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西家説明員 このたび
大牟田の
三池炭鉱におきまして
重大災害が
発生いたしまして、
監督の
責任者といたしましてまことに申しわけなく存じております。
ただいまから
災害の
概況につきまして御
報告をさせていただきます。お手元に簡単な
資料が配付してございますが、これに基づきまして御
報告をさせていただきます。
石炭鉱名は
三池炭鉱の
三川鉱でございます。
甲種炭鉱でございます。
鉱業権者名は
三井鉱山株式会社、所在地は
福岡県
大牟田市、
災害個所は
三川鉱三百五十メートル左0片
材料線奥部——後ほど
図面で御
説明いたしたいと思いますが、一番
うしろについておりますが、
災害場所はこういうところでございます。
災害発生月日は
昭和四十二年九月二十八日午前五時四十五分ごろでございます。
罹災者の
職氏名、年齢でございますが、
死亡者は七名でございまして、
坑内保安係員の田中さん三十六歳、
発破係員の
伊木田さん三十一歳、
採炭工の阿部さん四十一歳、同じく
採炭工の吉田さん三十七歳、同じく
採炭工の原沢さん四十二歳、同じく
採炭工の川本さん二十八歳、巻き方の
機械工上村さん三十歳の七名でございます。そのほか
一酸化炭素中毒による
入院患者の方が十月七日十二時現在で五十三名となっております。
次に
災害の
概況でございますが、
三池炭鉱は今回
災害を
発生いたしました
三川鉱のほかに
四山鉱、
宮浦鉱の二
坑口がございまして、
三池炭鉱の
在籍者の総数は一万一千百八十一名、
うち坑内八千九百十八名でございまして、月に約四十万三千トンの
出炭をいたしております。そのうち
三川鉱は
在籍者数四千五百十二名、
うち坑内三千九百八十二名でございまして、本層と
上層の二層を
稼行炭層といたしておりまして、月に約十六万四千トンの
出炭をいたしております。
今回の
災害が
発生いたしました三百五十メートル左0片
材料線坑道と申しますのは、
坑口から四千五百メートルの
位置にございまして、旧二十一
卸部内を稼行しておりましたときに、
材料、
通気坑道として
使用していたものでございますが、現在はその旧二十一
卸部内の
採炭を終わっておりますので、
採炭をいたしておりませんので、三百五十メートル
水平坑道からくる
バイパス坑道としてもっぱら
通気の専用に使っておったものでございます。
なお、
災害が起こりました
当該バイパス坑道は
入り口のほうから、すなわち三百五十メートルの二十一
卸分岐点のほうから全部で長さが三百六十一メートルございますが、
入り口のほうから百二十五メートルが
沿層でございます。それから約百七十メートルくらいに岩石が出ておりまして、その奥がまた
沿層になっておる、こういったような
状況でございます。
九月二十八日の午前五時三十分ごろ、三百五十メートルの九日抜に設けられました
運搬監視所——一番
うしろから二枚目、七ページにごく簡単な略図が書いてございます。はなはだ簡単で恐縮でございますが、これにつきましてちょっと申し上げたいと思いますが、一番右のほうが先ほど申しました
三川鉱の
入り口でございまして、これから
斜道が、第一
斜道と書いてありますが、二本
斜道が入っておりまして、この長さは約二千メートルございます。その
坑底から左のほうに、ずっと上のほうに三百五十メートル
坑道というものが通じておりまして、これは
坑外から入りました
人気坑道になっておるわけであります。この三百五十メートルの
まん中のちょっと
右あたりに矢のしるしが二つ分かれておりますが、これが先ほど御
説明申し上げました
通気の
分流地点でございます。それから下のほうに分かれまして、左のほうに行きまして、また三百五十メートル
坑道と合流いたしておりますのが
災害の起こりました0片
材料坑道でございます。それでこの三百五十メートルの
まん中あたりに
上層西二十六卸というものがこれから下のほうに下がっておりますが、この交差点から少し右の
あたりに
休憩所というものがございますが、それはただいま申しました
休憩所の設けられました
運搬監視所があるところでありまして、ここにおりました
運搬係員が
次方の
係員との申し送りの
電話を終わりまして待機をしておりましたとき、三百五十メートル
坑道を
空凾を引いた、あき箱を引いた電車が来ましたので、
監視所の前に出たわけでございます。ところがその
場所から約五十メートルくらい
坑口のほうを見た場合に、
天井より下がっておる
螢光灯がくすんで見えましたので、
坑口のほうに検査をしながら歩いていったのでございます。
上層二十六
巻き立て——先ほどの
