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大森創造君 そこで、係留方法がはっきりしているんですよ。私はあそこの現場へ行って見てきましたけれ
ども、鉄線のロープがあって、浮戸がこういうふうに、石原博士が言うごとく、ふかしぎな水利現象になりますというと、係留したものが下のコンクリートと摩擦をいたしまして、こいつがだんだんこうなって抵抗を受けてここに擦過傷ができているんですよ、こうなりますから。そこでこのとめ金がちゃちなんです、非常に。私は時価で百円であのとめ金は買えると見てきたのです。くず屋に出したら三十円くらいのものです。そこで一カ所切れるとがっとみんな切れっちまう、バランスを失って。そこで十二ゲートからあざやかなつめあとを残して流れた、これは一目りょう然です。石原報告、レポートなるものは私はでたらめと断定する。防災研究所の所長であろうと何であろうと、私はこの問題についての報告は信用しません。建設省のほうでは、ロープの強度試験をやったそうだが、こいつがこうやってもなかなか切れるものではないが、しかし何百トンからのものでは完全に切れる、ましていま言ったように、現場を見たら一目りょう然なんです。こういう
状態になって、とめ金がちゃちであって、こういう
状態なんです。ここのところはこうなってますからね。下の台が、あれが鉄筋がこうすべてなるというと、はがねはもろいですよ。鋼鉄のロープはこれで切れたのです。あとの三つのやつもばっと切れてつめあとを残しているのです、あすこに。そこで先月二十六日に松江地裁でもってこれは裁判が開かれた、石原藤次郎博士か
——石原どなたかが言っておられるわけです。戒能通孝、猪俣浩三両氏の
質問に対して答えをして
——あなたは現場についてどのくらい時間をかけて
調査をしましたか、何を
調査しましたかということを石原さんに聞いているわけです。そうすると、二時間
調査をした。十二ゲートの傷あとを見たかと言うと、その傷あとは見ていないということを公式に発表しておられますが、私は現場に行って驚いた。あの傷あとを見ないで何でレポートができるかと思う、浮戸というものは長さが十七メートルで、厚さが二メートルで、それから幅が七メートルある強大な重量のある鋼鉄製の物体ですからね。そいつが圧力によってばっと流れたときにつめあとを両壁に残しているのですよ、これは浮戸以外の物件ではありません、私は断定していいと思います。何か怪物があらわれたという話があるのだそうだけれ
ども、電柱が流れてきても電柱はばっとへし折れるし、とにかくあすこの中国電力のつくられましたダムはがっちりしておりますから、多少の物が流れてきても、流れてきた物体が傷ついても、あのダムが傷つくはずがないですよ、絶対。あいつにあれだけの傷あと、つめあとを残すというものは、浮戸以外の物体では考えられない。何か説明によるというと、何かあやしげなものがあらわれたと言うが、ぼくはゴジラではないかと思います。鉄腕アトムかゴジラか、そういうものだと思うのです。それ以外のものは考えられないわけですから。そうすると、今度は江川地方の総合開発計画がございます。いろいろな仕事をしなければならぬ。建設省もそうするとゴジラというものを征伐してもらわなければならぬ。こういうものを置いたらあぶない。ゴジラの正体は何だということを、ひとつ本
委員会へ建設省、中国電力、
関係者でひとつ調べ上げてもらわなければならぬ、ああいうつめあとが残るということは。
政治的な判断ばかりしているのだ、ぼくはそれがしゃくにさわる。
決算委員としてこの問題を等閑に付してパスするなら、
決算委員会なんか要らない。これこそ
昭和四十年度、四十一年度にわたり中電がどういう因果
関係があるのかわかりません。
政治的な配慮がどうだかわからない。しかし
決算審査の場で、このことがどうでもいいというようなことを言うならば、
国会の
委員会は
意味ないと思う。天下にそれを宣明する。これこそ
決算委員会そのものの問題である。現場へ行ってごらんなさい、あれを地元の人が二年間にわたって、そうしてたいへんな
努力ですよ、一千万以上使ったんだから、こんな芸当はできないんですよ。それがなぜかというと、もう
一つ申し上げましょう、全部でたらめということを。なぜかというと、私は今度浮戸の係留方法、
管理など現場へ行って聞いている。もう一回申し上げますが、中電の重役さんも悪意はないんですよ。まして建設
局長、きょうはふしぎなめぐり合わせで新任の河川
局長にこんなことをお尋ねするのは恐縮千万ではあるけれ
ども、お答えになるのは河川
局長が主だからしかたがないんだ、それにしては月給が安いということは御同情申し上げるけれ
