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小沢(貞)
委員 それでは御答弁をいただきましたので、これはきょう
説明していただくとたいへん時間が長くなりますので、後日資料を出していただきたいと思います。
その第一点は、いま御
説明のありました「長期汚染については阿賀野川流域に住む婦人の長髪中の水銀保有量の経理的変化から地震以前すでに濃厚な汚染があったことが認められた。」こういう
ように断定されております。私は、これはどうも違うと思いますが、そう断定された資料をひとつ提出していただきたい、これは資料
要求であります。
第二は、「広域汚染については患者発生地域から上流鹿瀬町までの住民の水銀保有量の
調査結果から上流にも異常に高い水銀保有者が発見されていることから局地汚染とは考えられなかった。」こう、これも断定されております。これは後ほど私は論議したいと思いますけれ
ども、多分これは一人かそこらの異例なことをもって言っているのではないかと思いますが、具体的にひとつ資料をもって
委員会に答えていただきたい、こう思います。
それから第三点としては、この答弁の2に移りますが、「塩木楔による汚染経路の説には、信濃川河口から阿賀野川河口までの間の距離約5kmを約2ケ月も水銀化合物が彷徨したことが前提になるがこれを裏づける資料はなかった。」こうあります。これは彷徨をしている、こういう
ようなことが資料として、あるいは塩水くさび上必要であったかどうか。この塩水くさびについて資料はなかったというが、どれだけの資料を
研究されたか、このことについてもきょうは触れないで——私は実は時間があれば
説明したいと思いますが、きょうは触れないで、これについてはここに断定されていることについて、ひとつ資料を提出をしていただきたい。答弁書の形で資料を御提示いただきたい、こう思います。
そこで、きょうは時間がないので、残された二、三の点について若干質問をいたしたいと思います。その前に、実はこの前もここで申し上げましたけれ
ども、
原因に
四つ五つあるだろう。
一つは、新潟地震の際にあれだけたくさんあった農薬が流出した、こういう
ように新潟県も言っているんだから、それが
原因ではないだろうか。これは、河口の患者が出た、魚がたくさん浮いた、毛髪の水銀量が非常に高い。農薬の散乱していたものを拾った、ビンを拾った、こういう
ような場所はみんな河口付近にしかありませんから、これが真犯人ではなかろうかと思いますし、昭和電工のほうからの反論も、多分そういうことが主体である
ように私は聞いておるわけです。そういう農薬がまず
原因ではなかろうかということが第一点。
それから第二点としては、この汚染地帯のどまん中にあってアセトアルデヒドをつくっておった日本ガス化学、これはまだ十分
調査をされておらない
ようですが、これも疑わしいものの一つとして、
調査をしなければならないものではないか、これが第二点。
それから第三点としては、これも当
委員会でこの前申し上げましたが、この汚染地域の近くにある農薬製造会社、この会社の汚染水を地下に圧入しておる、こういうことで地震の当時クイックサンドが出て地下水があんなにふき上げた、こういう現象が明らかに出ておるんだけれ
ども、それが、この前、加治川と申し上げて、私、間違いました。新発田川だと思います。新発田川、新井郷川を通じ阿賀野川に来たのではないか、こういう疑いが十分持たれるわけで、以上の
三つは、患者の発生している中心地にあって、やはりそういう疑いを持たなければならないものではないか。一つは農薬、一つは日本ガス化学、一つは農薬製造会社が汚水を地下に圧入しておる、こういう
ように申し上げました。
このことについて、私は、今後もだんだん具体的に例をあげて当
委員会等で質問をしたいと思いますので、きょうは実はそれに触れておる時間がありませんから、それを越えて、いま一つ、この前申し上げました散布農薬がどういう
ように河川を汚染しているか、こういう問題について若干申し上げたいと思うわけです。
お手元の資料3。これは、上のほうのグラフだけはこの前も当
委員会にリコピーで提示したわけですが、これは河川に含まれる水銀量を佐久病院の院長で日本農村医学
研究所長の若月俊一先生が千曲川で
