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北村暢君 まあ、長官のおっしゃるコールドチェーンが物価の安定のために役立つようにやっていくという着想でやられる、これはまあ当然でしょう。そうでなければ実験やる必要何もない。ただ物価の安定というものについて役立つようなコールドチェーンというものは、これは魚については、もうすでにコールドチェーン、
科学技術庁、これはやっているわけですね。コールドチェーンの
態勢というものはできている。まあ、
改善の余地はあるでしょう。主として生鮮食料品の物価の安定のために役立つというのは、生果物のコールドチェーンは実際に、それと肉を一部やっておりますね。その場合に、いま
大臣のおっしゃられたようなピーマンであるとかサヤエンドウであるとか、まあ、サヤエンドウの消費というのは、どのくらいあるかわかりませんが、とにかく、そういう季節はずれのものを特殊な用途に、特殊な消費に利用する。ピーマンなんかもう大衆化してきましたけれ
ども、そういうものでは物価安定に役立たないわけです。大衆野菜にこのコールドチェーンが生かされないというと、物価安定には影響しない特殊なものをつくるのだったならば、金、少々高くたって、これは売れるのですから、それではしかし量的には非常に限られたものです。そういうものは何も試験しなくたって、金さえかければ、実際に品物がいたまないで、しかもいいものが来る方法は幾らでもある。問題はやはり大衆野菜、大衆生果物、これがコールドチェーンに乗るか乗らないかという問題、そういう点がこの物価に安定的になるかどうかという問題、ところが、確かに直接直ちにその物価の安定に役立つかどうかということについては非常に疑問である。ということは二段、三段の意味においては、全然ないとはいいませんよ。大衆野菜、生果については大量に取り扱い、大量に取り扱うものについて、しかもこれは値が張るものではない。産地に冷蔵庫をつくり、輸送機関に冷蔵の
施設をし、そうして消費地にまた冷凍
施設をし、小売り店にまで、家庭にまでいかないとチェーンにならないわけですね。チェーンというのはそういう意味で、生産から消費の過程に至るまで
態勢ができないというと、コールドチェーンの役をなさないわけですから、途中で切れたのはコールドチェーンにはならないわけです。そういう意味において大衆野菜について、そういう冷蔵
施設をするという、これは非常に大きな投資が必要ですし、経費がかかるわけですね。そのためにはやはり包装も冷凍に合った包装にしなければいかぬ、大衆野菜についてりっぱな包装もしなければならぬ。ただその場合に、普通で送れば腐ったりなんかする損耗率が、コールドチェーンで来ると、その損耗を少なくしてやり得る、ある
程度の投資はするけれ
どもカバーできる、こういうふうにやって、経済的に見て成り立たないというと、いかに品いたみしないで鮮度のいいものを持ってきても、値段がべらぼうに高くては意味がない。また、そういうふうに
施設をすれば、大衆野菜について経費がかかる、何といっても。ですから、直ちに私はコールドチェーンというものは、生鮮食料品、特に大衆野菜について値段を下げるという役割りを直ちにするかどうかということについてははなはだ疑問がある。そういう点のこまかい、普通輸送で来るものと、コールドチェーンで来たものとの価格の、一方はロスができたり、片一方はロスがなしにきわめて鮮度がいい、そういうようなもので、価格の面でいえば相当の検討がなされなければならないのじゃないか。そうでなければコールドチェーンというのは、確かに
技術的には九州のものが船に積み、冷蔵
施設で着いた、品いたみもしないで非常にりっぱないいものが着いたというだけであって、経済的にペイするのかしないのかという問題、これを私は心配している。したがって、
大臣のおっしゃるように、直ちに生鮮食料品の価格が安くなる、安くなるのじゃなくて安定すると、こういうふうに逃げているわけですけれ
ども、少なくとも高くならないということでなければならないと思うんですね、いま高い高いとこう言っているのですから。だから高いところに安定するのも安定ですし、低いところに安定するのも安定ですし、これ以上上げないでいくというところに安定するのも安定です。したがって、高いところに安定させたのじゃ消費者に迷惑なんですから。確かに変動があって生産にも影響するということで、価格変動があまりないように安定をしていってという点に役立つということについてはある
程度認めなければいけないんだけれ
ども、そのために非常に冷凍
施設その他の輸送等について、一般輸送その他について経費がかかるというのじゃいかぬと思うんです。だからその辺の認識を、
大臣は政策的にやるのですからと、こうおっしゃるけれ
ども、安くならないんじゃ、これは私はあまり政策的とは言えない。それだけ
技術を要したものを国民一般が要求しているのかどうなのかということも問題なんですね。だからそういう点についての見解というものをもう少しやはりはっきりしておきたいと思うんです。