○
説明員(
富永惣一君) 昨年来、
国立西洋美術館が
購入いたしました昨品につきまして、いろいろ御、心配をいただき、また御
質疑をいただいております。これにつきまして御
説明、御
返事を申し上げたいと存じております。
もっと早めに御
説明申し上げるべきであったが、だんだんとおそくなりまして本日に相なったことを申しわけないと存じておりますが、この御
説明に先立ちまして、
常々、当
美術館が
購入しておる場合の
方法につきまして簡単に申し上げておきますが、当
美術館におきまして、
美術作品を
購入いたす場合には、どうしているかと申し上げますと、
館長はじめ
専門の
職員が、
当該美術作品につきましては、もちろんその
鑑定書、
作品の総
目録、
作家または
作品に関する
研究書、
展覧会にいままで出されたその
出品歴等、
美術作品の優劣、真贋の判定のための各種の
資料につきまして十分
調査いたしました上、さらに
専門家に委嘱しておりますところの
購入選考委員会に諮問いたしまして、
購入の
可否、つまり
購入してよろしいかどうかという
可否を決定している次第でございます。なお、
昭和四十一年度からは、
購入価格の適正を期するために、
購入選考委員のほかに
価格評価委員を委嘱して、
購入予定作品の
価格評価を依頼いたしまして、そしてその
評価額を
基準に
購入するということにしておるのでございます。こういうふうな
方法を原則といたしておるのでございます。で、もちろん三十九年度の
購入につきましても、まず第一に、この
作品自体につきまして慎重なる
調査を行なってきておるわけでございます。すなわち、この問題になっております
ドラン作「
ロンドンの橋」及び
デュフィ作「
アンジュ湾」の
二つの
風景画につきまして申し上げますならば、この両
作品につきまして、その
専門の
職員全部が慎重に
調査をいたし、その
主題、
構図、
手法、
色彩感覚を検討してまいったのでありますが、もっと詳しく申し上げるならば、
ドランの「
ロンドンの橋」につきましては、
ドランが
ロンドンにおもむいて
——一九〇五年から一九〇八年にわたりまして、いわゆる
フォーブ時代と申します非常に
色彩のあざやかな一時期がございます。これは
ドランのみに限りませんけれ
ども、そういう一時期に、
ロンドンの橋をいろいろかいておるのでございまして、この問題の「
ロンドンの橋」もその
一つであると十分に認められるものであります。と申しますのは、まずそれに用いられておりますところの材料と申しますか、そういう方面からも研究しておるのでございまして、たとえば、
ドランは
常々自分でかくキャンバスをつくるのでございます。
手づくりでございます。
自分ではさみで切り、そうしてくぎを打つというのが
ドランの常常のやり方でございまして、この
作品も、よく分解してみますと、そのとおり
手づくりをしております。それから、これがどれくらいの年度をたっているかといういわゆる
老化現象、いろいろの
老化現象を研究いたしましたところ、五、六十年の
老化現象をしていることも認めておりまして、年代的にも符合すること間違いないのであります。さらには、それらの
色彩でございますが、
色彩をいかにして用いるかという点につきましても、
ドランは
常々薄クレパシオンと申しまして、薄ぬりをいたしまして、そうして入念にかくのでございます。この
手法も全くその常法を使っておるわけでございます。それらの点を見ても、そこに疑わしいものなく、また、これが新しくつくられたということはあり得ないということを信ずるものでございます。その他
フォーブ時代の
色彩の置き方、つまり原色を対置的におきまして、そうして非常に効果を強くするという
手法も、これはなかなかむずかしいたくみな
手法でございますが、これまた今日
ドランの正しい
作品と称せられる他の
作品と比較研究いたしまして、共通するものでございまして、他の余人をもってして、簡単にこういうものができるものではないということを認めておるわけでございます。そういうふうな点を諸般考慮いたし、総合的に
判断いたしまして、これは
ドランの
真作であると考えて、
購入委員会の審議をお願いしたわけでございますし、
購入委員会におきましても、
全員一致をもって
購入がふさわしいという結論を出していただいたわけでございます。そういうふうなわけでございますし、また、
デュフィの「
アンジュ湾」の
風景にいたしましても、
デュフィが
南仏海岸を
主題にいたしました数多い一これは非常に多い数になりますが、水彩、グヮッシュの
