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帆足委員 私どもにはまだ不十分でございますけれども、相当な質問の機会を与えてくださったことを感謝し、私のこの意見をもちまして終わりにいたしたいと思います。
このたび南方小笠原
諸島の祖国返還は、とにもかくにも一億
国民待望の日でありまして、また、返還のために努力し、先頭に立ちし先駆者諸君に深い敬意を表する次第でございます。
さて、小笠原の島々、特に父島、母島、硫黄島、その他の島々につきましては、このたび
調査団の報告をいただきまして、私どもは大いに啓蒙されました。また、知事も率先してみずから現地におもむきました。これら
調査の結果をお聞きしますと、何ぶんにも二十数年の歳月を経ておりますので、島々は予想以上に荒廃に帰し、特に硫黄島の状況のごときは、洞窟の至るところに戦死者の白骨がいがいとして累積し、鬼哭啾々として
調査の人々の胸中万感こもごもであったと報ぜられております。ある詩人が南海の海を歌いまして、「浜は静かに潮満ちて、藻草も昼を香りけり、これかや父の母の海、涙流れてとめあえず」まさに父島、母島を訪れし
調査団の
方々の感慨のほどもしのばれる次第でございます。
さて、当初におきましては、小笠原
諸島の軍事的価値が誇大に伝えられまして、米軍部の一部は、
南方諸島を返還する以上は、
日本は当然担当すべき自衛費を増大せねばならぬと呼号し、また、自衛隊の一部には、いまや防衛線は二千キロ延びたのであるから、一大空軍、一大艦隊に拡張せねばならぬと大言壮語するがごとき軽率なる発言もなされまして、私
たちを驚かせました。さらに一部には、軽率にも平和憲法を厳守する美濃部東京都知事に風当たりが一時強くなり、一時はその所管を東京都から切り離そうとするような動きさえ見られたのでありますが、その後、漸次正確な
調査報告が伝えられるに至って、その所管は東京都とし、担当
政府諸機関はその開発に緊密に
協力するという正常なルートに落ちつくことに至りましたことは、これまた党派を越えて御同慶の至りであります。願わくは、
政府、都庁一体となって、密接な連携のもとに、当面まず必要な水道、衛生、医師、学校、住宅、開発計画の推進等々、合理的なる計画の設定と着実な段取りにより、一日も早く帰島を要望せられる島民各位の御希望にこたえられんことを切望する次第であります。
さて、
政府といたしましては、敗戦のわが国として
アメリカ政府に対して賠償等の要求はできないといたしましても、
国民としての島民としては、国際法に従いまして、当然こうむった個人的損害に対しては、
政府協力のもとにこれを
アメリカ政府に要求すべきだという論もあるのでございますから、このことは特に心にとめて御
研究を願います。
小笠原
諸島の軍事的価値につきましては、遠くアジアより離れて
日本本土の裏側にあり、戦略的に見ても、平和の島たる以外には何らの利用すべき必要なきものと私は戦術的に
考えております。いやしくも、核兵器、直接出撃等のごとき、沖繩におけるようなことがあってはならぬということについては、
防衛庁長官が肯定されたことで、その点は私は満足いたしました。しかし、今後とも、不安なる軍事基地の拡大、軍用機の使用、艦砲射撃、ロケット砲の実験等はもとより、漁業、熱帯植物の栽培、観光事業等の平和な島たる性格を撹乱するがごときことなきように、先ほど
淡谷議員がるる説明いたしましたように、われわれはそのことを要望し、また警戒いたす次第でございますから、とくと心におとめ願いたいのでございます。
以上のことに加えまして、私どもがこれまでの論議においていまだ釈然といたしませんことは、南方小笠原
諸島が祖国復帰しましたその法的手続と、国際法上の意義なり、また、これに関連する沖繩祖国復帰問題との関連につきましては、残念ながら御答弁はきわめて不十分でありました。そもそも、今日まで小笠原
諸島が米軍の支配下にありましたこと自体が、沖繩同様に国連憲章、ユネスコ、
世界人権宣言、植民地廃止宣言等々の違反でありまして、当然、小笠原の
諸島は、これら現代国際法の大
原則に従ってもっと早期に祖国に返還さるべきものであったとわれわれは思っております。しかるに、今次小笠原返還は、かかる正規の国際法的な確認によらずして、いわば沖繩返還延期の身がわりのごとき感もあり、あるいはまた、われわれへのスズメの涙ほどの恩恵として
アメリカ政府より与えられたような印象もあるという現実を必ずしも無視することができません。今日私どもは、小笠原の返還を
