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1967-11-22 第56回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    本小委員会昭和四十二年八月十一日(金曜日) 委員会において、設置することに決した。 八月十一日  本小委員委員会において、次の通り選任され  た。       久保田藤麿君    河野 洋平君       竹下  登君    中村庸一郎君      三ツ林弥太郎君    八木 徹雄君       小林 信一君    斉藤 正男君       長谷川正三君    吉田 賢一君       山田 太郎君 八月十一日  中村庸一郎君が委員会において、小委員長に選  任された。 ————————————————————— 昭和四十二年十一月二十二日(水曜日)     午後一時三十九分開議  出席小委員    小委員長 中村庸一郎君       久保田藤麿君    河野 洋平君      三ツ林弥太郎君    八木 徹雄君       小林 信一君    斉藤 正男君       長谷川正三君    吉田 賢一君       有島 重武君  出席国務大臣         文 部 大 臣 剱木 亨弘君  小委員外出席者         文教委員長   床次 徳二君         文化財保護委員         会委員長    稲田 清助君         文化財保護委員         会事務局長   福原 匡彦君         専  門  員 田中  彰君      ————◇————— 十一月二十二日  小委員三ツ林弥太郎君八月十五日委員辞任につ  き、その補欠として三ツ林弥太郎君が委員長の  指名で小委員に選任された。 同日  小委員吉田賢一君八月十八日委員辞任につき、  その補欠として吉田賢一君が委員長指名で小  委員に選任された。 同日  小委員山田太郎君同日小委員辞任につき、その  補欠として有島重武君が委員長指名で小委員  に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文化財保護に関する件      ————◇—————
  2. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 これより文教委員会文化財保護に関する小委員会を開会いたします。  文化財保護に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。長谷川正三君。
  3. 長谷川正三

    長谷川(正)小委員 今日、日本文北財保護の問題は、国土開発が非常な早さで進んでいるという現実の中で、多くの問題を包蔵しているわけでございますが、これに対処して国家の将来に対しましても万遺憾ない文化財保護の体制をつくるという意味で、本委員会文教委員会の中に小委員会として設置されたと思いますので、その角度から当面緊急を要すると思う問題について二、三御質問を申し上げますとともに、私は今度の小委員会運営等について若干の意見を述べさせていただきたいと思います。  そこで、先般国会が閉会となりましてから、閉会中審査の一環といたしまして、文教委員会関西方面国政調査に出かけまして、その際、奈良大阪京都等視察したわけでありますけれども、その中心は文化財保護の問題でございました。それにつきまして多くの方が現地視察されたわけでありますけれども、特に奈良におきましては平城宮跡の問題、藤原宮問題大阪におきましては難波宮の問題、京都におきましては現地視察はできませんでしたが、京都大学におきまして、樫原廃寺の問題と長岡宮跡の問題について、特に保存についての運動を起こされている学者の方の意見等を伺ったわけでございます。それらにつきましてはいずれもある程度国の施策が進んでおりますけれども、同時にまた、それぞれなお問題を残しておる状況でありますので、本日は、大臣のおられる時間も短いようでありますから、ごく要点だけ詰めて質問申し上げたいと思います。  まず第一は、平城宮につきましては、御承知のように相当の費用をつぎ込んでこれを全面的に国が買収をして保存をするという、文化財保護行政の中では一つの紀元を画するといってもいい大きな前進をしたと私は思うのであります。そこはたいへんけっこうでありまして、その後土地買収も進み、またその地区における発掘調査等も逐次進んでおると思いますが、その中で二つの問題が起こって、これが特に激突をしておる状況だと思います。  一つは、当初文献等に伝えられている平城宮跡を一応予想をして、そこを買収してこれを保存するという方向を立てて進んだわけでありますが、その際国道二四号線のバイパスをどうしてもつくらないと——これは土地改良方面から、あるいは交通問題の解決の面から問題が起こりまして、この宮跡発掘とあわせまして特に東一坊通りというのを新しいバイパスの形で復元すると申しますか、これは非常に意義があるのではないか、こういうような積極的意義づけもありまして、ここに国道二四号線のバイパスを通すという計画が、建設省でありますか道路公団でありましたか、ちょっとはっきり記憶しておりませんが、進められておる。ところが、その後発掘調査が進んでまいりますに従いまして、一応文献上ここに東一坊がずっと通っておったと思われたところが、実は途中でさらに、平城宮の発展したのかどうか歴史的事情は私は専門家でありませんからつまびらかにいたしませんが、法華寺のほうに向かいましてはるかにこれがはみ出している。むしろその一坊通りの辺はまん中くらいなものだったのではないかとすら思われるような事実が明らかになった。したがって、ここにバイパスを通されては、せっかく平城宿跡保存という画期的な事業が全くまん中で分断をされる。また、たとえば高架にしたらいいではないかとか、土盛りをしたらいいではないかというようにいいましても、結局、破壊ないし今後調査ができなくなる、こういう事態に瀕しておるわけであります。このことは私ども視察に参りました際も非常に問題になりまして、奥田奈良県知事のことばをもってすれば、奈良県は至るところが史跡であって、しかしてこれは民族の宝であるからこれを保存するということを県政の大きな目標として今日まで努力してきた。しかし同時に、奈良県自身の発展のためには新たな開発ということもどうしてもしなければならない。この調整に非常に苦しむところであるけれども、この国道二四号線のバイパスについては、ひとついままで文化財保護協力してきた実績にかんがみて、これは多少平城宮跡にかかるかもしれぬけれども認めてほしいというようなふうに受け取れるお話があったのであります。私はこれは非常にたいへんなことだと思って聞いておったのでありますけれども、これを守る運動を起こされているいろいろな学者グループ考古学者の民間の研究グループあるいは地元方々運動、こういうものがたくさん重なって、今日この平城宮宮跡が当初の予想とは全く違っておるということが明らかになった以上は、この際どうしてもこのバイパス計画は思い切って変更をして、それからなお買収地域も拡大をして、当初の理想どおり完全に平城宮跡保存というものができるようにしてほしいというのが、これは学者方々はもちろんでありますが、私どももそう思うわけでありまして、この点については、たしか四十二年度の建設計画の中に入っているやにも聞いておりましたので、非常にせとぎわに来ておるのではないかというふうに思いますので、この際これについてひとつ明確にしていただきたい。ぜひ思い切った保存方向を出してほしい。実は私もその後またいろいろこのことが心配になりまして、実は個人でも再度行きましてあの付近を調べてまいりましたが、もう一つ東のほうというのでしょうか、東二坊のほうへ移せばそれほど買収費もかさまないのではないか。そしてあの自衛隊の門の中に二つ古墳がございますが、その間を通すというような形にしたならばいいんじゃないか。あるいはもっと思い切ってもう少し寄せるという方法もあるのではないかというようなことも具体的にいろいろ考えてみたわけでありますが、これは私専門家でありませんからしろうとの着想にすぎませんけれども、そういう点についてもおそらく文北財保護委員会としてはいろいろ御検討なさっておられると思います。ぜひひとつ私ども安心のできるような結論を出していただきたいことを願っておりますので、この間の経過、今後の方針等についてお尋ねをいたします。
  4. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 平城宮趾国道二四号線のバイパスの問題につきましてのいままでのいきさつは長谷川委員のおっしゃるとおりでございまして、最初に文化財保護委員会としても承認を与えた線が平城宮趾の中にあるということが判明いたしました今日におきましては、文化財保護委員会といたしまして、現段階においては路線変更をいたすより保存する方法はないという判断のもとに、ただいま建設省路線変更につきまして話し合いを進めております。その具体的な路線につきましては幾つかの線が考えられるよううございまして、これは建設省のほうで専門的な見地から路線の決定、少なくとも路線変更は行なわれるものということで協議をいたしておる次第でございます。
  5. 長谷川正三

    長谷川(正)小委員 大臣から初めて明確に路線変更方針で新たな折衝が始まっているということを伺いまして、私非常に心強く思います。ぜひひとつその線で国策として方向を統一されまして、せっかく保存に乗り出した貴重な文化財が完全な形で保存されますように、各方面学者建築学会であるとか考古学協会あるいは史学会歴史学研究会史学研究会等々、いろいろな学者がこぞってそのことを非常に心配いたしておりますので、一日も早く明確な結論が出ますように強く御要望を申し上げたいと思います。  なお、この機会に、きょうは大蔵省の方に来ていただいておりませんが、いずれまた機会があれば予算委員会等にも出て申し上げなければならぬと思いますが、買収の点につきましても、これはいろいろ問題がありむずかしい問題もあろうかと思いますけれども、幸い買収そのものには困難するような土地ではないと思います。この点についてもぜひ強く進めていただきたいと思いますが、買収に関しましてはどういうふうにお考えになっておりますか。
  6. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 もちろん、ただいまどの程度に広がっておるか発掘調査を進めまして、発掘調査の結果その範囲が確定しますれば買収の問題もぜひ考慮したいと考えております。
  7. 長谷川正三

