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磯村参考人 磯村でございます。すでに五人の方からいろいろお話がございまして、幾ら専門の
立場からいたしましてもかなり重複することがございますので、私は
比較的あまり重複しない点だけを申し上げたいと思います。
まず、先ほどから非常に画期的な
都市計画法の改正である、こういうお話でございますが、大正八年から今日まで五十年、五十年もたちますれば、画期的となるのは当然でございます。したがいまして、必ずしも画期的ということは
考えられません。と申しますとたいへん恐縮でございますけれ
ども、これは偽わらざる感情だと思うわけでございます。したがいまして、もし
都市計画法を改正するとすれば、これから五十年先にどういうことを改正するかというぐらいのことも
考えまして、その内容の中では、
考え方の中ではそういうこともあってよろしいのではないか、こういう点で、いままで五人の
方々のお話しになりましたことと重複しない範囲内で申し上げたいと思います。
第一に、
都市計画を
考えました場合に、何か
都市というものを物理的につくるということだけでございますけれ
ども、しかし、基本的な
考え方というものは、そこに住んでいる住民が一体そこでしあわせになれるかどうかという
考え方がなければならないと思うわけであります。でありますから、
都市計画というものを
考える場合においては、やっぱり住民の人間
計画である、しあわせ
計画であるという
考え方だけは、幾ら物理的な
計画をする場合におきましてもこれは
考えてほしい、こういうことであります。
そういう点からいきまして、新中央集権主義とかということがいわれまする時代におきまして、ある
程度まで中央集権的なものを知事なりあるいは
市町村という段階にまでおろしましたことにつきましては
一つの
考え方だと、先ほど
高木さんも言われたのでございますけれ
ども、しかし問題は、そういったような点の中におきましてやはり
考えなければならない問題がある。それは一体何であるかと申しますと、
都市計画といいますると、すぐに、
地域地区の区分である、こう
考えますけれ
ども、この
地域地区の区分というものを、いまの
都市計画、提案されておりますようなものが
考えられました形で進むことが、はたして大きな
都市と中あるいは中以下の
都市とを一緒にしましてこういう
考え方で一体いいのかどうかという問題が
一つございます。
東京、大阪のように非常に
人口の流動性の激しい、またその
可能性のあるところにおきましては、こういろ
考え方は成立しますけれ
ども、現在の
東京を中心にしました平均の通勤時間というものは、一時間から一時間半に延びております。こういったようなことは何かというと、新しい
都市計画法ができればそうじゃないという御説明があるかもしれませんですけれ
ども、これは
考え方によってはさらに延びるおそれがあるのじゃないかということでございます。したがいまして、周辺を住
宅地区にするとか、あるいは工業地区をどうするとか、こういう
考え方の中に、もし将来
一つの参考になるとしましたならば、むしろ混在した
地域というものがあってよろしいのではないか。一方におきましては公害ということが非常にやかましくいわれておりまするときに、工場というものと
住宅というものをそれでは完全に区別していいかどうか、こういう問題は、
都市計画の新しい理念として
考えていただきたいのでございます。これはまだ単に参考として申し上げますけれ
ども、そういう
考え方はあっていいのじゃないか。
東京の周辺におきまして、現在
都市計画法の適用を受けない
地域の中に
現実に工場が立地しております。その工場の大
部分というものは、ある
意味におきまして住民のしあわせに問題があるのでございますけれ
ども、しかし、それでは東海道沿線にあるような工場というものがもし
住宅と混在しても、それがこの
都市計画の上からいって適当ではないということは言えないのじゃないか。そういうことを思いますると、いわゆる
計画されたる
地域といたしまして、むしろ、住居とそういう職場との混在的な
地域というものもこれはあってよろしいのではないか。それが第一点であります。
第二点は、これはもうすでに先ほどからお話ございましたが、その
考え方を
一つ延ばしていきますると、いま前の
参考人のお話がございましたような、今度の
市街化区域あるいは
調整区域の中におきまして
農地法の適用を完全に排除するということは、これはやはり