調査された資料で「農薬のはなし」というのから、私、取り出してきたわけです。この上の図表を見ると、農薬を散布した十日後には二ガンマー・パー・リットルぐらいがコンスタントに流れておる。台風の来たときには約十ガンマ・パー・リットルぐらいが流れておる、こういうことをこれはあらわしていると思います。下のほうの図表は、それよりさらにたくさんの水銀が流れていることを示しておるわけです。これは農薬散布直後においては八ないし九ガンマ・パー・リットル、降雨のときには十七ガンマ・パー・リットル、台風のときにはやはり十七、八ガンマ・パー・リットル、こういうぐあいに農薬による水銀が千曲川に流れておる、こういう実験結果をこのグラフにあらわしたものです。これをメチル水銀に換算をすると相当な濃度になって、厚生省が御指摘になった
ような、昭和電工鹿瀬工場が一年間に百五十キロのメチル水銀を流しておりました、こういう
ように疫学班は仮定をしておりますけれ
ども、かりにそれをまるでうのみにした数字よりも、こういう
ようにして農薬を散布したその中に含まれている水銀の中のメチル水銀のほうがはるかに多いのだ、こういうことをこのグラフはあらわしておりますが、その下に算出基礎を若干書いておきました。下の図表で大体八ガンマ・パー・リットルから十七、八ガンマ・パー・リットルですから、一応平均として十ガンマ・パー・リットルの水銀が流れた、こういう
ように仮定いたしますと、十ガンマ・パー・リットルは〇・〇一PPMです。これを酢酸フェニル水銀に換算すると、〇・〇一PPMに、分子量ですから、掛ける二百一分の三百三十七ということで、これは〇・〇一七PPM、こうなる。メチル水銀量をどういう
ようにして出せばよいかというと、酢酸フェニル水銀の中に〇・三%のメチルが不純物として入っているわけです。ですから、そういう算式をそこに持ってまいりました。だから、千曲川のこのグラフの中においてはメチル水銀は〇・〇一七掛ける百分の〇・三ということで、〇・〇〇〇〇五PPM。これが千曲川の中に常時流れているところの農薬による水銀の中のメチル水銀、こういうことになるわけであります。
一方、厚生省あるいは疫学班が指摘されました電工鹿瀬工場の排水中には、一年間に百五十キログラム流れておる。これは喜田村先生の説でありますが、それをそのままうのみにしてここに
計算いたしました。そうすると、水の量は百十万トン・パー・アワーですから、この河川の中のメチルの濃度というものは〇・〇〇〇〇二PPM。これは私、この前の当
委員会で約五百億分の一ないしは七百五十億分の一の濃度です、こう言ったことなんですが、そのとおり〇・〇〇〇〇二PPMであります。したがって、これを比較したならば、農薬によるメチル水銀のほうが、疫学班の喜田村教授の指摘するのをうのみにしたままよりも約二・五倍ないし三倍の濃度のメチル水銀が流れておるのだ。阿賀野川と千曲川においては、酢酸フェニル水銀、いわゆるいもち病の農薬、その他メチル、エチルを含んだ農薬、こういうものを使う量においては、むしろ米作地帯であるから阿賀野川のほうが濃厚である、こういう
ように考えても差しつかえないわけなんですけれ
ども、一応ひとしいとしても、二・五ないし三倍の濃度のメチル水銀が流れているのではないか、こういう
ように換算できるわけです。十七、八ガンマ・パー・リットルぐらい流れているときには、約六倍ないし七倍ぐらいな濃度のメチル水銀が流れるのではないか、こういう
ように実は考えるわけです。この資料についての反論もあるいはあろうかと思いますが、この資料をもとにして私は若干の質問をいたしたいと思います。
というのは、メチル水銀を流したという鹿瀬電工よりさらに上流のほうにおいて、毛髪の中から明らかに水銀がたくさん出ておる、こういうことについて厚生省は
調査をされましたかという質問を出したところが、私に資料をもって答弁をしていただきました。これも全部読み上げるのはたいへん時間がかかりますが、昭和電工からはこういう
調査の結果の資料を入手しております。厚生省自身もこういう
調査をいたしました、こういう二つの表を私は厚生省からいただいたわけです。それによりますと、平均でいえば厚生省のは九・九PPM、約十PPMであります。昭和電工のほうの
調査資料を厚生省からもらったのによると十六・五PPM、こういうことであります。そこで私は、厚生省が御
調査になった、この阿賀野川全流域について、一体鹿瀬電工より下の中流あたりと、鹿瀬電工よりはるかに上流の福島県の会津地区、喜多地方地区における水銀量、こういうものをしさいに検討してみたところが、その間において有意な差が認められなかった。工場の中流と工場よりはるか上流のこの間を比較してみたところが有意な差が認められなかった。私がいろいろ
計算をしてみた結果、こういう
ように出てくるわけです。これも
説明すると若干長くかかりますので、この資料によって見ていただきたいと思うわけです。