    長谷川(正)小委員 私は、文化財小委員会がおそらく今後いろいろ審議を重ねた成果を文教委員会報告をし、それが国策の上に生きる時期が来ると思いますが、文化財保護に関しましては、いままでの予算と一けたくらいは違うような予算を組むような段階にいかなければいけないと思いますので、その手始めとしましても、ただいまの買収の件につきましてはぜひひとつ強い信念を持って貫いていただきたいということを重ねて申し上げたいと思います。  次に、藤原宮も先般の国政調査のおりに参りまして、橿原市の市長さんも立ち会われましていろいろ現地状況を見てまいりましたが、これも地元としては一応苦心をしてその土地買収しておるので、できたらそのとおり通してもらいたいけれども文化財保護立場でこれをほかへ移したいというのなら、これは決して反対するものではない、ともかく早く方針をきめてほしいということを強くあの現地でも要望されたわけでありますが、これについてはどうなっておりますか。これは国道一六五号線の問題だと思いましたが、それについて経過をお聞きしたいと思います。
  8. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 藤原宮跡の一六五号線のバイパスとの問題でございますが、この問題は平城宮趾と少し異なりまして、バイパスをつくりますことが万博に間に合わせるとかいった差し迫った事情はないようでございます。でございますから、ただいま藤原宮趾の北端及び東辺を確認する意味におきまして発掘調査を進めておりまして、その発掘調査の結果、これが大体外郭がきまりますと、これに基づきましてバイパス路線変更を要請するということにいたしておりまして、ただいまその発掘調査中でございます。
  9. 長谷川正三

    長谷川(正)小委員 これは時間的にも多少の余裕があるので、そうにわかに心配になるような事態はこないということをいま伺ったわけでありますが、発掘調査をせっかく進めておられますならば、これを完全に終わりまして、その上に立ってこれまたあわせて、乗り出した問題でありますから、至急この路線変更させまして保存の道が講じられますように、またその希望が十分あるようにいま大臣の御答弁で伺いましたので、ひとつよろしくお願いしたいと思います。  これにつきましては大臣の御答弁で一応了承いたしまして、もう一つ難波宮でありますけれども、これは大阪府、市も非常に力を入れて、万博とも結びつけてその保存に力を入れておられるということはたいへん心強く思いました。しかしその後調査はまだ進んでおりますが、最近の調査を伺いますと、ちょうど私どもが伺いましたときも、皆さんごらんになったように現地では発掘が進んでおったわけですけれども、そこが例の府立の整育院と重なっておりまして、鉄筋コンクリートの建物がすでに建っております。しかし、これは将来はいい場所があれば移してもよろしい、そして完全に難波宮を残すのだということも言われておったと思うのであります。これについて、現状及び河来についてどのような御指導をなさり、また国の援助も強く要望して通ったようでありますけれども、これについてはどのような考えを持っておられますか。これをお尋ねをいたします。
  10. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 難波宮趾の問題につきましては、いろいろの建物がございまして内容は複雑でございますので、局長から説明いたさせます。
  11. 福原匡彦

    福原説明員 難波宮跡につきましては、ごらんいただきましたように、平城藤原宮跡と違いまして、現在旧跡の上にいろいろな施設が立ち並んでいる。これを大きく分けまして、国の機関が、もと練兵場であった関係もありまして相当建ち並んでおるわけでございます。国の機関につきましては、まだ全部とは申せませんが、そのおも立ったものにつきまして合同庁舎に順次移転していく計画がございまして、これは来年以降になってまいりますけれども、それぞれ合同庁舎その他に入りました上で取り除かれていく、こういうふうに考えております。  一番問題でありますのが御指摘日赤病院でございます。これはただいま肢体不自由児病院増築の問題がございます。これがこの難波宮跡保存のきっかけになった問題でございますけれども、当初の計画がございましたためにその増築は認める。しかし、その増築にあたっては遺構をこわさないようにということをいたしまして、遺構の上にまたぐような形で高架にした建築をしております。ところが、日赤病院としてはさらにあの中にいろいろな増築計画を持っておりますので、これは現在あります建物の上に継ぎ足すとかいうような形で、さらに遺構をこわすことのないようにというようなことで、これは御指摘のように大阪府、大阪市は非常に熱心に難波宮跡保存についで考えてくれております。それにしても根本的な対策にはなりませんので、日赤病院の敷地にかわるべき、代替地を府、市のあっせんによりまして外に求めたいということで、私ども聞いておりますと、三つくらい候補地を提示いたしまして、日赤の側に折衝しているようでございます。いまのところ日赤側はまだそれを了承していない状況でございまして、文化財保護委員会もその中に入ってほしいというようなことがございまして、私どもそういう機会があれば十分日赤側との話し合いも進めたいと思っております。私どもの今後の見通しといたしましては、何とか日赤側に御了承いただいて、代替地のほうに移っていただく、移っていただくについては国の予算の問題も相当あろうかと思いますが、その点についても考えまして、施設密集地でございますので右から左というわけにはまいりませんけれども、相当長い時間をかけて、この地を史跡公園のような形にもってまいりたい、こういうつもりでおります。
  12. 長谷川正三

    長谷川(正)小委員 いまの御方針を貫き通していけるように、大阪でもほんとうにいい場所ですから、これは文化財保護の手がゆるめばたちまち経済主義が侵入してくる状態でございます。また一方、病院というようなある意味で別の公共施設でもありますから、これはやはり早期に思い切った手を打たないと、時日がおくれればおくれるほど、たとえば代替地の問題にいたしましても困難性が増してくると思いますから、この際ひとつ思い切った施策を進められますよう、文化財保護委員長もおいででありますから強く要望を申し上げておきます。  それでは次に、京都で問題になりました樫原廃寺ですか、それから長岡宮跡につきましては、その後どういうふうになっておりますか、経過並びに御方針を伺わしていただきたいと思います。
  13. 福原匡彦

    福原説明員 樫原廃寺跡につきましては、お聞きいただいたと思いますが、これは市の住宅地造成によりまして廃寺跡ということが明らかになりました。その大部分につきまして京都市のほうがこれを史跡公園化したいという希望を持っておりまして、私どものほうに来年度以降の事業として国庫補助を要請してまいっております。これはいまのところ樫原廃寺跡全域と申しますと民家が入るわけでございますので、ここまでは一度にはできないかと存じますが、これは将来の問題といたしまして、とりあえず住宅のための宅地造成範囲に入りました部分につきまして、来年度から補助いたしまして、何とかこれの保存に入っていきたい、こういうふうに考えております。  それから長岡宮跡につきましては、これは京都府といたしまして全域国庫買い上げということを要望してまいっております。これにつきましては相当広範な地域にわたりまして、しかも現在すでに住宅が密集しているというようなこともございまして、一度にそうした方針も立てかねまして、部分的に実現可能なところから、これも国費だけの買い上げというのはちょっと現在の状態では無理でございますので、府と協力をいたしまして順次買い上げていくというようなことにしておる次第でございます。
  14. 長谷川正三

    長谷川(正) 小委員 それぞれいいかげんのところで打ち切るというようなお話ではなくて、地方自治体とも協力をして保存をするという方向を打ち出されておると思いますから、この点は私どももたいへん安心をしたようなわけであります。しかし、買い上げの問題は言うべくしてなかなか、財政硬直化などということがいわれておるようなときで、これは文化財保護行政というものの優先性というものを国の政治の中によほどはっきり打ち立てませんと、当事者はそのような御熱意がありましてもなかなか行なわれがたい。顕著な効果が出ないうちに結局は破壊をされてしまったり、他に転用されてしまうということが心配されますので、その点は、私どもも大いにがんばっていきたいと思いますが、特に関係当局の御奮起をお願いしたいと思います。  それから私はその後、この前の国政調査では見得なかったところを二、三自分で行って見てまいりました。とにかく関西地方というのは、日本の古い歴史の、しかも文化の一番中枢が長くあったところでありまして、民族のいろいろな文化遺産というものが相当あそこに結集しておるわけでありまして、しかもまた、今後の開発においても非常に進む要衝の地にあるわけでありますから、いま非常に大事な時期に来ておる、こう思います。そういうことで特にいま問題になっておるのはたくさんございますけれども泉北ニュータウンというのがいま計画されて、すでに一部建設も進んでおる現状を私はかなり詳しく見てまいりました。あの丘陵群の中には、古墳であるとか、あるいはかまどの跡であるとか、代表的なものがたくさんある状態を見まして、しかもそれが場合によっては非常にむざんに破壊されておるという現状も見てまいりました。きょうは時間がございませんので、泉北ニュータウンには非常にたくさんの問題があるということを指摘だけをしておきまして、また次の機会個々の問題についてはお尋ねをしていきたいと思いますが、泉北ニュータウン問題についていまどの程度の把握を文化財立場からされているか、それだけ一つ伺っておきたいと思います。
  15. 福原匡彦

