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稲葉誠一君 勾留したときに、だから具体的にどういう証拠隠滅のおそれがあるかとか、逃亡のおそれ、二つで勾留しておるのですね。いまの中心点は、証拠隠滅のおそれはなくなっちゃっておるのでしょう、この公判廷の中心は。だから、この二つというものは、これはきまり文句でみなくっつけるのです。何でもみんなくっつけるのですよ。印刷してあるんですからね。印刷してあるのは、みんなそのままくっつけるのと同じなんですよ。それが
一つ。
それじゃ具体的に証拠隠滅のおそれがあると勾留するときに
裁判官が判断したのかしないのかということなんですよ。そこがぼくは不明だと思う。十分にこの内容を判断してこういうような結論を出したというなら、私はまだまだ見解の相違ということになってくると思うのですけれ
ども、そこらのところが
——本件の場合には判断したのでしょう。だけれ
ども、一般的な場合にはそこまではやっていないのじゃないかということが考えられる。私も勾留尋問に立ち会ったことがあります。十何人も
一つの部屋に入れておいて、ただ端からばたばたやるだけですからね。ばたばたとやって、一人一分くらいでどんどん済んでしまうのですからね。これは裁判でも何でもないですよ。惰性でもって行なわれているのではないかということが
一つ考えられる。
それからもう
一つの問題は、入っている被疑者は黙秘権を使っている。黙秘権は権利ですよ。権利として黙秘権が与えられているわけですね、憲法上。で、使っている。そうすると、そのことから、さあ証拠隠滅のおそれがあるという形に、すぐそこに持っていくのですね。権利として黙秘権を与えられているのですからね。それを行使することによって、そのことで証拠隠滅のおそれのほうに持っていかれて勾留されるのでは、何のために黙秘権が与えられているのかわからなくなってくる。あるいは、それは全然
考え方が違うのだ、黙秘権を与えられているということとそのことによって勾留されているということは別個の問題なんだという、こういう
考え方はあるかもしれませんけれ
どもね。中に入っている人がいろいろしゃべっているというなら、また通謀
関係の問題も起こってくるということは言えるわけですね、理論的に。完全黙秘で、黙秘権を使っているなら、外部との通謀
関係というものは起きないじゃないか
——通謀の問題は起きてこないじゃないかということも、そこに言えるのじゃないですか。まあここはちょっと議論のあるところだとは私も思いますが。だから具体性がないのですよね。証拠隠滅のおそれがあると言っても、何がどこにあるのか、わけがわからない。まあそのことは、いま検察庁からの報告が出ましたから、私もそれ以上言うと、みんなぼくの知っている人ですので、悪いから言いませんけれ
ども、この勾留開示の前の日に主任
検事が釈放すると言ったわけですよね。夜おそくまで釈放に走り回っているのですよ。それがいろんなことで釈放にならなかったわけですけれ
どもね。まあそれ以上ぼくは言いませんけれ
ども、どうも納得が私はいかないですね。
大臣、これは本件より離れまして、たとえばある男が強盗殺人を犯している、かように考えられる。あるいは、そうでなくして、別の大きな犯罪を犯している。そうすると、一年前とか二年前とかのつまらない横領
事件だとか小さな傷害
事件で逮捕状を請求し、勾留を認められるでしょう。で、調べられるのは、別の強盗殺人とか、ほかの犯罪、これを調べるわけです。たまたま強盗殺人なんかの
事件が
——非常にうまくいけば問題にされないかもわからないけれ
ども、もしうまくいかなかった場合、あるいは逆に、その横領だとか傷害だとかのきわめて微細な
事件で、それで逮捕をしていながら、別の大きな、たとえば公安
事件だとか何とかの調べをしようとしておる、こういうようなことが相当考えられるわけですね。いわゆる別件逮捕、いわゆる別件勾留ですね、これなんかも全く無批判に行なわれている。これは憲法違反ですよ。この強盗殺人なりあるいは別の大きな
事件では、逮捕状も出ていない、勾留状も出ていない。また、出せないわけですね、それだけの
根拠がないのですから。それを小さな横領
事件だとか傷害
事件だとかということで逮捕して、それだけを調べるわけですね。いわゆる別件逮捕、これは公然と行なわれている。これは
法律的に厳密に言うと、
法律違反じゃないですか。どういうふうに考えているのですかね。これはもう明らかに
法律違反ですよ。逮捕状がなくて逮捕して、勾留状がなくて勾留できるのと全く同じですよ。そうじゃないですか。もうずいぶん行なわれているわけです。無批判に行なわれている。これはどういうふうにお考えなんですか。