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1967-05-23 第55回国会 参議院 文教委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十二年五月二十三日(火曜日)    午前十時三十四分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         大谷藤之助君     理 事                 楠  正俊君                 中野 文門君                 秋山 長造君                 鈴木  力君     委 員                 北畠 教真君                 近藤 鶴代君                 吉江 勝保君                 小野  明君                 小林  武君                 成瀬 幡治君                 林   塩君        発  議  者  鈴木  力君    国務大臣        文 部 大 臣  剱木 亨弘君    政府委員        文部大臣官房長  岩間英太郎君        文部省初等中等        教育局長     斎藤  正君        文部省体育局長  赤石 清悦君        文部省文化局長  蒲生 芳郎君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省文化局審        議官       安達 健二君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○札幌オリンピック冬季大会準備等のために必  要な特別措置に関する法律案内閣提出) ○女子教育職員育児休暇法案鈴木力君外一名発  議) ○教育文化及び学術に関する調査  (昭和四十二年度文部省施策及び予算に関す  る件) ○著作権法の一部を改正する法律案内閣提出)     —————————————
  2. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  札幌オリンピック冬季大会準備等のために必要な特別措置に関する法律案議題といたします。  まず、文部大臣から提案理由説明を聴取いたします。剱木文部大臣
  3. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) このたび政府から提出しました札幌オリンピック冬季大会準備等のために必要な特別措置に関する法律案につきまして、提案理由とその概要について御説明申し上げます。  アジアで最初札幌オリンピック冬季大会の開催については、昭和四十年九月、政府としても閣議了解をもって協力援助を行なうこととし、また招致決定後におきましては、昨年、札幌オリンピック冬季大会組織委員会の成立とともに、大会準備に関し、政府関係省庁職員をもって組織する準備対策協議会を設けるなど、この大会準備に対する協力体制を樹立し、大会成功を期しておるところであります。  この冬季オリンピック大会は、かつてのオリンピック東京大会と比較し、その内容等においては小規模でありますが、その環境、条件等について、かなり相違している点があり、その準備に特別の考慮を払う必要があります。したがって、世界各国に深い感銘を与え、多大の成功をおさめたオリンピック東京大会と同様な成果をあげるためには、各般の準備体制を十分整え、遺憾なきを期する必要があります。  それには、大会運営の直接責任者である財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会業務の円滑な遂行と、大会に参加するわが国選手競技技術向上に資するため必要な特別措置について、オリンピック東京大会のときと同様な方途を講ずる必要がありますので、この法律案を提出することとした次第であります。  次に、この法律案の要点について御説明申し上げます。第一は、国が札幌オリンピック冬季大会組織委員会に対し、大会準備及び運営に要する経費について、予算範囲内において、その一部を補助することができるものとしたことであります。  第二は、大会準備及び運営のために必要とする国有財産を無償で使用させることができるようにしたことであります。  第三は、大会準備等に必要な資金を調達するために、財団法人スポーツ振興資金財団財源調達事業に関し、各公社等の必要な援助について、所要の規定を設けたことであります。すなわち、その一つは、寄付金つき郵便はがき等の発行の特例を設けたことであり、その二は、大会準備資金調達のため、資金財団に寄付することを目的として、たばこの包装、もしくは日本国有鉄道施設を利用して広告事業を行なう場合には、日本専売公社及び日本国有鉄道は、これに必要な援助を行ない得ることとし、その三は、資金財団が、日本電信電話公社印刷物等を利用して広告事業による資金調達を行なう場合についても、同様に同公社が必要な援助を行なうことができることとしたことであります。  第四は、組織委員会が、業務効率的運営をはかる上において必要な職員政府地方公共団体から得やすくするため、退職手当等算定上、在職期間を通算する措置を講ずるほか、諸法令上、これらの職員公務に従事する職員とみなすこととしたことであります。  第五は、スポーツ振興資金財団大会準備資金にかかる会計については、その経理の適正を期するため、会計検査院の検査の対象としたことであります。  以上が、この法律案提案理由とその内容概要であります。何とぞ、十分御審議の上、すみやかに御賛同くださるようお願いいたします。
  4. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 以上で、本法案についての提案理由説明聴取は終了いたしました。
  5. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 女子教育職員育児休暇法案議題といたします。  まず、発議者から提案理由説明を願います。鈴木委員
  6. 鈴木力

    鈴木力君 ただいま議題となりました女子教育職員育児休暇法案につきまして、その提案理由内容概略を御説明申し上げます。  わが国女子雇用者数は、年々増加し、昭和四十年には八百七十三万人、雇用者総数の三一・四%となり、この十年間に倍増いたしております。そして、女子雇用者中における中高年齢層も相対的に増加し、有配偶者は三五%となり、従来の若い未婚者、短かい勤続年数という女子雇用者のイメージは消え去り、年長の既婚者、長い勤続年数という欧米型の特徴へ近づきつつあります。この傾向は、教育界の場合も同様で、年々女子教員が増加しております。すなわち、昭和四十年度における教員総数のうち、女子教員の占める割合は、幼稚園九四%、小学校四八・四%、中学校二五・四%、高等学校一七・三%、特殊教育学校四〇・八%であり、県によっては小学校で平均六五%に達しているところもあり、有配偶者割合も小、中学校女子教員の三分の二を占めております。このような女子教員増加傾向は、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス等工業諸国における高い女子教員比率を見るまでもなく、今後さらに強まるものと考えられます。  ところで、わが国女子教員出産状況はどうかといいますと、昭和四十年度において、公立小、中、高校女子教員二十三万人中、約二万人が出産をしております。出産率は八・六%であり、これはわが国女子雇用者全体の出産率二・四%をはるかに上回っております。これらの母親になった女子教員たちは、その生児を親族に見てもらったり、子守りを雇ったり、よそへ預けたり、ごく少数は保育所に頼んで勤務しておりますが、中にはこうしたこともできなくて、やむなく退職する人々相当数にのぼっております。たとえば、昭和三十六年度の公立小、中、高校における女子教員退職者六千二百四十九名中、三十四歳以下は六六・三%を占めており、その大部分の退職理由育児出産であります。つまり、教育界においては出産者総数の約四分の一が育児のために年々退職しております。こうした実情は、考慮されるべき幾多の問題があるように思われます。その第一は、今後一そう乳幼児をかかえる女子教員が増加する傾向にあるものの、保育のためにやむなく退職する人々が多いということは、熟練度も高く、人間的にも成熟した女子教員を失うことであり、教育上の損失が大きく、国の教育投資の効果を減殺することになります。  第二には、保育のためにやむなく退職した女子教員が再就職したいという場合には、わが国では給与、年金、退職手当採用年齢制限等という制度上の障害があるほか、本人自身の能力の停滞もしくは減退という問題もあり、非常に困難であります。  第三には、責任ある乳児保育施設がことに少ないわが国の現状から、婦人職場進出社会的要請として促進されていることと関連して、私設の乳児施設が流行し、高い託児料にあわせて乳児を不注意から死亡せしめる等の事故が起こっておりますことは、御承知のとおりであります。これは社会的現実の急速な進展に対して、国の施策が著しく立ちおくれているその矛盾のあらわれというべきでありましょうが、このような現実の中で、婦人の多い職場ではっとに保育休暇もしくは保育休職制度が問題となり、電電公社では当局と組合との協約に基づいて、昭和四十年度から向こう三か年間にわたり、育児休職制度をテスト的に実施することに踏み切っております。これはわが国最初の試みと言えましょうが、このような問題は女子教員の多い教育界でも真剣に検討されており、日教組でも全国教育長協議会でも制度の実現を強く希望しているところであります。  第四には、世界的な女子雇用者増加傾向の中で既婚婦人雇用問題が国際的共通課題となり、一九六五年六月のILO総会において、「家庭の責任をもつ婦人雇用に関する勧告」が採択され、育児のための休暇休職制や退職した婦人職場復帰の問題が取り上げられました。これは既婚婦人が直面する育児職場の両立という問題について、個人ではなく社会全体の責任として処理すべきことを提唱しているものと思われます。右の趣旨は、昨年行われた「ILOユネスコ共同教員地位に関する勧告」にも詳細に盛り込まれているところであります。  以上申しました諸点を考慮いたしました結果、この際、国公立幼稚園から高等学校までの諸学校において育児休暇制度を設け、女子教育職員育児のために退職することを防止することにより、経験ある女子教育職員を確保して教育水準維持向上をはかることを目的として本法律案を提出した次第であります。  法案内容といたしましては、第一に、国立または公立小学校中学校高等学校、盲学校ろう学校養護学校幼稚園に勤務する女子の校長、教諭養護教諭、常勤の講師、実習助手及び寮母を対象として、その生児を育てる女子教育職員から請求があったときは、その生児が満一年に達する日までを限度として、任命権者育児休暇を承認しなければならないことといたしました。  第二には、この育児休暇は、死亡や養子等のため育てる子がいなくなったとき、本人の再出産があったときや、本人休職または停職の処分を受けたとき または、本人から申し出があったとき等には中途でも終了することを定めております。  第三には、育児休暇を承認された女子教育職員は、その期間中、身分は保有するが職務に従事しないこと、また給与については、国立学校の場合俸給及び諸手当通勤手当超勤手当を除く)の百分の八十を支給されるべきこと、公立学校の場合はこれに準ずべきこと、また、育児休暇をとったことを理由に、本人が不利益な取り扱いを受けないこと、その他退職手当公務災害保障制度における運用について定めております。  第四には、任命権者は、育児休暇中の女子教育職員職務を補うために、正式採用教員を配置しなければならないこと、それが不可能または著しく困難なときは臨時的任用教員を配置することができる旨を定めております。なお、これに関連して、附則において文部省設置法公立義務教育法学校学級編制及び教職員定数標準に関する法律公立高等学校設置適正配置及び教職員定数標準等に関する法律の定員もしくは定数算定方法をそれぞれ改めております。すなわち、補充教員については、正式採用教員のワクを女子教育職員総数の二%とし、なお不足する場合は臨時任用教員をもって充てることを考慮しているのであります。  第五には、附則において、本法施行期日を公布の日から起算して三月をこえない範囲内において政令で定める日といたしました。これは制度実施のためには若干の準備期間が必要であることを考慮したからにほかならないのであります。  第六には、同じく附則において本法対象となる女子教育職員について、当分の間、普通免許状を有する女子助教諭養護助教諭をも加えることを定めております。これは教員需給のアンバランスから、免許状該当課目以外の課目臨時免許状によって担当している教員がいまなお多い実情に立っての当面の救済措置であります。  以上、本法律案提案理由内容概略を御説明申し上げました。何とぞ十分御審議の上、すみやかにご賛成くださいますようお願い申し上げます。
  7. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 以上で本法案についての提案理由説明聴取は終わりました。     —————————————
  8. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 教育文化及び学術に関する調査中、昭和四十二年度文部省施策及び予算に関する件を議題といたします。  質疑のある方は、順次御発言を願います。  なお、政府側より剱木文部大臣斎藤初中局長が出席いたしております。
  9. 鈴木力

    鈴木力君 大臣にひとつお伺いをいたしたいのは、これはお伺いする前にちょっと私ども態度を申し上げますけれども、先日行なわれました全国教育委員長会議、それから全国教育長会議の二つが行なわれたようでありますけれども新聞の報道によりますと、大臣のごあいさつ福田次官のごあいさつとが著しく食い違っておる。しかも、この福田次官あいさつも、新聞記事によりますと、何か意図的に民主団体を誹謗するという態度が非常に強く見えておるわけでありまして、こういう点について若干お伺いをいたしたいと思います。これはなお私ども今日まで、大臣に対して文部省日教組との関係につきましては、継続的に御質疑を申し上げておる途中なのでありますけれども、この次官発言について、文部省がどういう態度でこういう発言をさしておるのか、そういう経緯を伺いたいのでありますが、ちょっと読んでみますと、文部大臣のおっしゃったことは、まあ日教組に対する件について申し上げますと、日教組も以前のような行き過ぎた行為は影をひそめ、少しずつ正常な教育活動をとりつつある。しかし云々、とあります。ところが福田次官発言は、新聞記事によりますと、こういうことばを使っておる。『ユネスコILOが採択した「教員地位に関する勧告」にふれ「教育長もじゅうぶん検討の上、日教組に対し反論できる姿勢をもって欲しい。勧告では専門職としての教職員団体をかなり高く評価している。しかし日教組専門職教職員団体とは似ても似つかぬ闘争にあけくれる団体である。さらに日教組勧告のなかみを“ツマミグイ”し、要求書を書面で提出してきたが文部省はこれを拒んだ」』、こういう表現で新聞は伝えておるのでありますが、まあこれは新聞記事でありますから、どういうことばを直接使ったのかは私はわかりませんけれども、少なくともいま国会でもこの日教組文部省との関係を、私ども衆議院でもたぶん大臣に御質問申し上げた。そういうことを重ねておるのでありますけれども、その途中に次官が、しかも大臣とも違ったものすごく誹謗的な態度をとって発言をされるということは、文部省の中でどういう扱いでこういう発言をさしておるのか、その辺をまずお伺いをいたしたいと思います。
  10. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 私もいま新聞を拝見しまして内容を知ったのでございますが、文部次官発言につきましては、もちろん私の責任でございます。ただ、その当時私は在籍しておりませんので、その間の事情局長から一応説明させていただきたい。
  11. 鈴木力

