際連合を通じてあるのに、これを誠実に実行しないという例は、いまだかつて歴史に見ざるところであるといわれておるのでございます。したがいまして、この事実に即して言うならば、まことに残念しごくなことでありまして、一見気骨りようりようたるかに見えました吉田首相は、四国の殿様のわがまま癖が幸いして、気骨りょうりょうと見えたのでありまして、沖繩に関する限りは、少なくとも占領期間三カ年もたったならば、ぼつぼつ信託統治にしてください——信託統治になれば、次には、日本が、本土が国際連合に入るときはちゃんと祖国に自動的に戻るようになるのでございます。日米軍事同盟があったところで、それはあえて問うところではありません。軍事同盟があるからといって、核兵器を自由に持ち込み、海外に出撃することは憲法によって禁止されていますし、軍事同盟があるからといって、通貨にドルを強要し、自治権を全部奪い、司法権をとり、治外法権にいたさねばならぬという理由はないのでありまして、民社の諸君が言うておりますが、本土並みの軍事基地をかりに認めたとするも、今日の国際連合憲章に違反する、領土権、自治権、司法権、行政権、これは当然日本に返すべきであるし、正当な手続をすれば、数カ月をもって日本本土に返してもらうことができる。こういう状況でありますのに、なおかつその手続を怠っておるとするならば、国を売る手続を承認したなき吉田首相のその政策を継承し、いまだにそれに固執しておる不幸な内閣とわれわれはいわざるを得ない。  だとするならば、穗積君は、幸いにして、本能的に直観的に気をつけて、売国奴という感情に走ることばは使っておりませんが、愛国者の対語として、売国者ということばを使いました。もちろん、このことばは軽率に使うべきものではありません。私は人にレッテルを張って、あれは赤だとか、あるいは保守反動だとか、そういうことばで万事能事終われりとするこの国の島国根性を、諸君とともに嘆くものであります。しかし、沖繩の置かれたあまりにも不合理な状況、あまりにもだらしない状況、あまりにも常識はずれの状況に対して、わが外務委員会の力の足らないことを皆さんとともに嘆く次第でございます。事ここに及んで、このような極端な事実を背景として、ちょうどアルサス・ローレンを守ろうとした小学校の子供たちが、エルザス・ロートリンゲンを賛美する人たちに対して、時として悪罵を浴びせた、それほどの、しかも穗積君のは悪罵でなくして、ただ、愛国者ということばを、このドゴールのことばをあまりに強く総理が使われたから、この対語として、そのようなことばを使った。そして委員長の御注意があったときは、それならば、まことに遺憾として、その本質を曲げない限りにおいて、適当な措辞を使うことを彼は認めたのでありますから、同僚議員諸君においては、これはボーダーラインの事件として処理されることが、適当であったのではなかろうか。というのは、不逞やからだとか、曲学阿世の徒とかいうことばはまだかわいらしいのでございますけれども、事愛国ということに関して、諸君が大いに神経を刺激されたことに対して、私はある意味の了解を、すなわち同じ日本人としてのこのことばに対する共通の感覚から、理解を持つものです。それならばなぜ沖繩の現実が、かくも不合理なことが白昼公然として行なわれておるか。私がかつて失言しました、いまでも失言ではないと思っておりますが、東京ではアメリカは紳士、沖繩ではギャング、まさにこのような状況に沖繩があるのを国会が救い得ない。しかも国会は満場一致の決議をしておりましても、政府はこれを正式に正面から堂々と国際連合に訴える手続をとろうとしない。ようやくにして、ことば表現は悪いかもしれませんけれども、遠慮がちにアメリカにあわれみを請うて、そして戻してもらう。もちろん軍事同盟の問題がありますから、軍事同盟に関する限りは、これは戦略戦術の論議、政策の論議として、互いに渡り合うべきものでしょう。しかし自治権、住民権、司法権、領土権に関する限りは、これは政党政派の論争の問題でなくして、新日本憲法と国際連合の絶対的要請として取り扱うべきものであると思います。それをしも取り上げない日本政府並びに佐藤総理の態度に対して、穗積君のかくのごとき言があったからといって、委員長段階においてこれを善処することに賛成されずに、いまや懲罰委員会におかけになったということは、私は遺憾なことであると思いますし、私は言うべきことを尽くしましたから、最後に皆さんの心に置いて、沖繩の置かれた特殊の状況を御勘案になって、他の適当なことば、すなわち沖繩を他国に売るような政策を続けておられる佐藤総理に対してというようなことばで、秋田委員長が、まだ速記録をつくっておりませんから、適当に修正されるならば——穗積君もあえて措辞については遺憾の意を表するということを当時申しておりますが、その本質においては命をかけて一歩も退かない。私は政治家とはかくのごときものであるべきだと思います。鯨岡検事殿の御裁断にもよることでありますから、あえてこれ以上あわれみを請うものでありませんけれども、事態の真相を明らかにいたしまして、同僚議員として、意のあるところをおくみ取りくださらんことをお願いいたしまして、質問を終わる次第でございます。(鯨岡議員「これは私に質問じゃないですね」と呼ぶ)いまさら御意見を伺っても、せんなきことであろうと思います。
  11. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 質問でないといいますから、私はあえてお答えをするわけではありませんけれども、中に、幾つかお考え違いのところがあるのではないかと思いますので、一、二点簡単に申し述べておきたいと思います。  穗積議員のおっしゃったことの内容について、本質について、譲りなさいあるいは譲ってくださいというようなことは、いままでも一ぺんも言ったことないです。そこがいけないとかいけるとかいうことになってくると、帆足委員御心配のように、言論の自由に対する抑圧にもなろうかと思います。この点はひとつ十分に御理解を願いたいことであります。これが第一点。  それから、委員長の段階において処理することをしないで、とおっしゃいましたが、これは私の趣旨説明を、どうかひとつ速記録等をもってよく読んでいただきたいと思うのです。社会党からは、いま不幸にしておけがをなさって、われわれが一日も早く平癒を祈っている戸叶里子さんが理事として出てきて、理事会のことですから、内容について公開の席上で申し上げませんけれども、十一時間にわたって、委員長の段階で何とか処理はできないかということに、骨を折ったのです。だがしかし、それをけられたのは、穗積議員並びに社会党であるということを御認識願いたいと思うのです。委員長の段階で処理することをしないで、こういうふうに言われたのでは、まことに困ります。  終わります。     —————————————
  12. 堀川恭平

    堀川委員長 本人穗積七郎君に対し、質議の申し出がありますので、これを許します。黒田寿男君。
  13. 黒田寿男

    黒田委員 理事会の予定によりますと、きょう大体質疑を終わるというようなことになります。そこで私は、念のために、穗積君の御意見を承っておきたいと思います。  穗積君の、佐藤総理売国者であると言いました発言が、非常に大きく取り上げられております。しかし私どもから見れば、真に重要なのは、あの委員会穗積君が展開された政策論であった、私はそう思う。その重要さを反省しようとされず、あるいはこれをとらえて、論戦の場としての国会において論戦を大いに起こそうというようなことをされないで、私から見れば、重点の置きどころを誤って、売国者ということばを非常に大きく問題としておるのであります。しかもこのことばを、鯨岡君の御説明によりますと、穗積君の展開された政策論と切り離して問題にしておられる、こういうような状況であります。これは穗積問題の本質をとらえていないものではないか、私はそう思う。問題とされております。穗積君の、佐藤総理売国者だという発言の内容は、私は、穗積君の政策論議と離れてはその真意をとらえることができない、こういうように理解しております。ここは鯨岡君らと私どもとの非常に大きな考え方の違いであります。そして、穗積君があの政策論争と、その中から、佐藤総理売国者だという発言をされましたときと、もう一カ月ばかり日にちは経過しておりますが、その間に、非常に大きな国際情勢の変化が生じてきた。そしてその結果として、穗積君の政策論の正しさがむしろ証明されつつあるというように、私は思うのでございます。したがって、売国者という発言を正しく理解するためにも、政策論争の内容を、今日に即してよりよく知っておく必要がある、私はそう考えます。  そこで、きょうは最後の質問の機会であると思いますので、穗積君にもう一度、最近の国際情勢の変化等について、またそれと照らし合わせて、売国者発言というものの国際的影響についてもどう思っておられるか、お聞きしたいと思います。最近の国際情勢の変化、そしてその変化と、また先般の問題となりました発言内容との関係、その国際的影響、こういうものについて、ひとつ意見を求めたいと思います。
  14. 穗積七郎

