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藤田藤太郎君 まああなたの話を聞いていると、
健康保険で精一ぱいだったということで、一言で言えば落ちつくわけでありますけれ
ども、
厚生大臣におなりになるというときには、私はあなたばかり責めるのではなしに、厚生省の次官以下の職員の諸君も、
厚生大臣ですから、
厚生大臣が裁断をみな下すのだから、
厚生大臣には
厚生行政というものはかくかくのことをやらなければならぬということをもっとやはり
大臣に教えなければいかんと思うのですよ。ですから、当面の問題だけで一生懸命だったと正直におっしゃっているのかどうか知りませんけれ
ども、これでは私は一国の
日本のいまの
経済のひずみの中心省であります厚生省の
大臣といたしましては困ると私は思う。私はそれじゃこれは一応置いといて尋ねますけれ
ども、今度の健保の赤字対策とおっしゃっているけれ
ども、私たち
社会労働委員会でこの
健康保険、政管健保の問題と取り組んだのは
昭和三十二年ですね、当時五十四億の赤字が出て、それをどう始末するかということで、五十四億の赤字を何とかしてもらわなければならぬと一生懸命におっしゃった。そうして私たちは徹底的に反対したのはなぜかといったら、患者に
負担させようという思想なんですね。そこで反対をした。そのかわりに、われわれは残念ながらあそこで結末をつけたのは、三十億の金を毎年積み立てて、
経済や
国民生活、医療費の上昇において、それはスライドとははっきりしていませんけれ
ども、少なくとも最低三十億を毎年積み立てて政管健保のこの
財政を守っていく、そのためにもうやりませんから、一部
負担――
入院料と
初診料を
負担してくれと言って一生懸命に頼まれた、これが一つ。それから、もう一つ出てきたのは、これは学者先生でございました、健康な者と
病気になった者と同じに
保険料を出しているのだ。
病気になって診察をしてもらい、
給付を受けることは健康な人より得をしている。よけい利益を受けるのだから受益
負担は当然だという
意見がここで出てきた。そういうことなら、あなたは
社会保障の学者じゃない。
社会保障はそういうことを研究するところか、学会というものは、と言って大
議論をしたことを、十年前のことですが、いまだに思い浮べる。残念ながら、そのときには一部
負担は反対いたしました。いまでも反対であります、患者にその
負担をかけるなんて。そのとき、
病気は個人の
責任である、個人の
責任だから、個人が
給付を受けたりするのは、それは受益者
負担であたりまえだということをおっしゃった。そして私は
議論をして、そんなばかなことはない、こんなばかなことがあるかと言って大いに
議論をして、その
議論は消えた。そうしたら、そのあくる年から十億は打ち切って、たった五億しか出さぬ。健保が黒字になってきた。出す必要はありませんと言ってずっと出さぬでおいて、今度赤字になってきたら、赤字の処理は、昨年の白書に出てきたように、労使の
負担で全部かぶせてやるんじゃあまりみっともないから、ちょっと出そうかと言って
政府が百五十億出してきた。ことし赤字が出たら二百二十億で、七百五十億、
あとの五百億あまりは被
保険者のところまで
議論がいったらそういう
議論になるのだけれ
ども、まあ非常に
受益負担論が出てきてこれどうなるのですか、前のことを知らぬとおっしゃるのですか。いまのようなことになってくると、前のことを知らぬ、いま私が
大臣をしているのはことしだから、ことしの分だけはおまえら出せ――おまえらということじゃなくても、被
保険者が出せばいいのだ、それで償えばいいのだという、それは食言ですよ。その食言の歴史はたな上げをしておいて、ことしの
負担は労使によって
負担せよ、患者が
負担せよというような
議論が、これが
健康保険の始まりですわ、去年から。その私が一番先にあなたや
経企長官に
質問したそこから問題が出発してきている。それで、ちょっと
健康保険に赤字が出てきたから、また昔の
議論を繰り返して、白書にまででかでかと出ているのだけれ
ども、これから労使の
負担で一切
社会保障をやっていくんだということを言って、
経済計画の中には、
保険料の値上げでまかなうのだという言い方をしていた。こんなことであなたの観念的な
責任論、
厚生大臣という職に対する
責任論といまのお話と、まあちょっと言い過ぎですけれ
ども、場当たり的ですね。場当たり的な
厚生行政というものが
大臣によって行なわれるということは、私は残念でしようがないのです。だから、もう繰り返しませんが、一番最初に明確にしたかったので
社会保障とは何かということを繰り返した。その
社会保障の富や