作品の
一つにこれを加えて見ることはきわめて自然でありまして、いろいろの
構図のとり方その他についての
見方等はありましょうけれ
ども、これが同じく
デュフィの
作品手法であるということは十分に認めることができるのでございます。しかしながら、ただ、そういうわれわれだけの
判断だけではなく、さらにこれを
裏づけるためには、やはり
第三者の
鑑定を必要といたすのでありまして、
第三者の
鑑定も絶対とは言えないにしても、これはやはり重要な
裏づけとしてわれわれは考えておりますので、この際はすなわち「
ロンドンの橋」につきましては、
フランス在住の
公認鑑定人パシッティの
鑑定書がついておりまして、
パシッティの
鑑定書が
一つの大きな
裏づけと考えておるのでございます。また、
デュフィの「
アンジュ湾」につきましては、アンドレ・
ショレールと申しまして、今日死にましたけれ
ども、十九
世紀の終わりから二十
世紀にかけての、これも有名な
鑑定人でございますが、これも間違いないという
鑑定書を持っておるのであります。これらを総合いたして、この
作品が
真作であるということを信ぜざるを得ないのでございますが、一体この
鑑定人があっても、あるいは
鑑定書があっても、その
鑑定書が実は怪しいのではないかということもよく言われるところでございますが、こういう点も考えまして、一体この
ドランに付せられているところの
鑑定書について、直接
フランスの
パシッティ、その人に問い合わせをいたしたのでございます。これはあなたが確かに
鑑定し、間違いないと認めたものであるかということを
写真にとり、その旨を問い合わせました。さっそく
返事が来まして、まさしくこれは私が書いたものであり、これは
真作であるということを信じておるという
返事をもらったのであります。さらに、もう
一つの
デュフィのほうの
鑑定書、これはすでに死んでおりますが、その子供も同じく
画廊を開いておりますので、この子息の
ショレール、これは
日本にも来たことがあります。これに
手紙を出して、この
鑑定書の
真偽を確かめたのであります。これからもやがて、これは少し
返事がおくれましたけれ
ども、
返事が参りまして、これは父の書いたものに間違いないということで、父がまさしくこれを
鑑定したという
返事が参ったのであります。それらによりまして、これらの
鑑定書も本人が書いたものだと判定せざるを得ないのであります。
この際、一体、
公認鑑定士なるもの、
フランスにおける
鑑定人なるものはどういうものであるかをちょっと申し上げておきたいと思うのでございます。
フランスにおける
鑑定人は、
裁判所によって任命される
法定鑑定人、
パリ地区競売人連合会によって
公認されます公開売り
立て場の
立ち会い鑑定人となる
公認鑑定人、それから、税関によって委嘱される
鑑定人がございます。同一人がこれらの数種の
鑑定人になることもあり得るのでございます。
フランスにおきましては、
鑑定人の
意見は非常に重要視され、権威を持っておりまして、ことに
パリ地区競売人連合会によって
公認されました
公認鑑定人は、
自分の
鑑定意見に対して三十年間の
責任を負うことになっております。もし、
公認鑑定人に非行または重大な過失があるときは、
登録から直ちに削除されることになっておりまして、その
責任は非常に重くみられておるわけでございます。さて、この
パシッティ及び
ショレールの
信頼度について申し上げますが、また駐
仏日本大使館を通しても
調査してもらったのでありますが、
パシッティ氏は現在
公認鑑定人と
登録されているうちの中でも最も著名な人の一人であって、
法定鑑定人に委嘱されておる人であるということであります。
ショレールは
——これはもちろん父のほうであります。もうなくなったのでありますが、故人でありますので、現在、
登録簿には
登録されておりませんが、生前は
フランスにおいて最も信頼された
公認鑑定人であったということを
報告してまいっています。
両人の
信頼度につきまして、今度は
フランス国立近代美術館に照会いたしましたところ、
パシッティ氏も、
ショレール氏も、
パリではよく知られた
鑑定人であります。私は、
両人とも、疑わしい
作品に
鑑定書をつけて、
自分の
名声を危うくするようなことをする人であるとは思いません。」と
回答してまいりました。
フランスには、国の
管理下にある
公認の
競売場が各地にありまして、
絵画、
骨とう品、
家具等の
競売を実施いたしております。その
