○小柳勇君
産業公害の責任問題で一番大事な点は、一つはその予防もあります。予防では国の
負担でございましょうか、企業
負担でございましょうか。いま
厚生大臣は、原因があればもちろん賠償するのだ、これは当然のことであります。私いま問題にしているのは水俣病。永俣病ということで一応の結論が出て、そして通産省に対しましても厚生省に対しましても
経済企画庁に対しましても、ちゃんと
意見が出ている。だから、あれと同じような病気が二度起こっておりますから、通産省や厚生省や、あるいは
経済企画庁などの、このような法を適用する各省が失敗があったのではないか、完全にやっておけば再びああいう事故は起こらなかったのではないか、そのことも考えなければならぬのではないか。ただ、これを原因を追及いたします、それはもう何年にもなります。
生活保護を受けている人、あるいは重症の人は、もう国の保護を受けないままなくなってしまいます。そういうことがあってはならぬのではないか。したがって、企業責任もですけれども、行政責任もちゃんと考えてくださいよと、そういうことを言っているわけです。それにこたえる道は、結論を早く出してもらって、一日も早くそういう人を救ってやる、そうして国が、あるいは企業が責任をとる、こういうことであろうかと思いますけれども、ただ責任のがれだけしてもらっちゃ困るのです。
産業公害の問題まだありますけれども、先に進みます。
次は、満州開拓義勇隊の問題です。これもちょうどいまの国会で在外
財産処理の問題が論議されておりますから、これで忘れられては十数万の当時の少年が泣き寝入りになりますから、一番いい機会でありますから提案をするわけであります。それは終戦前、
昭和十八、十九、二十、高等小学校を出ましてすぐですから満十五歳です。満十五歳の少年に対しまして、県、
市町村が勧誘して満州開拓義勇隊を募集した。そして、それは三年間訓練をいたしました。少年軍人と同じように訓練いたしまして、満州を開拓するのです。開拓団になりますと、また処遇も別途あります。そういう人がソ連参戦後は準軍属として処遇された。ソ連参戦前の方は全然一人の市民として、年齢も十八歳未満でありますから、補償の金額もわずかです。
昭和三十一年の十二月の引き揚げ者給付金支給を受けました者は、一年間に九百二十七円の支給を受けている。十年間でわずかに利子をつけて九千二百四十円。その後向こうでなくなった方の慰霊祭もないし、野火に焼かれ、あるいは傷害のためにいま半身不随で
生活扶助なぞもらっている方がありますが、厚生省の援護局にこんなにたくさんの何とかならないかという請願がありますけれども、これは法律がないからということで却下されておる。で、この在外
財産処理の問題は、この国会でこれが問題に取り上げられなければこれでもう終わりじゃないか。しかも、この在外
財産処理の審議会の答申には、一定の年齢に達していなかった者は除外すると書いてあります。十八歳未満の者は除外の対象にもなろうとしておる。現在要求するのは、たいして要求しない。たとえば向こうでなくなった方の慰霊祭をしてくれないか、あるいは現在こちらで
生活扶助を受けている身体不自由者には傷病年金など、そういうものを準軍属としての処理をしてくれぬか、ささやかな要求でありますが、現在数で十万ぐらいではないかといわれております。そういう者に対して、この際、在外
財産処理の問題が論議されるこの国会でこの問題も取り上げて善処していただきたいが、
総理大臣の見解を伺います。