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参考人(
山添利作君) ただいま御紹介をいただきました
山添でございます。
私
どもは、最近、
中国の
蚕糸業を
視察して参りましたにつきましては、その
事柄をお話しするようにという御連絡でございました。したがって、その点につきまして簡単に申し上げて、御
参考に供したいと思います。
私
ども、
蚕糸代表団として
中国を訪問いたしましたわけでございまするが、その中には、
養蚕、
蚕種並びに
製糸の
代表を含めまして、一行六人でございます。四月の二十九日に
中国に入りまして、五月の十三日に出てまいりました。都合二週間でございます。参りましたところは、
広東から入りまして、
北京に行き、南京に行き、それから
鎮江、無錫、
上海、杭州と回りまして、また
広東に出まして帰ってきたわけでございます。その間、
蚕糸業に関しまして直接話したり、また、見る機会がございましたのは、
北京における私
どもの
受け入れ主体は
向こうの
農学会というのでございまするが、その
農学会、並びにその席に
紡織工程学会の
会長の陳という人が出ておりましたが、その
歓迎会の席上における
懇談会、並びに
北京におきまして
農学会のほうで
養蚕の
方面を担当しておりまする
主任者を交えましての
懇談会、それから
上海におきましては
生糸を含みまする
繊維品全体の
輸出をやっておりまする
絲綱公司の
上海の分会、この三つの
懇談会、それから
現地の
視察といたしましては、無
錫地区における
人民公社並びに
生産隊、この
現地の
視察でございました。そういう二週間の間、まことに日程は多忙でございましたが、直接の
蚕糸関係といたしましては、ただいま申し述べました
程度でございまして、かつ、
向こうの人の話というのは、御
承知のように統計は発表になりませんし、それからまた、話します人も、自分の担任しておる
事柄だけを話すということで、全般的な話をある人がやる、
日本におけるたとえば
蚕糸局長のような人がいまして全体
政策を話すと、こういうことではございません。したがいまして、私
どもが得ました
知識も、きわめて断片的かつ
印象的でございまするが、そういう
意味におきましてお聞き取りをお願いいたしたいと思います。
まず、
増産の
状況でございまするが、これは
北京で聞きます話によりますると、
桑園をつくりますのにつきまして、すでに食糧、綿花、お茶、その他
既耕地には、新しく
桑園はつくらない。しかしながら、
桑園を奨励は大いにいたしておるのでありまして、それはもっぱらいままで利用されていない
土地、こういうことでございました。たとえてみますれば、程という
養蚕の
主任者、これは五十かっこうの女の方でございまするが、その人の申しますのに、たとえば
山西省におきましては、いままで桑がほんのわずかきりなかったのが、
畦畔に桑を植えたというような話、これは群馬県における風よけの
桑園といいまするか、周囲に桑を植えて防風にも役立てる、こういうような
意味合いがあるかと思います。そういう例でありまするとか、あるいは漸
江省、ここは
向こうにおける
養蚕の
中心地でありまするが、そこにおいては、河川敷の石を大量に運び出す、十五万立米運び出して、そこに
桑園をつくったというような話でありまして、そのほか、
畦畔とか沿線とか、こういうあき地を利用いたしまして、
桑園の
増植、
養蚕の
振興につとめておる、こういう話でございました。その
山西省に
桑園をつくるとかあるいは漸
江省の川原を利用するとかいうのは、まことに困難なことを、ともかく、ああいう国でございまするから、人の
労力ということは問題がございませんので、非常な努力を重ねてそういうことをやっておるという話を強調しておりました。そういうところから見ましても、副業たる
蚕糸業の地位は変わらないにいたしましても、未
利用資源を利用して
増産をするということは非常につとめておるようでございました。
なお、また、これは
鎮江の
蚕業試験場等で聞いた話でございまするが、
養蚕地域が
相当広がっております。もとは
北支のほうでは
養蚕はなかったわけでございまするが、現在はその
方面でも
蚕業試験場のブランチを置きまして
技術指導につとめておる。そういうふうに広く
養蚕が広がりつつある。もっとも、それは、非常に薄いとは思いまするけれ
ども、ともかく広く行なわれつつあると、こういう
状況のようでございました。
それから無錫で聞きました話でございまするが、無
錫地区、これも
向こうにおける
養蚕の
中心地でございまするが、無
錫地区と申しまするのは、そこの
農学会の
会長が
説明をいたしまするのに、
人口六十二万ということでございます。そうして、そのうちの
農家に属する者は、といいますのは、
人民公社の社員でございまするが、これは無
錫地区におきましては全
人口の約四分の一でございます。したがって、これは
中国においても
相当開けた
土地と、こういうふうに
