○大森創造君 あの
昭和三十六年の十月二十七日に売り渡し取り消しの
指令書が出ている。それから一年たってから木更津市の市長や議長やその他の
関係者が、ひとつ工業高等学校をつくるのだから土地を提供してくれろという話があった。それから問題は、この土地の買い戻しが
決定、売り渡し取り消し
指令書の交付ということでございますが、これが木更津市の農業
委員会の要請によって木更津市市役所において、売り渡し取り消し
指令書名あて人に対し、
昭和三十七年十月五日県職員から云々と、直接
昭和三十六年十月二十七日付の売り渡し取り消し
指令書を交付したというところがございますが、ここがどうしてもわからぬわけです。そのときに、市役所に耕作人たちが呼ばれて、市長の応接室で話し合いをしたことは事実でございますが、そのときにおいでになった人は、そのときの市長の浜名儀三さん、この人は現在県
会議員になっております。それから当時の県
会議員の斎藤真
三郎という人、この人は現在は日東交通の営業所長をやっておりますね。その当時は
関係がなかった人です。
内容的には
関係があっても、表面上は
関係のなかった人です。それから学校誘致の期成同盟
会長の北見さんという方、この人は現在の市長です。それから県の農地課の係長の渡辺さんという人、それから市の農業
委員会の係員が立ち会っておるわけです。そこでその交換覚え書きがかわされておるわけです。ちょっと読んでみまするというと、「下記土地の転用借受について次のとおり協議が成立したので覚書二通作成各自署名捺印して保存するものとする。」そして土地の表示がありまして、その次協議事項としてこう書いてある、「上記土地の埋立造成費として一金二百三十万円也を転用借受申込をし将来払下申請をする日東交通株式
会社より土地埋立造成者に支払うこと、支払期日及支払条件については覚書交換期日に一金三十万円也を支払こと、残金二百万円については十月二十日に支払をすること上記土地の管理及処分については土地埋立造成者は一切の
異議を申立てないこと
昭和三十七年十月五日」ということでございますけれ
ども、ここでふしぎなことに、この覚え書きというものは日東交通株式
会社転用借り受け申し込み者としてがっちりした判はありますが、あとは全部いんちきなんです、この判は。きょうは安田さんという人がお見えになっておりますが、「土地埋立造成者安田清一郎」という人の判こを見ますと、名前はないのです。上のほうに、ワクばかりの判こになっている。御本人がそこへ来ておりまするけれ
ども、これは私はそういう判こは覚えがないし、ついた覚えがないというのです。そういうものは手にした覚えがないのでしょうけれ
ども、いかがでしょう。いかなる合法的なプロセスを追って関東農地局や県や市の農業
委員会のほうでややこしい
手続をやりましても、こういうことが全部を証明するだろうと思うのです。この事件全体の証明をすることになるだろうと思うのです。さっきあの売り渡し取り消し確認書の中に承諾書がインチキだということを私申し上げましたが、この覚え書きというものは、
決定的な要因になっております。これは社会党の県
会議員の三松要という人が、ことしの三月あたりに千葉県会で友納知事と本
会議でもってこの点をただしましたところが、知事はいま私が読み上げましたこの覚え書きを示して、こういう覚え書きがあるからもう県は関知しない、がっちり所有権も何も日東交通のほうに移ってしまったのだと、こういうふうな
答弁をしております。そういう社会党の県
会議員の三松氏の発言と、知事の応酬によって初めてこういう覚え書きがあるということもわかったわけです。そこで、今度は安田清一郎さん、きょう参っておりますが、中村達男、佐久間隆、伊藤博八、横峯正雄という人、これは全部当たって私
ども聞いてみたのですが、そうしたら全然知らないのですね、こういう覚え書きは。そうすると、これはちょっと、きょうはここにおいでになっておりますが、一番最初に書いてある安田清一郎という人の判こはこれは偽造ですよ。これはまるいものしかない。中に何にも書いてない。それから中村達男という人と、佐久間隆という人と、横峯正雄という人は、これは土地を買い受けた権利者ではないわけです。どういうわけか知らないけれ
ども、それぞれせがれさんの名前が書いてある。むすこさんの名前が書いてあるわけです。どうしてそういう作意をするのですか。権利者じゃないのです。むすこさんの名前が書かれていて、そうしてこの覚え書きがあるから、もういまさら四の五の言っても始まらないということで、県議会で知事との
答弁の材料にされておるのがこの覚え書きなんです、これは。
