○
山中(貞)
議員 ただいま発言の機会を与えられましたことを感謝いたします。
私は
質問者に
答えるという意味でなくて、政府の
総理以下閣僚、政府
関係者並びに各党の
議員を立ち会いといたしまして、
国民に対して
政治家として真実を告げ、そのことが
政治への
信頼についていかように
判断されるかということを許していただきたいと思います。ということは、わが国においてはあまりこのような例が
国会の運営でございません。しかし
政治家というものは、現在どのような地位にあろうと、やはり自分
自身の
立場というものを正確に、直接は選挙民たる
国民、間接にはその国の
政治を心配しあるいは
信頼し、希望を持つ
国民に対して
政治家としての義務が存在すると考えますので、皆さま方の発言の機会を与えられた機会を感謝しながら、事実を述べたいと思います。これが今後のよき議会運営のルールになれば、さらに望外の喜びでございます。
まず、本日は何も指摘はされておりません。私は
自民党の党内における
税制調査会の、原案を起草いたしまする起草小
委員長でございました。そのときの当該年度の原案となるべき案を作成いたしました中に、この
法案が、問題の
法案が入っていたというときの
委員長でございます。その小
委員長からさらに、
国会に付託をされましたときの大蔵
委員会の
理事として、三党共同修正案の提案理由の説明をいたした
立場にございます。さらに参議院の大蔵
委員会に参りまして、
衆議院案の説明をいたした
立場にございます。したがって私
自身が、次に述べまするような別な問題においてある事実がございますので、そのことと結びつけられて今日まで相当長期間にわたって、ひそかにあるいは公然と、
関係があるんだということを言われておることを私は今日まで、一部
新聞等にも報道もされておりまするし、がまんをいたしてまいっておったのでありますが、この機会を与えていただきまして、事実
関係並びに、ついでにこの
法案の党内から
委員会運営の最終段階に至るまでの経過を申し上げておきたいと思います。
第一に、火のないところに煙は立たないと申します。私も火がございます。それは何かと申しますと、四十一年九月に、私の
衆議院会館の一室において、關谷勝利君より百万円を受け取っております。何ゆえにそのようだことがあったのか。その数カ月前に關谷君から電話がありまして、税法の問題で教えてくれということでございます。したがって御来室を促しましたらおいでになりまして、私に陳情書を差し出されました。それは自分の顧問をいたしておりまする会社が、税務署と
法人税の損金算入の条項について意見が合わない点がありてもめておる。ところが、その陳情書の表紙をめくりますと、中に、私の
昭和三十三年から四年、大蔵政務次官をいたしておりましたときの大蔵
委員会における、
法人税法の解説に対する質議に対する私の答弁が抜粋されておりました。さらに横に並んで補佐的な技術
関係の説明をいたしました、当時の
大蔵省の主税局の塩崎課長の速記録も抜粋がされておりました。このような、あなた並びに
大蔵省の答弁のとおりで解釈されればトラブルはないと思うんだけれ
ども、それが実質上はうまくいっておらない、したがってこの点について指導してくれということでありました。私は読んだのでありますが、私も、税務当局の出身者のような
立場にございませんので、こまかな法解釈の具体的な運用については実は知りませんので、そこで、たまたまその速記録に当時の課長として
名前が載っております塩崎君が本省に帰ってきておるから、こまかな運用の具体的な問題については向こうに聞いたほうがよろしいでしょう、ではせっかく持ってこられましたから、私の秘書にその陳情書を届けさせますということで、塩崎主税
局長のもとにその
法人税法の損金算入の解釈をめぐる疑問点についての説明を——説明と申しますか、解明を頼むために、秘書をして届けしめたのであります。その後相当経過いたしましてから、電話で返事がありまして、税法の解釈よりも、何か感情的な対立でもめているようですよという返事がありましたので、その旨、關谷先生に返事をいたしておきました。
ところか、四十一年の九月に——中旬でありますが、關谷先生が私の部屋に来られまして、そろそろ選挙ですね、まあそう、選挙必至でしょうね、という前置きをいたしましてから、金を差し出されました。その場であけたわけではありませんが、何ですかと聞きましたところ、先般、税法の問題で、私の顧問をしておると申し上げた
大阪相互タクシーという会社のことで御心配をかけた、したがって選挙前でもあるし、ということでございました。私は關谷先生に、それは私としては関知せざることであります、
