○
横山委員 ところが、またいろいろなことを書いておる。与党の皆さんも聞いてちょうだい。あなた方にも関係がありますよ。「次に現行
憲法は
日本国家の根本法、最高法規として最大の尊重を受け擁護されなければならない。国民全体が
憲法尊重擁護の義務を負うていることは勿論であるが(
憲法に反しこれを破壊する思想を表現することは、思想内容は違憲であっても現在自由国家の寛容により放任されている)、
公務員は全体の奉仕者である点からいっても、
憲法に拘束され、それを尊重する義務は重い。
憲法第九十九条にはこの点が強調され、大臣、国
会議員、
裁判官その他の
公務員がこの
憲法を尊重し擁護する義務を負うことを明記している。(国
会議員を入れていることは意味深長であろう。)と書いているのですね。それから、次のほうには、「ところが世上私のやり方を、政治講話、思想講話と称し、いかにも
裁判官の政治的、思想的中立性の枠を破って偏頗な政治思想を公費で宣伝しているごとく言う人々がある。
国会からも盛んにこの声をあげる社、共両党の議員さんがいらっしゃる。これは私は専ら誤解から言われていることと信じたいのである。なおこれらの議員さんたちはみな平和
憲法擁護、
憲法改悪反対を叫んでいる
人たちである。それでは、どんなに現行
憲法を尊重し擁護する思想をお持ちであろうか。
憲法第九十九条には国
会議員も
憲法を尊重し擁護する義務を負うことが規定されている。これらの議員さんはみな社会主義制度を主張し資本主義制度を不合理かつ罪悪視し否認する人々であるから、その限度においては勿論
憲法を尊重し擁護する念があるとは言えないが、
共産党の人々は別として、社会党系の議員さんたちは政治的見解として、社会主義革命に成功した暁には、現在の共産国家のようなプロレタリアート独裁の政治形態を採るものと考えておられるかどうか。現行
憲法の議会制民主主義、資本主義政党を含む複数政党主義を維持される心算であろうか。現行
憲法上、社会党などの階級闘争理論に多くの問題が残されていると私は見ている。」
ここでこの人のものの
考え方を指摘をしたいのですが、まず第一に、こういうことを
裁判所広報の一ページに書くなということを言ったことについてごうも反省がないということが、第一に言えるわけです。そして、われわれに挑戦している。私は社会党の議員であるけれ
ども、いやしくも国
会議員として
お話しをし、同意を願って、そして
理事会で話があって、
最高裁の
事務総長がその意を受けてやったことを、そういうオーソドックスなことを考えずに
発言をした国
会議員に挑戦をしているということが第一であります。
それから、第二番目には、この人は自由民主党が
憲法改正を考えている――社会党が、また
共産党が、
憲法擁護と言いながら、実はどうのこうのと言っておるけれ
ども、同時に、飯守
裁判官は、自由民主党も
憲法擁護といいながら
憲法改正を考えておるということをどう考えているのか。きわめて一方的、社共両党に対するだけに
憲法論を展開して、独善的であるということが指摘をされる、そう言われると思うのであります。
それから「法の日に思う」という十月二日の鹿児島新報掲載等々、
新聞に連載をされております。ここであらん限りの罵倒を労働
運動に投げかけておる。たとえばこの種の階級闘争の特徴を列挙している。
「1、政治経済上利益になることは何もかも
政府や会社に要求する。その一部分が実行に移されると、彼らは、
政府や会社は決して国民や社員の利益になることを進んではやらぬのだ。われわれが
圧力をかけたので
政府や会社はいやいやながら実行せざるを得なかったと宣伝して集団の
圧力を誇示し、階級問の憎悪をあおる。2、
政府や会社の軸部との
交渉について、これらの人びとを反
労働者的政策の体現者のように描写し、憎悪と軽蔑の念を国民に起こさせるように煽動的な
記事を書き、演説する。そして使用者をつるし上げるような侮辱的
記事を慢性的に書く。つねに官庁会社の合理化に反対し、したがって生産性の向上に反対する。そして賃上げだけを要求する。合理化は使用者だけを利し、
労働者は労働強化だけを押しつけられると考える(革命は別問題とし、一体こんな公式主義的
考え方が勤労者の利益になるだろうか。これは労使協調否定の結果であり
結論である。)4、
政府や会社の方針には何でも反対で、代々の
政府、会社の
役員に対しつねに同種同様の悪罵を放つこと。5、何々闘争と、やたらに闘争の字を使う。6、
組合の場合、経済問題よりも政治闘争、たとえば安保反対闘争、反米闘争に重点を置き労組の政党化の傾向を表わす。7、
自分の気に入らない
法律はすべて
憲法違反で無効だと宣伝し、
自分たちに不利な
裁判は
裁判と認めないと公言する。」
枚挙にいとまがないのですが、これで七つ、まだたくさんありますが、この中で考えられることは、労働
組合に対する、労働
運動に対する一方的な憎悪感に満ち満ちておるということであります。もう労働
組合とさえ見れば、社会主義の政党とさえ見れば、本能的な憎悪感しかこの人は持っていない、こういう感じがするわけであります。これでは何が中立か。少なくともこの中に、使用者側の不行き届きな点、
政府の不行き届きな点が配列をされて対比をされる中で、労働
組合のおちいりやすい欠陥だとか、あるいは政党のおちいりやすい欠陥だとかあげられるならばまだしも、全文に満ち満ちておりますことは、全く社会主義政党や労働
組合に対する憎悪感である、感情的な憎悪感である。
〔「厳正な批判じゃないか」と呼ぶ者あり〕