    鈴木力君 これは、この中身について議論をいたしますと相当長くなると思いますから、私はこの議事の協力をするために、あまり長くは申し上げませんけれども、少なくとも次官が、大臣がいなかったから何言ったか知らないと言われれば、それはそれまででありますが、次官全国教育長会議にいて、いま国会審議している、まあ私ども野党といたしますと、こうあるべきだという意見を出しながら、いま大臣審議中、あるいは質疑を申し上げている最中なわけです。国会に出ないからといって、かってなことをそっちでは言って歩かれてということになりますと、これは私は単に日教組文部省という関係ではなしに、文部省の官僚は一体国会というものをどう見ているのか、こういうところまで発展する重大な問題だと思うのです。ですから、たとえば文部省の側からいいますと、いろいろ国会に対しては審議協力をしてほしい、この法案が通らなければ文部省が困るからという言い方もあります。私どもはよくその事情はわかる。しかし、一方から言いますと、いま私どもがこの問題についてどうあればいいかということを公式に大臣国会の場で質疑の最中である。そういうときに、あえてこういう発言をしたというのは、私は文部次官日教組に対して誹謗したということではなしに、国会における野党に対するこれは排発だとしか見られないのです。これはそのときどう言ったかということはあとでまた問題にするといたしましても、私ども文部次官発言をこうとらえるということについては大臣はどうなんです。もっともだと思われますか。
  12. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 国会中にこういう発言をいたしましてたいへん皆さんを刺激したことは申しわけないと存じますが、しかし、文部次官が申しましたことは、これは日教組教員地位に関する勧告に対しまして、私に対する公文書をもちまして質問書を提出されました。これに対しまして、従来、日教組公文書質問書に対しまして文部省としては正式の回答をいたしたことはないと聞いておりますが、私はやはり事を明確にするという意味におきまして、文書をもって回答すべきであるという考え方をもちまして、これに対して回答をさしたのでございます。文部次官が読み上げましたのは、おそらくその回答書の一部分を読み上げたのではないかと存じまして、その意味におきましては、それと的確に合うかどうか、いままだ調べてみておりませんが、的確に合うようなことばでありましたならば、全くこれは私の責任でございまして、次官責任ではないと私は考えております。
  13. 鈴木力

    鈴木力君 それでは、私は一つだけこれは大臣要望しておきますが、内容的にもきわめて不穏当な内容を含んでおると思います。内容論はきょうはいたしません。つまりユネスコILOの採択した勧告政府勧告になっておるわけでありますが、その解釈も正しいのか正しくないのか、これらもまた議論してみなければわからぬ問題がたくさんあると思いますが、さっき言いましたように、それらの内容問題等を含めてこの次官発言態度ですね。これについては私はどうしても容赦できないような気がいたします。そこで大臣にお願いをいたしますが、この次官発言をした内容要綱をできるだけ早い機会に私ども資料として出していただきたい。その資料を出してもらってから、この扱いについては私どもとしても検討をいたしたいと思います。
  14. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 承知いたしました。すみやかに提出いたします。
  15. 鈴木力

    鈴木力君 それじゃ私はこれで終わります。
  16. 小野明

    小野明君 私も大臣日教組との交渉の問題について若干お尋ねをいたしたいと思っております。それで、前回の秋山委員質問によりまして、一体、大臣日教組との交渉のどこに隘路があるのか、こういった点については大臣の誠意ある答弁によって私どもわかったわけであります。しからば、そういった答弁がありましたが、この日教組文部大臣との交渉を開くにあたっての隘路、これをやはり私としては打開をしていただきたい。また、大臣の熱意と努力によって打開できないものではないのではないかと、こういう気がいたすのであります。そういった党内事情なり、あるいは省内における問題解決努力をされるお気持ちがあるものかどうか、この点をまずお尋ねをしてみたいと思うのであります。
  17. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 昨日、実は教育長会議で、私、発言をいたしましたが、私のあいさつに追加いたしまして、私の感想を教育長に申し上げました。それは、文部大臣の当然の責務は、教育者教育の場におきましてほんとう教育者として教育に没頭していただく、精進していただく条件をつくることが文部大臣責務であると考えておる。不幸にして、ただいま日教組と会見をしないというような状態におちいっておりますけれども、私自身としましては、お会いして要望を聞くとか聞かぬとかいうことをこえて、現場におきます教育者要望を実際上の施策の上に取り上げていきたい、またいくことが使命だと考える。それで、いまの話し合いができないのはきわめて私としては不幸な状態だと考えておるということを申し上げました。私と日教組の諸君とがほんとうに胸襟を開いて話し得るような状況になりますことを念願にいたしておりますし、またそれに対します努力は今後ともいたしてまいる決意でございます。
  18. 小野明

    小野明君 わかりました。それで不幸な状態ということについては私も同感でありますけれども、なお大臣に積極的なそういった点の努力をお願いしたい、こういう立場から私は以下お尋ねをしてまいりたいと思うものであります。  それでこの交渉が中断をされたのは有田文相のときからだと思うのであります。その前の中村文相のときには、この交渉なり、あるいは話し合いというものができたわけですね。これは御存じですね。それでそのことを振り返ってみますと、総評政府との間にいわゆる定期交渉、こういうものが例のドライヤー委員会勧告によって開かれたわけであります。これが契機になりまして、総評とそれから政府との間に定期会談が二回ばかり開かれておるのであります。その際にもその定期会談の一番焦点というのは、やはりこの文部大臣日教組との会談についてということが焦点になっておりました。この定期会談の際のいわゆる佐藤総理あいさつといいますか、これを振り返って見てみますと、次のようなことが述べられておるわけです。総理がおればいいのでありますけれども総理がおりませんから、このことを文部大臣に言うのはどうかと思うし、また、大臣もこの点については御承知ではなかろうかと思うのですが、総理がこういうあいさつをしておるわけですね。ドライヤー提案による労使間の定期会談が開かれることになったことについてはたいへん喜ばしい。相互信頼確立のためにぜひ定期的に会合を行なっていきたいというのが第一点。それから第二点は、そのためには一番問題のある文部大臣日教組との話し合いの問題が一番焦点となっておるけれども、いろんな問題もあることだし、このような定期的な会合の中において条件をつくり上げていきたい、こういうあいさつをしておる。なおこの点に対しまして総評側から岩井事務局長がこういう質問をしておるわけです。文部大臣日教組話し合い陳情請願ということではなく、官房長官との予備会談の中で統一した話し合いということに統一して、できるだけ早く条件を整備して話し合いができるように努力する、こういうふうに受け取ってよろしいか、総理はこの質問を受けまして、話し合いが早急にできるように措置をする、こういうふうに答えられておるわけであります。こういったことが前提になりまして、中村文相日教組との会談というのが一昨年でありますか、八月二十六日に開かれておる。こういった経過を踏まえて今日来ておる。この総理最初あいさつの中にあります趣旨というものは、今日、佐藤内閣でありますから、私は当然、文教行政の中に一貫すべきだと思うのであります。この点についてどのようにお考えになりますか。
  19. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 総評との会合におきましてそういうお話が出、また、総理からそういう話があったのは私も承知いたしております。その結果として、文部大臣日教組話し合いをいたすことになりますし、前後三回でございますか、話が行なわれたと思います。その話の中間におきまして、中村文部大臣から例の三条件を出されたのも事実でございます。この条件は、もちろんその話し合いにおきましてこれを聞かなければ話し合いを開かないという意味条件ではないけれども、しかし、文部省としては重大な関心を持った強い要望であるというような態度であったようでございます。その後、会見する人二名に限るとか何とかいう話し合いもあったようでございますが、その後話し合いが行なわれてまいっております。それから有田文部大臣になりましてから、その要望に対しまして、日教組のほうで何ら考慮の余地のないような状況においては、話し合いをいたしましても教育上有効な話し合いの結果を得られるとは思われないから話し合いをしないということで、有田文部大臣の場合は話し合いをいたさなかったと聞いております。それで、次に私が引き受けて今日に至っておるわけでございますが、私もやはり有田文部大臣と同じように、あの三つの条件話し合い条件として出されたのではなくても、しかし、私どもとしては重大な関心を持った条項でございまして、これに対してやはり善意ある態度でおられれば別でございますが、これに対しては一歩も顧みないというような態度であられますと、基本的にやはり話し合いを続けていくという状態にまで私の立場としましては進めてまいるわけにはいかない、こういうので会見をお断わりし続けてまいっておるのでございます。  私は、そこで、御質問趣旨にはないことでございますが、しかし、労働組合と政府との間におきまして相互信頼の観念を持って話し合いをするということは、ドライヤー委員会の忠告を待つまでもなくきわめて必要なことではないかと思います。でございますから、何とか打開する意味におきましては、この総評との話し合いをつけていただいて、その間におきまして個々に問題の解決策を見出す方法はないかどうか、むしろそういったような意味において、文部大臣と会わなければ政府総評との話し合いも中断したままでということでなしに、これは、やはり労働組合と政府との相互不信感を取り除く意味合いにおきまして、現段階において何とか話し合いを続けていただく方法を総評の側においても、また政府も——これはそうなれば、私は政府のほうに進言をいたします——ことはできないかどうか。これは、少なくとも私がそういう話し合いをするという努力を払う一つの方法の場面ではないかと、私はそう認識いたしておるのでございます。
  20. 小野明

    小野明君 御趣旨、よくわかりますが、私どもも党の立場からも、ぜひこのドライヤー委員会——国際常識の場において勧告をされておるわけでありますから、この精神にのっとった定期会談が開かれるように努力をしてまいりたい、こういう気持ちでおるわけであります。しかし、大臣が前段述べられました問題でありますが、中村文部大臣は、この三つの問題は条件ではない、強い要望である、こういうふうに言われておるのであります。で、これは当時から今日まで一貫しておると思うのでありますが、この点については、大臣においても同様であるかどうか。前回の鈴木委員なり、あるいは秋山委員質問によります御回答から見ますと、私は、中村文相と同じ御態度であると、このように受け取らざるを得ないのでありますが、いかがでございますか。
  21. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) それは中村文部大臣のみならず、有田文部大臣、それから私に続きまして、一貫した私ども文部省としての態度でございます。
  22. 小野明

    小野明君 それでは次に、日教組から文部大臣に対して質問書が出されました。それに対しまして、いまの鈴木委員質問からお伺いしますと、回答を出されたと、こういうふうに言われておるんですが、これは、いつ回答をお出しになったのですか。
  23. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 実は先ほど私が、これは文部省からの文書による回答と申し上げましたが、実は文書によりましての正式の回答ではなしに、その内容につきましての説明局長から日教組のほうに申し上げたのでございまして、その申し上げたのは、内容は、書いたもので差し上げたということでございます。
  24. 小野明

    小野明君 そうしますと、大臣が言われました正式回答というのではないのですね。ここに私は写し、いわゆるメモの写しを持っておるのですが、これですか。——これはどうして正式回答をお出しにならないか。あるいはこのメモというものの性格は一体何なのか。少なくとも先ほどの大臣の御趣旨からいきますと、かなり違った方向で片づけられておる、いわば仮領収書みたいにぽんとやっておるという点がうかがわれるのですが、いかがですか。
  25. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) 日教組が、ちょうど四月の四日に、教員地位に関する勧告についての一種の質問状、向こうのことばによれば、公開質問状のようなものを持ってまいられました。私そのときに——ちょっと経緯を申し上げませんとメモの意味がわかりませんが、私はその中で、各条項の実施をどうするかということを質問しております。しかし、この勧告自体を実はどういうふうに受け取っておるか、また、その勧告に応ずるこの報告ということ自体についても非常に性急に行なわれるんだというような誤解を持ってまいりました。実はこの勧告を受けるべき混合委員会の設置自体もまだ国際間で組織権限も議題になっておらない。それから定期報告というものがどういう形で行なわれるかも、まだ、したがって、議題になっていない時期に、こういう質問状を、個々の条項で出すこと自体がおかしいじゃないかということを私は申しました。むしろ、こういうものはある時期に至って、政府がどういうふうに態度を固めるかという問題であって、早急にやることはこの事柄の性質としておかしいじゃないかということを申し上げました。その後、私といたしましては、ただ正式の地位に関する勧告の報告書ができたならば、日教組にもよこすかという問題がございます。ですから、それは私は、はっきり文部省として回答すべきことであるから、次にこられたときに、それは私の口から、これは日教組を含めてあらゆる教員団体に、文部省としては正式の訳が出ましたらお送りしますということは申し上げました。それで問題は、実はいま全部にわたって条項を、文部省態度というものを全部についてきめるべき時期でもない、国際的な勧告なんというのはそういうものなんだから、しかし、せっかく質問が出てきたのだから、われわれは担当者としてどういうふうに考えているか、担当の審議官によく説明させましょう、相当誤解がありますよ、この勧告そのものについても、あるいは提出の時期についてもということで、しかし、それもことばで言っているだけではわからぬだろうから、その要旨というものについてはメモにして、メモで持って帰れるような形でもってお帰りになるのが一番いいだろう。そのメモをつくるにつきましては、私たち初中局の担当者だけではなく、一応、これは大臣までも私どもがこういうふうに当面考えておるということについてはお目にかけた上で、そうして世間的にはクラブにも私ども態度を発表し、また、日教組がこられた場合には、担当の審議官から、現在そういうことで、どういうポジションをとっておるかということを詳しく説明する。ある部分については非常に誤解しておられる点もございますが、特に報告の時期等も非常に性急なものだというふうに考えられておる点は、これは全く誤解しておられましたし、また、勧告自体の内容の訳その他についても、かなり違っている部分があります。そういう意味で、私はこういうものの性質として解説をし、そうしてメモで渡すのが一番いいという考え方で渡して説明をさせた、こういう事情でございます。
  26. 小野明