    福原説明員 泉北ニュータウンの問題につきましては、これは大阪府の企業局計画をいたしまして、和泉市と堺市にわたりまして四百五十五万坪の大土地造成計画ということを行なっているのでございますが、これに対しまして大阪府の教育委員会昭和三十七年から三十九年にかけまして、事前の分布調査を実施いたしました。その結果、ただいまお話しのような古墳あるいはかま跡というものがたくさん所在しておることが確認をされました。古墳は三十八カ所、かまあとは約二百六十カ所というものが計画予定地の中に所在するということが確認をされたわけであります。これに対しまして、大阪府の教育委員会企業局話し合いをいたしまして、かま跡につきましては三十九カ所これを残しまして、公園緑地という形でその中に取り入れるという原状保存のことを了解し合ったわけでございます。その中の一部は樹脂加工などをいたしまして十分な保存をはかるというようなことも計画に入っておるようであります。それ以外のものにつきましては、これは住宅地造成との関係破壊されるわけでございますけれども、そのために記録保存を十分にやりたいということで、これは総経費四千二百万円でその後十分な発掘調査を実施いたしたというふうに聞いております。そういうことによりまして、出てまいりました出土品等につきましては、そのニュータウン地内に展示館を設ける、そうして学術研究あるいは教育上の参考に資する、さらに展本館の近くにはかま跡復元模型ども並べるというような教育的配慮もして、ある程度やむを得ず破壊されたものに対して何とか文化財的な意味を少しでも保存しようというような努力をしているように伺っております。
  16. 長谷川正三

    長谷川(正)小委員 時間がありませんので、いまの御答弁で、泉北ニュータウンについては、本日はこの程度にとどめます。  なお、個々に私が見てきたところがございますが、それについてはいずれ機会を見てお尋ねをしたいと思います。  私は、本日の質問を終わるにあたりまして、これは大臣質問するというわけでもないし、中村委員長に御要望するということになるのですか、あるいは委員皆さんに訴えるということになるのか、わかりませんが、まず第一に、私どものこの小委員会の扱うべき問題がいろいろあって、皆さんからいろいろ御意見があろうかと思いますが、私の考えでは、何といっても国土開発の進行によって危機にさらされているものの最たるものは埋蔵文化であります。この埋蔵文化保護につきまして、ぜひ、せっかくいま全国的な分布調査も行なわれ、その資料も各県別にできておりますけれども、まだ不十分でありますので、これらを整備するとともに、イタリアがローマの史跡保存するときにとっておりますように、この文化財保護というものは常にいろいろな建設に最優先するという政治行政の原則をぜひ政府部内に確立してほしい。この点についての討議が私は必要だと思うのです。  それから二番目に、名所旧跡、天然記念物というのはやはり文化財保護対象でありますが、これの破壊も、これまた各所で危機に瀕しているという話がひんぴんと連日のように新聞等にも報道されておりますし、地方を旅行してみますと、そういう事態に遭遇いたしますので、これらについても総合的な調査をまとめまして、ぜひひとつこの小委員会に御報告もいただきたいし、私どもも必要があれば実地調査等も行なって、こうしたものに対しての抜本的な保護対策を樹立すべきだと思います。  その次には、重要美術品が依然として海外に流出しているといわれております。これについての保護対策というものはどうなっているのか。この点をやはり現状を明らかにするとともに、これに対する対策を練る必要がある。  それからもう一つは、いわゆる国等で指定して保護対象になっているものはよろしいのでありますけれども、国宝とか重要文化財とかあるいは天然記念物とか史跡とか指定されているもの、国等でやっているものはよろしいのでありますが、個人所有のものについての重要文化財の保護、管理、維持、こういったものについての国の施策はまことに弱い。あるいはこれを確保していることについての税制面からの保護も不十分である。こういうようなものを十分検討して、一つ結論を出して国の施策の上に生かさなければならないのじゃないか。  それからもう一つ、私はぜひ指摘したいのは古文書ですね。あるいは現在の公文書、こういったものが中央地方を通じて体系的、組織的に保護保存をされる一つの基準があり、またそれがちゃんと保護されるような場所を持っている、しかもこれが一般に公開をされ、国民が十分利用できる。こういうような体制については最近総理府に何か古文書館のようなものの計画ができたようでありますけれども、非常に不十分じゃないか。最近私どもの住んでおる三多摩ではずっと町村合併等がありますが、市町村が合併しますと、古い村時代の文書などというものは全く保存などされないで廃棄されておる。そういうものをくず屋さんや古道具屋さんから学者が見つけてきて、これは貴重なものが見つかった、こういったような事例は決して私どもの三多摩だけではない、全国にある。こういうものはやはりいまのうちに相当な対策を立てませんと、非常に貴重なものが散逸しますと、学者が非常な苦労をしなければ資料が集まらない、得られないという事態になりますから、これらについての検討と方策というものをぜひ本小委員会の討議を通じて生み出していきたいものだ、こんなことを念願しております。  さらに私は、もう一歩欲をいえば、そうした問題別の、まだほかにもあると思いますが、検討とともに、今度は地域的に北海道あるいは東北、関東というように、順次詳細にその地帯で起こっておる文化財保護問題というものを平面的といいますか、扱って、これに対してそれぞれ適切な施策というものを国、地方が一体になって、国民の皆さん協力も得てやっていく、こういうふうなことをぜひ実現していきたいと思います。  以上のようなことを私は本小委員会には大きく期待をいたしておりますので、この委員会の冒頭に申し上げまして、委員長のほうで今後の運営上お取り入れいただければありがたいと思いまして御要望申し上げます。
  17. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 関連質問の通告がありますので、これを許します。三ツ林弥太郎
  18. 三ツ林弥太郎

    ○三ツ林小委員 いま長谷川委員のほうからだいぶ質問がなされまして了解をいたしておりますが、この文化財保護につきましては、日本民族文化と、それからまた国民の歴史的感覚を養成する非常に大事なことで、私も現地に参りまして実はその感を強くいたしました。  そこで、先ほど長谷川先生のほうから予算が一けた違っているのじゃないかとか、増すように、こういう話で、いずれにいたしましても、これを見ますと、何といっても文化財予算というものが非常に足らないで、文化財保護委員会でも苦労しているのじゃないか、こういうふうに見受けられるわけです。そこで、いままでの質疑を通じまして、ちょうど文部大臣おりますから、文化財保護についてひとつ文部大臣方針というのを伺っておきたいと思います。
  19. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 文化財保護につきましては、先ほど長谷川委員からもお話ございましたが、最近における国土開発関係におきまして、いまいわば文化財をこのままにしておりますれば、危機に直面してしまうと考えられるのでございます。でございますから、この際におきましては、文化財保護については、いままでと違いました相当強力な施策を行なっていかなければ、貴重な文化財保護ということが非常にあぶなくなってまいっておると思います。なお、いままでは文化財としてあるがままの状態に、たとえば私有地でございましたら私有地のままにおいて保存するというのが原則でございましたが、平城宮址において文化財保護としては一つの新しい方式を生み出したわけでございます。今後文化財保護については、国家的な見地におきまして相当強力にこれを保護する方途を講じなければならぬ。そういう意味におきまして、文化財保護行政について私どもは基本的に再検討を迫られておる、こう考えておるわけでございます。
  20. 三ツ林弥太郎

    ○三ツ林小委員 方針はわかるのですが、実は四十三年度の予算もいよいよ始まってきたのですが、文部省の当局として四十三年度の予算要求で文化財保護についてどのようにお考えになっているか、それを承っておきたいと思います。
  21. 福原匡彦

