○
砂田小
委員長 それでは、ちょっと私からも
発言させていただきます。
消費者というのは全
国民であって、その全
国民である
消費者というのは、本来四つの権利を持っておると思います。
委員長の御
発言の中にもございましたが、知る権利、安全の権利、選ぶ権利、意思を
反映する権利、この四つの権利というものを
政府と企業、
消費者が互いに確認して、尊重して具体化して、その線に沿った公正な取引の環境を整えていくことが
消費者問題の解決のかぎであろうと思うのです。ところが、現在の
消費者は、次第に企業に対して疑いの目を向けつつあります。合成繊維混紡の純毛毛布と称するものであるとか、あるいは牛肉と馬の肉が混在した牛かんであるとか、レモン飲料、色づき
牛乳の
表示の問題、上げ底や額ぶち式、量目不足、その中で特に問題なのは、有害なプラスチック食器でありますとか、有害な薬品、有害な化粧品、有害な残留農薬、あるいは有害な食品添加物等、人体にそういった危険のあるような
商品までが監視の不十分に乗じて相当数出回ってきて、
消費者の信頼を裏切るような事件が相次いで最近は起こってきております。
これらは、全体から見ますと限られたごく一部の企業の所業であって、マスコミがトピックとしてはでに取り上げられるほどは実際に普遍的でない場合もあります。しかし、特に注目すべき
一つの傾向は、こういう望ましくないやり方は、かつては名もない企業でありましたのが、最近は著名な大会社すらこれに名前を連ねるような残念な
状態になってきております。
一方、
消費者は、近代
商品の真偽やその良否を識別する能力がほとんどない。新製品や新しい形の
商品がどんどん出てまいりますけれ
ども、そういった新しいものがどんどん次から次へ出てくるものですから、
消費者は自分の過去の使用経験も生かせない、こういう
状態になっております。このまま放置しておきますと、
消費者は、
生産、販売も含めました企業全体に対して非常に大きな、深い不信感を抱いてしまうようなことになるのではないか。このような事態が起こりましたならば、
消費の場所だけの問題ではないと思うのです。事業にとってももちろんのこと、
国民経済の全体のためにきわめて好ましくない不幸な
状態といわなければならない。
消費者の利益と企業の利益というものは、そういう点でも絶対に相反するものではない、一致するものと私は
考えるのです。
消費者が何にたよって安全、良質、安価というその
経済原則を貫く購買決定をしたらいいか。その
基本的な国の
施策と
事業者の社会的
責任と
消費者自身の
努力の
方向を、一本の
法律の上に明確にしておく必要があると私も
考えております。
今日は、企業と
消費者の間に大きな力の格差が生まれてしまっておる。私は、そういう原因が大体
三つぐらいあると思うのです。
一つは
生産優先の思想であって、二つ目は企業の販売戦略が非常に高度化してきた、
三つ目にその
消費者自身が元来弱体であるということ。この
生産優先の思想というものは、すべての人の心の中には、収入に結びついた
生産の仕事が第一で、これに一家の死活がかかっておるのだ、そういう
考えがあるのは、これは当然なことでありまして、明治以来
経済水準が低かったわが国の
政治も
行政も、増産一筋に励んでまいりまして、
国民所得をふやすことが先決であって、
消費はおのずからそれに伴っていくものだ、こういう
考え方で来ておるわけであります。
私は、それはそれで別に間違いじゃなかったと思うのです。間違いだったとは言えない。
国民生活にいたしましても、その成果を十分あげてきておると言っていいと思う。明治、大正、
昭和と
国民生活が向上してきたことは、だれもが認めるところでありますが、しかし、最近の急速な
経済発展、
経済成長によって
生産の問題は一応の大飛躍を見た。それだけに
消費面のおくれが特に目だってきて、国際競争力を十分持ってもらわなければならない日本の企業、産業のことでありますから、そういうところに産業
保護的な
行政が今後も続けて行なわれていくことは、それはそれで今後もそうなければならないと私は思うのです。しかし、長い間続いてまいりました
生産第一主義という、そういう
考え方の余波だけはこれ以上続けるべきではない。今日以上の企業の効率的な、企業のほんとうの実力養成の面から
考えても、同様なことが言えるのじゃないだろうか。
次に、企業の販売戦略の高度化ということですが、
経済成長によって、いわゆる高度大衆