一つ考慮すべき問題ではないか。これも
農業構造それ自体の変化というものをやはり
考えていくべきで、したがって、農村が
都市化しているとさえいわれている今日におきましては、この
市街化区域あるいは
調整区域の中におきまして、
農地であるからそのまま
農地法の適用を排除してしまいまして、これをいわゆる
都市的な生活空間の中にしてしまうことがはたしていいかどうか。これは
一つは災害という問題も
考えなければならないのでありまして、災害の場合においての
一つの空間、それから災害の場合におきましての食糧の
供給の問題、それから同時に、この
都市という空間の中におきまして、近代化された
農業というものが
都市生活の中において非常に重要な
役割りを占めるということになりますと、ここに問題が
一つ考えられていいのじゃないか、これが第二の点でございます。
第三の点は、これはもう最初の
参考人から始めましてほとんど皆さんが触れておられるのでございますけれ
ども、何といいましても、
都市計画というものの基礎になりますものは、
土地であり、あるいは
地価である、懇々とお話がございました。この問題につきましては、
一つのまず当面の問題としましては、やはり
土地価格といったようなものを調整する何らかの措置というものが、この
法律とはあるいは別個に
考えられていかなければ、ほんとうの効果というものは出せないのじゃないか。
現実におきまして
一つの例をあげますと、美濃部
東京都政が
実現しまして、そして
住宅というものをさらに増加するという方針を立てたのでございます。いざ一年間たってみました場合にどういう
結論が出たかといったならば、それは
実行が不可能である、こういう
結論であります。その
結論は何かといいましたらば、
地価が非常に高くなりまして、予算の八割から九割までは
土地の買収とその補償のためにということになってまいりますと、これはどうにもならない。しかし、八割から九割までの予算を使いましてもできればまだよろしいのでございますが、それ以上になりますと、現在の財政の上においてとうていできないような状態になるというふうになりますれば、何らかの形でもって
土地価格の調整あるいは
土地価格に対しての的確な措置というものを
考えなければ、せっかくの新しい
都市計画法というものができましても、主として
大都市の場合におきましてはかえって
実行が不可能になるおそれがある。したがいまして、この面についての配慮をお
考えいただくことが必要じゃないかというのが第三点でございます。
しかし、その点におきましてもさらにお
考え願いたいのは、これはやはり同じ
土地の問題に関するのでございますけれ
ども、先ほど大来
参考人からは
イギリスの例をお話しになりましたが、私、二年前に
イギリスの
住宅建設省から呼ばれまして、約一カ月半、
イギリスのいわゆるニュータウン、それから
都市開発の
制度を見てまいりました。御存じのように、
イギリスの
制度というものは、必ずしも国の
制度でもって地方自治体全部をコントロールしているものじゃございません。私はリバプールの市長に会いました。その市長は、海員組合から選ばれました労働党出身の市長でございます。当選したばかりでございましたが、私が会いましたときに直ちに私に言ったことは、
自分がこのリバプールの市長になってすることは何であるかというと、現在二五%までの
土地の空間というものが市のものになっている、これを三〇%まで上げていくようになれば、
住宅政策も道路政策も、そういうこともできるので、三〇%までこのいわゆる市有地というものを増すことに努力をする、これが
自分の
都市計画というものをやる第一のスローガンだということを申しておりました。御存じのように、
イギリスにおきましては、地方自治体の財政能力あるいはその自治体の規模によりまして、政府がある
程度まで
土地を自治体が持ちますことについて補助を出しています。やはり現在の
日本の状態からいたしましても、こういう
考え方というものがそろそろ考慮されてよろしいのではないか。したがいまして私は、この
都市計画法の
現状の段階におきまして、決して画期的ではないなんというたいへん失礼なことを申したのでございますから、当然その
実現ということはあたりまえのことと思うのでございますけれ
ども、これに伴いまして、これがいわゆる都道
府県なりあるいは
市町村でやりやすいということのためには、いま申し上げましたような
地価の措置、あるいは
土地を地方自治体がある