    福原説明員 ただいまは三ツ林委員、先ほどは長谷川委員から御激励をいただきまして、私ども微力でございますが、できるだけ文化財関係予算の確保に努力したいと思っております。  先ほどから御指摘のように、史跡等が破壊されるというときに、これを文化財保護委員会として、その所有者に強く守ってもらうことを要請いたしますには、最終的には国のほうが援助して何とかこれを買い上げるというのがぎりぎりの話として出てくるわけですが、そういうことで現在予算の上で一番私ども必要と感じておりますのは、そうした記念物関係買い上げあるいはその後の整備、これは買い上げたあとまたほったらかしておきますといろいろの問題がございますので、買い上げと整備ということが一番中心の問題になっております。これは来年度予算におきましては、買い上げにつきましては本年度三億足らずの予算でございますが、来年度はその上に十億積みました十三億という予算で要求しております。それから整備費につきましてはたしか四千四百万の予算でございますが、二億円以上の予算にということで、それぞれ数倍の予算を要求しております。そういったことを中心にいたしまして、文化財保護委員会予算全体といたしましては、政府予算全体二割五分以内というような制約がございましたけれども、文部省の中で無理を言いまして、七割程度の増額ということで来年度要求しております。ことしは三十九億でございますが、来年度六十七億ということで要求しております。私ども微力でございますが、御鞭撻をいただいて十分努力したいと思っております。
  22. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 小林信一君。
  23. 小林信一

    小林委員 その前にお伺いしますが、大臣はきょう三時でしたね。時間が幾らかありますか。
  24. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 けっこうです。
  25. 小林信一

    小林委員 いまもちょっと話を聞いてきたのですが、二十四日の朝は辞表を取りまとめて大臣は一応皆さんがおやめになるということなんですが、再任されるされないということはともかくとして、これは私見でございますが、ほんとうに文教行政に終始してこられた剱木文部大臣が、とにかく熱意を持ってこの事に当たってこられたことは私は認めます。もし剱木文部大臣大臣でなくなればどうなるかわからぬというような問題がたくさんあるわけなので、これらが宿題になったような形になるわけなのです。それらの問題について一体どうなるのかということもお聞きしたいわけです。いま通告がありまして、大臣が三十分までということになれば、あと十分しかないのですか、第一番に、先ほど午前中の委員会の中で、公明党のほうから御質問がありまして、文化財保護委員会文化局を一緒にして文化庁にするというふうなお話があったのですが、いままで文化財問題で論議をされてきたときに、他国の例もあって、もっと強い独立したものをつくらなければならぬという中で、いまそういう声を聞くと非常に頼もしいのですが、しかし局を一つ廃止しろという、これは一律にどこの省にもそういうふうなことを命令する総理大臣の意思というものは私はちょっとわからぬ点がある。また、それに文部省が同じように沿うというところにも理解しがたい点があるのです。いまそういう庁をつくられるという場合、行政簡素化の線に沿って庁がつくられるというならば、これはいままでお互いが考えておったものとだいぶずれてくるわけなんですが、大臣が庁をつくるその御意思は、もっと強力なものをつくるという御意思であるか、できるならばその構想というふうなものを、時間がありませんが、ちょっとお聞かせ願いたいと思うのです。
  26. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 文化財保護行政につきましては、御承知のように文化財保護委員会という合議制の行政機関というのが今日まで現存しておるわけでございます。文化財保護意味におきまして、こういう保護委員会としての、政府の外におきましてその合議制で判断をしていくということには相当の理由があると私は思っております。しかし、現段階におきまして、単に消極的な意味においての文化財保護ということはもはや許されなくなってまいりました。すなわち、積極的に国土開発と取り組んでこれを国として強く推進いたしてまいります場合においては、私は文化財保護行政について主管大臣が閣議におきましても、国会に対しましても責任を持って発言ができるような形にいたすべきではなかろうか。これは非常に論議されるところでございますが、私はそう考えて、文化財保護行政というものをほかの文化行政と同じように強力にいたしますためには、この機構を大臣が責任を持つ形に変えていくということが非常に大事じゃないか。ただし、文化財保護の実際上の取り扱いにつきましては、文化財保護委員会というのは強力な諮問機関といたしまして、単に行政的な思いつきによってこれをやるのでなしに、専門的な意見によって諮問をしてこれを行なうということにいたしまして、しかし行政そのものは、やはり強力に推進するためには大臣が責任を持つべきだ、私はこういう考えを持ちまして、一局を減らすという消極的な意味ばかりでなしに、むしろ文化行政を強力に推進するためにこの際思い切ったほうがいい、こう考えましてああいう案を提出しておるわけであります。
  27. 小林信一

    小林委員 いままで文化財保護するとか守るとかいう意図の中には、それは単に古いものを保存するということでなくて、将来の文化をより発展させるという、そういう基本に立って文化財保護というものはなされておるのだと思います。したがって、文部省に文化局ができて、相呼応した形でもって日本文化を進展させるという考えであったと思うのですが、それが今回の計画の中に十分盛り入れられるならばその使命を果たすことができるけれども行政の簡素化というものででき上がるというものであるならば、これは非常に心配になるわけでありまして、その点をお尋ねしたわけであります。  あと四分しかありませんが、大臣にこの際お聞きしておきたい点は、文化財関係としては、例の帝国ホテルの問題であります。これは佐藤総理がアメリカで新聞記者会見をしたときにも、あれほど重大な問題を扱う記者会見の中で、特に帝国ホテルの問題が外国人記者から質問されておりました。これに対して総理大臣答弁しておりますが、その一部をどこかへ持っていって保存することについては私ども努力をするというふうな答弁をしております。それから、きのうの記者会見の中でも同じような質問がなされまして、明治村あたりへその一部を保存することはできるでしょうというふうな答弁をしております。私は、これは非常に総理大臣文化財に対する見解がおくれておるという点と、もう一つは、おそらくそういう問題が出るかもしれぬということを予想して、文部大臣からも渡米をするについてはそういう点は当然話されなければならぬ問題だと思うのですが、もし大臣がそういう点を考慮して話したとするならば、きわめて大臣が消極的であったと言わざるを得ないと思うのです。なぜあの質問を受けたときに、日本国民はあげてそういう文化財は、りっぱな技術は東京の現地に残しておきたいのはやまやまだ、そういう点で努力しておる。しかし、所有者の意向もあるし、あるいはいろいろな事情もあってどうなるかわからぬが、しかし少なくともその一部くらいは残すことは必ずお約束するというならともかくですが、いわゆる国民が熱望しておる現地現状のままでもって残すというふうな意思表示を米国民にしなかったということは、大臣文化財に対する関心が非常に薄い。こういうことがあるだろうと予想して事前に文部大臣が指導をしておらなかった点は私は非常に遺憾だと思うのです。この点についてはどんな話し合いをされておったかお聞きしたいと思います。
  28. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 総理には、かつて帝国ホテルの問題につきまして、その保存協力をいたしてもらうことについて私から話をしたことはございますし、また渡米にあたりましては、こういう問題が話題になる可能性につきましては話しましたけれども、私からどういう状態でこれを保存するということにつきましては何ら総理には触れていなかったのでございます。ただその後、文化財で取り扱っておる問題でございますが、事が重大でございますので、私も中に介入いたしまして、でき得るならばこれを保存したいという考え方を持って今日までそういう態度でおるわけでございます。  ただ、いろいろ現状に立ち至ってみますと、あの帝国ホテルを、現地であのまま保存するというのが一般の要望のようでございますが、実質的には、調べてみますと、もはや現地であのままの姿で保存ということは非常に危険であるという状況でございまして、もしこれを現地保存するために基礎からやり直すということになりますと、たいへんな大事業でございまして、現段階ではほとんど不可能であるという結論に対しまして、私もそれを認めざるを得ない状況でございます。したがいまして、それでは今度は全面移築をいたして保存するかどうかという問題でございますが、もちろん移築に際しましては、いまの帝国ホテルの材料を全部そのままの姿で移築するということは、これもまた非常に困難が伴うのでございます。事実上、ライトさんが初めに設計をいたしまして建設したそのものの姿は、焼けましたりこわれたりしまして、すでに内容的にはだいぶん変わっておるのでございまして、もとの材料を使われてない部分も相当ございます。したがいまして、これを全面移築するということ自体も非常にむずかしい問題がございますが、そこでこれをどう取り扱いますか、実はライト氏の設計をしたままの姿でいま再生することは技術的には可能でございます。したがいまして、材料は古いそのままのものを使わなくても同形のものが再現できるという際において、全然新しくして移築するというのも、これは文化財としての意義はございませんから、できるだけ、あれを取りこわします際において、原材料の使用のできる限りを取り除きまして保存をいたしまして、そしてライト氏の設計当時のままの姿をどこかに再現するということが現段階では一番可能ではないかと私は思います。実際上の問題としては、建築学会及び帝国ホテルを守る会、これらがいま帝国ホテル当局と話し合いをいたしまして、今月一ぱいにはその方向を大体決定するという段階になっておりますので、そういう専門家話し合いによって一つ方向がきまりますれば、その方向によってこの帝国ホテルの保存ができる。こういうふうに、その決定におまかせするのが正しいのではないかといま考えておる次第でございます。
  29. 小林信一

