○
帆足委員 私が言いましたのは、
曲学阿世の徒と言い、
不逞の
やからとわれわれをののしっても
与党からはこれに対する非難が起こらなかったという事実を申しておるわけであって、すなわち
与党の者ならば責めず、他党の者ならば責めるという傾向が、
封建性の強いこの国においては、特に著しいということをも示唆し、同時に、
国会内の
ことばのやりとりという
ものにはこのような例もあって、それは
懲罰にせずに不問に付しておったという、そのときの事実を申し上げただけであって、何ら事の
本質にまで触れた
議論ではございません。そこで、限られた時間でありますから、私は事の
本質に触れて、
同僚議員に御注意を促したいと思うのでございます。
そもそも、このたびの問題が起こり、そして
ことばの
表現には遺憾な点があったけれ
ども、その
本質において一歩も譲る気がないと、
穗積委員が主張する
ゆえんの
ものは、私はよく
理解できるのでございます。このことは、
沖繩の問題に連関し、
沖繩の
核基地の問題に連関し、また
日本憲法に連関しておる問題でございます。実に
沖繩の問題こそは、私
どもにあまりにもわかりやすいために、また
かくのごとき不当なことが白昼公然と行なわれておる、世にもふしぎな
物語の
一つでございます。単にふしぎな
物語というだけでなくて、立法府としての
議会、
行政府としての内閣にとって、これは将来の
歴史の語りぐさになるほどの重要な問題でございます。
まず第一に、
沖繩は本来
日本でございます。そしてとにも
かくにも
沖繩を他国の
支配下に置くということは、終戦直後
世論の許さざるところでありました。ましてや人口九十六万の
同胞を無
国籍者にするなどということを、ナチスと戦った
連合軍の手前、
アメリカといえ
ども主張することは当時できがたい
世論を背景としておりました。したがいまして、
アメリカが
沖繩をやがて来たるべき
中国包囲戦の戦略に使おうと、
アメリカ軍部が決意いたしたときに、
アメリカ国務省ははたと当惑いたしたのでございます。このときに、まことに残念なことですけれ
ども、
一知半解の二、三の
学者がおりまして、その一人は
オーエン・ラチモアという
学者でございます。世間ではこの人を左翼の
学者と思っておりますけれ
ども、この
オーエン・ラチモア博士が、
一知半解の観点から、
沖繩の
同胞は、
アイヌ族と同じように、毛深く、目が大きく、
アリアン系の血を持っておる。同時に南方との混血であって、その
ことばはまったく
日本本土の
ことばと読み取りにくい。顔の色も浅黒く、
日本民族とは言いがたいし、
歴史的に見て、長い
間中国の
支配下にいたこともあるということを、彼は書いたのでございます。当時
沖繩を何とかして
軍事基地にしようと思っておりましたが
ダレス国務長官は、渡りに舟とばかりにこの
ことばに飛びついたのでございます。
同僚議員諸君の御
承知のように、最近の
人類学者の
指摘によりますと、
日本本土の
原住民は、幾つかの
原住民族がおりましたが、北海道と
沖繩に
原住民族の遺跡が最も広く残っており、一部はまた
メキシコのほうに南下して、
メキシコの
民族と
日本の
原住民族と非常に深い血のつながりがあることなどを論証しております。しかし、
沖繩の
同胞の
ことばは、非常にわかりにくいようでありまして、比較言語学的に調べてみますると、古来の
やまとことばでございます。たとえば、私はあなたを好きだというのを、
東京では「すき」、九州に行くと「すいちょる」と言います。あなたというのは古い
やまとことばで「うんじゅ」「うんじゅすいちょる。」それが
沖繩に参りますと、
中国の影響を受けまして、「うんじゅすちゅん」こう言うわけです。そうすると、一見
ことばの上では「すちゅん」と言いますから、
中国語のように聞こえますけれ
ども、
ことばを分析してみますると、千五百年も前の敷島の
やまとことばの系統がそのままこの地に残っておることを論証し得るのでございます。このような事実や、さらに、当時、
国民党が支配しておった時代の大公報が、かつて古き時代に
沖繩からみつぎ
ものを
中国にささげていたことなどを載せました。またこれらの文章の一部が、タイムス・オブ・インディアに出まして、渡りに舟とばかりにこれを使って、そしてダレスは、
沖繩は民度が低く、どうも
民族が違うようである、したがってこれに信託統治という名を与えることに関心を持っていました。
戦争前の信託統治といえば国際連盟時代ですけれ
ども、国際連合時代の信託統治という