競売の
立ち会い人は、
裁判所所属の
公吏、
公正証書をつくる権能をもって政令で任命されております
公吏であります。その
立ち会い人の
連合会は、半
官的規約をもっている
公的機関であります。その
一つである
セーヌ地区競売人連合会の
事務局長ギョーマン氏に
手紙を出して同じく照会いたしましたところ、「
競売人連合会が
公認する
鑑定家は、その
職業的能力に関して、誰からも異論のない、完全に有能と認められた人に限ります。また、
連合会は、
鑑定家を
公認するにあたって、完全な
道徳的潔白性を
必要条件とします。
ショレール氏は、かつて、
フランスの
公開競売に
公認された、きわめて偉大な
鑑定家であります。彼の
息子パシッティ氏は、現在
パリ競売人連合会公認の
鑑定家であり、
フランス市場においても、
国際市場においても、完全な
名声を保っている人であります。」との
回答がまいりました。
それから、なお、国内で
西洋の
作品の
価格を
専門に研究しておる
研究家があるのでございます。この特殊な
研究家にも尋ねましたところ、
ショレール氏は第二次
世界大戦後、
パリにはんらんしたにせ
絵発見の功績で、「
贋絵発見の神様」と称せられたほどのすぐれた
鑑定家で、十九
世紀の
作家コローから
印象派までが
専門であるが、セザンヌゴッホ、
デュフィについてもすぐれた
鑑識眼を持っておりましたという
返事であります。つまり、
ショレールの
鑑識を
裏づけているわけであります。こういうふうなわけでございまして、
パシッティ及び
ショレールの
鑑定書の
信憑性につきまして、先ほど申しましたように、
パシッティ氏の
鑑定書について、
鑑定書、
作品の
写真を
同氏に送りまして
確認を求めたところ、間違いなく
自分の
鑑定書であるという
回答があった。
ショレールの
鑑定書につきましても、同様にその
鑑定書及び
作品の
写真を
息子の
ショレール氏に送付して
確認を求めましたところ、兄の
パシッティにも見せた結果、間違いなく、父の
ショレール氏の
鑑定書である旨
回答してくれたという手続を経て、私
どももこれは違いなき
鑑定書である。
鑑定書の
信頼度を高度に認めた次第であります。
それからまた、
ドランの
未亡人の
鑑定書がきているのであります。
ドラン未亡人の
鑑定書も、
未亡人のことだから書いたのじゃないかという
疑いも、場合によっては起こり得るのでございますが、
フランスでは、非常に
鑑定書を書くということは重大なことに考えておりますので、そう簡単に書くわけはないのでございますが、この点も、まず第一に、
フランス国立近代美術館に照会いたしましたところ、「
ドラン未亡人は、もちろん、夫の
作品の
真偽を
鑑定する
能力を持っている人です。」との
回答がまいりました。それからまた、
ドラン未亡人の
鑑定書の
信憑性については、直接、同
未亡人に
手紙を出しまして、この
鑑定書を書いたかどうかを問い合わせたのでございます。
確認を求めたのでございますけれ
ども、その
返事といたしましては、間違いなく内分が書いた
鑑定書であるという旨の
回答を得たのでございます。
それからまた、
鑑定書の
書き方でありますが、これは法的に一定した
書き方がきまっているわけではございませんが、駐
仏日本大使館に
調査を依頼しましたところ、
鑑定書の書式につきましては、別段、法的な規定はなく、各
鑑定人の
判断または当事者の依頼によりまして、最も適当な
方法で
記載することになっているということでありますが、
鑑定書に
題名の
記載のないものは
鑑定書の裏に、これは
真作であるとか書くのでございますが、
題名が書いてないものは
鑑定書として不備ではないかという御質問もあったかと思うのでございますが、この点につきまして、
パシッティに照会いたしましたところ、「
鑑定は、
題名についてではなく、
作品それ
自体について行なうのであって、
鑑定書は、
作品の
白黒写真の裏に、“この複製された
作品は……”」ということばで始まり、「その寸法、材質、
署名の有無(
署名のある場合には、その位置)を
記載することになっております。」との
回答があり、この
方法が一番広く使われているのであります。
鑑定書には、
題名の
記載のないのが普通であって
題名の
記載のない
鑑定書が不備な
鑑定書であるということは言えないのであります。
それからまた、この前、御
質疑があったかと思うのでございますが、
ドラン作の「
ロンドンの橋」が、ジョルジュ・イレールの「