    穗積議員 ただいまお尋ねいただきました問題点は三つあると思います。第一は、用語の私の考え方、ああいうことばを使いました用語の意味ですね。そしてもう一つは、佐藤さんを売国者——愛国者にあらざるその反対の売国者であるという規定は、先ほど提案者の鯨岡君もいまだに誤解をしておられますので、その点について申し上げたいと思います。簡単に申し上げます。  私は、再々申し上げますように、相手を侮べつして、相手の論理を圧倒しよう、あるいはわが政策の主張を正しからしめよう、こういう考えで申し上げたのでは決してありません。そうではなくて、これは佐藤さんがあの委員会で展開されました政策に対する論理的発展の中から、まるであべこべの大きな矛盾ある答弁をされておられますので、その誤りに対する政治的評価として、売国者——愛国者にあらざる売国者という表現にいたしたのであります。したがって、非常に私としては、感情的ではなくて論理的であった。そうしてまた、いまお尋ねがありましたように、佐藤内閣の外交政策に対する政治的評価として申し上げたのである。この点は、幾たびか申し上げましたが、今日に至るまで、まだ、特に与党の同僚の皆さんが、故意かあるいは善意かは知りませんが、正しく理解していただかない。こういう重要な一身上の身分のことに対して、結論をどうしろ、こうしろと、私は言う立場ではございませんけれども、少なくとも、その問題になりました事実、問題になりました私の主観、そういうものをやはり客観的に正確に理解して、これをどうするかということでないと、事実が錯覚におちいっておって、錯誤による事実によって問題を処理されるということは、私個人の問題だけではなくて、今後、少数党の議員の身分上の取り扱いについて、非常に重要だと思いますので、この点を強調いたしておきます。  それからもう一つは、その用語についてでありますが、これもまた提案者である鯨岡君はじめ与党の諸君に、どういうわけか、故意か善意か知りませんが、理解していただけないのは、佐藤さんの政策が私と違うから、反対の者はすべてその者を罵倒した、あるいはけなした、そういうのでは絶対にないのですよ。佐藤さんが冒頭に、愛国心の愛国というものものさしはこう思いますといって示した、そのものさしを基準にして論理を展開しておる間に、それとは全く反対のことを言われたので、すなわち私が評価をして彼を言ったのではなくて、佐藤さん自身の政策に関する論理の中からものさしが出ており、それによって、最後に展開されました論理が、民族の完全独立とはまるで逆な、または愛国的主張としては逆な、非核三原則をじゅうりんし、憲法を犯し、場合によれば、日本の主権の中枢の部分であります防衛、外交権を、アメリカとの話し合いの中で、アメリカにゆだねるかもわからぬという、そういう矛盾、それから出たのでありますから、先ほど、吉田さんがばかやろうと言った、南原総長に対して曲学阿世と言った、そんなのとは全然本質を異にいたしております。私の思想、私の政策を基準にして、佐藤さんに対して、自分に反対であるからそういうことを言ったのではない。佐藤さんが示されたものに対する佐藤さんの自己矛盾を指摘しておるのでありますから、その点は正しく理解していただきたいということを、これは委員全部の皆さんに切にお願いをするわけです。  第三点は、最近の国際情勢でありますが、これはいま申しましたとおりに、感情語ではありませんから、佐藤内閣のいまの対米外交政策というものが、従属性を深め、売国性を深めておる、こういうことで言ったのであります。その申し上げたことが実は決して間違っていなかった、政治情勢の中で、現実の中で。今度の三月三十一日夜のジョンソン声明によります政策の転換。その政策の基本というものは、佐藤さんも責任のある共同声明の中から出た共同作戦政策でございます。それをみずから相手であり、しかも親分であるジョンソンが、その共同コミュニケによって合意に達したアジア政策でやってみて、それが誤りであり、失敗であった、そのゆえに責任をとって、私は大統領たることを次は辞退いたします、こういう事態になったのでありますから、このこと自身を見ましても、国際情勢の現実の中で、佐藤さんの従属性、売国性は、私のささやかな弁明以上に明瞭に、これは事実が証明しておるというふうに、私は最近の情勢を見ております。
  15. 黒田寿男

    黒田委員 穗積君に対する質問はこれで終わります。
  16. 堀川恭平

    堀川委員長 これにて、穗積君に対する質疑は終了いたしました。  穗積君の御退席を求めます。適当な場所で傍聴されることは、これを許します。    〔穗積議員退席〕     —————————————
  17. 堀川恭平

    堀川委員長 次に、動議提出者鯨岡兵輔君に対する質疑の申し出がありますから、これを許します。黒田寿男君。
  18. 黒田寿男

    黒田委員 この件に関しましても、私の見解はまた後刻詳しく申し述べる機会を与えていただきたいと思っておりますので、三、四簡単に鯨岡君に御質問をいたします。  本会議における穗積君の懲罰を求むる動議に関しての趣旨の御説明の中で、こう鯨岡君は申しておられます。それは、「重ねて申しますが、私ども提案者は、穗積君の考えておられるその内容を問題にしているのではございません。」中間は省略いたしますが、「すなわち、内容について言うならば、穗積君と同じような内容のことを考えている人の絶無でないことをわれわれは知っています。ただ、われわれが、その考え方、内容に賛成しかねるというにすぎないのであります。」そのあと、「問題なのは、穗積君の考えていることに異なるからといって、」「その目的を疑い、穗積七郎君が、神聖なるべきこの国会において、しかも公式の場所で、議論の相手を最大級の悪口、売国者というようなことをもってののしったという事実であります。」こういうようになっておりまして、政策批判の問題は別にして、特定の相手方、ここでは佐藤総理になるわけでありますけれども、そういう特定の相手方に対して、悪口を言った、佐藤総理売国者というのを、そういうように解釈しておられるようであります。で、これは私どもにはどうも十分理解できない。私どもは、穗積君の政策論争の内容と結びつけなければ、問題になっておりますことばの真意をとらえることはできないのではないか。これを切り離して、そのことばだけを問題にするという意味が、私どもにはよくわかりません。このことについて、最後でございますから、念のために御説明を願いたいと思います。
  19. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 黒田さん、御承知のとおり、無礼の言を用いてはならない、そういう規則がわれわれの自律権の中にはあります。そこで穗積さんの考えておられるようなことは、単に穗積さんだけではない、他にもあることをわれわれは知っておる。だがしかし、それを言う場合に、無礼の言を用いて相手をののしっていいということにはならない。きわめて簡単に、そういうことであります。別に切り離してとか、切り離してないということではないと思うのですが、なお御疑問でしたら、再度御質問願いたい。
  20. 黒田寿男

    黒田委員 政策批判のほうに問題があるのではない。すなわち、これを、何らか政策論争以上の問題として、たとえば懲罰の問題として、取り上げるというようなことを全然考えていない。特定の個人に対する無礼の言、罵言が問題だ、いまこうおっしゃいましたが、念のために、最後の御質問ですから念を押しますが、それに違いございませんね。−それでは、無礼の言とか品位を傷つけるというようなことは、一体どういうことを具体的にはいうのであるか。国会という特別に政治発言の自由を持っておる場で、政治発言による品位の損傷というものはどういうことであるか、私どもにはよくわからないのであります。もし過去に例があって、鯨岡君がそれを御調査なさっておいでになりますならば、それをひとつ示していただきたい、こう思います。
  21. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 たとえばイギリスあたりの例でいいますと、私の調べたところでは、裏切り者ということを不規則発言等でしばしば言うのですね。これは議員に対する侮辱である、無礼の言である、こういうことで、イギリス懲罰といわないのですが、罰則を議長から受けていることが記録に残っております。せんだって、私この委員会でも申し上げましたが、清瀬さんが、現憲法を称してマッカーサー憲法と言いました。しかも、言ってすぐに気がついて、自分はそれを取り消しました。議長はその場で、清瀬さんはそれを取り消しました、取り消しましたということを何回も言うております。しかるにかかわらず、社会党のほうでは、これは許すべからざることだ、こういうことでこれを懲罰の対象にいたしております。
  22. 黒田寿男

    黒田委員 イギリスの例はあえて承る必要はないと思いますが、わが国の例で、いま一つだけ何かお話がありましたが、ほかに何か御調査なさったことはございませんか。
  23. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 なお調べろとおっしゃれば調べますけれども、あのばかやろうなどと言ったのも、あれも当時非常に問題になったことであります。その程度で、お答え、いかがでございましょうか。
  24. 黒田寿男

    黒田委員 私が申すまでもないことでありますが、衆議院規則第四十五条に「委員は、議題について、自由に質疑し及び意見を述べることができる。」こういうふうに規定されております。穗積君のあの発言は、憲法第五十一条の国会内における議員発言等に関する保障、それからまた衆議院規則第四十五条には「議題について、自由に質疑し及び意見を述べることができる。」こういう条項に基づいて、議院内における意見発表の自由として行なった発言であると私は思うのです。したがって、法規に基づく法規どおりの発言だ、そう解釈すべきだと私は思う。問題は、品位条項というようなもの政治発言に適用すべきではない、こう思うのです。この点はいかがですか。
  25. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 自由に発言をしていいということは、言うまでもないことです。自由に発言をしてもいい。それを受けてやはり国会の中の演説、表決、その他については院外においてその責めを問われない、こういうことになっている。しかし、だからといって、何を言ってもいい、どんなことを言ってもいい、どういう表現を使ってもいいというものではないことは、黒田さんすでに御承知のとおりだろうと思います。そこで、いろいろの規則をきめております。これを学問上——私はそういうことの学者ではありませんからわかりませんが、国会自律権とかあるいは議院自律権とかいって、自分自分のことをきめているのです。いろいろなことをきめているのです。どういう表現を使ってもいいというのではないのです。  そこで、お問い以外にわたるようではなはだ恐縮ですが、あなた売国者だ、こちら向きなさい、こう言った。そのことばやはり適当なことばでなかったということを、社会党も認めているのです。これはテレビその他で全国に放送した中で、社会党の代表の方が認めているのです。それから、十一時間にわたって秘密理事会をやったときにも、社会党の方も認め、民社党の方も認め、公明党の方も認めている。そして、そういうことを言った以上は、それに対するある種の措置をしなければならぬというので、その措置に関して十一時間いろいろ練った。ですから、これを適当なことばというように何か持っていかれようとするのであれば、それはちょっと無理ではないか、こういうふうに思うのですが、いかがでございましょうか。
  26. 黒田寿男