図面のちょうど交差をいたしております。ちょっとふくれ上がったところでHと書いてあるところでございます。この
巻き立てと二十六
ループ坑道、これは
運搬坑道で、このふくらんでおるのが
ループ坑道でありますが、それとの
中間でちょうど三百五十メートル
坑道と、先ほど申しました
バイパスとの交わっておるところよりたばこの煙くらいの薄い白色の煙が
天井を伝わって本線に流れているのを
発見いたしました。次第に煙が濃くなってくる
状況にあったわけでございます。そこで直ちに
坑外の三
交代係長に、
電話で三百五十メートル旧二十四昇の
シュート付近から煙が出ている、一、二分後には煙が濃くなり、
坑道全体に流れるので非常、非常という
報告をいたしております。
報告を受けました
係長は、直ちに
坑内の各
作業場に対しまして
電話にて異変の
発生を告げておりまして、全員
退避するように指示をする一方、
上司へ
報告をいたしまして、
救護隊召集の
措置をとったのでございます。
ここでちょっと、
資料にはございませんが、簡単にそのときの
作業配置の
状況につきまして御
説明いたしたいと思いますが、その当時
坑内に
入坑いたしておりましたのは、全体で五百六十一名でございました。その五百六十一名の
配番の
場所でございますが、先ほどの
図面をちょっとごらんいただきまして、おもな
採炭個所と申しますのは、
図面で大体
長方形に書いてある
場所がございますが、
上層の西三十六卸のところ、それから左のほうにいきまして本
層西三十六昇と書いてあるずっと下のほうに二カ所、これは本層の西三十六卸になるわけでございます。この
個所、それから
図面には書いてございませんが、本層の西三十六昇というところ、この上のほうにも
採炭個所がございまして、大体おもな
採炭個所は三カ所であったわけでございますが、本層の三十六卸の一番左のここの
長方形のところでございますが、ここに九十五名の者が
配番をされております。それから右のほうの
上層の二十六
卸部内には八十九名、それから
図面にはございませんが、先ほど申し上げました
上層三十六
昇部内には九十八名、そのほか各掘
進個所に百九名が、三百五十メートルの左のほうとか、四百五十メートル
坑道の左のほうとか、その他掘
進個所がたくさんございますが、そこに百九名、そのほかに、百七十名の者が
坑内各所に、
保安あるいは
通気、
運搬、
電気、こういった
作業に従事しておったのでございます。
それで、これらの
人たちは、
上層二十六卸におりました
人たちは、一部三百五十メートル、大
部分が四百五十メートルの
人気坑道のほうを通りまして
坑外に出ておるわけであります。それから、
災害発生個所よりも
人気側におりました者は、それぞれ三百五十メートル、
三川鉱の斜坑を通りまして
退避をいたしております。それから、左のほうの本
層西三十六卸のほうにおりました
人たちは、
宮浦鉱に通ずる
坑口から脱出をいたしておりますが、先ほど御
報告がございましたように、途中で、
坑内の安全な
個所ではあったのでございますが、かなりの長い間、
坑内におったようでございます。
それから
救護隊の
状況でございますが、七時から八時三十分までの間に各坑の
救護隊が召集されております。そして七時三十分から十一時ごろまでの間に八十六人の者が
入坑をいたしまして、三百五十メートル
坑道あるいは四百五十メートル側から
探険をいたしておりまして、
罹災者の
発見、
救出に当たっております。二十八日の十四時四十分ごろまでに前述の
死亡者の七名の方を確認をいたしております。十六時ごろまでに全
遺体の
収容を完了いたしております。
罹災者の方の
位置は、同じ
図面の上に×印をもって書いております。左の本
層西三十六昇の近くのところで四名の方がなくなっておられます。それから、
上層西二十六卸の下のほうでございますが、お二人がなくなっておられますが、このお二人につきましては、一時は四百五十メートル
坑道の
人気坑道に近いところに全員無事に
退避をしたあとで、
通気戸を締めにいくために五名の方々が新しいマスクと命綱をつけて逆に
進入をいたしまして、このときに二人が
罹災をされておりまして、後ほど
救護隊で九時過ぎにお二人を
救出、搬出したのでありますが、
坑外に出てから
一酸化炭素中毒によりまして死亡されたということになっております。その上の
上村さんは、ちょうど上におられた巻き座の
機械工でございますが、この方の
発見はちょっとおくれたのでありますが、おそらく
巻き立てから、もう時間で
作業はかなり前に終わっておりますので、昇坑される途中に、途中まで出られて、
罹災したというふうに推定されております。