ドラン」という本に掲載されていないのではないか、ですから疑わしいのではないかという御
指摘もあったかと思いますが、この木は、
ドランの
作品の総
目録でもありませんし、
ドランの著名な
作品で掲載されていないものも数多くあるのであります。この
書物に載っていないとの
理由をもってこの
作品を疑うことはできないのであります。たとえば、
フランスの
国立近代美術館には、
ドランの
作品が十数点
所蔵されておりますが、その本に、さてこの中で、
フランス国立近代美術館所蔵の
ドランの
作品として掲載されているのは、わずかに一点であります。
図版十四であります。ただの一点でございます。なお、この
書物について、
フランス国立近代美術館に照会いたしましたところ、「イレールの著書は、
作品の総
目録ではありません。
ドランの
疑いのない
真作で、同書に複製されていない
作品は多数あります。また、
図版十四の
作品は、当館の
所蔵品ではありません。」、にもかかわらず、
近代美術館の
所蔵となっております。こういうふうな
回答をしてまいりまして、この書が必ずしも権威あるものであるといっていないのでありまして、ひとつのこれは参考の図書であるといってよろしいと思うのであります。なお、
ドラン及び
デュフィの総
目録、カタログ・レーゾンネと申します全部の
作品を網羅するところの総
目録は、現在のところまだ出版されていないのでございます。
さらに、これらの
二つの
作品が一体どういう
来歴を持っているかという点も調べなければならない点なのでございます。これはなかなか調べるのは困難なのでございますが、
ドラン作「
ロンドンの橋」につきましては、一九六四年にニューヨークにおける
ドランの
回顧展が、大きな
展覧会が開かれまして、その
展覧会に出品されております。この
展覧会は、
ドラン未亡人によって組織された、当時非常に有名な
展覧会でありまして、
フランス国立ルーブル美術館からも出品されており、一九六四年十一月版のアメリカの
アートニュースという
美術関係の雑誌にも、きわめてこの
展覧会がすぐれた
展覧会であるとの評が掲載されてありまして、この
展覧会の
目録にこの問題の
ドラン氏の「
ロンドンの橋」が掲載されております。つまり、明らかにこの
展覧会に出品されたということが、そのことでわかるのであります。また、
デュフィの「
アンジュ湾」につきましては、これはポン・ロワイヤル・ホテルの
画廊での
展覧会のときに出品されたということが、この
出品作品の裏にしるされておるのでありますし、また、このときの
展覧会の
目録には、出品されても、数点の
作品が
番外作品として出品されておった、そのうちの
一つであったために、そのときの
目録には名前は掲載されていないのであります。
それから、さらに、この
来歴について申し上げたいと思うのでありますが、いま申しましたように、その
作品がどこの
所蔵のものであるかという経歴でございます。
ドラン作「
ロンドンの橋」のほうは、
フランスの十九
世紀末期の最も有名な
収集家であり、画商であったアンボワーズ・ボラールという人の
所蔵にかかるものでありまして、それから後にカイゼール、これは
出版業者でありますが、その
コレクションの中に入りまして、それをさらにまたルグロ氏が
購入して
同氏のものになったわけであります。それから、
デュフィの「
アンジュ湾」のほうは、もとアリ・カーン氏の
コレクションに所属しておったものであるということがわかっておるわけであります。
そういうふうなわけでございますので、できることなら、さらに何らか科学的な
方法においてこれを
裏づけするようなことが今後考えられなければならないのでございますが、現在の段階におきましては、十七、八
世紀以前の古い
作品につきましては、科学的な実験をおりおりいたしておりますが、まだ五十年とか六十年程度のものについての科学的な
方法というものは確立しておりませんが、先ほど申しましたように、まず
カンバスというものを検討するというふうなことで画布を分析するわけでございます。大体、
画家は、通じて同じ
カンバスを使うわけでございますが、先ほど申しましたように、
ドランの場合には
手づくりをするというような特殊な秘法を持っておるのでございますが、それを
カンバスは同じような形、同じような性質でもって示しておるわけでございまして、これは同じものだと言わざるを得ないわけでございます。それから、いま申しました
カンバスの
下地づくり、それから、いま申しましたように
カンバスの
