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鈴木強君 それぞれのお
立場から伺いましたが、とうしても話が
抽象論に——私の質問が抽象的ですから
抽象論になると思いますが、そこで、いろいろのお
立場でたいへん貴重な御
意見を承りましたが、そもそも、ほんとうは私は、全般的な
テレビ、
ラジオの
影響ということを聞いて、その中で
青少年のことにいけばいいのですが、時間がありませんから、
青少年に限ったような形でやっておるのですが、これは各国とも
子供向けの
番組に対する
放送コード的なものがありまして、オーストラリアにしても、イギリスにしても、あるいはアメリカの場合にしても、
日本の場合ですと、
NHKと
民放と二本建てになっておりますが、
放送法に基づく
番組基準というものを完全に守っていただくならば、いま御指摘のような、
子供に与える
情操、あるいは
教養を
向上するという、そういうことになると思うのでございます。
小川先生もおっしゃるように、
番組というものは根本的に、
子供向けの問題だとか、
おとな向けの問題だとかということじゃなくて、
国民のやはり
文化的な、あるいは
国民的な課題であると、こうおっしゃる、そのことは全くそうだと思いますね。ですから、そういう思想に立って、それぞれ
番組を編集してもらいたいという一応のものさしはあるわけです。たとえば
民放の
児童向けの
放送基準を拝見しますと、「
児童向け番組は、児童に与える
影響を考慮して健全な常識と豊かな
情操を養うことを目的とする。」「制作に当っては、特に良い習慣。責任感。正しい勇気などの精神を尊重し、これを傷つけないように配慮する。」「暴力や悪徳行為などの
場面を取り扱うときは、特に慎重にする。」「児童にふさわしくない好奇心や、冒険心を起こさせないように注意する。」「すぐれた作品でも、残忍・陰惨・恐怖・悲哀などの表現は児童の心理を過度に刺戟したり傷つけたりしないよう慎重に取り扱う。」とか、「児童の品性をそこなうような言葉や下品な表現は避ける。」「歌謡等で児童に不適当なものはそのメロディーも使用しない。」、こういうふうな一応の基準がございます。
NHKの場合も大体同じようでございまして、そういうふうな四つの条項が、
NHKの場合にも国内
番組基準としてあるわけなんです。ですから、こういうものをほんとうに、つくるほうも、あるいは
民放におけるスポンサーですね、そういう
方々も正しく理解をし、正しく運営してもらえば問題はないと思うのですが、そこにはやはり、たとえば、さっきの「
ちびっこのど
じまん」とか「
ちびっ子NO1」のように、
子供に小
学校の歌を歌わしたのじゃ——歌唱というのですか、ああいうものを歌わせては
視聴率も落ちる。ですから、やはり歌謡曲を歌わせると
視聴率も上がるからこれをやっておるということを、
向上委員の皆さんから聞くわけです。ですから、そういうふうな、ただ見せればいいのだというような、
視聴率を上げればいいのだという、そういう
考え方でもしおったとすると、
内容的に問題が出てくると思うのです。ですから、それは
民放側の問題であって、
放送するほうはしていないのだということは言えるかもしれないが、そこを要するに、
一体になって、いいものをコードに基づいてできるだけやっていくという、そういう姿勢がやはり一番必要だと思うのです。
そこで、具体的にお伺いしたいのは、
日本の場合には、
子供番組といいましても、ほとんどが
漫画ですね。私がちょっと調べてみましても、大体午後の五時、六時、七時、八時近いものを見ますと、去年の夏休み
番組を見ますと、ほとんど
漫画でつぶされていますね。
昭和三十八年の二月には四十二本で、東京七局が
放送時間合計で四百二十一分、それが三十九年二月には四十四本、六百二十五分、四十年の二月には四十九本、七百七十分、四十年八月には六十一本、九百三十五分ということで、ほとんど
テレビは
子供向けのものが
漫画でつぶされている。私は
漫画家の久里洋二さんがある新聞に書いてあるものを見ましたが、その中にも、「
日本の
テレビ漫画を見ていると、すべて戦争ものが多い。SFの中に宇宙戦争、
怪獣との戦い、そして破壊的な作品ばかりである。いまの