考えられるのでございます。無
錫地区における
耕地面積は、十二万畝(ムー)ということでございまするから、
日本でいいますれば七千町歩であります。そのうち、
桑園は約一割、九千畝ということでございます。そこでの繭の産額は四十一万八千七百キロと、こういうことでございまして、これを
畝当たりに直しますと、四十五キロ、
日本流に反
当たりに換算いたしますると、
一反当たり十七貫と、こういう
数字が出るわけでございます。
この
現地における話、並びに空気、それから話す人の
意気込み等から
考えてみますると、
農業生産全般が年々非常に進んでおるようでございまして、本年は昨年に比べて一五%増だと、こういうことでございました。解放前すなわち十七年前に比較してみますると、二・二五倍と、こういうことに相なっておるようでございます。これは、
ひとり繭だけではございません。米麦においても、ひとしくさように
増産が進んでおると、こういうふうな
状況でございました。
それでは、蚕がこのように進んでおる、あるいは米な
どもそういうふうでございまするが、その
理由は何かということにつきましては、必ずしも的確な、
農薬のせいであるとか、
肥料のせいであるとかいうことは、まあはっきりいたしません。
日本の戦後の
増産ということでありますれば、まず第一に
肥料、それから
農薬と、こういうことがあげられるわけでございまするが、
中国におきましては、
一般に水利が非常に進んだとかいうようなことは顕著でございまするが、その他の点において、どういう
技術的理由あるいは
物的理由で進んだかということは、私
どもはっきりいたさなかったのでございますが、ともかく
やり方が非常に丁寧である、こういうことでございます。
桑園にいたしましても、中耕を三回やるとか、あるいは
施肥を四回やるとか、あるいは除草を五回やるとかいうようなことで、まことに丁寧、畑には草は全くはえておりません。
施肥と申しましても、金肥はまあ薬の
程度、大体は沼のどろをあげてそれをまくとか、あるいは豚の厩肥を施すとか、こういうことでございまして、もっぱら丁寧にやるということでございます。
そこで、そういうふうに丁寧にやるのについては、それでは非常に
労働力を費やすのかということになりますると、何しろ、
日本流に
考えますると、一戸
当たりの
耕地面積は三反未満でございまするから、これはいくら丁寧にやりましても、別に
労力がどうという問題はないわけでありまして、たいへんまじめに多くの
労力をもってやっておりまするがゆえにこのように
生産があがっているのではなかろうか、かように
考えておる次第でありまして、おそらく、まあ
農業生産のことでございまするから、
土地生産力という点から見まして、そういつまでも急速な
増産ができるとも思いませんけれ
ども、最近数年のところ、また近い将来におきましては、
相当のテンポで
増産が達成されるのではなかろうかと、かように推測をいたしております。
そういうふうに
増産は進んでおりまするが、それでは、
技術のレベルといいまするか、全体の
水準のごときものはどうであるかということになりますると、同行いたしました
養蚕、
蚕種、
製糸の
専門家の御
意見は、まあ
日本の
状況から比較してみれば三十年かそれ以上も昔の
状態とひとしいであろう、こういうことでありました。それだけおくれているという
ことばを使えば、そういうふうにも言えまするが、まあそういうことであろうと思います。
繭等を見ましても、私もあまり専門的な
知識はないのでございまするが、
日本では見られないような皮の薄いぶかぶかした繭でありまして、これを
製糸工場で選繭いたしまする場合には三種類に分けておりまするが、全くの
くず繭が若干、そのほかのものも
二つに分ける、こういうような
状況でございまして、繭の品質はむろん上等ではない。
糸目にいたしますれば十三匁そこそこでありまして、先ほど、反当十七貫と、これはむろん無
錫地区で最も進んだところと思いまするが、これを
日本流の
糸目と
考えて、
糸目と比較して見ますると、
日本流の
考えでは反当十三貫くらい繭がとれるんだと、糸にしましてですね、まあそういう見当であろうと思います。これは、結局、
品種の改良が進んでいないと、こういうことも
理由でありましょう。また、
養蚕形態そのものも、はなはだ丁寧ではあるけれ
ども、しかし、昔流のことであると、こういうような
理由によるものかと思うのでありまするが、蚕の
品種、あるいはできました
繭等から見まする
状況は、そういう
程度でありまして、進歩はこれからというところでございました。
無錫で同じく第一
製糸場という
工場を見ましたが、それは
日本でいう多
条機、戦争前の多
条機を使っておるのでございまするが、人の多いことは全く驚くべきといいますか、非常に人がたくさんでございました。かせをひねくり回してこう透かして見ておる人が十人ぐらいおるんですね。
日本でああいうことをやっておるのは見たことはないんですね。そういう