ものは、各位の御
承知のように、文化のおくれた
民族に対してその自治能力を涵養し、教育の水準を高め、教育の水準が高まってくるにつれて一日も早く自治権を与える、いわば幼稚園、小学校のような役割りを演ずるのが、この信託統治の定義でございます。その信託統治には二種類ありまして、
一つは軍事的信託統治、
一つは平和的信託統治。原則は平和的信託統治でありまして、軍事的信託統治に移そうとするならば、これは安保
理事会の承認を必要とするのでございますから、ソ連が拒否権を行使することによって軍事的信託統治にすることはできないことに、ダレス長官は気がついたのでございます。そこで、信託統治と言ってみた
ものの、平和的信託統治では何の役にも立たないということに気がついたダレスは、信託統治までの暫定期間、直接の軍事占領を続けるという一句を挿入したのでございます。当時、国際連合は平和のうたげに酔っておりまして、だれしも、信託統治という
ことばの背後にいかなる陰謀がたくらまれておるかということを知るべきよすがもありませんでしたけれ
ども、長らく植民地支配に苦しんんでおりましたところのインドのネール首相は、彼の宗教的英知をもってこのことに気がつきまして、その代表をして、
ダレス国務長官に質問せしめました。信託統治の趣旨にしばらく賛成であるとするも、その手続の間軍事占領を続けるというが、何年ぐらいの占領期間であるかということを質問せしめたのでございます。それに対して
ダレス国務長官は、むかっと憤ったような表情をいたしまして、答弁の必要なしという答えでありました。
かくして、インドの代表は憤然として席を立ち、アラブ連合の総裁、当時はエジプト共和国の総裁ナセル大統領並びにビルマの首相もまた、サンフランシスコ条約から脱退を声明したのでございます。
かくしていまや二十三年たちまして、当時ネール首相が心配したと同じ、二十年たってなおかつ軍事統治が続き、信託統治のことには全然触れず、いわば結婚詐欺のようなことでありまして、おまえとやがて信託統治にするための婚約を結ぶ、しかししばらく手続に手間どるから軍事占領を続ける。そしてその軍事占領は、もう二十年も続いてまいりました。当時二十のおとめはすでに四十になっておるのでございます。しかもいつまでもというわけにいかないので、今後三、四年中にそれでは
日本本土に戻そうかということが、
日本国民の
世論及び世界の
世論のために抗し切れなくなってまいりました。しかし、すでに今日、信託統治を目的とするまたは信託統治に直接なっておる領土は、その本土が国際連合に加盟した場合には、自動的にその効力を失うという条項が、国際連合の信託統治条項の中にあるのでございます。したがいまして、信託統治を終着駅とするところのサンフランシスコ条約中の
沖繩に関する項目は、すでに国連憲章によって、国際法的に無効になっておるのでございます。今日、国際連合憲章、世界人権宣言並びに端的には植民地廃止宣言、これには植民地とは非自治領という定義がなされておりまして、この定義は
アメリカ代表がした定義でございます。なぜ
アメリカがこのような定義をしたかといいますと、
自分の国は長い間
英国の植民地であったから、植民地の苦労を知っているのは
アメリカその
ものである、こういって、植民地諸国の気を引くために、彼がことさらに手をあげて
議長に
発言を求め、植民地廃止宣言のいうところの植民地という定義を定義づける資格のある国は、ソ連、
英国でなくして、この
アメリカである、
アメリカは長い間
英国の植民地として苦労してきて、そしてワシントンが最初の独立宣言を発し、これが源となってフランス大革命も行なわれたくらいであるから、
アメリカ代表こそは、植民地廃止宣言の定義をするのにふさわしい代表である、植民地とは何ぞや、一言にして言うならば、非自治国である、住民に自治権のない国である、こういう定義をしたのは
アメリカでございます。
かくして、いまや
沖繩は国際法的にその根拠を失い、そして世界のいずれの国に参りましても、マダガスカルに行っても、象牙海岸に参りましても、今日の
沖繩のような状況に置かれておる国は一国もないのであります。すなわち、領土が他国に移り、住民の自治権が他国に移り、その通貨が他国の通貨に移り、立法、司法、
行政三権ともに、他国から重大なる
実質的制約を受けておる国は、まさに
歴史にいま類例の見ないところでございます。
私は一昨年
イギリスに参りまして、バートランド・ラッセル卿の山荘を訪問する
機会がありまして、そのときに各国の公使並びに
英国労働党の関係の