災害後の
現場におきます
処置状況でございますが、二十八日の八時二十分ごろ、三百五十メートル
坑道の十一
目抜き——十一
目抜きと申しますのは、先ほどの
個所よりもう少し左になるわけでございますが、三百五十メートル
坑道の十一
目抜きの
補助扇風機を
電気保安係員が
停止をいたしまして、同日の十時ごろに、三百五十メートル
坑道九日
抜き奥の
通気戸を
救護隊員によって開放いたしまして、
通気短絡して、三百五十メートル
連れ坑道のほうに直接流動させる
措置をとっております。
十五時ごろに、左0片
材料線奥と連絡しております
上層二十一卸と三百五十メートル
本坑道との間に設けられました約二・四メートルの
立て坑、
図面で申しますと一番
最後の二図のところをごらんになっていただきますと、0片
材料坑道の
付近をちょっと拡大して書いてございますが、一番右のほうのナンバー一と書いてございます。そのところでございます。ここに三百五十メートルから二・四メートルばかり上に上がりまして、それから0片
材料坑道に入るわけでございますが、その
立て坑の
部分を
ビニール帯によりまして仮遮断をいたしております。
同日十九時十分ごろ、今度は0片
材料坑道の左のほうでございますが、三百五十メートルの七日
抜き奥——七日
抜きと申しますのは、この
図面で三百五十メートル
坑道から左のほうに斜めに0片
材料坑道につながる
坑道がございます。これが七日
抜きでございまして、この七日
抜きのところから五十三メートルの
位置に仮
密閉をいたしまして、
ビニール張りによる仮
密閉を
救護隊によりまして
実施をいたしました。
その結果、
坑道一般に煙が薄くなりましたので、前に
実施いたしました仮
密閉を破りまして、左0片
材料線と
上層二十一
卸連絡坑道——上層二十一
卸連絡坑道と申しますのは、第二図で申しますと一番右のほうに縦に通っておる
坑道でございますが、この間を
救護隊によりまして
探険をいたしたのでございます。当初内部の煙が濃厚で
進入が困難でございましたが、数回の
探険によりまして左0片
材料線と
上層二十一卸の連絡
坑道付近の
炭壁から煙が出ておりました。
立て坑の奥約九十メートル
付近に火のあることを確認をいたしております。同日二十一時五十分ごろ、
救護隊によりまして、ホースを二本使いまして直接注水
消火を開始いたしました。二十九日の朝の四時ごろでございますが、直接注水をいたしますと、注水部の煙は消えるのでございますが、前に注水した手前の
個所から煙が今度は出始める。そして火の手が
立て坑の
入り口のほうにだんだんと移動してくる傾向が見られましたので、
消火作業隊員に対する
危険度が非常に大きくなってきたのでございます。五時ごろでございますが、直接注水
消火を中止いたしまして、もとどおり
立て坑口に仮
密閉をいたしました。これも
救護隊によりまして
実施いたしたのでございます。九時ごろ直接
消火と
密閉消火の可否を
関係者で
検討いたしました結果、
密閉消火によるほかなしとの結論に達しました。
密閉に
あたりましては、
人気側立て坑密閉には
通気用の六インチパイプを設置いたしました。排気側
密閉には人の出入が可能でございます三十インチのマンホールを設置いたしまして、鎮火後
通気を
確保し、
密閉内
現場の
調査が可能であるという
措置を講じさせることにいたしました。なお、
密閉作業は三十日の二時二十分から着手いたしまして、風下側は三十日の十八時に、風上側は十月一日の四時三十分に
作業を終了いたしました。
災害の
原因でございますが、三百五十メートル
坑道、左0片
材料線坑道には、
火災の
原因となる
電気施設がございませんので、当
坑道奥部の
沿層部の
炭壁が
自然発火し、
坑内火災に進展したのではないかというふうに考えられるのでございます。なお確実な
原因につきましては、今後の
調査等によりまして、はっきりさせたいというふうに考えております。
なお、ちょっと申しおくれましたが、当
材料坑道には前日の十時に観測員がこの
付近の
密閉個所を観測したことを
監督官において確認いたしております。
災害後とった
措置といたしましては、
災害の
発生の報を受けました
福岡鉱山保安監督局長は直ちに鉱務
監督官七名を現地に急派いたしまして、
罹災者の
救出の指揮と
原因の究明に当たらせる一方、
一酸化炭素中毒患者の
発生に備えまして、高圧酸素室を現地に急送する
措置等を関係機関に要請した後に、みずからも現地に急行いたしまして指揮に当たったわけでございます。また本省からは鉱山
保安局の石炭課長を現地に
派遣いたした次第でございます。
以上、
災害の
概況の
報告を終わらせていただきます。