アメリカ政府から受けることをいささかも恩恵とは
考えておりません。これは国際法上当然の措置であり、かつ、同様の国際法の論理に従いまして、沖繩の祖国復帰も当然早急に実現するものと信ずるのであります。この点につきましては、
政府はもっと御
検討願いたいのでございます。
以上述べましたことは、各位の御高承のごとく、ライシャワー博士、フルブライト米上院外交
委員長、マンスフィールド民主党上院院内総務の論証にまつまでもなく、すべての国際法学者の指摘し、指弾するところであります。
そもそも、当初ダレス国務長官の胸中に沖繩占領の野望が生じましたとき、まさか反ファッショ連合軍に沖繩軍事占領の継続を
承認せしめるがごときことは思いも及ばざる当時の情勢でありました。そこで、浮かびましたのが沖繩に対する信託統治という構想でありました。しかるに、国連信託統治のもとでは、特定国のための軍事基地を設けることは許されません。かりに軍事信託統治にいたそうとするならば、安保
理事会においてソ連の拒否権にあうことは必至であることが予想されますので、ダレス国務長官はここに一計を案じ、信託統治を実現するまでの暫定期間において軍事占領を続けることを許してもらいたいという名目で列国の目をかすめたのが、当時の歴史的実情でございます。しかるに、当時、インドのネール首相は、烱眼にもその真意を見抜き、しからば、その軍事占領の暫定期間とは何年ぐらいであるかという質問に対し、ダレス国務長官は憤然として回答を避けました。かくしてインドの代表は退席し、アラブ並びにビルマ代表は平和
条約における沖繩条項に反対し、留保したのであります。私は、これらの
事情に対して、この際
政府の再認識を要望いたしたいのでございます。
最後に、かくてサンフランシスコ平和
条約の結果、沖繩同胞の自治権は奪われまして、司法権並びに行政権も奪われ、少女が米軍兵士に暴行を受けましてもこれを裁判する方法もないのであります。(「討論じゃないか」と呼び、その他発言する者あり)質問しているのです。しかも、通貨に至るまでドルに切りかえられ、沖繩の子供
たちは、可憐にも一セントのことを一銭と呼んで祖国をなつかしがっておる状況でございます。いまや、九十六万の同胞の居住する沖繩の置かれておる
状態は、ベトナムの火薬庫を前にする完全植民地の状況でありまして、ジェット機の直接出撃も、ポラリス
潜水艦の出入も自由自在、かくのごとき例は、マダガスカルにも、アフリカの象牙海岸にも、
世界広しといえども今日いかなる場所にもないのでございます。まさに、みずから称する友邦
アメリカは、東京においては自称紳士、沖繩においてはギャング同然の姿というべき状況になっておるのであります。
かつてアルサス・ローレンがドイツの支配下におりましたときに、フランスの教師
たちは教職員会を構成し、親鳥のひなをはぐくむがごとく、夜間ひそかに子供
たちにフランス語を教えたということです。沖繩では、屋良教職員会長、喜屋武事務局長を中心に、全沖繩教師が一丸となりまして二カ年の悪戦苦闘の後、ついに弁務官に迫って、沖繩の子らは
日本国民として教育するという輝かしい教育基本法を米
政府に
承認せしめたのでございます。このことにつきましては、この際、思いを新たにする必要があることを切に要望するのでございます。
かつて、中国の志士岳飛は、祖国が金に侵略されましたときに、「わが山河を還せ」と呼号してやまず、ついに
政府の忌諱に触れ、獄に投ぜられ、痛ましい生涯を終わりました。今日湖南に遊ぶ人々は、西湖のほとりに岳飛の廟を訪れ、墨痕りんりたる「わが山河を還せ」という石刷りをあがなうことができるでありましょう。
繰り返し申しますが、今日小笠原
諸島の祖国復帰は、世論の要望と国際法上の正義と権利によるものでありまして、断じて
アメリカの恵みと解すべきものではありません。佐藤
総理にして、深く、かつ切に国を愛するという精神があるならば、沖繩の返還をもっときびしく
アメリカに要望すると同時に、国際連合に対しても私は要望すべきであると思います。これは小笠原の問題に関連して、
外務大臣も
考えねばならぬ重要な問題であります。
以上が……(「これは
質疑じゃない、いままでないよ」と呼び、その他発言する者あり)いままであってもなくても、これからつくればよろしい。かつてインドのゴアの紛争がありましたときに、ネール首相はゴアを返せと言いました。国連の
専門家たちは、もし佐藤首相が沖繩を返せと叫んだならば、沖繩は戻るであろうと申しております……。