消費時代に入っております。企業間、産業間の販売競争が非常に激化をしてまいりまして、その販売戦略は、コンピューターの活用等もあり、きわめて高度化してきている。この高度化された販売戦略というものが
消費者を操縦をして、その主体性をすら失わしめるようなところまで、そういう事態になってきている。
消費者の弱体であるということは、これはいま皆さん方もそれぞれお述べになったとおりでございまして、最大多数の集団であるのですが、残念ながら意識は低い、有効に
組織化されない、その力はきわめて弱い、そういう本来的な素質を持ってしまっている。こういった
三つくらいのことを原因として、企業、
消費者間の力の格差は開くばかりであります。
売買取引においては、買い手はみずからその選択に
責任を持つべきなんだ。もしだまされたら、それはもう自分の眼が悪かったのだ、自分の
努力が足りなかったんだという従来の
考え方は、企業、
消費者間の力の格差がこれほどまで開いた今日は、こういう
消費者の自己防衛を期待するということは非現実的だろうと
考えます。むしろ買い手
責任主義の時代から売り手
責任主義に転換するべき時期が来ているという気がするんです。要するに、
生産面と
消費面の断層の
調整を行なう
態度を、新しい時代感覚を持って、
政府もまたその
基本姿勢として明確にするべきときがきている、そう私は
考えます。
このような
考え方に基盤を置きまして、私
どもの自由民主党の政務
調査会の中に
消費者問題に関する小
委員会というものを設けまして、ここで検討、勉強を続けてきておりますが、この問題の研究の過程で第一の大きな問題点は、
消費者問題をどういうスケールで取り上げていくか、そういう問題でございます。
消費者の持つ四つの権利の権利宣言的な
考え方で取り組むのか、そういうスケールで
考えるのか。
物価政策、流通
政策に干渉するところまで広げてこれを
考えていくのか。あるいはまた、さらに、よく最近言われるように、企業はその利益の分配を賃金、配当という社内分配だけで済ませるべき、そういう時代ではないのだ、
国民生活に奉仕をする
経済というふうに
考えられる、そういう新時代では、企業の利益分配は社会にもまた還元されるべきだ、そういうような
考え方までもう
一つ広げてこの
消費者問題と取り組むのか。この
消費者問題の取り組み方のスケールの問題、範囲の問題、これは
一つ非常に大きな問題でございます。
きょうは、ひとつ
消費者の権利宣言的なスケールで取り上げると仮定をして
考えてみますと、それは企業界に公正自由なフェアプレー競争を促進して、
政府は、
消費者が賢明に選択できる条件を
整備する。
消費者がみずならの
生活向上と
経済全体の効率化を促進するために、きびしい選択に
消費者自身が
努力をする。こういうところに問題解決のかぎがあるのじゃないか、こう
考えるものでありますから、その範囲で立法を考慮するのならば、その
内容は、先ほど
委員長がお述べになった幾つかの項目、ほとんどあれで言い尽くされていると思います。
私が
考えましても、国の責務として
考えられるのは、一、
危害の
防止、二、
計量の
適正化、三、規格の
適正化、四、
表示と広告の
適正化、五番目に、いま申し上げた四つの問題の監視、
確保、六、公正な自由な競争の場所で形成されるべき
価格の問題、七、啓発
活動、八、苦情処理体制の
整備、九番目に試験検査施設の
整備、十番目に
消費者の
意見の
反映、こういうことじゃないかと思います。
国の責務はいま申し上げたようなことですが、
事業者の責務としては、やはり
危害の
防止、
計量の
適正化、規格の
適正化、
表示と広告の
適正化についてみずから自警的に
措置をする、さらに、苦情処理の企業内または業界内での自警的体制の
整備ということも、やはり企業責務の
一つであろうと思う。三番目には国の
実施する
施策に
協力をする。さらに、
消費者自身の責務としては、必要な
知識を積極的に修得をして、合理的な行動をするようにつとめるという責務があると思うんのです。こまかなことかもしれませんけれ
ども、きのう、きょうの新聞をにぎわしているような、有害な漂白剤の残ったサトイモのことが問題になっておりますけれ
ども、皮のついたままのサトイモでは買いたくないのだ、少々二割や三割高くてもまっ白なサトイモがいいんだという
考え方は、はたして
消費者がほんとうに
消費活動する、そういった必要な正しい
知識を持っているかどうかという疑問点を私たちに投げかけている問題であろうと思います。
さて、そこで
