○帆足
委員 三木外務大臣は、単なるとNATOとか軍事同盟とかという問題から離れて、その国民が全面的に他国の支配下にあるということは確かに矛盾である、こう肯定なさいました。私は、防衛庁としては、本来ならば沖繩祖国
返還のデモンストレーションのときには、これに参加するくらいの
気持ちがわいてしかるべきであろう、これくらい重要な問題であると思っておるわけであります。したがいまして、他国の支配、仮想敵国などという
ことばも、いろいろな
意味で軽々しく申す
ことばできない。たとえば野党が、この現状から見るならば、仮想敵国どころではない、
アメリカは現に侵略国です、こう言って少しも間違いありません。また、
日本の
政府が沖繩を他国に売っておるということを指摘されても、これはやむを得ません。しかし、同時に、それでは他の国に対してどうかといえば、やはりいろいろな困難がありますから、私は軽率に特定の国をとらえて仮想敵国というような
ことばは使いたくありません。しかし、倉石さんが失言なさったのも、憲法第九条を無視されまして、
日本の置かれた微妙な地位に対して目を閉じて、この国は軍備があれば相当のことを主張することができるがと言いましたけれども、じゃ軍備があれば
アメリカにどの程度のことが言えるのか、フランスにどの程度のことが言えるのか、ソ連、
中国にどの程度のことが言えるのか、具体的に科学的に考えてみるならば、問題はさように簡単ではないのでございます。軍備の弱いインドですら、ネール首相在世の当時には、その道徳的な民族の力で相当の発言力、また防衛力を発揮いたしました。ちょうど個人でも同じでありまして、腕力だけが身を守る力ではありません。からだは福田幹事長のようになよなよされておりましても、頭脳明晰であったならば、生きる道はたくさんあるわけでございまして、逆に拳闘の選手であるからといって、雑草のごとく生活力がたくましいとはいえないのでございます。最近の生物学の書物を見ると、雑草のほうが生活力は低くて、あの美しいにおいを発するバラのほうが生活のエネルギーは高いそうでございます。私は、この雑草とバラとの比較は、防衛庁の心すべき問題であると思います。
世界で一番強かったといわれる
日本の軍隊は、
世界で一番弱い軍隊であった。なぜかというと、愚かであったからです。
世界で一番忠勇武烈な軍隊といわれた
日本の軍隊は、
世界で一番ひきょうな、道徳的に低い軍隊であった。これは「人間の
条件」をお読みになれば、よくわかることです。人は美しい夢を追いてきたなきことをするものぞ、これは詩人アンデルセンの「埋木」にある一句であります。
したがいまして、
小笠原にことを限って申しますと、
小笠原についての戦略的地位というものは、
日本から二千海里裏のほうにありますから、ソ連、
中国との対立に対しまして積極的
意味を持つまいと私は思っております。もし全面的にソ連、
中国と衝突がありとするならば、この前の欧州大戦のときには、
最後の日まで台湾と
朝鮮との補給路は続きました、背後に大陸を背負っておりますから。しかし、いまや大陸を万が一にも刺激するならば、裏側の補給路は五千キロにわたっておりまして、だれが石油を、大豆を、米を、塩を、砂糖を、補給してくれるでしょうか。まず二ヵ月もたたないで原料の補給で参ってしまうと私は思います。
ジョンソン・
アメリカ国防長官は、マッカーサー元帥が
日本よ、
アジアのスィッツルたれと言ったときに、一日に百万ドルの大めしを食う胃拡張の民族を
アメリカが前線基地として持ちこたえることはできないであろう、したがって、率直に申すならば、
日本の
アメリカに対して演ずる
役割りは、前線基地、犠牲基地、補給基地以外にあるまい、これは驚くべきことですが、こう述べまして、マッカーサー元帥はそれをとりなすように
——これはリーダース・ダィジェストに二度も載っておりますが、
日本は
アメリカにつこうともソ連につこうとも、火中のクリを拾わされるならば、食糧問題で参ってしまい、原料問題で参ってしまい、さらに近代武器の問題で参ってしまう。
日本のただ
一つ生きる道は平和と中立の道である。太平洋のスィッツルたれ、これはマッカーサー元帥の有名な
ことばです。まるで片山哲氏の演説のような
ことばでございますけれども、この速記に間違いはありません。
したがいまして、私は、自衛隊の諸君が謙虚に御職業の限界を絶えずよく御反省なさって
——安全保障ということは、国土と生命の安全保障である。そうするならば、国土に対しては風水害、生命に対しては交通地獄と病気というものがある。また貧乏というものがある。それと、保守的政治論の
立場からいえば、ある程度の安全装備を考えたいというお考えが与党から出てくることは、おそらく必然でしょう。社会党はそれを国土再建のための国土計画隊に再編成したいという
考え方です。これは
ベトナムにおきましても、キューバにおきましても、国民全部に武器を持たしておりますけれども、革命は起こりません。そして
アメリカのあれほどの侵略に対しても、職業軍隊はごくわずかですけれども、自分の国を自分で守っております。しかし、
日本のごとく原料のない国、人口過剰な国に対して、中立に置いてこれを貿易で利益することは合理主義的に考えられますけれども、これを武力で制圧してソ連、
中国側として利益があるかというと、広大の領域を持ち、豊富な資源を持っておるソ連、
中国としては、
日本を侵略して利益はありません。同じことは
アメリカにも言えますけれども、ただ
アメリカは、対
アジア侵略の前線拠点として
日本の一部を使っておる、こういう必要から出ておることでありまして、
アメリカが資源のために
日本を必要としておるのではないでしょう。
アメリカの極東政策のため、これが
現実に置かれている
日本の姿でございます。
そうしますと、
アメリカの防衛と
日本自身の防衛との間に、どうしても矛盾がある。
日本の与党が日米同盟のような
関係において
アメリカをたよるとするならば、それは私は反対ですけれども、
一つの論理として合理的に理解し得る。しかし、
日本が前線基地、犠牲基地、核兵器基地、出撃基地になるとするならば、それば
アメリカの防衛になるけれども、すなわち、
アメリカの安全保障になるけれども、
日本にとっては非安全保障である。雷の鳴るときにちょうど避雷針のような
立場に
日本が立つわけで、
アメリカのショーウインドウになるな、進駐当時のマッカーサーはわれわれにそのように教えました。したがいまして、防衛庁におきまして、
アメリカ軍の
立場から考えた
アメリカの防衛と
日本の自主独立の
立場から考えた
日本の防衛との間には、とにもかくにも客観的矛盾があるということを、これは防衛庁でよく聞いていただいて、速記録を読んでいただけばけっこうですが、そういう矛盾があるということを
外務大臣は十分に御認識でございましょうか、
外務大臣の御
所見をただしておきたいと思います。