老化現象——老化現象というのは、顕微鏡、レントゲンその他の
方法において、やや科学的な手段を用いましてこれを分析することがある程度可能でございます。これによりましても、先ほど申しましたように五、六十年の
老化現象を示しているということを証明することができるわけでございます。
次に、
購入価格について申し上げたいと思います。と申しますのは、この
購入価格が高価に過ぎるのではないかというような御
指摘があったからでございますが、当
美術館におきまして
美術作品を
購入いたします場合には、その
真偽のみならず、
西洋美術作品の欧米における公開の売り
立て価格というものを一応調べるのであります。
ロンドンのサザビーの売り
立て、これは年々、アニュアルとして年報を出しますので、大体その年にどの
価格をもって売買されたということが
——これはしかし、業者間の
価格でありますから、
一般価格よりもちろん低いのであります。これなどを
基準といたし、また、その他なるべく
資料を集めて調べるのでございますが、しかし、そういう
資料が十分集まる場合と、なかなか集まりにくいという場合も、
作家によってはあるのでございます。で、
作品を
購入する場合の
価格決定のためにも、
参考資料をできる限り尋ねまして、さらに
購入選考委員会に諮問して
購入価格の適正を期した次第であります。で、
ドランの作「
ロンドンの橋」を幾らで買ったかと申しますと、二千二百三十二万円で
購入したのでございます。これは高過ぎるのではないかという御
指摘もあったのでございますが、次の
理由によりまして私
どもは不当ではないと信ずるのであります。
まず、
ドランでございますが、
ドランは御承知のように、第二次大戦の敗戦後
——フランスが負けまして
ドイツ軍が占領いたしました期間中、
ドランは
ドイツ軍に協力したわけです。
ドイツ軍の
文化事業を助けたのです。そのために、戦争が済んでから国賊とばかりに非常に排斥されまして、一時はその存在すら忘れられかけたのでございます。ところが、次第に年月がたちまして、
ドランも、そういうことをしたけれ
ども、しかし、
画家としてなかなかやはりりっぱな
画家だったというので、次第々々に名誉を回復してきたのでございます。そうしているうちに、
価格も、安かったものが、ほとんど捨て値であったものが、どんどん上がってまいったのでございまして、これは年を追うて上がってきて、その点は別人のような上がり方をしたのであります。その点はいまのようなことでございますが、ことに近年に至りましてフォービズムと申します一九〇五年から八年にかけての
色彩あざやかな、
印象派の
色彩を絶頂に持っていったような
色彩本位のものになりますと、これは
世界の
市場が全部目がけて買いますので、驚くべき高価に驀進しつつあります。今日も、なお年とともに上がっておるようなわけでございます。われわれももちろんなるべく安く買うということを目標といたしますので、慎重にこれらを研究するのでございます。この
作品はちょうど、いま申しました
フォーブ期の、一番
世界からさがされているその時期のものであったために高価であったのでありますが、これを他の売り
立てと比較いたしますと、やはり「
ロンドンの橋」と同じような
フォーブ期の連作の
一つであります「
テームズ河」という絵は、大体同じくらい、少し大き目の絵でありますが、これが一九六五年の
ロンドンにおける売り
立てのごときは三千二百万円で落札されたわけでございます。しかし、
フォーブの
時代と縁故のないものは存外安く、その二、三年前までは売られていたのでございますが、大体、六一年を越すと急カーブを切って上昇してきておるのであります。今日もなお上がっておるのが実情でございます。
ドランと並んで、たとえばこれは
一つの参考ですが、
フォーブ期の
作家として有名なブラマンクのこの
時代のものも、同様にくつわを並べて上がってきておるのでございますが、「ル・アーブルのドック」という少し大きな絵でございますけれ
ども、一九六三年には
ロンドンにおける売
立てで約二千三百万円で落札されておるのでございます。この絵はいわゆる総額と申しますか、時価がこの
作品だけが特に高いということはないのでございます。この点御安心願いたいと思うのでございます。なお、しかし、それでも広く比較したいと思いまして、これまた
フランス近代美術館に問い合わせをしましたところが、
フォーブ時代の
ドランの
作品及び
デュフィの
作品の値段は、現在ではきわめて高いということについては私も同