    小林委員 時間になりましたから、質問を申し上げませんが、とにかくこの問題はもう少し積極的に進めてもらわなければ、いまのおっしゃることすら実現できない状態になるのではないかという危惧を持つものでありますが、よろしくお願いしたいと思います。  また、重ねて申しますが、午前中論議になりました例の学校の先生の超勤の問題、これらも非常に大臣に期待するものがあるわけなんですが、たといどうであっても、大臣がこれをほうり投げたらおしまいだと思いますから、ひとつ御努力願いたいと思います。  いろいろお願いしたいのですが、あとは文化財の方たちに御質問申し上げますから、どうぞひとつ……。
  30. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 関連質疑の通告がありますので、これを許します。有島重武君。
  31. 有島重武

    有島委員 文化局と文化財とが合同する、町方ともいま不十分なものが合同して、これからどうしようとしているか、これは国民全部が心配しておるところでございますが、いまのお話で、これをさらに充実していく方向である、そのように受け取っております。  私ども、およそ文化といいますと、これは特定のすぐれた知恵の働きを形式化して、あるいは組織化して、より多くの人々がともどもにこれを使っていくことができるようにする、これを文化というんじゃないか、かように考えているわけでありますが、わが国の文化政策としては、今後ますます複雑化していく文化現象——いまここではもっぱら文化財、過去のものに限っておりますが、現在の文化現象を個々に検討して、それを妥当に位置づけて体系づけることによって、個人の幸福あるいは社会の繁栄、そういうことに結びつけていかなければならないのじゃないか。特にまた注目しなければならないのは、世界じゅうの識者が文明の危機をいま訴えて、そして精神文明の挽回を叫んでおります。そして、その結論とするところは、西洋に発した物質文明を指導していくべき精神文明を東洋に求めておる。東洋の先進国であるわが国の文化的使命というものは非常に重大であります。そして、そのわが国の文化政策をこうした世界史の進展の上から考えて、これはほんとうに大胆に推進していく時代が来ているのだと思います。したがいまして、ここにちょうどこうした行政機構上の問題も出ておるときでありますから、わが国の文化政策の基本法というようなものを考えてはどうか、それを御提案申し上げたいと由思います。  以上です。
  32. 剱木亨弘

    剱木国務大臣 私は日本文化政策につきましては、いま申されましたが、日本こそ、東洋の文化と西洋の文化との接触点にございまして、それを融合しつつ、次の時代の新しい文化への進展を期するということが日本の使命ではなかろうか、こういうふうに考えております。そういう意味合いにおきまして文化行政はきわめて重要でございます。それに対しまして、いま御提案の文化基本法と申しますか、こういう問題につきましては、ただいまのところ、まだその基本法を制定するというまでは考えておりませんけれども、この問題は十分検討してみたい、こう思っております。
  33. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 小林信一君。
  34. 小林信一

    小林委員 大臣が忙しいということで、飛び飛びに御質問申し上げたのですが、最初、これからの文化財保護行政のあり方というふうなことで、ちょっと大臣にも御質問を申し上げたのですが、いまのような構想でいくとすれば、われわれが非常に希望しておったような文化財保護の強化が行なわれるというような気がいたします。  私はこの際文化財保護委員会に申し上げたい点は、ただ、いろいろな土木事業が多くなってきておるから、埋蔵文化その他が危機に瀕しておる。だから、その点留意しなければならぬじゃないかというふうなもので大体終始をしてきました。イタリアあたりは文化財を非常に確実に保護しておる。それには、非常に狭いイタリアなんですが、何といっても日本と比べて相当余裕があるのですね。だからああいうことがなされると思うのですよ。私ども住宅の問題もイタリアの非常に進展しておるのに驚いたのですが、それは単に政策だけの問題じゃなくて、住宅を造成する余地がやはりまだある。しかし、そういう点で日本は困難である。こういう判断をしてきたのですが、文化財においてもしかりだと思うのですよ。何か重大な埋蔵文化財に出会わして、これを保護しなければならぬというときに、必ずその土地買い上げというようなことで、ほかの国に見られない困難さがあるのではないかと思うのです。そういうものを文化財保護行政の中では基本に置いて取り組まなければならぬと思うのです。だから予算も、いま事務局長の言われるところでは、ことしは一けた多くなったというふうなことを言われるのですが、そういう点で決して満足できないのが日本文化財保護である。したがって、これから新しい機構で出発できるなら、相当そういう点を考慮し、いま文部大臣の言う東西文化の接触点であるというふうな、そういう世界的な特殊事情があるならば、それを生かすという点でもっと政治的に考慮されるようにしていかなければならぬと思うのです。  いま問題にしました帝国ホテルの問題ですが、だんだん話が固まってまいりまして、現状保存ということは不可能であるというような結論がどうも出そうなんですが、私はもう一ぺん、ここでこの月じゅうにというお話があったのですが、文化財保護委員会に見解をお聞きしたいのは、何といってもいま帝国ホテルを経営する人たちですね。この人たちの気持ちが一番大事なんです。一般国民がその現状保存要望すると同様に、経営者のほうも、できるならばわれわれもこれを保存したいんだというように言っているように聞いております。ですが、自分たちの自力でもってあれを保存するというのは、これはあの人たちに非常な犠牲を払わせることなんですね。国が相当な補助をするとか、あるいは一般の募金というもので協力をするとかというようなものがあれば現地保存ということをあの人たちも考えるのではないか。あるいはこういう意見もありますね。新館をつくって、もっとたくさんの人たちが収容できるような経営にしたいというような希望がありますが、いろいろ心配する人たちは、すぐ隣に保険会社の用地がある、この用地あたりを国が心配をして、そしてそこにもとのホテルを建てて、そして現状保存をするというような道を講じたらどうかというように、いろいろ心配をする人たちがあるのですが、一体経営者はどういう考えを持っているか、これを文化財保護委員会はどう確認をしておるか、お聞きしたいと思うのです。
  35. 福原匡彦

    福原説明員 お答え申し上げます。  私ども帝国ホテルの問題につきまして経営者の気持ちをどういうふうにつかんでいるか、こういうことでございますが、私どもの聞いております限りでは、帝国ホテルの社長は、いま小林先生のおっしゃったような、もしできれば現地保存に踏み切っていいというお気持ちはないのではないか、いままで私ども聞いておる限りではそういうふうに承知しておるわけでございます。建物につきましても、もちろん昔からのあれで非常に愛着を抱いておりまして、何とかその移築という形でこれが保存されるならばそれにはできるだけの協力はしたいということを言っておりますけれども、いまの土地に置くことについて保護委員会その他の要望に対して、何とかそれは経費の問題その他でそういうことができればというようなことは私どもお聞きしたことがございません。
  36. 小林信一

    小林委員 まだ経営者があの建物に対して愛着を持っておるというような、そういう判断をするところに、この問題が一般世論の線に沿い得られないところがあるのじゃないかと思うのですよ。文化財保護的な意識をやはり指導し、啓蒙するということがもっと必要ではないかと思うのです。あの人たちもそういう点は十分認識しておると私どもは思っておりましたが、いまの事務局長の、愛着を持っておるというような単純なものに掌握されるようならば、まだまだもっと文化財というものに対する認識というものを指導する必要があるのじゃないかと思っておるのですが、どうですか。いまの事務局長の愛着ということは、それ以上のものを持って御説明をなさったのですか。
  37. 福原匡彦

    福原説明員 お答え申し上げますが、これは御本人の口からも出ましたし、私どもそれが口だけのものではない、社長自身としてはとにかく四十数年間なじんできた建物であり、その保存については、攻撃の矢面に立っておりますけれども、一応何とかしたいという気持ちはいまだに持っておる。ただ、それを現地保存するという形でなくて、あれを移築して現在の姿が残ればという気持ちと私ども受け取っておるわけでございます。ただ一方、社長としての経営上の問題等からあれをこわすということの決意をされていることでございまして、愛着そのものについては私どもやはりそのことばを一応信じているわけでございます。
  38. 小林信一