    小野明君 そうしますと、この日教組質問状を読んでみますと、今日に至るも去年より日教組に対して勧告文書の送付はもとより、とらるべき措置については何の話もないじゃないか、こういう抗議が出ておるのでありますけれども、正式に文書がくれば、当然、日教組にも送る、こういうことですね、協議を求めるということですね。
  27. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) その点は、私から正式回答として申し上げた部分はそれが一つだけでして、あとはその内容は、いま私の、責任者の口からこの勧告について正式にどうのこうのというものじゃなくて、それについてどういうふうなポジションをとっておるかということを、むしろ解説するほうが適当であるということで、担当の審議官に説明させた、こういうことであります。ですから、お送りします点は正式の回答を私は口答でいたしました。
  28. 小野明

    小野明君 文部省にはこれはまだ来ていないのですか。これには、私の持っておる資料では昨年十一月のILOの理事会でモース事務総長から各国政府に対して、十二月一日から一年以内に各国内のしかるべき機関及び教員団体勧告文書を配付し、その結果とられた措置について報告を求める、こういうふうになっておるのでありますけれども、まだ日本政府に対しては、文部省に対しては、これは到着しておりませんか。
  29. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) これは文書が国際関係のことでございますから、参りますと、われわれは実際上仮訳というものはいたしますけれども、外務省においてこういう文書は正式の訳をつくる。それができました暁には配るということでございます。それからなお、いまおっしゃったように、十二月一日から一年以内にしかるべき措置報告しろということを、これを日教組が全く誤解しておったのであります。これは、これをしかるべき機関及び関係団体に配付する、その配付したその点についての経緯を報告しろ、こういうことであります。日教組はこの質問を出しましたが、そうじゃなくて、何か勧告自体についてとっている措置を一年以内に報告しろというように誤解をされておるようであります。これはそういう性急のものじゃなくて、先ほど申しましたように、このILOユネスコの両者の混合委員会をどういうふうに発足させ、それはどういう権限を持ち、どういう報告を受けるかということは全く今後の問題でありまして、一年以内にというのはそういうところにかからない事柄であります。その点は日教組のほうも誤解をしておったと思います。
  30. 小野明

    小野明君 もちろんこの措置というのは、この勧告に伴う措置というのは日にちを要する問題だと思うのであります。しかし、完全に日教組には、教員団体として認めない、だから文書も配付をしない、こういう態度であるかのような印象を受けておるのですが、そうではないでしょうね。
  31. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) そうではございませんで、この教員団体、これは組合であろうと、それからいわゆる研究団体であろうと、およそ教員の主要な団体に対してはお送りいたしますということを申しております。ただ、先生がおっしゃったのは、まあこれは先ほどの御質問関係しますけれども日教組質問の中で、直ちに日教組が、勧告にこういうことを書いてあるのだから、教育課程その他教材についての参加を要望してきた、質問を出してまいりましたから、それに対しては、われわれはこの勧告にいっているその事柄のイメージと、現在、日教組のとられている現実の行動とには懸隔があるので、そして教育課程その他の問題については、これは現場の教員その他の報告によって教育課程審議会で審議をしていくので、その審議会に参加ということを現在とる考えはないということを申したのであります。ただ、送付の点は私からはっきりお送りするということを申しておるわけでございます。
  32. 小野明

    小野明君 非常に微妙な言いまわしなんでありますが、いまの局長答弁から伺いますところは、日教組というのはこの勧告におきます教員団体と非常に懸隔がある、違うのだ、イメージということばで言われたのですけれども、事はイメージで済まない問題ですね。この点について大臣は一体、この日教組というのはILOユネスコ勧告を受くべき教員団体であるとお考えになっておるのかどうか。あるいはいま初中局長がお話になりましたように非常に懸隔がある、受くべき団体ではない——極言すればですね、こういったお考えであるか。これはきわめて重要な問題でありますが、お尋ねをしたいと思います。
  33. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 私もまだ細部にわたりまして十分の研究をいたしていませんから、間違いましたら局長から訂正させていただきますが、この教員地位に関する勧告そのものの考え方でございますが、これは一言にして申しますと、私は日本のように教員地位がずいぶん前から確立いたしておりまして、公務員もしくは地方公務員として、その地位は一般公務員と同等もしくはそれ以上の給与を受けておる、こういったような国に対する教員対象にして地位に関する勧告を出したのじゃなくて、相当後進性の強い、また国によりましては先進国でありましても、教員地位については確立した法的根拠もなく、場合によれば一種の臨時的な請け負い関係でありますとか、雇用関係でありますとか、そういったような教員に対する明確なる地位のあれがない、こういう国に対しまして教員地位に関する勧告を出したのが、この勧告趣旨でございまして、おそらく日本のように教員地位は確立しておりますし、その待遇においても、一般公務員と同等もしくはそれ以上の待遇をいたしております国に対するこの勧告とは、相当ほど遠いと思うのです。それから日教組を除外するかという問題でございますが、この勧告の中にありますように、この教員団体が相当協力的な団体ということを位置づけておるのでございまして、そういう意味から申しますと、私は全体から申しましても、また勧告趣旨から申しましても、やはり相当の隔たりがあると思います。ただ、一般論としまして、この勧告は、あくまで優良なる教員を確保する、そのためには教員地位向上させなければならないという趣旨、その趣旨につきましては、すべての教員団体、それらの雇用を除外するとか、そういうことでなしに、一般的にこれは包含しておるものと考えます。そういう意味において、勧告の解釈上、非常に違ったニュアンスと申しますか、イメージと申しますか、そういうものがあることは事実だと私は思います。
  34. 小野明

    小野明君 先ほどまでは、私は大臣のお話はよく理解したつもりでありますが、いまの御答弁は全く理解いかぬですね。私は大臣のおっしゃることと全く反対です。教員地位が確保され、そしてほかの公務員よりも高い給与を受けておるなんという、とんでもない、どこかよその国のお話のように受け取らざるを得ぬわけです。それで、これは大臣もまだ十分な研究をされておるわけでもないと思うし、私もこの勧告について十分な研究をしておるわけではないのであります。で、勧告文の一番おしまいにこういうことが書いてある。「最終規定」というところに、「教員がいくつかの点で本勧告に規定されているより有利な地位を享受しているところでは」、この勧告より有利な地位を享受しておるところでは——私はそういうように思いませんけれども、「有利な地位を享受しているところでは、本勧告の諸規定がすでに与えられている地位を引き下げるようなことがなってはならない。」、これは引き上げなければいかぬのだ、これが勧告の全体を流れる趣旨だと思うのです。この点については異論がないと思う。  それで、最初質問でありますが、どうも大臣の御答弁を聞いておりますと、日教組というのは、どうもやっぱりイメージが違うのだという回答の域を抜けない。その一つ理由に、政府施策協力的な団体でないということをあげられた。これは私は全くの憲法や教育本法の違反である、このように断定せざるを得ぬ。これは大臣も戦前の教育あるいは戦後の教育、この点について、どこに差があるかということは御承知のとおりであります。戦前はやはり中央集権制度の中で、そういった教育体制の中でこのお上の言うことには全然反対できない、あるいは目隠しをされて、忠君愛国なり、あるいは戦争の方向にかり出されていったということが一つの特徴としてあげられる。そういった意味での協力というなら、それは意味がない。戦後の大きな改革の中で文部行政をあるいは批判し、あるいは文教行政を批判し、あるいは思想信条の自由に基づいてこの是正を求めるというところに私は憲法の精神があると思うんで、おっしゃるようなこの協力的な団体でないからということは私はどうも納得がいかぬ。それから勧告の前文には教師の、教員団体の二面性というものが強調されておるわけですね。これは御承知だと思うんですが、前文の中に。これから見ると、ちょっと読んでみますかね、前文の中には、「教員に適用される現行国際諸条約、とくにILO総会で採択された結社の自由及び団結権保護条約、団結権及び団体交渉権条約、同一報酬条約、差別待遇条約、ユネスコ総会で採択された教育の差別反対条約等の基本的人権」の問題ですね。いわばこれは教師が労働者としての一面を強調されておると思うんですね。もう一面は、「また、ユネスコおよび国際教育局が合同で召集した国際公教育会議で採択された初等中等学校教員の養成と地位の諸側面に関する諸勧告、およびユネスコ総会で、一九六二年に採択された技術・職業教育に関する勧告にも注目し、」と、こういうことで教師の身分、生活を守る任務というのと、教育政策の改善進歩に貢献をする任務と、この二面を教員団体は持つべきであるということが、この前文に私は書かれていると思うんです。こういった面から考えてみますと、日教組が、言われるようなこの勧告に当たらないような教員団体、こう言われることは、私はこの事実を曲げるものではないか、こういうふうに考えるんですが、いかがですか。日教組がこの勧告に適用される団体かどうかということはきわめて重要な問題です。だから、その点をきちっとひとつ大臣のお考えを聞かしていただきたいと思うんです。
  35. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) これはやはり小野委員のおっしゃいますように、教員の性格として二とおりあるということは是認されると思うんですね。ただ、私が申しますのは、特に教育政策とか、そういったものに参画するという意味におきましては、あとに申されましたこの性格ですか、これがやはりうたわれておると思うのでございます。それで、この勧告自体が、もちろん前にも申しましたように、概括的には全部の教員団体対象としておることはもちろんでございますし、それから先ほど申されましたように、この勧告以上の点がありましても、私どもとしては勧告の線まで引き下げようなんて毛頭考えておりません。より以上にやはり教師の待遇をよくするということについては努力すべき問題だと思います。ただ、日教組の性格そのものが、この勧告自体を相当全体として考えますと、その勧告趣旨とは多少異なったニュアンスというか、そういうことばで言いあらわしておりますが、そういうものを持っておるということだけはこの勧告全体を通しまして見られることでございます。そう私は解釈いたしております。
  36. 小野明

    小野明君 その点は私納得できないんですが、定義についても、勧告はこういうふうに書いてあるわけですね、『「教員」という語は、学校において生徒の教育責任を持つすべての人びとをいう。』と、それからこの範囲、適用の範囲というところに、「本勧告は、公立・私立共に中等教育終了段階までの学校、すなわち、技術教育、職業教育および芸術教育を行なうものを含めて、保育園・幼稚園・初等および中間または中等学校のすべての教員に適用される。」のだ、こういうふうに定義の中に書いてある。そうして範囲の中にも規定をしてあるわけです。それで私お尋ねをしたいのは、この勧告日教組が適用を受けるか受けないかというのは自明の理なんで、当然私はこの勧告範囲に入るべきだと思うのですが、入らぬとあなたはおっしゃるわけじゃないでしょうね。
  37. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 勧告趣旨にありますように、教員個々の問題としては全部入ると、こう考えますが、勧告一つ日教組という団体でなく、いまの定義から申しますと、個々の教員のことを言っておるのであって、団体のことを言っておるのじゃないと思っておりますが。
  38. 小野明

    小野明君 そうすると、日教組はここに言う教員団体ではないんですか、どうですか。
  39. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) 勧告では、教員団体について、およそ組合として労働条件の維持改善を目的とするもの、その他のいわゆる研究的な団体も、あらゆるものを勧告では想定しております。私どもが申しますのは、そういう意味で形式的にこの勧告にいう職員団体があるということはそのとおりだけれども、しかし、日教組がいま直ちに政策決定の参加や、それから教材、教具の開発への参加を要望して参りましたので、それを言われるならば、この勧告の第六項及び七十二項という、ゼネラルレポートで言っておるように——その批判はこれは自由でございましょうけれども、その教育政策の実施については、やはり完全な協力者ということを前提として書いておるのだから、そういうたてまえに立つと、われわれは現在日教組の行なっておることが、この勧告でいうイメージとは相当懸隔があるのではないかということを申しておるのでありまして、でございますから、形式的に言えば入るので、ですから、いろいろな勧告を送るか送らぬかという問題になりますれば、私はそれは正式のものができたらすぐ送ります。しかし、日教組要望はそういう段階だから、直ちにいま文部省のいろいろな政策決定へ参加するということを要望されておりますから、その問題については勧告にいう全体のイメージと懸隔があるので、直ちに政策へのこれに加えるというつもりはない、こういう答弁をいたす次第でございます。
  40. 鈴木力

    鈴木力君 一つだけはっきりさしておきたいんですが、いまの協力者の態度ということを文部省はどう考えておるのかですね、つまり文部省が出した原案にすべて賛成する者を協力者というのか、違った意見も集めながら正しいものをつくり上げようとする者を協力者というのか、そのどっちといっているのか、それをはっきりさしてください。
  41. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) 文部省のいろいろな考え方に賛成をしなくて、そしてそれが意見を述べられるということ自体はちっとも差しつかえない。しかし、いろいろな法規に従って権限ある者がきめて、そうしてそれを実行に移す場合に、その実行に反対をするというようなことは、これは協力とは言えないのじゃないかと思うのでございます。批判はこれは何も日教組のみならず、あらゆる団体についてもいろいろな御批判があります。しかし、きめられたこと、権限ある者がきめた、そうし実行する責任者があるというときに、その実行に反対をすることは、私は協力じゃない、かように考えております。
  42. 鈴木力