国会議員として、先輩のあなたがわざわざ来室されて、税法の解釈について相談に乗れと言われたので、私
ども同僚の当然のつとめとして、私はそれに対して
大蔵省の解釈を頼むために、秘書にそれを持たしてやっただけですから、そのようなことをしていただくつもりはございませんし、お断わりいたしたい、さように申しました。当然、そのときは
衆議院選挙直前でございますから、
政治資金のあり方をめぐって一連の黒い霧で騒然としておる背景にあるわけであります。全く何も考えないで、ダボハゼみたいにすぐに飛びつくようなことがあり得るはずがありません。關谷先生に再三辞退をいたしました。關谷先生はさらに、いや、それは謝礼ということではない、今後ひとつ税法その他の問題等で、私も知らないし、いろいろと指導していただきたいということでありました。私は、後ほど述べますが、
LPG税の推進の先頭でございまして、したがって、その間一切の、
大阪タクシー協会も含めまして、個人的に、問題になっておるその渦中の多島会長でありますとか、いまの相互タクシーの社長とも面識はありませんし、今日までなお面識はございません。そのような
立場にありましたので、私は全く知らない会社のことだし、あなたがそれだけおっしゃるのならお受け取りになったらどうですかと申しました。關谷先生は、自分は自分が顧問である会社のことをやっておるのであって、私
自身は自分のこととしてやっておるのであるから、受け取るわけにいかぬという押し問答等がございました。しかしながら、結局私はそれを受け取りまして、今日のような時世でもあるし、あとに問題の起こらないようにきちんと処理をいたしたいということて、私の後援会——蛟龍会と申しますが、後援会担当者をして關谷先生の部屋に伺わせまして、關谷先生の指示される、指定されるあて名の領収証を発行いたしました。私の後援会は会員制の後援会でございますので、今後会員としておつき合いを願うつもりもありませんでしたので、特別会費としての処理を済ましておるわけでございます。
このような経過でもって、私には、いわゆる
疑惑を生む場合において、火のないところに煙の立たないという意味では、火種が実はあったわけでございます。したがって、私は、この問題が公にされましたときに、一部には記事等で、そのようなことも
新聞に出たわけでありますが、
LPG税法に
関係して何かがあったように受け取られるだろう、いずれそういう議論がされる日が来るに違いないと、私は覚悟をいたしておりました。しかし、このような事実が間違いのない事実でございますために、このことのよしあしの議論は別でございます、そのことはまた別といたしまして、
LPG事件に関連し、しかも当時推進者の先頭にあった私が、そのような不当なる裏の取引に応じていたということの断じてないことを証明するために、発言をいたしたわけでございます。
その次は、
LPG税法の問題でございますが、私は、先ほど申しましたように、党内の小
委員長として、また、大蔵
委員会の修正案の理由の説明者として、また、参議院における
衆議院案の説明者として、行動をいたしました。しかし、ながら某紙に、私は当時
委員長であったと書いてありましたけれ
ども、私の
委員長は三十八年でございまして、その後
委員長は数代交代をいたしましておりまして、この
LPG関係のあります間、私は
委員長であったことはございません。
そこで、この税法の問題でございますが、御
承知のように、税法には、重いか軽いかという問題と、公平であるか公平でないかという問題がございます。
LPG自動車というものが考え出されました結果、
課税されていないエネルギーによるタクシーというものが出現をいたしました。ところが、一方、タクシーにはガソリン税がかかっておりまして、これは特定財源として、道路整備のための税収として位置づけられております。もちろん企業家はだれだって、同じ力でしかも収入が同様に得られるようなエネルギーがありますならば、
課税されていないものを選ぶことは当然でありましょう。したがって、急速にガソリンを使って走る自動車の数が減少いたしまして、非
課税のエネルギーであるLPを使う自動車というものが激増いたしました。したがって、国の道路特定財源としての歳入の面においては、急速に減少を始めたのでございます。そこで、税制の
立場から考えて、公平に欠けなければいいという議論もありましょうが、目的財源としての財源措置の確保が必要でありますので、したがってどうしてもLPにも
課税をしなければならぬという議論に発展をいたしました。税制理論として、私は当然であると考えます。