意見であります。それから
セーヌ地区競売人連合会事務局長ギョーマン氏に対しても問い合わせましたところ、「
ドランの油彩
作品に、貴下の払われた
価格は、正常のものと思います。」、
パリのルイ・カレーの、最も一流の
画廊の
一つでありますが、ルイ・カレーの
画廊にも問い合わせましたところ、「あなたの言われた両
作品の
価格は、適正なものであると思います。」、それから先ほど申しました
日本における
西洋美術作品をおもに研究されておる
研究家にも
意見を問い合わせましとたころ、
フォーブ期の
作品の
価格は一九六一年以降高騰しております。
国立西洋美術館が
購入した
ドラン及び
デュフィの
作品の
価格は不当ではありませんという
回答をいろいろ他の
作品との比較において御
回答いただいたわけでございます。こういうふうなわけでございまして、私
どももできる限りの手を尽くしてあれやこれや考えたあげく、決して不当な
価格でもなく、偽作でもないという結論をかたく持っておる次第でございます。
ただ、これを
購入いたしましたその画商は、つまりルグロという人物でございまして、今日ではアメリカの国籍を持っておる画商でございまして、この人物についてはくわしい経歴は実はよくわかっておらなかったのでございますが、これにつきましても、一応ルグロとはどういう人であろうかということを
フランスに一、二問い合わせたのでございます。それらが両方とも同じように、過去約十年間画商をしておるけれ
ども、いまだかつて別に悪評を聞いたこともなければ、悪いことをしたということもないという
返事でございました。パシッテイ氏にも聞きましたところ、最近十年間、画商を営んでおり、彼に関して何ら悪いうわさは聞いていないし、また、
自分としても悪い人だとは思っておりませんという
回答が来まして、特に悪い者だというふうには考えなかったわけでございます。ただ、ルグロに関係いたしまして、ごく最近に至りまして、新聞の報道でございますが、新聞を通じて見ますときに、ルグロ並びにルグロの秘書にあたる者が不正な商売をし、あるいは偽作を手がけたということについて、いま司直の手によって調べられているという報道を得たのでございまして、この点につきましては、やはりこれがまだ
調査続行中でございまして、今日まだ何ら真相を把握するわけにはいかないのでございますが、はたしてルグロ氏がどういうことをした、あるいはその秘書がどういうことをしたということは、今後の
調査によって考えなければならないと思うのでございます。そういうことによりまして、この
作品の
真偽というものが、そういうことと結んで、あるいは
質疑ということに相なるかと思うのでございますが、先ほどから申しますように、
作品自体はいろいろの点を考えまして、むしろ偽作ということを証明するほうがなかなかむつかしい。
真作というふうに見る見方のほうにいろいろ根拠が多いのでございまして、私
どもはこれに対しては疑っておらないのでございます。こういう画商がもちろん
真作のものを持っておるし、あるいは偽作をも持っておったのかもしれませんけれ
ども、そういうような不幸な事件が起こったことは事実でございます。そういうことを考えまして、御
指摘のように、われわれが
購入いたします場合には、今後きわめて慎重に
——いままでも十分慎重に取り扱ったのでございますが、こういうようなこともあるわけでございますので、そういう
購入先等ということにつきましては、あくまで慎重に、細心の注意を払いまして、厳重に対処しなければならないというふうな考えで覚悟しておる次第でございます。それから、そういうふうなことで、現在のところ、また、いまの事件がどうなるかということについては、私
どもも非常に関心を持っておりますので、公式な機関を通じて、その後どうなったかという実態を把握するように今後も努力するつもりであります。
以上、長々と申し上げましたが、御
質疑の要点につきまして、一応御
説明申し上げたかと思っております。そういうわけで、両
作品とも
真作であり、また
購入価格についても不当ではないと存ずる次第でございます。しかし、何と申しましても、今後、国の予算に基づいて
購入いたしますということでございますので、
作品購入につきましては、いまも申し上げましたけれ
ども、特に慎重を期したいと存ずる次第でありまして、小林
委員の御
質疑、あるいは御
指摘の趣旨を十分体しまして、今後一そうきびしく
購入をいたしたいと、そういうふうに考えておるわけでございます。これをもって私の
説明といたします。