    鈴木力君 関連ですから、一つだけもう少し念を押しておきたいのです。それはいまの協力者というのは、批判をすることは自由であるけれども、実行の場合に反対をするのはけしからぬと、こういう筋で、それはたとえば一つの会にメンバーとして入れて、反対意見を述べたけれども、全体できまったことに反対意見を述べたが、それの反対の行動を続けているという場合には適用するかもしれない。メンバーに入れていないで、そうして批判をさせて、そうしてメンバーに入れていないで、それらの反対する意見は全然取り上げないような城をつくっておいて、反対運動するから非協力者だと、こういうレッテルを押すというのも文部省態度なのかどうか、そのことをはっきりさしていただきたい。
  43. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) 先生のおっしゃった比喩は、たとえば一つ団体団体の意思決定をする問題と、それから教育の問題についていかなる施策を決定するかということを、法律あるいは法律に基づくいろいろな諸制度によって権限として与えられているということとは同一に論じられないのじゃないか、その批判は決定者が意思決定をする際に、あらゆるいろいろな相矛盾するものもございましょうけれども、意見を聞いて、そうして権限ある者が責任を持ってきめてすることでございますから、一つ団体が意思決定をするという場合と、教育行政のいろいろなものをきめる場合とは、私は別個な問題じゃないか、かように考えます。
  44. 鈴木力

    鈴木力君 どうもごまかしてもらっては困るのですがね。いま小野委員の説明は、日教組という団体が二面性がある。これは日教組と言わなくてもいいですね、組合というのは二面性がある。一つは労働組合といいますか、組合としての面と、一つ教育者団体としての二面性がある。その場合に、政策の違いというのは、これは政策が違えば違った運動をするという一面は持っておるわけです。しかし、そういうものが立案の過程で協力をさせるかどうか、その意見をどう反映をさせるのか、反映をさせない場合にはどうか、これは法的な決定に従ってどうかということにはなるでしょう。そういう前提のところにシャットアウトしておいて非協力者と、こういうレッテルを張るのかどうかと、そういうことを聞いているのです。
  45. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) いろいろな教員団体が、目的が経済的な地位向上目的としながらも、教員である場合に、教育自体に関心を持ってくる傾向があり、また、教育団体、別に研究的な団体もやはり地位というようなその経済的な問題に関心を持っていろいろ行なわれておるということは事実でございます。で、日教組の組合の場合に、その経済的要求の問題は、これは権限ある者と交渉をする地位に立っておるわけでございますから、これは法律上も、実際も、非常に地位は保障されておるわけです。そういう団体が、教育の政策について意見を言うという場合は、やはり教育の政策について建設的な批判があり、きめられたことは協力していただき、いやしくもこれを実力できめられたことを阻止するというようなことは、その勧告に言う完全な協力者というイメージからは遠いのじゃないかということを、私ども日教組に対して申しているわけであります。
  46. 鈴木力

    鈴木力君 関連ですから、非常に重要な要素を含んでおりますから、これだけ伺えば、あとで私は別の機会にこの問題について質問しますから。
  47. 小野明

    小野明君 この協力者という問題について私も異議があるのでありますけれども鈴木委員のほうから関連が出ましたので、大臣のお考えについて続いてただしてまいりたいと思うのですが、どうも私は、大臣が言われた教員については勧告を適用するけれども教員団体——日教組には当たらないのだ、こういう印象が離れないのであります。そこで、再度私は大臣お尋ねをしたいと思うのですが、なるほどこの特別政府会議文部省はこう主張しておるわけであります。教育団体にはこの職能団体、いわば日本の場合で言うと、日本教師会、それと労働団体に大別をされるということで、この勧告というものは、そのいずれを指すか不明である、したがって、勧告適用団体は職能団体に限定すべきであるという、こういう主張が日本政府といいますか、文部省の代表から述べられておる、これは全体で否決されている、その考えは否決されているのですよ、ですから、この二面性を持っているのはこれは当然である、こういうことにこの勧告の作成の過程ではなっているのですが、この事実を大臣は御承知であるかどうか、それでもなおかつ適用団体でない、どうも初中局長との間に答弁の食い違いがあるので、再度お尋ねをしておきたいのです。
  48. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) いまの点はその会議ではございません。政府会議政府代表が発言したこともございます。むしろ、この政府会議のもとになりますジュネーブにおける専門家会議として出たエキスパートがそのことを言われたのであります。で、この勧告自体は、教員団体はいろいろな性格のものもやはり皆入っているというふうに考えられるわけであります。
  49. 小野明

    小野明君 そこで、それはもちろん政府会議に至る間の専門家会議であろうとけっこうなんでありますけれども日教組は、私どもはこの職能団体、あるいは教育研究団体、こういってもけっこうですけれども、同時に教師の労働者、こういう面をやはり持っていると思うのですね、持っているがゆえにこの勧告に当たらない、こういう主張を続けられるのかどうか、勧告の適用団体であると、こういうふうにはっきり言えばいいわけです、大臣いかがですか。
  50. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) 先ほど申し上げましたように、この勧告教員団体というものはいかなる性格のものでも入っているのだ、しかし、組合が教育政策の決定について、直ちに参加を求めたから、その部分についてはわれわれとしては、これはやはり勧告が、その団体の姿勢として、明らかに完全な協力者ということを考えているのだと、そういう実態と遠いのじゃないか、そういう実態のままで、直ちに教育政策への参加をするというふうに認められるというのは困るじゃないかということを申しておるわけでございます。
  51. 小野明

    小野明君 教育政策に関与云々という問題は、これはあとでまたやりたいと思うのですけれども、いまの局長答弁では、勧告の適用に入っているのだ、こういう御答弁ですが、大臣はそれでよろしいですか。
  52. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 局長答弁したとおりでございますが、私の言うことと多少のことばで、日教組というのを勧告が全部除外しているというふうにお聞き取りになりましたならば、それはその点は私取り消します。
  53. 小野明

    小野明君 これはしごく当然のことであろうと思うのですが、次に私はいわゆる最初にありました三条件、これは条件ではないというふうに言われておるのでありますが、この問題についてお尋ねをしてまいりたいと思うのです。  この倫理綱領の問題でありますが、前回の鈴木委員質問に対して大臣は、この倫理綱領というのは教員団体が持つのは自由である、これはILO勧告にも倫理綱領、行動綱領というようなものは当然あってもよろしいのだ、こういうことが書いてあるわけですね。これは思想、信条あるいは良心の自由、こういう憲法に保障されているのですから、教員団体がいかなるこの倫理綱領——いかなるということばは取り消しますけれども、倫理綱領を持っているということが交渉再開の隘路には私はなり得ない、このようにまあ考えているわけです。むしろ、日教組がこの倫理綱領を持つということについてけちをつける、ここに難点があるのだということで交渉をやらないというのは、むしろ内政干渉といいましょうかね、これは相互不介入ということがこの原則になっているのですけれども、そういうことになるのではないか、こう考えるのですが、この点はいかがですか。
  54. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 倫理綱領が教師の信条決定だけの問題でございましたら、それを私どもがとやかく言うあれはないと思います。ただ、倫理綱領の中にはっきりと、教師がその倫理綱領に掲げられております理想、信条を持って子供たちにそういうものを植えつける、教えなければならないということが書いてあります。この点が問題ではないか。いわゆる倫理綱領をおきめになるのは勝手でございますが、倫理綱領を教育の場におきまして教育者が子供たち、青少年をその綱領によって育成していく、これはわれわれ教育を守る者としまして、その点は倫理綱領に対しまして私どもは困るということを申し上げているのであって、決して私は教育を守る面からいって倫理綱領のいわゆる内政干渉とは考えておりません。
  55. 鈴木力

    鈴木力君 関連。いまの大臣答弁は私の質問した答弁とは違っていると思いますね。私はこの前に、倫理綱領があるためにいわゆる教育本法にいっている教育の中立がおかされている事実があるか、こう聞いたら、これは地方教育委員会、県の教育委員会ですか、教育委員会の所管事項なのでその事実は知りませんと答えている。そうしてまた再び知ったかのような前提で議論を進められることは迷惑なのです。文部大臣はそういう教育がそっちのほうにいっているという事実は知らない、こう答えているのだから、その前提でものを言ってもらわなければ困る。同じことを何べんもまた振り出しに戻っては繰り返し、出発点に戻ってはまた繰り返しておったのでは、これはらちがあかないから、その辺ははっきりしてもらいたい。
  56. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 私は教育の現場に文部省の役人が直接に調査するとか、そういう状態ではないのでございます。しかし、倫理綱領の中にもしそれがおかされていないというなら、この前もお話ございましたが、倫理綱領があっても、そういうふうに、そういう倫理綱領に基づいて、それでその青少年の育成を現実にはやっていないのだとおっしゃるなら、もうその倫理綱領のその部分をひとつお取りのきいただいてけっこうじゃないかと思います。もしそれを除かないというのなら、やはり私どもが倫理綱領によって現場においてこの倫理綱領の趣旨を青少年に対して育成するという意図をもって教育者が現場においてやっている、こう考えざるを得ないと私は思います。
  57. 鈴木力

    鈴木力君 私はこの前に、倫理綱領の中身の議論はたなに上げておきましょう、そういう前提でものを言っておるはずでしたが、したがって、いま倫理綱領の中身についてはこのあとに議論しなければいけないと思っておるのですけれども、いまの大臣答弁、私のところでもうケリがついておるのですね。これはほんとうに形式的なものの言い方でしか、ものを言わないのだが、倫理綱領の中身は言わないのだけれども、倫理綱領というのが一つはある。それは民主的に保障されておる団体がどういう綱領を持つこともさしつかえない、これははっきり大臣認められておるわけですね。それからその次に、問題は、憲法と教育本法とのかかわりはどうなんだ、そのときに、法律で言う学校は、あるいは法律で言う学校の教師は、これがどうなっているのだ、そのときに、私は日教組の運動方針にもあるような、いわゆる憲法を守る、教育本法を守る、こういう運動方針のもとに、現場では、大臣のところに積極的にも会い、いわゆる教育本法違反というようなことは行なわれていないのだ、そう私は言ったはずです。そのときに、大勢として、おかされているか、おかされていないか、その判断はどうか、所管事項が違うからわかりません、こう答えている。わからないということは、教育本法違反の教育が行なわれておるからどうこうという前提ではない、こういうことになっているわけです。しかし、私はいまそういう、大臣が、そこを蒸し返して倫理綱領の中身の議論をしようということになれば、これはこの委員会の運営をちょっと変えなければいけません。つまり、これから法案審議とか何とか言っておりますけれども、そういうことになれば、これはもうしばらくたなに上げて、次の機会にやろうというような考え方じゃなしに、これは継続してやらなければケリがつかない問題だと思いますが、どうですか。
  58. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) これは、私自身は好んでいま法案のほうをぜひひとつ早くあげていただきたいと思います。倫理綱領の問題についてとやかくここで議論するような気持ちはないのでございますが、しかし、倫理綱領についてこうだというお尋ねがございますと、私もやはり答弁をしないわけにはまいりませんので、それは小野委員の御質問に対して私ども異なる意見を持っておれば、小野委員のとおりですと言うわけには御答弁申し上げるわけにいかないのです。でございますから、もちろんこの問題は私どもいかようにでも論議はいたしてけっこうでございますが、私の繰り返すことは、何回も同じことを申し上げるわけでございまして、できましたら、こういう問題はもちろんいつでもお尋ねに応じてお答えいたしますけれども、できますならば、ひとつ文教委員会でお願いいたしますのは、一日も早く法案のほうをやっていただきますようにお願い申し上げます。
  59. 鈴木力

    鈴木力君 私の言っているのは、自分の考えを、答弁を直せということは全然言ってはいませんが、少なくともこの前の委員会——この前というよりだいぶ前ですけれども、私がやって、あとのところは宿題にしておった。その宿題に触れることはかまいませんけれども、前に答えたことと、いままたそれをひっくり返したような答えが出てくることは私は承知できない、こういうことを言っておるのです。
  60. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 私はこの前の、これはもちろん速記録をごらんいただけばわかると思いますが、前に言ったことと矛盾したことを申し上げておると思っておりません。とにかくいま倫理綱領のことを申し上げておるのでございまして、倫理綱領に、そういう綱領の中にそういうことがございますから、私どもとしては、倫理綱領に対して何とか御考慮願いたい、この要望を三条件の中の一つとして申し上げておるのでございまして、その三条件の中の一つとして申し上げておりますことをいまさら私がここで取り消すと、そういう意思はないということを申し上げたのでございます。
  61. 小林武