    小林委員 その愛着というふうな程度のものでは、やはり文化財というものは守っていけないと私は言うのですよ。あの人たちはやはり自分たちに利害関係があるわけですけれども、その利害を超越して、あるいはこれは文化財である、そういうふうに世間から評価されているのだから、これを維持しこれを経営することによって、新しいものをつくるよりももっと自分たちは利益を得ることができるというふうな判断をするためには、文化財というものはどういうものであるか、どうしなければならぬかという、そこまで考えさせなければならぬものだと思うのですよ。単に四十何年間経営してきた、それの愛着というような程度のものでほうっておくから、早く結論をつけてしまって、移築して、しかも一部をどこかに保存をする以外に道はないのだ、こういうことになるのじゃないかと思うのです。しかし、大臣の先ほどの説明からいえば、もうそれは改築してもあるいは補修しても意味がないとか、もう危険性が多分にあるとかいうふうなことで結論を出されておりますが、この問題も、私どもの聞くところでは、十分今後使用し得られるような補修というものができる、建築学者の説明はそう言っております。  それから、いまの利害関係の問題ですが、これはわれわれしろうとですよ、向こうは商売人ですから考えるかもしれませんが、しかし、あのフランスのパリあたりが、内部はどんどん近代的に改築しますが、表面というものは昔ながらのものを維持して、そしてやはりそれなりの収入も私はあげていると思うのです。犠牲を払っているとは私は考えませんよ。かえって、あのパリの都市を全部文化財にして、そして一カ所修正するについても保護委員会の——まあ保護委員会があるかどうか知りませんが、そういう政府機関の了承を得た中でもってやっていくという中で、世界的なやはり一つのあこがれとか魅力というものを私はパリが持っているのじゃないかと思います。いま日本がそういうものを全部壊滅させようとしているわけなんですよ。もしこの帝国ホテルがいまのような判断で処理されるならば、おそらく東京の昔の姿というものは全然なくなってしまって、そしていまのあの建物に全部変貌していくのじゃないか。そういうようなものを考えていかなければならぬときであって、簡単に大臣のように改修は困難であるとか、危険性があるとかということでもって私は解決すべきでないと思うのです。  私はきょうあとで委員長、理事にお願いをいたしまして、ただこれだけでもって帝国ホテルの問題を解決しては無責任である。だから、それぞれの参考人を呼んでいただいて、そうして参考人の意見を聞くような委員会をつくってもらって、そしてできるならば世論を巻き起こす、あるいは政府当局を反省させるというところまでいきたいと思うのです。そういう見解についてどうですか。
  39. 福原匡彦

    福原説明員 ただいま小林委員からいろいろ御指摘がございました。私どもこの帝国ホテルの保存の問題につきましては、この六月でございますか——六月にも御指摘がございましたが、それ以来いろいろ苦慮しているところでございますけれども文化財保護委員会としてこれに対してもう少し積極的に出れないかというお話でございます。これは私ども気持ちの上では、明治以後の洋風建築一つの代表として、この帝国ホテルの旧館というものは何らかの形で残したいという気持ちは強いのでございます。ただ、それが文化財保護委員会のほうで扱っております古い建造物等に比べますと、新しい建築でございますために、それの修理、保存ということにつきましても財政的にも容易ならぬものがあるというようなこともございます。そういう点、文化財保護の現在の行政の中におけるバランス等もございまして、国として踏み出す限度がおのずからございまして、私どもできるだけごあっせん申し上げる形で何とかこれを保存できないか、その間建築専門家の間でこれの現地保存につきまして強い要望もございます。それにまた技術的な面でいろいろな御意見がございまして、現地保存につきましては大臣がお乗り出しくださいまして、帝国ホテル経営者側と現地保存したいという代表の建築家との間に話し合いを進めるというようなこともございまして、私ども両者の間に意見の一致を見まして、現地保存ということになれば、これは一つのそういう形での解決というふうに考えておりましたけれども、第一回の会合におきましては、現地保存ということについては全然かみ合わないということでございます。  一方、私どもこれを文化財として指定をするという問題がございますが、現在のたてまえでは所有者が了承しないものにつきましてこれを強行指定するということができないという問題がございまして、帝国ホテル側とただいまこれの現地保存考え方々との間に十分なお話し合いのあげく、技術的にもこれが帝国ホテル側の技術者というものも納得をして、経営者としてそれに踏み切るということならばともかく、そういう形にならないものに対しまして私どもとして積極的な手が打てないということがございます。  現在のところ、帝国ホテルを守る会が中心でございますが、その建築家の方々と帝国ホテル側の話し合いによって、現在可能な道は、これを移築して保存するというのが両者として一番歩み寄れる形、守る会側としても、現在全面現地保存ということを原則としておりますが、一方帝国ホテル側も万国博覧会までに新しい建築をしたいということがございまして、その間に歩み寄れる道としては、これを移築して保存するということ、しかもその場合、解体作業におきまして、できるだけ部材をたくさん残して、これを再築地に持っていくという問題がございます。そのためには解体期間をどのくらいまで延ばし得るか。帝国ホテル側は現在十二月の初めから解体作業を始めまして、来年の一月半ばに終わるという計画を持っておりますが、これが将来の新館の、いま旧館の後にできます建物建築期間等の短縮によって、どのくらいこれの解体期間が延ばし得るか。これらが現在私どもはたから見ておりまして、経営者と守る会の間の歩み寄れる道だと考えております。私どものあっせんの限度というものは、その間におきまして両者十分納得の上で解体作業にかかるというようなことでございますので、大臣から申し上げました、現段階におきましては、これを移築して保存するというのが精一ぱいの方法だ、こういうふうに判断している次第でございます。
  40. 小林信一