    黒田委員 私は、いま、だれが社会党の中でどういう発言をしておるかということを、ここでは問題にしようとは思いません。私は私の考えで質問しておるのであります。そして私はまた党を代表して質問をしておるという確信を持っております。  そこで、私どもは何を言うてもかまわないというようなことを申しておるのではないのです。繰り返して申しますけれども政治的な発言、これにはいわゆる品位条項を適用すべきではない。(鯨岡議員政治的ですか。」と呼ぶ)政治的……。政治論争の内容を持ったものには——これはまたあとから別に詳しく申し上げますけれども、いま簡単に結論的にお尋ねするのは、政治論として展開しておる場合に、相当きびしいことばが出ます。それは論敵を向こうに回して必死の論争をやるというような場合に、徹底的に相手を罵倒するようなことばも出てくるわけですけれども、それを一々品位条項に照らして懲罰委員会に付議する理由にしていては、国会の中の言論自由の保障というものが私は無にされると思う。あとから私は申し上げますけれども、むろん、発言の中でこれを懲罰委員会に付議しなければならぬというものもないことはありません。私が言いますのは、政治的な内容を持つ論戦の中で出てくる発言を、懲罰の対象となるところの品位条項に該当する発言であるというようには解釈してはならないのではないか、そこを私は申し上げておるのであります。何でもかんでも自由があるというのではございませんけれども政治発言には自由がなければ、論争できませんから、そしてまた、そのために憲法で五十一条の保障さえ設けられておる。それを議院自律権によってみずからじゅうりんするというようなことがあっては憲法にも反するし、国会法及び先ほど申しましたような衆議院規則にも私は反すると思う。その誤りが今回の懲罰動機提出にはないかと疑うのが私どもの立場です。そこの限界を聞きたいと思います。
  27. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 限界については、ひとつ懲罰委員会のほうで、御研究を願いたいと思います。売国者というのは前段のことからずっと政治的な内容を持っている。だから売国者ということについて一このことばの問題について石野先生から御親切なお話がありましたので、後ほどまたそれも申し上げようと思いますが、もし政治的な内容を持っている発言だったら、それは問題にすべきでない、かなりどぎついとは思うけれども、それは問題にすべきではない、黒田先生がこういうふうにおっしゃるのだとしたら、私は間違いだと思います。なぜかならば、もし甲の者が乙の者に対して、君は売国者だと言い、今度こっちのほうが、何を言うか、君こそ売国者だということを言い合ったら、これはどうなりますか、これはいずれも政治発言です。しかし、そういうことによって品位も秩序も乱れるでしょう。そこで御案内のとおり、国会法の十四章紀律の項の百十九条に無礼の言を用いてはいけないと書いてあるのです。それから衆議院規則は秩序の項に品位を重じなければいけないと書いてあるのです。政治的な発言ならば何を言ってもいいのだ、それを懲罰の対象にすることは間違いなんだ、こういうふうに言われることは、紀律を重んじ秩序を保つという意味からいって、せっかく先輩の黒田先生お話ですが、受け取れないと私は感ずるのであります。  それから売国というのは、石野先生もせっかくお調べいただいたのですが、いろいろな解釈があるのですよ、先生もお聞きのとおり。ところがいずれの解釈にも共通するものは、自分の利益のためにはかって意識的にその国を売るということですよ。そうすると、売国者と言われたやつは自分の利益のために——それは経済的な利益ばかりじゃないですよ、地位とかいろいろなことがありましょう、そういうことのために意識的にその国を売るということです。見つかったらたいへんだというようなことを考えながらやっている。もしかりに意識しないでも、やった結果が国の不利益になったことを売国者というのであれば、戦争中に政治家をやっていたような人、あるいは政治家でなくてもあの戦争に協力した人はみんな売国者だ。世の中でそれは売国者と言わないのです。だから売国、売るということは、意識的にこうやっているということです。佐藤さんがかりに沖繩問題に対してやっていることが間違いだとしても、それは意識的にこの国を売ろうと思ってやっているのではない。おまえさんは自分の利益のためにこの国をアメリカに売り渡そうとしているのだというような言い方は、いかに政治的に何とか言っても、それはやっぱり適当なことばじゃない。決してそういう意味ではないでしょう。穗積先生の言われたことはそういう意味ではないと思いますが、そういうことばを使われたことは、それはまことに遺憾なことである、こういうふうに考えるのであります。
  28. 黒田寿男

    黒田委員 私は鯨岡君の院内における政治発言の自由ということにつきましてのお考えには、残念ながら同意することはできません。私はあとから例を申し上げますけれども、同じ発言でも政治的論戦の中から出てくる発言でなくて、そして品位条項に当たるものはあるわけです。それは私は先ほどお尋ねしようと思ったのですが、鯨岡君はこれからも調べてみるというお話でございます。側面からはちょっと触れられたようでございますけれども、問題として真正面からの触れ力になっておりません。これは私はあとから申しますその前に私は、議会内において、先ほど鯨岡君のおっしゃったような、おまえは売国者だと言った、そうしたらまた相手が売国者だと言った、こういうことが何か懲罰の対象になるのだという意味のことをお話しになったと思います。そうでしたね。
  29. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 いや懲罰の対象というのじゃない。たとえば先生に対して私が、黒田さん、あなたは売国者だと言ったら、鯨岡君何を失礼なことを言うか、君が売国者だ、君こそ売国者だということを言えばだんだんエキサイトしてくる、秩序が保てない、そういうことをいま言ったのです。
  30. 黒田寿男

    黒田議員 私はいま、発言であって懲罰委員会に付せられるものは何かということを問題にしているのですから、そうでない、どういうものがあるか、というお話は、私は別にお聞きする必要もないと思いますので、これは論外にしておきましょう。  そこで私は、私の意見と申しますよりか、憲法学者の意見を引用させていただいて、私の見解の論拠にしたいと思うのです。もとより御承知のわが国における憲法学の大家であります佐藤功教授が、国会の中における発言自由の特権の説明としてこのように言っておられます。相当きびしく言っておられますので、これを私は紹介してみます。「言論の自由が特に議会内において保障されていなければならないことはいうまでもないが、議会内においては国政を批判しまたは反対党を攻撃する等に当って個人の名誉を毀損しまたは社会秩序を害することともなる言論が行なわれることも避けられない。しかしさればといつてこれらの言論を抑圧しては議員の自由な活動を保障し得ない(特に政府が反対党議員言論をとらえて刑事上の責任を問うこととなつては議員の活動が不当に抑圧されることとなることは明らかである)。そこでこれらの言論に対しても院外での責任を免除しその拘束を排除する趣旨である。」こういうふうに言っておられます。  これは刑事免責の問題でございますけれども、私は、この精神は、議会自律権である懲罰権の適用の場合にも尊重しなければならぬと思います。こういう相当きびしい発言がありましても、これは刑事上の責任を負わない、せっかく刑事上の免責を受けておるのに、懲罰権によって懲罰の対象にするということになると、私は議会自律権をもって憲法の自由保障条項を殺すものだ、そういうふうに考える。だから議会でいう、品位を害する発言というようなものは、こういう政治的な論争とは別のものをさしておる、そう理解しなければ、言論自由の保障をみずから議会が抹殺するということになりますので、それを私は問題としておるのです。相当広い内容の政治発言が保障されておって、そういう政治発言に関する限り、相当きびしいことばが用いられましても、これを懲罰の対象としてはならぬというのが私の考え方です。私はそう思うのですが、どうですか、鯨岡君。
  31. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 御説として承っておきます。
  32. 黒田寿男

    黒田委員 さっき鯨岡君もちょっとお触れになりましたが、私は衆議院規則などできめられております品位条項に抵触する発言は、先ほどあなたがちょっとお触れになりましたが、例の吉田元首相の、ばかやろう、こういう発言は、確かに議院品位をそこなうものとして懲罰権の発動の理由になる。私はそういうように理解をし、いろいろ調べてみました。新国会になりましてから全部懲罰事犯のところを調べてみましたが、この吉田元総理の先ほど申しました発言一つ例としてあったと私は考えるわけです。これは清瀬一郎氏がみずから懲罰動議の提出者としまして、野卑かつ下劣なことばだ、こういうように言っておられる。だからこれは品位を害するものだ、こういう説明をしておられます。私はそういう場合がこの品位条項に該当する発言だ。これ以外に政治論争に関し相当きついことばが論敵同士の間にかわされましても、それを一々懲罰動議の理由にしては、繰り返し申しますが、議員国会内における言論の自由が抑圧される、こう私は解釈するのが正しい解釈だと思います。これはいかがでしょう。
  33. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 そう一々とおっしゃいますが、そう一々は確かにそうですね。私も異論はありません。ただそこで、先生お調べになった憲法学者お話にもありましたように、相手の人格を無視するようなことを、そういうことを言うてはいけない。これが秩序を保つ、品位を保つゆえんであると信じて疑いません。私はそこで、売国者というようなことは、しばしば引用をさしていただいて申しわけありませんが、石野先生のお調べになったところによりましても、売国者というのは明らかに相手の人格を無視するものである、そういうようなことを言うてはいけない、こういうふうに私は思うのです。ただ、それがそういうふうにはとれないというふうに御判断なさるかどうかは、先生方がおきめになることだ。私にそれはそうは思えないじゃないかと言われても、私はそう思うから四十名の賛成者を得て動議を提出したのであります。
  34. 黒田寿男