日本の子
どもたちの
考えとぴったりなのかも知れない。しかし、アメリカは別として、ヨーロッパの
テレビ漫画には、このような戦争ものや、破壊的な
テレビ漫画は見当たらない。とてもロマンチックで甘くて楽しい美しい
漫画映画ばかりである。テンポも
日本の
テレビ漫画のように早くはなく、のんびりしている。」「アメリカの子
どもと
日本の子
どものテンポはほとんど同じではないかと私は思う。その原因は、
テレビの出現と同時に大量のアメリカ
漫画映画がはいってきたことによる。」、要するに、
日本の
テレビというものは完全にアメリカナイズされている。私は世界一周してきましたが、ヨーロッパあたりの
テレビなんかを見ましても、たとえば、
曽野先生おっしゃったように、ダイヤルを切ればいいじゃないか、あるいは切ったらどうかという、そういう親の気持ちですね。これはどなたかの
お話の中にありましたが、こういったものとも関連して、ヨーロッパの
放送時間も非常に少ないのです。たとえば七時ごろ、
夕食時になるとスイッチを切るというのです。そうして
子供を含めて、きょうは
子供がどういうことをした、おとうさんはどうした、おかあさんはどうしたと、団らんの時間にしているということを私聞いたのです。
日本の場合はそうじゃないのです。
子供は
学校から帰ってくると、どこかで一生懸命遊んでいますけれ
ども、六時になると必ず帰ってきて、親が何を言おうと、七時のニュースになったって、ダイヤルは絶対に親にやらない。せんだっても、私の群馬県の友だちが来まして、非常に困ったことだ、六時になると家に帰ってきて、
テレビの前にすわり込んでしまって、絶対ダイヤルを貸してくれないというのです。七時になってニュースを見たいから何とかしてくれと言うと、金よこせと言う。
最初は十円だった、このごろは五十円になって、五十円やるとニュースのときだけ貸してくれるのだそうです。そうして二十分たつと、かちっとダイヤルを回して
漫画を見ている、こういうようなところまでいっているわけです。ですから、この
漫画というものが、
一体、非常に
子供に見られておるし、もちろん、
内容等によって、
怪獣ものでも、最近は人間が中に入ってやっているから、もう五、六年生になると、そんなものおもしろくない、
一つもこわくないということもあるし、いろいろ見る
年齢によって、
曽野先生おっしゃるように、違いはあると思いますが、しかし、そのことが
一体どう
影響するかということ。私は十六日の朝日新聞を拝見しましたが、この中に、「
漫画のマネ水へ飛込む」、こういうのがありまして、これは熊本県ですけれ
ども、「十四日夕、熊本県下益城郡城南町赤見の農業、伊津野功さん(三二)の次男、学ちゃん(三つ)が
テレビ漫画の空飛ぶ主人公「パーマン」をまねて近くの用水路にかかった橋から水面に向って飛び、水死した。松橋署の調べでは、付近に人家はなく、いっしょに遊んでいた幼児の知らせで約四百メートル離れた自宅から両親らがかけつけたが、」学ちゃんは羽根のかわりにふろしきを使って飛び込んだのですね。ですから、ふろしきで首を巻かれてしまったもんですから、深さ二メートルの水底へ沈んで死んでしまった。ですから、こういう「パーマン」の
遊びというものは最近児童の間にたいへん流行しているということがあるのです。ですから、こういう
子供たちが、三つくらいですから、
テレビ見て、これはおもしろいというので実際にやったんでしょうね、これは。しかし、これは七つか八つ、小
学校へ行くころになると、水の中に飛び込めば死ぬんだということがわかるからやらないんですね。ですから、見る
年齢層によっても違うんでしょうが、こういうことが現実に
日本の社会の中に起こっているわけですね。ここいら、
漫画というものが
一体子供にどういう
影響を与えているかということはなかなか判断むずかしいと思います。いい面もあるし、悪い面もある。しかし、具体的にこういう問題も出ているのですから、そこいらのとらえ方が非常にむずかしいので、私は、さっきの
放送コードといいますか、基準というものに基づいて配意をしていただくことが根本的になると思うんですが、そこいら、
漫画というものがあまり多過ぎるという
感じしませんでしょうかね、
子供向けの
番組。そこいら、ちょっと伺いたい。