それから問題の三十七年の十月五日という日は、いま申し上げましたように売り渡しの取り消しの
指令書を市役所において——この場所は市長の応接室でございますが、先ほど申し上げましたような方々が工業高等学校をつくるのであるから御協力願いたいということでもって相談があったのであって、肝心のこの覚え書きの転用借り受け申し込み者であるところの日東交通株式
会社の人は一人もお見えになっていないわけです。そこで、これは三松県
会議員の発言によって私
どもはやっとわかったのでございますが、この書類はどこにあったかといえば、中村さんという方、そのむすこさんの名前になっておりますが、中村さんという方のところにこれがあって、ほかの五人のところには全然ないわけです、この書類が。むすこさんの名前、一人一人に当たってみたら、全部私の判ことは違いますと、こう言っておるわけです。ほんとうの判こは日東交通株式
会社の判こだけがこれは本物なんです。ですから、私も耕作開拓農民の人もわからないのですよ。県の
手続や、関東農政局やあるいは農業
委員会の
手続というものはどういうことかわからない。ただ、はっきりわかることは、何だか知らないけれ
ども工業高等学校をつくるのだ、そのことについてわれわれは協力してほしいと言われたから、ひとつ協力いたしましょうという態度でやってきた。農地は惜しい。ただ、半分はこの水深三メートルあるということで現に耕作しているのですよ。営営辛苦して耕作りっぱにできるのですよ、この農地は。だけれ
ども、工業高等学校でひとつ協力してくれろということで、いろんな
会議を持たれて、そうしてみんな呼び出されていろんなことを言われたので、ついに承諾いたしましょうということになった。ところが実際はそこで開拓農民の人は市役所に行っているのですよ、だめ押しに。工業高等学校はいつできますか、それをいったらば念書が幾つも入っておる。工業高等学校はできます、そのために農地を使いますというのが、これは二枚ぐらいありましたね。念書、「貴殿が多年に亘り市内貝淵字北浜田五六二の七一田」これこれ、こうあって、「工高誘致運動のため貢献するところ誠に大であり感謝に堪へませんよって10月20日に感謝の意を表するため金50万円也を調達支払申すべくここに申入いたします」こういうものがあって、木更津市長濱名儀三、木更津工高誘致期成同盟
会長北見日吉。それで安田清一郎さん初め、五人の人にこういう念書を入れております。そこでさらに不安に思って行ったところが、こういう念書が入っているわけだ。「貝淵地先に
昭和42年3月末日まで」というと、ことしの三月末日まで。だからどうしても私はおかしいと思うのです。ことしの三月三十一日までに「県立木更津工業高等学校(仮称)の誘致についての見通しがつかなかったときは改めて協議致します。
昭和39年3月30日」木更津市長職務代理者木更津市助役云々と、木更津工業高等学校誘致期成同盟
会長北見云々。そこで立ち会い人までちゃんと書いてあるわけですね。ところが現実はどうかとなると、高等学校は全然別なものができているわけです。そこで現状はといえば日東交通株式
会社の当時取締役社長であった中村庸一郎さん、この人は衆議院議員、この人が一万坪の池を持っていた。この池をどういう名目かわかりませんけれ
ども、私は断言してもいいようなものだが、ここでは断言しませんが、市が高等学校をつくるという名目でもってこの池を全部埋め立てした。その隣りにあった場所が問題の開拓地でございますから、この開拓地を今度はやっぱり高等学校をつくるのだから、日東交通のこっちの池のほうも、中村さん所有の一万坪の池までも埋め立てをして高等学校をつくるのだと、ついてはあなたのほうの開拓地というのは工業高等学校をつくるのだから、ひとつ提供してくれということでもってこれをやった。現実はそうでない。高等学校ははるかに離れたところへできちゃって、現状は全部池も埋め立てられて、その開拓地というものは日東交通の車庫及び自動車
整備工場並びに女子職員寮、これは市長が改選になってから矢つぎばやにできつつあるわけです。安田清一郎さん初め、何ともわけがわからぬので市役所に行ってみるというと取り合わない。どういうことなんであろうか、一体いま御
説明いただきましたけれ
ども、工業高等学校誘致の問題と、それから日東交通という
会社の開拓地の利用の問題についてどういう内情があったのでしょうか、これは
農林省の皆さん方はつぶさにはお知りにならないと思いますけれ
ども、何か電話でもかけていま御
説明くださいましたことをもう一回ひとつわかりやすくおっしゃっていただけませんか、どうもおかしいと思うのです。