    黒田委員 そこで私は、先ほど最初に質問いたしましたが、あなたが穗積君のことばをいま申されましたように理解されるのは、あのことば穗積君の政策内容と切り離してしまって、そしてあのことばの語感からくる感覚的なものをつかまえて、それでこれが問題だ、問題だと言っておられる。けれども、そうではない。穗積君の政策論争の内容と結びつけなければ、あのことばの内容を正確につかまえることはできないというのが私どもの考え方です。そこがあなたと非常に意見が違うところです。意見の違いということになりますが、しかし、これは非常に重要な意見の違いでありますから、私どもは、どうしてもこれに触れておかなければならぬと思います。  それで、もう一度そこをお尋ねするのですが、あなたは、穗積君の政策論の内容には問題がないと思う、こう言われました。穗積君が佐藤総理売国者だと申しましたそのことばは、穗積君の政策論争のいわば集約であると私は思うのです。だから、その政策論と切り離して私は理解することができない。政策論それ自身は自由にできるのだ、意見はわれわれと違うけれども、反対党としてそういう議論をするということは自由であって、それに対して自分らとしてあえて統制等の問題、処罰等の問題を考えてはいない、こうおっしゃっておるようでありますけれども、それならばその穗積君のあの発言をそれだけ切り離して、これだけを懲罰の対象にするということは私はおかしいと思う。やはりそこに政治的自由に対する抑圧、そういうものがあると考えざるを得ないのです。これを単なる品位条項抵触と解釈することは私どもにはできない。この点を私どもは申し上げておるのでありまして、政策論としては大いに論じていただけばいいと思う、これは大いにやるべきだと思う。政策の内容それ自身を何か懲罰内容の対象になるものとして考えることはしない、すなわちそれには問題はない、こう言っておられるのですから、私は穗積君の問題の発言も、その政策論争の結果を集約したものにすぎませんから、これを懲罰の対象とすべきものではない、こう思うのです。そこを特に切り離して考えてはならぬと考えます。私どもはそう理解する。あなたは切り離して、これだけは何だか無礼の言だとか何だとかおっしゃっているのですけれども、それは私は機械論になると思うのです。私は、真剣に政治論争をやっております中での発言をそういうふうに機械的に理解することには賛成できません。あくまでこれは穗積君が真剣に真摯に、反対党として佐藤総理の政策内容を強く批判したものの中のことばだ、その中に使われたことばだ、こういうもの品位条項の対象とすることは適当でない、私はこう思うのです。あなたはやはり切り離して考えられるといままでおっしゃっております。そう考えておいでになりますか。
  35. 鯨岡兵輔

    鯨岡議員 はなはだ失礼ですが、私は黒田先生たいへん無理な議論を展開されているように思うのです。言わずもがなのことかもしれませんけれども一つことばの中のことばとして出てきた場合には、私はだいぶニュアンスが違ってくると思います。黒田先生、たとえばドゴールは自分の国の安全のキーを自分で持った、これを愛国者と言うのならば、自分の国の安全のキーを他国に渡したかのごとく見える佐藤総理はどうも愛国者とは言えないのではないかというようなことがことばとしてあったとしても、これはずっと一つことばですから、政策の集約というようなこともあえて経って言えないことはないと思いますが、速記録——正式な速記録はまだ出ていないそうですが、それをごらんになればわかるのですけれども、あなた、佐藤さん、あなたは売国者です、こう言ったのです。こちら向きなさい、こう言った。これは議論の集約されたものだ、議論とは切り離せないというふうにお考えになって、それで懲罰動議云々というふうに議論を展開なさいますけれども、はたしてそうでしょうか。もしこうやって黒田先生と私と話している間に、どうしても話が合わない、私の考えていることの集約として、まことに失礼ですが、お許しをいただいて、たとえ話として申し上げるのですからお許しを願いたいと思うのですが、黒田先生は何とわからずやでしょうというふうなことを言ったならば、それは最後の集約ですね、自分議論の集約ですね。しかし、黒田先生の人格を傷つけたことになりませんか。私はなると思うのです。もっと悪口を最後に出す。それは私の議論の集約だ、それは議論として自由だから、これは一つもおかしくないじゃないか、こう言うことは、ちょっと私は無理な議論だと思うのですが、いかがですか。
  36. 黒田寿男

    黒田委員 いま鯨岡君の引用されました例は、私は適切な例ではないと思います。もっと極端に言えば、政策論争の中ではもっときびしいことばが出ても、それはあり得ることですから、そういうものを一々、私どもわからずやと言ったから人格を損傷されたというふうに、これをすぐ問題にする、そんなことは考えておりません。もっときびしいことばが出ても、それは政策論争の中から出てくるものは、議会内においては使うことが認められている。だからして、明らかに名誉棄損になるというようなことばが用いられても、これは少なくとも刑事免責は得ておる。それが政治論から出ておるというようなものであるならば、憲法の免責条項の精神を尊重して一自律権の行使においても、みだりにそういうことばに対しまして懲罰権を適用すべきではないというのが私どもの考え方ですから、そういうように国会の中の政策論争上の表現はお互いにそこは認める、説得と納得の上で議論を続けていく、私はこれよりほかに方法はないと思う。それを一々名誉の問題だ、人格の問題だとして問題にしておっては、自由な国会政治論はできない、このように私は考えているのです。そこでいま申し上げますように、してはならない品位を傷つける発言というようなものは、かつて吉田元総理の発言が問題にされましたが、あのような野卑かつ下劣なことばを相手に向けてぶつける、そういう場合が品位条項が適用になることばだ、私はそう思うのです。そこをひとつ十分鯨岡君に御理解願っておきたい。政治論については、相当きびしくやり合うような中で激しいことばが使われても、それを一々懲罰の問題として取り上げるということは適当でない、私はそう考える。それが国会というものだと考えます。
  37. 安宅常彦

    ○安宅委員 関連して申し上げたいのですが、ただいま黒田さんも申されたことで、私は、これはたいへん心配なことだと思って発言するのですが、質問の予定者も大体終わったようですが、実はこの前の委員会のときに、鍛冶さんが、穗積さんの本委員会における、あるいは本会議における——私の記憶では、一身上の弁明のことばの内容についてるる申されて、これらも——————ものだという発言があった。そしてそれは議事録に載っておるわけです。私どもは、いま黒田さんのおっしゃったように、そういう一身上の弁明の中にあることば、それすらも——————のだという拡大解釈を、自律権なるものを適用して論議をされて、そういう頭で今度は最終的に懲罰に付すべきか付さざるべきか、あるいは四つですか、何か量刑がある中で、重いものでやるべきだなどという判断を、予断を——予断と偏見ということばが最近よく使われておりますが、そういうことでやられてはたまらない。これでは議会内の発言の自由というものはたいへん大きくそこなわれると私は思いましたので、当時申されたことば、これは一つ一つ記憶しておりませんけれども、だから、あるいは失礼に当たるかもしれないけれども、こういうことも考えて——事実私が、不規則発言みたいなもので、それも懲罰かと言ったら、それも——————こういうふうに言われたのですが、これは非常に重大な、議事録に残ることですから、鍛冶さんから、あの部分は、おまえさん、懲罰みたいなことばがあったから、おれもついうっかり言ったのだというようなことでお許し願えればいいのですが、そうでなければ、私も率直に言って、ことばの内容まで、あなたが読み上げられました議事録のの写したを覚えておりませんが、本会議後、委員会の始まる前にあなたとお話し合いをして、そこまで拡大解釈をしておらないというのならば、それを若干相談をして消しておくとか何かの措置ができないものか、こういう気持ちでいるものですから、ひとつ鍛冶さんのほうから、いまでも、あの一身上の弁明のあの言辞も、あなた自身お読みになったこれも、懲罰の対象になるのだという確信のもとに、この論議に参画しておられるのかどうか。委員同士の質疑なんておかしいということになれば、先ほど言ったように、最後の委員会に入る前に、理事会をもう一回開いてもらって、何かやる方法はないだろうかと思ったものですから、もしできれば、鍛冶さんから、あのときの一身上の弁明の範囲までは懲罰の対象になるとは考えていないという特別の御発言でも賜わればたいへんありがたい、こう思っておりますので、委員長においても、もし私の言うことをなるほどと思われましたら、そのことについての委員長の所見を承っておきたいと思います。
  38. 堀川恭平

    堀川委員長 ただいまの安宅君の御発言に対しましては、後刻理事会で協議いたしまして、結末をつけたいと思います。
  39. 黒田寿男

    黒田委員 もう時間も参りましたし、また、私にも後刻発言機会が与えられるようでございますから、質疑はこれで終わりたいと思います。
  40. 堀川恭平

    堀川委員長 ほかに質疑はありませんか。——なければ、これにて本件に関する質疑は全部終了いたしました。  本会議散会後再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時三十七分休憩      ————◇—————    午後四時四分開議
  41. 堀川恭平

    堀川委員長 それでは、休憩前に引き続き会議を開きます。  理事補欠選任について、おはかりいたします。  委員の異動に伴い、理事が一名欠員となっております。この補欠選任につきましては、先例により、委員長において指名するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  42. 堀川恭平

    堀川委員長 御異議なしと認めます。よって、委員長は、石野久男君を理事指名いたします。      ————◇—————
  43. 堀川恭平

    堀川委員長 去る四月五日の委員会において、鍛冶委員より、四月四日の穗積議員の身上弁明中の不穏当な言辞について、委員長において善処されたいという旨の発言がありましたが、この鍛冶委員発言の取り扱いについて、委員長においてしかるべく取り計らわれたい旨の申し出がありましたので、委員長において適当な措置を講じます。      ————◇—————
  44. 堀川恭平

    堀川委員長 議員穗積七郎懲罰事犯の件を議題といたします。  この際、議員穗積七郎君に対して、懲罰事犯として懲罰を科すべきかどうか、及び、懲罰を科すこととすれば、国会法第百二十二条の規定するいずれの懲罰を科すべきかについて、御意見を求めます。藤尾正行君。
  45. 藤尾正行