    ○小林武君 議事進行。きょう、どんな約束を理事会になされておるか、それはわかりません。けれども、やっぱり問題、ここへ出たのでしょう、私はその倫理綱領の問題については、このことがもうとにかく差しさわりになって、日教組文部大臣とが話し合って、やっぱりいままでの長い間の、二十年にもわたる相互の不信感というものを何とか払拭するような方向にいかなければならぬという場合に、いつでもこれ、問題になるのです。私の考えでは、倫理綱領というものに不信感があれば、それはひとつ日教組文部省との間で話し合いを通して、そして相互が理解できるような内容なのかどうか、やっぱりこの段階ではやるべきだという考え方を持っている。かつても私はそういう考えを持っておりましたけれども、そういう機会に恵まれることができなかった。それで今回においてもそう思っている。佐藤総理がとにかくやはり総評の立場でこれからやっぱり会うような機会をつくっていったときというのも、私はそういうところにねらいがあったと思って、政府のやり方に一応の敬意を表しておったのです。だから、もう目の前に起こった問題で、かんにん袋の緒を切ったようなことを言わないで、この問題に関する限りは二十年来のやっぱりしこりなんだから、できるだけ両者がとにかくほんとうに寛容の精神を持って続けていくべきだということを念願したんだけれども、その間両者も努力したのかどうか知らぬけれども、前の文部大臣がとにかく年に五、六回話し合おうじゃないか、それからいまの三条件というものにとらわれないというたいへんけっこうな文書交換までやってですね、そしてきたのが、また今度大臣がかわると、できないということで、まことに私は不幸だと思う。しかしながら、これは私の非常に残念だということの前の部分なんですよ。しかし、それほど根深いもので、剱木文部大臣が、これは倫理綱領にこだわっておやりになるならば、この問題がいま議論されているわけですから、法律案も何もありませんよ、断固やっぱり理解のいくところまで何時間でも私はやるべきだと思う。やるだけの価値があると思っているんです。だから、委員長にお取り計らいを願いたいのですが、私はもうとにかくこの法律案はここで提案になって、質問をいたそうと思って来ましたけれども、何も私はそれきょうやらなくたってけっこうなんです。あしたでもあさってでも、それはいつでもけっこうなんですから、どうでしょう、ひとつ、そこまで言われて一体ケリをつけないで終わるということは、これは日本の教育のために大問題だと思う。内容が明らかになるまでひとつやるべきだと思う。鈴木委員からは非常に配慮されて、そういう問題をやれば長引いてしょうがないから、とにかく形式的なことについて話し合いをして、とにかくしばらく時間をとってという、そういうわりあいに穏健な、おとなしいやり方の私は取り運びについては賛成なんですけれども、ここまできたらやはりそういうわけにいかぬですね。私もやはりそういう理事の考え方を十分理解しながら、明日にそれを延ばして、そうしてこの問題については触れないつもりだし、小野委員の討論をずっと続けるように私も希望しますし、なお私もそれに質問をひとつしていきたいと思いますから、どうぞひとつ委員長、お取り計らい願います。
  62. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  63. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 速記を起こして。
  64. 秋山長造

    秋山長造君 ちょっと議事進行について。先ほど来の倫理綱領の問題ですが、これはこの問題が出るたびに堂々めぐりするようなことになる。そこでね、やはりもっと、もう一歩ここまで来たら突っ込んで、一体その倫理綱領のどの点とどの点がこういうように問題なんだということを、大臣のほうの言い分を具体的なことを指摘して、資料を出してくれませんか。それでやはり端的に議論したほうが議事の進行上いいと思うので、それをお願いしておきます。それで小野さんの質問を……。
  65. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 承知いたしました。早急に私のほうの資料を提出いたします。
  66. 小野明

    小野明君 あと二問で私は終わろうと思うんですが、その資料を出していただくということで、この前の鈴木委員質問の中で、搾取と貧乏と失業のない社会をつくっていく、この点が一つ問題であるということが言われている。搾取というのは、これは特定のイデオロギー云々ということを初中局長も言われている。その資料にあわせて、資料を出されるときに、私どもがそういった搾取があっていい社会というのは決していいものではない、こう考えているのですが、ない社会をつくるというのは当然なことだ、これは国民の意向に従って当然なことだと考えているのですが、その点をひとつはっきり資料の中に出していただきたいということと、日教組質問書の中に、これは大臣よくひとつ読んでもらわにゃいかぬですね、きょうもところどころ読んでないところがあって非常に困ったのですが、この五項ですね、「「政治的中立の確保」という意味が、学校教育を通じて教員が、特定の政党を支持しまたは反対する教育を行なうことを否定するのであれば、もとより日教組も同意する。」、こういう一項があるんだ。五項ですね。よろしゅうございますか。ですから、その辺の問題とかみ合わせて、ひとつこの次の資料を出していただきたいということを私から要望しておきたいと思います。  それからいま一つ資料を出していただきたいと思うのですが、先般、秋山委員からも非常に文部省側が資料を私ども委員のほうに配付するのを渋っておる、こういう御発言がありまして、私も同感なんでありますが、その点は大臣答弁がありましたので了解をするとして、もう一つ私が要求をいたしたいのは、この五月二十六日に、教科書問題について争いになっている問題がありますね、これが第十一回の公判が行なわれるようであります。文部省側としても準備書というのを法廷にお出しになって、そしてそういうことから家永教授と文部省との間の食い違いという点がかなり明らかになってきておるようであります。非常に騒がれておる問題でもありますし、私どもこの問題について正確な情報というのを知り得ないわけです。私ども解釈するところでは、教科書検定について法的な根拠がかなりあいまいであることを理由に、憲法、教育本法を見れば明らかでありますけれども、そういった点から皇国史観を持った検定官といいますか、こういう方が二人おられまして、そして自分勝手な恣意によって教科書をはねておる、そして歴史教科書をねじ曲げておる。民主主義も憲法も教育本法も無視したような検定が行なわれておるという話を聞くわけであります。この実態を私ども正確にやはり知る必要がある。特に文部省が被告になっている問題でありますから、きわめて大きい問題だと思うのですが、この問題に関する資料をひとつ、法廷に出す準備書のみではなくて、経過並びに一切をつけて御提出をいただきたい、お願いしたいと思います。
  67. 斎藤正

    政府委員斎藤正君) 事件の概要、すでに公判に提出いたしました準備書面、これを提出いたします。
  68. 小野明

    小野明君 終わります。     —————————————
  69. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 続いて、著作権法の一部を改正する法律案議題といたします。  前回に引き続きこれより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言願います。  なお、政府側から剱木文部大臣、蒲生文化局長、安達文化審議官、佐野著作権課長が出席いたしております。
  70. 小林武

    ○小林武君 お尋ねいたしたい点は、二年延長するというこの趣旨は、今度、抜本的な改正をやるときには五十二条のうちの年限を五十年にするというそういう前提でございますか。
  71. 蒲生芳郎

    政府委員(蒲生芳郎君) 著作権制度審議会の答申が昨年出たときに、またそれに基づきまして文部省文化局試案というものも発表しております。それによりますと、一般的には現在三十五年の保護期間でございますが、これを五十年にするという趣旨でございます。
  72. 小林武

    ○小林武君 五十年にするということにつきましては私も賛成の立場なんでありますが、それを二年間延長したというのは、この前の文教委員会等でも論議がありました際に述べられておりますから承知いたしておりますけれども、これはあれですか、国際会議がストックホルムで開かれるということになると、その際には日本の立場としては抜本的改正の時期には、いまのような五十年になるということはその席上において発表する必要がございますか、ございませんか。
  73. 安達健二

    説明員(安達健二君) わが国が現在入っておりますベルヌ条約におきまして、現在、日本は一九二八年のローマ規定というのに入っておりますか、そこでは五十年を原則といたしまして、各国国内法によってなお別段の定めができるようになっておりまして、それが一九四八年のブラッセル規定で、ブラッセル規定に入る国はすべて五十年を義務とするというようになっておるわけでございます。そうして、まだ日本はブラッセル規定には入っていない。そして今度は新しくまたストックホルムの規定ができるということでございます。したがいまして、この一般的な条約の会議としましては、一般の保護期間の五十年の問題は条約の問題としてはすでに相済みになっておりますので、この問題について特に言及するというようなことはないかと思います。
  74. 小林武

    ○小林武君 言及のことはともかくとして、ブラッセル規定に加盟するということ、このことは少なくとも前提条件として私は行かれるんじゃないかと思うんですが、これはどうですか。
  75. 安達健二

    説明員(安達健二君) 条約に加盟するかどうかにつきましては、これは国会においての批准の手続等もございますので、これについては確定的に政府としてとやかくまだ方針がきめられておらないわけでございますけれども、著作権制度審議会におきまして審議をし、その五十年とするという案をお出しになる背景としましては、あるいは文部省としての暗黙の了解といたしまして、やはりブラッセル規定に入れれば入りたい、こういう考えでございます。
  76. 小林武

    ○小林武君 いろいろ配慮ある御答弁をなさらないと、あとで何かぐあいが悪いことが起こるということでございましょうから、まあその辺でけっこうだと思います。そうあるべきだと思うんですね。ブラッセル規定に加盟するという前提に立って、とにかく今度の国際会議にも一応臨まれるということになりますと、五十年という問題は、これはもう国際的な立場で日本もいくわけですから、これは私はその点については先ほども申し上げましたことでけっこうですね。そこで、そういう国際的な問題に、私の立場から言えば、かなりもう確定的な、一つの将来また抜本的な改正をやれば、しばらくの間はまたこの問題についてはかなり固定したままいくと思うんです。これはまあ通らない将来の改正案をいろいろ論議する必要もないと思いますけれども、しかし、そういう前提のもとに行なわれておることは間違いないのですから。それからまた、二年という期間を見るとそのことも明らかだと、こう私は思う。したがって、どうでしょう、この間において五十年というものを適用することについて、そのほかの問題について五十年適用にならないような、また差別を受けているような問題については、この際やはりはっきりした態度を国でとるべきでないかと私は思うのです。この間の事情については、前回、前々回の質疑の中においても、与野党ともに写真の問題に触れておられるわけです。この写真の問題に触れられたことについて、私は一致した意見だと思うのです、与野党同じことを聞いているのですから。これは一体どんな御態度でございますか、ひとつ御説明をいただきたい。
  77. 蒲生芳郎

    政府委員(蒲生芳郎君) これまでにもお答えいたしておりますが、今回二年の暫定延長をまた提案いたしましたことにつきましては、いま御指摘の写真が暫定延長からはずされております。それはどういう理由かということでございますが、これも再三申し上げましたように、前々回並びに前回の暫定延長の際に、これは衆議院提案の議員提案であったわけでございますが、その際に写真は入ってなかった。そこで、前々回、前回延長されましたものについてだけ今回も延長しようという、そういう趣旨、方針でございます。
  78. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ちょっと速記をとめて。  〔速記中止〕
  79. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 速記を起こして。
  80. 小林武

    ○小林武君 ただ締めくくりの段階で大臣としてお答え願わなければならぬことがあると思うのです、いまのような問題ね。しかし、これはやはり急に大臣に言いなさいといっても無理でしょう。そこで、何だかごもっとものような御意見なんですよね、前にそうきまっているとおりのやつということで。しかし、そうなるというと、ちょっと私、筋が合わないと思う点があるのですがね。たとえばこれをやるでしょう。二年延ばすということはどんな配慮から延ばしているのですか。たとえば保護期間についてどうなんですか。二年延ばす理由というのは一体どうなんですか、他の著作物に対して。これはいろいろなことを配慮なさっているんでしょう。これは聞かなくてもいいことだけれどもね。たとえば、これをやらないというと期間が切れる人があるとか何とかという配慮でしょう。それが写真の場合はどうでもいいんだ、そこに書いてないものはどうでもいいんだというのはいかにもしゃくし定木で、そういうものの考え方ならば、ここで与野党一致した見解が出たらそんな片手落ちのことはやらないほうがいいと私は思うのですが、この点はどうですか。私はたいへんいい配慮だと思うのですよ。たとえば、宮澤賢治さんのあれがどうだとか、小林多喜二さんがどうだとかということを配慮されておる。その他たくさんこの恩恵といいますか、この著作権のいろいろな利益関係の人たちがあるわけですから、その配慮がなぜ——特定のものにはちょっと冷酷だという感じがするのですが、いかがでしょう。
  81. 蒲生芳郎

    政府委員(蒲生芳郎君) これを延長いたしましたのは、いま先生おっしゃるとおりの著作者の著作権の保護が切れる人が気の毒だ、これは一般著作物につきましては、その著作者の遺族に対する救済ということに主眼を置いているわけでございますが、写真につきましても、切れれば、そのためにいままで保護されておった著作権が保護されなくなるということはこれは事実でございます。
  82. 小林武