    小林委員 その精一ぱいの移築という問題は最初から出ていることばですよ。相当努力をして、そしてどうしようもなくて最後に出てきた移築というなら、私たちもまた別の考えを持たなければならぬですが、最初からもう移築というこれくらいがせいぜいだ、これが文化財保護委員会の態度であったのではないかと思うのです。しかし、それにはやはり皆さんのお考えになるような理由は承るでしょう。しかしその理由も、いま私は指摘しますが、文部大臣に言わせれば、これは私の責任ではないのだ、私の関与すべき問題ではない、文化財保護委員会の問題である。だが、私も全然関係がないわけではないから出しゃばるのだというふうな答弁をそこでしましたよ。それくらいに文部大臣の責任じゃないのだ、文化財保護委員会の責任ですよ。  そしてあなたはその次に金の問題を言いましたね。国の財力にも限度がある。それはそうでしょう。しかし、そんなことを最初から理屈に出すようだったら、文化財はほんとうに完全に守っていけないと私は思うのですよ、金なんということを言うならば。金の問題は、守る会の人たちの話をするのをいろいろ聞いてごらんなさい。アメリカからだけでも何億という金を私たちは募金をしてまいりますと言っているでしょう。もうすでに日本だけの問題ではない。一つ民族文化財ではないわけです。いまの文化財というものは世界的な考えに必ずなる傾向にある。だから外国でさえもそれくらいの募金をしても協力をしようというのでしょう。まして日本自体、責任のある文化財保護委員会が、国の財力にも限界があります。何兆円という予算を持つときに、二十億や三十億の金はそんなに心配がないと思うのですよ。ましてあの土地というものは国有でしょう。そういうふうな条件を考えたら、もっと積極的に出なければいけないと思うのです。  それから、指定をすることはこれは相手があることだ、所有者が承知をしなければ云々という御答弁がありましたが、それも単にどうですかと言えば、いやです、そうですか、これで終わるわけなんですが、文化財の仕事というものは、先ほど申しましたように、おそらくきょうの経営者というものは、あれを改築して、新しくつくったほうが利益があると判断するに違いないと思うのです。しかし、そこに文化財を守っていくという一つのお互いに使命を持っているわけだし、あるいはそれがかえって利益を得る場合もあるというような面も説得して文化財に対する考え方を理解させる。単に経営者だけでなくて、都を指導するとか、あるいはそういう世論を巻き起こすとか、そういうことがなければ文化財保護委員会意味はないと思うのです。結局、文化財保護委員会の仕事というものは、精神的な面に食い込んでいくという仕事が一番大きい仕事じゃないかと思うのですね。それが必要でなかったら、文化財を守るなどということは意味ないと思います。あの古い建物を残しておいても何にもならぬ、やはりそれは精神的な面を開拓する、そこを基礎にして将来を予想する。であれば、精神的な活動というものは文化財保護委員会にはもっと課せられているはずだと思う。それもやったけれども結局ここまでだというなら、私は何をか言わんやです。  しかし、先ほど申しましたように、総理がアメリカで記者会見をやったときに、てんずけ一部をどこかへ移築して保存をしますなどというような軽率なことばを出したということは、ほんとうに国民が文化財に対して寄せておる関心を代表したことばではないと思うのです。日本国民の中には、たとえ外国人の建物であっても、りっぱな建物であって将来残すべきものであるという観点から、いま大多数の人が、現状のままに保存をしようとする、そういう熱意が燃え上がっておるのだ。しかし建物現状からも、経営者の意思からいっても、はたして現地保存ということが可能であるかどうか、まだ私には十分確信が持てない。しかし、少なくとも一部を解体してどこかに保存をするということは最悪の場合でもするというような説明ならとにかく、言ったことが何だといえば、てんずけ一部を解体してどこかへ移築して残します。これはほんとうに国民の文化財に対して寄せておるところの気持ちを代表した一国の総理のことばじゃなかったのですよ。それは大臣大臣文化財保護委員会保護委員会といえばそれまでですが、そういう点を指導するのが、指導が足りぬから予算が出てこない。私はそこまで文化財保護委員会の責任を追及してもいいと思うのです。いまのような結論を振りかざして、安易に文化財を守っていこうとするようならば、私は国民に対して非常に申しわけないと思うのです。  まして、単に帝国ホテルだけの問題じゃないということは、常に言っていることでしょう。東京都が、この非常な変動期にあの帝国ホテルすら残すことができないということになったら、東京の姿というのはどうなるか。そういうことを繰り返していくときに、日本民族文化というものはどういうふうに影がうせていくか。私はルーマニアへ行きましたが、ルーマニアの国会の副議長は二回しか日本に来ていないのです。そしてルーマニアの一般国民というのは、日本はベトナムよりも強いか弱いかというくらいに日本という国の認識が足りないんです。テレビがありますかというふうなことを聞く国民ですよ。その中で、その副議長が、私は日本の刀のつばを百一持っています。二回の間にそれだけ収集したわけでしょう。私はこのつばを通して日本刀というものよりもかえって日本文化を高く評価しております。フランスの文化というものが相当日本文化に影響されておることも私はこういう問題から知りまして、近々その文献を出しますが、送ってあげますという約束までしてくれたほどなんですよ。そういうふうに外国の人たちも、これは全面的じゃないかもしれませんが、日本文化に対するところの関心というのは非常に強いわけなんです。  そういうふうにこの文化財に対する関心は、至るところの国が強く持っておるわけなんですが、いまのような現状では、私は非常に日本がほかの国からおくれていくんじゃないか、こういう考えを持つわけですが、もうこれ以上この問題について御質問は申しません。私ども委員長、それから理事会等にお願いいたしまして、最後の機会をつくっていきたい、こういういま考えに立っているわけです。したがって、この問題は終わらしていただきます。  次にお聞きする問題は、これは先ほど文部大臣に来年度予算の御質問がありまして、その御答弁を聞いたものと関係するので大臣からお聞きしようと思ったんですが、三十九年から四十年にかけて、非常に重要文化財が破壊をされる傾向にあるという点で、歴史と考古学の学者を集めて緊急指定調査研究委員会文化財専門審議会の史跡部会の中に小委員会としてつくられましたが、この考古関係で各都道府県から提出されましたたくさんの史跡台帳の中で、いろいろ階級をつけて、そしてその中から選択をして、これだけはひとつ緊急指定として守っていこうという計画をされたと思うのですが、それはどういうふうに進行しておるか、この際お伺いしたいと思うのです。
  41. 福原匡彦

    福原説明員 ただいまの史跡破壊に対処いたしまして、緊急の史跡指定のための調査委員会は、事務局におきまして隔週に委員会を開いて先生方の御意見を伺っております。
  42. 小林信一

    小林委員 それで四十年、四十一年、四十二年と三年間続いて、そのための予算というものが請求されてありますが、いまのお話によれば、三億を十三億にして、買い上げの費用というものを要求しておるというお話があったんですが、その中にこういうものも含められているんですか。
  43. 福原匡彦

    福原説明員 いまの委員会によりまして、従来ともすれば学者の研究によって史跡というものを任意に歴史的な重要な個所ということで指定してまいったのでございますけれども開発関係で、それでは後手に回るということもございまして、十分文化財保護委員会として調査をして、あらかじめ史跡の指定ということを十分にしておかなければということで、いまの調査委員会が発足したということを承知しておりますが、その結果を、従来一年に一度史跡の指定のための専門審議会を開いておりましたのを、昨年から春秋二回史跡指定を進めております。そういうふうにして指定されました史跡につきまして、それが破壊の危険にさらされるというようなときに、ただいまお話のございました十三億、現在三億の予算でございますけれども、それを買い上げる補助としてその金が使われるわけでございます。
  44. 小林信一

    小林委員 いままでの進捗状態というものを見ますと、非常に数が少ないのですが、最初は相当な予定がされたんですが、現在三年間を通じて七十六というふうな数字が見えておりますが、これはそういう価値がないから七十六になっておるのか、あるいは審議の仕事が進まないというのか、あるいは予算がないというのか、そういう点をお聞かせ願いたいと思うのです。
  45. 福原匡彦

    福原説明員 これは私、新しいので十分把握してないので、私の現在のそれに対するお答えになるわけでございますけれども史跡につきましては、事務局としても、それからいまの委員の方にお願いをいたしましても、全国にわたりましてその指定すべき物件の調査というのは十分に進めているのでございますけれども、何ぶんにもこれを指定するという現実の作業になりますと、その範囲の確定あるいはその範囲地元の住民の方々に対して十分納得をしていただいた上で指定をしなければならないというようなことがございまして、現実の指定というものが、いよいよ審議会にかけるというときにおくれていくということはございます。しかし、その調査対象にいたしましたときから、その対象地域につきましては、史跡に指定される候補地としてあらかじめある意味地元に十分注意をしていただくというような効果は起こっているかと思っておりますので、私どもさらに人手その他が十分にございますれば、これ以上に進捗させることができると思いますが、現在のところ、事務局としては精一ぱいやっておるところ、こういうふうに考えております。
  46. 小林信一

    小林委員 これは非常に重大な問題でありますから、あるものは時間がかかるし、あるものは金が多分にかかるというようなことから仕事が進捗しないのは無理もないと思うのですが、しかし、その指定に何かそうしたものでなくて、いろいろな利害関係がからまって指定がされるというふうなことも最近聞くわけですよ。業者のほうはある意欲を持って臨むというようなことでもって、文化財保護委員会のこれからの仕事というものは非常に重大だと思うのですが、その一つとしてお伺いいたしますが、福岡県の太宰府遺跡、これは昨年史跡に追加指定をされたと思うのですが、きめられたのはいつだったか。それから太宰府学校院の跡、観世音寺の境内及び子院跡も新しく指定されたと聞いておりますが、それはいつだったかお伺いいたします。
  47. 福原匡彦

    福原説明員 太宰府の史跡指定につきましては、昨年のたしか十一月の専門審議会の議を経まして文化財保護委員会といたしまして指定を内定いたしております。内定と申しますのは、正式の指定になります前に告示という行為が必要となりますので、それによって正式の効力を発生するわけでございますが、委員会で内定をいたしましてから、その範囲がやや広うございますので、ただいまお話がございました学校院跡、観世音寺、それに子院跡という相当広範囲地域にわたりますために、県教育委員会あるいは町長の了解を得て指定を内定いたしたわけでございますけれども、その範囲に含まれます地元の住民の方には、その史跡の意義というものを十分にわかっていただくという作業に入ったわけでございます。その経過におきまして、地元としては、史跡に指定された場合これが相当強い規制を受ける、こういうふうに判断をされまして、指定に反対をするという声が高まっているわけでございます。それに対しまして、私どもといたしましては、福岡県の教育委員会の御努力に現在待っているのでございますが、県の教育委員会が、地元の代表の方、それに町の方、県の方、それに学者にも入っていただきまして協議会をつくりまして、その協議会におきまして、その広範な地域の中には遺構等がございまして現状変更を非常に規制しなければならない地域と、それからやや歴史的景観というような意味からこの史跡指定の範囲の中に含まっておりますけれども現状変更につきましてはそれほどきびしい規制を要しないところと、その中間の地域と、三段階に分けまして、現在まですでに四回話し合いを持たれておると聞いております。これは県の教育委員会も非常に努力して地元のほうとの話し合いを進めておりますので、私どもとしてはその結果を絶えず連絡を受けながら待ちたいと思っております。十分地元の方に納得していただいた上で史跡に指定いたしたい、こういうふうに考えておる次第でございます。
  48. 小林信一