    ○藤尾委員 本件は、これを懲罰事犯として、国会法第百二十二条第三号により、三十日間の登院停止を命ずべしとの動議を提出いたします。  その理由は、去る三月六日の外務委員会における総理大臣に対する穗積君の発言は、総理大臣の地位に対して礼を失したものであるばかりでなく、国会法第百十九条に規定する無礼の言であり、議会の尊厳と議院品位を傷つける発言考えられるからであります。  以上が、動議提出の理由であります。
  46. 堀川恭平

  47. 石野久男

    石野委員 本件は、これを懲罰事犯にあらずと決すべしとの動議を提出いたします。  以下、簡単にその理由を申し述べます。  そもそも議員懲罰ということは、議員の身分についてきわめて大事でありますが、特に本件のごときは、議員発言に関して懲罰動議が提出されておるのであります。しかも、提出者からの説明によりますと、売国者ということばの内容については問わないというのであります。これがただ、無礼である、非礼であるということに尽きるのであります。しかし、御承知のように、この売国者という、総理大臣に対して穗積氏が発言をした、その政策論議の中における過程を考えますと、すでに質疑の中にも明らかであり、また、当時の議事録の写しのごとき印刷物なども示しておるように、当時の事情は、総理がこの問題について、ドゴールの愛国者という精神、あるいはことば、そういうものをそれぞれ途べたあと、そしてそのあとに、沖繩に関する問題については、これは白紙であるということを申し述べました。穗積氏は、この問題について幾たびかこれをただしております。しかし、総理は、この沖繩返還についての白紙の問題について、その趣旨は変えない、むしろ穗積氏の憂える、沖繩が返還された後において、依然としてアメリカのいわゆる基地の自由使用あるいはまたそれ以前における事前協議の条項、こういう問題に対して、何ら自主的態度が明確でない、こういう立場から、それはまさに総理大臣が国に対する不利をもたらすものでないか、そういう立場、そしてまたドゴールが他国にキーを渡すことは許されないという、自分の信念から見れば、これはまさにその愛国者の反対である、その反対ということばを、売国奴ということばを使えば、これはきわめて侮辱的なことばになるからという意味で、売国者という、このきわめて理路整然とした中で述べたことでありまして、動議提出者の言うがごとく、本人には何ら総理大臣を侮辱する意思のないことが明らかである、その意思がなかったということは明確であります。そういう状態について、われわれは本院におけるところの発言の自由というたてまえからいたしまして、本件のごときもの懲罰事犯として取り上げられるということは、議員の院における発言の自由が確保されないということがはっきりするわけでございまして、われわれはこれは承服しがたいのであります。  以上の理由によりまして、われわれは、本件は懲罰事犯にあらずという動議を提出する次第であります。
  48. 堀川恭平

    堀川委員長 次は、曾祢益君。
  49. 曾禰益

    ○曾祢委員 私は、本件はこれを懲罰事犯として、国会法第百二十二条第二号により、公開議場における陳謝を命ずべしとの動議を提出いたします。  以下、詳細は討論の際に譲りまして、きわめて簡単にその理由を申し上げます。  本件、穗積君の外務委員会における発言は、議院品位並びに議会権威から見て不適当である。したがって、法規に照らしまして、いま申し上げましたようなこの事犯の性質からいって、本人の遺憾の意を表す陳謝、それから取り消し、この取り扱いが最も妥当である、かように考えましたので、以上のような動議を提出する次第であります。
  50. 堀川恭平

    堀川委員長 ただいま藤尾正行君から、本件は、これを懲罰事犯として、国会法第百二十二条第三号により、三十日間の登院停止を命ずべしとの動議石野久男君から、懲罰事犯にあらずと決すべきとの動議、及び曾祢益君から、本件はこれを懲罰事犯として、国会法第百二十二条第二号により、公開議場における陳謝を命ずべしとの動議、これがそれぞれ提出されました。     —————————————
  51. 堀川恭平

    堀川委員長 これを一括して討論に付します。鍛冶良作君。
  52. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私は、自由民主党を代表いたしまして、ただいま藤尾君提出の動議に賛成の意を表するものでございます。  まず、本件は懲罰に付すべきものであるという理由から申し上げまするが、いまさら言うまでもございません、お互い国会議員は、国会の秩序を重んじ、その品位を保つべきことは、重大なる責務であると心得るのであります。これに反するがごとき行為をなしたる者は、でき得る限りこれを厳罰に処して、自後さようなことのないようお互い相戒むべきものだと考えられるのであります。  過日来の本委員会における議論を聞いておりますると、国会議員言論の自由、憲法上において認められたる自由を引用いたしまして、言論であるから、かようことぐらいで懲罰に付すべきものでないという議論も出ましたが、幾ら憲法で保障せられておりましても、国会品位を傷つけ秩序を乱すがごとき者があれば、これは容赦はならぬものだと考えるのであります。またそういうことであるならば、国会法衆議院規則において——国会法第百十六条、第百十九条、第百二十条、衆議院規則二百十一条、二百十二条等の規定があるわけはございません。言論の自由は認めるけれども、そういうことがあってはいかぬのだと明記しておるのが、ただいま私がここにあげた各規定であると信ずるものでございます。かようなことをほうっておいては、国会品位が保たれるものじゃございません。ことに国会法百十九条に「各議院において、無礼の言を用い、又は他人の私生活にわたる言論をしてはならない。」と明記してございます。そこで、いろいろ議論をした結果、その議論の中でそういうことばを用いたからといって悪いことはないという議論がありましたが、これはよほど、この節ことに慎んでもらわなければならぬ。議論がいいから何を言ってもいいんだ、目的がいいから多少のことは差しつかえないんだ、こういう風潮のあることを、私はまことに嘆くものでございますが、これらは厳重にひとつ区別していただいて、こういう無礼の言がありましたら、この規定に基づいて、厳罰に処すべきものだと確信をいたすものです。  ことに内閣総理大臣に対して無礼の言がある場合は、ことさら国会において、これに重きを置かなければならぬと思います。ただ普通によるのと違いまして、内閣総理大臣は一国の代表者です。しかも国会から選ばれた一国の代表者、われわれが選んだその代表者に対して、国会みずからが無礼の言を用いていいものということになったら、これはたいへんです。ことに外国に対してこれが聞こえたらどういうものでしょう。日本総理大臣は、日本国会において、おまえは売国者だ、こう言われておるということが天下に知れた場合は、わが国の恥辱になるということをひとつ考えてもらわなくちゃならぬ。この点を忘れていろいろの議論をされることは、まことに遺憾千万だと心得ております。  それからまた、抽象的に言うならいいが、穗積君の言われたことは——これは速記録を読んでみればわかりますよ。「そんなばかなことがありますか。あなたは売国者です」、佐藤総理に対して、「佐藤さん、こっち向きなさい。」そういう一国の総理大臣に、おまえは売国者だ、こっち向け……。(あっちを向いていたら、こっち向けと言うのはあたりまえじゃないか」と呼ぶ者あり)そんなこと言ったって、総理大臣に、それでよろしいという議論があったらたいへんです。そういうことばが聞こえること自身、私は日本国会のために惜しむものだ。   〔発言する者あり〕
  53. 堀川恭平

    堀川委員長 静粛に願います。
  54. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私は、この点から言いまして、このたびの穗積君の発言に対しては、厳罰をもって当たらなければならぬと確信するものでございます。その次は、いわゆる懲罰の範囲でございますが、いま藤尾君が言われたように、百二十二条の第三号をもってこれに当てると言われる。私はまことに当を得たものだと心得るのです。四号をもってしてもいいのじゃないかと思うが、それでは少しどうも重いようだから、まず三号をもってやろう。その次は、三号で、それじゃ登院停止の日数を幾らにするかという問題を考えてみましたが、先日来本会議における穗君の一身上の弁明、当委員会における弁明等を聞きますと、いささかも改俊の情はありません。かようなことを言いながら、みずからこういうことはいかぬのだ、国会品位を保つためにはこれはいかぬのだということを、みずから悟ってもらわなくては、これはたいへんです。わが日本の国威のために、わが日本国会のために、そういうことではいかぬから、少なくとも三号を適用するならば、その最高である三十日をもってやることは決して不当なものではない、まことに適当なものであると、かように考えまするので、これに対して賛成するものでございます。  いろいろ申し上げたいこともございますが、簡単ながら、これをもって私の賛成の意見とさしていただきます。(拍手)
  55. 堀川恭平