しかもまた、二十六円の議論はなされていないのでありまして、これはガソリン税のそのままの比率を適用すれば、二十六円という一応の計算はあったのでありますが、政府税調の答申も、またわが党の最終決定も、それは主として営業車であるトラック、バス等の軽油引取税の比率を勘案をいたしましての十七円五十銭というものに、最終的に一致して落ちついておるわけでございます。したがって、十七円五十銭から出発したわけでございますけれ
ども、党の最高首脳の
判断による——首脳部
会議等もありまして、総務会において最終的に十七円五十銭の
課税は九カ月間新税であり、相当の準備も要するということによって、延長をする前提において、施行日がずらされて、
法案が作成されることになりました。
したがって、
国会に出ましてからは、最初の
国会におきましてこれが継続
審議になりました。これは大きな理由の一つは、施行期日が明年の一月であるということ、したがって三月三十一日を限度とする普通の税、すなわち参議院まで議了しなければならないという性格のものと若干違いましたことも手伝いましたし、また、出発から、延長して徴収するというようなことがきめられておるような環境もございまして、また、野党におかれても、社会党、民社ともに、これに対しては、運転手の労働過重を来たす、必ず料金値上げにはね返って、それは物価へはね返るではないか、あるいは、道路財源が足らないなら
一般財源を充てればいいではないか等々の理由によって、はっきりと反対の
立場をとっておられましたので、単独採決というようなこともないわけではありませんが、しかしながら、税法等で単独採決をやったような例はほとんどありませんので、第一回の場合は、施行期日等のもっと先であるということが原因になって、これが継続
審議と相なりました。
次の
国会は、アジア開銀のためのわずか短期間の臨時
国会でございました。アジア開銀法以外は
審議をしないたてまえの内定をいたしたのでありますけれ
ども、われわれといたしましては、この税法は、
国会に、一ぺん国が
課税する意思を表明して出してあるものであるから、これを短い
国会であっても出さないということは、政府の意思の一貫性を欠くということになるということをもって、われわれのほうで強く
国会に提案することを主張し、したがって、実質
審議はアジア開銀法を中心といたしまして行なわれまして、結果は、予想どおり、これは時日から見ても、継続
審議と相なったわけでございます。
次の
国会は、日韓
国会といわれる
国会でございまして、いろいろと
審議はしたのでありますけれ
ども、会期末においては、非常な混乱のもとに、各種の
法案が廃案と相なった経過は、各位御記憶のことと思いますので、その飛ばっちりをもって、この
法案も廃案と相なったのが真相でございます。
今日までの過去を振り返ってみて、通常
国会が十二月の末に召集をされて、その通常
国会の冒頭に、利害
関係のある税法、しかも新規の税が、
国会で、衆参両院を通過して法定されたという例はほとんどないのでありますけれ
ども、私
どもは、たまたまその四十年の末に提出されました財特法——財政再建債特別措置法というものが、どうしても起債市場等の
関係から、一月にずれ込んで可決されたのでは困る、したがって、衆参両院で、これを、十二月のあわただしい歳末であるけれ
ども、通してもらいたいという政府側の
立場を是といたしまして、野党等の御支持もございましたので、大蔵
委員会を招集し、そのときに
LPガス課税についても、もう法律による原則の施行期日はすぐ一月一日と目の前に迫っておるのだから、これを通さないというのはおかしいという
立場のもとに、三党が意見を一致いたしましたのが、それならば急速なるショックを避けるのだという意味において、第一年度が五円、第二年度が十円、第三年度が十七円五十銭、第三年度において、いわゆる税率のあるべきバランスを、目的を達成するということを共同の修正案の中に盛り込みまして、それを三党で可決をいたした次第でございます。もちろんこの修正案は、三党一致で
衆議院の
委員会並びに本
会議を通ったわけでございまするけれ
ども、社会党の抵抗は参議院において、さらに
委員会において——
衆議院は賛成でありましたけれ
ども、参議院において反対の
立場を表明された。事ほどさように、この新しい税をかけるということについては、ただこれがいたずらに延引されたということの反面には、延引されつつも非常な努力をもって、これが
成立しなければ、税のバランスがくずれ、そしてまた道路特定財源の確保というものが危機に瀕し、日本の経済成長のボトルネックといわれておる道路の振興というものに影響があるというような
立場に徹し切って、推進し続けていったものもあるわけでございます。