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稲田説明員 当初帝国ホテルを現地で
保存するという問題が論議せられておりました。私
どももできるならばこれを希望いたしました。かりにもしそれができますなら、そして
所有者、経営者の同意が得られますなら、そして将来それを現地において
保存確保する見込みがありますれば、これを
文化財として指定することも可能であろうと
考えたのです。指定いたすこととなりますれば、それに関しまして、これは
予算の問題でございますけれ
ども、筋合いとして国の援助というものも
考え得るということになったわけでございます。しかしながら、これにつきましては、一面ホテル経営者の企
業者としての企業意欲というものもございます。これに対しまして、私
どもは
文化財の立場において
保存をただ要望することはできます。しかしながら、私
どもがよりどころとして、たてとして、武器として使いまする
文化財保護法は、先ほど
長谷川委員にも申し上げましたように、あくまでも
所有者の意思尊重、
所有権尊重主義でございますので、これはただ念願として希望するだけにとどまるわけでございます。
一面また、私
どもは、かなり早くから帝国ホテルの
現状について専門家が
調査いたしておりますので、その
調査の点について伺ったのでありますが、これは技術的に見まして現地において
保存をいたしますことが非常に困難である、経費も時日も、また技術としても非常に困難である。しかもまた当初から、地下工作の
不備から不同沈下による亀裂あるいは傾斜等が非常に進んでおります。それを直すことの困難もございますし、また、御承知のように戦災で六割は焼けて材料を補っておったり、あるいはホテルの使用便宜から当初の様子が非常に変わっておったり、結局当初のものがあそこに残っておりますのは玄関なり、ロビーなりあるいは宴会場の廊下くらいであって、むしろ当初からのものが残り少なくなっているといったような技術的の点から、これはしょせんあの
土地において
保存することは困難であり、またそうした意義等も
考えまして、これに対して悲観的な見方をいたしたわけでございます。そこで、かりに設計図により、
調査書により別のところに再築するとなれば、当時「守る会」も申しておりますように、ただいままた
小林委員のおことばにもありましたように、なるべく記念すべき材料は確保して再建に用いたい。この点で私
どもは帝国ホテルとも折衝いたしまして、こわす期間をできるだけ延ばしてもらいたい、また、こわす
方法をそうした貴重材料を
保存するような
方法でこわしてもらいたい。これはその希望が達成されて、いまそのように進行中だと思います。
あとはただ設計図及び
調査書によってだれがどこに再築をするか、それにいまの貴重な材料を渡すか、こういう問題をなるべくすみやかに解決したいというのが私
どもの念願であって、私
どもが接触し得る、また
考え得られるそうした
関係者といままで接触してまいっている。こういうわけでございまして、私
どもの権限なり、いろいろな点においてできるだけのことはいたしておるつもりでございます。
かりに全面再築なりあるいは
部分再築なり、これを指定し得るかという問題になりますと、これは私
どもはかなり消極に
考えざるを得ない。そうなりますると、同じ規模、同じ形でたとえば平等院をつくった、あるいは金閣寺をつくった、これだって指定していいじゃないか、極端にはそういうことになります。そこまでは私
どもは指定しにくい。指定しないものは一体
補助できないか。これは別に
法律にあるわけではございませんけれ
ども、行政の
一つのけじめとして順序、先後、軽重を
考えましたときに、指定物件の
保存修理につきましても
予算がまだ十分でないという時期に、指定もしないものに直ちにそれがいま世間の問題になっているからといって私
どもが
補助に踏み切るということも、これは踏み切りにくい。この点も御了承願いたいと思います。そういうことで、私
どものできます限りにおいていまいろいろ頭を使っているわけでございます。どうぞ御了承いただきたいと思います。