基本法という名前の
法律自体の問題ですが、
基本法であればどうしても
訓示規定的な書き方となって、その実効がややもすれば批判を受けておりますが、全
国民を
対象にするという
消費者問題でありますだけに、言いっぱなしの
基本法ではかえって
国民の期待を裏切るものであって、むしろないほうがいい。
基本法という名前の
法律であるからには、よほど心して私たちは取り組んでいかなければならないと思うんです。やるからには効果のあるもので絶対なければならない、特に与党としての
責任もあることでありますから、十分この
責任をわきまえてかからなければなりません。そこで、
委員長が先ほどお述べになりました十四、五の
関係法令を、
一つ一つ検討する作業をただいま始めております。これらの法令は、今日まで
各省とも、これが私
どもの役所の所管をする
消費者行政でございます、そういわれますけれ
ども、その十四、五あります法令のほとんどが、立法の時期には
消費者保護という
立場から
考えて立法された
法律ではない、公衆衛生上の
立場から、あるいは企業の
生産する
商品の
品質を高めるためにという角度、そういう角度から
考えられて立法されたものであって、
消費者保護という角度から
考えて立法されたものでなかったということは言えると思う。これらの法令は、いまのままでは、もう
消費者保護というものさしには合わなくなってきてしまっているんじゃないか、そういうことを、この法令を所管している
各省の係官
自身が身にしみて感じているところでございます。
そこで、これらの法令の指定品目をふやすとか、あるいは規格でありますとか基準でありますとか、そういうものを引き上げたり、
表示方法を
消費者に識別しやすいように改善するといった法令の一部改正をするだけで、はたして
基本法の精神に沿うことができるのかどうなのか、新たに
実施法的な立法を別に
考えなければこのことの解決ができないものであるのかどうか、あるいはまだ、立法時の社会環境とすっかりもう様子の変わってしまった今日では、むしろこんな
法律はないほうがいいんじゃないか、悪作用にしか働かないから、もうやめてしまったほうがいいという
法律もあるんじゃないかなどなど、こういった点をただいま熱心に検討いたしておる
段階でございます。
消費者問題の取り上げ方のスケールについて一言いたしておきたいと思うのですが、
消費者問題というものを流通問題のある部分だけにでも広げて検討してみたらどうか、そういうことを考慮しておりますけれ
ども、この問題については、きわめて困難ないろいろな壁にぶつかってしまっております。
一つの例を申し上げますならば、たとえ
物価委員会でも問題が提起されております米の流通改善、この問題を
考えてみましても、米の小売り屋さんにわれわれ
消費者がもっと自由な登録ができるような、そういう
制度の政正をやって米の小売り商にいまよりも自由な競争をやらせてみたらどうか、そうすることによって、われわれ
消費者にまずい米を配給する米屋をなくしよう、こういう
考え方が食糧庁の小売り店、流通改善策の
一つでありますけれ
ども、しかし、その米の小売り商には、小売り商
自身にうまい米、たとえまずくても安い米というような仕入れの自由があるんだろうか、今日の食管のあれでいくと。小売り屋さん
自身仕入れの自由がない。食糧事務所の需給計画によって、同事務所の意思決定だけで、内地米、準内地米、外米というものを一緒に並べて、そのおのおのの内地米、外米、準内地米というもののパーセンテージまで食糧事務所の意思で決定されて、食糧事務所の決定だけで配給されている米屋さんたちだったら、もうそこの時点でわれわれ
消費者にとってはうまい米、たとえまずくても安い米というような選択の自由が失われてしまっている。米屋の仕入れの選択の自由がないのであれば、その
段階で
消費者にも当然選択の自由がない。むしろ私たち
消費者にうまい米を配給しろというわれわれの意向は、流通問題を通り越してしまって、まずくてもたくさんとれる米、まずくても多収穫米をつくろうという気持ちを農家に持たせてしまっている米の
生産行政こそ問題点がある。そこで、われわれの要望するところが、流通問題を通り越して
生産問題にまでいってしまう。こういうふうに流通問題を
消費者問題に持ち込もうといたしますと、流通問題だけでは済まされなくなってしまって、
生産行政にも波及せざるを得ない。八幡のやぶ知らずのところまで迷い込んでしまう。こういう困難に実はたくさん直面をしているのであります。なお引き続いてこの問題は研究をいたしますけれ