程度まで持ちますことを御配慮いただけないものであろうか、こういうことでございます。消極的に申し上げましても、地方自治体の財政をごらんいただきますれば、最後のところにいきますと、
不動産の売却ということによって財政のつじつまを合わせるのが、これが自治体でございます。これはいわゆる地方自治体の
都市建設におきます自殺的行為である、私はこういうふうに
考えるわけであります。むしろ、こういう状態の場合におきましては、ある一定の限度、ある標準まで、その
土地の事情によりましてそういうことがないようにしなければ、私は、いかなる方法をとりましても、高騰する
地価というものを押えることはできないのではないか、こういうことを
考えますので、ある
意味におきましては、その
土地の地方公共団体というものがこれを売却しないように、売却するということはほんとうのこれは例外措置であるというようなことがなければ、私は、新しい
都市計画というものの推進は、特に大きな
都市におきまして困難になってくるということを申し上げておきたいわけでございます。
これは最後の五点でございますけれ
ども、いま前の
参考人からお話もございました、以上のような
意見はございますけれ
ども、この
都市計画法がすみやかに
実現するということは、これは私は大多数の国民の要望であるということは申し上げられるのですが、しかし、ひとつ
考えていただかなければならぬのは、この
法律というものがいわゆる
比較的民主化された現代においての
考え方を入れているとおっしゃいますのですが、それじゃ実態においてどれだけ一体住民参加の方式がとられているか。なるほど、
建設大臣の権限というものを知事とかあるいは
市町村長に譲っておりますけれ
ども、それじゃ一体
現実に住民の意思がどのように反映されるかということにつきましては、ここではいわゆる中央の審議会、地方の審議会等におきます審議会というものを通じる以外にその方法は必ずしも十分ではない。その点で私はお願いを申し上げたいのでございますけれ
ども、この審議会というものの実態をひとつお
考えをいただきたい。審議会というものが、いわゆる地方自治体の議員の
方々、それから専門の
方々で、これは学識経験者という形でなっていると思うのでありますけれ
ども、議員の
方々は、適当な任期なりあるいはその
考えによっておかわりになることがございますけれ
ども、多くの場合、この地方審議会の場合におきましての学識経験者というものが非常に固定をいたしております。これが私は
一つの問題ではないかと思うのです。もちろん専門ということはございますけれ
ども、今日におきまして
都市計画の場合において専門であるということは、もうかなり広い知識を要する専門でありまして、橋梁の長さをどうするかというような問題は、これは専門のまた専門でけっこうだ。地方自治体の有能な諸君というものが十分にそういう
役割りを果たしていると思う。したがいまして、いわゆる学識経験者というような形で採用されるそういうこの地方自治体の
委員というものは、あるいは二年とか三年とかいう形でもってかわるというような形でも、少なくともこれは実施の面で可能である、そういうことになれば、ある
意味におきましてその
地域の
意見というものを参考にすることができるのではないか。特にこれを申し上げますのは、今回の
都市計画法によりましていわゆる新しいディベロパーというものをきめることができることになります。かなり一定の区域になれば、民間のお方であっても
都市計画というものをやれるということになりますと、これはかなり大きな
——ことははそういうことはを使ってよろしいかどうかわかりませんけれ
ども、利害関係を生むものでございます。したがいまして、そういう利害関係というものが
都市計画の審議会等でもし審議されるといたしましたならば、その点において、住民の
考え方というものができるだけ公平に反映するような措置がありましたならば、非常にしあわせだと思うわけでございます。
最後に一言だけこれは申し上げますけれ
ども、こういう機会でございますが、私は、先ほどからお話がございまするが、もしこれが五十年先にもう一回
都市計画法というものが審議されるということになりました場合におきましては、
日本の
国土というものは一体だれのものであるかということにつきましてもやはり
考えるような時期がくるのではないか、あえて
国土奉還とは申しませんけれ
ども、そのような
考えもひとつ政治の良識の中のどこかでお
考えいただきましたならば、しあわせだと思います。(拍手)