    ○小林武君 そこまでいけば、大体写真を例外的に取り扱うということは、特殊な事情がなければ——特殊な事情がないにしても、特殊な事情がなければ私はここではっきりすべきだと思うのですが、この見解はやはり大臣の御見解を承らなければならぬところだと思います。写真の問題についてはどうなんでしょうか。これを将来ほかのものと同じにするというような立場から修正する御用意がございましょうか。
  83. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) 実は私この前ちょっと御答弁申し上げましたが、私どもの立場としましては、写真については確かに気の毒な面があると思うのです。ただ、この前ずっと二回延長いたしました場合に、写真の問題も論議をされたことは事実だと思います。にもかかわらず、いままでのとおりに、この原案のようなことでいこうということで決定になりましたし、最初提案になりましたのは、これはまあ衆議院で提案になったのでございまして、でございますから、私が心配いたしておりますのは、写真を認めたときに同じような問題が他のものにも起こり得るのじゃなかろうか、写真だけで済むかどうかという問題が一つあると思います。それからこれに対しまして、写真だけをかりに参議院で修正いたしました場合に、衆議院ではたしてどう考えるか。これは自分のほうで論議してそれはもう削ったのだから、今度、参議院から入れてきたのをまた原案に修正するとかいうようなことがありましたら、これはたいへんな問題にまた結局なると思います。そこで、できましたら、私のほうもここに理事の方、党の方おられますから、党の方とも御相談申し上げ、また先生方の各会派といたしましても、それをやはり思想統一をしていただきまして、そういったような問題の起こらないような姿になりますれば——私は具体的に申しますと、来年一年たてば、ぜひひとつこれは二年の延長をいたしておりますけれども、この国際会議が済んで来年の通常国会にはぜひ出したいと、一年の問題でございますから、実際上これをちょっと目の色を変えてこれに取り組んでどうにもならぬというようなかたくなな考え方は持つ必要がないのじゃないかと思うのでございます。問題は要するに、各党各派の御意見を一致していただくし、衆参両院の御意見を一致していただくという私どものほうの努力が必要じゃないかと思いますので、その意味において、やはり私どものほうも一応出すときには党と御相談申し上げまして、これは今度は、やはり前の場合におきましても写真なりその他は除いたのでございますから、このままで出したほうがよかろうということで意思統一をしていただいておりますので、その点についてのこの委員会におきまする状況をお話をして、衆参両院の御同意を得るような形に持っていきませんと、これはにわかにここで御修正に応じるということを私確答するわけにはまいらぬと思います。それだけのひとつ余裕を与えていただきたいと思います。
  84. 小林武

    ○小林武君 ごもっともな御意見で、ただいまのようないろいろなこれの討論に入りましたら、もちろんのこと、各政党間における手続もあることでございますから、それを無視していくというわけにはやはりいかぬことでありますけれども、大体の皆さんの御意向というのは何かかたまりつつあるような気がいたしますので、私の理解としては、それらの手続がうまくいけば、大体、大臣としては修正にはこれは踏み切ると、こういうふうに理解してよろしいですね。
  85. 剱木亨弘

    国務大臣剱木亨弘君) まあこれは国会でこういう答弁をしていいかどうか、私はわかりませんが、きょう実は二時から私のほうの文教部会が開かれますので、その際にお願いをいたしまして、この問題を御相談申し上げたいと思っております。
  86. 小林武

    ○小林武君 それでは、まあそのことにつきましては、ひとつ後ほどまた議論することもあると思いますが、この問題、この二年間だけの問題を議論しておくということは、やはりちょっとこれから抜本的な改正をやるのには都合が悪いと私は思っております。というのは、延びるのは結局いろいろとあれではないですか、審議会の答申があったとか、それからまた文部省の試案というのはどういうことなのかわかりませんが、これはまた審議会の答申と同じようなものと見て、これはちょっと時間がかかりすぎているという感じがするのです。何か私は実はこの前の経過から見て、今度の国会に出るのではないかという気がしておったのですけれども、これが出なかった。四十三年の一月実施というようなところでいくというようなことを言っているところを見ると、これはまあやはりあの当時から私は想像できたのですけれども、これはもう利害関係がはっきりしていますから、片方が利益になれば片方がどうもそれではぐあいが悪いというようなことを言い出す。そういうことから、やはり時間をかける必要があるというところに文部省の苦心があるのではないかと思っているわけです。それだけに基本的な問題についてはお互いに討論をしておく必要があるとこう思うのです。それでお伺いをしたいのでありますけれども、翻訳権の問題について、一体これはどういう答申があって、これについて一体どんないろいろな反響があるのか、あるいは反対があるのか、これをお尋ねをしておきたい。
  87. 安達健二

    説明員(安達健二君) 昨年の四月に著作権制度審議会から答申がございました。答申の中には次のように述べております。「ベルヌ条約における留保を放棄して翻訳権をも一般の権能と同様に取り扱うこととすべき段階にきていると考える。ただし、従来のわが国の主張の経緯、出版界に対する影響等をも考慮し、その取扱いについては、十分慎重を期する要がある。」、こういう趣旨の答申であります。その説明書によりますると、「現行法は、著作権者が原著作物の発行後十年内にその翻訳物を発行しないときは、その翻訳権は消滅する旨を定めている。この規定は、ベルヌ条約上認められている留保に基づき維持されているものであるが、ベルヌ同盟国中翻訳権に関してこのような留保を行なっているものは、わが国を除いてわずか四か国のみにとどまり、わが国の国際的地位からみて、将来にわたって翻訳権の留保を維持することは、もはや適切ではないと考えられること、アメリカその他万国著作権条約のみに加盟している国との関係においては前記の規定は適用されないこと、さらには、今日においてはわが国の著作物が海外で翻訳されることも多くなる傾向にあり、その場合におけるわが国の著作権者の保護に欠ける結果にもなること等から、ベルヌ条約における留保を放棄して、翻訳権をも一般の権利と同様に取り扱うこととすべき段階にきているものと考える。しかしながら、翻訳権に関する制限を廃することは、数十年来にわたる法制を改めるものであって、従来のわが国の国際間における翻訳権に関する主張の経緯、出版界に与える影響等をも考慮して、その時期、経過措置等その取扱いについては、じゅうぶん慎重を期する必要があるところである。」、こういう御答申をいただいたわけであります。この答申を受けまして、文部省文化局の試案として昨年の十月に公表いたしました著作権及び隣接権に関する法律草案につきましては、答申の線に従いまして、翻訳権に関する十年間翻訳されざるときは自由になるという規定は削除いたしますとともに、経過措置といたしまして、従来すでにその期間を経過しているものについてはその権利がさらに遡及して適用されるものではない、こういう意味の規定、経過措置を置きまして、翻訳権もすべて一般の著作権の中の一つとして同一に取り扱う、そういう考え方で試案を公表したわけでございます。
  88. 小林武

    ○小林武君 あれですか、答申の翻訳権の取り扱いについては十分慎重を期する要があるということは、具体的にはどういうことを言っているのですか。
  89. 安達健二

    説明員(安達健二君) 現在わが国の翻訳物のうちで約半数、大まかに申しますと約半数はすでに著作権が切れているものでございますので、古いものでございます。こういうものについては自由に翻訳ができる。それから翻訳の許可を受けて出しておりますものがそのあとの残りの五〇%を引きました残りの三〇%ぐらい、そのあとの残りのものがすなわち十年留保を使いまして、すなわち十年間、すでに発行後十年間たっておるもので、これを先ほど申しましたベルヌ条約の留保を使った現行法に基づいて、これは承諾を得ず、そうして金も払わずに翻訳しておる、これが約一七%ないし一八%ぐらいになると予測されるわけでございます。したがいまして、いままでやっておりましたようなものが約一七%ないし二〇%ぐらいの翻訳物が今後は許可を受けなければできない。また、金を払わなければならなくなる。こういうようなことが出版界に対する影響になる。それから翻訳者に対する翻訳料でございますね。日本の翻訳料が影響を受けるのではなかろうか、こういうようなことが社会的な影響として考えられることである、こういうことでございます。
  90. 小林武

    ○小林武君 反対の立場に立つのは、もちろんそれは出版関係のほうだと思うのですね。外国との関係についても、支払い勘定、受け取り勘定の差が非常に大きいということで反対の根拠も出しているようでありますけれども、これは私も文部省の著作権の審議会の答申というのは妥当だと思うのです。将来そういうことをわれわれが著作権によって保護してやることが、将来はやはり逆に今度日本の優秀な作家がたくさん出て、そうして受け取り勘定のほうが支払い勘定よりかも多くなるというようなことは、そうするように努力しなければならぬことだと思うのですから、これはやはり勇気を持ってやり抜かなければならぬことだと思います。その点はそれでけっこうであります。  その次に、映画の著作権の問題ですね。これはかつてだいぶ議論したことでございますし、何か笠置シヅ子さんかだれかが陳情にまいりまして、そのために、私、一生懸命になったわけではありませんけれども、なるほどなというようなことをそのとき感じました。今度の場合もやはり映画に関係することはかなり大きかったようでありますが、これについては著作権者は一体だれなのか、こういうことについて結論としてはどういうことになっておりますか。
  91. 安達健二

    説明員(安達健二君) 著作権制度審議会の答申におきましても、また草案におきましても、映画の著作者は、映画監督その他映画の著作物の全体的形成に創作的に関与した者とすると、つまり、その創作行為をしたものが著作者である、こういう考え方でございます。それと同時に、映画の著作物については特に流通をよくする、つまり映画としてこれは経済的に十分活用されるようにしなければならないということで、その映画の著作者の持っておりまするところの著作権、いわゆる財産権としての著作権は、映画の製作者に属するものとする。そうしますと、映画のいわゆる著作者に残るものは人格権、その映画を公表をするかどうかを決定する権利とか、あるいはその映画が、何といいますか、改ざん、変更されざることを要求する権利、あるいは氏名表示権、こういうような人格権的なものはやはり映画をつくることについて創作的な寄与、しかも全体的な面での創作に寄与した者に属する。しかし、経済的な利用権は、映画製作者に帰属せしめる、こういう案で答申もできておりまするし、草案もそのようになっておるわけでございます。
  92. 小林武

    ○小林武君 これは無理でありませんか。その財産権のほうはないといわれれば、これはもう財産権の伴わない著作権というようなものは、監督だとか、また俳優というものが非常な不満を持つのは当然じゃありませんか。これはどうですかね。あなたたちの感覚では理解できませんか。ぼくは、あとは一体その人格権のほうは、どんなことが人格権なのか、それもあると思いますがね。とにかく、この前、俳優の皆さんから聞いたのは、何十年だか前の映画を引っぱり出されて、それがテレビに出て実に妙な気持ちだというようなことを話しておりました。これもわかるけれども、しかし、それがどんどん古い映画がずいぶんやられますね、それがテレビでやっても、何でやっても、さっぱり財産権のあれがないわけですから、一銭の恩恵もこうむらないというのは、これは映画というものだけにおいて特にひどい仕打ちを受けておるのじゃないか。これは会社が金を出してつくったからというだけで、一番財産権のところだけをやるというようなことは、その映画製作者の会社にやるということは、これはどういうことでしょう。
  93. 安達健二

    説明員(安達健二君) 映画の著作者、著作権者につきましては、国際的にも非常に問題があるところでございまして、今度のストックホルム会議でもこの点が特に議題となっておるわけでございます。ところで、映画の著作権につきまして、本来、映画の著作権者は製作者である、あるいは雇用契約下にやったものについては、当然、雇用主が著作権を持つべきである、こういうような考え方で製作者に著作権を属せしめておるところはイギリスやアメリカなどがございます。これに対しまして、大陸系の諸国におきましては、著作者は実際に創作行為を行なった者であるとしながらも、これは映画が経済的に利用されるためには権利を集中行使させる必要がある。非常にたくさんの人が関与いたしますので、その場合においては、著作権は製作会社に譲渡したものと推定すると、こういうような規定を置いておるところが多いわけでございます。  それからイタリアとか、あるいはオーストリアなどは、著作権はやはり製作会社に帰属すると、法定といいますか、法律上で譲渡せしめるような制度もございます。それで、日本の答申なり、草案では、そのイタリアやオーストリアのような考え方に立って、著作者はそれぞれ自然人、創作行為をした者であるけれども、経済的利用権は製作者に集中行使させる意味において、法律上著作権が製作会社にあるものとする、こういう考え方でございます。その理由といたしましては、一つは、映画の著作者を、たとえばこれを監督にするとか、非常にはっきりさせれば、まあ権利の行使も容易でございますけれども、はっきりしにくい。やはり映画には多数の人が関与するわけでございますから、したがって、その権利者が非常に多数であって、それを権利者の了解を得なければ映画が利用できないということになると、映画の利用が十分できないということが一つ、すなわち映画の著作者を法律上だれということにきめないことに伴って、そういうものの権利を集中行使させる必要があるということがひとつ。それから先ほどお触れになりましたように、映画は映画製作者が多額の製作費を投入して、多数の関与者を集め、企業活動として製作し、公表するところの特殊な著作物でございまして、これについてはやはり経済的な利用権はやはり製作者が持つべきである、そういうのもやはり常識的には納得し得るところだと思うのでございます。そういうような意味で、著作者としての人格権的なものはやはり著作者たる映画の自然人たる著作者に帰属せしめるけれども、経済的利用権はやはり製作会社に与えて、そのことによって相互の契約関係をつくり、それによって間接的に著作者等も保護することができるのじゃなかろうかと、こういうことで、著作者は自然人、それから著作権者はこの映画製作者と、こういうことでございます。  それからお尋ねのございました人格権といたしましては、第一番目に、第一公表権と申しまして、著作者がその公表の著作物を公衆等に提供し、または提示する権利、この世に問う権利というものが一つございます。それから第二番目に、氏名表示権、著作者がその著作物に自己の氏名を表示させる権利、それが第二番。それから第三番目が、改変等禁止権で、著作者はその著作物または題号の変更、切除、切り取りですね。及び著作者の名誉、声望を害する方法によるその著作物の使用を禁止する権利を有する。だから非常に著作者の名誉、声望を害するようなそういう使い方、あるいは勝手に切ったりするというようなことができないようにすることは著作者が権利を持っておる、これがいわゆる人格権でございまして、映画の著作物の著作者は、その著作物を著しく傷つけることとなるその著作物または題号の改変及び著作者の名誉、声望を害する方法によるその著作物の使用を禁止する権利を有すると、こういうように人格権を規定いたしまして、それを映画の著作者たる自然人に与える、こういう考え方でございます。
  94. 小林武