意味で、非常に丁寧である。人手ということは全く問題がないからでもございまするが、能率ということは重んずるに値しないと、まあこういうことであろうと思いまするが、そういう
状況でございました。
生産隊に参りまして、いろいろ話を聞く、あるいは
人民公社で話を聞くと、これはまことにまじめかつ真摯な
態度でありました。ああいう
態度、ああいう精神、ああいう
やり方というものがやはり
増産の原動力になっておるんだと、その
理由は、いわゆる科学的なものではないと、まあこういうような
印象を受けました次第でございます。
そういうことで、だんだん伸びてくると思いまするが、さて、それでは、一体、
輸出という問題とどういうことになるか。これは、
向こうの人は全般的な
説明はいたしませんけれ
ども、私
どもの見るところによりますると、
増産をしましても、それがそのままに
輸出につながるというような様子ではなかったように思います。現在、
国内に使いまする
生糸は、主として
辺境民族、蒙古とか——内蒙古ですね、それから新疆、あの辺に
供給をいたしておるようでございまして、
国内では
一般の人民には使わしていない。また、
所得の
状況から見まして、絹を使うということはできないと思います。また、気風からいたしましても、現在は文化大革命で、みな一様の服装でありまするから、
絹なぞ恥ずかしくてとても着られたものじゃない、こういうことでございます。しかし、たとえば、無数に立っておる赤旗でありまするとか、あるいは至るところにございまする毛沢東の写真なぞは大体絹を使っておると、こういうような
状況でございまして、
国内における消費というものも
相当——少なくとも、パブリックといいましょうか、その
意味における需要もあるわけでございます。まあ
増産ということはされておりまするが、それが直接
輸出につながるというようなふうには受け取れなかったというのが感じでございます。
御
承知のように、
ヨーロッパに対する
生糸は、
日本は完全に敗退をいたしまして、現在は
中共糸でございます。これは安定して
向こうに
供給をしたいというのが
中国の
考えのようでありまして、
日本に対してはどうかということにつきましては、いわゆる
政経は分離でないと、
政経一体であると、友好な国に流すんだと、こういうような口ぶりでありまして、数量的にも、あるいは
考えといたしましても、
日本にたくさん出したいと、こういう
考えはないふうでございました。そういうことで、おそらくこれから
相当の
輸出はするでありましょうが、しかし、
海外市場における
意味におきましては、直接にそうひどく競合するという
事態が急に起こるとは思えません。その
理由の大部分は、
アメリカには
中国の
生糸が行かない、こういうところにあるのが本質だと思いまするが、そういう点もありまして、急激に
海外の
マーケットにおいてどうこうということはないように思いました。しかしながら、そうは申しましても、また、
中国はこれから当分といいますか長い間おそらく
国際社会に復帰することはないであろうというふうな
印象を受けましたが、そこで、販路としては、
ヨーロッパと
アメリカというように
日本と
中国と分かれておるわけで、この
状況は続くと思いまするが、そうは申しましても、経済のことでありますから、
生糸と申しましても
絹製品を通じやはりグローバルな
影響があるわけでございまして、だんだん将来の
状況によりましてはそこに問題が生ずるといいまするか、少なくとも
日本側から見ての問題の生ずるおそれといいまするか、そういうことは十分あるわけでありまして、われわれといたしましては
中国との間に
お互いに
事情を知り、
お互いに
理解を深めていくように将来やっていかなければならぬ。そうして、だいぶん将来のことかもしれないけれ
ども、必要があれば協定をするといいまするか、そういうような了解を具体的なことについても遂げていく必要があるように
考えておるのでございます。
そういうことでございまして、
日本といたしましては、現在、
国内市場を主といたしまして
輸出がふるわないという
事情でございまするが、将来を
考えてみますると、この際何らか強力なる
輸出振興策、少なくとも
輸出を細々ながらでも確保するという体制をとっておきまして、将来ともに両国相携えてと言うと
ことばがきれい過ぎるのでありまするが、競争という
ことばもまた当てはまらないが、ともかく
輸出を確保していき、両方の国が協調できる範囲は協調していくと、こういう進め方をしなければならぬと
考えておる次第であります。ただいま
議題になっておりまする法案につきましては、
政府からの御
説明等で十分御了承のことと思いまするが、
日本といたしましても、この時点におきましては、どうしても
輸出を確保する対策をとって、そうして急場をしのぐといいまするか、いまの
事態をしのぎつつ将来における
海外の
マーケットを少しずつでも広げていく、そうして内外の
市場を広くして
蚕糸業を発展さしていくと、こういう必要を痛感いたしておる次第でございます。
簡単でございますが……。