政治家、現在の
与党の
政治家も二、三参りまして、はしなくも
沖繩のことが話題に出ました。そのときに、
沖繩の人口九十六万ということを説明しましたら、みな驚いてしまいまして、九万か十万の人口と思っていた、百万の人口のあるこういう独自の文化を持った大きな国ということは知らなかった、なぜそれに対して
日本政府が抗議しないのか、こう言いますから、私は、正式に国際連合並びに
アメリカに対して
沖繩の返還を求めたことは、当時としてはないように聞いております。そう申しますと、では
国会は一体どうしていると言いますから、
沖繩の立法院も満場一致祖国復帰の決議をし、
国会も満場一致祖国復帰の決議をしていると言いましたら、琉球立法院がそれを決議し、衆参両
議院がそれを正式に決議をしておりながら、なぜその決議をそのままの形で
アメリカ政府並びに国際連合植民地解放宣言特別
委員会に
日本政府は提出しないのか、
理解に苦しむ、こもごもそういう
ことばでありました。もし
日本政府が
沖繩の
同胞に対して、また
沖繩の国土に対して、一片の良心を持っていたならば、インドのネール首相が一言主張したことによって、ゴアをそのふところに取り戻し得たように、
沖繩は直ちに自動的に
日本のふところに戻らざるを得ない。一言国際連合へ手続をなさったならば、それは自動的に
日本に戻るべき性質の
ものでありますというのが、その席に集まった
政治家並びに国際法
学者の一致した意見でありました。そこでみな首をかしげまして、世にもふしぎな
物語ということが言われたのでございます。
今日、
沖繩の置かれている状況は、ちょうどたとえばこの部屋が
沖繩と仮定いたしますと、ある一瞬に、この部屋だけは他国の領土になり、この部屋に住んでいる者は、琉球人という名をもって呼ばれ、国籍がなくなり、ふるさとに帰るにもパスポートが要る。外国へ行けば何国人かわからぬ取り扱いを受ける。そして他国兵に暴行を受けても、その娘に対して救う方法もなく、裁判の独立権もなく、完全な意味の司法権、自治権もなくなったとしたならば、それは
憲法違反であるだけでなくて、国際連合憲章違反であり、植民地解放宣言違反であり、人権宣言違反となるでありましょう。ちょうど同じことを、私は北九州に行って感じたのですが、いまから五十年前の北九州においては、炭鉱夫さんたちが、生活の苦しさのあまりわが子を売らねばならぬことすらしばしばありました。そのときに口入れ屋というのがありまして、その職業紹介所の女衒が言うことには、親の許可を得た
ものであるから、その娘をどこに売ろうと自由である。そして炭鉱夫の生活をしているよりも、料理屋に行って、おしろいをつけて、おいしい
ものを食べたほうが、その娘にとってもしあわせであるということがいわれました。しかしいまでは母子福祉法並びに児童憲章によりまして、
自分の子であるから焼いて食おうと煮て食おうと自由だ、というわけにはまいりません。
自分の子であるからといって、他人にこれを売ることは許されません。またこの娘を買った者も処罰され、売った者も処罰されるのでありまして、国際連合の憲章からいうならば、これを
アメリカに渡した
日本政府も処罰を受け、これを買った
アメリカも、言語道断な人食い人種として処罰を受けねばならぬのが今日の国際法のわれわれに教えるところでございます。
そこで、その後諸外国を回るにつけまして、どこの国の
議員からも、私は同じことを聞きまして、どうして、人口百万もある
沖繩を他国にゆだねて、その自治権も司法権も
行政権もないとは、それは一体どういうことであろう。しかもそれが盟邦の国といわれておるのはどういう理由であるか。もちろん、軍事的必要のために、本土における安保条約のような軍事協定を結ぶことは、それはあり得ることであるし、そのときの政策の必要によって、
与党が必要と認めたならば、
憲法の許す範囲の条約であるから、何人がこれに干渉することができよう。しかしいかなる権力をもってしても、いかなる理屈をもってしても、その住民を売り、国土を売り、その自治権を売ることは、今日の国際法ではもう許されない。ちょうど少女の人身売買が許されないと同じ事実である。このような世にもふしぎな
物語が、
日本と
アメリカの同盟のゆえをもって、白昼公然として行なわれておるということは、まことにふしぎなことである。
そこで、私はさらに、このような
歴史があるかということを調べてみました。ところが戦争の結果奪い去られたという
歴史はありますけれ