  56. 黒田寿男

    黒田委員 私は、日本社会党を代表いたしまして、議員穗積七郎君を懲罰に付すべしという、藤尾君及び曽祢君の動議に反対いたします。そして、これを懲罰事犯として取り上げるべきでないという石野君の動議に賛成するものであります。  以下、その理由を申し述べます。  去る三月六日の外務委員会における穗積七郎君の、佐藤総理売国者と言ったことに対しまして、今日先ほど申しましたような懲罰動議が出たのでありますけれども、私は、政治的に見てこ、の際重要なのは、穗積君のことばをとらえて懲罰に付するというようなことにあるのではなくて、外務委員会におきまして穗積君が展開しました政治論の内容をよく検討し、これを政治論争の問題にすることであり、このことが必要だと思うのであります。すなわち、わが国の完全独立、日本憲法の擁護、安保条約の破棄、沖繩の即時無条件返還、中国とのすみやかな国交回復、ベトナム戦争反対等の佐藤総理との政策論争の内容を検討し、穗積君の論争内容の重要性を認識して、与野党が外交、防衛論争を、議会内の言論自由の保障のもとで、大いに展開することが重要であると思います。穗積君の外交、防衛論争の展開から、今日一カ月の日時を経過いたしまして、いまや客観情勢の著しい変化を生じ、穗積君の政策論争の正しさがますます明らかにされるようになってまいりました。その反対に、佐藤総理の政策が、深刻な自己反省と転換をも余儀なくされつつあるという状態に、いま、なっておるのであります。問題の本質はここにあるのであります。穗積君が佐藤総理売国者と言った、総理の政策に対するその政治的評価の意義もいまやますます客観情勢のもとで明瞭になりつつあると判断しなければなりません。  私は、佐藤総理及び総理支持の諸君が、いまこそ穗積君の政策論の真意をつかみ、これを懲罰に付するというような態度を一てきして、従来の外交、防衛政策の根本的転換について、諸君が深刻に自己反省し、再出発を考えるべきときであると思います。私は、これがこの問題の正しいつかみ方であると考えるのであります。しかるに今日なお、穗積君の、佐藤総理売国者という発言に固執して、それを懲罰に付しようとしておりますが、これは、私は問題の重点のはき違えであろうと思うのであります。こういうことはすみやかにやめるべきであると思います。しかし現実には、本委員会におきまして、いま結論が出されようとしておりますので、私どもの立場を明らかにする必要がございます。  以下、穗積君を懲罰に付すべきでないというわれわれの主張を述べ、かつ、その理由を明らかにしたいと思います。  穗積君に対する懲罰動議の提出者の諸君は、穗積君の、佐藤総理売国者であるという発言を、罵言であり、品位を傷つけるという理由で、懲罰動議を提出されました。しかし、私どもの見るところでは、これは決して罵言というような性質のものではありません。また穗積君に、そのような意味の発言をする意思も全然なかったことは明らかでありますし、同君は、政治的評価の表現として、あのようなことばを使ったのでありますから、私は、このことばは、懲罰の理由にはならぬと考えるのであります。穗積君の弁明を、いま一度ここで明らかにいたしますと、同君が、佐藤総理売国者と言ったのは、軽侮の意思を持って発言したものではない。政策論の内容から論理的に導き出される政治的評価の表現だ、このように言っておるのでありますけれども、われわれはこのことを率直に認めるべきであると思います。  そこで、問題は、穗積君の、佐藤総理売国者ということばをどう見るか。懲罰動議提出者のごとく見るか、あるいはわれわれのごとく、政治的評価の表現と見るべきかが、問題の最初の論点であると考えます。このことを判断しますためには、穗積君の政策論議とこのことばを結びつけて、そのことばの性質を判断しなければ、正しい意味をつかむことはできないと私ども考える。穗積君は、問題の発言のありました外務委員会におきまして、国家の安全にかかわる政策問題について、真剣に、率直に まじめに質疑をいたしました。私どもはそれをかたわらで見ておったのであります。これを疑う者はないと私は思う。したがって、このことばを、穗積君の政策論議の内容、佐藤総理の政策批判の内容と切り離して考えることは適当でないのでありまして、そういう観点から見ますならば、この問題になっておりますことばは、言うまでもなく、政治的評価の表現でありまして、決して侮べつ感を持って、罵言を弄したものではないということは、容易に結論できることであると考えます。鯨岡君の言われるごとく、そのことばをそれ自身として切り離して、政策論の可否と別にして、罵言として取り上げるというようなことは、私は形式論に過ぎると思います。このことばの語感を利用して、罵言と解釈しようとする意図があると疑われる余地がそこに十分あると私ども考えざるを得ません。穗積君が、このことば、この表現を用いましたのは、佐藤総理自身の外務委員会における発言内容と関連があるということも、私ども考えなければなりません。そういうことを無視して、ただ佐藤総理売国者ということばだけをとらえて問題にすることは、前後の連絡を無視するという誤りをおかすものであります。この問題の出てくるところを探ってみますと、佐藤総理ことばづかいが穗積君のこのことばの使用のいわば誘引となったのであると私ども考える。すなわち、佐藤総理はドゴールの談話を引用されて、愛国者とはいかなるものであるかという問題を提起された。そうしてその説明をされた。自国の安全を他国の大統領のポケットの中にあるかぎに託すというようなことはできないという、そういう態度、気概を持つ者こそが愛国者だ、このドゴールのことばを総理は引用されまして、佐藤総理のほうから愛国者ということばを出したのであります。こういう事情を十分にわれわれは考えなければならぬ。その直後の穗積君の佐藤総理に対する質疑の中で政策論争が行なわれまして、沖繩返還に関連した核つき返還あるいは基地の自由使用あるいは事前協議等の問題について、佐藤総理の答弁が、穗積君の判断によりますと、わが国の防衛、外交上の自主権、すなわち国家の主権を放棄するか、あるいは放棄することを疑わしめるような内容であったのでありまして、それであれば自国の安全を外国の大統領のポケットに、いな、穗君の発言によりますと、外国の一司令官の恣意にさえゆだねるということになるのでありまして、そうなっては、ドゴールの言として佐藤総理が言った憂国心というものとは全く逆な政策を佐藤総理がとっておるということになるのではないか、こう穗積君が解釈をした。ドゴールのやり方を憂国心の尺度として佐藤総理が用いるのでありますならば、佐藤総理自身の用いた尺度ではかるとすると、佐藤総理の自主権、国家主権の放棄の政策は愛国心の逆である。すなわち穗積君の初めて用いました売国者ということになるのではないか、これが穗積君の考え方でありまして、穗積君はこういう意味で佐藤総理売国者だという表現を用いたのであります。だから、このことばは、鯨岡君の言われますように、政策論議の内容を離れて、問題は売国者という表現を用いた、そのことにあるというふうに取るべきではない、こういう受け取り方をいたしましたのでは、この用語の出てまいりました由来を正しくとらえることはできないのではないか、こういうように考えるのであります。繰り返して申しますが、このことばは、穗積君の言われるように、侮べつをもってしたのではありません。真剣な政策論争の中において用いられた政治的評価の用語でありまして、こういうもの議会品位の問題として懲罰の理由にするということははなはだ不当なことでありまして、穗積君のこの発言は、議会のいわゆる品位の問題として上げられますような事柄とは次元を異にする高い政治的評価の表現の問題であります。したがって、こういうことばを理由にいたしまして穗積君を懲罰にするということは、理由にならぬことを理由にするものであると考えまして、穗積君は懲罰とすべきではないと私は考えものであります。  しかるに今日あの発言をとらえまして、懲罰の理由としておるのでありますけれども、それは、議員言論自由を侵害する、また抑圧するものでありまして、こういう行き方はファシズムであるといわなければならぬと私は考えます。これはまことに重大な問題であります。このことについて私は少し民主主義という立場から論じてみたいと思う。  言うまでもありませんが、両院議員憲法五十一条によりまして、議院で行なった演説について院外で責任を問われないということになっております。しかし、一方においてこの特権を有しておるが、他面、憲法第五十八条第二項で、両院はおのおの内部の規律に関する規則を定めることができる。議員の院内における活動についての規律の保持は、あげて議院自律にゆだねられておるのでありまして、懲罰はその一つの手段となっておるのであります。議員選挙によって国民多数の支持を受けて選出されたものでありますから、その身分を軽々しく取り扱うべきものではありません。ことに懲罰は、事、議員政治生命にもかかわるようなことにもなり得る問題でありまして、懲罰権の行使は、そういうことにもなり得る問題でありまして、最も重い場合は議員たる身分を失わせることもできるというほどの重大な権限を持つものでありますから、その行使に当たりましては、あくまで慎重かつ公正であるべきことを常に念頭に置いておかなければならないと考えます。懲罰は、憲法第五十八条に基づきまして、院内の秩序を乱したことがその理由となるのでありますけれども、何が懲罰事犯であるかということを定義づける一般的な規定はありません。具体的にいかなる行為懲罰事犯とするかは、個々に議院の自主的な判断に待つほかないのでありますけれども国会法及び衆議院規則に個々に懲罰事犯とされておるものがあります。なかんずく衆議院規則の秩序の個条に違反した者がしかりであるということができると思います。この秩序の中に品位条項があるのであります。この品位条項は議員の物理的行動による秩序違反などに適用することは別といたしまして、これを物理的行動を伴わない発言に対して適用するということは、特別に慎重を要し、政治的内容の発言に対しては原則としてこれを適用すべきではない。私は、議会の中における言論自由のために、はっきりとそう言い得ることであると考えます。  今回、不幸にいたしまして、穗積議員発言に関しまして懲罰動議が提出せられまして、穗積君の発言品位を害するものであるという理由にされておるのでありますけれども、私は、このような考え方は、院内における議員言論自由の保障の観点、すなわち民主主義の観点からいたしまして、断じて黙視することができません。穗積君の発言は、本会議場でなく、御承知のように、委員会においてなされたのであります。このことも私は考えてみなければならぬと思います。委員会制度は、ますます複雑化しております議案を処理するために、まず当該の問題に通暁した議員に審議せしめた後に全体の意思を決定しようとして創設された制度でありまして、新憲法は完全な常任委員会制度を採用し、この機構は議員活動の機能の上に本会議中心主義から委員会中心主義への移行をもたらし、委員会の地位は非常に重要性を増したのであります。それだけにまた、委員会の審議が十分に行なわれ、円滑に行なわれることも保障されなければなりません。その保障は、何よりも政治発言の自由の保障でなければなりません。さればこそ、御承知のように、衆議院規則の中に特に第四十五条が設けられ、「委員は、議題について、自由に質疑し及び意見を述べることができる。」すなわち、質疑の中で自己の意見を述べることも自由である、こういう保障が議院規則でも特に条文を設けて確保されておるのであります。  穗積君のあの発言は、この憲法国会法とこの議院規則に基づき自由を保障された発言である。私はそういうように思う。穗積君の発言は、委員会における発言でありますが、ことにそれは外務委員会における発言であるということをまた考えなければなりません。