所得の分配というしん柱が、
厚生行政というか、あなたのしん柱がないからこういうことになってきたのじゃないですか。しん柱があれば、
生産力が五倍になっているのです、三十五年から。いまの話は三十二年です、四倍になっているのです。それだけなっているのに、
国民はそれで三〇%足らずの
所得しかない。それに、全部その発想のしかたは使用者と労働者の
負担じゃとかかっていく。弱い者いじめの行政というもののきっかけを
厚生大臣はおやりになるというと、
厚生大臣は
国民の
政府なのか経営者団体の
政府なのかとまで極論をしたくなるわけです。だから、あなたは、いまの
社会保障の
議論ですけれ
ども、
社会保障のそれだけのはっきりしたものがあるのに、いやいや、どうも目がつかなんだ、これだけやってきたのだというだけで、正直でいいか知りませんが、それだけでは
国民はいまの内閣の
厚生大臣を任命したのじゃないと私は思う。いまの勧告もしかり、
健康保険の
昭和三十二年からの
あと処理もしかり、まずこの
責任からひとつ
政府はとってもらわなければ、私たちとしては、
健康保険の今度の赤字は君たちで持てという
議論には、なかなか私は屈することができないのです。そこらをお考えになったことがありますか。この
国会に来て、また
国会の
議論の中でお感じになったことがあるのでしょうか。私はまずそこから聞きたいのですよ。厚生省のものの
考え方をただしたい。あまりにも一貫性のない行政というものがかなりあるのです。
社会労働委員会というのは、
社会保障に限って、そんなにみんなが角を突き合わして
議論する場じゃないのです。どうしたら
国民の
生活を向上さすことができ、
国民の生命、健康が守れるか、この
議論をするのが
社会労働委員会ですよ。われわれの対象とするところに資本家階級や大会社や産業があるわけじゃない。私たちの労働行政にしたってそうです。
厚生行政にしたってそうなんです。働いている労働者と困っている
方々、みんな勤労
国民の
生活をどうしよう、
病気をどうしよう、突発した事故をどうしようということをやるところですよ。
私はもう一言このことについてつけ加えて、
大臣にあらためて御
意見を承わりたいと思うのでありますけれ
ども、この間できました公害
基本法で、私たちはここで連合審査をやろうと念願しておりました。しかし、残念ながら連合審査をせずに終わったのであります。あの公害
基本法で厚生省の環境衛生局が事務局を担当する、そうして目的の第一が人命と健康を守る、あわせて、
経済との調和のもとに施策を立てるのだ、こういう
生産優先のいまの
経済の動きを見たってそうですよ。片一方は四倍になる、労働者はたった三〇%しか賃金が上がっていない。こんな状態で
生産第一主義で行なわれている今日の
経済政策の中で、人命と健康を守る、あわせて、
経済と調和と言ったって対策なしという結論以外には何もないじゃないですか。これをあなたは厚生省の環境衛生局で事務局を担当するというのですよ。あなたはそのときに何とおっしゃったのですか、その閣議で。いかにおとなしい
社会保障制度審議会でも、全部が腹を立てて、そういうものの
考え方は間違っておるということを
政府に出したでしょう。
大臣、どうお考えになられたか。この三点を
大臣はどう解明されるのか。この解明のもとに初めて私はこの
健康保険法の問題に入っていかなければならぬと思うのです。さきの
経済の
バランスの問題と、この具体的にいま申し上げた三点、これを解明してくれなければ、われわれは法案の
審議にどうして入れるのですか。全く
基本的にそうですよ。労働者も勤労
国民もそう思っておりますよ。この
改正案は、単に
政府管掌の
健康保険だけでなしに、共済健保から、しまいには
国民健保までこれが派生していく問題です。患者からしぼり上げるそんな
社会保障がありますか。今度の
保険の場合の問題その前提になるこのつながっておる問題を
厚生大臣は今日どう考えて
おいでになるか、これが前提じゃないですか。この前提をつまびらかにせぬ限り、そっちに入れないじゃないですか。まだ
基本的な問題があります。私は次に言わなきゃならぬのは薬の問題であります。
医療制度の中で、全体が、医者も看護婦も病人も、
保険者も被
保険者も
医療制度の中におるのに、ひとり薬をつくる製造業者だけは、
自由主義経済の中で大手を振ってこれに取り組んでいるじゃないですか。(「そのとおり」と呼ぶ者あり、笑声)そうでしょう。まあこの問題は
あとにしますが、そうでしょう。この問題は重大な問題ですよ。これはあなただけに言うのじゃない。しかし、これはまあ私は、前段の三点を
厚生大臣はどう考えるか、このことを明らかにしなければ、
法律案の
審議に入れないじゃないですか。