    ○小林武君 まあいま御答弁いただいて、お互いに映画を見たその場合には、これはだれだれの監督である、カメラはだれであるとかというようなことはみんな考えますわね。それから俳優がだれであるとかというようなことは、主演俳優ばかりでなく、わき役がだれであるということも、それは映画全体を構成する場合には、見る者が非常に興味を持つことです。そしてでき上がりについても、やはり総合的な一つの芸術として見て、これを松竹の映画だとか、日活の映画だからということで評価しているわけでもないと思うのですよ。だから著作権の問題を論ずる場合には、この映画の場合においても隣接権とある程度関連を持って考えないとぐあいが悪いのじゃないかと思うのです。そうでしょう。これは、だから隣接権の問題を取り上げてやはり文句言っているじゃないですか、映画の俳優とか、そういう人たちの意見。だからその関係ではどういうふうに理解しますか。たとえば歌手だとか何とかというようなものもですね、どういうことになりますか。
  95. 安達健二

    説明員(安達健二君) 隣接権との関係では、隣接権の与えられる実演家の権利につきましては、映画として固定されたものにはこれを適用しないというのが……。
  96. 小林武

    ○小林武君 映画でなく、隣接権の性格というようなものを考えた場合。
  97. 安達健二

    説明員(安達健二君) ですから、そういう実演家といいますか、その映画の俳優等が映画に出演を約束した場合におきましては、これはそれについては隣接権を与えない、例外にするというのが隣接権条約、条約上はそういう規定ができておるわけでございます。したがって、それはもう映画ということに出る以上は、そこでその映画の利用についてはすでに十分承知の上でそこでいろんなことが取りきめられておる。したがって、その映画の利用についてまでさらにその映画の俳優が文句を言うことはできないようなふうにするというのが一般国際的なやり方でございます。それによりましてこの草案もそういうふうにいたしておるのでございますが、一体何が映画であるかということが次に問題になるわけでございまして、いわゆるテレビ映画というものははたして映画として考えていいかどうか、あるいはテレビ映画ではないけれども、たとえば「赤穂浪士」というようなものをテレビでやりまして、それをビデオにとってある。そのとったものを映画と考えるかどうかというところになると非常に問題があるところでございます。草案では、本来、放送のためにつくったもので、それがたまたま固定されておるからといって、映画の規定は適用しないで、その場合には、その映画に出た人は、その放送に出た人は、映画をつくられると思って出たのではないからして、それは映画に関する規定は適用しないで、その場合には隣接権を与えると、こういうようになっておるわけでございます。そこで、問題点として、関係者のところで問題になっておりますのは、いわゆるテレビ映画、テレビのためにつくった映画、これをいわゆる一般の映画と同じに考えるかどうか、そこのところに一つの大きな問題点がございますけれども、一般の映画、商業用映画について、俳優等が隣接権をも欲するというようなことはないのではないかと思います。
  98. 小林武

    ○小林武君 隣接権というのは一体どういう意味で今度はあれですか。隣接権とは何かということをあなたおっしゃってみてください、これは言うまでもないことだろうけれどもね。
  99. 安達健二

    説明員(安達健二君) 隣接権と申しますのは、著作物の使用ということに伴って、特に使用媒体というものの場合に問題になる、つまり著作権に隣り合うという権利でございます。つまり、たとえば歌手が歌を歌う。その歌は、原則としましては歌手でないある人が作曲し、あるいはそのない人が作詞をしておる。しかし、作詞、作曲はこれは著作物で、作詞、作曲者は著作権者でございますが、その歌手はそれを歌うということによってそこに権利を認めるべきだ。したがって、それは著作物を利用して、著作物を演じておるという意味において、著作権に隣り合っている権利、あるいはレコード製作者は、作詞、作曲者の音楽を録音すると、さらに録音するというのが著作行為とはいえないけれども、しかし、そこにある種の権利を認めるべきだと、現行は違いますけれども、そういう考え方。あるいは放送事業者も、著作物を利用することによって、そこに何らかの権利を認めるべきだと、これがいわゆる隣接権というものでございます。
  100. 小林武

    ○小林武君 そこで、そうなりますとあれでないですか、映画俳優というようなものが、その場合、隣接権を認められれば、財産権もつくわけでしょう、そうでしょう。結局、隣接権によって歌手や俳優というようなものも、その場合は保護を受けるわけでしょう、一つの。
  101. 安達健二

    説明員(安達健二君) 隣接権で実演家に与えられる権利といたしましては、無断でその実演を放送したり、あるいは公に伝達されない権利、あるいは固定されたものでない実演を固定するとか、あるいは実演家が同意した目的と異なる目的のために複製が行なわれる、あるいは放送に同意した場合にも、二次使用について報酬を請求する権利、そういうようなものが考えられるわけでございます。
  102. 小林武

    ○小林武君 だから、その観点からいったら、映画俳優とか監督とかというようなものですね、それが一体財産権を認められないということについて不満を持つのは当然じゃないですか。
  103. 安達健二

    説明員(安達健二君) 不満を持たれることはもっともでございますが、まあ一般映画の場合におきましては、この映画がやはり一定の上映館においてやられる、そういうことで、出演契約のときに、非常に高い人から少ない人までたくさんありまするけれども、そのときにその経済的な利益は十分確保できると、こういう考え方になっているわけですね。
  104. 小林武

    ○小林武君 いや、それは何かあなたから、映画会社の社長から話を聞いているような気持ちがするのだけれども、そういうね、それば映画会社のほうからいえばそうだと思うのですよ。しかし、俳優なり映画をつくった人たちの側からいえば、それについて不満がある、これは当然だと思うのですよ。映画そのものを見るわれわれの側から考えれば、それはもう明らかだと思うのですよ。だから、私はまあ、映画会社あたりは、それをやられたらたまらぬというような陳情が大いにあるのじゃないですか。私はそういう意味では、若干この映画の問題については、やはり利益を侵害されると考えている映画会社あたりからの圧力が強く影響し過ぎているのじゃないかと思っているのですよ。どうですか、そういうことありませんか。
  105. 安達健二

    説明員(安達健二君) この映画の問題はたいへんむずかしい問題で、審議会でも四年間かかってここまで到達したわけでございますが、ただその現在の契約慣行におきましても、一応、俳優等の出演者は一切の権利を製作会社に譲渡するというような契約を結んでいるのが大体通例でございますので、その現行の契約というものを法律化したというところでございます。それが映画の著作者を自然人に与えながらそういうふうにするのが問題といえば問題でございますけれども、考え方はそういうことでございます。
  106. 小林武

    ○小林武君 その点はあれですか、いまのところはあなたのほうで決定的な線で、映画俳優とか監督とかいうようなものは財産権がないのだと、こういうふうにきめてかかっているわけでもないのでしょう。この法律案ができるまでには、あなたのほうで、やはりあれですか、いろいろな意見を聞いて、それについて十分取り入れていくという余裕はあるのでしょう。
  107. 安達健二

    説明員(安達健二君) もちろんこの全体につきまして答申があり、そうして試案があって、最終的な政府案はつくるわけでございますから、その段階まで常にいろいろな点を考慮し、最善のものをつくるべく努力するつもりでございます。ただ、その映画の問題につきましては、非常にむずかしい問題で、審議会では最初のときは両方の意見を並記いたしまして、それから最後のときにいまのような形の案になっているわけでございますから、したがって、文部省が一般的に答申を尊重するという線に立てば、もちろん検討の要はあるところでございますけれども、なかなかそれはむずかしい問題であると、そういうような意味で申し上げたのであります。
  108. 小林武

    ○小林武君 映画はこのごろあまり盛んでなくて、斜陽化したとか何とかいいますけれども、映画というのは、相当まあ、とにかく国民のみんなに見られるものですね。その芸術性もかなり私は認めなければならぬと思うのです。これがほかの芸術と比べてどうこうという差をつけられるべき問題ではないと思う。その場合はね、この映画をつくる人たちが、何だか何にも実のないところだけを与えられて、そうして財産権というようなところで除外されているというようなことは、これはやはり問題だと思う。あなたは先ほど述べられたように、これについてやはりいろいろな例があるのですがね。必ずしも答申のような線ばかりでもないのでありますから、やはり外国——国際的なひとつ諸会合の中においても、十分ひとつ勉強されて、この点については決定的な線を出すというようなことがないように、十分やはり俳優、監督その他の人たちの利益を擁護する立場に立たぬというと、著作権の意味がなくなると私は思うのです。  次に移りますが、これは著作権制度審議会の答申の際における写真の問題点というのはどういうところでありますか。
  109. 安達健二

    説明員(安達健二君) 一番大きい問題は、まず写真の保護期間の問題、これが一番大きいのでございます。それから第二の点は、嘱託写真というのがございまして、私がたとえば写真家に私の写真を嘱託して写していただきますと、その私の肖像写真の著作権は、写真家ではなくて嘱託した私が持つということに著作権法上なっているわけであります。こういう点は不合理ではないか。もちろんこれにもイギリスなどの先例がございますが、それは別といたしまして、そういうのはおかしいのではないかということ。それから第三番目は、文芸の著作物に写真を捜入するというふうにいたしますると、その写真の著作権は文芸の著作者自体のほうに移ってしまう、こういうような点はやはりいずれも写真家にとってたいへん気の毒といいますか、十分適切でないというような観点からそういう規定を改めるというようなことが問題になったわけでございます。それからもう一つは、写真については非常に記録としての利用面が多いわけでございますので、そういう場合において、使う者がだれの著作物であるかということをわかりやすくしてほしい、こういうような御意見も出ましたが、この点については特に審議会としての結論は出ていないわけでございますが、写真の大きな問題はやはり——それからもう一つ、写真をたとえば写真の展覧会などで未公表のものを展示する権利、展示権というようなものも問題になりまして、これは答申にはちょっとはっきりしておりませんでしたけれども、草案では未公表の写真を展示する権利を写真の著作者に与える、こういうような写真の著作権の内容についていろいろと整備改善をいたしておるわけでございます。
  110. 小林武

    ○小林武君 そうすると、嘱託による著作した写真の著作権というのは結論的にはどういうことになったのですか。
  111. 安達健二

    説明員(安達健二君) その嘱託写真の著作権は、やはり写した写真家に属するというようにする。ただし、嘱託により著作された肖像写真の著作物の著作権者、すなわち写真利用者は、営利を目的としてその著作物を利用する場合には著作者である肖像本人の同意を得なければならない、すなわち私の写真が、これはブロマイドにはなりませんけれども、かりにブロマイドになったとすれば、その場合には私の許可を得てはしい、こういう意味でございます。
  112. 小林武

    ○小林武君 それは許可が必要ですか。
  113. 安達健二

    説明員(安達健二君) この嘱託により著作された写真の著作権は、現行は本人にあるという現行法でございますから、これをどういうふうに改めるかということについてはいろいろ問題がございますけれども、まず第一番目は、著作者というものの権利というものをはっきりさせる意味において、やはり一般の著作権理論に従って著作者に属する、こういうのが筋であるということについてはおおむね異論がなかったわけでございます。ただ、写真というものは非常に簡単といいますか、容易に複製し得るわけでございます。したがって、私の写真がたとえば無断で写真屋の店頭に飾られたとか、あるいはそのほかブロマイドにして売られる、それによって写真の著作権者の権利が営利目的に利用されるならば、やはり私の許可を得てもらいたいというのがやはり常識的な考え方ではないだろうか、こういうことで結論に達しているわけでございます。
  114. 小林武

    ○小林武君 このことについてはいずれ議論されるところがありますから、時間の関係であまりやられませんけれども、やはり偏見があるのじゃないですか、写真というものに対して。われわれもこのごろしろうとのくせに、このごろの写真機はばかでもちょんでも写せるということを放言したりしますけれども、写真というものはどんな人間でも機械でやるのだからという考え方がありませんか。そういう考え方であなたたちと言っては悪いけれども、たとえば審議会の人たちの間でも文部省の間でも多少あるんじゃないですか。たとえばどうですか、肖像画を絵かきに書いてもらったという場合、それは絵の場合どういうことになっておりますか。それを一々、ぼくの肖像を書いてもらったら、ぼくはいつでもそれをどこかに売るときには許可を得なければなりませんかね、展覧会の場合にはどうなりますか。
  115. 安達健二