ども、非常に困難な面にたくさんぶつかっているということだけはお話し申し上げておきたいと思います。
この機会に、私は、
消費者問題を
考えるのに
一つの実例を申し上げてみたいと思うのです。
さっき
委員長のお話にもございました
兵庫県の
生活科学センター、これは神戸市の三宮に
兵庫県の施設としてありますが、この
生活科学センターに、ある主婦から輸入品のびん詰めのイチゴジャムが持ち込まれました。メーカーは英国の世界的に信頼されている有名な大食品メーカーであります。あまりにもきれいなイチゴジャムなので、一人の主婦が人工着色されてないかどうかということを検査してほしい、こう言ってこの
兵庫県の
生活科学センターにイチゴジャムを持ち込んでまいりました。同センターは
兵庫県の衛生研究所に依頼して分析の検査をいたしましたところ、有害であるために使用を禁止されているいわゆる法定外色素の赤色一〇一号というものが検出されました。そこで同センターは、その主婦がこのイチゴジャムを買いましたデパートに連絡をして問い合わせてみましたところ、そのデパートの大阪の店で
商品を自己検査をしたところが同様の結果が出たので、同系統の全国のデパートでは販売をやめて納入先に全部これを返品した。念のために大阪市の衛生研究所へ検査を依頼したところ、同研究所から回答がありました。赤色一〇一号が検出されたという返事であった。
生活科学センターは大阪市の衛生研究所に対して
行政措置をとらないのかという申し入れをいたしましたところ、
法律では研究としては
措置をとる必要がない、検査依頼のあったところへ回答するだけで事は済むということでありました。
兵庫県の衛生部、神戸市の衛生局は、厚生省に販売禁止の
措置をとられるよう申し出をいたしましたのですが、厚生省も、当該
商品は厚生省
自身で検査したのではないから、厚生省ではその
措置はすぐにはとらない、
兵庫県衛生部、神戸市衛生局から全国の都道府県知事、政令による特別市に対してそれぞれ連絡されてはどうかという回答がございました。そこで、
兵庫県の県知事名、神戸市長名をもって各府県、各市長に連絡をいたしました。各府県市は、それぞれの
責任で販売禁止の
行政処分を行なったのであります。その後におきまして、厚生省もみずからこのジャムを検査いたしまして、
行政措置を厚生省自体もとりました。
この問題は、いま行なわれている
消費者行政の欠陥というものを幅広く、深く私たちに
考えさせるものがあると思うのです。だれ一人この問題で
法律を犯した人はいない。法の定めるとおりに事は運ばれたわけです。しかしながら、これでいいとする人は、私は一人もいないだろうと思う。それでけっこうだったと言う人は、また一人もいないじゃないかと思う。輸入食品の監視員というのは、ただいま十の港に十九名しかおりません。したがって、こういう小人数でありますから、膨大な量、品種で輸入されますその輸入食料品の六%しか監視ができていない。その間隙を縫って国内で販売されてしまった。ここから、輸入の港の窓口のところからスタートいたしまして、安全の
確保の問題
一つを
考えてみても、現行の
食品衛生法が、いまはもうものさしには合わなくなってしまっているということを物語っていると私は思うのです。しかし、また一方では、
消費者の要望を受けて
商品テストを直ちに行ない得た、そういう機関を
兵庫県が持っていたこと、さらに、全国に販売禁止の
行政処分を要請するところまで問題を追い詰めることのできたこの
生活科学センターの働きは、
地方公共団体の
消費者行政のこれからのあり方について私たちに示唆を与えますと同時に、自信を持たしてくれるんじゃないか、こういうことを感じるのであります。
私は、いま
食品衛生法に
関係のあることだけを
一つ取り上げて実例を申し上げたのですが、厚生省の
食品衛生法を所管している担当官諸君も、またこの
法律を
消費者保護の角度から検討しなければならないんじゃないかということを専門的に、非常に熱心に研究しておられますことも、特にこれは申し添えておきます。
私たちも、いましばらく党の機関でこの
消費者問題について研究、検討いたしました上で、実効のある
実施法をうしろに従えた
基本法案の
試案を携えまして、同憂の友であります野党の諸君と、共通の広場にできるだけ早い時期に集まりたいと
考えておる次第でございます。
以上、私の
考えを申し述べさしていただきました。
他に御
発言、ございませんでしょうか。