ども、事実なんですよ。中電の重役の方や社長を責めるわけではございませんよ。私は
決算委員としての事実の究明なんですから誤解のないように。その場合に繰り返しますが、現場にいたのは竹部又吉という
管理主任以下数名の人であった、あいにく。そこで私はこう想像いたします、想像どころか確認いたします。
昭和三十三年に新造しましたからね、このダムは。これはたいへんだということで
管理していた人が逃げてしまった実績がある。だから今度も実はミスによって、過失によって現場の方が十二ゲートを全開してしまった。そこでぶわっと浮戸が流れて爪あとを残した。それを見た人がいる。これは数人いる。法廷でみな証言している。そのうちでこういう事実が判明している。いいですか、きょう初めて申し上げますが、竹部又吉堰堤
管理主任は、これは見られたから、中電の上司に対して相すまないという気持ちがあったのでしょう。目撃者の名前を申し上げましょう、きょうはいいから。浜田信義という人、この人は私
たちも見て来た。馬小屋のような貧しいところに住んでいる。赤貧洗うがごとし、どっこい根性がある男で、大東亜戦争のときに暁部隊の船舶要員でございまして、金鵄勲章を二回もらった。三十六回敵前上陸して無傷です。とてもこれは信念が強い男でございまして、これのところに、竹部又吉堰堤
管理主任の部下の立身出世の立という字で立所という人が来まして金を持っていった。金を持っていった時期に、川本町が法廷訴訟に踏み切ってやろうとした。その直前のときにお金を持っていっているわけで、何なら次回証人を出してもようございます。これで全部くずれてしまうんだ。これはミスだ、過失
責任だ。お聞きください、これは中電の方はおわかりになりませんよ。その浜田信義という人のところへ持っていった、竹部又吉堰堤
管理主任の意を受けて、部下の立所という人が金一封持っていったわけですよ。どうして私はこの前の
委員会でそのことを言わなかったかと言えば、その立所というお金を持って行った人と、その歴戦の勇士の浜田信義という人は近所隣なんですよ。隣近所ですから、このことをあえて言いたくないと言って、黙っていたけれ
ども、事実は事実としてやっぱりこれはやらにゃいかぬということで、きょう私は
発言しました。私はこの一事で、この問題は全部これは根底からくつがえるだろうと思うんです。現場にいた人が、竹部又吉
管理主任以下数人であって、中電の重役の方や、この
事件について関心を非常に持っておられる中電の方々や建設省や、
会計検査院は、そういう方は全部おられないのだから、そのときに何の必要があって、証人に出される前に部下の立所という人に命じて、月給幾らもらっているか知らぬけれ
ども、何万円かの金を封筒に入れて、その歴戦の勇士の浜田信義という人物に持っていく必要があったであろうか、私はこれでおわかりだと思う。これこそ、私は防災研究所の石原レポートよりも事実
関係、私は小説、心理学的に考えてこれが一番きめ手だろうと思う。どういうわけで金を持っていく必要があったでしょうか。どなたかお答えください。これは私は
——いいですか、これが事実だと思うんですよ。繰り返しますが、
皆さん方冷静に聞かれてごらんなさいよ。十二ゲート全開しちゃった、記録は事実と違う記録。これは
法律違反ですからね、これは罰金なんですから。ダムのゲート繰作をこれは誤っていたんです。ところがそいつを、ここに書いてあるように中電の幹部の方は受けられた。それから浮戸の係留方法、その
管理、こういうものが正しい部分もあったが間違ったミスのところがあったことをそのままにしておいて、中電の上司のほうに報告をした、県のほうに報告をした、建設省の出先のほうに報告した。それを、そういうものをたくさん集めて、数カ月間頭をひねった。その間に国のほうでは自然災害と認定をして、災害復旧の
予算もとるという既成事実ができてしまった。地元の人は橋が一日も早く直ればよろしい。河川改修が幾らかでもできればよろしい。名目は災害復旧の自然災害であろうと、人工災害であろうとかまわない。いまの農民の心理はそうでしょう。しかし、私は
決算委員の一人として事実を究明したいと思う。こういうことがまかり通ったならば、私はたいへんなことになると思う。誤った事実、記録に基づいての石原レポートは、私は信用しない。先ほ
ども申し上げましたように、石原レポートは決してこれは自然災害であるとも、人工災害であるとも言うてないですからね、あのレポートをすみずみまで拝見しますと、ふかしぎなる水利現象というのだ。しかも、だれかこのきずあとを
調査しましたか。どなたか
調査した人はいますか、学術的に。見たのじゃなくて、学術的に
調査した人がいますか、日本国じゅうにだれか
——これはだれも
調査しないんです。一番肝心なところのきずあとを。