ども、しかし、みずから進んで、わが娘を他国に譲り渡したいという例はありませんし、誤って譲り渡した場合は、執拗に、これをわが手に取り戻すように、全力をあげて努力をしておるというのがその例でありました。たとえばアルサス・ローレン、一部のドイツ系の人たちはエルザス・ロートリンゲンと呼んでおりましたが、アルサス・ローレンの学校の
先生たちは、その生徒を、ひな鳥をいつくしむ母鳥のように、子供たちを抱いて、そしてひそかに祖国フランスの
ことばを子供たちに教えていたということでございます。まさに
沖繩祖国復帰運動の中心が、日教組ではなくして
沖繩教職員会、まさに教職員にふさわしい名称であると私は思いますが、
沖繩教職員会、そこに結集した
先生たちが、子供の教育だけは
日本国民として教育したいということで、ハンガーストライキその他のあらゆる努力を重ねまして、そしてついに、
日本国民として
沖繩の子たちを教育し得るという教育基本法を高等弁務官に承認せしめた
歴史は、かのアルサス・ローレンの教職員組合の
歴史にもまさに似た
ものがあることを痛感するのでございます。
また、
中国におきましても、皆さまよく御存じの例の岳飛の伝記を読みましても、金に併呑されました岳飛は、あくまで祖国の復帰を主張し続けまして、わが山河を返せ、墨痕りんりとして扁額にその字を書きとめましたが、一部の快からず思う人の目に触れまして、ついに彼は終身刑となり、獄死いたしたのでございます。後世、岳飛の
愛国の心を慕う者はあとを断たず、いまは西湖のほとりに岳飛の記念碑が残っておりまして、わが山河を返せという墨痕りんりたるその筆墨のあとを石刷りにして、旅客に分かっておるのでございます。私は
沖繩の現状がこのようなことであるのに、そのすべてが
国民に知らされておらず、そして衆
議院の満場一致の決議、
沖繩すなわち琉球立法院の満場一致の決議にもかかわらず、いまだかつて、国際連合に対して
日本政府がこれを提訴したことがございません。そこで各国の大使館を歴訪いたしまして、
国会がこれを主張することによって
沖繩が救えるかどうか、尋ねてみましたところが、
国会が決議しましても、政府が取り上げなければ、国際連合上の正式の手続にならない。
国会が全部決議しておるのに、なぜその手続を政府がしないのであろうか、その真意を知るに苦しむというのが、各国の
政治家または大公使諸君の意見でございました。したがいまして、私は、
沖繩に対して、
日本政府は尽くすべきことを尽くしていないことは明らかであって、もし
佐藤さんがほんとうに
沖繩の
同胞をわが子と思い、
沖繩の領土をわが父祖伝来の領土と思うならば、国際連合に対して、ゴアを戻せと言って叫んだネールと同じように、これを提訴し、
アメリカに対して同じ正式の文書を送るべきだ。もちろんその場合にも、自由意思によって、両国の軍事同盟をつくることは、それは
日本の
国会、多数党がきめることでございますから、許されるべきであります。それはインドのネールも当時述べております。
日本が独立したあとに対等の資格をもって
アメリカと軍事同盟を結ぶならば、その善悪は評論家の言うべきことであろうとも、余は他国の政府に干渉しようとは思わない。しかし敗戦の
日本がいまうちひしがれておるときに、その上に駐留軍を置いて、駐留軍を置いたままの状況で保安条約を結び、駐留軍を置いた状況のままで
沖繩を奪い去るということは、不正にして不当なことであるから、インド代表はこの席にとどまることはできない、こう言って退いたのでございます。
歴史の本を調べましても、領土を暴力をもって奪われたという
歴史はありますけれ
ども、奪われたあとに対して、奪い返す方法が国際連合を通じてあるのに、これを誠実に実行しないという例は、いまだかつて
歴史に見ざるところであるといわれておるのでございます。したがいまして、この事実に即して言うならば、まことに残念しごくなことでありまして、一見
気骨りようりようたるかに見えました吉田首相は、四国の殿様のわがまま癖が幸いして、
気骨りょうりょうと見えたのでありまして、
沖繩に関する限りは、少なくとも占領期間三カ年もたったならば、ぼつぼつ信託統治にしてください——信託統治になれば、次には、
日本が、本土が国際連合に入るときはちゃんと祖国に自動的に戻るようになるのでございます。日米軍事同盟があったところで、それはあえて問うところではありません。軍事同盟があるからといって、核兵器を自由に持ち込み、海外に出撃することは
憲法によって禁止されていますし、軍事同盟があるからといって、通貨にドルを強要し、自治権を全部奪い、司法権をとり、治外法権にいたさねばならぬという理由はないのでありまして、民社の諸君が言うておりますが、本土並みの