    小林委員 そうすると、告示というものがあれば法的な拘束力が出るけれども、内定ではそういう拘束力は出ない。しかし、その告示をするのにはあらゆる地域の人たちの承諾を得なければならぬ。それができておらぬ。だから告示もしておらぬということですか。
  49. 福原匡彦

    福原説明員 はい。
  50. 小林信一

    小林委員 そこら辺がいろいろ疑問を持たれておるのですが、そういう法的な拘束力を持たせない間に、最近そこに宅地造成等が進んでおるということを聞いておりますが、それは文化財保護委員会のほうでも聞いておりますか。
  51. 福原匡彦

    福原説明員 ただいま史跡予定地に若干食い込む地点において宅地造成が行なわれているということを聞いております。この点につきましては、実は農地を宅地に転用するという形ですでに処分が行なわれておりまして、私どもちょっと現在手がつかない状態で、県の教育委員会のほうもできるだけ努力いたしましたけれども、そこはまだ現在は告示されておりませんが、指定史跡候補地でもございますので、その点十分配慮しながらその指導に当たる。その間の連絡は受けながらその配慮をした上でそれを了解している、こういうふうに私ども伺っております。
  52. 小林信一

    小林委員 その宅地造成をやっておるのは西鉄不動産だと聞いておりますが、そのとおりですか。
  53. 福原匡彦

    福原説明員 私どもそういうふうに伺っております。
  54. 小林信一

    小林委員 この西鉄不動産が、九州の重要な禅宗の史跡であります崇福寺跡、それから観世音寺の子院の一つである金光寺跡など相当広範囲の坪数を宅地造成しておる。いわゆる史跡指定になる地内にこんな大規模な土地造成がなされてしまうということは、何か文化財保護委員会の力というものが弱いのか、あるいは先日——相当前になりますが、記念物課長が福岡に行っていろいろな人たちに会って意見を聞きながら、西鉄不動産とそういう点を簡単に取引をしているんじゃないかというような疑惑が出ておるわけなんですが、こういう点については文化財保護委員会ではどういうふうに回答されますか。
  55. 福原匡彦

    福原説明員 私がいままで承知しております限りでは、福岡県の教育委員会は非常に太宰府の史跡指定につきまして熱意を示しておりまして、現在指定されておりませんが、昨年内定いたしました段階から、その範囲につきましては、県の教育委員会としては事実上法的な権限はないのでございますけれども、その中の一軒、一軒、新しい家の新築といったようなことについても注文をつけているくらい熱心に史跡に指定されることを予定をして努力しておるように伺っております。西鉄不動産の問題につきましても、私、いま小林委員お話でちょっとびっくりしたわけでございますけれども、私ども聞いておりますのは、そうした大きな宅地造成事業をやる会社であるからといってそれにのまれたというようなことでなくて、こちらとして十分にその史跡の意義を西鉄不動産のほうに説いて、西鉄不動産のほうにやむを得ない限りで譲ったのであって、あとはこちらの注文によってその中の住宅建設等について指導をしている、こういうふうに私ども聞いております。
  56. 小林信一

    小林委員 それは表面というか、表立って言う場合には、これは指導するとか、あるいはできるだけ宅地造成することを食いとめるとか、そういうことを言わなければならぬと思うのですが、しかし、経緯をずっと見れば、内定はした、告示はいまのような理由でもってできないからやれないんだ、したがって拘束力はないからしかたがないんだと言っている点が、国が指定をしようとする史跡の中に西鉄不動産の宅地造成を許しているような形に、見ようによってはなるわけなんですよ。買い上げを促進するとか、あるいは指定を早くするとか、あるいは農地が宅地になれば、相当土地の所有者というものはもうかるから、だから史跡指定に反対をする。それを説得したり、あるいは何らかの補償をするというふうな手を講ずれば、せっかく指定をしようとするところが宅地造成等で侵略をされなくても済むと私は思うのですよ。それを手をこまねいておって、そしてやむなく許可するとか、あるいは拘束力がないから放置するとかいうようなことをしておれば、これはもうやはり先ほどの私が評価した文化財保護委員会の性格をここにも露呈をしておるように私は思うのですよ。何かこれに対して明確にそうでないというような答弁ができますか。
  57. 福原匡彦

    福原説明員 先ほどちょっと申し上げましたが、今回この追加指定をしようとしております太宰府の史跡地は非常に広範囲でございまして、その遺構のございますところと、その背景になります歴史的景観ということ、また太宰府政庁を置きましたその理由は、その景観を含めてそこに政庁を置かれたこういうふうに考えますので、その背後の景観を含めた指定ということを考えておるわけでございます。したがいまして、その歴史的景観に重点を置いた地域につきましては、先ほど申し上げましたように、福岡県の教育委員会の指導では、家を建てることはやむを得ない、ただそれが景観を妨げないような指導をするというような形で地元の住民との調整をはかっているわけでございます。ただいまの西鉄不動産の宅地造成は、その史跡指定の予定地からはずれているところから延びてきているわけでございます。そこに含まれる遺構につきましては、これを保存するように措置をしたいのでございます。そしてその遺構のございませんところは景観の点が問題でございますので、その景観を害さないような指導をしてこれを認めていく、こういう状態のように聞いております。
  58. 小林信一

    小林委員 それじゃお聞きしますが、専門審議会に答申を求めたときの文化財保護委員会としての理由の説明等はどんな理由で説明しているのですか。
  59. 福原匡彦

    福原説明員 これはちょっと、そのときの当事者でもございませんでしたし、私、ただいま資料を持ってまいりませんでしたので、私のそれを読みました記憶だけによって申し上げます。多少違っておりましたらお許しいただきたいと思いますが、太宰府というのは律令政治時代の一つの拠点といたしまして非常に重要な地点である。これが従来は都府楼跡だけに史跡指定地が限られていたわけでございますけれども、それに隣接いたしまして学校院跡、あるいは観世音寺、あるいはそれに子院跡というものが、その太宰府が九州における政治だけでなくて、文化教育の中心でもあったという点から、こうしたものを含めて、そのときの一つの遺跡としてこれを史跡に指定したい。したがいまして、歴史的な意義から見まして、その子院跡等につきましては、これは歴史的にまだ明らかでない点がございますけれども、そういう点は将来の研究にゆだねるとして、あそこに政庁が置かれました意味というのが、後背のそうした子院跡を含めるあの自然の地域として選ばれたというような点から、これが史跡候補地となった、こういうふうに承知をしております。
  60. 小林信一

    小林委員 そういうふうに重大な史跡であるということが文部省からも説明をされて、そうして専門審議会のほうからも答申が出たはずです。そういうものが、いま行なっている事実からすれば無視されたような形になっておるのですよ。このままいけばなりつつあると思うのですよ。したがって、先ほど申しましたように——その前にお聞きしますが、事務局長さんは現地に行ったことがありますか。
  61. 福原匡彦

    福原説明員 まだございません。
  62. 小林信一

    小林委員 事務局長さんになったら、全くこういう危険状態のところを、しかも文部省が重大だという説明をしたところなのですから、私は少なくとも責任ある人が行って、やはり現地を見なければいかぬと思うのです。景観をそこなわない、屋根がわらを赤くしちゃいけない、青くしちゃいけないというような程度で済むかどうか。そうしてたとえそれが風説であっても、うわさであっても、西鉄という大きな財閥がその中に介在をするということになれば、そういう疑惑が生まれてくることは私はやむを得ないことだと思うのですよ。そういうものを一掃するには、責任ある人が行って現地指導しなければいかぬ。これはこういうふうに手を打てば、農民が、何も宅地に地目変換をして売らなくても、その趣旨を理解をし、そうして何らかの補助金というようなものをもらうならば、私どもは指定されることを拒まないというものが生まれてくると思うのですよ。そうして、可能な限りはどんどん買い上げていくというような方法をとれば、いまのような問題は出てこないと思うのです。先ほど長谷川委員からお話がありましたように、京都奈良大阪、こういうところに日本文化財というものは集中しておる。したがって、ここをもっとわれわれは新しい計画の中で守っていかなければならぬというお話がありましたが、私はこれと匹敵するものが九州のここだと思うのです。したがって、私はこの前の委員会で、ここにもつと政府機関のしかるべきものを置いて、西のほうの日本文化財を守る必要があるのじゃないかという提案をしたわけなのです。そういう疑惑がいま生まれつつあるのですが、そういう疑惑をぜひ一掃して、地元の人たちがもっと協力するような文化財保護行政を行なっていただきたいと思うのです。  いろいろお聞きしたいことがありますが、たいへん時間が延びましたから、これで終わりたいと思います。
  63. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 他に御質疑はございませんか。——ないようでありますので、本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十八分散会