    説明員(安達健二君) 一般的にはそういうことは美術の肖像画なり肖像写真をつくるときの契約条項で、これをやるときには私にも承諾を得てくださいよというような契約条項ということもございましょうし、あるいは一般に道義的な問題として、一応、小林先生の写真を店頭に飾るならば、やはり小林先生の許可を得るという道義の問題もあり得ると思うのでございます。いま肖像画につきましては、現在別にそういう規定はございませんから、したがって、それが著しく乱用される場合は一般のプライバシーの保護の問題として民法の一般原則によって保護される、こういうことになるわけでございます。ところが写真の場合でございますと、絵の複製よりも非常にひんぱんに、容易に行なわれるというような事柄があるわけでございます。それについては、したがって、そういうような観点もあって、イギリスでも従来の、現在の現行法でも、嘱託本人に著作権を所持せしめておるというようなことがあるわけであります。絵の場合は、大体において小林先生の肖像画なら肖像画は小林先生がお持ちになることが多い。写真の場合はネガは写真家がお持ちになることが大部分でございます。それから複製が容易であるというようなことからいたしますると、やはり一般の肖像権といいますか、プライバシーの保護だけでなしに、やはり著作権法でも、元来プライバシーの保護ということもからみまして、そういうものが非常に侵されやすいというような観点から、特にそういう事柄を規定するという観点でございます。
  116. 小林武

    ○小林武君 やはりあなたのおっしゃるのは、写真というものに対して、やはり絵と比べたり、他のほかのものと比べて、著作権に該当するものに比べて多少片寄った考えだと思うのですよ。何か簡単に写せるという考え方じゃなしに、そういう考え方はやはり間違いじゃないかと私は思うのです。やはりこの問題につきましては、十分に写真家の意見もあるわけでありますし、また写真をやる人たちの団体からの反論もあるわけですから、その点では写真は機械で写すのだとか、簡単にだれでもやれるというようなことに大体重点を置いた議論というのはとるべきでないと私は思います。その点、法律も出ていないことですから、これからひとつ検討されるときに十分その点お考えを願いたいと思います。  それから美術品の追及権の問題はどうなっているわけでありますか。
  117. 安達健二

    説明員(安達健二君) 追及権といいますのは、現在、日本が加盟しておりますベルヌ条約で、なお日本が入っていないところのブラッセル規定によりまして、各国は国内においてそういう追及権があるということでございますが、その追及権の内容と申しますのは、つまり絵を書いて、そしてある人に売った、それが今度非常に値が高くなった、そういう場合に著作者が、絵かきが、そのもうかった分の差額について一定のパーセンテージの金銭をもらう権利というのが一種の追及権という考え方でございます。これにつきまして著作権制度審議会でもいろいろと議論をいたしたわけでございますけれどもわが国における美術作品の公売制度、その他売買の実情からすれば、現在直ちにこの制度を実施することは必ずしも適当ではない。しかしながら、美術の著作物の著作者の保護という見地からは、この制度自体は検討に値するものであると考えられるので、美術作品の公売制度、つまり値段がはっきりするというような点が確立された、そういう実体の推移を勘案して、将来において制度の前提となる実体が整った場合、すなわち公売制度などがはっきり日本でも慣習的に確立された段階においては、あらためて追及権制度の創設については消極的でなく積極的に検討すべきものである、こういうことで今回は見送るけれども、将来の問題として公売制度の整備と相まってこれを考えるべき問題である、こういうような結論でございましたので、したがって、草案自体にはそれに関する規定は入れてないわけでございます。
  118. 小林武

    ○小林武君 いまの場合は話がぼくは逆だと思います。ぼくは、必要を認めているのだけれども、公売制度ができていないから認めないというのは逆だと思います。そういう必要があるけれども、公売制度という欠点があるから、原則を認めているけれども、実現はなかなか困難だというなら話はわかるが、ちょっと順序が逆なような気がするのです。なお、公売制度の問題なんといったら、日本もいいかげんにはしておられなくなってきたのですよ。これは文部省にも関係があるけれども、絵の公売制度について横道くぐったらだめだということは、この間のこの委員会でよくわかったと思うのです。りっぱな公売制度があるのに、その公売制度のルートを通らぬ。そのあげくの果てにはとんでもないことになってしまうということもあるわけです。私が日本の場合には公売制度を早くつくるべきだ、言うまでもなくあなたおっしゃるとおりなんです。絵の値段なんというものは、ある程度とにかく値段がきまっているわけですから、しかし、その変動もひどいですね。かつて非常に高く買った絵がいまではとにかく安くなって、そして、その当時あまり評価されなかった人の絵がものすごく高くなっているというような事実もあるのですから、そういうことからいえば、やはり追及権というものは認めなければいけないと思うのですよ。これはやはり原則として認めるべきだという該当者たちの意見というものは尊重すべきだと思います。もう結論としてきまりましたというようなことをおっしゃるわけでもないでしょうから、十分に検討していただきたい。公売制度がきまらないなんということを言っている事態ではないと思います。日本がほんとうにいい作家をこれから生んでいくということになったら公売制度を確立したほうがいいと思いますよ。そのくらいのことできないことはないと、こう思います。ですから、この点はひとつ御検討いただきたい。  それと、これは法の三十条一項第八号ですか、これについては写真家のほうも問題を提起しているようですね。
  119. 安達健二

    説明員(安達健二君) ちょっと失礼ですが、何の三十条でしょうか。
  120. 小林武

    ○小林武君 現行法。
  121. 安達健二

    説明員(安達健二君) 現行法の三十条は、条件つき利用ということで、「既ニ発行シタル著作物ヲ左ノ方法ニ依リ複製スルハ偽作ト看做サス」、すなわち自由に使えるということでありますが、その八号は、「音ヲ機械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器」、すなわちレコード等に「著作物ノ適法ニ写調」録音されたものを「興行又ハ放送ノ用ニ供スルコト」は、出所を明示すれば自由にできるという規定でございます。この規定のことでございますか。
  122. 小林武

    ○小林武君 そう。
  123. 安達健二

    説明員(安達健二君) これはいわゆるレコードの二次使用権という問題でございまして、現在、音楽を使用する場合に、これをなま音楽として使用する場合には作詞、作曲家に対して、実際にはその権利を預っておりまするところの協会に対して許諾を求め、使用料を払って使うということになっておるわけでございますが、レコードによって音楽を演奏する場合においてはこの規定が働いて、それは自由であるというような規定になっておりますので、この点は音楽がなまで演奏されると、レコードを通じて演奏されると効果においては全く同一であり、また、経済的な価値はもちろん差があるといたしましても、やはりそこに音楽を使用するということにおいては同じである。そういうことから、作詞、作曲家に対してその著作権を認める、許諾権を認め、これを有償にするというのが審議会の答申でございました。草案もその精神に従ってこれらのレコードによる演奏権、放送権を認める、こういうことになったわけでございます。
  124. 小林武

    ○小林武君 現在でも放送関係では著作権者である作詞、作曲家に使用料を払っているというのですが、これはどういう形で払っているのですか。
  125. 安達健二

    説明員(安達健二君) これは、国内法的にいえば「出所ヲ明示スルコトヲ要ス」ということで、ただいまのレコードはどこどこであり、作詞家はだれであり、作曲家はだれであるということを言わなければ三十条に違反することになるわけでございますが、現実にはそれぞれの氏名、出所を一々言ってない。だから、そういう出所を明示しないおわび代というような意味で、これはちょっとはっきりしませんけれども、そういうような形で約五千万円程度の金が放送局のほうから権利者側のほうへ支払われておるというのが慣行でございます。
  126. 小林武

    ○小林武君 これはあれですか、一年にそれだけ払うわけですか、五千万というのは。
  127. 安達健二

    説明員(安達健二君) 一年に五千万程度。
  128. 小林武

    ○小林武君 五千万円程度払う……。
  129. 安達健二

    説明員(安達健二君) その場合に、ちょっとつけ加えますと、その五千万円の中の権利者は、作詞、作曲家のほかに、レコード製作者、現在、現行法ではレコード製作者も著作権を持っていることになりますので、レコード製作者の分も入れまして五千万円なり六千万円程度ということでございます。
  130. 小林武

    ○小林武君 それからあれですか、教育の問題に使う場合はこれは特例があるわけですか。
  131. 安達健二

    説明員(安達健二君) 現行法の三十条の、いまお示しになりました三十条の三号で、「普通教育上ノ修身書及読本ノ目的ニ供スル為ニ正当ノ範囲内ニ於テ抜萃蒐輯スルコト」と、こういうのがございまして、まあ修身書というのはございませんけれども、読本はすなわち国語の教科書とか、英語のリーダー、そういうものに正当の範囲内において発行された著作物を利用すると、志賀直哉なら志賀直哉の文章を教科書に入れるとき、正当な範囲内の抜粋収集である限りは自由であると、こういうのが現行法の規定になっておるわけでございます。
  132. 小林武

    ○小林武君 それで終わりますから申し上げますが、それはどうですか、妥当だと思いますか。その著作権という趣旨からいってですね、妥当ですか。
  133. 安達健二

    説明員(安達健二君) この教育目的のための使用につきましては、ベルヌ条約におきまして、その教科用の図書その他教育目的のために著作物を利用することについては、各国内法によって自由にできると、こういうことになっておるわけでございます。考え方は、教科書については、子供に将来の、次代の子供に対して最もいい教材を与えたい、そういう観点から。それからまた著作物といたしましては二次的な使用になると、すなわち原作としてはすでに世に出ておる、発行されたものでございますから、したがって、そういうものについてはもうすでにそのものとしての経済的な効用は一応果たしておる。だから、もし教科書に使う場合は二次的な使用になるということがいえるわけでございます。したがって、そういう場合には、現行法は、そういう場合にはやはり著作者が教育のために協力していただくのだ、こういう趣旨でそういう規定が置いてあるし、世界のほとんどの国でこの教育ないしは教科書のための著作権の制限は認められているところでございます。ただ、現行法において、読本とまあ修身書と書いてありますが、読本についてのみそういう制限をするというのはどうだろうか、やはりほかの教科書、社会科でも理科でも、まあ教科書には最もいい教材を与えたいということは、あえて読本に限らないのではないか。したがって、そういう制限はすべての著作物に及ぼすべきではないかという考え方、そうすると、それでは現行法よりも著作権の制限がきつくなるのではないかという観点から、それではそういうふうに全体の教科に及ぼすとともに、そのかわり、その著作権者に対して何がしかの償金を払って、やはり使わしてもらっていい教科書ができたんだから、やはりまあその微意は表すべきである。したがって、使うときはやはり有償にする、しかし、便うか使わぬかはやはり教科書という教育目的協力した意味で、一応その財産権としての著作権は制限をする、しかし、人格権というものはこれはやはり譲るべからざるものであるから、それはやはり著作者に十分残しておくけれども、用字用語の変更、その他教育目的上真にやむを得ないものであれば、これは著作者が忍んでいただくと、こういうような形になっておるわけでございます。
  134. 小林武

    ○小林武君 その教育目的というやつがね、ここで何か出ているのをちょっと見ると、堀田さんが、「海鳴りの底」からという小説の一部を東大の入学試験に使われて、かんかんになっておこっているという記事がある。教育という美名に使われて、あなたのおっしゃるようにこれからどんどんやられるというようなことについては、まあ作家だのいろんな立場で主張されておるようだが、これはもう著作権の立場からいえば不満のあるところじゃないですか。
  135. 安達健二

    説明員(安達健二君) この制限として強制許諾で有償で払うというのは教科書だけでございまして、したがって、小学校中学校高等学校用の教科書についてだけでございまして、いわゆる一般の教育書についてすべて及ぼすわけではございません。それからもう一つは、入学試験の問題でございますが、この入学試験の問題は最初に許諾を得るというと漏れてしまうわけですから、入学試験については使える、やはりそういうふうにしないと無理だということで、入学試験とそれから教科書だけについてそういう著作権の制限を認める、こういう考え方であります。(「わかった」と呼ぶ者あり)
  136. 小林武

    ○小林武君 どこかでわかった人がいるらしいけれども、この点については十分やはり著作権の問題として討論する必要があると思うのですよ。これはもうあまり気楽に考えて、教育のことだから何でもやってもいい。たとえば、それが試験問題集にまで出ているといったようなことになると、やはり教育に名を借りて非常に著作権が侵害されるということになるとそれに対する不満を持つ、私はそう思うのです。本を書いたり芸術作品をつくったりする人たちは、それくらいきびしさがなかったら本物ができるわけがない。だから、そういうものをあまり教育は別問題だというようなことを考えたり、文部省なんかが教科書の問題についてあまり特権を持っておるような考え方で事に臨むということは避けるべきだと思うんです。そういう点の配慮はこれから十分に期間のあることでございますから、法律案が出たら十分議論しなければならぬ。しかし、その場合も、これは反対か賛成かの二つになってしまいますから、こうなると、やるほうは馬力がありますけれども効果は薄いだろうと思う。相当時間をとったということは私も認めます。それはいろいろな事情があったにしろ、文部省が後退するのではないかというような世の中の評判もあるわけです。その後退するのはどうかというと、声の大きいものに押されて後退するのではないか。声の大きいのは社会党だと思ったら間違いで、これは出版界の連中に押されてやるのではないか。こういうことですから、やはり私は著作権の問題は、ひとつ審議会の答申を中心にしてよいものはとり、皆さんが検討して出してもらいたいと思うんです。その点を要望いたしまして私の質問を終わります。
  137. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 速記をとめて。  〔速記中止〕
  138. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 速記を始めて。  他に御発言もなければ、本法案に対する質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  139. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 御異議ないと認めます。  なお、討論採決は次回に譲ります。  本日はこれにて散会いたします。    午後一時二十四分散会      —————・—————