この疫学班の報告は、だれが何PPMとなっておりませんのでよくわからないわけです。実際はそれを一まとめにして出していただきたい。そうすれば正しくわかると思いますが、それを私はそういうふうにまとめてみました。河口付近を下流地域として一番上の群に書きました。厚生省の資料をいろいろ検討した結果、そういう
ようなまとめ方になるわけですが、個人個人がわかりませんから平均がわからないわけです。したがって、一番右の端に、最大であったとして平均をしてみると、つまり十PPMまでの人が二百五十二人といいますから、二百五十二人がみな十PPM、二十PPMまでのものが二百九十四人、こうありますからみな二十PPM、こういう
ようにして最大だけで平均をしてみると、この群においては五十PPMになるわけです。これは、河口付近、下流付近における毛髪の水銀量は五十PPM、こういう
ようになります。これはそうならないけれ
ども、個人個人のがわからないので、下の中流と比較するために一応そうやりました。
ところが、下流から上の鹿瀬電工から下のその付近を私は一応中流と銘打つことにして第二群に入れました。これもやはり同様に十PPMまでのものが八人、それから二十PPMまでのものが一人と、こうありますから、そういう最大だけをみな合計をしてみますと、最大の合計の平均は二十PPMになりました。こういう数字しか見せてもらえないので、これはしかたがない。だから、中流と下流との平均は五十対二十だ、こういう
ように、河口付近の毛髪の水銀量と中流における水銀量とは、きわめて有意な大きな差がここに出ておる、私はこういう
ように、この資料だけで比較していただけるのではないか、こう思います。
これから次が問題です。そういうことでは、上流との比較になりませんから、今度は工場排水よりはるか上流の会津地区あるいは喜多方地区というものを一番下の第三群として書きました。これは厚生省からいただいた資料を、個人個人がみなわかっておりましたので、私はそれを合計して右の欄に書きました。一番下の第三群の右の欄です。昭和電工でやったという、厚生省からいただいた資料によると、平均十六・五PPMと会津地区はなっております。厚生省でやったという喜多方地区の平均は九・一五PPMになっております。厚生省がやりました会津地区の平均は十一・〇PPMになっております。これと比較するために、中流をなるべくこれに比較しやすいために、私は中流でこういう
計算をいたしました。ゼロから十PPMの人は平均五とし、十PPMから二十PPMの人が二人とか一人いると書いてありますから、それを平均十五PPMとし、そういうぐあいの平均のしかたをして、その右に書いた中間値で平均してみると、こういうふうになる。こういうふうに書きました。中間値で平均してみると十三・三PPMであるわけです。中間値でそれは平均をした。その
意味はわかっていただけるでしょうか。個人名がわからないので、そういう
ような便宜的なことをやるよりしかたがなかったわけです。
そうすると、こういう結論が出るわけです。鹿瀬電工から下流までの間を中流といたします。中流は十三・三PPM、鹿瀬電工よりはるかに上流の福島県へ入って平均をしてみると、十六・五PPM、九・一五PPM、十一・〇PPM、こういう結果になるから、私は、工場の上と下とにおいては、毛髪水銀量に有意な差が認められない、上も下も同じである、こういう
ように、この毛髪量から断定できるのではないか、私はこういう
ように考えるわけです。
厚生省は、先ほど「広域汚染については患者発生地域から上流鹿瀬町までの住民の水銀の保有量の
調査結果から上流にも異常に高い水銀の保有者が発見されていることから局地汚染とは考えられなかった。」こういう
ように言っております。これは異常に高い人が一人だか二人いたことを取り上げて、たぶん百PPMある人が中にいたからということですが、この図表の中流の中にそれを含めて私は平均をいたしました。それから百PPMだ、何PPMだという人はほかにもたくさんおるわけです。たとえば、厚生省が私に出していただいた資料の会津地区においても三十PPMも高い人がおるわけです。あるいは若月先生の資料によれば百PPMの者もありますと文献に載っておるわけです。だから、これは特別な人をここに書いてある
ようですが、これまた、あとで論争するといたしまして、とにかく私がこういう
ように比較してみたところによると、中流と下流との間にはきわめて有意の差が認められる。ところが、中流と上流の間においては有意の差が認められない。こういうことをもってしても、私は先ほど資料3で申し上げましたけれ
ども、水銀農薬が毎日川を汚染しておることにおいて非常にその流域に影響があるのだ、こういう
ように考えざるを得ないわけです。この点について、ひとつ厚生省の御所見を承りたいと思うわけです。