軍事基地をかりに認めたとするも、今日の国際連合憲章に違反する、領土権、自治権、司法権、
行政権、これは当然
日本に返すべきであるし、正当な手続をすれば、数カ月をもって
日本本土に返してもらうことができる。こういう状況でありますのに、なおかつその手続を怠っておるとするならば、国を売る手続を承認したなき吉田首相のその政策を継承し、いまだにそれに固執しておる不幸な内閣とわれわれはいわざるを得ない。
だとするならば、
穗積君は、幸いにして、本能的に直観的に気をつけて、
売国奴という
感情に走る
ことばは使っておりませんが、
愛国者の対語として、
売国者という
ことばを使いました。もちろん、この
ことばは軽率に使うべき
ものではありません。私は人にレッテルを張って、あれは赤だとか、あるいは保守反動だとか、そういう
ことばで万事能事終われりとするこの国の島国根性を、諸君とともに嘆く
ものであります。しかし、
沖繩の置かれたあまりにも不合理な状況、あまりにもだらしない状況、あまりにも常識はずれの状況に対して、わが
外務委員会の力の足らないことを皆さんとともに嘆く次第でございます。事ここに及んで、このような極端な事実を背景として、ちょうどアルサス・ローレンを守ろうとした小学校の子供たちが、エルザス・ロートリンゲンを賛美する人たちに対して、時として悪罵を浴びせた、それほどの、しかも
穗積君のは悪罵でなくして、ただ、
愛国者という
ことばを、このドゴールの
ことばをあまりに強く総理が使われたから、この対語として、そのような
ことばを使った。そして
委員長の御注意があったときは、それならば、まことに遺憾として、その
本質を曲げない限りにおいて、適当な
措辞を使うことを彼は認めたのでありますから、
同僚議員諸君においては、これはボーダーラインの
事件として処理されることが、適当であったのではなかろうか。というのは、
不逞の
やからだとか、
曲学阿世の徒とかいう
ことばはまだかわいらしいのでございますけれ
ども、事
愛国ということに関して、諸君が大いに神経を刺激されたことに対して、私はある意味の了解を、すなわち同じ
日本人としてのこの
ことばに対する共通の感覚から、
理解を持つ
ものです。それならばなぜ
沖繩の現実が、
かくも不合理なことが白昼公然として行なわれておるか。私がかつて失言しました、いまでも失言ではないと思っておりますが、
東京では
アメリカは紳士、
沖繩では
ギャング、まさにこのような状況に
沖繩があるのを
国会が救い得ない。しかも
国会は満場一致の決議をしておりましても、政府はこれを正式に正面から堂々と国際連合に訴える手続をとろうとしない。ようやくにして、
ことばの
表現は悪いかもしれませんけれ
ども、遠慮がちに
アメリカにあわれみを請うて、そして戻してもらう。もちろん軍事同盟の問題がありますから、軍事同盟に関する限りは、これは戦略戦術の論議、政策の論議として、互いに渡り合うべき
ものでしょう。しかし自治権、住民権、司法権、領土権に関する限りは、これは政党政派の論争の問題でなくして、新
日本憲法と国際連合の絶対的要請として取り扱うべき
ものであると思います。それをしも取り上げない
日本政府並びに
佐藤総理の態度に対して、
穗積君の
かくのごとき言があったからといって、
委員長段階においてこれを善処することに賛成されずに、いまや
懲罰委員会におかけになったということは、私は遺憾なことであると思いますし、私は言うべきことを尽くしましたから、最後に皆さんの心に置いて、
沖繩の置かれた特殊の状況を御勘案になって、他の適当な
ことば、すなわち
沖繩を他国に売るような政策を続けておられる
佐藤総理に対してというような
ことばで、
秋田委員長が、まだ
速記録をつくっておりませんから、適当に
修正されるならば——
穗積君もあえて
措辞については遺憾の意を表するということを当時申しておりますが、その
本質においては命をかけて一歩も退かない。私は
政治家とは
かくのごとき
ものであるべきだと思います。
鯨岡検事殿の御裁断にもよることでありますから、あえてこれ以上あわれみを請う
ものでありませんけれ
ども、事態の真相を明らかにいたしまして、
同僚議員として、意のあるところをおくみ取りくださらんことをお願いいたしまして、質問を終わる次第でございます。(
鯨岡議員「これは私に質問じゃないですね」と呼ぶ)いまさら御意見を伺っても、せんなきことであろうと思います。