外務委員会は、外交に関する事項、国際関係に関する事項を取り扱う委員会であります。しかも現在の状況下におきましては、御承知のように、与野党の間に、ことに佐藤政府、佐藤首相の外交政策、防衛政策と、私ども社会党のそれとの間には、いわば全面的に、百八十度的に意見の相違、対立が現実にあるのであります。このような現状況でありますから、外務委員会において、相当激烈な論議が、政府及び与党に対し、野党側からなされるということも当然あり得ることであります。そしてこれは、憲法により国会法によりまた衆議院規則によって、発言内容の自由、すなわち表現の自由を保障されたもとで、行なわれるものであると私ども考える。  参考のために、私は憲法学の権威である佐藤功教授の言っておられる次のことばを引用したいと思います。  言論の自由が特に議会内において保障されていなければならないことは言うまでもないが、議会内において国政を批判し、または反対党を攻撃する等にあたって、個人の名誉を棄損しまたは社会秩序を害することともなるような言論が行なわれることも避けられないものである。しかし、さればといって、これらの言論を抑圧しては、議員の自由な活動を保障することができない。特に、政府が反対党の議員言論をとらえて、刑事上の責任を問うことになっては、議員の活動が不当に抑圧されることになることは明らかである。そこでこれらの言論に対し、院外における責任を免除し、その拘束を排除するというのが憲法第五十一条の趣旨である、こういうように説明をされておられます。  このことは、憲法第五十一条の免責特権について言われておることではありますけれども、私はこの態度とこの精神は、議院自律権たる懲罰権の行使につきましても同様でなければならないと思います。みだりに懲罰権をもって議員政治発言を抑圧するということになってまいりますならば、言論の自由は保障されません。議員がその職責を十分に果たし得るためには、議員政治発言が自由でなければならないということは申すまでもありません。  現状のもとでの外務委員会における外交、防衛等に関する政治発言の自由は、先ほど申しましたような事情から、特別にそして十分に保障されなければならないのであります。そうでなければ、議会は政府一辺倒となります。ことに外交、防衛等につきまして一辺倒となるということは、非常に危険である。議会にして議会実質を失うというような、かつての大きな誤りをおかすおそれがそこから出てくるのであります。憲法国会法及び衆議院規則が、委員会における質疑及び意見発表の自由を保障しておりますことは、したがってこれは特別に議院として重んじなければならない事柄であると考えるのであります。  今回の穗積君の外務委員会における真摯な政策論争上にあらわれた一発言に対しまして、自民党の諸君は、それが議院品位を傷つけるものである、そういう理由で穗積君を懲罰に付しようとしておられますが、私は、先ほどから申しましたように、憲法の免責条項の精神に照らしてみても、国会法衆議院規則から見ましても、また議院自律権それ自身から見ましても、断じてそういう見方は許さるべきではないと考えます。もし懲罰権が実施せられることになりますれば、私は、それによって、憲法で保障せられ、国会法衆議院規則で認められております議員の院内での言論自由を、議院みずからの手で圧殺することになる、私はそう思う。それは議院の自殺行為でありまして、ファシズム以外の何ものでもないと私は考えます。私は、議院懲罰権を、穗積君の行なった政策論争の中の一表現を理由として適用し、品位条項を当てはめて処罰するというようなことは、これは懲罰権の乱用になると思います。それがいかに間違っておるものであるかの例を、私は一つ、少し古い例でありますけれども、あげてみたいと思います。  それは戦前のことでありますけれども、あの齋藤隆夫氏に対する懲罰すなわち除名の問題であります。当時議会はファシズムの圧力に押されまして、齋藤氏の政策論議の発言に対し、懲罰権を行使して除名をいたしました。これは私は懲罰権の悪用であり乱用であったと思います。その証拠には、除名後の選挙で、選挙民の公正な判断を受けて、齋藤氏は優秀な成績によって再び当選されました。これは選挙民の判断が正しく、議会懲罰権行使が誤りであった、乱用であったということの雄弁な証明になるものであると私は考えます。  そこで穗積君の問題に返りますならば、穗積君の問題の発言は、先ほどからたびたび申しますように、政治的評価の表現でありまして、そのことは私は疑いのないところであると思いますから、それが品位条項に触れ懲罰になるということは、私は許されないことであると言いたいのであります。私は、院内あるいは委員会内における議員の政策論争上の発言に対しましては、品位条項を適用すべきではないということをるる申し上げたのでありますが、しからば議員発言、すなわち物理的な行動ではなく、単なる発言内容のために、それが品位条項に抵触するというようなものとして、懲罰権の発動の理由となるというようなものは一体どういうものか、これを私自身明らかにしなければならない義務があると思います。  私はそのために、実は過去において懲罰委員会に付せられました事件を全部会議録によって調べてみました。ここでは詳しく申し上げませんが、大ざっぱに分けまして、第一は実力を行使して秩序を乱した場合、第二は院議に服さなかった場合、こういう問題がありますけれども、これは今日の問題の外にあるものでありますから、具体的に説明する必要はないと思います。私が議員発言内容が品位条項に抵触すると認めましたのは、あの吉田元首相の予算委員会における発言の場合であったと思います。そのときの懲罰動議提出の説明に当たられました清瀬一郎氏は、特定の西村議員という個人に対して、野卑かつ下劣なことばを弄したものである、こういう説明をしておられます。すなわち、ばかやろうということばであります。私は、こういう場合こそが品位条項に抵触する発言の例であると考えるのであります。すなわち、品位条項に抵触するというような発言とは、吉田元首相の発言のように、政治的意味を含まない、前後の文脈とも何の関係もない、社会通念上野卑かつ下劣と解せられるような、そういうことばを突然投げかけたのでありまして、これが発言において品位条項に抵触する例である、私はこの例をのみ認めることができると考えます。こういうもの自律権により、懲罰権により制裁を受ける発言である。これは私は当然であると思います。しかし穗積発言のごとき真摯な政治的評価の発言は、こういうものとは全く次元を異にする政治的に高い内容を持っておることばでありますから、したがって、吉田元首相のあのような野卑かつ下劣な発言に対し適用されましたような品位条項を穗積君の場合に適用するということは大きな誤りであると思います。  ただ、過去におきまして誤りをおかした例が全然ないということではありません。それは少数勢力の議員の諸君が、政府攻撃の発言におきまして相当激越なことばを使うた、そういう場合に、多数党の発議でこの条項を適用した例があります。しかしこれは間違いである。そして、近年このことは改められつつあると思います。それは私、ここで詳細には申し上げませんが、たぶん安宅君がこの委員会で紹介されたと思いますけれども、四十二年三月十七日の国務大臣に対する川上君の質疑の中に、「自民党内閣が、人命の無視だけではなく、民族の運命をも売り渡し、祖国を破滅に導く内閣である」、こういう発言をした。しかし、決して議長から特別の注意もありませず、自民党の場内交渉係からの抗議もなくて済んだのであります。その後、本年一月三十一日の国務大臣演説に対する質疑を、やはり川上貫一君がやられましたが、その演説の中では「アメリカの凶悪きわまりない侵略と戦争の政策を擁護し、それに国民を同調させるための売国的な欺瞞であると断言してはばかりません。」こういうことばを用いておられますけれども、これも一切問題にはされなかったのであります。したがって、かつて林君や川上君が、発言によって品位条項の適用を受けたということは、これはあったといたしましても、それは間違いでありまして、そういうものをもって政党が品位条項の適用の標準と解釈することはできないと考えます。最近になって、そういう一つの傾向が新たにあらわれてきておりますそのときに、今回穗積君の政治表現発言に対しまして懲罰権を発動しようとしておる、これはいわば逆行的傾向であると私は思います。いわゆる最近報じられておりますような右寄り化傾向であると思います。こういう傾向は、民主主義のために断じて私ども黙認することはできないのでありまして、今回の懲罰動議はこの逆行的な傾向を示すものでありますから、政治的には非常に重要な問題であると思います。民主主義擁護の上から見て、非常に重要な問題であると私は考えます。  なお、委員長が、義務規定といたしまして、懲罰と認める事犯があれば、これを議長に報告し、懲罰事犯を提起しなければならぬということが定められておりますのに、その委員長が義務条項を履行されないで、今日一カ月以上たっておるのでありますから、もう委員長として、穗積君の発言懲罰に値するものであるという考えは持っておらぬ、こういうように判断しなければなりません。しかるに有志の議員委員長より別に動議を提出したというような事実が発生したのであります。  それから、私はきょうあまりそのことを深く追及いたしませんが、本日なお、外務委員会穗積君の発言の当日の委員会記録が、一カ月以上経過しておりますにもかかわらず、まだ私どもに配付されていないのであります。私はこのことをあまりここで、理事諸君の話をも考慮いたしまして、追及するとか問題にするということはいたしませんけれども、これも厳密に考えますならば、まことに不可解のことでありまして、私はこういうことをも結びつけて考えます場合に、何かこの穗積懲罰意図に、国会言論自由の上に大きくかぶさってくる黒い雲があるように感ぜざるを得ないということを申し上げないわけにはまいりません。  以上の私の所論に基づきまして、穗積君の政治的評価の表現である佐藤総理売国者という発言に対しまして、品位条項を適用して処罰するということは、憲法言論自由保障の精神、国会法衆議院規則の意見発表の自由の保障条項に違反しておるものであると思いますから、私はこれは無効である、こういうように断定しないわけにはいきません。また、こういう穗積君の発言にこういう品位条項を適用して、これを懲罰しようということは、懲罰権の乱用である、こう思います。乱用であるならば、効果を発生いたしません。私はこのように断定しないわけにはいかないのであります。さような無効な行為であるということが明らかであるのに、それがわかっておってこれに賛成するということはとうていできません。断じて私どもは反対であります。穗積君を懲罰に付すべきでないという主張を私はいたす次第であります。  私は、穗積君の展開いたしました政治論には、全面的に賛成でありまして、先ほど申しましたように、その発言がますます正確であったということが、最近の客観情勢の変化によって証明されつつあるのであります。最近のベトナムにおけるアメリカの敗北その他の国際情勢の変化によりまして、アメリカ帝国主義の政策に追随するということがどんなに間違っておるか、愛国者の態度といかに反対のものであるか、穗積君のことばを用いますならば、売国者の政策であったということは十分証明されつつあるのであります。したがって、私は、佐藤総理及び自民党の諸君が、穗積君を懲罰に対するというようなことをされるかわりに、穗積君が本会議で行ないましたあの提言、これは私は省略いたしますが、あの提言をいわれて、日米安保条約、再軍備政策、沖繩政策、対中国政策、ベトナム戦争政策等を根本的に転換せらるべきであると思います。これが私は一番大切な問題であると考えます。  以上をもちまして、石野君の動議に賛成し、藤尾君と曾祢君の動議に反対する、私の理由とさしていただきます。(拍手)
  57. 堀川恭平

    堀川委員長 曾祢益君。
  58. 曾禰益

    ○曾祢委員 私は、民社党を代表して、ただいま議題となりました、議員穗積七郎君に対する三十日間登院停止の藤尾君の動議、並びに懲罰に値せずとする石野久男君の動議に反対の意を表明し、あわせて私の動議に本委員会の諸君の賛同を求めるものであります。  申すまでもなく、議員国会における言論の自由は、これは保障されなくてはなりません。ことさら多数派の横暴により、言論や思想を弾圧する道具に懲罰や統制処分を悪用することに最も強く反対し、かつ戦ってきたのがわが民社党であることは、われわれの指導者西尾末廣先生の戦前、戦後を通ずる国会及び政党内の輝かしい闘争と受難の歴史に徴して、一点の疑いもないところだと信じます。  したがいまして、私どもは、今般の穗積君の外務委員会における発言、すなわち、佐藤総理に対する売国者呼ばわりについても、当初から慎重かつ公正な措置を旨とし、これを懲罰事犯として取り扱う前に、まずもって当該委員会内部において処理すべきことを主張したのであります。すなわち、秋田外務委員長の招集いたしました秘密理事会に対しましては、私自身理事として、当日たまたま民社党大会第一日目に当たったきわめて多忙のおりにもかかわらず、積極的に出席するとともに、本件は議院品位議会権威から見て不適当な発言であるから、穗積委員において遺憾の意を表明し、かつ、進んでみずからその部分を取り消す旨委員会において発言されることによって解決すべきことを主張した次第であります。  幸い、当日の理事会の空気は、穗積君及び社会党理事を含めて、大体において右の方向に傾き、ようやく円満全員一致の解決が可能かにほの見えたのでございましたが、同夜九時三十分に至り、ささいな字句の表現の点について、遺憾ながら穗積君並びに社会党側のいれられるところとならず、理事会はむなしく妥結を放棄して、流会のやむなきに至ったことは、返す返すも残念な次第であります。  かくして、外務委員会における収拾が失敗に終わった後、同夜自民党側より懲罰動議が提出されたことは周知のとおりであります。  以上の経緯にかんがみ、わが党は、穗積君の発言に関し、これを不問に付すべきいわれはなく、本件を懲罰委員会に付することは万やむを得ないところと判断し、先般の本会議においても、懲罰委員会付託の動議に賛成した次第であります。  わが党は、本会議並びに委員会における穗積君自身の弁明、また社会党委員諸君の弁護論に対しても、公正かつ慎重な検討を加えました。わが党は、沖繩返還についての佐藤総理の自主性と積極性を欠く態度に反対であり、その核基地つき返還あるいは基地自由使用を否定しない態度は、断じてわが国益に合致せざるものとして、その責任を政治的に追及することについては、あえて人後に落ちざるものであります。  さりながら、このゆえをもって、総理大臣の公の立場における政策に対する堂々たる政治責任の追及と、個人としての言動の動機に立ち入った道徳的価値判断とは、これをみだりに混同すべきものではないと信じます。総理なりあるいは反対党の議員に対し、その政策の誤りのゆえに愛国者にあらず、したがって、売国者なりとする断定は、明らかに不当な独断であり、個人に対するいわれのない侮辱であり、議院品位議会権威に照らして、断じて看過し得ないところであります。  近来、本院または委員会における議員の言動の中で、しばしば不穏当のものがあり、これらが懲罰事犯として必ずしも取り扱われてない場合が多いことは事実であります。しかして、これらの言論の行き過ぎについては、そのつど状況に応じ、取り消し、記録からの消除その他の措置がとられておるのでありまして、必ずしもすべてが懲罰事犯として処理されておりませんが、われわれはそのほうがむしろ正しいと信じておるのであります。また、これにより情状の一そう重い今回の穗積発言につきましても、われわれは、これをなし得る限り公正かつ穏便に処理することに協力したことは、前述のとおりであります。  よって、私は、今回の懲罰委員会の決定にあたりましては、国会法第百二十二条第二号により、穗積君自身から、本会議におきまして、さきの外務委員会における発言については、議院品位と本院の権威から見て不当であったことについて遺憾の意を表し、これを取り消す旨の陳謝を行なうことを必要と認め、これを本委員会の決定とされんことを各委員諸君に心から訴えるものであります。私は、外務委員会の同僚委員である穗積君に対しては、泣いて馬謖を切る心境でこの動議を提出するものであります。それと同時に、「士は死なしむべし、恥ずかしむべからず」という先輩の水谷長三郎のよく言ったことばにあるごとく、私は過重な懲罰を加えるべきではないと信じます。また、本件のごときいわゆる暴言事犯とでも申しましょうか、につきましては、事犯の性質が主として個人に対する侮辱である面を重く見て、本人の陳謝が最も妥当であり、厳罰必ずしも適当ならざることは、多言を要せず明らかなところであると信ずるものであります。  このゆえに、わが党は、藤尾君提案の三十日間の登院停止処分に対しては、明確に反対の意見を表明し、あわせて、遺憾ながら石野君提出の懲罰に値せずとの動議にもこれまた明確に反対し、私の討論を終わるものであります。
  59. 堀川恭平

  60. 小川新一郎

    ○小川(新)委員 私は、公明党を代表いたしまして、穗積七郎君の処置に関して、公明党の意見を簡単に述べさせていただきます。  本件は、これを懲罰事犯として懲罰に値しがたいものであるとし、以下簡単にその理由を御説明申し上げます。  公明党は、さきに本件を懲罰委員会に付するということは、国会議員の身分、権威に対して重大な影響を及ぼすものであるので慎重であらねばならぬし、軽々に取り扱うべきでないとの見解を示したものであります。また、この見解のもとに立って、この問題の収拾に努力してまいったのであります。なかんずく、多数党によってなされる言論封殺のおそれが生ずることを心配したのであります。したがって、慎重な調査、意見の交換をすべきであるとし、わが党においては、外務委員会においてなお収拾の機会を見出すべきであり、そこで何らかの形でこの問題が解決できるよう心から願っていたのであります。そしてわが党より調停案を提出いたしたのでありますが、その内容は、私ども売国者ということばは不穏当であるという見解のもとにこれを取り消していただく。なお、不穏当な言辞を弄した意味において遺憾の意を表明していただき、ただし、これは外務委員会の議事録に載せなくてもよろしいという意味のものでありました。ところが残念にもこの調停案は結果を生ずるに至らず、今日の事態に立ち至ったのであります。わが党は、ただいま自民党の提出された登院停止、民社党の出された陳謝については、これを過酷として反対するものであり、売国者との発言そのものは不穏当であるとするも、問題発生の状態、その後の経緯から懲罰に値しがたいものであると判断するものであり、以後、かかる本件のような事態の発生なきことを心から願うものであります。よって、公明党は穗積七郎君が懲罰事犯にあらずとの見解を示して、簡単でありますが、終わらしていただきます。(拍手)
  61. 堀川恭平

    堀川委員長 これにて討論は終局いたしました。  採決いたします。  本件につきましては、これを懲罰事犯として懲罰を科すべしとの意見と、本件は懲罰事犯にあらずと決すべしとの意見がありますので、まずこの点につきまして採決いたします。  本件は、懲罰事犯として懲罰を科すべきものと決するに賛成の諸君の御起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  62. 堀川恭平

    堀川委員長 起立多数。よって、まず本件は懲罰を科すべきものと決しました。  次に、本件は国会法第百二十二条第二号により、公開議場における陳謝を命ずべしとの曾祢益君の動議について採決いたします。  この動議に賛成の諸君の御起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  63. 堀川恭平

    堀川委員長 起立少数。よって、本動議は否決されました。  次に、本件は国会法第百二十二条第三号により、三十日間の登院停止を命ずべしとの藤尾正行君の動議について採決いたします。  この動議に賛成の諸君の御起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  64. 堀川恭平

    堀川委員長 起立多数。よって、本件については国会法第百二十二条第三号により、三十日間の登院停止を命ずべきものと決しました。  なお、本件に関する委員会報告書の作成につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  65. 堀川恭平

    堀川委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕     —————————————
  66. 堀川恭平

    堀川委員長 本日は、これにて散会いたします。    午後五時十五分散会